投稿者: dbcheck

  • ハミルトン、“マクラーレンF1 LM”はお預け

    ハミルトン、“マクラーレンF1 LM”はお預け

    ワールドチャンピオンを獲得したルイス・ハミルトンだが、報道されていた「マクラーレンF1 LM」のプレゼントはお預けとなったようだ。

    ハミルトンは、2008年ワールドチャンピオンを獲得したらウォーキングのマクラーレンのファクトリーにある超レアなオレンジ色の800万ドル(7億9,448万円)のマクラーレンF1 LMをプレゼントするとデニスから約束された。

    しかし、ハミルトンは、3度目のドライバーズチャンピオンシップのときに車のキーを渡されることを明かした。

    「3度のワールドチャンピオンシップで取引したんだ。3回優勝できるよう一生懸命頑張るよ」

    デニスは、問題のLMは世界で最も珍しいスーパーカーのひとつだと述べた。

    「少なくともあと数年は渡せないね。しかし、3度のワールドチャンピオンシップの代償としては安いものだ」

    マクラーレンF1 LM 画像

    マクラーレンF1 LM(画像) マクラーレン LM(画像)

  • KERSの導入延期は再び否決

    KERSの導入延期は再び否決

    KERSの導入を2010年まで延期しようという動きがあるが、インテルラゴスで行われたFOTAの会談でも話はまとまらなかったようだ。

    来期からKERS導入を希望しているBMWザウバーを除けば、他のチームはKERSの延期を支持していたようだ。しかし、急なレギュレーション変更にはFOTAが全会一致が必要となる。

    トロ・ロッソのような小さなチームだけでなく、ルノーを含む自動車メーカーもこの件にあきれているようだ。

    トロ・ロッソの共同オーナーであるゲルハルト・ベルガーは、「600万ユーロ(約7億5,000万円)の請求は我々にとっては否決だ。外部のステムを買わなければならないからね」と語る。

    ルノーのフラビオ・ブリアトーレも「クイックシフト・ギアボックスで同じナンセンスを経験した。今日、誰もが1つのことを考えていた。我々はみな何百万ユーロも不足しているんだ。」

    KERSの開発に関しては、マクラーレンが3,000万ユーロ(約37億円)を、ホンダが9,000万ユーロ(約112億円)をすでに投資しているという。

    独自のフライホイール式KERSを採用するウィリアムズのサム・マイケルは、「我々のシステムは、これまで200万ユーロ(約2億4,800万円)のコストがかかっている」と語った。

    ブラジルでは、トヨタがKERSなしで2009年シーズンを開始する予定であることを明らかにしており、フェラーリも初期設計に欠陥があることがわかり、スクラップにしたことで遅れをとっているようだ。

    関連:KERS

  • クルサードJr.へのプレゼント

    クルサードJr.へのプレゼント

    ブラジルGPで246戦目となるF1キャリアの幕を閉じたデビッド・クルサード。レッドブルは、そんなクルサードに素敵なプレゼントを用意していた。

    決勝レースの3日前、デビッド・クルサードは、フォーミュラ・ウナを含むチームの全員をザ・ミュージアム・レストランのディナーに招待した。

    チーム・マネージャーのジョナサン・ウィートリーのスピーチが終わり、デビッドに最高にクールなお別れのプレゼントが贈られた。ガレージのメカニックたちが、ミニF1 ペダルカーを作ったのだ。そこには、レーシングスーツとプーマのレーシングブーツ、アライのヘルメットが添えられていた。全て、これから生まれてくるクルサードJr.のためのものだ。

    クルサードのラストレースは、わずか1コーナーで終わってしまった。クルサードは、チェッカーのあと、ファンの前でドーナツターンを披露する予定だったという。

    デビッド・クルサード 引退レース

    「とてもショックだ。最後のレースをこんな形で終わらせたくはなかった。」

    「チェッカーフラッグまでたどり着きたかった。普通ならば罰金ものだけれども、ファンのみんなのためにドーナッツをやるつもりだった。」

    「この4年間のレッドブル・レーシングのメンバー全員の努力にも感謝している。とても楽しい4年間だった。今後もチームと共に仕事を続けていくことを楽しみにしている。今週末のパドックのメンバーの気遣いには感動した。大勢の人々がわざわざ時間をとって「お疲れ様、これからも頑張って」と、声をかけてくれた。本当に嬉しかった。」

