カテゴリー: トロロッソ

  • 元トロロッソ技術者 「ベッテルは所属するF1チームを勝てるチームに変える」

    元トロロッソ技術者 「ベッテルは所属するF1チームを勝てるチームに変える」

    元トロロッソの最高技術責任者であるジョルジオ・アスカネッリが、セバスチャン・ベッテルが与えるチームへの影響をエンジニアリングの観点から説明。ベッテルが所属チームで勝利を収めているのは偶然ではないと考えている。

    セバスチャン・ベッテルは、F1での13年のフルシーズンで3つのチームでレースを行い、それぞれのチームで少なくとも1勝は挙げている。

    セバスチャン・ベッテルは2007年のF1アメリカGPでBMWザウバーでF1デビューを果たしたが、2008年の最初のフルシーズンでトロロッソ(現在アルファタウリ)で史上最年少優勝を果たして地位を急速に確立した。

    「セバスチャンがレースに出場したすべてのチームが彼と一緒に優勝チームになっていることにすでに気付いているだろう」とジョルジオ・アスカネッリは F1-Insider.com に語った。

    「最初はトロロッソ、次にレッドブル。セバスチャンは常にアクセルを踏んで、チームを前進させているので、それはセバスチャンにかかっていたとも言える」

    「レッドブルは2008年に成功するためのすべての要素を備えていたが、ベッテルはクルサードやウェバーよりも優れていたため、我々(トロロッソ)はレッドブルよりも優れていた」

    今年、セバスチャン・ベッテルは異なるタイプの課題に直面する。以前にフォース・インディア/レーシング・ポイントとして知られていたチームは、何度か表彰台を獲得し、最近ではグランプリで勝利している。ミッドフィールドをリードしているチームのひとつとなっている。

    アストンマーティンF1として参戦する今年、チームはセバスチャン・ベッテルの勝利の経験がさらに良い結果を達成する助けとなることを望んでいる。

  • アルファタウリF1代表 「2020年の成功はベッテルがいた2008年を凌ぐ」

    アルファタウリF1代表 「2020年の成功はベッテルがいた2008年を凌ぐ」

    アルファタウリ・ホンダF1のチーム代表を務めるフランツ・トストは、2020年シーズンはセバスチャン・ベッテルを擁した2008年の成果を上回り、チーム史上最高のシーズンになったと考えている。

    トロロッソからアルファタウリへと名前を変えて臨んだ2020年のF1世界選手権では、ピエール・ガスリーがF1イタリアGPで衝撃的な勝利を収め、チームの15年の歴史のなかで2勝目をもたらした。

    ピエール・ガスリーの数多くの印象的なパフォーマンスはシーズンのハイライトであり、チームメイトのダニール・クビアトもイモラで表彰台に近づいた。

    アルファタウリ・ホンダF1は、フェラーリからわずか24ポイント下回る107ポイントを獲得し、コンストラクターズ選手権を7位でフィニッシュ。これはチーム史上最高の獲得ポイントとなる。

    ピエール・ガスリーの勝利は2008年のトロロッソ時代のパフォーマンスとの比較に繋がった。2008年、トロロッソでは将来の4回のF1ワールドチャンピオンであるセバスチャン・ベッテルが同じモンツァで開催されたイタリアGPでF1史上最年少ウィナーとなった。

    しかし、セバスチャン・ベッテルがレッドブル・レーシングに移籍する前のトロロッソでのブレイクの年を監督したチーム代表のフランツ・トストは、2020年の成果は2008年を上回っていると感じていると語る。

    「2008年、モンツァでのセバスチャンとの勝利は素晴らしかったが、今年のような良いフィニッシュはそれほど多くなかった」とフランツ・トストは語る。

    「モンツァでの勝利だけではなかった。イモラで4位、ポルティマオで5位と、他にも多くの良いレースがあった。バーレーンとドイツで6位、オーストリア、イギリス、ムジェロでは7位だった」

    「エキサイティングなレースは1つだけではなかった。非常に良いレース結果がたくさんあったし、2008年を大きく上回った」

    また、フランツ・トストは、2020年シーズンにおけるファエンツァのファクトリーのチームとしてまとまりと、ピエール・ガスリー自身のシーズンを通して好調ぶりを称賛した。

    「ファエンツァでは、設計チーム、プロダクションが非常にうまく機能しており、一体となっている」とフランツ・トストは語った。

    「我々はそのプロセスだけでなく、規律という点でも、あらゆる面でどんどん強くなっている。トラックでのオペレーションもうまく機能していた。人々はどんどんパフォーマンスを発揮しているし、強くなることを望んでいる」

    「2人の本当に良いドライバーもいる。ピエールは大きく改善した。彼は今、本当に高いレベルに達している。したがって、私たちはとても成功することができた」

    「マシンは最初から機能していたと言わざるを得ない。幸いにも、空力のアップグレードはアドバンテージをもたらし、我々を前進させた。これらのポイントがまとまり、成功を収めた素晴らしい明確な状況に至った」

