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  • F1イタリアGPに「ヒートハザード」宣言 モンツァで35度予報 冷却ベスト使用可能

    F1イタリアGPに「ヒートハザード」宣言 モンツァで35度予報 冷却ベスト使用可能

    FIAは、2026年F1第13戦イタリアGPを「ヒートハザード(Heat Hazard)」対象イベントに指定した。モンツァでは週末を通して厳しい暑さが予想されており、ドライバーの安全を守るため、冷却ベストを含む特別な暑熱対策が適用される。

    イタリアGPの週末は平年を大きく上回る気温となる見通しで、金曜日は最高34度、土曜日は35度、日曜日も34度まで上昇すると予想されている。

    FIAの規定では、イベント中に気温が31度を超えることが予想され、定められたヒートインデックスの条件を満たした場合、ヒートハザードを宣言することができる。

    FIAがイタリアGPを「ヒートハザード」に指定
    ヒートハザードは、極端な暑さによってドライバーの健康や安全が脅かされる可能性がある場合に適用される制度だ。

    今回のイタリアGPは、2025年のシンガポールGPとアメリカGP、2026年のオーストリアGPに続き、F1で4例目のヒートハザード指定となる。

    モンツァではグリッド上でファンやアイスベスト、日よけなどの暑熱対策が強化されるほか、マシンにはFIAが承認したドライバー冷却システムを搭載することが認められる。

    冷却ベストは着用を選択可能
    ヒートハザードが宣言されると、ドライバーは液体冷却式のベストを使用できる。耐火性のアンダーウェアにチューブを組み込み、冷却された液体を循環させることで、走行中の体温上昇を抑える仕組みだ。

    システムではグリコールなどの液体を使用し、ドライアイスを入れたタンクを通して冷却したうえでドライバーの身体周辺に循環させる。

    ただし、冷却ベストの着用自体は義務ではない。ドライバーは快適性などを理由に使用しないことも選択できる。

    一方、冷却システムを使用しないことで重量面のアドバンテージを得ることは認められない。そのため、ヒートハザードが適用された場合には冷却システム搭載を考慮してマシンの最低重量が5kg引き上げられ、システムを使用しないドライバーも相当するバラストを搭載しなければならない。

    イタリアグランプリ

    ラッセルは冷却システムを評価
    GPDA(グランプリ・ドライバーズ・アソシエーション)のディレクターを務めるジョージ・ラッセルは、2025年シンガポールGPで冷却ベストを着用して優勝しており、このシステムを評価している。

    「全員がこのトップを快適だと感じるわけではないけど、人によっては他の人より快適に感じると思う。もちろん、時間が経てば自分の好みに合わせて調整できるようになるだろう」

    「でも、コンセプトはいい。湿度90%のなかでレースをして、コックピットが60度近くになると、マシンの中はちょっとしたサウナみたいになる。だから、僕たちはみんな歓迎していると思う」

    一方で、冷却ベストへの評価はドライバーによって異なる。マックス・フェルスタッペンはこれまで、ベストの着心地やシステムに問題があるとして否定的な見解を示している。

    また、冷却に使用するドライアイスが走行中になくなる可能性も課題のひとつだ。その場合、十分に冷却されなくなった液体がシステム内を循環し、ドライバーにとって逆に不快になる可能性がある。

    きっかけは2023年カタールGPの過酷なレース
    FIAがこうした暑熱対策を導入する大きなきっかけとなったのが、2023年F1カタールGPだった。

    極端な高温と高湿度のなかで行われた決勝では、複数のドライバーが深刻な体調不良に陥った。エステバン・オコンはヘルメット内で嘔吐しながら走行を続け、ローガン・サージェントは体調悪化によってリタイア。ランス・ストロールやアレクサンダー・アルボンもレース後に暑さによる体調不良の処置を受けた。

    複数のドライバーが高速走行中に意識を失いかけるほどだったことから、FIAは同様の事態を防ぐための暑熱対策を制度化した。

    2026年はスプリントと決勝を別々に指定可能
    2026年にはヒートハザード規定にも変更が加えられ、スプリントと決勝について、それぞれ個別に宣言できるようになった。

    FIAは規定について、「ヒートハザードの宣言は、スプリントと決勝で分けることができるようになった。ヒートハザードはスプリント、決勝、またはその両方について、競技開始24時間前までに宣言される」と説明している。

    これにより、週末途中で気象予報が変化した場合にも、実際のコンディションに応じて柔軟に暑熱対策を適用できる。

    最高35度という厳しい暑さが予想される2026年F1イタリアGPでは、純粋なマシン性能だけでなく、コックピット内の温度管理とドライバーの体調管理も重要な要素となる。特に高速コースのモンツァで長時間にわたって集中力を維持するため、各ドライバーが冷却システムを使用するかどうかも注目点となりそうだ。

  • ホンダF1 折原慎太郎「スペック2は失敗ではない」パワー向上も挙動に課題

    ホンダF1 折原慎太郎「スペック2は失敗ではない」パワー向上も挙動に課題

    ホンダは、2026年F1オランダGPで投入した新パワーユニット(PU)「スペック2」について、期待された効果が得られなかったとの見方を否定した。HRC(ホンダ・レーシング)の折原伸太郎は、ベンチテストで確認していたパワー向上を実際の走行でも確認できたと説明している。

    一方で、燃焼仕様の変更に伴ってエンジンブレーキやトルクデリバリーの不安定さが再び表面化したことも認めた。

    フェルナンド・アロンソとランス・ストロールから厳しい評価が出たものの、ホンダは改善可能な問題だと捉えており、「スペック2を失敗とは考えていない」と強調している。

    ベンチで確認したパワー向上をサーキットでも確認
    ホンダはオランダGPが行われたザントフォールトで、2026年型PUの新仕様「スペック2」を投入した。事前には30~40馬力程度の向上を目標としているとの情報もあったが、各チームのGPSデータを基にした推定では、実際の向上幅は20馬力未満だったとも伝えられている。

