投稿者: dbcheck

  • フェルナンド・アロンソ 角田裕毅のF1復帰を絶賛「来年も走ってほしい」

    フェルナンド・アロンソ 角田裕毅のF1復帰を絶賛「来年も走ってほしい」

    フェルナンド・アロンソが、2026年F1オランダGPでレーシングブルズから復帰した角田裕毅のパフォーマンスを絶賛した。限られた走行時間で決勝11位まで追い上げた角田裕毅について「驚異的な走りだった」と称え、2027年もF1グリッドで走る姿を見たいと語った。

    角田裕毅は、負傷したアイザック・ハジャーに代わってレッドブル・レーシングに昇格したリアム・ローソンの代役として、オランダGPでレーシングブルズからF1に復帰。

    フリー走行は1セッションしか経験できない状況から予選に臨み、決勝ではポイント獲得まであと一歩となる11位でフィニッシュした。

    アロンソはF1公式SNSのインタビューで、角田裕毅の復帰戦について高く評価した。

    「裕毅は本当に素晴らしかった」とアロンソはコメント。

    「彼にとって信じられないほど素晴らしい週末だったと思う。フリー走行は1回しか走っていないのに、そこからすぐ予選に臨んで、決勝ではあと少しでポイントというところまでいった」

    「だから、裕毅は本当に驚異的な走りをしたと思う。ある意味、僕たちはグリッドに彼がいないことを寂しく感じているし、彼のキャラクターも恋しい」

    さらにアロンソは、今回のスポット参戦だけにとどまらず、角田裕毅が今後もF1でレースを続けることを期待していると語った。

    「今回の2戦だけではなく、もっと多くのレースに出てほしいし、来年も走ってくれることを願っているよ」

    角田裕毅はオランダGPに続き、今週末のイタリアGPでもレーシングブルズから出場する。2027年のF1シートを巡る状況が注目されるなか、2度のF1ワールドチャンピオンであるアロンソから寄せられた高い評価は、角田裕毅にとって大きな後押しとなりそうだ。

  • アストンマーティン・ホンダF1 2027年型へ開発移行 AMR26はバクーで最終仕様

    アストンマーティン・ホンダF1 2027年型へ開発移行 AMR26はバクーで最終仕様

    アストンマーティンF1は、2026年型マシン「AMR26」について、今季中に予定していた空力アップデートを終了した。今後は軽量化プログラムを完了させ、F1アゼルバイジャンGPが行われるバクーから最終仕様のマシンでシーズンを戦う方針だ。

    最高技術責任者(CTO)のエンリコ・カルディレによれば、AMR26は依然として最低重量を上回っているものの、軽量化によってすでにラップタイムは大幅に改善している。

    バクーでは最低重量に「非常に近い」水準まで到達する見込みだという。一方、パワーユニット(PU)を供給するホンダは引き続きハードウェアとソフトウェアの両面でアップデートを進める。

    AMR26の空力アップデートは終了
    アストンマーティンは直近2戦にわたり、AMR26へ一連の空力アップデートを投入してきた。しかし、カルディレはこれが2026年型マシンに予定されていた最後の空力開発になると説明した。

    「これらが、このマシンに予定していた最後の空力開発になる」

    「唯一の例外は、2027年型マシンを開発している過程で、相関関係を確認するために今年のマシンを使ってコース上でテストする意味があるものを発見した場合だ。ただ、現時点ではこれ以上予定しているものはない」

    アストンマーティンはすでに2027年型マシンの開発へ重点を移しており、今後AMR26に新しい空力パーツが投入されるとしても、それは2026年型マシンそのものの性能向上を目的としたものではなく、将来の開発に向けた検証が主目的になる。

    一方で、AMR26の軽量化についてはまだ作業が残されている。

    「軽量化プログラムについては、まだ完了させる必要がある。それはバクーあたりで完了するはずだ。バクー以降は、基本的にシーズン残りをマシンの最終仕様で走ることになる」

    バクーで最低重量に接近
    2026年のF1ではマシン重量がパフォーマンスを左右する重要な要素となっており、アストンマーティンもシーズンを通してAMR26の軽量化を進めてきた。

    カルディレによれば、これまでの軽量化だけでもラップタイムには大きな効果が表れている。ただし、現時点のAMR26はまだ規定の最低重量には達していない。

    「これまでの軽量化だけでも、ラップタイムを劇的に改善するには十分だった」

    「バクーでは最低重量に非常に、非常に近づけるはずだ。それこそ、常に目指すべき状態だ」

    これにより、アゼルバイジャンGP以降のAMR26は空力仕様だけでなく重量面でもほぼ完成形となる見通しだ。

    アストンマーティン・コグニザント・フォーミュラワンチーム

    ホンダはPUアップデートを継続
    シャシー側の大規模な開発が終了する一方、ホンダは2026年型F1パワーユニットの改善を続ける。

    ホンダは前戦オランダGPで大規模なアップデートを投入。アストンマーティンの改良と合わせ、フェルナンド・アロンソは18番グリッドから9位まで挽回し、チームにとって今季最高の結果を記録した。

    カルディレは、ホンダが今後も複数の改良を予定していることを明かした。

    「ホンダは非常に懸命に取り組んでいる。エンジンの制御やマネジメント方法を改善するため、ハードウェアとソフトウェアの両方でいくつかのアップデートが予定されている」

    「必要としているパフォーマンスを引き出すため、このパワーユニットのアーキテクチャをどこまでプッシュできるかを探っている。それが今の焦点だ」

    ホンダの新スペックPUについては、オランダGP前からドライバビリティ面で課題が確認されていた。

    アストンマーティンはハンガリーGP後にフィルミングデーを実施し、そこで新仕様のエンジンを走らせた際にも望ましくない挙動を確認していたという。

    「ハンガリーGP後に行ったフィルミングデーで新スペックのエンジンを走らせた際、すでにいくつか望ましくない挙動が確認されていた」

    「それでも、サマーブレイクによるシャットダウンからオランダGPまで非常に短い時間しかなかったにもかかわらず、ホンダはそれらの問題を軽減することができた」

    モンツァは「弱点を完全に露呈させる」
    一方、カルディレは今週末のF1イタリアGPについて、アストンマーティンにとって厳しい戦いになると予想している。

    モンツァは長いストレートと少ないコーナーを特徴とする超高速サーキットであり、空気抵抗の少なさとPUの出力が大きく結果を左右する。

    「『難しい』と言うなら、おそらくかなり控えめな表現だろう」

    「モンツァにはそれほど多くのコーナーがない。つまり、ドライバーやシャシーが大きな違いを生み出せる場所が少ないということだ。基本的には数少ないコーナーを完璧に走り、ストレートでは低ドラッグと高いパワーを持つことが重要になる」