    アルファタウリに戻って最初のフルシーズンとなったピエール・ガスリーは、チームの4分の3近くとなる75ポイントを獲得し、ドライバーズ選手権で10位で終えた。

    昨年、ピエール・ガスリーが完走したレースでポイントを獲得できなかったの3レースだけであり、シーズンを通した一貫性に満足していると述べた。

    「私は以前よりもパフォーマンスが良くなっているし、より優れたドライバーになっていると言っても過言ではない」とピエール・ガスリーは語った。

    「より一貫性を保つことはは僕自身の目標でもあった。理想的なシナリオ、理想的なバランス、理想的なレース、戦略、タイヤデグラデーションなどがなければ決して得られないことなのは明らかだ」

    「しかし、そういったすべての要因にうまく対応し、シーズンを通してより一貫したパフォーマンスを得ようと努力した」

    「多くのトップ10フィニッシュを成し遂げ、Q3のもたくさん進出できたと思うので、本当に満足している。チームとの仕事という点でお互いを本当によく理解できていると感じている」

    「僕たちは本当に一貫していたし、自分たちが持っているマシンでパフォーマンスを発揮し、最大化した。これは、今シーズンを達成するために、チーム、私自身、そして、周りの人々と一緒に設定した明確な目標だった」

  • F1:フランツ・トスト、フェルスタッペンの起用を決意した瞬間を語る

    F1:フランツ・トスト、フェルスタッペンの起用を決意した瞬間を語る

    アルファタウリ・ホンダF1のチーム代表を務めるフランツ・トストは、2014年にマックス・フェルスタッペンをトロロッソのF1ドライバーとして獲得することを決意させた瞬間について語った。

    マックス・フェルスタッペンは、2015年にフランツ・トスト率いるトロロッソに加入。F1史上最年少ドライバーとなった。すぐに実力を示したフェルスタッペンは、F1のスター街道を駆け上がり、現在までに10勝を挙げてレッドブルの決断が正しかったことを証明した。

    その後、マックス・フェルスタッペンは、ウェットコンディションでの走りで有名になったが、フランツ・トストは、ドイツでのF3レースでその能力を目の当たりにし、フェルスタッペンをできるだけ早くにマシンに乗せたいと思ったと振り返る。

    「今でもその時のことはよく覚えている」とフランツ・トストは Formule1 に語った 。

    「雨が降っており、ウェットトラックだった。ご存知のように、ノリスリンクのラップは短く、1分もかからない。それでも、マックスは他の人よりも1〜2秒速かった」

    「もちろん、ヘルムート(マルコ)と私はそういった案件について常に連絡を取り合っている。我々は若いドライバーのパフォーマンスについて幅広く話し合っている。その時、私はテストドライバーとしてではなく、ドライバーとして、私たちのマシンにマックスを乗せたいと思ったのは明らかだった」

    マックス・フェルスタッペンが、2015年のF1レギュラードライバーとしてトロロッソに加わることが発表されたとき、多くの人はフェルスタッペンはF1で戦うには若すぎ、苦労するだろうと感じていた。

    しかし、フランツ・トーストは、マックス・フェルスタッペンの走りを見て、経験不足が問題という心配はなかったと語る。

    「多くの“専門家”は時期尚早だと言った。私は『マックス・フェルスタッペンそうはならない』と言った」とフランツ・トストは付け加えた。

    「彼はニューカマーによく見られるようなマシンのパッセンジャではなく、彼はマシンを運転していた。彼がどのようにマシンをコントロールしていたか、彼がいかにマシンを完全にコントロールしていたか…並外れていた」

  • ホンダF1、ダニール・クビアトに感謝の意 「一緒に夢を達成できた」

    ホンダF1、ダニール・クビアトに感謝の意 「一緒に夢を達成できた」

    ホンダF1は、今シーズン限りでアルファタウリ・ホンダF1のシートを失うことになったダニール・クビアトに感謝の意を表した。

    アルファタウリ・ホンダF1は、2021年のドライバーに角田裕毅を起用することを発表。今シーズンまで2年間同チームのドライバーを務めてきたダニール・クビアトはシートを失うことになった。

    ダニール・クビアトは、チームがまだトロロッソ・ホンダという名前で参戦していた2019年の第11戦ドイツGPで3位入賞を果たし、ホンダにF1表彰台をもたらした。

    「ホンダの全員がダニール・クビアトと一緒に我々が夢見ることしかできなかったことを達成できたことに感謝しています」とホンダF1レーシングは公式Twitterで語った。

    「我々のファミリー、そして、歴史の一部ろして、君を迎えられたことは本当に喜びでした」

  • レッドブルF1特集:ミナルディがトロロッソに生まれ変わった日

    レッドブルF1特集:ミナルディがトロロッソに生まれ変わった日

    ミナルディの晩年のオーナーであるポール・ストッダートが、現在アルファタウリ・ホンダとして存続しているチームのレッドブルへの売却について語った。

    レッドブルは、2005年にジャガーを買収してレッドブル・レーシングとしてF1に参戦することを決定したが、チームが十分ではなかっため、レッドブルのオーナーであるディートリッヒ・マテシッツは、ミナルディを買収して姉妹チームにすることを決断した。

