ミハエル・シューマッハがバリチェロをフェラーリF1で6年間必要とした理由

ミハエル・シューマッハがバリチェロをフェラーリF1で6年間必要とした理由

ジェンソン・バトンが、ルーベンス・バリチェロとチームメイトになって初めて知ったという意外な能力を明かした。2009年F1ワールドチャンピオンによれば、バリチェロはマシンの挙動を理解し、その情報を開発につなげる能力が極めて高かったという。

その能力を間近で目にしたことで、バトンはミハエル・シューマッハがフェラーリ時代にバリチェロを長年チームメイトとして必要とした理由を理解したと語っている。

フェラーリ黄金期を支えたバリチェロ
バトンとバリチェロは、2006年から2008年までホンダでチームメイトを務めた。これによりバトンは、2000年から2005年まで6シーズンにわたってシューマッハとフェラーリで戦ったバリチェロの仕事ぶりを間近で見ることになった。

バリチェロが在籍したフェラーリは、2000年から2004年まで5年連続でコンストラクターズタイトルを獲得。シューマッハも同じ5年間でドライバーズタイトルを5連覇し、フェラーリはF1史に残る黄金期を築いた。

2006年にフェラーリを離れてホンダへ移籍したバリチェロは、当時のF1で最も成功していたチームで培った豊富な経験を持ち込んだ。

その2006年、バトンはハンガリーGPでF1初優勝を達成している。

F1公式ポッドキャスト『Beyond the Grid』で、これまで一緒に仕事をしたなかで「エンジニアリングやマシン開発という面で最も優れていたドライバーは誰か」と尋ねられたバトンは、迷うことなくバリチェロの名前を挙げた。

「この質問は何度もされたことがある。エンジニアリングという点で、誰が一番優れたドライバーだったと思うかってね。圧倒的にルーベンスだった」

マシンの問題を理解して開発へつなげる能力
バトンが特に高く評価したのは、単にマシンの状態をエンジニアへ伝える能力だけではない。バリチェロ自身がマシンの挙動を深く理解し、何を変更すべきなのかまで考えられる点だった。

「チームとの仕事やマシンの開発、コース上でマシンが何をしているのかを理解して、それをチームに伝える能力が本当に優れていた」

「それだけじゃなくて、エンジニアにすべて任せるのではなく、自分自身でマシンに何をすべきなのかを理解していた」

ドライバーから得られるフィードバックは、セットアップだけでなくマシン開発の方向性を決める重要な材料となる。バトンによれば、バリチェロはその領域で際立った能力を持っていた。

そして、その仕事ぶりを実際に経験したことで、バトンにはフェラーリ時代のシューマッハとバリチェロの関係についても新たに見えてきたものがあった。

シューマッハが6年間チームメイトに望んだ理由
シューマッハとバリチェロは2000年から2005年まで6シーズンにわたってフェラーリでコンビを組んだ。

成績ではシューマッハが明確に上回っていたが、フェラーリはバリチェロを長期間その隣に置き続けた。バトンはホンダで一緒に仕事をしたことで、その理由が理解できたという。

「なぜミハエルがあれほど長い間、彼をチームメイトにしたがっていたのか分かるよ」

「僕も一緒にレースをするようになって、その経験をすることができた。ルーベンスが持っている能力を実際に見ることができたんだ。それまでは、彼にそんな能力があるなんて想像もしていなかった」

バリチェロの価値は、レースでポイントを獲得してコンストラクターズ選手権に貢献することだけではなかった。シューマッハとともにマシンを速くするための開発作業を進められることも、フェラーリにとって重要な要素だったというのがバトンの見方だ。

ミハエル・シューマッハとルーベンス・バリチェロ

ホンダに持ち込んだフェラーリでの経験
ただしバトンは、バリチェロがホンダへ移籍したことで、それまでチームになかった「勝者のメンタリティ」が持ち込まれたという見方には否定的だ。

「勝者のメンタリティということではないと思う」

「だって、僕たちはみんな勝ちたい。勝つためにできる限りのことをしているからね」

当時のホンダにも、F1で勝利するために必要な人材と意欲はすでに存在していたとバトンは振り返る。

「ホンダにはすでに勝利を目指すための人材も野心もあった。問題はむしろマシンのパフォーマンスだった」

「フェラーリと戦っているのはアマチュアのチームじゃない。何百人もの人たちが働いていて、このスポーツで膨大な経験を持っている」

「だから、勝つためのメンタリティはずっとあったと思う。ただ、それを実現するために必要なパッケージが完全には揃っていなかったんだ」

その一方で、フェラーリから加入したバリチェロの技術的なフィードバックには大きな価値があった。

「でも、経験豊富な2人のドライバーからフィードバックを得られたことは本当に重要だったと思う」

「当然、チームはルーベンスの意見をかなり聞いていた。彼はフェラーリから来て、ミハエルと一緒に仕事をしていたんだからね」

ホンダ撤退後も続いたコンビが2009年にF1王座
バトンとバリチェロの関係は、ホンダが2008年限りでF1から撤退した後も続いた。

ホンダのF1チームはロス・ブラウンによって引き継がれ、2009年にブラウンGPとして参戦。バトンとバリチェロはそのままドライバーを務めた。

ブラウンGPは参戦初年度から圧倒的なスタートを切り、バトンがドライバーズタイトルを獲得。チームもコンストラクターズタイトルを手にし、わずか1シーズンだけ活動したチームとしてF1史に残る成功を収めた。

バリチェロはフェラーリでシューマッハとともに5度のコンストラクターズタイトル獲得に貢献した後、ホンダを経てブラウンGPでもタイトル獲得を経験したことになる。

ブラウンGPがメルセデスに買収された後、バリチェロは2010年にウィリアムズへ移籍。2011年までF1で戦い、同年のブラジルGPが最後のF1出走となった。

その後もモータースポーツから離れることはなく、現在もブラジルのストックカー・プロ・シリーズでレース活動を続けている。

シューマッハのフェラーリ黄金期では、その圧倒的な成績からバリチェロは「ナンバー2」として語られることも多い。しかし、後に実際にチームメイトとなったバトンの証言は、バリチェロがマシン開発と技術的フィードバックという目立ちにくい領域でも重要な役割を担っていたことを示している。