    さらにアストンマーティンのドライバーからは、絶対的なパワー以上にPUの扱いにくさを指摘する声が上がった。

    しかし、ホンダ側はスペック2によるパワー向上そのものについては、当初の想定通りだったとしている。

    イタリアGPを前に折原は、「パフォーマンスに関しては、ベンチで確認していた数値が実際の走行でも再現できていることをデータで確認しています」と説明した。

    信頼性についても大きな問題は発生しなかった。

    「はい。信頼性については、問題なく週末を走り切ることができました。その点では、すべて予定通りに進みました」

    燃焼変更でドライバビリティの問題が再発
    一方、ホンダが認めている最大の課題がドライバビリティだ。

    スペック2では燃焼仕様に変更が加えられたが、その影響によってシーズン前半に改善を進めてきたPUの挙動に関する問題が再び現れた。

    アロンソはオランダGPで新PUについて「振り出しに戻った」と厳しく評価していた。

    それでも折原は、スペック2そのものが失敗だったとの見方を否定した。

    「エンジンの挙動について難しい部分があるのは確かです。ただ、対策を施し、改善するためのプロセスを進めていけばパフォーマンスを向上させられることは確認できています。ですから、スペック2が失敗だったとは考えていません」

    つまり、絶対的なパワー向上は実現しているものの、それをドライバーが安定して引き出せる状態にはまだ達していないということだ。

    「パフォーマンス面では一定の進歩が確認できています。ただ、安定したトルクを供給し、アクセル操作やブレーキング時のPUの反応にドライバーが自信を持てるレベルにはまだ到達していません」

    アストンマーティン・コグニザント・フォーミュラワンチーム

    エンジンブレーキとトルク応答にばらつき
    ザントフォールトでアロンソとストロールが特に問題視していたのが、エンジンブレーキとアクセル操作に対するトルクの応答だった。

    折原は、その症状について具体的に説明している。

    「具体的には、ブレーキング時のエンジンブレーキに問題があり、ラップごとに挙動が一定ではありませんでした」

    「アクセルを踏んだ量に対して想定したトルクが出なかったり、逆にトルクが出すぎたりすることがありました。そうなるとコーナー出口で突然ホイールスピンが発生する可能性があり、ドライバーは自信を持って攻めることができません」

    2026年のF1では電動化の比率が大幅に高まり、PUとエネルギーの制御がマシンパフォーマンスを左右する重要な要素となっている。そのため、ドライバーがアクセルやブレーキ操作に対する反応を予測できないことは大きなハンディキャップとなる。

    ただし、折原はスペック1でも同様の問題を改善してきた実績があることから、今回も解決できるとの見通しを示した。

    「PUの反応を正確に予測できないことは大きな問題です。ただ、良い点としては、スペック1のときと同じように、これについても少しずつコントロールして改善していけるということです」

    「スペック1より確実に向上」もトップには届かず
    ホンダはスペック2によって前仕様から前進したと評価している一方、現時点でライバルPUに追いついたとは考えていない。

    折原は「パフォーマンスはスペック1と比較して確実に向上しています」と述べた。

    その一方で、次戦イタリアGPについては厳しい戦いになることを覚悟している。

    モンツァは長いストレートが特徴で、PUの絶対的な性能とエネルギーマネジメントがラップタイムに大きく影響する。新仕様の実力を測るうえでも、ザントフォールト以上に厳しいテストになる。

    「残念ながら、PUをアップデートしたとはいえ、まだベストのPUではありません。そのため、モンツァでは厳しい戦いになると考えて準備しています」

    ホンダにとってスペック2のザントフォールト投入は、狙ったパワー向上を確認できた一方、その代償としてドライバビリティの課題を再び浮き彫りにする結果となった。アストンマーティンがその性能を最大限に引き出すためには、エンジンブレーキとトルクデリバリーの安定化が急務となる。

    最高速とPU効率が重要になるモンツァでは、スペック2による純粋なパワー向上と、ザントフォールトで露呈した挙動面の改善がどこまで進んでいるかが改めて試されることになる。

  • ルイス・ハミルトン 愛車フェラーリF40でF1イタリアGPに登場「夢が叶った」

    ルイス・ハミルトン 愛車フェラーリF40でF1イタリアGPに登場「夢が叶った」

    ルイス・ハミルトンが、2026年F1第13戦イタリアGPを前にモンツァのパドックへ希少なフェラーリF40を自ら運転して登場し、大きな注目を集めた。

    フェラーリ加入2年目を迎えているハミルトンにとって、F40は幼いころから憧れ続けてきた「夢のクルマ」だという。今回モンツァに持ち込んだ車両は、30年以上ガレージに眠っていた個体を入手し、マラネロのフェラーリでレストアした特別な一台だ。

    ハミルトンがF40でモンツァ入り
    木曜日のメディアデー、ハミルトンは黒のスーツにタンカラーのオーバーコートという装いで、自身のフェラーリF40を運転してモンツァに姿を現した。

    F40は、フェラーリが1987年から1992年にかけてわずか1,311台を生産したスーパーカーで、現在では状態によって300万ドル(約4億円)前後の価格が付くこともある希少なモデルだ。

    ハミルトンのF40には、自身がF1で使用するカーナンバー「44」を取り入れたパーソナライズされたナンバープレートも装着されている。

    ハミルトンは2025年に、それまで所有していた自動車コレクションをすべて売却したことを明らかにしていた。しかし、フェラーリF40だけは別だった。41歳のハミルトンにとって、このクルマを所有することは長年抱き続けてきた夢だったという。

    ルイス・ハミルトン(スクーデリア・フェラーリ)

    「これが僕の夢のクルマ」
    ハミルトンは自身のSNSで、F40を手に入れるまでの経緯と、この一台に対する特別な思いを明かした。

    「僕自身のF40。これは僕の夢のクルマで、物心ついたころからずっとそうだった」

    「子どものころ、自分のF40を持つことを夢見ていた。昨年フェラーリに加入したときも、マラネロでの初日にF40を用意してもらった。それくらい僕にとって大きな意味を持つクルマなんだ」

    今回ハミルトンが手に入れたF40は、長期間にわたって走らせることなく保管されていた個体だった。

    「こうしたクルマは芸術作品で、本当に希少なものだ。だから、30年以上ガレージに置かれたまま埃をかぶっていたこの一台を見つけたとき、絶対に連れて帰らなければと思った」

    購入後、F40はフェラーリの本拠地マラネロへ運ばれ、ファクトリーのエンジニアとメカニックによって復活作業が行われた。

    「まずマラネロに運び、ファクトリーの素晴らしいエンジニアとメカニックたちが何週間もかけて、このクルマを生き返らせてくれた。このプロジェクトに携わってくれた全員に心から感謝している。本当に夢が叶ったよ」

