カテゴリー: トロロッソ

  • レッドブルF1首脳 「フェルスタッペンとサインツのコンビは“有毒”だった」

    レッドブルF1首脳 「フェルスタッペンとサインツのコンビは“有毒”だった」

    レッドブルF1のモータースポーツアドバイザーを務めるヘルムート・マルコは、当時、トロロッソでのマックス・フェルスタッペンとカルロス・サインツJr.のパートナーシップはチーム内の雰囲気を考慮すれば「有毒」だったと語った。

    マックス・フェルスタッペンとカルロス・サインツJr.は、2015年にレッドブルのジュニアチームであるスクーデリア・トロロッソで一緒にデビューを果たした。二人ともレッドブルの育成ドライバープログラムを経て、F1に到達した。

    マックス・フェルスタッペンは、49ポイントを獲得して、18ポイントのカルロス・サインツJr.を上回った。

    翌年、マックス・フェルスタッペンは、レッドブル・レーシングで結果を出せなかったダニール・クビアトに変わって、F1スペインGPでダニエル・リカルドのチームメイトに昇格し、初レースで有名な勝利を収めた。

    カルロス・サインツJr.は、最終的に2017年末にレッドブルのF1プログラムを離れたルノーに移籍した。

    「マックスがチームメイトだったのは彼(サインツ)にとって不運だった」とヘルムート・マルコはRed Bulletinのインタビューで語った。

    「トロロッソの2人の間の雰囲気は非常に有毒だった。当時のセットアップでは彼を一緒に保つ方法がわからなかった。彼はルノー、マクラーレン、そしてフェラーリへと移籍した」

    カルロス・サインツJr.は、モータースポーツの血統が高い家族の出身であり、カルロス・サインツSnr.は、彼のキャリアで2回の世界ラリー選手権のタイトルを獲得し、叔父のアントニオもラリードライバーだった。

    ヘルムート・マルコは、カルロス・サインツJr.がモータースポーツのレジェンドの息子であるというイメージから逃れるために一生懸命努力しなければならなかったと感じている。

    「彼は長い間、2回の世界ラリーチャンピオンである父親の影で生きてきた」とヘルムート・マルコは説明した。

    「彼は、甘やかされて育ったレーシングドライバーの息子であるというイメージに不当に背負い込んでいたが、それどころか、カルロスは前進するために一貫して戦わなければならなかった」

    ヘルムート・マルコは、2016年にマックス・フェルスタッペンをレッドブル・レーシングに昇格させるというチームの決定に対して「抗議」があったと付け加えたが、当時のサインツのケースは、フェルスタッペンが彼とガレージを共有したのは運が悪かったと説明した。

    「カルロスが見落とされていると感じた人もおり、抗議があった」とヘルムート・マルコは語った。

    「彼の成長も非常に良く、2人の違いはほとんどなかったが、経験が少ないにもかかわらず、マックスの方が速いドライバーだったので、彼をレッドブル・レーシングに移籍させることに決めた」

    マックス・フェルスタッペンとカルロス・サインツJr.

  • アレクサンダー・アルボン 「最も準備が整ってないドライバーの一人だった」

    アレクサンダー・アルボン 「最も準備が整ってないドライバーの一人だった」

    アレクサンダー・アルボンは、2019年にF1への予想外の昇進をしたときに、F1に出場したドライバーのなかでも“最も準備が整っていない”一人だったと考えている。

    今シーズン、アレクサンダー・アルボンはウィリアムズF1でグリッドに復帰するが、F1キャリアとしては3シーズン目となる。

    25歳のアレクサンダー・アルボンは、2019年にトロロッソでF1キャリアをスタートさせた。レッドブルは、フォーミュラEの参戦契約を結んでいた日産からアルボンを奪い取った。

    2018年後半、アレクサンダー・アルボンは、FIA-F2でタイトルを獲得したジョージ・ラッセル(現メルセデス)、2位のランド・ノリス(マクラーレン)に次ぐ3位でシーズンを終える生産的なシーズンを過ごし、日産とフォーミュラEでレースをする契約に合意した。

    アレクサンダー・アルボンにとって、フォーミュラEは当時モータースポーツを継続する唯一のチャンスであり、さらに重要なことにワークスドライバーとしての契約だった。

    しかし、その後、突然、レッドブルはアレクサンダー・アルボンに電話をかけてきた。

    「それは非常に土壇場で起こった」とアレクサンダー・アルボンはMotor Sport Magazineに語った。

    「全体がどのように起こったかについては詳しく説明するつもりはない。でも、トリッキーな状況だった。当然ながら、僕は日産と契約を結んでいたこともあり、フォーミュラEからF1にスイッチするのは思っていたほど簡単ではなかった」

    「もちろん、僕の年齢のドライバーならそうだけど、ずっとF1に参加したいと思っていた。それが子供の頃からすべての人の目標だ。でも、とにかく僕たちは契約を調べる必要があった」

    当時を振り返り、アレクサンダー・アルボンは、F1ドライバープログラムに所属していない若手として可能性が見えず、F1への夢は遠のいているように見えたと認める。

    「とても迅速なプロセスだった」とアレクサンダー・アルボンは語る。

    「そして、ロシアの後半(9月下旬)まで、F1が可能だと思ったことさえなかった。なぜなら、僕は長い間、プログラムに参加したり、プログラムから実際にアプローチされたり、このような機会を得たりすることがなかったからだ」

    「そして、突然、文字通り、F2キャリアの最後の2レースで、この機会を得て、F1にいた」

    しかし、アレクサンダー・アルボンは、突然のF1への昇進に完全に準備ができていなかったと語る。

    「F1に入るなかで最も準備ができていないドライバーの一人だったと思う」とアレクサンダー・アルボンは認める。

    「みんな、F1に到着する前にテストを終えたと思う。でも、僕の最初のテストは文字通りバルセロナのウインターテストの初日だった。

    「そして、僕はスピンした! すぐにスピンてしまった。ターン4でスピンした。『なんてことだ。何でこんな事始めちゃったんだろう?』と言う感じだったね」

  • Honda Racing THANKS DAY 2021-2022、第4期ホンダF1マシンが集結

    Honda Racing THANKS DAY 2021-2022、第4期ホンダF1マシンが集結

    ホンダは「Honda Racing THANKS DAY 2021-2022」に出演予定のライダー・ドライバー、マシンの情報を公開。第4期ホンダF1マシンが集結する。

    今回で13回目の開催となるHonda Racing THANKS DAYは、さまざまなレースに参戦しているホンダが、モータースポーツファンの皆さまへの感謝を込めて贈るファン感謝祭。2年3か月ぶりの開催となる今回のイベントでは、国内外のレースで活躍中の選手が、カテゴリーを越えてコラボレーションする、Hondaならではの多彩なコンテンツが用意される。

    「Honda Racing THANKS DAY 2021-2022」では、2輪・4輪が走行・展示イベントが行われ、2輪ではMotoGPのRepsol Honda Team 93号車(マルク・マルケスのマシン)、LCR Honda IDEMITSU 30号車(中上貴晶のマシン)、4輪ではSUPER GT、スーパーフォーミュラのマシンがデモ走行を実施。現時点で参加するドライバー・ライダーは国内カテゴリーが中心となっている。

