カテゴリー: ルーベンス・バリチェロ

  • ルーベンス・バリチェロ 元F1ドライバーが54歳でFIA世界カート選手権に復帰

    ルーベンス・バリチェロ 元F1ドライバーが54歳でFIA世界カート選手権に復帰

    元F1ドライバーのルーベンス・バリチェロが、54歳でFIA世界カート選手権の舞台に復帰する。世界選手権への参戦は2016年以来、約10年ぶりとなる。

    その前にはF1イタリアGPが開催されるモンツァで、かつてのチームメイトであるミハエル・シューマッハへのトリビュート企画に参加。フェラーリF2002をドライブする予定で、バリチェロにとって思い出深いマシンと再会することになる。

    54歳でFIA世界カート選手権に参戦
    ルーベンス・バリチェロは9月18日から20日にル・マンで開催されるFIA Karting世界選手権のKZ2 Mastersに出場する。

    バリチェロがFIA世界カート選手権に参戦するのは2016年以来。当時は2011年末にF1キャリアを終えた後も、さまざまなカテゴリーで現役活動を続けていた。

    今回のル・マン戦は、バリチェロ自身のプロジェクト「Barrichello Kart by Birel ART」にとっても重要な一戦となる。FIAのギアボックス付きカテゴリーに同プロジェクトが初めて参戦するためだ。

    KZ2 Mastersは、経験豊富なドライバーを対象とした国際カート界の主要カテゴリーのひとつ。今回の世界選手権参戦によって、バリチェロの名を冠したプロジェクトも新たな段階へ踏み出す。

    バリチェロはすでにル・マンで開催された準備レースにも出場しており、コースやマシンへの適応を進めている。

    そのレースではグループ予選3番手を記録し、予選ヒートでも複数回トップ5に入った。決勝では10番手前後で争うなど、世界選手権を前に一定の手応えを得ている。

    この実戦参加を通じて、バリチェロ自身がル・マンの要求に慣れるだけでなく、Barrichello Kart by Birel ARTの競争力を確認する機会にもなった。

    ルーベンス・バリチェロ F1 イタリアグランプリ

    モンツァではシューマッハのF2002をドライブ
    カートの世界選手権に向かう前に、バリチェロはF1イタリアGPが開催されるモンツァでも大きな注目を集める。

    フェラーリがミハエル・シューマッハを称えるために行うトリビュート企画の一環として、バリチェロは土曜日にシューマッハがドライブしたフェラーリF2002のステアリングを握る。

    F2002はF1史上でも特に象徴的なフェラーリの1台だ。シューマッハはこのマシンとともに2002年のF1ワールドチャンピオンに輝き、フェラーリは圧倒的な強さでシーズンを支配した。

    当時シューマッハのチームメイトだったバリチェロもフェラーリの成功に大きく貢献。2002年にはドライバーズランキング2位となり、フェラーリの黄金時代を支えた。

    今回のモンツァでは、そのキャリアを代表する時代と深く結びついたF2002を再びドライブすることになる。

    かつてガレージを共有したシューマッハへのトリビュート、そして約10年ぶりとなるFIA世界カート選手権への復帰。54歳となったバリチェロにとって、9月は自身のモータースポーツ人生を象徴する2つの舞台に立つ特別な期間となりそうだ。

  • ミハエル・シューマッハがバリチェロをフェラーリF1で6年間必要とした理由

    ミハエル・シューマッハがバリチェロをフェラーリF1で6年間必要とした理由

    ジェンソン・バトンが、ルーベンス・バリチェロとチームメイトになって初めて知ったという意外な能力を明かした。2009年F1ワールドチャンピオンによれば、バリチェロはマシンの挙動を理解し、その情報を開発につなげる能力が極めて高かったという。

    その能力を間近で目にしたことで、バトンはミハエル・シューマッハがフェラーリ時代にバリチェロを長年チームメイトとして必要とした理由を理解したと語っている。

    フェラーリ黄金期を支えたバリチェロ
    バトンとバリチェロは、2006年から2008年までホンダでチームメイトを務めた。これによりバトンは、2000年から2005年まで6シーズンにわたってシューマッハとフェラーリで戦ったバリチェロの仕事ぶりを間近で見ることになった。