    昨年はドゥカティ 今年はフェラーリF40
    ハミルトンがモンツァへの登場方法で注目を集めるのは今回が初めてではない。2025年のF1イタリアGPでは、イタリア国旗のトリコローレをまとったドゥカティのバイクでサーキットに姿を現して話題となった。

    そして2026年は、フェラーリを象徴する歴史的なロードカーのひとつであるF40を選んだ。

    フェラーリにとってイタリアGPはティフォシの前で戦う最重要レースのひとつだ。チームが最後にモンツァで勝利したのは2024年で、シャルル・ルクレールが地元ファンの前で優勝を飾っている。

    ハミルトンは現在、F1ドライバーズ選手権3位。ジョージ・ラッセルと同ポイントにつけ、首位アンドレア・キミ・アントネッリとは59ポイント差となっている。

    幼いころから憧れてきたF40を自ら走らせてモンツァ入りしたハミルトン。フェラーリのホームレースでは、今度はF1マシンのステアリングを握り、ティフォシの前で結果を残すことを目指す。

  • ジェンソン・バトン アロンソにF1続行を希望「まだ多くのものを与えられる」

    ジェンソン・バトン アロンソにF1続行を希望「まだ多くのものを与えられる」

    ジェンソン・バトンが、かつてマクラーレンでチームメイトだったフェルナンド・アロンソにF1での現役続行を呼びかけた。アストンマーティンのアンバサダーを務めるバトンは、自身の引退経験も振り返りながら、45歳となったアロンソには「まだ多くのものをF1に与えられる」と語った。

    アロンソの将来を巡っては、2026年限りで現役を退く可能性も含めてさまざまな憶測が続いている。一方、ホンダ側もアロンソにアストンマーティンのプロジェクトに残ってほしいとの意向を示しており、その決断に注目が集まっている。

    バトン「個人的にはもう少し長く続けてほしい」
    バトンはアストンマーティンの公式サイトで、アロンソの将来について自身の考えを明かした。

    「フェルナンドの将来は今、大きな話題になっている。彼がもう1年F1を続ける決断をするのかどうか、私にはまったく分からない。ただ、いつ引退を決断したとしても、F1史上最高のドライバーのひとりとして正当に評価されることは分かっている」

    「ただ、個人的にはもう少し長く続けてほしいと思っている」

    2009年F1ワールドチャンピオンのバトンは、自身が36歳でF1から退いたときには、すでに引退すべき時期が来たことを自覚していたという。

    「私は自分がF1を引退すべき時が来たことを分かっていた。36歳で引退したから、フェルナンドより9歳若かったけれど、私は準備ができていた」

    「その前の2年ほどは、レースをすることに苦しんでいた。本当の意味ではそこにいたいと思えていなかったからだ。自分にはもう新しく成し遂げるものがないように感じていた。そこまで来れば、去る時だと分かる」

    「フェルナンドにはまだエキサイティングな挑戦がある」
    しかし、現在のアロンソは当時の自分とは違うとバトンは考えている。その最大の理由が、アストンマーティンで進められているプロジェクトだ。

    「フェルナンドにとって違うのは、まだ目の前にエキサイティングな挑戦があることだと思う」

    「もちろん今年は厳しい。でも、アストンマーティンにいて、エイドリアン・ニューウェイのような人と仕事をするという意味では、今もエキサイティングな時期だ」

    「どんなF1ドライバーだって、彼が設計したマシンでレースをしたいと思うだろうし、彼がこのチームを前進させていくところを間近で経験したいと思うはずだ」

    バトンはさらに、アロンソが2018年限りで一度F1を離れながら、2021年に復帰した経験も、今回の決断に大きく影響するとみている。

    「将来を決めることがどれだけ難しいかは私にも分かる。そして彼は以前にも一度それを経験している」

    「彼はF1を離れて、その後戻ってきた。つまり、明らかにあのときは早く離れすぎたということだ。だから今度は、自分がもうF1にいたくないと100%確信するまで、去ることはないと思う」

    「アストンマーティンで勝利を争う姿を見たい」
    バトンは、年齢にかかわらずアロンソの才能と勝利への意欲は失われていないと強調する。

    「フェルナンドには、まだF1に与えられるものがたくさんある。私は彼がアストンマーティンで勝利を争う姿を見たい。それこそ彼がいるべき場所だし、このチームが目指している場所でもある」

    「彼は本来ならもっと多く勝っているべきだった。何度か不運な状況に置かれてきたし、そのひとつは私と一緒だったときでもある。でも、才能とハングリーさは今も残っている。それこそがF1に残り、競争力を維持するうえで重要なことだ」

    ジェンソン・バトンとフェルナンド・アロンソ

    シューマッハとのバトルに匹敵するアロンソ
    マクラーレン時代にアロンソと同じチームで戦ったバトンは、その実力をミハエル・シューマッハと並べて評価している。

    「フェルナンドに対してできる最大の賛辞は、彼と戦うことがミハエル・シューマッハと戦うことにとても似ていたということだ」

    「私の経験では、彼らとのバトルはハードだけれどフェアだった。毎回限界ギリギリで、それが大好きだった。それも挑戦の一部だった」

    「私がハンガリーで初めてグランプリに勝ったときも、彼らと戦っていた。ドライバーとして望むのはそういうことだ。最高のドライバー、偉大なドライバーたちと戦って、自分がどれだけ通用するのかを確かめたい」

    バトンは自身のF1キャリアを通じて、アロンソとシューマッハだけでなく、ミカ・ハッキネン、キミ・ライコネン、ルイス・ハミルトン、マックス・フェルスタッペンとも戦ってきた。

    「私は本当に幸運だった。フェルナンドやミハエルだけでなく、ミカ・ハッキネン、キミ・ライコネン、ルイス・ハミルトン、マックス・フェルスタッペンといった、このスポーツの本当のレジェンドたちと戦うことができた」

    「走っているのを見ればすぐフェルナンドだと分かる」
    その歴代の名手たちのなかでも、アロンソには一目で分かる独特のドライビングスタイルがあるとバトンは語る。