    また、昨年でF1から撤退した第4期ホンダF1のエンジンを搭載したマシンが展示される。明記はされていないが、リストに掲載されているRB16Bは、F1トルコGPを走った“日の丸”カラーのバージョンだ。

    <展示されるF1マシン>
    レッドブル・ホンダ RB16B(2021年)
    アルファタウリ・ホンダ AT02(2021年)
    レッドブル・ホンダ RB16ショーカー (2020年)
    トロロッソ・ホンダ STR14(2019年)
    トロロッソ・ホンダ STR13(2018年)
    マクラーレン・ホンダ MCL32(2017年)
    マクラーレン・ホンダ MP4-31(2016年)
    マクラーレン・ホンダ MP4-30(2015年)

    2年3か月ぶりの開催となる今回のイベントは、2022年2月6日に鈴鹿サーキットで開催される。

  • レッドブルF1、ヨス・フェルスタッペンに「一歩退く」よう要求した過去

    レッドブルF1、ヨス・フェルスタッペンに「一歩退く」よう要求した過去

    現在アルファタウリF1のチームマネージャーを務めるグラハム・ワトソンは、マックス・フェルスタッペンがレッドブル・レーシングに昇格する2016年にヨス・フェルスタッペンに「一歩退いてください」と要求したことを明かす。

    ヨス・フェルスタッペンは、2015年に息子のマックス・フェルスタッペンが当時トロロッソとして知られていたチームでF1デビューして以来、息子を近くで見守っている。

    ルーキーシーズンは順調に進んだが、マックス・フェルスタッペンとチームメイトのカルロス・サインツの間には、シーズンを通じて緊張関係が噂された。

    しかし、チームマネージャーのグラハム・ワトソンは、実際にはドライバー同士ようも、彼らの父親の方が問題を引き起こしていたと語る。

    「正直、私はそれをそのような経験はしなかったが、二人とも非常に意欲的だったし、実際、父親たちははるかに多くのことをしていた」とグラハム・ワトソンは語った。

    「おかしなことに、私はラリー時代からカルロス・サインツ・シニアをすでに知っていたので、両方の父親をよく知っていた。彼は非常に感情に着く動かされており、チームの他のドライバーが自分の息子が得ていないものを手に入れているのではないかと、常に少し疑っているように見えた」

    「バルセロナで彼と衝突したことをよく覚えている。確か2016年の冬のテスト中だったと思う。彼は我々のスタッフがマシンで作業する方法を学び、それがまったく公平ではないと感じた。『ちょっと待ってください』という感じだったね。私は彼に両方のドライバーがまったく同じ扱いを受けていることを非常に明確にした」

    「ヨスも彼自身のキャリアにおいて不利な立場にあると感じ、ベネトンで自分が不当に扱われていると考えていた。それは秘密ではない。それは公に知られていることだ」

    「マックスは間違いなくそのようなことが起こることを望んでいなかったし、何よりも彼のチームメイトを打ち負かしたかった。彼は本当にメンタリティを持っている。『チームが自分のチームメイトの周りに構築されることは許さない。チームは僕の周りに構築される』とね。ピットボックスで過ごした年月のせいで、他の人よりも印象に残るかもしれないが、ジョスが手を差し伸べているのがはっきりと見えた」

    グラハム・ワトソンは、ヨス・フェルスタッペンがチームメンバーに疑問を抱き、しばしばそのような疑問を公然と表明したことを覚えている。

    「もちろん、ヨスはカートの時代からマックスのキャリアを完全にコントロールすることに慣れていた」とグラハム・ワトソンは付け加えた。

    「マックスが我々のところに来たとき、チームは今とは違って見えたし、専門的ではなかった。おそらくヨスは、我々のチームがF1で息子をさらに助けるレベルにあるかどうか疑問に思っていた」

    「特に、ヨスが毎日私の肩を軽くたたいて、『グラハム、これはどうだ?あれはどうだ?』と尋ねているることに気づいた。ある時点で、私は少し率直に『一生のお願いだからチームメンバーに仕事を任せてください』と言わなければならなかった」

  • ホンダF1 特集:第4期 7年間の軌跡

    ホンダF1 特集:第4期 7年間の軌跡

    2015年にホンダがF1へ復帰してから7年間。その歩みを印象に残る場面を追いながら振り返る。

    2008年限りでF1から撤退していたホンダが、マクラーレンをパートナーに、7年ぶりの復帰。新パワーユニットでの新たな挑戦がスタートした。1980~90年代に栄光を誇ったタッグの復活は、大きな話題となった一方、パワーユニット規定が導入されてから1年遅れでの参戦ということで、他マニュファクチャラーに追いつくために多くを学ばなければならなかった。

    2015年は厳しいシーズンとなったものの、ハンガリーGPでは、フェルナンド・アロンソが5位、ジェンソン・バトンが9位に入るなどポジティブな瞬間もあり、バトンは米国GPでも6位に入った。

    マクラーレン・ホンダ

    初年度での苦戦を糧に、マクラーレン・ホンダは着実に前進。パワーユニット「RA616H」も競争力を増し、アロンソ、バトンともに安定してポイント争いができるようになっていく。

    前年に獲得したポイントをシーズン折り返し時点で上回り、ロシアやモナコではダブル入賞。トップ8でのフィニッシュが定位置となり、マレーシアとオースティンでは6位に。最終的に前年の3倍近くのポイントを獲得し、コンストラクターズチャンピオンシップ6位でシーズンを終える。

    2017年にはPUのデザインを一新。新レイアウトのPUについて試行錯誤を繰り返し、技術的に多くの学びを得た1年になったものの、MGU-Hをはじめとして、数々の信頼性のトラブルなどに見舞われ、マクラーレンとの関係は悪化。大きな期待とともに開始されたパートナーシップは、2017年限りで解消となる。

    信頼性のトラブルに加え、成績も上向かず、非常に苦しい時間を過ごした一方で、HRD-Sakuraの開発チームでは、2018年以降の躍進のキーとなる新たな燃焼方式についてのヒントが見つかるなど、シーズン後半には暗闇の中にもわずかに光明が差してきた年でもあった。

    フェルナンド・アロンソとジェンソン・バトン(マクラーレン・ホンダ)

    2018年からはスクーデリア・アルファタウリと新たな挑戦が始まる。初めてワークスチームとなったトロロッソだったが、2戦目のバーレーンGPでピエール・ガスリーが4位入賞を果たす。

    わずか2戦で2015年から2017年までの最高成績を上回る結果を残せたこともあり、それまで自信を失っていたホンダのメンバーも、少しずつ自分たちの進んでいる方向が正しいことを実感できる年になった。技術的な部分に加え、トロロッソというイタリア人中心のチーム独特の明るい雰囲気が、ホンダのメンバーに前を向かせてくれた面も大きく、時を経るごとにパートナーシップのつながりは強まっていった。