    何年にもわたってF1には多くの小規模チームが存在してきたが、ミナルディのように一部のファンが今でも愛しているチームは多くない。2005年まで20年の歴史のなかでミナルディは345戦に出場したが、合計ポイントは35ポイントであり、勝利や表彰台を獲得したことはなかった。

    それでも、ミナルディで走ったドライバーには多くの有名人がいる。ジャンカルロ・フィジケラ、マーク・ウェバー、フェルナンド・アロンソ、ヤルノ・トゥルーリを始め、ヨス・フェルスタッペン、ロバート・ドーンボスといったレッドブルF1にゆかりのあるドライバーも走っていた。

    2001年に深刻な経営難に陥っていたチームを買収したポール・ストッダートが、トロロッソにチームが変わる前の最小限の予算でファンの心を掴んできたチームの晩年について語った。

    なぜミナルディという名前が15年経った今でも知られているのかと質問されたポール・ストッダートは「我々は弱者だったからだろう。誰もが弱者を愛している」と語った。

    「私の時代にミナルディの予算がどれくらいだったかはあまり知られていなかった。我々の予算は、ビッグチームに比べて非常に小さかった」

    「たとえば、2002年には年間2800万ドル(約29億円)の予算で仕事していたが、トヨタには自由に使える11億ドル(約1140億円)があった。それでも、その年は彼らを打ち負かした」

    「2002年のオーストラリアでのクレイジーなレースでウェバーが2ポイントを獲得したおかげだった。それは私の人生で最高の日だった」

    ミナルディにはシャンパンがなく、他チームがミナルディにシャンパンを譲った

    「我々は自分たちでシャンパンを持っていなかった。完全な箱を用意する必要はなかった」とその後の数年間でチームを存続させるのに最も苦労したポール・ストッダートは笑う。

    ポール・ストッダートにとって幸運だったのは、チームに何度か救いの手を差し伸べてくれたバーニー・エクレストンがいたことだ。

    だが、請求書は積み重なっていき、ポール・ストッダートはバーニー・エクレストンから必要な金額を尋ねる電話を受けた。ストダートが金額を伝えたとき、バーニー・エクレストンは次のように語ったという。

    「私はあなたのチームの半分を買うつもりだ。私はあなたにそれのためにお金を与え、それから自分の人生を続けていく」とバーニー・エクレストンは語ったとし、ポール・ストッダートはエクレストンは真の紳士であり、これまでF1に参加したなかで最も素晴らしい人物だと翌。

    しばらくの間、ミナルディは生き延びることができたが、大企業(自動車会社)がますますF1に取り組むようになると、ポール・ストッダートはチームを売却しなければならないことを悟った。

    ポール・ストッダートによると、51の“時間の無駄”と言えるオファーがあったという。そこに現れたのが2つ目のチームを構想していたディートリッヒ・マテシッツだった。

    「契約は2005年のトルコで成立した」とポール・ストッダートは続ける。

    「バーニーが私を彼のモーターホームに呼び、ディートリッヒもそこにいた。バーニーは彼に『2つのチームを持つことはあなたに多くの利益を与えるので、あなたはミナルディを買うべきだ』と言った」

    「1か月後のスパですべてが成立した。その後、マテシッツ氏はシャンパンを飲まず、契約を祝うためにレッドブルしか飲まないだろう言われた。そのとき自分が言ったことを覚えている。『このエナジードリンクはエイリアンの小便のような味がする』とね。『ポール、あなたが得たお金のために私は飲んでいるんだ』と言われて、私も飲んだがね」

    ポール・ストッダートは、チームの売却でどれだけの手に入れたかを明らかにしなかったが、売却後、チームは多くの才能を生み出した。過去10年にわたってセバスチャン・ベッテル、マックス・フェルスタッペン、ダニエル・リカルド、カルロス・サインツ、ピエール・ガスリーといった多くのドライバーがイタリアのチームで走った。

    2008年のセバスチャン・ベッテル、そして、今年9月のピエール・ガスリーの勝利は、アルファタウリをまだミナルディと呼ぶポール・ストッダートに笑顔をもたらした。

    「チームが勝利や表彰台を達成したとき、チームはまだ私の一部、私のDNAの一部のように感じた。十分なお金を持っていたか? ノーだ。それを使い果してしまったか? そうだね。だが、我々はそのために懸命に戦わなければならなかった」

