カテゴリー: ジェンソン・バトン

  • ジェンソン・バトン アロンソにF1続行を希望「まだ多くのものを与えられる」

    ジェンソン・バトン アロンソにF1続行を希望「まだ多くのものを与えられる」

    ジェンソン・バトンが、かつてマクラーレンでチームメイトだったフェルナンド・アロンソにF1での現役続行を呼びかけた。アストンマーティンのアンバサダーを務めるバトンは、自身の引退経験も振り返りながら、45歳となったアロンソには「まだ多くのものをF1に与えられる」と語った。

    アロンソの将来を巡っては、2026年限りで現役を退く可能性も含めてさまざまな憶測が続いている。一方、ホンダ側もアロンソにアストンマーティンのプロジェクトに残ってほしいとの意向を示しており、その決断に注目が集まっている。

    バトン「個人的にはもう少し長く続けてほしい」
    バトンはアストンマーティンの公式サイトで、アロンソの将来について自身の考えを明かした。

    「フェルナンドの将来は今、大きな話題になっている。彼がもう1年F1を続ける決断をするのかどうか、私にはまったく分からない。ただ、いつ引退を決断したとしても、F1史上最高のドライバーのひとりとして正当に評価されることは分かっている」

    「ただ、個人的にはもう少し長く続けてほしいと思っている」

    2009年F1ワールドチャンピオンのバトンは、自身が36歳でF1から退いたときには、すでに引退すべき時期が来たことを自覚していたという。

    「私は自分がF1を引退すべき時が来たことを分かっていた。36歳で引退したから、フェルナンドより9歳若かったけれど、私は準備ができていた」

    「その前の2年ほどは、レースをすることに苦しんでいた。本当の意味ではそこにいたいと思えていなかったからだ。自分にはもう新しく成し遂げるものがないように感じていた。そこまで来れば、去る時だと分かる」

    「フェルナンドにはまだエキサイティングな挑戦がある」
    しかし、現在のアロンソは当時の自分とは違うとバトンは考えている。その最大の理由が、アストンマーティンで進められているプロジェクトだ。

    「フェルナンドにとって違うのは、まだ目の前にエキサイティングな挑戦があることだと思う」

    「もちろん今年は厳しい。でも、アストンマーティンにいて、エイドリアン・ニューウェイのような人と仕事をするという意味では、今もエキサイティングな時期だ」

    「どんなF1ドライバーだって、彼が設計したマシンでレースをしたいと思うだろうし、彼がこのチームを前進させていくところを間近で経験したいと思うはずだ」

    バトンはさらに、アロンソが2018年限りで一度F1を離れながら、2021年に復帰した経験も、今回の決断に大きく影響するとみている。

    「将来を決めることがどれだけ難しいかは私にも分かる。そして彼は以前にも一度それを経験している」

    「彼はF1を離れて、その後戻ってきた。つまり、明らかにあのときは早く離れすぎたということだ。だから今度は、自分がもうF1にいたくないと100%確信するまで、去ることはないと思う」

    「アストンマーティンで勝利を争う姿を見たい」
    バトンは、年齢にかかわらずアロンソの才能と勝利への意欲は失われていないと強調する。

    「フェルナンドには、まだF1に与えられるものがたくさんある。私は彼がアストンマーティンで勝利を争う姿を見たい。それこそ彼がいるべき場所だし、このチームが目指している場所でもある」

    「彼は本来ならもっと多く勝っているべきだった。何度か不運な状況に置かれてきたし、そのひとつは私と一緒だったときでもある。でも、才能とハングリーさは今も残っている。それこそがF1に残り、競争力を維持するうえで重要なことだ」

    ジェンソン・バトンとフェルナンド・アロンソ

    シューマッハとのバトルに匹敵するアロンソ
    マクラーレン時代にアロンソと同じチームで戦ったバトンは、その実力をミハエル・シューマッハと並べて評価している。

    「フェルナンドに対してできる最大の賛辞は、彼と戦うことがミハエル・シューマッハと戦うことにとても似ていたということだ」

    「私の経験では、彼らとのバトルはハードだけれどフェアだった。毎回限界ギリギリで、それが大好きだった。それも挑戦の一部だった」

    「私がハンガリーで初めてグランプリに勝ったときも、彼らと戦っていた。ドライバーとして望むのはそういうことだ。最高のドライバー、偉大なドライバーたちと戦って、自分がどれだけ通用するのかを確かめたい」

    バトンは自身のF1キャリアを通じて、アロンソとシューマッハだけでなく、ミカ・ハッキネン、キミ・ライコネン、ルイス・ハミルトン、マックス・フェルスタッペンとも戦ってきた。

    「私は本当に幸運だった。フェルナンドやミハエルだけでなく、ミカ・ハッキネン、キミ・ライコネン、ルイス・ハミルトン、マックス・フェルスタッペンといった、このスポーツの本当のレジェンドたちと戦うことができた」

    「走っているのを見ればすぐフェルナンドだと分かる」
    その歴代の名手たちのなかでも、アロンソには一目で分かる独特のドライビングスタイルがあるとバトンは語る。

    「フェルナンドを際立たせているのは、そのドライビングスタイルだ。すべてのマシンを同じ色に塗って、全ドライバーをコースに出したとしたら、その違いを見分けるのは難しいと思う」