    「フェルナンドを際立たせているのは、そのドライビングスタイルだ。すべてのマシンを同じ色に塗って、全ドライバーをコースに出したとしたら、その違いを見分けるのは難しいと思う」

    「でも、フェルナンドが目の前を走り過ぎれば、すぐに彼だと分かる。それは彼がステアリングの向こう側でやっていることによるものだ」

    「フェルナンドのドライビングは誰とも違う。アグレッシブで、素晴らしい適応力がある。それは彼のキャリアを通じてずっと変わっていない」

    アロンソは2026年にアストンマーティン・ホンダとして新たな時代を迎えたものの、ここまでは期待されたほどの結果を残せていない。それでもバトンは、アロンソには依然としてトップレベルで戦う才能と意欲があり、ニューウェイとともにアストンマーティンを勝利へ導くという「エキサイティングな挑戦」が残されていると考えている。

    一度F1を離れながら復帰した経験があるだけに、バトンの見立てでは、アロンソが次に引退を決断するのは、自らが「100%」納得したときになる。

  • フェラーリF1 イタリアGPで新PU投入を正式確認 ADUOで性能向上

    フェラーリF1 イタリアGPで新PU投入を正式確認 ADUOで性能向上

    フェラーリは、2026年F1第13戦イタリアGPでSF-26にアップデートされたパワーユニットを投入することを正式に認めた。ADUO(追加開発・アップグレード機会)の枠組みを利用した今季2度目のアップグレードで、約15馬力の向上が見込まれている。

    ハンガリーGPとオランダGPでマクラーレンが連勝する一方、フェラーリは直近の勢力図でマクラーレンやメルセデスに後れを取っている。しかし、パワーが重要となる高速のモンツァを前に、マラネロには巻き返しへの期待が高まっている。

    ADUOを活用してモンツァでPUをアップグレード
    今回のアップグレードは、F1のADUO制度によって認められた追加開発機会を利用したものだ。最新のADUO評価では、レッドブル・パワートレインズの内燃エンジンが基準となっており、フェラーリには開発機会が与えられている。

    フェラーリF1代表のフレデリック・バスールは、ホームレースとなるイタリアGPを前に、アップデートされたパワーユニットを投入することを明らかにした。

    「モンツァはフェラーリにとって常に非常に特別な週末だ」とバスールは語った。

    「ティフォシの前でレースをすることはチーム全体に信じられないほどのエネルギーを与えてくれる。今年はさらに、ミハエル・シューマッハと、彼が我々の会社に残したレガシーを称えるという感情的な意味も加わる」

    「絶え間なく改善を追求する姿勢、細部へのこだわり、そしてチームワークに対する強い信念。これらは現在も我々にとって重要な価値観であり続けている」

    そして、パフォーマンス面についてバスールは次のように説明した。

    「パフォーマンス面では、ADUOで利用可能な開発機会の一環として、アップデートされたパワーユニットを投入する。これは正しい方向への一歩であり、我々も理解しているように、今年はまさに小さな改善を積み重ねていくシーズンだ」

    スクーデリア・フェラーリ

    約15馬力向上 モンツァで効果に期待
    今回のアップグレードによる出力向上は約15bhpと報じられている。実際の効果はエネルギーマネジメントやマシン側のセットアップにも左右されるが、長いストレートと低ドラッグ性能が重要となるモンツァでは、その恩恵を引き出しやすい。

    シャルル・ルクレールとルイス・ハミルトンにとって、ストレートでのパフォーマンス向上は大きな武器となる可能性がある。

    また、今回の動きで注目されるのがADUOによるメーカー間の開発機会の違いだ。最新評価で基準となっているレッドブル側には同制度による追加アップグレードの機会が与えられない一方、フェラーリを含む基準を下回ったメーカーには性能差に応じた開発機会が認められている。

    そのため、フェラーリにとって今回のアップグレードは単なるモンツァ専用の強化ではなく、シーズン後半に向けてパワーユニットの差を縮める重要な一歩となる。

    シューマッハへのオマージュとともにホームGPへ
    フェラーリはイタリアGPで、ミハエル・シューマッハへのオマージュを込めたスペシャルカラーリングも採用する。シューマッハがフェラーリ加入初年度の1996年にドライブしたF310から着想を得たデザインとなる。

    ホームのティフォシ、シューマッハへのトリビュート、そして約15馬力とされるパワーユニットのアップグレード。フェラーリは複数の要素を携え、モンツァでマクラーレンとメルセデスへの反撃を狙う。

  • アルゼンチン大統領がF1復活開催を熱望「我々にはすべてが揃っている」

    アルゼンチン大統領がF1復活開催を熱望「我々にはすべてが揃っている」

    アルゼンチンのハビエル・ミレイ大統領が、F1アルゼンチンGPの復活開催に強い意欲を示した。1998年を最後にF1カレンダーから姿を消している同国について、「再びF1を迎えるために必要な条件はすべて揃っている」と訴えている。

    アルゼンチンでは、フランコ・コラピントのF1参戦によってモータースポーツ人気が再び大きな盛り上がりを見せている。

    ミレイ大統領は、その熱気に加えて、歴史、ドライバー、そして国際大会を開催するための制度的な信頼性を整えることで、F1だけでなくWRC(世界ラリー選手権)の招致も目指す考えを明らかにした。

    FIAアメリカン・コングレスでF1招致を表明
    ミレイ大統領は9月1日(月)、ブエノスアイレスで開幕したFIAアメリカン・コングレスで演説し、アルゼンチンにおけるモータースポーツの重要性を強調した。

    「アルゼンチン自動車クラブ(ACA)は国内モータースポーツに多大な貢献をしてきました。そして、アルゼンチンは自動車を愛する国です」

    「アルゼンチン人のレースに対する情熱は時代を超えて存在しています」

    その言葉を裏付けるように、アルゼンチンでは現在、F1への関心が急速に高まっている。その中心にいるのがコラピントだ。

    コラピントは2001年以来となるアルゼンチン人F1ドライバーとして最高峰カテゴリーに参戦。今年4月にはブエノスアイレス市街地でデモ走行を行い、沿道には数十万人規模のファンが集まった。アルピーヌとの契約も2027年まで延長され、国内でのF1人気を押し上げる存在となっている。