  • アルファタウリ・ホンダF1 「ホンダのF1撤退という決定を尊重する」

    アルファタウリ・ホンダF1 「ホンダのF1撤退という決定を尊重する」

    アルファタウリ・ホンダF1は、ホンダのF1撤退という決定を尊重するとともに、F1パワーユニットサプライヤーとしてのホンダの努力に感謝の意を表した。

    2015年にF1に復帰したものの、競争力を発揮できずに3年で終わったマクラーレンとのパートナーシップの後、ホンダF1を救ったのはトロロッソだった。

    マクラーレンとは異なるトロロッソの友好的な環境でホンダはF1エンジンの信頼性とパフォーマンスをアップ。戦えるF1エンジンへと進歩を果たした。

    2019年にはダニール・クビアトがF1ドイツGPで3位、ピエール・ガスリーがF1ブラジルGPで2位を獲得するなど、レッドブルのジュニアチームでもホンダのF1エンジンは競争力を示し、アルファタウリとブランドを変更した今年のF1イタリアGPではピエール・ガスリーが優勝。チームに2008年以来となる勝利をもたらした。また、ホンダは2014年にパワーユニット時代に突入して以来、2つの異なるチームで優勝した唯一のパワーユニットメーカーとなった。

    アルファタウリ・ホンダF1のチーム代表を務めるフランツ・トストは「スクーデリア・アルファタウリとホンダは、2018年に協力を開始して以来、非常に良好でプロフェッショナルな関係を築いてきた」とコメント。

    「ここ数年、我々は共に大きな成功を収め、レースに勝ち、1勝、そして、2位と3位で2回の表彰台を獲得した」

    「ホンダがF1へのコミットメントを終了することを決定したのは残念なだ。なぜなら、彼らのパワーユニットのパフォーマンスは、スポーツに復帰して以来、短期間でグリッドで最高のエンジンの1つになるために絶えず劇的に向上しているからだ。今シーズンも来年も、残りのレースで力強い結果を出し続けると確信している」

    「我々は、環境イニシアチブに焦点を当て、カーボンニュートラルの実現に向けて努力するというホンダの決定の背後にある理由を尊重している。スクーデリア・アルファタウリの全員が、彼らがすべての目標を達成し、将来成功することを祈っている。ホンダとの実りある協力に心より感謝したい。我々は共に仕事をした日々の協力を本当に楽しんだ。ホンダのようなエンジンパートナーを見つけるのは簡単ではないが、もちろん、2022年以降、最高のパワーユニットソリューションを見つけるためにあらゆる可能性を検討していく」

    関連:ホンダ、2021年シーズン限りでのF1撤退を発表

  • レッドブルF1代表 「過去のドライバー決定に後悔はない」

    レッドブルF1代表 「過去のドライバー決定に後悔はない」

    レッドブルF1のチーム代表を務めるクリスチャン・ホーナーは、一部のドライバーが他のシリーズで素晴らしい成功を収めているにも関わらず、過去のレッドブルのドライバー決定に関して“後悔はない”と語る。

    レッドブル・レーシングとそのジュニアチーム(現在はアルファタウリ)は、ドライバーの決定のいくつかにより冷酷と呼ばれている。

    セバスチャン・ブエミ、ブレンドン・ハートレー、ジャン・エリック・ベルニュは、かつてレッドブル・ファミリーとしてF1に参戦したが、最終的に契約を打ち切られている。そのうち、ブエミとハートレーは今年のル・マン24時間レースで優勝。また、ジャン・エリック・ベルニュ、同じく契約ドライバーだったアントニオ・フェリックス・ダスタは、ブエミとともにフォーミュラEでタイトルを獲得している。

    しかし、レッドブルの元ドライバーを振り勝ったクリスチャン・ホーナーは、彼らが下した決断に“後悔はない”と語る。

    「レッドブルが、ジャン・エリック・ベルニュ、ダ・コスタ、セバスチャン・ブエミなど、多くの人に機会を与えは素晴らしいことだと思う。彼がレースに勝つのを見るのは素晴らしいことだ。実際、彼(ブエミ)はまだレッドブルによってサポートされている」

    「全てのドライバーは、彼らのキャリア初期の時代にレッドブルのサポートと後援がなかったら、その機会は得られなかっただろう」

    「しかし、本当に後悔はないと思っている。選び抜かれた精鋭たちは常にトップまで登り詰めている」

    「ダ・コスタがF1カーで何ができたのかを見てみるのは興味深いことだったかもしれないとは思うが、その機会は実際には訪れなかった」

    レッドブルは、マックス・フェルスタッペン以外、レッドブル・レーシングとアルファタウリ・ホンダF1の2021年のラインナップをまだ確認していていない。

    マックス・フェルスタッペンはチームと2023年まで契約を結んでおり、間違いなくレッドブルにとどまるだろうが、クルスチャン・ホーナーは、ピエール・ガスリーはアルファタウリ・ホンダF1でもう1年戦うことになると何度か述べている。しかし、彼らのチームメイトはまだ確認していない。

    レッドブル・ホンダは、アレクサンダー・アルボンに固執していると述べているが、F1ロシアGPでアルボンは10位と振るわなかった。

    アルファタウリ・ホンダでは、ダニール・クビアトに代わってホンダF1の育成ドライバーでもある角田裕毅がレースシートを獲得すると考えられている。

    現在のドライバーについてクリスチャン・ホーナーは「すべてのドライバーが複数年契約を結んでおり、それらのドライバーのオプションを行使するかどうかはチーム次第だ」と語る。