    「でも、フェルナンドが目の前を走り過ぎれば、すぐに彼だと分かる。それは彼がステアリングの向こう側でやっていることによるものだ」

    「フェルナンドのドライビングは誰とも違う。アグレッシブで、素晴らしい適応力がある。それは彼のキャリアを通じてずっと変わっていない」

    アロンソは2026年にアストンマーティン・ホンダとして新たな時代を迎えたものの、ここまでは期待されたほどの結果を残せていない。それでもバトンは、アロンソには依然としてトップレベルで戦う才能と意欲があり、ニューウェイとともにアストンマーティンを勝利へ導くという「エキサイティングな挑戦」が残されていると考えている。

    一度F1を離れながら復帰した経験があるだけに、バトンの見立てでは、アロンソが次に引退を決断するのは、自らが「100%」納得したときになる。

  • ミハエル・シューマッハがバリチェロをフェラーリF1で6年間必要とした理由

    ミハエル・シューマッハがバリチェロをフェラーリF1で6年間必要とした理由

    ジェンソン・バトンが、ルーベンス・バリチェロとチームメイトになって初めて知ったという意外な能力を明かした。2009年F1ワールドチャンピオンによれば、バリチェロはマシンの挙動を理解し、その情報を開発につなげる能力が極めて高かったという。

    その能力を間近で目にしたことで、バトンはミハエル・シューマッハがフェラーリ時代にバリチェロを長年チームメイトとして必要とした理由を理解したと語っている。

    フェラーリ黄金期を支えたバリチェロ
    バトンとバリチェロは、2006年から2008年までホンダでチームメイトを務めた。これによりバトンは、2000年から2005年まで6シーズンにわたってシューマッハとフェラーリで戦ったバリチェロの仕事ぶりを間近で見ることになった。

    バリチェロが在籍したフェラーリは、2000年から2004年まで5年連続でコンストラクターズタイトルを獲得。シューマッハも同じ5年間でドライバーズタイトルを5連覇し、フェラーリはF1史に残る黄金期を築いた。

    2006年にフェラーリを離れてホンダへ移籍したバリチェロは、当時のF1で最も成功していたチームで培った豊富な経験を持ち込んだ。

    その2006年、バトンはハンガリーGPでF1初優勝を達成している。

    F1公式ポッドキャスト『Beyond the Grid』で、これまで一緒に仕事をしたなかで「エンジニアリングやマシン開発という面で最も優れていたドライバーは誰か」と尋ねられたバトンは、迷うことなくバリチェロの名前を挙げた。

    「この質問は何度もされたことがある。エンジニアリングという点で、誰が一番優れたドライバーだったと思うかってね。圧倒的にルーベンスだった」

    マシンの問題を理解して開発へつなげる能力
    バトンが特に高く評価したのは、単にマシンの状態をエンジニアへ伝える能力だけではない。バリチェロ自身がマシンの挙動を深く理解し、何を変更すべきなのかまで考えられる点だった。

    「チームとの仕事やマシンの開発、コース上でマシンが何をしているのかを理解して、それをチームに伝える能力が本当に優れていた」

    「それだけじゃなくて、エンジニアにすべて任せるのではなく、自分自身でマシンに何をすべきなのかを理解していた」

    ドライバーから得られるフィードバックは、セットアップだけでなくマシン開発の方向性を決める重要な材料となる。バトンによれば、バリチェロはその領域で際立った能力を持っていた。

    そして、その仕事ぶりを実際に経験したことで、バトンにはフェラーリ時代のシューマッハとバリチェロの関係についても新たに見えてきたものがあった。

    シューマッハが6年間チームメイトに望んだ理由
    シューマッハとバリチェロは2000年から2005年まで6シーズンにわたってフェラーリでコンビを組んだ。

    成績ではシューマッハが明確に上回っていたが、フェラーリはバリチェロを長期間その隣に置き続けた。バトンはホンダで一緒に仕事をしたことで、その理由が理解できたという。

    「なぜミハエルがあれほど長い間、彼をチームメイトにしたがっていたのか分かるよ」

    「僕も一緒にレースをするようになって、その経験をすることができた。ルーベンスが持っている能力を実際に見ることができたんだ。それまでは、彼にそんな能力があるなんて想像もしていなかった」

    バリチェロの価値は、レースでポイントを獲得してコンストラクターズ選手権に貢献することだけではなかった。シューマッハとともにマシンを速くするための開発作業を進められることも、フェラーリにとって重要な要素だったというのがバトンの見方だ。

    ミハエル・シューマッハとルーベンス・バリチェロ

    ホンダに持ち込んだフェラーリでの経験
    ただしバトンは、バリチェロがホンダへ移籍したことで、それまでチームになかった「勝者のメンタリティ」が持ち込まれたという見方には否定的だ。