    バリチェロが在籍したフェラーリは、2000年から2004年まで5年連続でコンストラクターズタイトルを獲得。シューマッハも同じ5年間でドライバーズタイトルを5連覇し、フェラーリはF1史に残る黄金期を築いた。

    2006年にフェラーリを離れてホンダへ移籍したバリチェロは、当時のF1で最も成功していたチームで培った豊富な経験を持ち込んだ。

    その2006年、バトンはハンガリーGPでF1初優勝を達成している。

    F1公式ポッドキャスト『Beyond the Grid』で、これまで一緒に仕事をしたなかで「エンジニアリングやマシン開発という面で最も優れていたドライバーは誰か」と尋ねられたバトンは、迷うことなくバリチェロの名前を挙げた。

    「この質問は何度もされたことがある。エンジニアリングという点で、誰が一番優れたドライバーだったと思うかってね。圧倒的にルーベンスだった」

    マシンの問題を理解して開発へつなげる能力
    バトンが特に高く評価したのは、単にマシンの状態をエンジニアへ伝える能力だけではない。バリチェロ自身がマシンの挙動を深く理解し、何を変更すべきなのかまで考えられる点だった。

    「チームとの仕事やマシンの開発、コース上でマシンが何をしているのかを理解して、それをチームに伝える能力が本当に優れていた」

    「それだけじゃなくて、エンジニアにすべて任せるのではなく、自分自身でマシンに何をすべきなのかを理解していた」

    ドライバーから得られるフィードバックは、セットアップだけでなくマシン開発の方向性を決める重要な材料となる。バトンによれば、バリチェロはその領域で際立った能力を持っていた。

    そして、その仕事ぶりを実際に経験したことで、バトンにはフェラーリ時代のシューマッハとバリチェロの関係についても新たに見えてきたものがあった。

    シューマッハが6年間チームメイトに望んだ理由
    シューマッハとバリチェロは2000年から2005年まで6シーズンにわたってフェラーリでコンビを組んだ。

    成績ではシューマッハが明確に上回っていたが、フェラーリはバリチェロを長期間その隣に置き続けた。バトンはホンダで一緒に仕事をしたことで、その理由が理解できたという。

    「なぜミハエルがあれほど長い間、彼をチームメイトにしたがっていたのか分かるよ」

    「僕も一緒にレースをするようになって、その経験をすることができた。ルーベンスが持っている能力を実際に見ることができたんだ。それまでは、彼にそんな能力があるなんて想像もしていなかった」

    バリチェロの価値は、レースでポイントを獲得してコンストラクターズ選手権に貢献することだけではなかった。シューマッハとともにマシンを速くするための開発作業を進められることも、フェラーリにとって重要な要素だったというのがバトンの見方だ。

    ミハエル・シューマッハとルーベンス・バリチェロ

    ホンダに持ち込んだフェラーリでの経験
    ただしバトンは、バリチェロがホンダへ移籍したことで、それまでチームになかった「勝者のメンタリティ」が持ち込まれたという見方には否定的だ。

    「勝者のメンタリティということではないと思う」

    「だって、僕たちはみんな勝ちたい。勝つためにできる限りのことをしているからね」

    当時のホンダにも、F1で勝利するために必要な人材と意欲はすでに存在していたとバトンは振り返る。

    「ホンダにはすでに勝利を目指すための人材も野心もあった。問題はむしろマシンのパフォーマンスだった」

    「フェラーリと戦っているのはアマチュアのチームじゃない。何百人もの人たちが働いていて、このスポーツで膨大な経験を持っている」

    「だから、勝つためのメンタリティはずっとあったと思う。ただ、それを実現するために必要なパッケージが完全には揃っていなかったんだ」

    その一方で、フェラーリから加入したバリチェロの技術的なフィードバックには大きな価値があった。

    「でも、経験豊富な2人のドライバーからフィードバックを得られたことは本当に重要だったと思う」

    「当然、チームはルーベンスの意見をかなり聞いていた。彼はフェラーリから来て、ミハエルと一緒に仕事をしていたんだからね」

    ホンダ撤退後も続いたコンビが2009年にF1王座
    バトンとバリチェロの関係は、ホンダが2008年限りでF1から撤退した後も続いた。

    ホンダのF1チームはロス・ブラウンによって引き継がれ、2009年にブラウンGPとして参戦。バトンとバリチェロはそのままドライバーを務めた。

    ブラウンGPは参戦初年度から圧倒的なスタートを切り、バトンがドライバーズタイトルを獲得。チームもコンストラクターズタイトルを手にし、わずか1シーズンだけ活動したチームとしてF1史に残る成功を収めた。