    「ピエールに関する限り、彼はアルファタウリで素晴らしい仕事をしている。彼は彼らにうまくフィットしているし、彼らはチーム内い彼がいることを楽しんでいる。以前にも話したが、チームの志望は変化しており、経験豊富で競争力のあるドライバーが必要だ。我々の意図は、現在のドライバーを維持することだ」

    「アレックスは私たちの好ましい選択だ。必然的に、他のオプションが何であるかを知っておく必要があるが、我々の絶対的な好みと可能性は、現在我々が起用している既存のドライバーラインナップを維持することだ」

  • ピエール・ガスリー 「ベッテルから月曜日に祝福の電話をもらった」

    ピエール・ガスリー 「ベッテルから月曜日に祝福の電話をもらった」

    アルファタウリ・ホンダF1のピエール・ガスリーは、先週末のF1イタリアGPでの衝撃的なF1初優勝の後、セバスチャン・ベッテルから祝福の電話をもらったことを明かした。

    2019年にレッドブル・ホンダから降格させられたピエール・ガスリーにとって、“Bチーム”であるアルファタウリ・ホンダでの優勝はスイートな復讐だった。

    ピエール・ガスリーのF1初優勝には、フランス大領領やネイマールやエムバペといったサッカー界のスター選手から祝福の電話やメッセージが相次いだが、レッドブル上層部もガスリーのパフォーマンスに脱帽した一人だった。

    「ヘルムートはモンツァで祝福してくれたし、テキストを送ってくれた。クリスチャンも同じだ。二人とも僕の成功に本当に満足してくれていた」

    また、先輩であるセバスチャン・ベッテルからも特別な電話があったと語る。

    「セブ(ベッテル)が月曜日に電話をくれて、トロロッソでは勝利したのは僕たち2人だけだと言ってくれた」とピエール・ガスリーは語った。

    「ご存知のように、彼は2008年に勝利し、レッドブルと4つのワールドチャンピオンシップに勝った。このチームのウィナーズクラブで彼に加わることできて本当にうれしく思っている」

    「あのレースに勝って、非常に特別な感じがしている」とピエール・ガスリーは付け加えた。

    「すべてのF1ドライバーにとって子供の頃からの夢の1つだと思う。自分のことを振り返れば、たぶん6歳の時からF1を見始めて、ミハエル(シューマッハ)が表彰台の最上段に上がっているのを見て、両親に『よし、決めた。いつかこの人のようになりたい』と言ったのを覚えている」

    「6歳から24歳に至るまで多くのことが起こり、モンツァでこれを実現した。多くのハードワーク、多くの犠牲があったし、これを実現するために多くの人々が僕を助けてくれた」

    「すべてのドライバーがこのような感情を抱き、この瞬間をいつか生きたいと思っている。僕にとって本当に特別なことだった。ミッドフィールドチームであるアルファタウリにみんなが期待していることではないと思うし、そのことがあの勝利をさらにパワフルでと特別なものにしていると思う」

    ピエール・ガスリーの勝利は、フランス人ドライバーとして1996年のF1モナコGPでのオリビエ・パニス以来の勝利となる。

    「過去18か月間に起こったすべての後、あまり公平ではないと感じたこともあったし、コース上で答えを出したいと思っていた」とピエール・ガスリーは語る。

    「自分のフラストレーションを解消するためにメディアに出たことはない。言われたいくつかのことには同意してはいたけど、そうすることはプロではないと感じていた」

    「自分のためにそれを貫いたし、『OK、毎日、レースごと、自分のパフォーマンス、自分自身に集中しよう』と言い聞かせてきた、アスリートとして、ドライバーとして、人として、自分自身を向上して、コース上に強力なパフォーマンスをするように努めてきた」

    「当然、昨年のブラジルでの表彰台はすでに素晴らしいものだった。僕たちはそんなこと予想していなかった。それから数か月後にアルファタウリで初勝利を収めたことは、おそらく最良の答えだった」

    「でも、現時点では、アルファタウリと一緒にそれを楽しむことが重要だと思います。これによって将来どんな機会がもたらされるか見ていくつもりだ」

  • ピエール・ガスリー 「トロロッソに降格したときは勝てるとは思わなかった」

    ピエール・ガスリー 「トロロッソに降格したときは勝てるとは思わなかった」

    ピエール・ガスリーは、1年前にレッドブルからトロロッソに降格させられたときにはF1で優勝できるとは思っていなかったと語る。

    先週末のF1イタリアGPでピエール・ガスリーは、アルファタウリのマシンで衝撃的な優勝を果たした。タイヤ交換、セーフティカーのタイミング、ルイス・ハミルトン(メルセデス)の10秒のストップ&ゴーペナルティなど、すべてがガスリーの勝利をお膳立てした。