    「世界チャンピオンにはなれなかったけれども、それでも自分のキャリアに満足しているのだから、良い最後だと言えるだろう」

    ブラジルGP直前のデビッド・クルサードの記録

    デビッド・クルサードは245回のグランプリ出場を果たし、13優勝を達成した。表彰台62回、最速ラップタイム記録18回、ポールポジション12回、選手権最高成績2001年2位、535ポイントを獲得。これまでに所属したチームは3チーム。フロントローからのスタート37回、インタビューを受けた回数55400回、使用したレーシングスーツ160着、ヘルメット140個、グローブ85双、宇宙服1着。彼のミドルネームはマーシャル。トレーニングに費やした時間31,332時間。スーパーマンのコスチュームで表彰台に上った唯一のドライバー。飛行機に乗った回数1927回、これまでのチームメイトは7人。DC赤ちゃん用品を売る自分のミュージアムを所有。ランチにチキンを食べた回数432回、ファッションショー出演22回、ニューヨークの警察官の服装1回。

  • セバスチャン・ベッテル、2008年シーズンを振り返る

    セバスチャン・ベッテル、2008年シーズンを振り返る

    セバスチャン・ベッテルが、2008年シーズンを振り返った。

    セバスチャン・ベッテルは、イタリアGPで圧倒的なパフォーマンスでF1史上最年少優勝を果たすなど、トロ・ロッソでセンセーショナルなシーズンを送った。

    合計で38ポイントを獲得し、ドライバーズランキング8位でシーズンを終えたベッテルは、このような力強いシーズンになるとは予想していなかったと語る。

    「とても誇りに思うよ。やっぱり最後のレースでチェッカーフラッグをみれたのは素晴らしいことだし、こんなに良いポジションでフィニッシュできた。」

    「僕たちは今年たくさんのポイントを獲得したし、確かに8位は予想以上だった。予想よりはるかに良かったよ。僕たちにとってsばらしいシーズンだった。」

    ベッテルはまた、親チームのレッドブルを打ち負かしたことの重要性を軽くあしらった。

    「僕たちはベストを尽くしていたし、サーキットで彼らに勝った。それはそれだ。物語は終わったんだ。これ以上言うことはないよ。」

    ベッテルは来シーズン、レッドブルに加入するが、彼に待ち受けるタスクを十分に承知している。

    「レッドブルにはやるべきことがたくさんある。多くを改善することになるから、長い道になるよ。」

  • マッサ、トヨタF1チームのブラジルでの身の安全を心配

    マッサ、トヨタF1チームのブラジルでの身の安全を心配

    失望のさなかにいるであろうフェリペ・マッサだが、トヨタのチームメンバーの安否を気遣っている。

    マッサは、ブラジル人サポーターが、フラストレーションをトヨタF1チームのメンバーにぶつけるのではないかと心配しているという。

    トヨタのティモ・グロックは、ブラジルGPの最終ラップで減速したため、ルイス・ハミルトンに5位をプレゼントし、マッサからワールドチャンピオンを奪うことになった。

    マッサは、弟をトヨタのガレージにやり、サンパウロ郊外にあるサーキットを離れる前にユニフォームを着替えるようアドバイスしたという。

    トヨタのメンバーはこの警告を聞き入れ、ブラジルのナショナルチームのジャージやルノーやフェラーリのチームユニフォームを着用して、ホテルに戻ったり空港に向かったようだ。

    グロックは、ハミルトンをチャンピオンにするために意図的に減速したという大胆な陰謀論を否定した。

    「たぶんブラジルのファンはもう僕を応援してくれないかもしれないけど、僕はベストを尽くして自分のレースを走ったんだ」

    ちなみにルイス・ハミルトンは、チャンピオンシップ優勝を祝うために市内に繰り出すことを恐れなかった。彼は地元のステーキハウスで食事をしたあと、真夜中までナイトクラブで仲間たちと招待者限定のパーティを開いた。

    また、ハミルトンの天敵であるフェルナンド・アロンソは2日のレース後、マクラーレンのガレージを訪れ、ハミルトンを個人的に祝福したという。

  • 最終ラップにドラマが待っていたF1ブラジルGP

    最終ラップにドラマが待っていたF1ブラジルGP

    ルイス・ハミルトンが、ワールドチャンピオンを獲得して幕を閉じた2008年のF1シーズン。最終戦ブラジルGPには、最終ラップに大きなドラマが待っていた。

    スタート5分前に突然インテルラゴスに豪雨が降りそそいだ時点でドラマを予感させたF1最終戦ブラジルGP。スタートは10分のディレイが言い渡され、各車ウェットタイヤと雨用にセッティング変更を施した。しかし、雨はすぐに上がり、空には晴れ間さえ見えだしたことで、ウェットからドライへの変更タイミングが第1の鍵となった。