    バリチェロはフェラーリでシューマッハとともに5度のコンストラクターズタイトル獲得に貢献した後、ホンダを経てブラウンGPでもタイトル獲得を経験したことになる。

    ブラウンGPがメルセデスに買収された後、バリチェロは2010年にウィリアムズへ移籍。2011年までF1で戦い、同年のブラジルGPが最後のF1出走となった。

    その後もモータースポーツから離れることはなく、現在もブラジルのストックカー・プロ・シリーズでレース活動を続けている。

    シューマッハのフェラーリ黄金期では、その圧倒的な成績からバリチェロは「ナンバー2」として語られることも多い。しかし、後に実際にチームメイトとなったバトンの証言は、バリチェロがマシン開発と技術的フィードバックという目立ちにくい領域でも重要な役割を担っていたことを示している。

  • ビレルアート、ルーベンス・バリチェロとのコラボによる新カートラインを発表

    ビレルアート、ルーベンス・バリチェロとのコラボによる新カートラインを発表

    イタリアのカートメーカーであるビレルアートは、元F1ドライバーのルーベンス・バリチェロと共同開発した新ブランド「バリチェロ by ビレルアート」を正式に発表した。ビレルアートの技術と伝統に、バリチェロが長年抱き続けてきたカートへの情熱を融合させた新たなプロジェクトとなる。

    情熱と革新。この2つのキーワードが、リッソーネを拠点とするビレルアートとブラジル人ドライバーを結び付けた。

    今回の「バリチェロ by ビレルアート」は、ロバート・クビサ、ダニエル・リカルド、シャルル・ルクレールといったドライバーにちなんだ成功ブランドに続く、ビレルアートの最新ブランドとしてラインアップに加わる。

    このブランドは、昨年12月にバーレーンで開催されたロタックス・グランドファイナルの場で、すでに実戦デビューを果たしていた。DD2マスターズ・カテゴリーの全車両に投入され、ルーベンス・バリチェロ本人もレースに参戦。変わらず高い競争力を示している。

    ビレルアートとバリチェロの関係は長い歴史を持つ。ロタックス関連の国際的なカートイベントをはじめ、数々の大会での参加実績があり、2016年のFIAカート世界選手権KZ(クリスチャンスタッド)では、予選から決勝までビレルアートのシャシーで戦った経験もある。

    「バリチェロ by ビレルアート」のラインアップは、OKクラス(RB 30/32 S19 DD)、KZクラス(RB 30/32 S19 SH)、ミニカート(RB 28 S19)と、すべての主要カテゴリーをカバーする構成となる。

    バリチェロ by ビレルアート

    ブランドの外観は、バリチェロの象徴的なヘルメットデザインをベースにしたものだ。蛍光オレンジとメタリックブルーにホワイトを組み合わせたリバリーは、コース上で新鮮さとスピード感を強く印象付ける。基盤となるのは、ビレルアートの素材品質と新型S19シャシーの技術である。

    「バリチェロ by ビレルアートを正式に発表できて、とても嬉しく思っている。我々とルーベンスとの友情は長年にわたるもので、彼のカートへの情熱、この世界への想いは、どれほど多忙なキャリアを歩んできた今も決して消えていない」と、ビレルアートの社長兼CEOであるロニー・サラは語った。

    「ビレルアートで走るルーベンスの姿を見るのはいつも喜びだったが、彼の名前とカラーをまとったビレルアートであれば、その喜びはさらに大きなものになる」

    これに対し、バリチェロは次のように述べている。

    「ビレルアート・ファミリーの一員になれたことを本当に誇りに思っている。自分の名前を冠したカートを持つことは、ずっと夢だった。今もなお、このカートの世界に関わり続けているが、ここでの経験が、F1キャリアで私が体験したすべてを形作ってくれた」