    そして、AMR26が抱える弱点がモンツァでは隠せないと認めた。

    「モンツァは我々のマシンの弱点を完全に露呈させるサーキットだ。純粋なパフォーマンスという観点では、期待について現実的にならなければならない」

    「ただ、それによってチームがこれまで遂げてきた進歩が損なわれるわけではない」

    アストンマーティンはバクーでAMR26の軽量化プログラムを完了させ、2026年型マシンの開発を事実上終了する。一方で、ホンダはPUのハードウェアとソフトウェアの改善を継続する方針であり、シーズン終盤に向けてどこまで性能とドライバビリティを引き上げられるかが焦点となる。

  • ジャンカルロ・フィジケラが振り返るF1人生 ミナルディから夢のフェラーリまで

    ジャンカルロ・フィジケラが振り返るF1人生 ミナルディから夢のフェラーリまで

    ジャンカルロ・フィジケラは、14シーズンにわたってF1に参戦し、通算231戦で3勝を挙げた。ミナルディから始まり、ジョーダン、ベネトン、ルノー、フォース・インディア、そして最後には母国イタリアのフェラーリへ。そのキャリアは、決して一直線ではなかったが、多くの記憶に残る瞬間に彩られている。

    現在もフェラーリのファクトリードライバー兼アンバサダーとして活動するフィジケラが、F1公式の「Lights to Flag」で、自身の長いF1人生を振り返った。

    8歳で始まったF1への夢
    フィジケラの父親は熱心なF1ファンで、彼が8歳のとき、故郷ローマ郊外のサーキットへ連れて行った。

    「僕と同じくらいの年齢の子どもたちが走っていて、レースのあとにパドックへ行って、翌日にカートを借りられるよう誰かと話したんだ」

    「それで次の日に行って、燃料がなくなるまでずっと走り続けた。それが夢の始まりだった。8歳のころはF1なんてただの夢だったけど、年を重ねるごとに、プロのレーシングドライバーになってF1へ行くという目的を持って取り組むようになった」

    フィジケラはその後、ジュニアカテゴリーを駆け上がり、F3で勝利とタイトルを獲得。1995年にはDTMに参戦すると同時に、ミナルディのテストドライバーを務めた。

    「テストは数回しかやっていなかった。1995年の終わりにミナルディと再契約して、その時点ではDTMのアルファロメオの公式ドライバーでもあった」

    転機は1996年開幕戦オーストラリアGPのわずか10日から12日前だった。

    「ジャンカルロ・ミナルディから電話がかかってきて、『ジャンカルロ、オーストラリアで走るぞ』と言われた」

    「別のドライバーから資金が入らなかったんだ。たしか井上隆智穂だったと思う。でも、とにかく信じられなかった。メルボルンの開幕戦からいきなりF1で走るなんて想像していなかったからね」

    23歳だったフィジケラはミナルディM195Bで予選16番手を獲得。決勝ではクラッチトラブルによってリタイアしたが、ついにF1ドライバーになった。

    「少し大変だったけど、本当に素晴らしかった」

    「特に金曜日、フリー走行が終わってドライバーズブリーフィングに行ったら、隣にはミハエル・シューマッハ、ミカ・ハッキネン、ゲルハルト・ベルガー、ジャン・アレジがいた。ずっと彼らのような存在になることを夢見ていたんだ」

    「そこで初めて、自分もそのひとりになったんだと気づいた。夢を実現したんだ」

    ジャンカルロ・フィジケラ F1 ジョーダン

    ジョーダンで初表彰台
    1996年はDTMとの兼任もあり、ミナルディから8戦に出場。しかし、資金難に苦しむチームはシーズン後半にペイドライバーのジョバンニ・ラバッジを起用し、フィジケラは新たな所属先を探すことになった。

    「1996年末にエストリルでベネトンのテストをしたんだけど、すごくうまくいった。そのままエンストンへ行ってベネトンとの契約にサインした」

    ただし、当時のベネトンにはアレジとベルガーが在籍しており、レギュラーシートに空きはなかった。

    「フラビオ・ブリアトーレと一緒に、1997年はジョーダンで走ることに決めた」

    ジョーダン197は速さを備えたマシンで、フィジケラはイモラで初ポイントを獲得。カナダGPで初表彰台となる3位、ベルギーGPでは2位に入り、ドライバーズランキング8位でシーズンを終えた。

    「サーキットによってはいいクルマだったし、そうでないところもあった。でも何度か表彰台に上がることができた」

    「最初がカナダで、そのあとベルギーで2位。ドイツではフロントローからスタートして、パンクするまでトップを走っていた。実質的に初めてフル参戦したシーズンとしては、とてもよかったと思う」

    当時のチーム代表エディ・ジョーダンとの関係も良好だった。

    「彼は面白くて、すごくいい人だった。一緒に夕食を食べるのも楽しかった」

    「1997年は僕もオックスフォードに住んでいて、彼の家の近くだったから、よく家に夕食へ行った。そうすると彼はスプーンを使って音楽を演奏するんだ。楽しい時間だったよ」

    ベネトンで続いた停滞
    1998年、フィジケラはついにベネトンのレギュラーシートを獲得した。しかし、わずか3年前までコンストラクターズチャンピオンだったチームは下降局面に入っていた。

    「チームは下り坂だった。1994年や1995年にミハエルが乗っていたころのような最高のクルマではなかった。いいときもあれば悪いときもあった」

    フィジケラは1998年から2001年までの4年間で6回の表彰台を獲得し、1998年オーストリアGPでは自身初のポールポジションも記録した。

    しかし、ベネトンは中団に沈み、タイトル争いに加わることはできなかった。

    「1998年から2001年まで毎年いくつか表彰台には上がった。でも僕の夢はもっと上に行くこと、チャンピオンシップを争うことだった」

    「残念ながらすべてのサーキットでクルマがよかったわけではなく、苦戦していた」

    ベネトンはその後ルノーへと移行したが、フィジケラとは条件面で合意できず、2002年にジョーダンへ復帰することになった。

    「エディはまた一緒に仕事をすることを喜んでくれて、2002年と2003年の2年契約を結んだ」

    「ただ、残念ながらこの時期のジョーダンはあまりよくなかった。クルマにはスポンサーもほとんどなくて、予算がものすごく少なかった。だから開発も本当に難しかった」

    大混乱のブラジルGPでF1初勝利
    ジョーダンでの2年間、フィジケラがポイントを獲得したのはわずか6回だった。

    しかし、そのひとつが彼のF1キャリアを象徴するレースとなった。雨に翻弄された2003年ブラジルGPだ。

    「レースでは本当に競争力があった。難しいコンディションのなかでもかなり速かった」

    予選8番手からスタートしたフィジケラは、混乱を避けながら順位を上げていった。特にターン3ではコースを横切るように大量の水が流れ、多くのドライバーがコースアウトした。