    「勝者のメンタリティということではないと思う」

    「だって、僕たちはみんな勝ちたい。勝つためにできる限りのことをしているからね」

    当時のホンダにも、F1で勝利するために必要な人材と意欲はすでに存在していたとバトンは振り返る。

    「ホンダにはすでに勝利を目指すための人材も野心もあった。問題はむしろマシンのパフォーマンスだった」

    「フェラーリと戦っているのはアマチュアのチームじゃない。何百人もの人たちが働いていて、このスポーツで膨大な経験を持っている」

    「だから、勝つためのメンタリティはずっとあったと思う。ただ、それを実現するために必要なパッケージが完全には揃っていなかったんだ」

    その一方で、フェラーリから加入したバリチェロの技術的なフィードバックには大きな価値があった。

    「でも、経験豊富な2人のドライバーからフィードバックを得られたことは本当に重要だったと思う」

    「当然、チームはルーベンスの意見をかなり聞いていた。彼はフェラーリから来て、ミハエルと一緒に仕事をしていたんだからね」

    ホンダ撤退後も続いたコンビが2009年にF1王座
    バトンとバリチェロの関係は、ホンダが2008年限りでF1から撤退した後も続いた。

    ホンダのF1チームはロス・ブラウンによって引き継がれ、2009年にブラウンGPとして参戦。バトンとバリチェロはそのままドライバーを務めた。

    ブラウンGPは参戦初年度から圧倒的なスタートを切り、バトンがドライバーズタイトルを獲得。チームもコンストラクターズタイトルを手にし、わずか1シーズンだけ活動したチームとしてF1史に残る成功を収めた。

    バリチェロはフェラーリでシューマッハとともに5度のコンストラクターズタイトル獲得に貢献した後、ホンダを経てブラウンGPでもタイトル獲得を経験したことになる。

    ブラウンGPがメルセデスに買収された後、バリチェロは2010年にウィリアムズへ移籍。2011年までF1で戦い、同年のブラジルGPが最後のF1出走となった。

    その後もモータースポーツから離れることはなく、現在もブラジルのストックカー・プロ・シリーズでレース活動を続けている。

    シューマッハのフェラーリ黄金期では、その圧倒的な成績からバリチェロは「ナンバー2」として語られることも多い。しかし、後に実際にチームメイトとなったバトンの証言は、バリチェロがマシン開発と技術的フィードバックという目立ちにくい領域でも重要な役割を担っていたことを示している。

  • ウィリアムズF1とBARホンダが争奪戦 ジェンソン・バトン契約騒動の舞台裏

    ウィリアムズF1とBARホンダが争奪戦 ジェンソン・バトン契約騒動の舞台裏

    2004年8月5日、ウィリアムズF1はジェンソン・バトンと2005年から2年間の契約を結んだと発表した。しかし、この契約はBARホンダとの間で大きな法廷闘争へと発展し、最終的にはF1史に残る契約トラブルとして語り継がれることになった。

    契約承認委員会(CRB)は最終的にBARホンダ側の主張を認め、バトンのウィリアムズ復帰は実現しなかった。この判断は、その後のバトンのキャリアを大きく左右する転機となった。

    ウィリアムズは契約成立を確信
    2004年8月5日、ウィリアムズはバトンが2005年と2006年にチームへ加入すると正式発表した。

    当時、ウィリアムズはBARホンダが保有していた契約オプションを期限内に行使しなかったため、バトンはフリーエージェントになったと判断していた。

    フランク・ウィリアムズは当時、契約の有効性に強い自信を示していた。

    「まず明確に言えるのは、我々はジェンソンとの契約を保有しているということだ」

    「BARはこれに異議を唱えているようだ。しかし我々は、BARがジェンソンを引き留めるオプションを失効させたと確信している。2005年に彼がウィリアムズで走ることに疑いはない」

    BARホンダが即座に異議申し立て
    しかし、BARホンダ代表だったデビッド・リチャーズは発表直後から反論した。

    BARホンダは、すでに2005年の契約オプションを正式に行使しており、バトンは引き続きチームの所属であると主張。この問題はF1契約承認委員会(Contract Recognition Board:CRB)に持ち込まれることになった。

    そして2004年10月20日、CRBはBARホンダ側の主張を全面的に支持。2005年について有効な契約はBARホンダとの契約のみであり、ウィリアムズとの契約は認められないとの裁定を下した。

    判定を受け、バトンは次のようにコメントした。

    「もちろん今回の裁定には失望している。でも原則として、CRBが下した判断は尊重すべきだと考えている」

    「このプロセスを通じて、BARはサーキットでも非常にプロフェッショナルだった」

    一方、フランク・ウィリアムズも裁定を受け入れながらも無念さを隠さなかった。

    「当然ながら、この結論には失望している」

    「ジェンソンは、そのために法的な争いを起こす価値があるドライバーだと考えていた。強力な法的助言に基づいて動いたものであり、今回の挑戦を後悔してはいない」

    2006年契約も買い取りで決着
    しかし、騒動はこれで終わらなかった。

    ウィリアムズは2006年については依然として有効な契約を保有していると主張。一方のバトンは、BARホンダへの残留を希望し、移籍を望まなくなっていた。

    最終的には、バトンが推定1800万ポンド(当時)の違約金を支払い、ウィリアムズとの契約を買い取る形で決着したと報じられている。正確な金額は公表されていない。

    バトンは当時、次のように語っている。

    「フランクと僕の問題を解決できて本当にうれしい」

    「決して居心地のいい状況ではなかった。でも、これ以上事態が悪化する前に解決できたことに感謝している」

    結果的にF1王者への道を切り開く転機に
    この契約騒動は、結果的にバトンのF1キャリアを大きく変える出来事となった。

    BARホンダは2006年からホンダF1となり、バトンは同年のハンガリーGPでF1初優勝を達成。その後、ホンダのワークスチームは2008年限りで撤退したものの、チームはブラウンGPとして再出発を果たす。