    「カートは心からの情熱だ。世界中のサーキットで、たくさんのバリチェロ by ビレルアートが走る姿を見られることを、心から願っている」

  • ルーベンス・バリチェロ、ブラウンGP誕生の電話は「人生最高の一日だった」

    ルーベンス・バリチェロ、ブラウンGP誕生の電話は「人生最高の一日だった」

    ルーベンス・バリチェロは、2009年に誕生したブラウンGPが自身のF1キャリア、そして人生そのものにおいて特別な存在だったと振り返っている。消滅寸前だったチームが存続することを告げられた、一本の電話――その瞬間を、彼は「人生最高の一日だった」と表現した。

    元ホンダのチームがロス・ブラウンによって救われ、奇跡のシーズンへと動き出したあの日。

    バリチェロにとってブラウンGPの誕生は、単なるチーム再編ではなく、走る場所を失うかもしれなかった不安から解放された、感情あふれる転機だった。

    ブラウンGP誕生から17年が経った。2008年末、ホンダがF1撤退を決断したことで、チームは消滅の危機に瀕していたが、ロス・ブラウンはわずか1ポンドでチームを買収。数百人の雇用を守り、F1の舞台にチームを残す決断を下した。

    その後すぐにメルセデスとのエンジン契約をまとめ、2009年シーズンに向けてグリッド屈指のパワーユニットを確保する。そしてドライバー体制も維持され、バリチェロは自身17年連続となるF1シーズンを、すでに3年間在籍していたチームで迎えることになった。ブラウンGPには、確かな基盤が築かれていた。

    2009年のブラウンGPを支配的な存在へと押し上げたのが、革新的なディフューザーだった。ライバルチームがコピーするのに数か月を要したこの設計は、序盤戦で決定的なアドバンテージをもたらし、ブラウンはドライバーズ、コンストラクターズの両選手権で主導権を握った。

    チームメイトのジェンソン・バトンは、BGP001に初めて乗ったテストの段階でタイトルを狙えると感じたという。一方、バリチェロはマシン開発面で大きな役割を果たし、バトンから「最高のチームメイト」と評される存在だった。2007年、2008年の苦しいシーズンを通じて積み重ねてきた経験とフィードバックが、2009年の成功に生かされた。

    シーズン序盤、ブラウンGPは開幕7戦中6勝という圧倒的なスタートを切ったが、その勝利はいずれもバトンのものだった。バリチェロ自身の勝利はシーズン後半、バレンシアとモンツァで訪れることになる。

    そんな成功の原点にあったのが、チーム存続を告げられたあの日の電話だった。バリチェロは2011年のブラジルGPで、当時を次のように振り返っている。

    「電話が鳴って、相手はロスだった。彼は『準備はいいか?』と言った。すごく良い話にもなり得るし、すごく悪い話にもなり得る、とね」

    「『金曜日に来られるか?』と聞かれて、僕は『いつでも行けるよ、ロス』と答えた」

    「彼は『契約はある。来年も走ってほしい』と言ったんだ。家の中に入って、僕は泣いてしまった。その瞬間への感謝の気持ちでいっぱいだった。妻のシルヴァナに伝えた時、あれは人生最高の一日のひとつだった」

    ルーベンス・バリチェロ F1 ブラウンGP

    2009年の最終順位とキャリア最後の勝利
    2009年シーズン序盤は目立った結果を残せなかったバリチェロだが、シーズンが進むにつれてペースを上げていき、逆にチームメイトの勢いがやや落ち始めた時期と重なった。

    転機となったのはバレンシアでの勝利だった。その2戦後、フェラーリのティフォシに囲まれたモンツァで、彼は再びトップステップに立つ。ティフォシの前での勝利は、彼にとって特別な意味を持つものだった。

    それが彼にとって最後のF1勝利であり、通算11勝目でもあった。その事実には、どこか運命的なものがあった。

    最終的にチャンピオン争いには加われなかったものの、2009年はバリチェロがいかに才能あふれるドライバーだったかを改めて示すシーズンとなった。ドライバーズタイトルを獲得することなくキャリアを終えた中で、彼は「最も偉大な未戴冠ドライバー」のひとりとして、その名を刻んでいる。

  • F1レジェンド ルーベンス・バリチェロ 53歳でNASCARブラジルシリーズ王者に

    F1レジェンド ルーベンス・バリチェロ 53歳でNASCARブラジルシリーズ王者に

    元フェラーリF1ドライバーのルーベンス・バリチェロは、故郷サンパウロで行われた2025年シーズン第6戦に勝利し、NASCARブラジル・シリーズのタイトルを獲得した。