    「他のドライバーたちがスピンしていった。特にターン3はものすごく難しかった。コースを川のように水が流れていたからね」

    「とにかくクルマをコース上に残しておくことが重要だった」

    ルーベンス・バリチェロが燃料系トラブルでリタイアし、首位のデビッド・クルサードがピットイン。2番手へ浮上したフィジケラは、キミ・ライコネンの小さなミスを逃さずトップに立った。

    その直後、マーク・ウェバーが大クラッシュを喫し、さらに散乱したデブリへフェルナンド・アロンソが高速で衝突。レースは赤旗終了となった。

    ところが、周回数をめぐる計時上の混乱によって、暫定優勝者はライコネンとされた。

    「僕はキミを抜いてトップに立っていた。でもミスによって勝利はキミに与えられた」

    「僕たちは自分たちが勝者だと確信していた。だから異議を申し立てて、1週間後に問題が理解された」

    その後、正式な周回順位が訂正され、フィジケラの優勝が確定した。

    「勝利を返してもらった。でも僕は優勝者なのに、初勝利を表彰台の一番高いところで祝えなかった」

    「少し悔しかったけど、もう終わったことだし、いずれにしても僕があのレースの勝者だからね」

    ジャンカルロ・フィジケラ F1 ルノー

    ルノーで手にしたタイトル争いのマシン
    2003年限りでジョーダンを離れたフィジケラは、2004年にザウバーへ移籍した。

    「C23はほとんど2003年のフェラーリのコピーだった。だから、いい結果を出せる自信があった」

    実際に安定したシーズンを送り、チームメイトのフェリペ・マッサを上回るパフォーマンスを披露した。

    「いい選択だった。いいシーズンを送って、たくさんポイントを獲得したし、フェリペ・マッサより速かった。それがシーズン途中でフラビオとルノーとの契約を結べた理由だったと思う」

    2005年、フィジケラは上昇気流に乗っていたルノーへ加入した。

    新車R25を初めて走らせた段階から、その速さは明らかだったという。

    「1月にシェイクダウンをしたとき、素晴らしいクルマだと感じた」

    「バルセロナで最初の合同テストをしたときもすごく速かったし、燃料をたくさん積んだ状態でも最速だった。だからシーズン開幕時点ではかなり自信があった」

    開幕戦オーストラリアGPではポールポジションを獲得し、そのまま優勝。

    「これ以上ないシーズンの始まりだった」

    しかし、その後はマレーシアでのアクシデントを皮切りに、技術的、機械的トラブルが続き、同僚アロンソの勢いにも及ばなかった。

    「十分なポイントを獲得できず、チャンピオンシップを争うことができなかった」

    「シーズン中盤、おそらくそれより前には、フェルナンドを助けて、チームがチャンピオンシップを獲得するためにサポートすることを決めた」

    結果としてアロンソがドライバーズタイトルを獲得し、ルノーもコンストラクターズタイトルを手にした。

    「両方のタイトルを獲得できた。フェルナンドがドライバーズチャンピオンになり、僕たちはコンストラクターズチャンピオンにもなった。それはチームにとって本当に重要だった」

    2006年も似た展開となった。

    第2戦マレーシアGPでフィジケラは優勝を飾った。

    「マレーシアでは勝ったし、本当に楽に走れていて、自信もあった」

    「でもまた問題が起きた。僕自身のミスもあったし、チーム側のミスやクルマのトラブルもあった。2005年と同じようなシーズンだったけど、それでもまた両方のタイトルを獲得した」