    着実に結果を積み重ねることで、ホンダ、トロロッソともに自信を深め、モナコとハンガリーでもシングルフィニッシュ。ホンダのPUも年を通じて進化を果たし、第7戦カナダGPでスペック2、第16戦ロシアGPでは日本GPを見越してスペック3を投入するなど、信頼性とパフォーマンスを確実に向上していった。スペック3では新たな燃焼方式を持つICEを投入。この技術を磨いていくことで、2019年以降、徐々にトップの背中が見えてくるような戦いをできるようになる。スペック3のPUを使用したホンダのホーム鈴鹿では、ブレンドン・ハートレーとガスリーが揃ってQ3進出を決めるなど、今後の飛躍に向けた基礎がこの一年で出来上がっていった。

    トロロッソ・ホンダ

    トロロッソはレッドブル系列のチームではありますが、2018年の段階では、トップチームであるレッドブル・レーシングとホンダの関係は何も決まっていなかった。彼らとのパートナーシップ締結については、2018年のパフォーマンス次第だったが、その決め手となったのは、第7戦カナダGPで投入したスペック2のパフォーマンス向上だった。

    そして、フランスGPを控えた2018年6月19日。2019年から2年間のレッドブル・レーシングへのパワーユニット供給を正式に発表。ホンダにとってはF1復帰後初めての2チーム供給となった。チーム代表のクリスチャン・ホーナーは、チームにとって「エキサイティングな新章の始まりだ」とコメントし、チャンピオンシップ争いを目指して戦っていくことになる。

    2018年の進歩を経て、それまで多くの勝利を収めたレッドブル・レーシングへパワーユニットの供給を開始。いよいよ勝利を目指せるパッケージになるということで、大きな期待を集めてシーズンがスタートする。

    初戦のオーストラリアGPでは、マックス・フェルスタッペンが予選で4番グリッドを獲得。レースでは序盤に5番手までポジションを落とすものの、そこから追い上げて2台のフェラーリ勢の前へ。さらにはディフェンディングチャンピオンのルイス・ハミルトンの背後に迫り、わずか1.7秒差の3位フィニッシュ。これが、ホンダにとっては2008年イギリスGP以来の表彰台となった。

    レッドブル・ホンダ 初表彰台

    開幕戦での表彰台を皮切りに、フェルスタッペンはスペインGPでも再びポディウムへ。12戦連続トップ5フィニッシュを果たすが、そのハイライトが第9戦だった。

    レッドブルにとってのホームレースであるオーストリアGPで、フェルスタッペンはフロントローからスタート。しかし、スタートでの出遅れによって8番手まで順位を下げる。そこから追い上げて4番手で最後のピットストップを終えると、セバスチャン・ベッテル、バルテリ・ボッタスをオーバーテイクして2番手へ。首位のシャルル・ルクレールを追い詰めると、残り3周で見事にパスして勝利をつかみ取る。

    ホンダにとっては、2006年ハンガリーGP以来13年ぶりの優勝となり、田辺豊治テクニカルディレクターが表彰台に登壇するなど、記憶に残るレースになった

    レッドブル・ホンダ 初優勝

    そこから2戦後のドイツGPでは、フェルスタッペンが2勝目を挙げる。波乱の展開となったこのレースでは、トロロッソのダニール・クビアトが3位表彰台を獲得。トロロッソにとって2008年の初勝利以降となる、チーム史上2回目のポディウムとなった。ホンダにとってもゼロから歩みを共にしたトロロッソと2年目での表彰台獲得は非常に感慨深いものがあり、今回のプロジェクトの中のハイライトの一つになっている。

    一方で、フェルスタッペンはこのレースでファステストラップも獲得したものの、いまだポールポジション獲得は果たせていなかった。

    第12戦ハンガリーGPは、オーストリアやドイツのホッケンハイムと特性が大きく異なるサーキット。フェルスタッペンはそれをものともせず、Q1からトップに立ち続けると、Q3最終アタックで2台のメルセデスを上回ってポールポジションを獲得。これは、ホンダの復帰後初というだけでなく、フェルスタッペンにとってもF1キャリア初のポールポジションだった。

    レースは緊迫した展開となり、最後は戦略の差で2位に終わるも、フェルスタッペンはシーズン5度目の表彰台登壇で前半戦を締めくくった。

    レッドブル・ホンダ 2019年

    後半戦からレッドブルからトロロッソへと戻ってきたガスリーだった、素晴らしいパフォーマンスを見せてチームを引っ張る。そして、忘れられないインテルラゴスでのレースを迎える。

    レースは何度もセーフティカーによる中断が入る波乱に満ちた展開となる中、フェルスタッペンがポール・トゥ・ウインでシーズン3勝目。リスタート時には、フェルスタッペン、アレクサンダー・アルボン、ガスリーとトップ3をHondaパワーユニット勢が占めていたが、ハミルトンに接触されてスピンを喫して後退してしまう。ここで2番手に浮上したガスリーは、最終ラップの最終コーナーでハミルトンに並びかけられるも、そこからの直線勝負で突き放して2位フィニッシュ。

    これが、ホンダにとっては復帰後初の1-2フィニッシュとなり、トロロッソもチーム史上初めてシーズン2度目の表彰台に登壇した。

    ピエール・ガスリー(トロロッソ・ホンダ) 2019年 F1ブラジルGP

    2020年は新型コロナウイルスの感染拡大によって、F1だけでなく世界中が大きな影響を受けた。F1もシーズン開幕が4カ月近く延期され、ようやく初戦が開催されたのは7月のオーストリアでの2連戦。ここで、王者メルセデスに対抗できる存在としてパフォーマンスを発揮したのがレッドブル・レーシングだった。

    フェルスタッペンは開幕戦こそリタイアに終わったものの、シルバーストーンでのシーズン初勝利を含む、5戦連続表彰台登壇を果たす。そして、モンツァで行われたイタリアGPでは、赤旗中断によって大きく動いた流れをガスリーがつかみ、見事なレース運びを見せてキャリア初優勝を達成。表彰台の涙は多くの人の心を打った。

    最終戦のアブダビGPでは、フェルスタッペンがポール・トゥ・ウインで締めくくり、この年Hondaパワーユニットは3勝。2021年の飛躍に向けた布石の一年になった。

    ピエール・ガスリー(アルファタウリ・ホンダ) 初優勝

    レッドブル・レーシング、スクーデリア・アルファタウリへのパワーユニットサプライヤーとして最後の一年となった2021年。ホンダは、少しでもいい形でシーズンを終えるべく、2022年向けに開発していた新骨格のパワーユニットを前倒して投入した。

    空力に関するレギュレーションも変更され、これによって落ちるグリップをどう取り戻すか、車体側にとっても忙しいシーズンオフとなった。開幕戦バーレーンGPでは、フェルスタッペンがポールポジションを獲得し、僅差の2位に。続くイモラでの第2戦で初勝利を挙げると、2戦連続の2位を挟んで第5戦モナコで2勝目をマークし、素晴らしいスタートを切った。

