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  • 日産エンジン搭載車両、LMP2クラスでトップ5を独占 (ル・マン24時間)

    日産エンジン搭載車両、LMP2クラスでトップ5を独占 (ル・マン24時間)

    2013年のル・マン24時間は6月23日にフィニッシュを迎え、LMP2クラスでは日産エンジンを搭載した車両がトップ5を独占した。

    日産のパートナーチームである#26 G-Driveレーシングは3位とポディウムフィニッシュ。#42 グリーブス・モータースポーツのザイテック・ニッサンも僅差で4位と大健闘した。

    ミハエル・クルム、ルーカス・オルドネス、ヤン・マーデンボローがドライブした#42ザイテック・ニッサンは、レース全般で3位につけてたが、終盤に入ってから運に恵まれず4位でチェッカーを受けた。

    「レースでは運も必要です」とミハエル・クルムはコメント。

    「チームと3人のドライバー、みんなが必死で取り組み、ミスもありませんでしたが、今年のレースは独特の雰囲気がありました。昨日は参戦していたドライバーのひとりが亡くなり、レース自体も全体的に混沌としていました。これほどセーフティカーが入ったレースは見たことがありません。私たちはセーフティカーの度にタイムをロスすることになったので、ついていませんでした。最終的にポディウムと4位の分かれ目となったのは、そこだったと思います」

    「私のチームメイトは素晴らしい活躍を見せてくれました。ヤン(マーデンボロー)はスタートを担当することになったので、シンプルなままで行くように、自分の速さは“ハッピアワー”で発揮することができるから、と伝えました。彼の走りには感心しています。プッシュしながらマシンにダメージを与えずにいられるのは才能のある証拠。彼は間違いなく素晴らしい才能を持っています。今回の活躍は賞賛に値しますね。ルーカス(オルドネス)も完璧でした。冷静さを保ち、堅実で風格のあるパフォーマンスを見せました。今回のレースはこれまで経験した中で、最も難しかったもののひとつだと思います。雨の中で再スタートを迎えたり、ミスしそうなことも何度かあったので、この4位でのフィニッシュをありがたく思っています」

    今回、ル・マン初参戦に挑んだヤン・マーデンボローに対し、ルーカス・オルドネスの初参戦は2年前だったが、今回の参戦は以前よりも気楽に臨めたわけではないと語った。

    「3年目のル・マンの参戦だから気が楽だろうと聞かれても、そんな訳はないと答えるでしょう」とルーカス・オルドネスはコメント。

    「今回が一番大変でした。コンディションがウェットになったりドライになったり、またウェットになったりと変わりやすい時にペースを維持するのは難しいものですが、今回のレースはずっとそんな感じでした。今年の争いはこれまで以上に激しかったのですが、強豪揃いだということは分かっていました。予選の12番手からポディウム争いに絡むことができたのですから、素晴らしい内容です。私は今年GT3マシンで走っているので、テストデイの間はLMP2車両での自信を取り戻すことに専念していました。エンジニアと共に何時間もかけてデータを分析し、しっかり予習をしてきたので、今日はそれが活かされました」

    2013年のル・マン24時間、パドックで話題になったのは、ヤン・マーデンボローだった。スタートとフィニッシュを務めたほか、夜間のトリプルスティントの間には、見事なタイムも叩き出した。初参戦のル・マンで何が何でもフィニッシュしてみせるという強い意志の表れでもあり、ポディウムフィニッシュも目前だった。

    「正直、残念に思っています」とヤン・マーデンボローはチェッカーフラッグの後に語った。

    「ポディウムに上がりたいと思っていましたし、必死でプッシュしましたが届きませんでした。最後のスティントは、ウェットタイヤではプッシュしてはいけないと自分に言い聞かせ続けていたので、とてもトリッキーでした。でも、ル・マンでのレースを満喫しました。このコースを、新しいタイヤで少ない燃料で走るのは、信じられないような感覚でした」

    #26 G-Drive レーシングのドライバー、ロマン・ルシノフは、クラス優勝も目前だっただけに、ポディウムフィニッシュでも少し残念だったようだ。

    「ナイト走行の時間帯に車体を直さなくてはならず、3ラップをロスしました」とロマン・ルシノフ。

    「フィニッシュした時には、勝者からわずか1ラップ遅れでした。我々には素晴らしい速さがありましたが、これがレースです。今年はとても強さがありましたし優勝を狙っていましたが、今日のような厳しいレースの後、ポディウムに上がった時は“やった!” という気持ちでいっぱいでした」