    このマレーシアGPが、結果的にフィジケラにとってF1最後の勝利となった。

    フォース・インディアで起こしたスパの奇跡
    フィジケラは2007年もルノーに残留したが、戦闘力を落としたマシンで厳しいシーズンを過ごした。

    2008年にはフォース・インディアへ移籍。かつてのジョーダンを源流とするシルバーストンのチームへ、3度目の加入を果たした。

    「簡単ではなかった。2008年のクルマは十分に速くなくて、12番手や14番手あたりを争っていた。でも2009年になるとクルマはよくなっていった」

    そして2009年ベルギーGPで、その成長が一気に表面化する。

    「開発はうまく進んでいた。スパでは新しい空力パッケージが投入されて、予選前の土曜午前に初めて使ったんだけど、完全に別のクルマになったと感じた」

    「運転していて素晴らしかった。すごく安定していて、ニュートラルなクルマだった」

    フィジケラは予選Q2で総合4番手につけ、Q3進出を果たした。

    「予選ではトップ10に入れるかもしれないと思っていた。Q2で4番手だったからすごくうれしくて、トップ6くらいに入れたらと思っていた」

    ところがQ3で驚異的なラップを刻み、まさかのポールポジションを獲得する。

    「素晴らしいQ3のラップを走ったらポールだった。誰も予想していなかった。特に僕自身もチームもね」

    「本当に素晴らしいラップタイムだったし、素晴らしいポールポジションだった」

    決勝でも首位を守ってスタートしたが、セーフティカー導入後のリスタートでライコネンに抜かれた。

    当時のフェラーリはKERSを搭載していた一方、フォース・インディアにはKERSがなかった。

    「残念ながらキミに抜かれた。彼にはKERSがあったけど、フォース・インディアにはなかった。だから彼は約80馬力多い状態で僕を抜いた」

    「抜き返すことは不可能だった。彼はKERSを使うことができたからね」

    それでもフィジケラは最後までライコネンの背後を走り続け、2位でチェッカーを受けた。

    「レース中ずっと同じ戦略で彼の後ろを走っていたけど、僕のほうが速かった」

    「それでも僕たちにとって2位は優勝と同じだった。夢のようだったし、本当に素晴らしい結果だった」

    これはフォース・インディアにとってF1初表彰台であり、フィジケラにとっては通算19回目、そして最後のF1表彰台となった。

    ジャンカルロ・フィジケラ F1 フェラーリ

    37歳で叶えたフェラーリの夢
    2009年、フェラーリではハンガリーGPで重傷を負ったフェリペ・マッサがシーズン残りを欠場。

    代役としてテストドライバーのルカ・バドエルがバレンシアとスパで出場していたが、結果を残せず、フェラーリはドライバー交代を検討していた。

    そしてスパで表彰台に立ったフィジケラのもとへ電話が入った。

    「ベルギーGPのあと、ステファノ・ドメニカリから電話があった。フェラーリはドライバーを探していた」

    「子どものころから、それは僕の人生の夢だった。37歳で、F1に14シーズン近く参戦していたから、『今しかない』と思った」

    フォース・インディアと契約解除について合意し、フィジケラは母国イタリアGPでフェラーリデビューを果たした。

    「そしてモンツァでフェラーリからデビューした」

    「そこで初めて、イタリア人ドライバーとしてフェラーリを走ることが何を意味するのか理解した。本当にすごかった。素晴らしかったし、たくさんの感情があった」

    一方で、当時のF60は扱いやすいマシンではなかった。

    「唯一の問題は、クルマが十分に速くなかったことだ。それにフォース・インディアとは運転の仕方がまったく違っていて、僕には難しかった」

    「予選でいい位置を獲得するのが難しくて、それが決勝にも影響した。でも、それでもフェラーリを走れたんだ」

    F1を離れても続いたフェラーリとの関係
    2009年最終戦アブダビGPで16位となり、フィジケラのF1キャリアは通算231戦で幕を閉じた。

    「2009年の終わりには2つの選択肢があった」

    「マッサがフェラーリに戻ってくることになっていたから、F1に残ることはできてもトップチームではなかった」

    ザウバーと再契約する可能性もあったという。

    「ザウバーともう一度契約してF1に残るところまでかなり近づいていた。でも、耐久レースという新しい経験をして、フェラーリファミリーに残るという選択肢もあった」

    「14シーズンを戦ったあと、新しい挑戦、新しい道を選ぶことにした。耐久レースへ行くことを決めたんだ」

    その後はル・マン24時間レースでクラス優勝を2度達成し、WECやIMSA、プチ・ル・マンでもクラス優勝を挙げた。

    「正しい選択だったと思う。たくさんのレースを本当に楽しむことができた」

    「今もレースをしているし、フェラーリのファクトリードライバー兼アンバサダーでもある。本当に幸せだよ」

    「過去に戻って変えたいとは思わない」
    フィジケラが最後にF1を戦ってから16年以上が経過した現在も、彼はモータースポーツとの関係を保ち続けている。

    F1のアンバサダーを務める一方、マルコ・チョーチとともにドライバーマネジメント会社を運営。FIA F3やF1 ACADEMYを含む複数カテゴリーで約20人のドライバーを支援している。

    「そのなかの誰かをF1へ連れていきたいと思っている。簡単ではないけどね」

    自身のキャリアについて後悔はないという。

    「僕は幸せだよ。もちろん、夢はF1ワールドチャンピオンになることだった」

    「それは達成できなかった。でも、もう終わったことだ」

    フィジケラは、F1で長く戦えたことそのものが特別だったと振り返る。

    「僕は幸運な人間だと思う。何年もの間、F1を走る20人のドライバーのひとりになることができたからね」

    「たくさんの夢を実現できた。だから、これ以上を求めることはできない」

    そして、自身が歩んできた道についてこう締めくくった。

    「過去に戻って、自分の人生を変えたいとは決して思わない」

  • リアム・ローソン F1イタリアGPもレッドブル続投「RB22への理解は深まった」

    リアム・ローソン F1イタリアGPもレッドブル続投「RB22への理解は深まった」

    リアム・ローソンが、2026年F1第13戦イタリアGPでもレッドブル・レーシングのRB22をドライブすることが決まった。アイザック・ハジャーが左手首の負傷からの回復途上にあるため、ローソンは前戦オランダGPに続いてマックス・フェルスタッペンのチームメイトを務める。

    オランダGPで急きょRB22に乗り込んだローソンは7位入賞を果たし、レッドブルでの初戦から6ポイントを獲得した。

    今回はすでに1週末をRB22で経験した状態でモンツァに入ることになり、ローソン自身もマシンへの理解を深めたうえで臨めることを大きなプラスと捉えている。

    ハジャー欠場でローソンが2戦連続レッドブルへ
    レッドブルは、サマーブレイク中のトレーニングで左手首を負傷したハジャーについて、イタリアGPまでにレースへ復帰できる状態には至らなかったと判断した。

    これにより、ザントフォールトで採用されたドライバー変更がモンツァでも継続される。ローソンがレーシングブルズからレッドブル・レーシングへ移り、フェルスタッペンとRB22をドライブ。リザーブドライバーの角田裕毅がレーシングブルズに入り、アービッド・リンドブラッドとVCARB-03を走らせる。

    ローソンにとって、レッドブルで2戦連続してレースに出場できることは大きい。オランダGPはスプリント形式だったため、通常のグランプリ週末よりもフリー走行の時間が限られ、RB22への適応に使える時間は十分ではなかった。

    それでもローソンは予選8番手につけ、決勝では黄旗区間で十分に減速しなかったとして10秒のタイムペナルティを科されたものの7位でフィニッシュした。

    フェルスタッペンがレース序盤のインシデントでリタイアしたため、結果的にローソンがレッドブル唯一のポイント獲得者となった。

    「もう1週末チームと過ごせるのは素晴らしい」
    ローソンは、まずハジャーの回復が順調に進んでいることを喜びながら、再びRB22をドライブできる機会を前向きに受け止めている。

    「アイザックが順調に回復していて、もうすぐマシンに戻れると聞けたのはよかった。でも、僕にとってもこのチームでもう1週末を過ごせるのは素晴らしいことだ」

    「ザントフォールトでは、このマシンについて最初のすごく有益な基準を得ることができた。スプリント週末を丸々ひとつ経験したことで、モンツァにはマシンについて、そして僕がマシンに何を求める必要があるのかを、より深く理解した状態で入ることができる」

    わずか1戦とはいえ、RB22の挙動やセットアップの方向性、自身が必要とするフィーリングについて実戦で確認できた経験は、2戦目に向けて重要な材料となる。

    リアム・ローソン(レッドブル・レーシング) イタリアグランプリ

    ザントフォールトとは正反対のモンツァが次の試金石
    一方、イタリアGPの舞台となるモンツァは、ザントフォールトとは大きく性格が異なる。

    長いストレートと強いブレーキングが特徴となるモンツァでは、低ダウンフォース仕様での空力効率やパワーユニット性能が重要になる。RB22への理解を深めたローソンにとっても、異なる特性のサーキットでマシンをどこまで引き出せるかが次の課題となる。

    「まったく違うサーキットだし、新しいチャレンジもある。でも、前回の週末にチームと築いたものをさらに積み重ねて、僕たちに何ができるのかを見るのを楽しみにしている」

    ザントフォールトでは限られた準備時間のなかで予選8番手、決勝7位という結果を残したローソン。2戦連続でRB22を任されたことで、モンツァでは単なる代役として適応する段階から、前戦で得た経験をパフォーマンスにつなげる段階へと移る。

    ハジャーの復帰までという期間限定の起用ではあるものの、異なるコース特性を持つ2戦でレッドブルのマシンを経験できることは、ローソンにとって自身の評価をさらに高める重要な機会となる。