    ピエール・ガスリーは、ルノーに移籍したダニエル・リカルドの後任として2019年にトロロッソからレッドブル・レーシングに昇格したが、成績不振を理由にわずか5か月でアレクサンダー・アルボンと交代させられトロロッソに戻された。

    そこでパフォーマンスを取り戻したピエール・ガスリーはF1ブラジルGPでF1初表彰台となる2位フィニッシュ。そして、アルファタウリ・ホンダに名前を変えたチームでF1イタリアGPでビッグチームを倒して優勝。いくつもの偶然が重なった勝利とはいえ、そのストーリーは大きな感動を生んだ。

    「個人的にはF1での初勝利を収めることがどれほど重要であったかは分かっている」とピエール・ガスリーは語る。

    「まだF1で3シーズン目だし、過去2年間で多くの経験を積んでいきたけど、僕は今でもこの世界にあまり慣れていないと感じているし、1年ごとに改善していて、絶えず向上している」

    「1年前にトロロッソに戻ったときに、勝てるとは思っていなかった」

    「(2019年のF1ブラジルGPの)表彰台はすでに予想外だったし、昨年の大きなハイライトだった。いつも最高のシナリオ、最高のスタート、最高のレース、すべてを最高の方法で想像しようとするものだけど、その気持ちに備える準備はできていなかった」

    「僕たちは、F1でのトロロッソの歴史全体で1回しか勝利がないことを知っている。実際、フランツ(トスト/チーム代表)は『今回、ドライでそれを達成したことを本当に誇りに思っている』と言ってくれた。とても困難だったけど、自分のスピードを示すことができてとても幸せだ」

    「昨年からずっとレースごとに自分が強くなり続けようと努力してきた。今日、アルファタウリとホンダと一緒に僕たちがやってきたすべてのハードワークが成果を挙げたことを本当に嬉しく思う」

  • ホンダF1特集:ガスリーのF1初優勝で報いたアルファタウリとの絆

    ホンダF1特集:ガスリーのF1初優勝で報いたアルファタウリとの絆

    ホンダF1のマネージングディレクターを務める山本雅史が、アルファタウリ、そして、ピエール・ガスリー選手とともにつかみ取ったF1イタリアGPでの勝利について語った。

    F1イタリアGPではアルファタウリ・ホンダF1のピエール・ガスリーが優勝。2017年にマクラーレンと離別し、2018年からトロロッソとパートナーシップを開始してから50戦目という節目のレースでの勝利だった。

    それはトロロッソとの交渉を担当した山本雅史にとっても感慨深い勝利だった。

    今のホンダ F1があるのはアルファタウリのおかげ
    この勝利は、他のメンバーやファンのみなさんと同様に、本当にうれしくてうれしくて、少しでもこの喜びをみなさんと分かち合えればと思っています。
    田辺テクニカルディレクターや本橋チーフエンジニアなんかもいろいろなところで語ってますが「今のホンダがあるのはアルファタウリのおかげ」ということは、私だけでなく、ホンダ F1の中にいる誰もが感じているはずです。

    当時トロロッソと呼ばれていた彼らとのパートナーシップは、2018年から始まりました。それまでのホンダはF1復帰から3年間、勝利はおろか表彰台もゼロという状況で、構造・制御方法ともに極めて複雑な現代F1のパワーユニット(PU)開発の壁にぶつかっている状態でした。4つあるPUマニュファクチャラーの中では最も後発で、参戦に間に合わせるために短い期間で開発してきたことが大きく響き、2017年当時はパフォーマンス・信頼性ともにどのライバルに対しても大きく劣っていたと思います。

    そんな中、2017年限りでマクラーレンとの離別が決まりつつある状況下で、我々とのパートナーシップ締結に手をあげてくれたのがトロロッソでした。PUはマシンの心臓部であり、どれだけ車体が優れていてもPUからのパワーが劣っていればレースに勝つことはできません。同じレースで言えば、競馬でいくら優秀な騎手がいても、肝心の競走馬が速くなければトップになれないことに似ています。当時のホンダは、いわばスピードもなくケガもしやすい競走馬だったと言えるかもしれません。

    そんな状況でも、トロロッソ(現在のアルファタウリ)代表のトストさんは「ホンダならできる。俺たちはホンダの力を信じている」と、我々の将来性に賭けた上で、「ぜひパートナーシップを組んでほしい」と言ってくれました。あのとき、あの状況でホンダとパートナーシップを組むことは勇気のいる決断だったと思いますし、それでもホンダの持つ可能性を信じてくれたことに今でも本当に感謝しています。

    常にオープンな姿勢で、二人三脚の開発に
    その後、実際にパートナーシップを開始した後も、トロロッソは常にオープンで率直な姿勢とともに私たちに接してくれました。車体を作るコンストラクター(チーム)と、PUを作るマニュファクチュラーは、我々のような「ワークスチーム」という体制下では、マシン全体のコンセプトを決めるコンストラクターが開発の主導権を握ることが多いです。しかし、トロロッソの場合は「ホンダは何をしたいのか」「どうすればいいと思っているのか」と言うことを必ずこちらに確認し、それを踏まえて車体とPUのパッケージが最適化するように開発を進める手法を取ってくれました。一言で言えば「トロロッソとホンダで一緒に一歩一歩マシンを作り上げていった」というところでしょうか。そのような開発を通して、ホンダとしても技術面でそれまで知らなかったことを多く学んでいきました。