    この年からレッドブル・レーシングに加入したセルジオ・ペレスは、アゼルバイジャンGPでフェルスタッペンがタイヤバーストによって失ったレースで勝利を挙げ、ガスリーも3位表彰台へ登壇。タイトル獲得を目指す一年は、順調な序盤となった。

    セルジオ・ペレス レッドブル・ホンダで初優勝

    前半戦は快進撃が続き、オーストリアではホンダとして1988年以来の5連勝を達成。レッドブルとの初勝利を挙げた地で、また一つ歴史に歩みを刻んだ。今季唯一の同サーキットでの2連戦となったオーストリアだったが、両レースともにフェルスタッペンがポール・トゥ・ウイン。ホームの観衆を大いに沸き立たせた。

    特に、オーストリアでの2戦目は、コロナ禍となってから初めて観客のフル動員が認められ、熱狂的な雰囲気の中でのレースに。ここでフェルスタッペンは、ポールポジション、ファステストラップ、優勝、全ラップリードという、「グランドスラム」をキャリアで初めて達成した。

    2021年 F1オランダGP

    コロナ禍の影響は完全には払拭できず、ラストイヤーのホームレース、日本GPは中止となってしまう。しかし、当初の日本GPが予定されていたレースウイークに行われるトルコGPでは、チームとともに特別デザインのマシンでファンの皆さんへの感謝を表現した。

    イスタンブールで話題を一手に集めたスペシャルカラーは、両チームが「ありがとう」のメッセージを載せたリアウイングを使用し、レッドブルは白色がベースのマシンで参戦。このレースでフェルスタッペンが2位、ペレスが3位に入り、シーズン2度目のダブル表彰台を手にした。

    この2週間後の米国GPでは、カラーリングこそ通常通りに戻ったものの、両チームがアキュラのロゴをまとって参戦。ここではフェルスタッペンが勝利を挙げ、ペレスも3位に入って再びダブル表彰台を獲得。連戦でペレスのホーム、メキシコへと向かう。

    レッドブル・ホンダ ありがとうカラー

    レースウイークを通じて好ペースを発揮したレッドブルだったが、予選ではフロントローを逃して2列目に並ぶ、しかし、レースではスタートでフェルスタッペンが華麗なオーバーテイクで上位2台を差し切り、ターン1で首位に浮上。そのまま後続を突き放して勝利へ向かう。

    フェルスタッペンは他を寄せ付けずに今季9勝目を挙げ、ペレスも3位に入って母国で表彰台に登壇。熱狂的なメキシコのファンが、例年以上に沸き立つ印象的なセレモニーとなった。

    レッドブル・ホンダ 2021年 F1メキシコGP

    レッドブル・レーシングと59戦、2015年の復帰からは140戦を経て迎えた最終戦のアブダビGP。両チャンピオンシップを賭けて最後の一戦に臨む。コンストラクターズランキングは28ポイント差に開いてはいるが、レッドブル・レーシングは最後まで諦めずに戦い続ける。

    そして、ドライバーズチャンピオンシップは、フェルスタッペンとハミルトンが同一ポイントで最終戦を迎えた。フェルスタッペンは、ハミルトンを上回れば、自身初のワールドチャンピオン獲得。ハミルトンがノーポイントとなった時点でもタイトルが決まるという状況。

    最終戦、ファイナルラップでのバトルを制したマックス・フェルスタッペンが、2021シーズンのF1世界チャンピオンに輝き、歴史に残る戦いでシーズンを締めくくった。フェルスタッペンにとっては初の総合優勝となり、ホンダF1としては1991年のアイルトン・セナ以来30年ぶりの栄冠となった。

    マックス・フェルスタッペン(レッドブル・ホンダ) 2021年 F1ワールドチャンピオン

  • ホンダF1、マクラーレンとの失敗から生まれたレッドブルとの成功

    ホンダF1、マクラーレンとの失敗から生まれたレッドブルとの成功

    ホンダF1は、失敗に終わったマクラーレンとのパートナーシップから多くの教訓を学び、2021年にレッドブルといF1ワールドチャンピオンを獲得してF1を去った。

    マックス・フェルスタッペンのタイトル獲得でホンダF1のレッドブルとのパートナーシップの成功はピークに達したが、2017年になってもパフォーマンスがいかに悪かったかを忘れられがちだ。

    マクラーレンとの3年間の最後シーズンの間、ホンダF1は絶望感に苦しみ、会議室ではF1プロジェクトを終了させたいとの願望があった。数シーズン後、結局、ホンダはF1から撤退した。しかし、それは目覚ましい変革の後、F1ワールドチャンピンで優勝したプロジェクトとして終了した。

    ホンダがマクラーレンと共にF1に復帰することが2015年に計画されたとき、両当事者は大きな期待と確信を持ってそれを話し合っていた。

    しかし、最初のハイブリッドF1エンジンには最初から欠陥があり、マクラーレンが2014年末のシーズン後のアブダビテストで暫定マシンを走らせた瞬間から警告の兆候が見られた。MP4-29H / 1X1は、2日間で5ラップしか走行できず、ラップタイムを設定できなかった。

    これは、マクラーレンがホンダF1に当初の計画よりも1年早く参入するよう圧力をかけ、準備が非常に不十分だったことが一因だった。

    そして、生産されたパワーユニットは、マクラーレンが空力の利点を求めて密にパッケージ化された「サイズゼロ」のコンセプトを実現するために妥協したレイアウトを特徴とした。コンプレッサーはV6バンク内に取り付けられ、その結果、ライバルよりも小さくなった。

    結果として、大幅にパワーが不足し、ひどく信頼性の低いエンジンと悲惨な2015年シーズンが生まれた。

    2016年にこのコンセプトを継続することは、少なくともホンダF1が信頼性を向上させることができることを意味したが、根本的なパフォーマンス不足は依然として問題だった。それが2017年の大規模なオーバーホールを引き起こした。

    ホンダF1は、メルセデスのソリューションを反映したスプリットターボとコンプレッサーを備えた新しいエンジンレイアウトを採用。それは非常に未知であったため、リスクを伴うことを知っていた。だが、その後の大規模な闘争を予想することはできなかった。

    プレシーズンテストは、ダイナモでは現れなかったオイルタンクの問題によって破壊された。そして、それが解決され、マイレージ数が最終的に増加したとき、他のより根本的な問題が発生しました。主にMGU-Hだ。

    ホンダはすでに高回転のMGU-Hを適切に機能させるのに苦労し、信頼性の理由から低回転で走らせなければならず、エンジンの出力は大幅に低下した。本来ならば、6戦を戦わなければならないはずのMGU-Hは、いくつかのレースで2戦しか管理することができなかった。