    ただし、ミレイ大統領が描く構想は、アルゼンチン人ドライバーがF1に参戦しているという話だけにとどまらない。

    1998年以来となるアルゼンチンGP復活への課題
    アルゼンチンGPが最後に開催されたのは1998年であり、復活が実現すれば約30年ぶりのF1開催となる。

    アルゼンチンとF1の歴史は古い。1950年代には伝説的ドライバー、ファン・マヌエル・ファンジオが活躍し、5度のF1ワールドチャンピオンに輝いた。アルゼンチンGPはこれまで20回開催され、そのすべてがブエノスアイレスのアウトドローモ・オスカル・イ・フアン・ガルベスを舞台としてきた。

    一方、現代のF1を開催するためにはサーキットをFIAグレード1の基準に適合させる必要がある。

    同サーキットについては2017年にも大規模改修計画が持ち上がったものの実現には至らなかった。したがって、アルゼンチンGP復活に向けては、F1側との商業的な合意だけでなく、施設改修や開催資金を含めた具体的な計画が必要になる。

    現時点でF1アルゼンチンGPの復活が正式決定したわけではなく、ミレイ政権が招致への意欲を公に示した段階とみるべきだ。

    アルゼンチングランプリ F1

    ミレイ大統領「F1とWRCを再びカレンダーに」
    ミレイ大統領は、アルゼンチンが国際的なモータースポーツイベントを開催するための環境を再構築していると強調。F1とWRCの双方を具体的な招致対象として挙げた。

    「だからこそ、皆さんにも私と一緒に夢を見ていただきたいと思います。アルゼンチンには、F1と世界ラリー選手権を再びカレンダーに迎えるために必要な条件がすべて揃っています」

    さらにミレイ大統領は、国際カテゴリーが開催国を選ぶうえで重要になる「制度的な信頼性」についても言及した。

    「我々には伝統があります。ドライバーもいます。そして今、こうしたカテゴリーが開催国を選択する際に求める制度的な信頼性を、再び築きつつあります。我々には本当にすべてが揃っています」

    コラピント人気はF1復活への追い風
    アルゼンチンにとって最大の追い風となっているのは、コラピントの存在によって国内のF1熱が目に見える形で復活していることだ。

    F1開催には、FIAグレード1を満たすサーキット、巨額の開催費用、プロモーター、政府や自治体の支援、そしてF1との契約など複数の条件をクリアする必要がある。その意味では、大統領による今回の発言だけでアルゼンチンGP復活が具体化したとは言えない。

    それでも、国家元首がFIAの公式会議という場でF1招致を明言した意味は小さくない。ファンジオによって築かれた歴史にコラピントが新たな熱狂を加え、政府も開催への意思を示したことで、長年語られてきたアルゼンチンGP復活構想には新たな政治的な後押しが加わった。

    次に問われるのは、その「すべてが揃っている」という言葉を、サーキット改修や開催契約といった具体的な計画へと結びつけられるかどうかだ。

  • ジル・ヴィルヌーヴの半生が映画化 F1の伝説となるまでの若き日を描く

    ジル・ヴィルヌーヴの半生が映画化 F1の伝説となるまでの若き日を描く

    F1史に残る伝説的ドライバー、ジル・ヴィルヌーヴの若き日を描いた長編伝記映画『Villeneuve: Rise of a Legend』が、9月19日にトロント国際映画祭で世界初公開される。

    作品が焦点を当てるのは、フェラーリのF1ドライバーとして世界的な名声を得た時代ではない。カナダ・ケベックの田舎町で育ったヴィルヌーヴが、スノーモービルレースからフォーミュラ・アトランティックへ進み、F1への扉を開くまでの知られざる形成期だ。

    息子で1997年F1ワールドチャンピオンのジャック・ヴィルヌーヴも、家族しか知らなかった父親の姿が描かれていることに特別な意味を感じている。

    ジル・ヴィルヌーヴのF1以前を描く『Rise of a Legend』
    フランス語作品となる『Villeneuve: Rise of a Legend』は、9月19日にトロント国際映画祭のクロージング作品として上映される。その後、11月にケベック州の映画館で公開され、2027年初頭には世界展開が予定されている。

    2027年は、ヴィルヌーヴが1977年F1イギリスGPでグランプリデビューを果たしてから50周年にあたる。映画の世界展開は、その節目とも重なることになる。

    ヴィルヌーヴ役を演じるのはケベック出身の俳優レミ・グーレ。監督を務めるヤン・ラヌエット・テュルジョンによれば、この企画は10年以上にわたって準備されてきた。

    「私にとって、ジル・ヴィルヌーヴの物語は語られる必要がありました」とテュルジョン監督は語った。

    「彼は本当に興味深い人物でした。今でもケベック、そしてF1における非常に大きな存在です。それなのに、彼についての映画はこれまで作られていませんでした」

    「この映画を作るのは自分でなければならないと感じました。そして、F1への関心がかつてないほど高まっている今は、完璧なタイミングだと思います」

    スノーモービルからF1へ 知られざる原点
    映画の中心となるのは、後にフェラーリの象徴的なドライバーとなる以前のヴィルヌーヴだ。

    ケベックの田舎で育ったヴィルヌーヴは、まずスノーモービルレースで頭角を現し、北米屈指の選手へと成長した。その後、四輪レースへ活動の場を移し、フォーミュラ・アトランティックで成功を収める。

    そのキャリアを大きく動かした出来事のひとつが、1976年にトロワリヴィエールで行われたフォーミュラ・アトランティックのレースだった。

    ヴィルヌーヴはそこで、当時すでにF1で戦っていた複数のドライバーを相手に勝利。その中には、同年にF1ワールドチャンピオンとなるジェームス・ハントもいた。

    この結果によってヴィルヌーヴはF1関係者から注目される存在となり、翌1977年のF1デビューへとつながっていく。映画では、世界が知る「ジル・ヴィルヌーヴ」が誕生する以前の過程が大きな軸となっている。

    ジル・ヴィルヌーヴ

    ジャック・ヴィルヌーヴ「予告編を見て涙をこらえるのが難しかった」
    息子のジャック・ヴィルヌーヴは、この作品が父親の全盛期ではなく、その前の人生を取り上げていることを高く評価している。