    そして2009年、バトンはブラウンGPでドライバーズタイトルを獲得。もし2005年にウィリアムズへ移籍していれば、このシンデレラストーリーは実現していなかった可能性が高く、今回の契約騒動はF1史を大きく変えた一件として今なお語り継がれている。

  • ジェンソン・バトン F1初勝利20周年「この時間が永遠に続いてほしいと思った」

    ジェンソン・バトン F1初勝利20周年「この時間が永遠に続いてほしいと思った」

    ジェンソン・バトンがF1初優勝を飾った2006年ハンガリーGPから20周年を迎えた。ホンダは当時のHonda Racing F1 Teamで成し遂げた歴史的勝利を振り返り、バトン本人がHonda RACING Galleryで初優勝当時の思い出やホンダとの絆について語った。

    14番グリッドから逆転優勝を果たしたこのレースは、ホンダにとって約40年ぶりのワークス優勝となり、現在も同社のF1史を代表する名勝負として語り継がれている。

    112戦目でつかんだ悲願のF1初優勝
    それまで112戦にわたってF1初勝利に届かなかったジェンソン・バトンは、2004年にはBARホンダで10度の表彰台を獲得しながらも優勝にはあと一歩届かなかった。2005年も表彰台には上がったものの勝利は遠く、自身も「一生勝てないのではないか」と感じるほどだったという。

    迎えた2006年ハンガリーGP。ハンガロリンクはバトンが「壁のないモナコ」と表現するほど得意とするサーキットであり、Honda RA106も高い競争力を備えていた。

    しかし金曜日のフリー走行でエンジン交換を余儀なくされ、予選では4番手相当の速さを見せながらも10グリッド降格ペナルティを受け、14番手スタートとなった。

    さらに決勝直前には豪雨がサーキットを襲い、各チームとも十分なウエットデータを持たないままレースに臨むという極めて難しいコンディションとなった。

    変化する路面で発揮された真価
    現在では2009年のワールドチャンピオンや通算15勝という実績から知られるバトンだが、その真価は変化するコンディションでこそ発揮された。

    卓越したマシンコントロールとタイヤマネジメント、そして路面状況を読み取る能力を武器に、14番手スタートからわずか4周で7位、7周目には4位まで浮上した。

    レース中盤にはセーフティカー導入時にあえてピットインしないという戦略を選択。さらに2度目のピットストップではタイヤ交換を見送り、中古ウエットタイヤのまま走り続ける大胆な判断が奏功した。

    首位を走っていたフェルナンド・アロンソはドライタイヤへの交換後、ホイール装着トラブルによってリタイア。これによりバトンがトップへ浮上すると、その後は圧倒的なペースで後続との差を20秒以上まで広げた。

    「この時間が永遠に続いてほしかった」
    初優勝へ向かう終盤について、バトンは今でも鮮明に覚えているという。

    「よく『初優勝に向けてトップを走っているときは、時間が永遠のように感じる。マシンのちょっとした異音にも敏感になる』と言うけれど、僕にとっては最高だった。ただ、この時間が永遠に続いてほしいと思ったよ」

    「自分がトップを走っていて、初めてのレースに勝とうとしていると実感したあの瞬間。それは本当に特別なものだった」

    チェッカーフラッグを受けると、ホンダは1967年イタリアGP以来となるワークスチームでのF1優勝を達成。レース後、バトンは「14番手から追い上げて勝てるなんて、これ以上最高の勝ち方はないと思うよ」と喜びを語っていた。

    ジェンソン・バトン ホンダ F1

    20年経っても変わらないホンダとの絆
    バトンは今回、ホンダとの歩みについて改めて振り返り、日本人スタッフへの敬意も口にした。

    「これまでのキャリアの中で、僕自身にとって重要であり、同時にホンダにとっても大きな意味を持つ瞬間が数多くあった。だから、ホンダや日本の人々とのつながりはとても大きかったし、今でも強くそう感じているんだ」

    さらに、日本のエンジニアたちが昼夜を問わず問題解決に取り組む姿勢を称賛し、初優勝の瞬間をこう振り返った。

    「日本人の勤勉さには本当に驚かされる。彼らは自分自身のベストを引き出し、共に働くチームのベストを引き出すために人生を懸けている。だから最後に溢れ出る感情はとても純粋なものになる」

    「ハンガリーで僕らが一緒に初勝利を挙げてフィニッシュラインを越えたとき、あんなにたくさんの大人の男たちが泣いているのを見たのは初めてだった。本当に感動的な瞬間だったよ」

    20年が経った今も、2006年ハンガリーGPで挙げたホンダF1通算72勝目は、チームワークと忍耐、そして決して諦めない挑戦が生んだ歴史的勝利として、ホンダとジェンソン・バトンを結ぶ特別な一戦であり続けている。