    さらにオープニングラップの1コーナーでデビッド・クルサードが接触してコース上に停止したことでセーフティカーが導入され、各チームの戦略に大きな影響をもたらした。

    ルイス・ハミルトンは、5位以上でフィニッシュすればタイトルを獲得できる状況にあった。しかし同時に、リスクを冒せない立場でもあった。スタート後は4番手でレースを進めるも、失うものがない下位チームがドライタイヤへの変更を進めるなかリスクを冒せないハミルトンは後手にまわり、ドライタイヤでコース上に復帰したときには、中団グループに引っ掛かるという、最も恐れていた状況に陥った。

    それでも、4番手までポジションを戻したハミルトンは、そのまま安全にタイトルを手にするかと思われた。しかし、そこには大きな展開が待ち受けていた。残り8周に差し掛かったところで再びインテルラゴスには雨が降り出したのだ。

    そして、ここでドラマを演出する2名のドライバーが現れた。

    66周目でウェットにチェンジしたハミントンだが、ティモ・グロック(トヨタ)がドライのままステイアウトする決断をしたため、5番手でコース復帰することになる。さらに残り1周。なんと、アウトに膨らんだハミルトンをセバスチャン・ベッテル(トロ・ロッソ)がオーバーテイクしたのだ。

    6番手に順位を落としたハミルトンは、そのまま第2セクターを通過。フェリペ・マッサがトップでチェッカーを受け、タイトルはマッサに手に渡るかと思われたその数秒後、インテルラゴスにドラマは起きた。

    4位を走行していたティモ・グロックが失速したのだ。雨足が強まったトラックにドライタイヤのグロックはなす術がなかったのである。ラスト数コーナーでグロックを交わしたハミルトンは5位に浮上。そのままフィニッシュラインを横切り、F1史上最年初となる23歳300日のワールドチャンピオンが誕生した。マッサがチェッカーを受けてから、わずか39秒の間の出来事だった。

    一方で、わずか1ポイント差で涙を飲んだフェリペ・マッサ。しかし、最終戦のマッサは完璧なレースを行った。ポールポジションからスタートしたマッサは終始リードを広げ、セーフティカー、ドライタイヤへの変更、そして終盤でのウェットタイヤへの変更を、ひとつのミスもなくやってのけた。

    トップでチェッカーを受けた数秒後にタイトルを失ったマッサだったが、最後まで諦めない走りは感動を与えてくれた。優勝回数は、チャンピオンを獲得したハミルトンを上回った。「僕は勝ち方を知り、そして負け方を知った」と語るのマッサの誇らしげな表情には、これからの彼のキャリアを期待させるにふさわしいオーラがあった。

    こうしてドラマチックなエンディングを迎えた2008年シーズン。しかし、8人ものドライバーが表彰台の中央に立ち、優勝ポイントが100ポイントに届かなかった今年のF1は、どこか集中力に欠けたシーズンだったように思える。たくさんのミス、たくさんの事故があった。ハミルトンが本当にチャンピオンにふさわしかという結論は、まだ出ていないように思える。

    大幅なレギュレーション変更が実施される2009年は、F1の新たな歴史のスタートとなる。上位ドライバーは、ほぼ同じチームで新シーズンを迎えることになるだろう。そして、イタリアGPで初優勝を遂げ、最終レースでハミルトンを抑え込んだセバスチャン・ベッテルは、レッドブルへ移籍する。トロ・ロッソを強豪チームに仕立て上げたジョルジオ・アスカネリも、ベッテルと共にレッドブルへの移籍が話し合われているという。

    最後の最後で大きなドラマをみせてくれた2008年シーズンは、2009年の新たな戦いへの序章をチラつかせる劇的なエンディングとなった。(F1-Gate.com)

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    アレキサンダー・ブルツは、ウィリアムズ在籍中の2007年シーズンにレースドライバーとして引退したが、今年ホンダのテストドライバーとしてパドックに復帰した。