    「予告編を見て、涙をこらえるのが難しかった。そして僕が気に入っているのは、初期の時代、僕たち家族以外は誰も知らない時代に焦点を当てていることだ」

    「多くの伝記映画は、その人物が全盛期にある時代を描く。観客がすでに知っているものを見せる。でも、この映画が描いているのは、その人間を作り上げた土台なんだ」

    ジャック自身もF1で成功し、1997年にワールドチャンピオンとなった。しかし、父ジルがF1へたどり着くまでの人生は、華々しいフェラーリ時代と比較すると広く知られているとは言い難い。

    だからこそ、家族しか知らなかったヴィルヌーヴの姿を映像として残すことは、この映画の重要なテーマとなっている。

    サーキット・ジル・ヴィルヌーヴでも撮影
    制作では、モントリオールのサーキット・ジル・ヴィルヌーヴでも撮影が行われた。

    現在F1カナダGPの舞台となっているこのサーキットは、ヴィルヌーヴが1982年に亡くなった後、その功績を称えて現在の名称へ変更された場所でもある。

    また、当時のレーシングカーを再現するため、映画『フォードvsフェラーリ』で使用された車両を手掛けたRace Car Replicasが、時代考証に合わせたレプリカマシンを提供した。

    ヴィルヌーヴ家も企画段階から制作に関わっており、娘のメラニー・ヴィルヌーヴはエグゼクティブプロデューサーを務めている。

    娘メラニーが守ろうとした父ジル・ヴィルヌーヴの記憶
    メラニー・ヴィルヌーヴにとって、この映画には単なるF1ドライバーの伝記以上の意味がある。

    「この旅を始めたとき、私は父が世間に残したレガシーを理解し、私たち家族の歴史を取り戻したいと思いました」

    「父を最も愛した人たちによって、その記憶が守られるようにしたかったんです」

    そして、映画が描く父親の物語についてこう説明した。

    「この映画は、ケベックの田舎に生まれた労働者階級の男性が、エンツォ・フェラーリのお気に入りのドライバーになるまでの驚くべき歩みを描いています」

    ジル・ヴィルヌーヴはF1で6勝を挙げ、その大胆なドライビングと決して諦めない姿勢によって、勝利数だけでは測れない存在としてF1史に名を残した。

    『Villeneuve: Rise of a Legend』が描こうとしているのは、その伝説そのものではなく、伝説が生まれるまでの時間だ。スノーモービルで雪上を駆けていたケベックの若者が、いかにしてF1へたどり着き、やがてエンツォ・フェラーリから特別な存在として認められるまでになったのか。家族の視点を交えて描かれるその原点が、作品最大の焦点となる。

  • ウィリアムズF1 コマツとの提携延長 将来マシンの主要部品開発を技術支援

    ウィリアムズF1 コマツとの提携延長 将来マシンの主要部品開発を技術支援

    アトラシアン・ウィリアムズF1チームは、コマツとのグローバルパートナーシップ契約を更新し、技術協力をさらに拡大することを発表した。新たな契約では、コマツのエンジニアが将来のウィリアムズF1マシンに搭載される主要部品の開発を支援する。

    両社は2024年から現在のパートナーシップを展開しているが、その関係はウィリアムズがF1世界選手権を制した1990年代まで遡る。

    今回の契約延長ではスポンサーシップにとどまらず、油圧分野を含む技術開発、人材育成、両社間のエンジニアリング知識の共有をさらに推進していく。

    コマツが「オフィシャル・ハイドロリック・イノベーション・パートナー」に就任
    新たなパートナーシップのもと、コマツはウィリアムズの「オフィシャル・ハイドロリック・イノベーション・パートナー(Official Hydraulic Innovation Partner)」に就任する。

    建設・鉱山機械などで長年培ってきたコマツの技術力をF1マシン開発にも活用し、油圧を含む複数の技術プロジェクトでウィリアムズを支援する。

    コマツはウィリアムズと以前から技術的なつながりを持っている。ウィリアムズがコンストラクターズ選手権を獲得した1996年と1997年には、コマツがマシンに使用される部品の開発に携わっていた。

    今回の契約更新によって、こうした歴史的な関係が再び技術開発という形で強化されることになる。コマツによれば、今後は同社のエンジニアが「将来のウィリアムズF1マシンに搭載される主要部品」の開発を支援する予定だ。

    次世代エンジニアと若手ドライバーの育成も強化
    両社は技術開発だけでなく、次世代の人材育成でも協力を拡大する。

    2024年にスタートした「Komatsu Williams Engineering Academy(KWEA)」では、世界各国から毎年10人の工学系学生を選抜し、メンタリング、実践的な経験、オンライン学習、ファクトリー訪問などを通じてエンジニアリング能力の向上を支援している。

    契約更新後もFormula StudentおよびFormula SAEのプログラムから優秀な学生を募集し、次世代のSTEM人材育成を継続する。

    また、2026年からはウィリアムズ・ドライバー・アカデミーへの支援も強化。アカデミー所属ドライバーのマシンにコマツのブランディングを追加するなど、将来F1を目指す若手ドライバーの育成にも関与していく。

    さらに2027年以降は、新たに「Komatsu Williams Leadership Academy」を展開する。世界151カ国以上で働く6万7000人を超えるコマツグループ社員を対象に、エンジニアリング知識、技術的専門性、リーダーシップに関する知見を両社で共有し、次世代リーダーを育成する。

    ウィリアムズ・レーシング F1

    今吉琢也「未来の技術につながる新たなアイデアの創出を加速」
    コマツの代表取締役社長兼CEOを務める今吉琢也は、今回の契約更新について次のようにコメントした。

    「コマツは、信頼できるパートナーとともに複雑な課題に挑戦することで、大きな技術革新を生み出すことができると考えています。アトラシアン・ウィリアムズF1チームとは、『やり抜く』、『共に創る』、『誠実に取り組む』という共通の価値観のもと、関係を築いてきました」

    「本パートナーシップをさらに発展させることで、両社の知見を共有し、次世代エンジニア人材を育成するとともに、未来の技術につながる新たなアイデアの創出を加速していきます。こうした取り組みを通じて技術力をさらに高め、イノベーションによってお客さまと社会にあらたな価値を提供していきます」

    ジェームス・ボウルズ「パートナーシップを次のレベルへ」
    ウィリアムズF1のチーム代表を務めるジェームス・ボウルズは、1990年代から続く両社の関係を強調した。