  • アストンマーティンF1苦戦は想定内?バトン「ニューウェイ加入もホンダも遅かった」

    アストンマーティンF1苦戦は想定内?バトン「ニューウェイ加入もホンダも遅かった」

    アストンマーティンF1のアンバサダーを務めるジェンソン・バトンは、2026年シーズンの苦戦は「ある程度予想できたことだった」との見解を示した。エイドリアン・ニューウェイの加入時期が遅れたことに加え、2026年からパワーユニット(PU)供給を開始したホンダも開発面で不利なスタートを切らざるを得なかったことが背景にあると分析している。

    一方でバトンは、ニューウェイの手腕とホンダとのパートナーシップには揺るぎない信頼を寄せており、現在の苦戦は一時的なものだと強調。

    さらにフェルナンド・アロンソについても、チーム復活のために今後も欠かせない存在だと語った。

    苦戦は「ある意味では予想できた」
    アストンマーティンは2026年からホンダ製PUを採用し、新レギュレーション時代に向けた大型プロジェクトを始動させた。しかし、シーズン前半は期待を大きく下回るパフォーマンスに苦しみ、ハンガリーGPで投入予定の「AMR26B」に巻き返しを託している。

    こうした現状についてバトンは、驚くべき結果ではないと語る。

    「厳しい状況なのは確かだ。でも、ある意味では予想できたことでもあった。エイドリアン・ニューウェイはチームへの加入が非常に遅かったし、ホンダとの契約もかなり遅い段階で決まった。ホンダにとっては完全に新しいプロジェクトだったし、他メーカーはずっと以前からこのパワーユニットの開発を進めていた」

    ホンダは2021年末にF1ワークス活動を終了した後、2023年に復帰を決断した。そのため開発体制を再構築する必要があり、2026年PUの開発では他メーカーより準備期間が短かったとみられている。

    ニューウェイ加入の遅れも影響
    バトンは、現在の苦戦は一つの要因だけで説明できるものではないと指摘する。

    ニューウェイが本格的にチームへ加わった時期が遅れたことで、マシン開発スケジュールにも影響が生じたほか、新PUへの対応や組織体制の整備など、多くの課題を同時に抱えていたという。

    さらにアストンマーティンについても、設備投資は進んでいるものの、トップチームと互角に戦える組織としてはまだ成熟の途上にあるとの見方を示した。

    「時間はかかるし、競争力がない状況は誰にとってもフラストレーションがたまる。でも、エイドリアンとローレンス・ストロールのリーダーシップのもとで、このチームにはエキサイティングなことが待っている。良いチームになるのは時間の問題だ」

    ニューウェイは最高のエンジニア
    AMR26の苦戦を受け、一部ではニューウェイの責任を指摘する声もある。しかし、バトンはそうした見方を否定し、その能力を高く評価した。

    「彼は革新的な発想をする人物だ。本当に特別な存在だ。思いつくアイデアは驚くべきものだし、複数のチームで世界選手権を制してきた実績がすべてを物語っている。ニューウェイは最高のエンジニアだ」

    さらに、「彼は常識にとらわれず考え、限界を押し広げる。本物の天才だ。アストンマーティンは最適な人物を迎え入れたと思う。これからも彼の仕事を見続けたい」と賛辞を惜しまなかった。

    また、チーム全体についても将来性に自信を示した。

    「必要なものはすべて揃っている。ホンダという素晴らしいパートナーがいて、エイドリアンが空力開発を率い、多くの優秀な人材もいる。ただ、それは一夜にして実現するものではない。ファンがもどかしさを感じるのは理解できるけれど、F1は非常に高度な技術競争なんだ。忍耐強く待つ必要がある」

    アストンマーティン・コグニザント・フォーミュラワンチーム

    アロンソには残ってほしい
    バトンは、アストンマーティン復活のためにはフェルナンド・アロンソの存在も重要だと考えている。

    「フェルナンドには残ってほしい。彼には大きな敬意を抱いているし、レーシングカーで何ができるのかを証明できるドライバーだからだ。アストンマーティンでその力を示してほしい」

    契約延長の可能性については、「チームが進歩し、マシンが正しい方向へ向かっていると感じられれば、その可能性は十分あると思う」と語った。

    さらに、マクラーレン・ホンダ時代にチームメイトだったアロンソとの思い出も振り返った。

    「フェルナンドとは2年間チームメイトだった。本当に素晴らしい経験だった。彼が仕事をする姿を見るのは楽しかったし、あの頃は僕たちにとって厳しい時期でもあった。だからこそ、彼にはこれからも続けてほしい」

    最後にバトンは、アロンソが引退を選んだとしても、その決断は尊重するとしながらも、ファンとしては現役続行を望んでいると語った。

    「もちろん引退を決断したとしても、その判断は尊重する。レーシングドライバーは自分にとって最善の決断をしなければならない。でも、一人のファンとしては、これからも何年もレースを続ける姿を見たい」

    アストンマーティンはハンガリーGPでAMR26Bを投入する予定となっており、2026年後半戦の巻き返しを目指している。バトンは現在の苦戦を一時的なものと捉えており、ニューウェイ、ホンダ、そしてアロンソという強力な布陣が揃うことで、将来的にはトップ争いに加わるチームになるとの期待を示した。