    53歳のバリチェロは、このカテゴリーでのルーキーシーズンで王者となり、F1キャリアの終焉からおよそ15年を経て再び栄冠を手にした。

    バリチェロは現代F1で最も認知度の高い名前のひとりであり、世紀の変わり目にフェラーリが支配していた時代にミハエル・シューマッハのチームメイトを務めた。ブラジル人の彼は2002年と2004年にシューマッハの後塵を拝してワールドチャンピオンシップ2位となり、また2009年にはブラウンGPでジェンソン・バトンのチームメイトを務め、その年のイタリアGP(モンツァ)で最後のF1勝利を挙げた。モンツァはフェラーリのホームレースでもある。

    バリチェロのF1キャリアは2011年シーズンの終わりに突然幕を閉じた。彼は同郷のブルーノ・セナにウィリアムズのシートを奪われた。ブルーノは3度のF1ワールドチャンピオン、アイルトン・セナの甥であった。

    しかし年齢を重ねながらも、バリチェロはF1引退後も活動を続けた。2012年にはインディカーに参戦し、2017年にはル・マン24時間にスポット参戦。ここ数年は様々なカテゴリーでレースを続け、2022年にはストックカー・プロ・シリーズのタイトルも獲得していた。そして今回、デビューシーズンとなるNASCARブラジル・シリーズで新たな王冠を手にした。

    今季のバリチェロは、まずインテルラゴス(F1サンパウロGPの開催地)での第3戦で2勝を挙げ、先月パラナ州のアウトドロモ・インテルナシオナル・デ・カスカヴェルでも勝利を収めた。そして土曜日にサンパウロのアウトドロモ・ベロチッタで優勝し、タイトルを決定づけた。その勝利により、バリチェロは合計180ポイントとなり、2位のチアゴ・カミロに32ポイント差をつけた。

    バリチェロは「胸がいっぱいで、本当に幸せだ」とコメントした。

    このトロフィーに加え、バリチェロは年末に米国で行われるNASCARアワード晩餐会に出席し、米国NASCARカップシリーズのドライバーたちと並んで表彰される予定である。

    ルーベンス・バリチェロ F1

    今回のタイトル獲得は、2018年に首の良性腫瘍を摘出してからわずか7年後の出来事でもある。

    当時、元F1スターのバリチェロは、自宅で激しい頭痛に襲われ病院に搬送されたことを明かしている。左側の首に腫瘍が見つかり、手術で摘出された。

    彼はブラジルの番組「Conversa com Bial」でこう語っていた。

    「自宅でシャワーを浴びていたら、突然頭に痛みを感じた。0から10で言えば、痛みのレベルは8か9だった。とても強烈だった!床に倒れ込んだ。誰も起こしたくなかったけど、とても痛かった。寝室に戻って妻のシルヴァナを起こした。吐き気がして、これは病院に行かなければいけないと悟った」

    「その後、健康状態を詳しく調べるために一連の検査を受けた。すると首に小さな腫瘍が見つかったんだ。それはインテルラゴスでレースをした後に摘出した。良性だったけど、放っておけば大きくなるし、マシンに乗るときに不快感を抱えることになるのは嫌だった」

    「僕たちの友人である医師が、僕の状態を見て危険だと気づいてくれた。僕はとても幸運だった。形成不全によって開いてしまった血管が、自分の血で2時間のうちに再生したんだ。病院に着いたとき、管を通して検査したら、血管はすでに閉じていた。退院するときに、医師から『この状況から生還できる人は14%しかいない』と言われた。多くの人が深刻な後遺症を負ったり、命を落とすこともあるんだ」

    F1からの突然の離脱に不満を抱えていたバリチェロは、その後も何度も復帰の噂が流れた。2014年には、当時存続の危機にあったケータハムの最後の3戦に参戦し、インテルラゴスで最終的なF1出走を果たす可能性も報じられた。しかし、その計画は頓挫し、シーズン最終戦アブダビではイギリス人のウィル・スティーブンスがレギュラードライバーの小林可夢偉と組んで参戦した。