  • F1イタリアGPに『カーズ』登場 マックィーン走行&特別セーフティカー

    F1イタリアGPに『カーズ』登場 マックィーン走行&特別セーフティカー

    F1は、ディズニーおよびメルセデスAMGと共同で、2026年F1イタリアGPが開催されるモンツァにディズニー&ピクサーの『カーズ』を登場させる。映画公開20周年を記念した特別企画として、ライトニング・マックィーンが名誉ラップを行うほか、FIA公式F1セーフティカーには『カーズ』をテーマとしたモンツァ限定の特別リバリーが施される。

    今回の企画は、F1とディズニーが進めるグローバルコラボレーションの一環だ。

    両者は提携を2028年まで延長し、ディズニー&ピクサーの『カーズ』を初めてグローバルプログラムに加えることを発表しており、その新たな展開の舞台としてF1を代表する伝統の一戦、イタリアGPが選ばれた。

    ライトニング・マックィーンがモンツァを走行
    2006年に劇場公開された『カーズ』は、2026年で20周年を迎える。その主人公であるライトニング・マックィーンが、F1とディズニーのコラボレーションをイメージした新たな姿でモンツァに登場する。

    作中で7度のピストン・カップ王者に輝いているライトニング・マックィーンは、イタリアGPのレースウイーク中に特別出演し、モンツァで名誉ラップを行う予定だ。F1、ディズニー、ピクサーの世界が実際のグランプリの舞台で交わる象徴的な企画となる。

    ライトニング・マックィーン

    F1セーフティカーも『カーズ』特別仕様に
    さらに、FIA公式F1セーフティカーを務めるメルセデスAMG GT 63 PRO 4MATIC+にも、『カーズ』をモチーフとした特別リバリーが施される。

    このデザインはイタリアGPのためだけに制作されたモンツァ限定仕様で、F1、ディズニー、ピクサーの世界観を融合させながら、『カーズ』20周年を祝うものとなる。

    メルセデスAMG GT 63 PRO 4MATIC+は、2026年F1ハンガリーGPで新たな公式セーフティカーとして導入された。FIA公式F1セーフティカーとして初めて完全可変式四輪駆動システムを採用したモデルであり、メルセデスのスリーポインテッドスターを掲げる14台目のF1公式セーフティカーでもある。

    通常はグランプリの安全を支える役割を担うマシンが、モンツァでは『カーズ』20周年を象徴する特別な姿でコースに登場することになる。

    セーフティカー カーズ特別リバリー

    『カーズ』×F1コレクションもイタリアGPで展開
    モンツァを訪れるファンに向けて、ディズニー&ピクサーの『カーズ』とF1によるコラボレーションコレクションもレースウイークを通して販売される。

    ラインナップにはアパレル、アクセサリー、コレクターズアイテムに加え、マテルによる『カーズ』とF1をテーマとしたダイキャストカーなどが含まれる。現地を訪れないファン向けにも、一部商品はF1公式オンラインストアやDisneyStore.comで販売される予定だ。

    F1とディズニーの提携を2028年まで拡大
    F1とディズニーはグローバルコラボレーションを2028年まで継続することを決めており、『カーズ』の参加によって提携の範囲をさらに広げている。

    モンツァでの企画は単なる映画20周年の記念イベントではなく、F1がレース以外のエンターテインメント分野を通じて新たなファンとの接点を広げる取り組みのひとつでもある。

    2006年の公開から20年を経てなお世界的な人気を持つライトニング・マックィーン。そのキャラクターが実際のF1イタリアGPに登場し、名誉ラップを披露するとともに、F1公式セーフティカーまで『カーズ』仕様となることで、2026年のモンツァはF1とディズニー&ピクサーのコラボレーションを象徴する週末となる。

  • F1イタリアGPに「ヒートハザード」宣言 モンツァで35度予報 冷却ベスト使用可能

    F1イタリアGPに「ヒートハザード」宣言 モンツァで35度予報 冷却ベスト使用可能

    FIAは、2026年F1第13戦イタリアGPを「ヒートハザード(Heat Hazard)」対象イベントに指定した。モンツァでは週末を通して厳しい暑さが予想されており、ドライバーの安全を守るため、冷却ベストを含む特別な暑熱対策が適用される。

    イタリアGPの週末は平年を大きく上回る気温となる見通しで、金曜日は最高34度、土曜日は35度、日曜日も34度まで上昇すると予想されている。

    FIAの規定では、イベント中に気温が31度を超えることが予想され、定められたヒートインデックスの条件を満たした場合、ヒートハザードを宣言することができる。

    FIAがイタリアGPを「ヒートハザード」に指定
    ヒートハザードは、極端な暑さによってドライバーの健康や安全が脅かされる可能性がある場合に適用される制度だ。

    今回のイタリアGPは、2025年のシンガポールGPとアメリカGP、2026年のオーストリアGPに続き、F1で4例目のヒートハザード指定となる。

    モンツァではグリッド上でファンやアイスベスト、日よけなどの暑熱対策が強化されるほか、マシンにはFIAが承認したドライバー冷却システムを搭載することが認められる。

    冷却ベストは着用を選択可能
    ヒートハザードが宣言されると、ドライバーは液体冷却式のベストを使用できる。耐火性のアンダーウェアにチューブを組み込み、冷却された液体を循環させることで、走行中の体温上昇を抑える仕組みだ。

    システムではグリコールなどの液体を使用し、ドライアイスを入れたタンクを通して冷却したうえでドライバーの身体周辺に循環させる。

    ただし、冷却ベストの着用自体は義務ではない。ドライバーは快適性などを理由に使用しないことも選択できる。

    一方、冷却システムを使用しないことで重量面のアドバンテージを得ることは認められない。そのため、ヒートハザードが適用された場合には冷却システム搭載を考慮してマシンの最低重量が5kg引き上げられ、システムを使用しないドライバーも相当するバラストを搭載しなければならない。

    イタリアグランプリ

    ラッセルは冷却システムを評価
    GPDA(グランプリ・ドライバーズ・アソシエーション)のディレクターを務めるジョージ・ラッセルは、2025年シンガポールGPで冷却ベストを着用して優勝しており、このシステムを評価している。

    「全員がこのトップを快適だと感じるわけではないけど、人によっては他の人より快適に感じると思う。もちろん、時間が経てば自分の好みに合わせて調整できるようになるだろう」

    「でも、コンセプトはいい。湿度90%のなかでレースをして、コックピットが60度近くになると、マシンの中はちょっとしたサウナみたいになる。だから、僕たちはみんな歓迎していると思う」