    【関連】
    ・アストンマーティンF1がニューウェイを信頼 MP4-20をモンスターに変えた開発秘話

  • アストンマーティン・ホンダF1に“特効薬”なし バトンが大型アップデートに警鐘

    アストンマーティン・ホンダF1に“特効薬”なし バトンが大型アップデートに警鐘

    アストンマーティン・ホンダF1はハンガリーGPで今季初の大型アップデートを投入する予定だが、チームアンバサダーを務めるジェンソン・バトンは「すぐに状況を変える特効薬にはならない」との見方を示した。

    今季のアストンマーティンは開発リソースを一度に投入する方針を採り、他チームのような小規模アップデートを重ねてこなかった。その結果、直近では予選ペースでキャデラックにも約1秒遅れる苦戦を強いられている。

    一方で、ザントフォールトではホンダがパワーユニットのアップグレードを投入する予定となっており、シーズン後半の巻き返しに期待が集まっている。

    大型アップデートは「正しい方向への一歩」
    Crash.netの取材で、大型アップデートの成功基準を問われたバトンは、まずは他チームと戦えるレベルに近づくことが重要だと語った。

    「まず第一に、ほかのマシンと競争できるようになることだ」

    「彼らはこの大型アップデートのために、シーズンを通してアップグレードを投入してこなかったことを忘れてはいけない。昔のF1はこういう形だった。毎戦のように細かな改良を重ねるのではなく、数戦ごとに大きなアップデートを入れて、一気にコンマ5秒改善するといったものだった」

    そのうえで、エイドリアン・ニューウェイへの信頼は揺るがないと強調した。

    「どれだけパフォーマンスが向上するかは分からない。でも私はエイドリアンを信じている」

    「もちろん、このアップグレードだけで表彰台争いができるようになるとは思っていない。それでも正しい方向への一歩となり、2027年へ向けた土台になるはずだ」

    「F1に特効薬は存在しない」
    バトンは、トップチームとの差を短期間で埋めることの難しさも強調した。

    「マクラーレン、メルセデス、フェラーリ、レッドブルのようなチームと戦うF1に特効薬はない」

    「彼らはこの世界で最高のチームだ。アストンマーティンの現在の位置から、わずか12か月でトップまで駆け上がるのは非常に難しい」

    エイドリアン・ニューウェイ(アストンマーティン・コグニザント・フォーミュラワンチーム)

    ニューウェイへの揺るがぬ信頼
    厳しいシーズンを送りながらも、バトンはニューウェイがチームを再建できると確信している。

    「私はずっとエイドリアン・ニューウェイのマシンをドライブしてみたいと思っていた」

    「彼がこれまで数々のチームで成し遂げてきたことは本当に驚異的だ。私は彼のマシンと何度も戦い、その多くに敗れてきた。それだけ彼の実力をよく知っている」

    そして、今回のアップデートは長期的なプロジェクトの第一歩だと締めくくった。

    「今年はチームにとって厳しいシーズンだが、私はこのチームの将来を本当に信じている」

    「大型アップデートを入れても、すぐに優勝争いをすることはないだろう。しかし確実に前進し、その成果は2027年、そして2028年へとつながっていくはずだ」

    【関連】
    ・アストンマーティン・ホンダF1 真の実力を示す時「大半の改革は終えた」

  • ジェンソン・バトンが語るF1モナコGPの魅力「街全体が勝利を祝ってくれる」

    ジェンソン・バトンが語るF1モナコGPの魅力「街全体が勝利を祝ってくれる」

    ジェンソン・バトンは、F1キャリアを通じて長年暮らしたモナコについて、単なる華やかな街ではなく、レーシングドライバーにとって理想的な拠点だったと振り返った。

    2009年のF1モナコGPを制したバトンは、モナコでの勝利を「興奮、アドレナリン、安堵が一度に押し寄せる瞬間」と表現し、フェルナンド・アロンソが今後インディ500に再挑戦すれば、モータースポーツのトリプルクラウン達成の可能性があるとも語った。

    モナコはレーシングドライバーにとって理想的な生活拠点
    ジェンソン・バトンは、モナコにはヨット、華やかさ、ナイトライフという一般的なイメージがある一方で、実際に暮らすとまったく違う側面も見えてくると語る。

    「モナコはいつも、自分にとって小さな別世界のように感じられた」

    「レーシングドライバーにとって、そこは生活の一部になる。F1キャリアを通じて何年もそこに住んでいたけど、モナコを特別にしているのは華やかさ以上に、レーシングドライバーの拠点として本当に素晴らしい場所だということだ」

    フランスとイタリアがすぐ近くにあり、海沿いから山道、イタリア国境付近のカフェまで簡単に移動できる環境は、ドライバーやアスリートにとって理想的だったという。

    バトンは、モナコ在住時代に多くのスポーツ選手やF1のライバルたちと顔を合わせ、一緒にサイクリングすることもあったと振り返る。

    モナコGPは「ミスがまったく許されない」特別な一戦
    バトンにとって、モナコGPは他のどのグランプリとも違う存在だった。

    「F1での勝利はすべて意味がある。でもモナコには、歴史があるからこその特別な重みがある。これまで何人もの偉大なドライバーがここで勝ってきたことを考える」

    「そして、ミスの余地がまったくないことにすぐ気づく」

    予選が週末全体を決めるほど重要である一方、決勝も精神的には極めて厳しい。バトンは、周回を重ねるごとにバリアが近づき、コースが狭くなっていくように感じると表現した。