    昨年、F1公式ポッドキャスト「Beyond The Grid」に出演した際、バリチェロは冗談めかして今もF1復帰の意欲があると語った。

    「もしフェルナンド・アロンソが僕に『アストンマーティンでチームメイトになってほしい』と言ってきたら、僕は今でも走れる準備がある」と話している。

  • 元F1ドライバーのルーベンス・バリチェロ、17年ぶりにフェラーリに帰還

    元F1ドライバーのルーベンス・バリチェロ、17年ぶりにフェラーリに帰還

    元F1ドライバーのルーベンス・バリチェロが、スクーデリア・フェラーリでF1を戦ってから17年ぶりにフェラーリに帰還し、ヴァレルンガ・サーキットでフェラーリのレーシングカーを走らせた。

    この機会は、イタリアGT選手権に出場するファビオ・バルディーニ率いるチーム、スクーデリア・バルディーニが主催するテストを通じてもたらされた。

    ルーベンス・バリチェロは、フェラーリの歴史の中で最も成功した車である488 GT3 Evo 2020の品質を比較検討。フォーミュラ・リージョナルでレースをする息子のエドアルド、ローマを拠点とするチームのためにイタリアのシリーズでいくつかのシーズンを争ってきたジャンカルロ・フィジケラとともにテストに参加した。

    ルーベンス・バリチェロは、バリチェロは、どちらも彼にとって初めてだった車とサーキットとの関係をすぐに築いた。

    フェラーリとルーベンス・バリチェロの間の将来のパートナーシップについてはまだ何も決定されていない。

    しかし、スクーデリア・バルディーニは以前、イタリア選手権で「ドリームチーム」で出場していた。 2019年の耐久シリーズでは、27号車のフェラーリにジャック・ヴィルヌーヴ、ジャンカルロ・フィジケラ、ステファノ・ガイが乗った。

    ジャンカルロ・フィジケラとジャック・ヴィルヌーヴの両方が他のコミットメントの衝突のためにいくつかのレースをスキップすることを余儀なくされたことで、ヴィルヌーブはシーズンの終わりにソロチャンピオンに輝いた。

    ルーベンス・バリチェロ フェラーリルーベンス・バルチェロ フェラーリ

  • ジェンソン・バトン 「バリチェロはF1で最も過小評価されている僚友」

    ジェンソン・バトン 「バリチェロはF1で最も過小評価されている僚友」

    2009年のF1ワールドチャンピオンであるジェンソン・バトンは、F1での17年間のキャリアで13人の異なるチームメイトと競い合った。

    ジェンソン・バトンのチームメイトになかには、BAR時代のジャック・ヴィルヌーブ、マクラーレン時代のルイス・ハミルトンとフェルナンド・アロンソというワールドチャンピオンもいる。

    特別顧問を務めるウィリアムズF1チームが制作した動画『Ask Me Anythiで最も過小評価されているチームメイトを指名するように求められたジェンソン・バトンは、2つの名前を選び出した。

    「難しい質問だね。ルーベンス(バリチェロ)かな。ルーベンスのエンジニアリングスキルが並外れていたからNe」と2009年のブラウンGPでチームを組んだルーベンス・バリチェロに言及した。

    「ルーベンスに敵う人は誰もいなかったので、チームメイトとしてルーベンスを迎えることは僕にとって素晴らしいことだった」

    「ケビン・マグヌッセンもそうかな。今、彼の実力を見ることができるよね? 彼はかなり速いだ。でも、初めから速かっただ。僕たちがチームメイトだったとき、スポーツの精神的な側面が彼を最も傷つけたと思う」