    ホンダのマネージングディレクターである山本雅史は、バーレーンでMGU-Hが何基も故障したバーレーンがF1プロジェクトの最も困難な瞬間として振り返っている。

    マクラーレンとのパートナーシップが終了した後、ホンダF1のテクニカルディレクターに就任した田辺豊治は当時のことを以下のように振り返った。

    「私はF1プロジェクトを外部から見ていました」と田辺豊治は語る。

    「非常に厳しかったです。勝つことは非常に難しいことに気づきましたが、人々はその欲求を達成するために非常に激しくに成長していました」

    「ホンダはシリーズに参加したら勝つ必要があります。それが我々の願いであり、ホンダの精神です。人々はその欲求を理解しています。そして、彼らは非常に苦労していました」

    「兆候は見えませんでした。光を見ることができず、ひたすら作業、作業、作業・・・失敗、ノーパワーという感じでした」

    2017年が進むにつれ、ホンダF1はその惨めなフォームを修正するために頻繁なアップデートを導入したが、マクラーレンがもはや信頼を失っていることは明らかだった。そして、ホンダF1は、開発スケジュールを逃し、F1ベルギーGPでアップデートが導入されず、両マシンがリタイア。続くF1イタリアGPでもダブルリタイアに終わった。

    マクラーレンは、モンツァの後に「落胆して不満を感じた」と語り、その時点でマクラーレンはホンダF1と決別することが決定した。3年間のマクラーレンとホンダF1のコラボレーションは、60レースで133ポイントという悲惨な記録で終わります。ポールも勝利も、表彰台もなかった。

    それは、マクラーレン・ホンダの黄金時代を繰り返すという高い野心からは程遠いものだった。そして、この期間中のホンダ内部の絶望は明らかだった。

    「将来への希望を実感できなかったのは初めてでした」と山本雅史は語る。

    「取締役会のメンバーの中には 『なぜこんなことを続けるのか? なぜ辞めないのか?』と言っている人もいました」

    「私もそれもいいかもしれないと思いました。チャンピオンシップを目指して戦うことなど想像もできませんでした」

    「光がありませんでした」

    信頼の欠如は、マクラーレンとホンダF1自身をはるかに超えて広がった。ザウバーでさえ鼻を上に向けた。忘れられがちだが、マクラーレンのパートナーシップが限界点に達した頃、ホンダF1はザウバーから2018年にホンダのF1エンジンを搭載するという契約をキャンセルすると言われた。

    これはホンダにとって不名誉な瞬間と呼ばれるかもしれない。経済的な状況から1年落ちのフェラーリのF1エンジンを搭載していたチームから拒否されたのだ。ザウバーはホンダに「ありがとう。だが、ノーサンキュー・・・」と伝えた。

    予定されていたザウバーとの契約は、マクラーレンとホンダが分離するというニュースの数か月前の夏休みの直前に終了した。

    これはホンダのF1プログラムの未来を危険にさらした。ホンダをF1に維持する唯一の方法は、トロロッソとの契約だが、トロロッソはルノーとの契約から抜け出す必要があった。

    したがって、マクラーレンとホンダの決別がシンガポールで発表されたとき、それは孤立した発表ではなかった。他にいくつもの契約が絡んでいた。

    トロロッソは2018年にカルロス・サインツをリリースしてルノーに貸し出し、ルノーはその見返りにトロロッソとのエンジン契約からリリースし、トロロッソとホンダF1は新しいエンジンパートナーシップを発表することができた。

    これに関連して、ルノーとレッドブルは、2018年末に決別することを事実上に確認した。ホンダF1がトロロッソとのパートナーシップで成功を証明できれば、将来のレッドブル・ホンダのプログラムへと繋がるというものだった。

    これを実現するために、マクラーレン(そしてザウバーさえも…)の明白で公然とした不信任決議に直面したホンダF1は、そのプロジェクトを信じる誰かを必要としていた。山本雅史は、ホンダの忠実な日本のファン層でさえも分裂したと述べた。

    幸いなことに、ホンダF1がまだ結果は出ないものの成し遂げてきた進歩は、レッドブルF1の首脳陣が2017年半ばまでにすでに受け入れられるものだった。

    しかし、ヘルムート・マルコやクリスチャン・ホーナーというレッドブルF1の上層部とホンダF1とのより緊密な関係を築き始める前に、レッドブル・ファミリーでホンダF1のプロジェクトを救うですでに重要な役割を果たした人物がいた。

    「ホンダにはそれができると言ったのは実際にはフランツ・トストでした」と山本雅史は明かした。

    「彼は取締役会のメンバーと話し、挽回するためには継続しなければならないと言ってくれました。ヘルムート(マルコ)と話す前に、我々はフランツと少し話をしました」

    当時トロロッソとして知られていたチームとフランツ・トストの貢献は、ホンダF1のストーリーのなかで過小評価されがちだ。トロロッソは、ホンダF1との2戦目となるバーレーンで4位でフィニッシュし、マクラーレンが過去3年間に達成したことをすべて上回った。

    オフトラックでは、トロロッソは完全にオープンなコミュニケーションに重点を置き、ホンダF1がより大胆で、より要求の厳しいものを生み出すことを奨励した。チームがエンジンサプライヤーに何をすべきかを指示する代わりに、妥協をはるかに受け入れた。トロロッソだけでなく、F1全般およびFIAとのやり取りも改善された。

    「以前と比べて、F1やチームと同じように、F1の他のマネジメントとより多くのコミュニケーションをとることができるようになりました」と山本雅史は語った。

    「おそらく、それは技術的な面でも少し役立ったと思います。我々はたくさんの情報を得ることができ、いくつかの交渉をすることができるようになりました。それはF1で生き残るのに役立ちました」

    「マクラーレンのときは、彼らは『我々は政治とすべてを世話するので、あなたたちはとにかくエンジンを作ることに集中してくれ』と言っていまいた。それが役割でした」

    「レッドブルと始めた後、我々はもう少し踏み込んできました。私自身の変化は、トロロッソと始めた後、フランツが『F1と話すべきだ、FIAと話すべきだ』と言ってくれたことです」

    トロロッソへの切り替えは、ホンダF1にとって新鮮な空気の息吹だったが、結果に大きな変化は見られなかった。トロロッソは2017年のマクラーレンよりも3ポイント多くポイントを獲得するにとどまった。

    だが、これは大きな驚きではなかった。ホンダF1は、できるだけ早く開発するために新しい仕様をもたらすように奨励され、グリッドペナルティを受けることを許されていた。レッドブルがルノーを離れ、ホンダに適切にコミットすることを確信したことで、上半期のパフォーマンスと進歩はすでに非常に価値があることが証明されていた。

    舞台裏では、それはホンダを道に導くのにも役立った。田辺豊治はテクニカルディレクターとして採用され、ホンダの自動車工学の伝説である浅木泰昭がHRD-Sakuraで開発を担当した。この構造はマクラーレンとでは実装できなかった。

    「マクラーレンのプロジェクトを続けていたとしても、我々ができたとはあまり思えませんし、マクラーレンも成功できなかったと思います」

    「最大の理由は、おそらく我々が始めた形が実際には正しくなかったということです。したがって、マクラーレンでは不可能だった正しい形またはコミュニケーションでプロジェクトを始める必要がありました」