    しかし、今日はどんないいニュースも、アラン・シモンセンが亡くなった事故による衝撃で打ち消された。2013年のル・マン24時間はこれまでになく激しいバトルとなったが、まず思い出されるのは今回の悲劇のことになるだろう。

    「まず、ニッサンを代表して、アラン・シモンセンのご遺族とアストン・マーチン・レーシングに哀悼の意を捧げます」とニッサンのグローバルモータースポーツディレクター、ダレン・コックスはコメント。

    「我々に関しては、LMP2クラスのトップ5を独占し、さらに3台のニッサンエンジン搭載車両が総合リザルトのトップ10に入り、非常にうれしく思います。またポディウムフィニッシュと大健闘を果たしたG-Driveレーシングを祝福します。今回もGTアカデミーの選出とトレーニングのステップが優れていることを証明しました。またコースの外では、ツイッターで#fanfirstを展開し、会場ではNismo FanZoneを設置、そしてNismo TVを通じての25時間の中継放送と、革新的な形で興奮を届けました」

  • ポルシェ、GTE Proクラスで1-2フィニッシュ (ル・マン24時間レース)

    ポルシェ、GTE Proクラスで1-2フィニッシュ (ル・マン24時間レース)

    ポルシェは、ル・マン24時間レースのGTE Proクラスで911 RSRの92号車(マン・デュマ/マルク・リーブ/リヒャルト・リーツ)が優勝。もう一台の91号車(イェルク・ベルクマイスター/ティモ・ベルンハルト/パトリック・ピレ)もGTE Proクラス2位でフィニッシュし、1-2フィニッシュを達成した。

    GTE-Amクラスでは、カスタマーチームIMSAパフォーマンスマットマットのポルシェ911 GT3 RSR 76号車が勝利。

    この2クラスでの勝利は、ポルシェのル・マン24時間レースでの99勝目と100勝目にあたり、世界的に知られる耐久レースの歴史に新たな1ページを加えた。

    第81回目のル・マン24時間レースは、時々雨に見舞われ、変わりやすい天候の過酷な条件のもと行われたが、今年デビューしたポルシェ911 RSRによる初めての勝利はレース後の安堵感を、さらに大きいものにした。

    ゴールラインでは、ポルシェAGチーム・マンタイのチーム全員がピットの壁に立ち、彼らの栄光を讃えた。その中には、ポルシェのピットで常にレースを見守ってきた、ポルシェAGの監査役会会長を務めるDr. ヴォルフガング・ポルシェとポルシェAG 社長のマティアス・ミューラー、そして同じく監査役会のヴォルフガング・ハッツ(研究開発部門)とベルンハルト・マイヤー(セールス&マーケティング)の姿もあった。

    FIA世界耐久選手権(WEC)の第3戦であるル・マンにおいて、2台の911 RSRはスタート直後から3番手前後を走り、揃って入賞を狙える位置につけた。素晴らしいラップタイムと信頼性によって、特に92号車の911はスタートからトップを伺った。ピットストップも順調で、燃料補給、タイヤおよびドライバーチェンジといったルーティーン作業のみを行い、クルマをサーキットに送り出した。2台の911 RSRは、91号車がライバル車と衝突してリアライトを交換したことを除き、小さな技術トラブルもなく完走した。また91号車のステアリングを握っていたイェルク・ベルクマイスターは、スタート直後すぐ目の前にセーフティカーが入ったことで約2分の遅れを強いられた。

    部分的に濡れた過酷なサーキットに苦労するライバルに比べ、911 RSRはトラブルもなく一貫して最速のラップタイムを刻んで夜の走行を安全に終え、初勝利を手繰り寄せた。ゴールの1時間前には土砂降りの雨が降り、後続車が最終アタックを仕掛けたが、91号車のリヒャルト・リーツは動じなかた。終盤、91号車もアストンマーチンとフェラーリを抑えて2位に順位を上げ、ポルシェのワークスドライバーは、ワンツー フィニッシュを手中に収めた。