    ジェンソン・ボタンは、前戦マイアミでSky Sports F1のレポーターとして勤務しており、来年ラスベガスでレースを追加するF1のアメリカでの成功を賞賛した。

    F1が次の会場を追加する場合、どこかいいと思うかと質問されたジェンソン・バトン「ロサンゼルスだと思う」と冗談交じりに語った。

    「自分勝手ではあるけど、僕が住んでいる場所だからね…」

    「もしくはロンドンかな…ロンドンは素晴らしいグランプリになるだろう。何年もの間それについての話があったことを知っている。いつか起こるかもしれないね」

    最後に、JBXEエクストリームEチームのオーナーを務めているジェンソン・バトンは、いつかF1のチームプリンシパルになる見通しについて尋ねられた。

    「チームプランシパル?大変な仕事だtと思う」とジェンソン・ボタンは語った。

    「他のチームのプリンシパルと多くの議論があったけど、将来がどうなるかなんて誰にも分からないよね?」

    「今は若すぎると感じている。他にもたやりたいことがくさんあるけど、いつかはそうなるかもしれない」

  • カルロス・サインツ、ルーベンス・バリチェロへの発言は「見出し詐欺」

    カルロス・サインツ、ルーベンス・バリチェロへの発言は「見出し詐欺」

    カルロス・サインツは、自分がフェラーリで「バリチェロのようなドライバーになることに満足できない」と発言したように報じられたことに怒りを露わにした。

    ブラジル出身のルーベンス・バリチェロは、才能があり、経験豊富な熟練したドライバーだが、フェラーリ時代にトップスターのミハエル・シューマッハの明確なナンバー2の役割を果たしことが人々の記憶に鮮明に残っているのは確かだ。

    現在、カルロス・サインツは、フェラーリで、チームのナンバー1ドライバーと広く見なされているシャルル・ルクレールとペアを組んでいる。

    「バリチェロになることに満足するか? いいや、明らかに満足できない」とカルロス・サインツは語ったと AS は伝えた。

    だが、カルロス・サインツは、F1メディアが自分のコメントをどのように編集したかに「非常に失望した」と語った。

    「見出しを見たとき、非常に失望した」とカルロス・サインツは語った。

    「僕が尋ねられた質問は、自分がバリチェロとシューマッハのどちらを選ぶできるかとしてら、どうやって決めるかというものでした。だから、僕は7回のワールドタイトルを好むと言いたかった。それは僕にとって非常に理にかなっている」

    「誰もがこのように仕事をするわけではないことを認識しているけど、別の出版物から記事を印象した別の出版物の内容をある出版物が編集すると、最終的には1つの見出ししか残らないことを改めて度示している

    「今、ブラジル人は、ルーベンスが彼のキャリアで達成したことを軽視していると思って僕のことを批判している」

    「でも、僕は彼を批判する立場にはない。彼はたくさんのレースに勝ったけど、僕は一回も勝っていない。僕たちは良い友達であり、僕は彼をとても尊敬している」

    「だから、僕がそのようなストーリーを読んだとき、僕がどれほど失望したか想像することができると思う」

    またカルロス・サインツは、今後メディアをどのように扱うかについて新しいルールを設けることにしたと述べた。

    「原則として、僕は仲間のドライバー、特にフェラーリのためにグランプリと世界選手権で優勝したすべてのフェラーリドライバーについては何も語らないことにした」

  • ジェンソン・バトン、2009年のF1タイトル獲得の鍵は「メンタリティ」

    ジェンソン・バトン、2009年のF1タイトル獲得の鍵は「メンタリティ」

    ブラウンGPでルーベンス・バリチェロのエンジニアを務めたジョック・クレアは、2009年にジェンソン・バトンがバリチェロを倒してF1ワールドチャンピオンをかくとくできたのは、精神的にバトンの方が準備ができていたことが鍵だったと語る。

    ホンダF1チームをロス・ブラウンがマネジメントバイアウトして誕生したブラウンGPは、大幅なレギュレーション変更が導入された2009年に、ホンダF1が生み出したダブルディフューザーとメルセデスのF1エンジンの組み合わせで早い段階からタイトル争いを繰り広げた。

    ジェンソン・バトンは、最初の7レースのうち6レースで優勝。バリチェロはそのうちの3つで彼に次ぐ2位で、F1ヨーロッパGPとF1イタリアGPで優勝し、ドライバーズランキングでバトンから18ポイント差の3位に終わった。彼らの間には次の4年間チャンピオンを獲得するセバスチャン・ベッテル(当時レッドブル)が入った。

    2009年シーズンが開始した時点で36歳のルーベンス・バリチェロは9回の勝利を収めており、一方、29歳のジェンソン・バトンは3年前のF1ハンガリーGPで1勝を挙げただけだった。

    ジョック・クリアは、むしろ純粋なドライビングタレントよりも、ジェンソン・バトンが、ルーベンス・バリチェロに対する優位に立てたのは、すぐに準備ができたことと、その時代のスポーツマンとしてドライバーがどのように進化したかに帰属すると説明した。

    「時が来たとき、ジェンソンの方が準備ができていたと思う。ルーベンスはおそらく…ジェンソンのように早くにすべてが非常に強く見そうであることに気付いていなかったと思う」とジョック・クリアは BeyondtheGrid の中で述べた。