    「ともに歩んできたこの3年間に加え、コマツとウィリアムズには、私たちが最後にチャンピオンシップを獲得した時代にまで遡る長い関係があります。チーム創設50周年という節目を迎える中、コマツとのパートナーシップをさらに拡大できることを大変うれしく思います」

    「コマツとの関係は私たちにとって非常に特別なものです。ウィリアムズは、価値観を共有し、私たちが目指す未来を信じ、サーキット内外でともに成功を目指すことのできる企業とのパートナーシップを大切にしており、コマツとの関係はまさにそれを象徴するものです。2027年以降も、このパートナーシップをさらに発展させていくことを楽しみにしています」

    契約更新の調印式は9月2日に石川県小松市で行われ、今吉琢也、西浦泰司専務執行役員、ウィリアムズF1のマシュー・サベージ会長、ピーター・ケニオン・ボードアドバイザーらが出席した。

    今後もコマツのロゴは、カルロス・サインツJr.とアレクサンダー・アルボンがドライブするウィリアムズのF1マシンをはじめ、ガレージ、チームウェア、ファンゾーンなどに掲出される。

    ウィリアムズは現在、再びF1世界選手権を争うチームへの復活を目指して組織と技術基盤の強化を進めている。今回の契約延長は単なるスポンサーシップの継続ではなく、コマツが持つ油圧・機械分野のエンジニアリング技術を将来のF1マシン開発へ直接生かす、技術パートナーシップの強化という側面を持つ。

  • オスカー・ピアストリ F1不振の原因はブレーキング? バッテリー消費でノリスと差

    オスカー・ピアストリ F1不振の原因はブレーキング? バッテリー消費でノリスと差

    オスカー・ピアストリが2026年F1マシンへの適応に苦しんでいる背景には、ランド・ノリスとは異なるブレーキングスタイルがあると報じられている。その違いはコーナリングだけでなく、バッテリーエネルギーの使い方や最高速、さらにはタイヤデグラデーションにも影響を及ぼしているという。

    2025年にはマクラーレンでノリスとタイトルを争ったピアストリだが、2026年はここまで12戦を終えてノリスに55ポイント差をつけられている。

    ノリスが直近のハンガリーGPとオランダGPで連勝した一方、ピアストリは今季、安定してトップ争いに加わることができていない。

    ノリスとのブレーキング操作の違い
    オランダ版Motorsport.comによると、ピアストリが抱える問題のひとつが、2026年型F1マシンに対するブレーキングの方法だという。

    ノリスはコーナー進入時にブレーキを残しながらスロットル操作を重ねる場面があり、これによってフロントを旋回させながらマシン姿勢を整えている。

    一方のピアストリは、基本的にブレーキ操作とアクセル操作をより明確に分けるスタイルを取っているとされる。

    この違いによってピアストリのマシンはコーナー進入からリアが滑りやすくなり、それがラップタイムのロスにつながっているという。特に安定したリアを好むピアストリにとって、2026年型マシンの挙動は扱いにくいものになっているとみられる。

    さらに問題なのは、そのコーナーで失ったタイムをストレートで取り戻そうとすることで、ピアストリがノリスより多くの電気エネルギーを使用している点だ。

    結果としてストレート後半では使用可能なバッテリーエネルギーが減り、ノリスほど高い最高速を維持できないケースが生じているとされる。

    リアのスライドがタイヤにも影響
    リアタイヤのスライドは、エネルギーマネジメントだけでなくタイヤにも悪影響を与えている。

    ピアストリはコーナーでリアを滑らせることでタイムを失うだけでなく、ノリスよりタイヤを消耗させる傾向があるという。

    ノリスはリアが動くマシンに対する適応力が高く、ある程度のスライドを許容しながら走ることができる。一方、ピアストリはマシン後部の安定性をより必要とするため、同じMCL40でもドライビング上の負担が大きくなっている。

    マクラーレンは2026年序盤、短いホイールベースによってフロア面積が制限され、MCL40のダウンフォース不足に苦しんでいた。しかし、その後のアップグレードによってダウンフォースは増加し、マシン自体の競争力は大幅に改善している。

    その成果を最大限に引き出しているのがノリスだ。ハンガリーGPとオランダGPを連勝し、ザントフォールトではピアストリが6位、優勝したノリスから32.332秒遅れでフィニッシュした。

    つまり、現在のピアストリの差は単純にMCL40の性能不足だけでは説明できなくなりつつある。

    オスカー・ピアストリ(マクラーレン)

    2026年F1マシンではエネルギーマネジメントがより重要に
    2026年F1レギュレーションでは電動パワーの比重が大幅に増しており、ドライバーが1周のどこでエネルギーを回生し、どこで放出するかが従来以上に重要になっている。

    そのため、コーナリングで失ったタイムをストレートの電力放出によって補おうとすれば、その後の加速区間で使えるエネルギーが不足する可能性がある。

    ピアストリの場合、ブレーキングから旋回にかけてのスタイルがリアのスライドを誘発し、それによってコーナーでタイムを失う。そして、その損失を補うためにバッテリーを多く使うという悪循環に陥っている可能性が指摘されている。

    モンツァでは問題がさらに表面化する可能性
    この特性は、今週末のF1イタリアGPでさらに大きな問題になる可能性がある。

    モンツァは長い全開区間と強いブレーキングを繰り返す特殊なサーキットであり、2026年型パワーユニットではエネルギーマネジメントが極めて重要になる。

    ストレートで必要以上にバッテリーを使用すれば、後半で電力が不足して最高速を失うリスクがある。また、ピアストリが抱えているとされるリアタイヤのスライドも、タイヤデグラデーションという形でレースペースに影響する可能性がある。

    その先にはバクー、シンガポール、サーキット・オブ・ジ・アメリカズ、メキシコシティ、サンパウロと、ピアストリが過去にも苦戦した低グリップ特性を含むサーキットが続く。

    2026年の後半戦でノリスとの差を縮めるためには、ピアストリが単純にセットアップを改善するだけでなく、ブレーキングからスロットルへの移行を含めたドライビングそのものを2026年型F1マシンに適応させられるかが重要になりそうだ。