    「半秒たりともリラックスする機会はない。特に勝利のチャンスがあると分かっているときはなおさらだ」

    2009年の勝利と“スーパーマンデー”
    2009年にモナコGPを制したバトンは、チェッカーを最初に受けた瞬間について、興奮と安堵が同時に訪れるものだったと振り返る。

    「モナコを特別にしているのは、街全体が一緒に祝ってくれることだ」

    「バルコニーの人々、ピットウォールから身を乗り出すメカニック、港のヨットにいるファン、どこを見ても満員のグランドスタンド。公国全体が表彰台の祝福の一部になるように感じる」

    バトンは、2009年の勝利翌日を「スーパーマンデー」と呼び、月曜の正午から深夜、あるいは翌朝早くまで祝ったと明かした。

    トリプルクラウンはアロンソに可能性
    モナコGPは、ル・マン24時間レース、インディ500と並ぶモータースポーツのトリプルクラウンの一角を成す。

    バトン自身はモナコを制しているが、3つすべてを獲得する未来は想像していないという。ル・マンには挑戦したものの勝利には届かず、インディ500については強い敬意を示しながらも「自分向きではない」と語った。

    一方で、フェルナンド・アロンソについては、トリプルクラウン達成に最も近い存在だと見ている。

    「フェルナンドはおそらく、誰よりもトリプルクラウンを達成するチャンスがある。彼はすでにモナコとル・マンで勝っていて、インディでもリードしたことがある。もしもう一度挑戦したいなら、間違いなくチャンスはある」

    初めてのモナコGPで起きたヘアピンの接触
    バトンは最後に、自身初のモナコGPにも触れた。初めてモナコを走ったのは、実はF1マシンでのレースだったという。

    その年、バトンはペドロ・デ・ラ・ロサとレース序盤にヘアピンで接触した。

    「今でも彼は、あれは自分のコーナーだったと言っている。でもヘアピンのアウト側から抜こうとするのは、うまくいくはずがなかった」

    バトンはその出来事を今では笑い話として振り返っており、デ・ラ・ロサについては今年後半の別の「Jenson’s Journal」で改めて登場すると予告した。

  • ジェンソン・バトン アントネッリのF1王座争いに太鼓判「スタート改善で無敵」

    ジェンソン・バトン アントネッリのF1王座争いに太鼓判「スタート改善で無敵」

    キミ・アントネッリ(メルセデス)は、2026年F1シーズン序盤で3連勝を飾り、チームメイトのジョージ・ラッセルに20ポイント差をつけてチャンピオンシップ首位に立っている。

    一方で、元F1ワールドチャンピオンのジェンソン・バトンは、アントネッリがさらに強くなるための明確な課題として、スタート時のポジションロスを挙げた。

    3連勝の裏で続くスタートの課題
    アントネッリはここまで、スプリントを含む6回のスタンディングスタートすべてで順位を落としている。フロントローからスタートしながら、オープニングラップで中団方向へ後退する場面もあり、マイアミGPでもポールポジションからターン1までに3番手へ下がった。

    その後、マックス・フェルスタッペンのスピンによって2番手に戻り、最終的にはフロリダで優勝。自身初勝利から3勝目までをすべてポールポジションからの勝利で飾るという、F1史上初の記録を作った。

    メルセデスは土曜スプリントでのスタート失敗について、アントネッリに誤った設定を与えていたことを認めている。決勝スタートに向けて一部は修正されたものの、バトンはこの問題が完全に解消されれば、アントネッリはさらに手がつけられない存在になると見ている。

    バトン「スタートを決めれば止められない」
    「本当に印象的だ」とジェンソン・バトンはスカイ・スポーツ・ニュースに語った。

    「最初の2勝には少し運もあったと思う。レーシングドライバーには誰にでも必要なものだ。でも彼はそれを生かし、自分のペースを示した。そして前回のマイアミは本当に印象的だった」

    「レース序盤はランド・ノリスに対して少し後手に回っていたが、そこから巻き返した。レース終盤のペースは非常に印象的だった」

    「彼のレースにはまだ大きく改善できる部分があると思う。彼はスタートで苦しんでいて、毎レース順位を落としている」

    「そこを正しくできるようになれば、彼は止められない存在になるように見える」

    速さは証明済み 課題は“勝ち方の安定性”
    アントネッリの速さは、すでに結果で示されている。3戦連続ポール・トゥ・ウインに加え、マイアミGPでは序盤の後退を挽回し、終盤のペースで勝利を引き寄せた。

    ただし、チャンピオン争いが進むほど、スタートでのロスは大きなリスクになる。序盤に順位を落とせば、接触や戦略の制約に巻き込まれる可能性が高まり、優位な週末を自ら難しくしてしまう。

    バトンの指摘は、アントネッリの弱点を強調するものではなく、むしろ今後の伸びしろを示すものだ。すでに勝てる速さを持つドライバーが、スタートという明確な課題を克服すれば、2026年F1タイトル争いにおける支配力はさらに高まることになる。