    一方で、冷却ベストへの評価はドライバーによって異なる。マックス・フェルスタッペンはこれまで、ベストの着心地やシステムに問題があるとして否定的な見解を示している。

    また、冷却に使用するドライアイスが走行中になくなる可能性も課題のひとつだ。その場合、十分に冷却されなくなった液体がシステム内を循環し、ドライバーにとって逆に不快になる可能性がある。

    きっかけは2023年カタールGPの過酷なレース
    FIAがこうした暑熱対策を導入する大きなきっかけとなったのが、2023年F1カタールGPだった。

    極端な高温と高湿度のなかで行われた決勝では、複数のドライバーが深刻な体調不良に陥った。エステバン・オコンはヘルメット内で嘔吐しながら走行を続け、ローガン・サージェントは体調悪化によってリタイア。ランス・ストロールやアレクサンダー・アルボンもレース後に暑さによる体調不良の処置を受けた。

    複数のドライバーが高速走行中に意識を失いかけるほどだったことから、FIAは同様の事態を防ぐための暑熱対策を制度化した。

    2026年はスプリントと決勝を別々に指定可能
    2026年にはヒートハザード規定にも変更が加えられ、スプリントと決勝について、それぞれ個別に宣言できるようになった。

    FIAは規定について、「ヒートハザードの宣言は、スプリントと決勝で分けることができるようになった。ヒートハザードはスプリント、決勝、またはその両方について、競技開始24時間前までに宣言される」と説明している。

    これにより、週末途中で気象予報が変化した場合にも、実際のコンディションに応じて柔軟に暑熱対策を適用できる。

    最高35度という厳しい暑さが予想される2026年F1イタリアGPでは、純粋なマシン性能だけでなく、コックピット内の温度管理とドライバーの体調管理も重要な要素となる。特に高速コースのモンツァで長時間にわたって集中力を維持するため、各ドライバーが冷却システムを使用するかどうかも注目点となりそうだ。

  • ホンダF1 折原慎太郎「スペック2は失敗ではない」パワー向上も挙動に課題

    ホンダF1 折原慎太郎「スペック2は失敗ではない」パワー向上も挙動に課題

    ホンダは、2026年F1オランダGPで投入した新パワーユニット(PU)「スペック2」について、期待された効果が得られなかったとの見方を否定した。HRC(ホンダ・レーシング)の折原伸太郎は、ベンチテストで確認していたパワー向上を実際の走行でも確認できたと説明している。

    一方で、燃焼仕様の変更に伴ってエンジンブレーキやトルクデリバリーの不安定さが再び表面化したことも認めた。

    フェルナンド・アロンソとランス・ストロールから厳しい評価が出たものの、ホンダは改善可能な問題だと捉えており、「スペック2を失敗とは考えていない」と強調している。

    ベンチで確認したパワー向上をサーキットでも確認
    ホンダはオランダGPが行われたザントフォールトで、2026年型PUの新仕様「スペック2」を投入した。事前には30~40馬力程度の向上を目標としているとの情報もあったが、各チームのGPSデータを基にした推定では、実際の向上幅は20馬力未満だったとも伝えられている。

    さらにアストンマーティンのドライバーからは、絶対的なパワー以上にPUの扱いにくさを指摘する声が上がった。

    しかし、ホンダ側はスペック2によるパワー向上そのものについては、当初の想定通りだったとしている。

    イタリアGPを前に折原は、「パフォーマンスに関しては、ベンチで確認していた数値が実際の走行でも再現できていることをデータで確認しています」と説明した。

    信頼性についても大きな問題は発生しなかった。

    「はい。信頼性については、問題なく週末を走り切ることができました。その点では、すべて予定通りに進みました」

    燃焼変更でドライバビリティの問題が再発
    一方、ホンダが認めている最大の課題がドライバビリティだ。

    スペック2では燃焼仕様に変更が加えられたが、その影響によってシーズン前半に改善を進めてきたPUの挙動に関する問題が再び現れた。

    アロンソはオランダGPで新PUについて「振り出しに戻った」と厳しく評価していた。

    それでも折原は、スペック2そのものが失敗だったとの見方を否定した。

    「エンジンの挙動について難しい部分があるのは確かです。ただ、対策を施し、改善するためのプロセスを進めていけばパフォーマンスを向上させられることは確認できています。ですから、スペック2が失敗だったとは考えていません」

    つまり、絶対的なパワー向上は実現しているものの、それをドライバーが安定して引き出せる状態にはまだ達していないということだ。

    「パフォーマンス面では一定の進歩が確認できています。ただ、安定したトルクを供給し、アクセル操作やブレーキング時のPUの反応にドライバーが自信を持てるレベルにはまだ到達していません」

    アストンマーティン・コグニザント・フォーミュラワンチーム

    エンジンブレーキとトルク応答にばらつき
    ザントフォールトでアロンソとストロールが特に問題視していたのが、エンジンブレーキとアクセル操作に対するトルクの応答だった。

    折原は、その症状について具体的に説明している。

    「具体的には、ブレーキング時のエンジンブレーキに問題があり、ラップごとに挙動が一定ではありませんでした」

    「アクセルを踏んだ量に対して想定したトルクが出なかったり、逆にトルクが出すぎたりすることがありました。そうなるとコーナー出口で突然ホイールスピンが発生する可能性があり、ドライバーは自信を持って攻めることができません」

    2026年のF1では電動化の比率が大幅に高まり、PUとエネルギーの制御がマシンパフォーマンスを左右する重要な要素となっている。そのため、ドライバーがアクセルやブレーキ操作に対する反応を予測できないことは大きなハンディキャップとなる。

    ただし、折原はスペック1でも同様の問題を改善してきた実績があることから、今回も解決できるとの見通しを示した。

    「PUの反応を正確に予測できないことは大きな問題です。ただ、良い点としては、スペック1のときと同じように、これについても少しずつコントロールして改善していけるということです」

    「スペック1より確実に向上」もトップには届かず
    ホンダはスペック2によって前仕様から前進したと評価している一方、現時点でライバルPUに追いついたとは考えていない。

    折原は「パフォーマンスはスペック1と比較して確実に向上しています」と述べた。

    その一方で、次戦イタリアGPについては厳しい戦いになることを覚悟している。

    モンツァは長いストレートが特徴で、PUの絶対的な性能とエネルギーマネジメントがラップタイムに大きく影響する。新仕様の実力を測るうえでも、ザントフォールト以上に厳しいテストになる。

    「残念ながら、PUをアップデートしたとはいえ、まだベストのPUではありません。そのため、モンツァでは厳しい戦いになると考えて準備しています」

    ホンダにとってスペック2のザントフォールト投入は、狙ったパワー向上を確認できた一方、その代償としてドライバビリティの課題を再び浮き彫りにする結果となった。アストンマーティンがその性能を最大限に引き出すためには、エンジンブレーキとトルクデリバリーの安定化が急務となる。