    「そして、レッドブル・レーシングとトロロッソとはそれができました。それが非常に重要でした」

    「我々はゼロから始めました。それはリスタートでしたし、我々はそれを必要としていました」

    トロロッソのシーズン中、特にレッドブルでの最初の年に、ホンダはチーム構成と開発アプローチの変化から恩恵を受けた。

    最優先事項は、適切な信頼性を確保することだった。田辺豊治がF1テクニカルディレクターとして任命され、すべてのトラックサイドオペレーションを担当することで、ホンダがその問題に対処する方法に顕著な改善が見られた。

    以前のホンダF1であれば、一度に複数の開発分野に取り組み、それらのいずれにおいても必要な進歩を遂げないという失敗を犯していた。

    田辺豊治のアプローチは違った。彼はワークフローにさらに多くの構造を与え、トラックサイドオペレーションとさくらおよびミルトンキーンズの研究開発センターとの間のコミュニケーションを改善させた。それによって、ホンダF1は懸念のある分野をより優先し始めた。この狭い焦点は開発をスピードアップし、より良い成功率を保証した。

    その一例が、ホンダの日本のジェットエンジン部門とのコラボレーションの結果としてもたらされた、2018年後半のMGU-Hの重要な改善だった。これは、ホンダF1が信頼性を管理する上で重要なステップだった。そうすることで、開発の優先順位を変えることができた。

    「問題の解決に多くの時間を費やしました」と田辺豊治は語った。

    「それはある意味でネガティブな展開であり、常に何かを取り戻そうとしていました」

    「その後、2018/19年に、我々はポジティブな開発サイクルに移行できると感じました。ある程度の信頼性を達成した後、以前よりもパフォーマンスを向上させる時間ができ始めました」

    「それは大きな変化でした」

    田辺豊治がF1プロジェクト全体の構造を強化すると同時に、ホンダの長年の男である浅木泰昭がHRD-Sakuraをまとめあげた。

    二人は、ホンダF1のマネージングディレクターである山本雅史の下で働き、この三角形の構造は非常に効果的な働き方を生み出した。

    たとえば、浅木泰昭はMGU-Hの進歩に勇気づけられ、HondaJetとの別のコラボレーションを追求した。今回はターボ内のブレードの設計についてだった。

    これらの段階的な進歩がなければ、ホンダF1が2021年に行った積極的で革新的な変更を行うことができなかっただろう。2021年には内燃エンジンと、後にエネルギーストアを改良した。

    このような短期間でコンセプトの見直しに取り組む自信を支えたのは、両方のレッドブルチームとの緊密な協力関係であり、ホンダF1の信頼とコラボレーションの感覚は、マクラーレンとはまったく別物だった。

    田辺豊治は、以前ホンダF1の最後のワークスチームとなる第3期に仕事をしていたが、レッドブルの組織との緊密な関係はコミュニケーションと妥協という点でワークスチームに近かったと語る。

    「2007年と2008年にシャシー側とエンジン側が非常に緊密に連携して2009年のマシンを作り上げました」と田辺豊治はThe Raceに語った。

    「ある意味、トロロッソとレッドブルでも同じように感じました。我々はお互いに何をしたいのかを話し合ってからマシンのパフォーマンスに最適な決定のために歩み寄りました」

    「我々はオープンなマインドで本当に緊密に協力しました。そして、我々は『チームとPUサプライヤー』とは異なる経験で非常に快適に仕事をすることができました」

    実質的に、レッドブルとの年月は、マクラーレンとのパートナーシップで意図されていたものに発展した。マックス・フェルスタッペンが勝利を収め、最終的に2021年のF1世界選手権を制覇するまでに、ホンダF1の組織とパワーユニットは当初の設定とは大幅に異なっていた。

    2017年の変化とそれに続く悲惨なシーズンがなければ、それは実現しなかっただろう。マクラーレンとホンダのパートナーシップの失敗が、レッドブル・ホンダの成功を可能にした。

  • ホンダF1 田辺豊治TDが見た“ブラウンGPとレッドブルの開発の類似点”

    ホンダF1 田辺豊治TDが見た“ブラウンGPとレッドブルの開発の類似点”

    ホンダF1のテクニカルディレクターを務める田辺豊治が、第3期の最後に『ブラウンGP BGP001』としてタイトルを獲得することになった2009年の『幻のホンダ RA109』を開発していたときの状況と、レッドブルおよびアルファタウリとの関係の類似点を語った。

    ホンダF1のラストイヤーとなった2021年、レッドブルのマックス・フェルスタッペンがホンダのF1エンジンでメルセデスのルイス・ハミルトンとの激戦を制してタイトルを獲得。ホンダのF1エンジンとしては1991年のアイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)以来となるドライバーズタイトルとなった。

    ホンダF1がタイトル獲得チームの一員となったのは30年ぶりだが、10年ほど前にタイトル獲得マシンで大きな役割を果たしていた。

    ホンダは、2008年末で第3期のF1プロジェクトを終了して撤退。現在のメルセデスF1の母体となったブラックリーのチームと、2009年に向けて開発していた『ホンダ RA109』をロス・ブラウンに売却。メルセデスのF1エンジンを搭載して『ブラウンGP BGP001』として生まれ変わったマシンは、両方のタイトルを獲得した。

    田辺豊治は、第3期のワークスチームでのマシン開発は、レッドブルおよびアルファタウリのマシンでの作業方法と類似していたと語る。

    「2007年と2008年にシャシー側とエンジン側が非常に緊密に連携して2009年のマシンを作り上げました」と田辺豊治はThe Raceに語った。

    「ある意味、トロロッソとレッドブルでも同じように感じました。我々はお互いに何をしたいのかを話し合ってからマシンのパフォーマンスに最適な決定のために歩み寄りました」

    「我々はオープンなマインドで本当に緊密に協力しました。そして、我々は『チームとPUサプライヤー』とは異なる経験で非常に快適に仕事をすることができました」

    ホンダは、マクラーレンがバックマーカーに転落した悲惨なF1復帰3シーズンの後、トロロッソ(現アルファタウリ)にF1エンジンの供給を開始した。

    新しいパートナーとの関係はすぐに良くなったが、田辺豊治は、信頼性の問題を解決して初めてF1パワーユニットの開発に着手することができたと感じている。

    「問題の解決に多くの時間を費やしました」と田辺豊治は語った。

    「それはある意味でネガティブな展開であり、常に何かを取り戻そうとしました。そして、2018/19年には、ポジティブな開発サイクルに移行できたと感じています。ある程度の信頼性を達成した後、以前よりもパフォーマンスを向上させる時間ができてきました」。

    「それは大きな変化でした」

  • ホンダF1 山本雅史MD 「トストさんがF1に留まるよう説得してくれた」

    ホンダF1 山本雅史MD 「トストさんがF1に留まるよう説得してくれた」

    ホンダF1のマネージングディレクターを務めた山本雅史は、マクラーレンとの大失敗の後、レッドブルとともにF1に留まるようにホンダを説得する手助けをしてくれたのはアルファタウリF1のチーム代表であるフランツ・トストだったと語った。