  • BARホンダ “隠し燃料タンク”で2戦出場停止 F1史に残る異例処分

    BARホンダ “隠し燃料タンク”で2戦出場停止 F1史に残る異例処分

    2005年5月12日、BARホンダがF1史上でも異例の2戦出場停止処分を科されてから、ちょうど21年を迎えた。“隠し燃料タンク”問題として知られるこの騒動は、現在でもF1界で語り継がれる代表的な技術規則違反のひとつとなっている。

    発端となったのは、2005年F1サンマリノGP後の車検だった。ジェンソン・バトンが3位、佐藤琢磨が5位でフィニッシュしたBARホンダだったが、FIAは車両内部に残された約15リットルの燃料を問題視。最低重量規定を巡る解釈が大きな波紋を呼ぶことになった。

    「空」とされたタンクに残っていた約15リットルの燃料
    問題は、BARホンダが燃料タンクを完全に空にしたと主張した後に発覚した。FIAはその後、タンク内の隠された区画に約15リットルの燃料が残っていることを確認した。

    この燃料を除いた状態でジェンソン・バトンのマシンを計量すると、重量は594.6kgだった。当時の最低重量である600kgを5.4kg下回っており、FIAはBARホンダが最低重量規定を実質的に回避していたと判断した。

    当時のFIA会長マックス・モズレーは、この件について厳しい見解を示した。

    「彼らはタンクに15リットルを残したまま、それが空だと我々に伝えた」

    BARホンダ側は燃料システムの構造上、その燃料は通常使用できないものだと主張したが、FIAの判断は覆らなかった。結果として、チームはサンマリノGPから失格となり、続くスペインGPとモナコGPの2戦を欠場することになった。

    技術的解釈と規則違反の境界線
    この一件が特異だったのは、単なる重量不足ではなく、燃料システムの設計そのものが問題視された点にある。燃料を搭載した状態では最低重量を満たしていても、実際には燃料を抜いた車体重量が規定を下回っていたため、FIAは競技上の優位性につながる重大な違反と見なした。

    F1では技術的な創意工夫が競争力の源泉となる一方で、その解釈が規則の限界を超えた場合には厳しい処分が下される。BARホンダの“隠し燃料タンク”問題は、その境界線を象徴する事例となった。

    ジェンソン・バトンと佐藤琢磨がポイント圏内でフィニッシュしたサンマリノGPの結果は取り消され、BARホンダはシーズン序盤の貴重な2戦を失った。チームにとっては競争力を示し始めた矢先の大きな痛手であり、F1史に残る異例の出場停止処分として記憶されている。

  • F1歴史を刻んだ実使用パーツが出品 ウィリアムズFW25やバトンのサイン品

    F1歴史を刻んだ実使用パーツが出品 ウィリアムズFW25やバトンのサイン品

    F1の名場面を刻んだ実使用パーツやサイン入りアイテムが、BUDDSの最新オークション「レーシング・レボリューション:モータースポーツ・タイムド・オークション」に出品されている。レースで実際に使用されたパーツやウェア、伝説的ドライバーのサイン入りアイテムなど、コレクターにとって価値の高い品々が並ぶ。

    オークションはすでに開始されており、5月5日まで実施される。

    F1の歴史を象徴する瞬間に触れられる希少な機会として、注目すべき出品アイテムの中から5点が紹介されている。

    ウィリアムズ最後のタイトル候補車を物語るフロントウイング
    2003年シーズンは、少なくとも現時点では、ウィリアムズがF1ワールドタイトルを本格的に争った最後のシーズンだった。

    ミハエル・シューマッハとフェラーリが支配していた時代の真っただ中で、ウィリアムズBMW FW25は強力な挑戦者として台頭した。ラルフ・シューマッハは初夏に2連勝を飾り、そのポテンシャルを示したが、より強烈な印象を残したのはチームメイトのファン・パブロ・モントーヤだった。モントーヤは残り3戦の時点で、チャンピオンシップリーダーのミハエル・シューマッハに1ポイント差まで迫った。

    その後、タイヤ規則の厳格化がウィリアムズのサプライヤーであるミシュランに、フェラーリのパートナーであるブリヂストン以上の影響を与え、さらにインディアナポリスでのペナルティも重なったことで、モントーヤのタイトル獲得のチャンスは消えていった。それでも2003年は、ウィリアムズの近代史における象徴的なシーズンとして残っている。

    ウィリアムズBMW FW25

    今回出品されているフロントウイングとノーズの一体アセンブリーは、その時代を記憶するうえで非常に貴重なアイテムといえる。

    ジェンソン・バトンのサイン入りヘルメット
    2009年F1ワールドチャンピオンであるジェンソン・バトンが、2015年に使用したヘルメットデザインの限定レプリカに自らサインを入れたアイテムも出品されている。

    2015年は、バトンにとってF1フル参戦としては最後から2番目のシーズンとなった。マクラーレンとホンダの再タッグは期待を大きく下回るスタートとなり、フラストレーションや多数のグリッド降格に見舞われたシーズンだった。

    ジェンソン・バトン F1 ヘルメット

    それでもバトンは、モナコでパッケージ初ポイントとなる8位入賞を果たし、オースティンではシーズン最高成績となる6位を記録するなど、苦境の中で光る瞬間を生み出した。サイン入りヘルメットは、その困難な時代を象徴する記念品として価値を持つ。