    ブルツは、オーストリアの放送局ORFに対し、「昨年、2009年を含む契約にサインしている」と語った。

    ホンダは、2009年のドライバーラインアップをまだ発表していない。ジェンソン・バトンの残留はほぼ確定とされているが、ルーベンス・バリチェロの将来は未確定となっている。

    ホンダは、ブルーノ・セナを11月のヘレスでテストすることを発表していており、ルーベンス・バリチェロとブルーノ・セナによって2009年のシートが争われると思われる。

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    ティモ・グロック、ブラジルGPを振り返る

    ティモ・グロックが、F1ブラジルGPを振り返った。グロックは、図らずとも最終ラップでチャンピオンシップの鍵を握る存在となった。

    レース終盤の雨はあなたの戦略にどんな影響を及ぼしましたか?
    最後の数周で雨になった際、我々はいくつか順位を上げるチャンスが訪れたと思った。ほぼ残り6周となった時、サーキットの数カ所で軽い雨が降り始めたが、その時は全員がドライタイヤだった。雨は激しさを増していったものの、他のクルマがウェットタイヤに交換するためピットインすれば自分達が順位を上げられると確信していたため、自分達はドライタイヤのまま走り続けることに決めた。それにウェットタイヤの方が優位になったのは最後の2周程度だけだったからね。我々はそのまま走り続け、そして私は4位に浮上したが、ただし最後の数周のあの状態で走り続けるのは簡単ではなかった。

    ウェットコンディションをドライタイヤで走るのはどんな感じでしたか?
    雨が非常に激しく降り出した最後の周回まではそれほど悪くはなかったが、最後はとにかくもう無理だったね。最後は路面が完全に濡れていて、コース上にクルマを留めておくことすら非常に困難だったし、あの状態ではもうまともにクルマをドライブすることはできなかった。至る所で滑っていたし、グリップも完全に失われていた。

    最後の周回は楽に走ったのでしょうか?
    そんなことは全くないよ! それとは正反対だった。あの最終周は私が今までF1で走った中で最もキツい周回に数えられるね。全くグリップがなかったし、ドライタイヤのままではクルマをコース上に留めておくことすらほぼ不可能だった。4位を守るため、とにかく懸命にプッシュしていたし、それにラップタイムを見てみれば最後の周はヤルノより速かったことがわかる。あの時点で他にドライタイヤを履いていたのは彼だけだったんだ。

    ドライタイヤのまま走るのは正しい判断でしたか?
    それについては全く疑いの余地はない。雨が降り始める前は7位を走っていたが、もしあのまま完全なドライだったら、そのままの順位でフィニッシュしていただろう。だが実際には6位でフィニッシュしたわけだから、戦略は正しかったと言えるね。

    最後の周、あなたと競っていたルイス・ハミルトンにとって順位がどれほど大きな意味を持っていたか、理解していましたか?
    正直な所、私はトヨタと自分の順位のためにレースしていたわけで、そしてそれが正しいことでもある。ルイスが自分のすぐ後ろにいることすら知らなかったしね。チームはセバスチャン・ベッテルが私に近づいて来ていると教えてくれて、その後も彼の最新の位置を伝えてくれた。でも私はとにかく自分のクルマをコース上に留めておくことに集中していた。レース後になるまでルイスが自分を追い越したことすら私は知らなかったんだ。最後の周、私は3〜4台から抜かれたし、あの状況で何が起こっているのかを把握するのは容易ではなかった。

    今回でパナソニック・トヨタ・レーシングにおけるあなたの最初のシーズンが終わりました。今年をどのように評価していますか?
    私にとっては非常にポジティブな一年だった。シーズンの最初に20ポイント獲得するという目標を自分に課したが、最終的に25ポイント獲得し、ブダペストでは表彰台にも上がった。だからこの結果には満足している。最初の2〜3レースは新しいクルマと新しいチームに自分を適応させる段階だったからちょっと難しかったが、我々は改善のために本当に懸命に仕事をこなし、上手く進化することができた。私とチームにとってカナダでの4位獲得は大きな推進力になってくれたが、ターニングポイントはホッケンハイムだった。あの時はレースでメカニカルトラブルが起こるまで本当に高い競争力を発揮できていたんだ。その後はほぼ全レースでグリッド上位を争うことができたし、数多くのポイントを手にした。ただしこれはまだ最初のステップに過ぎないし、来年は更に多くのことを成し遂げたいと思っているから、我々は既に更に前進すべく懸命に仕事を進めているところだ。