    最高速とPU効率が重要になるモンツァでは、スペック2による純粋なパワー向上と、ザントフォールトで露呈した挙動面の改善がどこまで進んでいるかが改めて試されることになる。

  • ルイス・ハミルトン 愛車フェラーリF40でF1イタリアGPに登場「夢が叶った」

    ルイス・ハミルトン 愛車フェラーリF40でF1イタリアGPに登場「夢が叶った」

    ルイス・ハミルトンが、2026年F1第13戦イタリアGPを前にモンツァのパドックへ希少なフェラーリF40を自ら運転して登場し、大きな注目を集めた。

    フェラーリ加入2年目を迎えているハミルトンにとって、F40は幼いころから憧れ続けてきた「夢のクルマ」だという。今回モンツァに持ち込んだ車両は、30年以上ガレージに眠っていた個体を入手し、マラネロのフェラーリでレストアした特別な一台だ。

    ハミルトンがF40でモンツァ入り
    木曜日のメディアデー、ハミルトンは黒のスーツにタンカラーのオーバーコートという装いで、自身のフェラーリF40を運転してモンツァに姿を現した。

    F40は、フェラーリが1987年から1992年にかけてわずか1,311台を生産したスーパーカーで、現在では状態によって300万ドル(約4億円)前後の価格が付くこともある希少なモデルだ。

    ハミルトンのF40には、自身がF1で使用するカーナンバー「44」を取り入れたパーソナライズされたナンバープレートも装着されている。

    ハミルトンは2025年に、それまで所有していた自動車コレクションをすべて売却したことを明らかにしていた。しかし、フェラーリF40だけは別だった。41歳のハミルトンにとって、このクルマを所有することは長年抱き続けてきた夢だったという。

    ルイス・ハミルトン(スクーデリア・フェラーリ)

    「これが僕の夢のクルマ」
    ハミルトンは自身のSNSで、F40を手に入れるまでの経緯と、この一台に対する特別な思いを明かした。

    「僕自身のF40。これは僕の夢のクルマで、物心ついたころからずっとそうだった」

    「子どものころ、自分のF40を持つことを夢見ていた。昨年フェラーリに加入したときも、マラネロでの初日にF40を用意してもらった。それくらい僕にとって大きな意味を持つクルマなんだ」

    今回ハミルトンが手に入れたF40は、長期間にわたって走らせることなく保管されていた個体だった。

    「こうしたクルマは芸術作品で、本当に希少なものだ。だから、30年以上ガレージに置かれたまま埃をかぶっていたこの一台を見つけたとき、絶対に連れて帰らなければと思った」

    購入後、F40はフェラーリの本拠地マラネロへ運ばれ、ファクトリーのエンジニアとメカニックによって復活作業が行われた。

    「まずマラネロに運び、ファクトリーの素晴らしいエンジニアとメカニックたちが何週間もかけて、このクルマを生き返らせてくれた。このプロジェクトに携わってくれた全員に心から感謝している。本当に夢が叶ったよ」

    昨年はドゥカティ 今年はフェラーリF40
    ハミルトンがモンツァへの登場方法で注目を集めるのは今回が初めてではない。2025年のF1イタリアGPでは、イタリア国旗のトリコローレをまとったドゥカティのバイクでサーキットに姿を現して話題となった。

    そして2026年は、フェラーリを象徴する歴史的なロードカーのひとつであるF40を選んだ。

    フェラーリにとってイタリアGPはティフォシの前で戦う最重要レースのひとつだ。チームが最後にモンツァで勝利したのは2024年で、シャルル・ルクレールが地元ファンの前で優勝を飾っている。

    ハミルトンは現在、F1ドライバーズ選手権3位。ジョージ・ラッセルと同ポイントにつけ、首位アンドレア・キミ・アントネッリとは59ポイント差となっている。

    幼いころから憧れてきたF40を自ら走らせてモンツァ入りしたハミルトン。フェラーリのホームレースでは、今度はF1マシンのステアリングを握り、ティフォシの前で結果を残すことを目指す。

  • ジェンソン・バトン アロンソにF1続行を希望「まだ多くのものを与えられる」

    ジェンソン・バトン アロンソにF1続行を希望「まだ多くのものを与えられる」

    ジェンソン・バトンが、かつてマクラーレンでチームメイトだったフェルナンド・アロンソにF1での現役続行を呼びかけた。アストンマーティンのアンバサダーを務めるバトンは、自身の引退経験も振り返りながら、45歳となったアロンソには「まだ多くのものをF1に与えられる」と語った。

    アロンソの将来を巡っては、2026年限りで現役を退く可能性も含めてさまざまな憶測が続いている。一方、ホンダ側もアロンソにアストンマーティンのプロジェクトに残ってほしいとの意向を示しており、その決断に注目が集まっている。

    バトン「個人的にはもう少し長く続けてほしい」
    バトンはアストンマーティンの公式サイトで、アロンソの将来について自身の考えを明かした。

    「フェルナンドの将来は今、大きな話題になっている。彼がもう1年F1を続ける決断をするのかどうか、私にはまったく分からない。ただ、いつ引退を決断したとしても、F1史上最高のドライバーのひとりとして正当に評価されることは分かっている」

    「ただ、個人的にはもう少し長く続けてほしいと思っている」

    2009年F1ワールドチャンピオンのバトンは、自身が36歳でF1から退いたときには、すでに引退すべき時期が来たことを自覚していたという。

    「私は自分がF1を引退すべき時が来たことを分かっていた。36歳で引退したから、フェルナンドより9歳若かったけれど、私は準備ができていた」

    「その前の2年ほどは、レースをすることに苦しんでいた。本当の意味ではそこにいたいと思えていなかったからだ。自分にはもう新しく成し遂げるものがないように感じていた。そこまで来れば、去る時だと分かる」

    「フェルナンドにはまだエキサイティングな挑戦がある」
    しかし、現在のアロンソは当時の自分とは違うとバトンは考えている。その最大の理由が、アストンマーティンで進められているプロジェクトだ。

    「フェルナンドにとって違うのは、まだ目の前にエキサイティングな挑戦があることだと思う」

    「もちろん今年は厳しい。でも、アストンマーティンにいて、エイドリアン・ニューウェイのような人と仕事をするという意味では、今もエキサイティングな時期だ」

    「どんなF1ドライバーだって、彼が設計したマシンでレースをしたいと思うだろうし、彼がこのチームを前進させていくところを間近で経験したいと思うはずだ」

    バトンはさらに、アロンソが2018年限りで一度F1を離れながら、2021年に復帰した経験も、今回の決断に大きく影響するとみている。

    「将来を決めることがどれだけ難しいかは私にも分かる。そして彼は以前にも一度それを経験している」

    「彼はF1を離れて、その後戻ってきた。つまり、明らかにあのときは早く離れすぎたということだ。だから今度は、自分がもうF1にいたくないと100%確信するまで、去ることはないと思う」