    コミュニケーション部分では、イタリア企業にとって地理的にも文化的にも遠い日本の企業とチームを組むということは大きなチャレンジであったはずです。しかし、我々とのプロジェクトを開始する前にはトロロッソ社内で日本文化に関する講習を社員向けに行うなど、ホンダと働くことに対してさまざまな配慮をした上で、二つの企業が一つのチームとして機能するように努めてくれました。当時の私たちは少し自信を失っていた部分がありましたし、日本人の傾向として引っ込み思案なところもありました。そういった中でトロロッソのほうからオープンに「俺たちなら一緒にできるんだ!やってやろうぜ!」と迎え入れてくれたことは、私たちに改めて前に進んでいくための自信と勇気を与えてくれました。

    この背景には、イタリアやラテン特有の明るい気質という部分に加え、トップであるトストさんの配慮の深さ、器の大きさがあると感じています。こういった部分についても、本当に感謝してもしきれないといった思いです。もしかしたら、知らないうちに「おもてなし」をされていたのは私たちの方だったかもしれませんね。もちろん、ホンダのエンジニアたちがその想いにこたえる形で懸命に開発を続け、トロロッソと一緒にレースを戦ってきたことが現在の結果につながっていると思っています。

    いずれにせよ、ホンダがトロロッソ/アルファタウリに救われたということは間違いないですし、それに対して私たちも全力で応えてきました。決して平たんな道のりではなく、ここまで多くのアップダウンを繰り返してきましたが、その分、ホンダとトロロッソ/アルファタウリとの関係は、一つのチームとマニュファクチュラーというところを超えていて、本当に相思相愛、それぞれのメンバーが役割ごとに固く結びついています。

    いずれアルファタウリと勝利を祝えると思っていた
    それだけに、今回、アルファタウリとの初勝利を挙げられたことは、みなさんと同じようにで大きな驚きと喜びを伴うものでした。ただ、私が皆さんと少しだけ違ったかもしれないのは、驚きの理由が「勝利のタイミングが想像よりも早くきた」ということだったことかもしれません。

    2018年に、翌年からのレッドブル・レーシングとのパートナーシップ締結を交渉しているころ、トストさんに相談に行った際に「ヤマモト、トロロッソとホンダが勝つにはあと5年かかる。だからレッドブルとパートナーシップを組んで、先にそっちで成績を残すべきだ」と言われていました。

    そのときから、”二人三脚で一緒に勝ちたいが、まずはレッドブルで勝利し、その後絶対にトロロッソとも勝つぞ”という想いを強く持つようになりました。大きな恩のあるトロロッソ と勝つことは、我々の、そして私自身の悲願でした。

    ホンダは2つのチームどちらとも真剣に勝つことを狙ってレースに出ているので、いつか勝てるということは疑っていませんでしたが、それがパートナーシップ3年目、今回の50戦目で訪れるとは思っていませんでした。

    うれしい驚きと言ったところですし、本当に二つのチームが一緒に、すべてのメンバーの力によって掴み取った勝利でした。「Scuderia アルファタウリ ホンダ」という、ホンダの名前が入ったチーム名が呼ばれたこともとても感慨深く思っていますし、きっと一生忘れられない瞬間になるでしょう。

    ガスリー選手を近くで見てきて
    そしてもう一つ、触れておかなくてはいけないのは、ピエール・ガスリー選手のことです。

    ホンダのF1には4人のドライバーがいて、どのドライバーもそれぞれに大切な存在です。世界で20人しかいないF1ドライバーになるだけあって、4人ともに才能にあふれ、たゆまない努力と研鑽を続けられるドライバーです。

    その4人の中で、ガスリー選手は最もホンダとの関係が長いドライバーです。F1の下位カテゴリーであるGP2(現在のF2)を2016年に優勝したものの、翌年のF1のシートが決まらず、その代わりに2017年に日本のスーパーフォーミュラに参戦したところからホンダとガスリー選手との関係が始まります。

    日本のレースでの戦いぶり
    当時の私はスーパーフォーミュラも担当していたのでその際に初めて彼に会いましたが、その時の印象は「非常に意志が強く、夢の実現のためにできることは何でもしようとするドライバー」ということでした。話をすると「スーパーフォーミュラで何が何でも結果を出し、翌年必ずF1ドライバーになってやる」という彼の意志をとても強く感じました。

    とは言え、欧州の若手ドライバーの中で随一の才能を持った彼であっても、百戦錬磨の日本のトップドライバーが集まるスーパーフォーミュラでチャンピオンになることは容易ではありません。初めて走るサーキット、初めて乗るマシン、タイヤの特性なども全く異なる中で、欧州から来た新人が結果を出すことは非常に難しい環境でした。