    ホンダは、2015年にマクラーレンのワークスパートナーとしてF1に復帰したが、3シーズンの間に信頼性と競争力のあるパワーユニットを供給することができなかった。

    マクラーレンとホンダF1の関係は最終的に崩壊し、早期にパートナーシップは終了することになった。トンネルの先に光が見えなかったホンダは、F1撤退を検討した。

    「将来への希望を実感できなかったのは初めてでした」と山本雅史は The Raceに語った。

    「取締役会のメンバーの中には 『なぜこんなことを続けるのか? なぜ辞めないのか?』と言っている人もいました」

    「私もそれもいいかもしれないと思いました。チャンピオンシップを目指して戦うことなど想像もできませんでした。光がありませんでした」

    マクラーレンとの最終年に、ホンダはレッドブルからマクラーレンへのエンジン供給を引き継ぎ、レッドブル・レーシングが2019年にホンダのF1パワーユニットを採用する前の追加開発年として2018年にトロロッソに割り当てることについて話し合った。

    ホンダがF1での将来について熟考したとき、フランツ・トストはエンジンサプライヤーにその信念を納得させ、F1へのコミットメントを維持するために最善を尽くした。

    「ホンダにはそれができると言ったのは実際にはフランツ・トストでした」と山本雅史は明かした。

    「彼は取締役会のメンバーと話し、挽回するためには継続しなければならないと言ってくれました。ヘルムート(マルコ)と話す前に、我々はフランツと少し話をしました」

    F1で留まり、レッドブルとトロロッソと協力することに合意したことで、ホンダのパフォーマンスと信頼性の問題は大幅に改善された。これは主に、パートナーだけでなく、F1全般およびFIAとのやり取りが改善されたためでもあると山本雅史は語る。

    「以前と比べて、F1やチームと同じように、F1の他のマネジメントとより多くのコミュニケーションをとることができるようになりました」と山本雅史は語った。

    「おそらく、それは技術的な面でも少し役立ったと思います。我々はたくさんの情報を得ることができ、いくつかの交渉をすることができるようになりました。それはF1で生き残るのに役立ちました」

    「マクラーレンのときは、彼らは『我々は政治とすべてを世話するので、あなたたちはとにかくエンジンを作ることに集中してくれ』と言っていまいた。それが役割でした」

    「レッドブルと始めた後、我々はもう少し踏み込んできました。私自身の変化は、トロロッソと始めた後、フランツが『F1と話すべきだ、FIAと話すべきだ』と言ってくれたことです」

    「マクラーレンのプロジェクトを続けていたとしても、我々ができたとはあまり思えませんし、マクラーレンも成功できなかったと思います」

    「最大の理由は、おそらく我々が始めた形が実際には正しくなかったということです。したがって、マクラーレンでは不可能だった正しい形またはコミュニケーションでプロジェクトを始める必要がありました」

    「そして、レッドブル・レーシングとトロロッソとはそれができました。それが非常に重要でした」

    「我々はゼロから始めました。それはリスタートでしたし、我々はそれを必要としていました」

  • マックス・フェルスタッペンのF1マシン初走行を元レースエンジニアが回顧

    マックス・フェルスタッペンのF1マシン初走行を元レースエンジニアが回顧

    マックス・フェルスタッペンの元レースエンジニアであるセビ・プヒョラーが、フェルスタッペンがF1マシンを初めて運転したとき、良い意味で“恐ろしい”と感じたと語る。

    マックス・フェルスタッペンは、16歳だった2014年にレッドブルのジュニアチームに加入。レッドブルは、トロロッソのF1マシンーを運転する最初のチャンスを与えた。

    当時、チームのエンジニアを務めていたセビ・プヒョラーはサーキットにいた。その日を振り返った彼は、雨が降っていたサーキットで、マックス・フェルスタッペンがいかにマシンをうまく扱っていたかに驚かされたかを覚えている。

    「7年前、我々はイタリアのアドリア・サーキットで、2012年のSTR7で合計500km以上となる148周のテストを行った」とセビ・プヒョラーはgazzeta.itに語った。

    「それでも、彼は非常に速かった。また、その日の大部分、特に朝はアスファルトが濡れていたのを覚えている。ルーキードライバーにとって、そのトラックのように危険なトラックでシングルシーターに乗るのは決して最高のことではない」

    「だが、彼は恐ろしい方法でマシンをマスターした。」

    そのテストでF1スーパーライセンスの条件を満たしたマックス・フェルスタッペンは、1か月余り後に鈴鹿サーキットで行われたF1日本GPのフリー走行1回目にトロロッソを走らせ、公式レースの週末に参加した史上最年少のドライバーになった。

    すでにチームに非常に感銘を与えてたマックス・フェルスタッペンだが、当時のレギュラードライバーのダニール・クビアトの0.5秒以内のタイムを記録。セビ・プヒョラーは、実際にフェルスタッペンの才能を目の当たりにしたと語る。

    「それから彼は鈴鹿でトラックに出た。FP1の最初のセクターでのタイムを見たとき、私はに自分自身に『この男が好きだ』と言った」とセビ・プヒョラーは付け加えた。

    「数か月前、我々が彼をスパに連れて行ったことで、彼はチームのダイナミクスをよりよく理解することができた。その後、日本に続いて、2015年のデビュー前にすべてのウインターテストを行った」

    「ベルギーでは、彼が通過できる場所、通過できない場所といったトラックの詳細を研究した方法に、我々は非常に驚いた。彼はすべてを分析していた。他の人が想像することさえできなかったこと、トラック上の他のドライバーに関連する側面さえも分析していた」

    「ヨス(フェルスタッペン)がレースにむけて準備するのと同じものを彼の中に気づいた。他のドライバーでは見たことのないものだ。私のキャリアの中で他の誰にも見られなかった印象的な献身だ」

  • ホンダF1 山本雅史 マネージングディレクター 『ラストレースに寄せて』

    ホンダF1 山本雅史 マネージングディレクター 『ラストレースに寄せて』

    7年間、140戦にわたって走り抜けてきたホンダF1。ラストレースを前に、山本雅史マネージングディレクターが振り返った。

    2015年の復帰以来、マクラーレン、スクデリア・トロロッソ、そして、レッドブル・レーシングとともに戦ってきたホンダF1の歩みは、今週末のアブダビGPで終わりを迎える。

    多くの悔しさと喜びが詰まった旅路は、まるでジェットコースターのようだったが、ヤス・マリーナ・サーキットでダブルタイトルを賭けて戦えるところまで来た。

    同ポイントでの最終戦という痺れる展開になったが、山本雅史マネージングディレクターはここまでの7年間を振り返り、ここに至るまでの基礎は苦しい時期を味わったからかそと語る。

    「チャンピオンシップ争いができるところまで来ましたが、そのベースは、マクラーレン時代に出来上がったものです。あの時期に多くのことができるようになっていました。当時、僕らはお互いをリスペクト過ぎた部分もあり、歩みは決して速くなかった。でも、そこから多くのことを学んで、レッドブルと組むようになってからは、開発を加速させられるようになっていました」

