デビッド・クルサードが、レッドブル・レーシングでF1を戦っていた時代の印象的な無線エピソードを明かした。
姉妹チームのトロロッソに行く手を阻まれ、怒りのあまりチーム無線で「全員バカだ!」と罵倒。そのやり取りを、当時レッドブルのオーナーだったディートリッヒ・マテシッツが聞いていたという。
クルサードが振り返ったのは、レッドブルがまだ現在のようなF1のトップチームへと成長する前の出来事だ。レッドブル・レーシングとトロロッソは同じオーナーの傘下にありながら、コース上では独立したチームとして競争する。その方針を、クルサードは身をもって知ることになった。
新品タイヤでトロロッソの後方へ
クルサードは自身のF1キャリア終盤をレッドブル・レーシングで過ごし、クリスチャン・ホーナーらとともにチームの黎明期を支えた。
2006年にはレッドブルが2チーム体制を確立。レッドブル・レーシングに加え、ミナルディを買収して誕生したトロロッソが参戦していた。後者は現在のレーシングブルズにつながるチームである。
クルサードがポッドキャスト『Up To Speed』で語ったエピソードは、その初期の時代に起きたものだった。
「かなり昔の話だけど、ホッケンハイムで、おそらく2007年だったと思う。ピットストップを終えてコースに戻ったら、当時トロロッソと呼ばれていたマシンの後ろに出た。今のレーシングブルズだね」
クルサードは新品タイヤを履いていた一方、前を走るトロロッソは使用済みタイヤだった。両者は同じレッドブル傘下であり、レース戦略も異なっていたことから、クルサードはすぐに道を譲ってもらえると考えていた。
「僕は新品タイヤで、向こうは古いタイヤだった。それに僕たちは同じファミリーだった。どちらもレッドブルのチームだったからね」
そこでクルサードは無線を通じ、トロロッソ側に自分を先行させるよう伝えてほしいとチームに求めた。
「無線で『トロロッソに、僕たちはレースの違うフェーズにいると伝えてくれ』と言った。当時はレッドブル・レーシングもトロロッソも、コンスタントにポイントを獲得していた時代ではなかった。まだチームを作り上げている段階だったんだ」
譲らない姉妹チームにクルサードが激怒
しかし、前を走るトロロッソはポジションを譲らなかった。
「向こうは退かなかった。それでまた無線を入れて、『みんな、僕はここで時間を失っているだけだ』と言った」
現在とは違い、当時のF1にはDRSがなく、KERSもまだ導入されていなかった。ペース差があっても、コース上で追い抜くのは簡単ではなかった。
「KERSもなかったし、DRSもなかった。何とかして自分でオーバーテイクのチャンスを見つけるしかなかったんだ」
クルサードの苛立ちは次第に高まり、ついに我慢の限界を迎えた。
「結局、彼らは退かなかった。それで無線で『お前たちはバカだ。全員どうしようもない奴らだ!』って言っていたんだ」
この無線はテレビ中継では放送されなかった。クルサードとしては、あくまでチーム内部だけで交わされた怒りの言葉だった。
ところが、その無線を聞いていた人物の中には、レッドブルという組織で最も重要な人物のひとりがいた。
「そのあと、レッドブルのオーナーだったマテシッツさんが無線を聞いていたことを知ったんだ」

マテシッツが示した「2チームは独立」の哲学
ディートリッヒ・マテシッツに直接聞かれていたとなれば、クルサードが叱責されても不思議ではなかった。しかし、実際にはそうならなかった。
むしろクルサードは、この出来事を通じてマテシッツがレッドブルの2チームをどのように位置づけているのかを理解したという。
「彼の考え方はこうだった。レッドブルが所有するチームは2つある。でも、それぞれ独立して運営されていて、どちらがトップまで上がれるかを競っているんだ、とね」
レッドブル・レーシングとトロロッソは同じ企業の所有下にあっても、一方がもう一方をコース上で優遇することを前提としていなかった。少なくともマテシッツは、両チームを競争させることを重視していた。
クルサードは、その姿勢に敬意を抱いたという。
「僕はそれを尊重している。それに、彼があとから僕のところへ来て『二度と無線であんなことを言うな』と言わなかったことも尊敬しているよ」
ホーナーからは「褒め言葉をありがとう」
もっとも、クルサードの怒りの無線がチーム内で聞き流されていたわけではなかった。
ピットへ戻ると、当時レッドブル・レーシングのチーム代表だったクリスチャン・ホーナーやスタッフから反応があったという。
「放送には流れていなかった。でもピットに戻ったら、クリスチャン・ホーナーとチームのみんなから『ああ、褒め言葉をありがとう!』って言われたよ」
クルサードは2005年のレッドブル・レーシングF1参戦初年度からチームに所属し、2008年シーズン限りで現役を引退した。F1通算13勝を挙げ、ウィリアムズで1勝、マクラーレンで12勝を記録している。
レッドブルでは勝利を挙げることはできなかったものの、2006年モナコGPでチーム初表彰台を獲得するなど、その後の飛躍につながる基盤づくりに貢献した。
一方、ホーナーは2005年の参戦開始から長年にわたってレッドブル・レーシングを率い、複数のF1世界タイトル獲得を指揮。2025年イギリスGP後にチームを離れ、約20年に及ぶ代表としての時代に幕を下ろした。
同じレッドブル傘下だからといって、コース上で特別扱いするわけではない。クルサードの怒りの無線と、それを聞いても介入しなかったマテシッツの対応は、後にF1を代表する勢力へと成長するレッドブルの競争哲学を象徴するエピソードでもある。