    当時21歳のガスリー選手もその部分はよく理解しており、その差を埋めるために、例えば「下位のカテゴリーのマシンでもいいので、サーキットで練習走行をさせてほしい」という要望を私たちに出したり、積極的にチームメイトの走りを研究し、そこからいい部分を学んでいくといった努力を重ねていきました。

    開幕当初こそ苦戦したものの、尻上がりに成績を上げ、終盤には2勝を含む3戦連続表彰台。結果として、最終戦が台風でキャンセルされたこともあり、わずか0.5ポイント差でチャンピオンには手が届きませんでしたが、その確固たる意志とひたむきさは当時から印象に残っています。

    非常に明るくオープンな性格でもあったので、チームのメンバーやファンなど、みんなに愛されるドライバーであったこともよく覚えていますね。単身日本に乗り込み、決して楽な戦いではなかったと思いますが、あの1年間を通して日本人やホンダとのコミュニケーション、仕事の進め方などを覚えていってくれたとも思います。

    F1でも、ともに歩みを進めたホンダとガスリー選手
    2018年からはガスリー選手はトロロッソのドライバーとして、今度はF1を舞台に私たちと一緒に戦うことになりました。その年のハイライトとなったバーレーンGPでの4位入賞を獲得してくれたのも彼ですし、チームとホンダが一緒に成長していく中、その中心にはいつもガスリー選手がいました。

    翌年、2019年のレッドブル・レーシングへの移籍に際しては、フェルスタッペン選手という現代F1で最高のドライバーの隣でもちゃんとやっていけるだろうと、個人的には思っていました。実際にはウィンターテストからうまくかみ合わないシーズンが続き、シーズンを半分終えたサマーシャットダウンのタイミングで当時トロロッソにいたアルボン選手とチームを入れ替えることが発表されてしまいました。

    レッドブルで戦っているときはあまり明るい表情も見られず、もがいている彼を見るにつけ、何とか頑張ってほしいと思っていただけに、私としても辛い思いでした。当時のホンダ側のガスリー選手の担当エンジニアは、2018年のトロロッソ時代から一緒に戦ってきた湊谷(みなとや)エンジニアでしたが、二人が当初からとても密にコミュニケーションをとりながら、互いに強い信頼関係を築いているところを見てきました。フェルスタッペン選手が優勝を果たす隣で、二人で苦しい戦いを続け、なんとか改善するために試行錯誤を続けてきていたことも知っています。

    湊谷エンジニアはその後レッドブルに残り、現在はアルボン選手の担当をしていますが、ガスリー選手と一緒にF1キャリアを歩んできた彼にとっても、今回の勝利はとても感慨深いもがあったのではないかと思っています。

    努力が実った姿に感動
    2019年夏のトロロッソへの復帰以降、調子を取り戻したガスリー選手は、劇的な展開となったブラジルGPでフェルスタッペン選手との1-2フィニッシュを果たします。あの時はまさか今年、表彰台の真ん中に立つことになるとは思いもしませんでしたが、一方で今年の彼からは何かをやってくれるのではという予感もしていました。

    今年の初め、当初の開幕予定時にオーストラリアで話をしたときにはとても力強い目をしていて、すごく体が引き締まっているのも印象に残っていました。オフの間にとてもいい準備をしてきたんだと思います。それ以外にもメッセージをくれたりということがあったのですが、節々で今年にかける強い想いを感じましたし、レースで会うたびに強くなっているようにも思っていました。

    個人的には、4人のドライバーの中でも特にポジティブで、前に進む力強さを彼から感じていました。毎戦、彼の今年に懸ける想いが伝わってきていて、調子のよさも見えていたので、毎回レースを見るのが楽しみでした。今回のように勝利を掴めたところを見ていると、「ああ、彼の努力がようやく報われたんだな」という想いがあり、本当に言葉では表せないくらいの喜びを感じました。

    挑戦を続ける意味を体現
    社長の八郷がレース後のコメントで触れていましたが、苦境にあってもチャレンジを続け、それを乗り越えて行くガスリー選手の生きざまは、ホンダのチャレンジ精神とも通じるところが多いと感じています。そういった部分でも、今回の勝利は我々が一緒に挑戦を続けている意味を、改めて体現してくれたと思っています。

    SNSなどでファンの皆さんの反応を見ていると、この勝利を喜んでくれている方がとても多く、きっと皆さんも同じような気持ちなんだろうなと思っています。とても応援したくなるドライバーですし、一人たたずむ表彰台での姿も本当に感動しました。

    少ししんみりしてしまいましたが、今週末をはじめ、まだまだレースは続きます。これで終わりというわけではありませんし、チームもドライバーも、そして我々ホンダも、さらなる高みを目指して戦っていきます。

    皆さん、これからもガスリー選手をはじめ、アルファタウリやレッドブル・レーシング、そしてホンダへの応援をよろしくお願いします。

    今回は本当にありがとうございました。そして、おめでとうございました!