    第三者から見れば、マクラーレン時代が失敗だったと言うのは簡単だが、両者ともに成功を目指して懸命に取り組んでいたし、苦しい中であっても喜べる瞬間もあった。

    「一番印象に残っているのは、2017年スペインGPの予選ですね。あれは鳥肌が立ちました。僕らにとってはその年のQ3初進出で、7番手となったフェルナンド(アロンソ)のパフォーマンスは素晴らしかったです。フェルナンドというドライバーの凄みを感じましたし、一番の思い出と言えるかもしれません」

    「そして、これはいいことも悪いことも含んでいますが、MGU-Hのテクノロジーについては、本当に苦労しましたね。マクラーレン時代に学んだことは多くありますし、そこから得たものがあるという点ではいいことでもありますね。大変な苦労でしたが、たくさん勉強になりました」

    マクラーレンとのパートナーシップが終わりを迎えたとき、ホンダF1はそのまま撤退するのではないかという人もいた。しかし、あくまでもF1での勝利が目的だったわけで、そのときにトロロッソというパートナーが現れ、我々にそのポテンシャルがあることを証明するきっかけを与えてくれた。

    「マクラーレンからは多くの学びを得ましたが、一方で2018年からはリセットしてゼロからスタートする部分もありました。そういった面で、決してビッグチームではないトロロッソというパートナーと再スタートを切れたことはよかったと思います。その年の2戦目のバーレーンで4位と、すぐに結果が出たことは、ホンダF1にとって『僕たちはやれるんだ』というものすごい自信になりましたし、プロジェクトの背中を押してくれましたね。リスタートのタイミングも、そのパートナーも合っていたんだと思います」

    「もちろん、レッドブルはとてもいいチームなので、ゆくゆくは彼らともパートナーシップを結びたいとは思っていましたが、当初からそれありきで話しを進めたわけではありません。ヘルムート(マルコ氏)からも、『レッドブルは、トロロッソとの結果を見て判断する』と言われていたので、2018年の結果というのはとても重要でした。そうしたプレッシャーの中で結果を残せて本当によかったです」

    好調の兆しを見せていた2018年の中盤に、レッドブル・レーシングとのパートナーシップ提携が正式に決まり、ホンダF1とレッドブル・グループの共闘体制が整う。

    「レッドブルは常に勝利を目指していますから、このパートナーシップの成立は、ある意味、自然な流れだったのかもしれません。彼らは勝利に対して貪欲ですし、ホンダF1も参戦するからには勝たなくてはいけないという、同じフィロソフィーを持っています。見ている景色は同じなので、コミュニケーションもすぐに深まっていきましたし、そうすることでお互いの信頼関係が急速に出来上がっていきましたね」

    山本MDにレッドブルとの関係に自信が持てた瞬間を聞くと、コース上での結果やパフォーマンスを見るよりも、ずっと前だったとの答えがあった。

    「本当に一番初めです。チームとして始動する前、ヘルムートが『じゃあ契約書にサインしよう』と言ってきたときじゃないかな。それまでに、どうやって勝てるチームを作り上げていくかを徹底的に議論してきたので、ともに同じ方向を見ていることに自信を感じていました」

    「そして、僕らのパートナーシップ初戦のオーストラリアGP。ここが僕にとっては一番のハイライトになっています。初戦で表彰台獲得という結果を残せて本当にうれしかったですし、決断は間違っていなかったんだ、このチームと一緒に勝利を目指していけるな、という真の自信が実感できました」

    「初勝利のオーストリアは、もともと予感があったんです。メンバーには、『今週は勝つからそのつもりで』と言っていて、マックスがフリー走行でクラッシュしましたけど、初日から初勝利を挙げたときの準備を進めていました。そういう意味では、オーストリアは何も驚かなかったですね。もちろんうれしさはありましたが、オーストラリアの表彰台は、いきなりそんな結果が出るとは思っていなかった分、すごく感動的な瞬間になりました」

    初勝利の場面では、ホンダF1のメンバーが涙する姿が国際映像に捉えられる場面もあったが、F1での勝利というのは、どんな影響があったのでだろうか。

    「やはり、勝利は別格ですよ」と語る山本MDだが、それも厳しい時期を乗り越え、急速に学びながら改善を進められたからだと語る。

    「2017年のバーレーンがホンダF1としては一番厳しいレースでした。MGU-Hがいくつも壊れて苦戦を強いられました。そのときのことを思い出すと、今は多くを学び、常にポジティブに考えることができています。このレースを覚えていない人も多いかもしれませんけど(笑)」

    「レッドブルと組み始めてからは、そこまで苦しさを感じなくなってきました。マクラーレン時代と比べれば、厳しさは格段に減りましたから。でも、2020年は少しその勢いが落ちてしまいましたね。2019年は3勝を挙げましたが、2020年はレッドブルとは2勝と、進歩することができませんでした。ただ、その間もレッドブル・レーシングとの関係は揺らぎませんでしたし、お互い信頼し合っていたので、問題はありません」

    こうした経験を経て、現在の位置までたどり着いたホンダF1。ついにラストレースを迎えるわけだが、この最終戦は1つでも順位が上になったほうがチャンピオンという緊迫の一戦になった。ただ、山本MDはタイトルの有無にかかわらず、これまでのハードワークは報われると考えている。

    「僕個人としては6年、ホンダF1としては7年になりますが、このプロジェクトに携われて本当によかったです。ホンダF1にとっても、ファンの皆さんにとっても、チャンピオンシップを争えるようになったというのはとてもいいことですし、最後は何としても勝ち取りたいなと思っています」

    「研究開発に勤しんでくれたエンジニアを心から誇りに思いますし、全員に感謝しています。この2021年の最後まで両タイトルを争う位置にいられるというのが素晴らしいことで、マネジメントの立場から見ていても、ホンダF1がどれだけやれるのか、どれほどの力があるのかを目の当たりにできました。これには感激していますし、全員の積み重ねてきた努力に感謝しています」

    そして、ホンダF1にとってのストーリーは、今週末で終わるわけではない。目の前の成功はもちろん、レッドブル・パワートレインズへ技術を引き継ぐことで、レッドブルとアルファタウリへ、最高の2022年型パワーユニットを提供するという仕事が残っている。

    「最重要課題は今季のチャンピオンシップを勝ち取ることですが、来年もレッドブルがタイトルを争い、アルファタウリが上位に食い込めるようにすることも大切です。それが、ファンの皆さんも、チームも、そして私たちホンダF1にとってもハッピーにつながるので、重要ですし集中して取り組んでいかなければなりません」

    山本MDが最後にメッセージを届けたいのは、チームでもドライバーでもなく、ファンの皆さんだ。

    「僕ら全員が心の底からファンの皆さんへ感謝しています。厳しい時期もありましたが、それでも応援し続けてくれて、多くのパワーをもらいました。ホンダF1だけに限らず、モータースポーツというのはファンの皆さんのサポートがあってのものです。すべてのモータースポーツファンに感謝を捧げます」