    「これはドライバーの心理に帰着する。これはおそらく古いドライバーと新しいドライバーのオーバーラップだ。マックス(フェルスタッペン)やルイス(ハミルトン)、シャルル(ルクレール)について話すと…彼らは再びそれを新しいレベルに引き上げた。ミハエル(シューマッハ)は90年代にそれを新しいレベルに引き上げた。そして、今のドライバーは新しいレベルに引き引き上げている」

    「ルーベンスはおそらくその最後だった。ミハエルの時代、ドライバーの心理学、ドライバーの準備はシンプルに『まあ、メルボルンの数週間前に走りに行って、腹筋運動をしておけば大丈夫だろう』という感じだった」

    「調子を上げたドライバーはどんどん調子を上げていったが、それは単に体調を整えているだけでなく、精神的な準備でもある。頭にギアを入れてしっかりと考えられるようにすることだ。『これについて考える必要がある。どのようにシーズンにアプローチしよう? 短期的な目標は何か? 長期的な目標は何か?』といったこと全体だ」

    「これは、他のスポーツがここ数年行っていることだ。アメリカのスポーツが20年間やっていて、陸上競技が20年間やっていて、F1はこれらのことに遅れていた。2009年に古いドライバーは必要条件としてこのようなことに慣れていなかった」

    「シーズンの初めにそれを完全にしていなければ、それが露呈することになった」

  • F1:ルーベンス・バリチェロ 「ハミルトンはシューマッハより優れている」

    F1:ルーベンス・バリチェロ 「ハミルトンはシューマッハより優れている」

    元F1ドライバーのルーベンス・バリチェロは、7回のF1ワールドチャンピオン獲得でミハエル・シューマッハの記録に並んだルイス・ハミルトンの方が“優れている”と語る。

    今シーズン、ルイス・ハミルトンは記録的なシーズンとなっており、ミハエル・シューマッハが保持していたF1史上最多勝利数では91勝という記録を破り、F1ワールドチャンピオン獲得数でも並んだ。

    それは、当然、誰が史上最高のF1ドライバーかという問題を提起した。

    ミハエル・シューマッハと長くチームメイトを組み、ルイス・ハミルトンの最初の5年間にF1で対戦したルーベンス・バリチェロは、その称号を得るのはハミルトンだと考えている。

    「ハミルトンの方がシューマッハよりも優れているか? そう思うね」とルーベンス・バリチェロは Soymotor に語った。

    「僕は両方と競争している。ハミルトンの初期の頃しかそこにいなかったけどね。でも、そう思う」

    ルーベンス・バリチェロは、フェルナンド・アロンソのF1復帰にも言及した。

    元F1ドライバーのフェリペ・マッサは、フェルナンド・アロンソの2021年のF1復帰は、ミハエル・シューマッハの復帰のように失敗に終わる可能性があると語っている。

    2回のF1ワールドチャンピオンであるフェルナンド・アロンソは、ダカールラリーやインディ500などの他のカテゴリーに2年間参加した後、F1に復帰する。

    最後にF1復帰した複数のF1ワールドチャンピオンは、2010年のミハエル・シューマッハとなる。

    ミハエル・シューマッハは、2016年にフェラーリでランキング2位でF1を去ったが、2010年にメルセデスからF1復帰。高い期待がかけられたが、3年間でわずか1回しか表彰台を獲得することができなかった。

    ルーベンス・バリチェロは、フェルナンド・アロンソはミハエル・シューマッハよりも準備が整っていると信じているが、それは彼が2018年の頃と同じドライバーであるという意味ではないと語る。

    「アロンソはインタビューを受けていた。彼は直接的なタイプなので、僕はインタビューしたくないけどね」とルーベンス・バリチェロは語った。

    「彼らは彼に尋ね。シューマッハに起こったことがあなたに起こる可能性はあるか?とね。彼は3年間離れて戻ってきたけど、良くはなかった」

    「アロンソは『僕はシューマッハよりも優れている』と言った」

    「彼は間違いなく準備が整っているし、シューマッハがカムバックしたときよりも、事前F1マシンを多く運転しており、ほぼ毎日カートを運転しているので、アロンソに問題が発生することはないと思う」

    「でも、彼が去ったときと同じレベルに戻るかどうかはわからない」