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    トヨタ、KERSなしで2009年シーズンをスタート

    トヨタは、KERSなしで2009年シーズンを迎えることになりそうだ。

    FOTAよる会談で、2010年までKERSの導入を遅らせるという提案は否決されたが、マクラーレンのロン・デニスは「ひとつのチーム」がKERSシステムなしで来年3月のメルボルンの開幕戦を戦う予定であることを明らかにしていた。

    トヨタのジョン・ハウエットは、シーズンの始めからKERSを導入する考えではないことを明らかにした。

    「初レースで我々が安全で信頼性のあるKERSでパフォーマンス上の利益を得ることはあまり考えられない。」

    「私は、ずっとそうしないとは言っていない。しかし、かなり大きな問題がある」

    ハウエットはまた、内密な会議でのトヨタの計画をプレスに提供したロン・デニスを批判した。

    「私はそれを言及した人物に腹を立てている。偽りのない完全に秘密の会議だったんだ」

    トヨタは、2009年のF1マシンを1月16日に発表する。

    関連:KERS

  • ルイス・ハミルトン:インタビュー(ブラジルGP)

    ルイス・ハミルトン:インタビュー(ブラジルGP)

    ワールドチャンピンを獲得したルイス・ハミルトンが、ブラジルGPでのレースを振り返った。

    あなたは歴史を作りました。あなたが成し遂げたことを認識できますか?
    まだ本当のこととは思えないんだ。人生で最も激しいレースだったし、気持ちはまだレースをしている。だた、チームが僕に与えてくれたチャンスに感謝している。僕に素晴らしいチャンスを与えてくれたマクラーレンとメルセデス・ベンツ、ボーダフォン・マクラーレン・メルセデスに関わるみんな、ここに来てくれた家族、僕を応援してくれた人、地元の人々に大きな敬意を表したい。それらがなければ、僕はこれを達成できなかった。フェリペは今日、素晴らしい仕事をしたし、彼の勝利と1年中の戦いを祝福したい。トップであることは素晴らしいことだ。

    最終ラップはほとんど耐えられませんでした。クルマの中からはどうでしたか?
    あなたのように、心臓が爆発しそうだったよ。どのようにして冷静さを保ったのかわからないし、特に最終ラップは非常に幸運だった。夢のようだったよ。

    最後の数コーナーを話してもらえますか?
    僕はタイヤに問題を抱えていた。グレイニングが始まっていて、僕にできることはなかった。僕はただクルマをトラック上に留めようとしていた。口から心臓が出そうだったし、彼の前に戻ろうとしていた。幸運なことにグロックの前に戻るチャンスがあったし、僕はやらなければならないことをしたんだ。

    私たちはグロックが失速しているのを見ることができました。チームはあなたにそれを伝えましたか?
    グロックに追いつく前に、チームは彼を追い越さなければならないと伝えた。僕はベッテルに追いつくために懸命にトライしていたけど、彼は僕と同じくらい速かったし、彼より速くはなかったかもしれない。最もタフとはいわないけど、人生で最も厳しいレースだったね。

    あなたの父親はピットレーンでとても心配していました。クルマの中での心臓の高まりはどうでしたか?
    鼓動の高まりはクレイジーだったよ。他のみんなも同じだったと思う。最終ラップでそれを失っていたら、どうなっていたかわからない。でも、今となっては重要なことではないね。

    フィニッシュラインを横切って、ワールドチャンピオンになったとわかったとき、どんな気持ちでしたか?
    わからない。僕は叫んでいたんだ。「どうなった?どうなった?」ってね。ターン1に入ったとき、彼らが教えてくれた。我を忘れて、夢中になったよ。

    幼い年齢からマクラーレンがあなたに示してくれた信頼に恩返しすることができましたか?
    言葉にならないし、なにか言うのは難しいよ。本当に感謝しているし、チームとみんなを誇りに思う。期待にこたえることができて、とても感謝している。夢みたいだ。これは他の子供たちも他の家族にとっても夢だ。ありがとう。

    初めてのワールドチャンピオンをどのように祝いますか?
    家族とチームと一緒に祝うつもりだよ。今夜は間違いなくパーティになるだろうね。

    ここブラジルでチャンピンを達成したことはいっそう特別なことですか?
    セナのホームグラウンドだからね。いつまでも特別なことだと思う。