  • ミハエル・シューマッハがバリチェロをフェラーリF1で6年間必要とした理由

    ミハエル・シューマッハがバリチェロをフェラーリF1で6年間必要とした理由

    ジェンソン・バトンが、ルーベンス・バリチェロとチームメイトになって初めて知ったという意外な能力を明かした。2009年F1ワールドチャンピオンによれば、バリチェロはマシンの挙動を理解し、その情報を開発につなげる能力が極めて高かったという。

    その能力を間近で目にしたことで、バトンはミハエル・シューマッハがフェラーリ時代にバリチェロを長年チームメイトとして必要とした理由を理解したと語っている。

    フェラーリ黄金期を支えたバリチェロ
    バトンとバリチェロは、2006年から2008年までホンダでチームメイトを務めた。これによりバトンは、2000年から2005年まで6シーズンにわたってシューマッハとフェラーリで戦ったバリチェロの仕事ぶりを間近で見ることになった。

    バリチェロが在籍したフェラーリは、2000年から2004年まで5年連続でコンストラクターズタイトルを獲得。シューマッハも同じ5年間でドライバーズタイトルを5連覇し、フェラーリはF1史に残る黄金期を築いた。

    2006年にフェラーリを離れてホンダへ移籍したバリチェロは、当時のF1で最も成功していたチームで培った豊富な経験を持ち込んだ。

    その2006年、バトンはハンガリーGPでF1初優勝を達成している。

    F1公式ポッドキャスト『Beyond the Grid』で、これまで一緒に仕事をしたなかで「エンジニアリングやマシン開発という面で最も優れていたドライバーは誰か」と尋ねられたバトンは、迷うことなくバリチェロの名前を挙げた。

    「この質問は何度もされたことがある。エンジニアリングという点で、誰が一番優れたドライバーだったと思うかってね。圧倒的にルーベンスだった」

    マシンの問題を理解して開発へつなげる能力
    バトンが特に高く評価したのは、単にマシンの状態をエンジニアへ伝える能力だけではない。バリチェロ自身がマシンの挙動を深く理解し、何を変更すべきなのかまで考えられる点だった。

    「チームとの仕事やマシンの開発、コース上でマシンが何をしているのかを理解して、それをチームに伝える能力が本当に優れていた」

    「それだけじゃなくて、エンジニアにすべて任せるのではなく、自分自身でマシンに何をすべきなのかを理解していた」

    ドライバーから得られるフィードバックは、セットアップだけでなくマシン開発の方向性を決める重要な材料となる。バトンによれば、バリチェロはその領域で際立った能力を持っていた。

    そして、その仕事ぶりを実際に経験したことで、バトンにはフェラーリ時代のシューマッハとバリチェロの関係についても新たに見えてきたものがあった。

    シューマッハが6年間チームメイトに望んだ理由
    シューマッハとバリチェロは2000年から2005年まで6シーズンにわたってフェラーリでコンビを組んだ。

    成績ではシューマッハが明確に上回っていたが、フェラーリはバリチェロを長期間その隣に置き続けた。バトンはホンダで一緒に仕事をしたことで、その理由が理解できたという。

    「なぜミハエルがあれほど長い間、彼をチームメイトにしたがっていたのか分かるよ」

    「僕も一緒にレースをするようになって、その経験をすることができた。ルーベンスが持っている能力を実際に見ることができたんだ。それまでは、彼にそんな能力があるなんて想像もしていなかった」

    バリチェロの価値は、レースでポイントを獲得してコンストラクターズ選手権に貢献することだけではなかった。シューマッハとともにマシンを速くするための開発作業を進められることも、フェラーリにとって重要な要素だったというのがバトンの見方だ。

    ミハエル・シューマッハとルーベンス・バリチェロ

    ホンダに持ち込んだフェラーリでの経験
    ただしバトンは、バリチェロがホンダへ移籍したことで、それまでチームになかった「勝者のメンタリティ」が持ち込まれたという見方には否定的だ。

    「勝者のメンタリティということではないと思う」

    「だって、僕たちはみんな勝ちたい。勝つためにできる限りのことをしているからね」

    当時のホンダにも、F1で勝利するために必要な人材と意欲はすでに存在していたとバトンは振り返る。

    「ホンダにはすでに勝利を目指すための人材も野心もあった。問題はむしろマシンのパフォーマンスだった」

    「フェラーリと戦っているのはアマチュアのチームじゃない。何百人もの人たちが働いていて、このスポーツで膨大な経験を持っている」

    「だから、勝つためのメンタリティはずっとあったと思う。ただ、それを実現するために必要なパッケージが完全には揃っていなかったんだ」

    その一方で、フェラーリから加入したバリチェロの技術的なフィードバックには大きな価値があった。

    「でも、経験豊富な2人のドライバーからフィードバックを得られたことは本当に重要だったと思う」

    「当然、チームはルーベンスの意見をかなり聞いていた。彼はフェラーリから来て、ミハエルと一緒に仕事をしていたんだからね」

    ホンダ撤退後も続いたコンビが2009年にF1王座
    バトンとバリチェロの関係は、ホンダが2008年限りでF1から撤退した後も続いた。

    ホンダのF1チームはロス・ブラウンによって引き継がれ、2009年にブラウンGPとして参戦。バトンとバリチェロはそのままドライバーを務めた。

    ブラウンGPは参戦初年度から圧倒的なスタートを切り、バトンがドライバーズタイトルを獲得。チームもコンストラクターズタイトルを手にし、わずか1シーズンだけ活動したチームとしてF1史に残る成功を収めた。

    バリチェロはフェラーリでシューマッハとともに5度のコンストラクターズタイトル獲得に貢献した後、ホンダを経てブラウンGPでもタイトル獲得を経験したことになる。

    ブラウンGPがメルセデスに買収された後、バリチェロは2010年にウィリアムズへ移籍。2011年までF1で戦い、同年のブラジルGPが最後のF1出走となった。

    その後もモータースポーツから離れることはなく、現在もブラジルのストックカー・プロ・シリーズでレース活動を続けている。

    シューマッハのフェラーリ黄金期では、その圧倒的な成績からバリチェロは「ナンバー2」として語られることも多い。しかし、後に実際にチームメイトとなったバトンの証言は、バリチェロがマシン開発と技術的フィードバックという目立ちにくい領域でも重要な役割を担っていたことを示している。