    「アストンマーティンで勝利を争う姿を見たい」
    バトンは、年齢にかかわらずアロンソの才能と勝利への意欲は失われていないと強調する。

    「フェルナンドには、まだF1に与えられるものがたくさんある。私は彼がアストンマーティンで勝利を争う姿を見たい。それこそ彼がいるべき場所だし、このチームが目指している場所でもある」

    「彼は本来ならもっと多く勝っているべきだった。何度か不運な状況に置かれてきたし、そのひとつは私と一緒だったときでもある。でも、才能とハングリーさは今も残っている。それこそがF1に残り、競争力を維持するうえで重要なことだ」

    ジェンソン・バトンとフェルナンド・アロンソ

    シューマッハとのバトルに匹敵するアロンソ
    マクラーレン時代にアロンソと同じチームで戦ったバトンは、その実力をミハエル・シューマッハと並べて評価している。

    「フェルナンドに対してできる最大の賛辞は、彼と戦うことがミハエル・シューマッハと戦うことにとても似ていたということだ」

    「私の経験では、彼らとのバトルはハードだけれどフェアだった。毎回限界ギリギリで、それが大好きだった。それも挑戦の一部だった」

    「私がハンガリーで初めてグランプリに勝ったときも、彼らと戦っていた。ドライバーとして望むのはそういうことだ。最高のドライバー、偉大なドライバーたちと戦って、自分がどれだけ通用するのかを確かめたい」

    バトンは自身のF1キャリアを通じて、アロンソとシューマッハだけでなく、ミカ・ハッキネン、キミ・ライコネン、ルイス・ハミルトン、マックス・フェルスタッペンとも戦ってきた。

    「私は本当に幸運だった。フェルナンドやミハエルだけでなく、ミカ・ハッキネン、キミ・ライコネン、ルイス・ハミルトン、マックス・フェルスタッペンといった、このスポーツの本当のレジェンドたちと戦うことができた」

    「走っているのを見ればすぐフェルナンドだと分かる」
    その歴代の名手たちのなかでも、アロンソには一目で分かる独特のドライビングスタイルがあるとバトンは語る。

    「フェルナンドを際立たせているのは、そのドライビングスタイルだ。すべてのマシンを同じ色に塗って、全ドライバーをコースに出したとしたら、その違いを見分けるのは難しいと思う」

    「でも、フェルナンドが目の前を走り過ぎれば、すぐに彼だと分かる。それは彼がステアリングの向こう側でやっていることによるものだ」

    「フェルナンドのドライビングは誰とも違う。アグレッシブで、素晴らしい適応力がある。それは彼のキャリアを通じてずっと変わっていない」

    アロンソは2026年にアストンマーティン・ホンダとして新たな時代を迎えたものの、ここまでは期待されたほどの結果を残せていない。それでもバトンは、アロンソには依然としてトップレベルで戦う才能と意欲があり、ニューウェイとともにアストンマーティンを勝利へ導くという「エキサイティングな挑戦」が残されていると考えている。

    一度F1を離れながら復帰した経験があるだけに、バトンの見立てでは、アロンソが次に引退を決断するのは、自らが「100%」納得したときになる。

  • フェラーリF1 イタリアGPで新PU投入を正式確認 ADUOで性能向上

    フェラーリF1 イタリアGPで新PU投入を正式確認 ADUOで性能向上

    フェラーリは、2026年F1第13戦イタリアGPでSF-26にアップデートされたパワーユニットを投入することを正式に認めた。ADUO(追加開発・アップグレード機会)の枠組みを利用した今季2度目のアップグレードで、約15馬力の向上が見込まれている。

    ハンガリーGPとオランダGPでマクラーレンが連勝する一方、フェラーリは直近の勢力図でマクラーレンやメルセデスに後れを取っている。しかし、パワーが重要となる高速のモンツァを前に、マラネロには巻き返しへの期待が高まっている。

    ADUOを活用してモンツァでPUをアップグレード
    今回のアップグレードは、F1のADUO制度によって認められた追加開発機会を利用したものだ。最新のADUO評価では、レッドブル・パワートレインズの内燃エンジンが基準となっており、フェラーリには開発機会が与えられている。

    フェラーリF1代表のフレデリック・バスールは、ホームレースとなるイタリアGPを前に、アップデートされたパワーユニットを投入することを明らかにした。

    「モンツァはフェラーリにとって常に非常に特別な週末だ」とバスールは語った。

    「ティフォシの前でレースをすることはチーム全体に信じられないほどのエネルギーを与えてくれる。今年はさらに、ミハエル・シューマッハと、彼が我々の会社に残したレガシーを称えるという感情的な意味も加わる」

    「絶え間なく改善を追求する姿勢、細部へのこだわり、そしてチームワークに対する強い信念。これらは現在も我々にとって重要な価値観であり続けている」

    そして、パフォーマンス面についてバスールは次のように説明した。

    「パフォーマンス面では、ADUOで利用可能な開発機会の一環として、アップデートされたパワーユニットを投入する。これは正しい方向への一歩であり、我々も理解しているように、今年はまさに小さな改善を積み重ねていくシーズンだ」

    スクーデリア・フェラーリ

    約15馬力向上 モンツァで効果に期待
    今回のアップグレードによる出力向上は約15bhpと報じられている。実際の効果はエネルギーマネジメントやマシン側のセットアップにも左右されるが、長いストレートと低ドラッグ性能が重要となるモンツァでは、その恩恵を引き出しやすい。

    シャルル・ルクレールとルイス・ハミルトンにとって、ストレートでのパフォーマンス向上は大きな武器となる可能性がある。

    また、今回の動きで注目されるのがADUOによるメーカー間の開発機会の違いだ。最新評価で基準となっているレッドブル側には同制度による追加アップグレードの機会が与えられない一方、フェラーリを含む基準を下回ったメーカーには性能差に応じた開発機会が認められている。

    そのため、フェラーリにとって今回のアップグレードは単なるモンツァ専用の強化ではなく、シーズン後半に向けてパワーユニットの差を縮める重要な一歩となる。

    シューマッハへのオマージュとともにホームGPへ
    フェラーリはイタリアGPで、ミハエル・シューマッハへのオマージュを込めたスペシャルカラーリングも採用する。シューマッハがフェラーリ加入初年度の1996年にドライブしたF310から着想を得たデザインとなる。

    ホームのティフォシ、シューマッハへのトリビュート、そして約15馬力とされるパワーユニットのアップグレード。フェラーリは複数の要素を携え、モンツァでマクラーレンとメルセデスへの反撃を狙う。