    GTE-Amクラスでは、3台のポルシェ911 GT3 RSRがトップを快走。レイモン・ナラック、クリストフ・ブレおよび今シーズン、ポルシェ・モービル1・スーパーカップでポルシェのサポートを受けているジャン・カール・ヴェルナイのチームがチェッカーフラッグを受け、勝利を収めた。これは2012ポルシェ インターナショナル・カップ奨学金を獲得したジャン・カール・ヴェルナイにとっては、夢が叶った瞬間だった。デンプシー・デル・ピエロ・プロトン911 GT3 RSRをドライブしたのは、ポルシェのワークスドライバーであるパトリック・ロングとジョー・フォスター、そしてレーシングドライバーでもある俳優のパトリック・デンプシーで、全員がアメリカ人だった。デンプシーは、時折リードを奪う走りを見せていたが、自らのミスではなく、1台のスポーツプロトタイプにコース外に押し出され、ポルシェでのル・マン初優勝の夢が断たれた。

    また、デンマークのアラン・シモンセンの死が、ル・マンのレースに暗い影を落とした。レース4周目、アストンマーチンをドライブするシモンセンが、高速のテルトル・ルージュ・コーナーのバリアに突っ込み、24時間サーキット・メディカル・センターに重体で運び込まれた後、間もなく亡くなった。

    ポルシェAGの監査役会会長であるDr.ヴォルフガング・ポルシェは、「今回のル・マン24時間レースでは、911 RSRでクラス99勝目および100勝目のダブル優勝を遂げ、ポルシェはすばらしい成功を収めました。この勝利に貢献した全員に、祝辞を贈ります。しかし、私達の喜びは、アラン・シモンセンの死に対する悲しみとショックにより複雑なものとなってしまいました。私達は、情熱的なレーサーを失っただけではなく、ポルシェのモータースポーツ・ファミリーの良き友人を失いました。彼は、2007年にポルシェでル・マン24時間レースのデビューを飾りました。また、2005年には、当社のワークスドライバーであるマルク・リーブとともに、ル・マン耐久シリーズの2戦をポルシェで戦った歴史もあります。彼の家族ならびにアストンマーチン・チーム、および彼のチームメートに心からのお悔やみを申し上げます」とコメント。

    ポルシェAGの社長であるマティアス・ミューラーは、「この魅力に溢れた24時間は、私達のほとんどが体験したことのないアクション満載のレースでした。ル・マンは、最初から最後までエキサイティングなものでした。最終的には運が私達に味方してくれました。アストンマーチンは、とてつもない強敵でした。私達は今、事故で他界したアラン・シモンセンのことを想わずにはいられません。これは、モータースポーツ界およびアストンマーチンにとって、大きな悲劇です。しかし一方で、ポルシェはGTレースで勝つマニュファクチュアラーであることを再度証明しました。これは、2014年への希望となります」と述べた。

    ポルシェAGの研究開発担当役員であるヴォルフガング・ハッツは、「私は、チーム全員で成し遂げた偉業に、信じられないほど強い誇りを感じています。GTE-Proクラスでのワンツーフィニッシュと、当社のカスタマーチームによるGTE-Amクラスでの優勝は、これ以上望むことのできない結果です」と語っています。ポルシェのモータースポーツ部門のトップであるハルトムート・クリステンは、「911の50周年と、ここル・マンにおいて最後にワークスチームで参戦してから15年にあたる今年、想像し得る最高の結果を達成することができました。私はワークスチームのみの話をしているわけではありません。当社のカスタマーチームもすばらしい活躍を見せてくれました。これ以上望むことはありません。観客にとってレースはスリリングで、私達にとっては神経がすり減るものでしたが、この結果で報われました」と話した。

    ポルシェAGチーム・マンタイの監督であるオラフ・マンタイは、「私達の成功に言葉を失った状態です。最後から2回目にセーフティカーが入った時点で、私はそれほど楽観していませんでした。まだこの勝利を信じられません。1999年に初めてル・マンでポルシェと組んだときにも、優勝しました。その15年後の今日、私達はまた勝つことができました。しかし、神は私達の神経が破壊されてしまうようなシナリオを用意していました」と述べた。

    マルク・リーブ(#92)
    「まるで、おとぎ話のようです。911 RSRでの初挑戦でル・マンの優勝を獲得できるとは、夢にも思いませんでした。これほど短期間で911 RSRをル・マン優勝へと導いた私のチームメートとクルー全員を信じられないほど誇りに思っています」

    リヒャルト・リーツ(#92)
    「すべての山場を迎えた私の最後のスティントでも、大きなプレッシャーは感じませんでした。しかし、最初から私の頭にあったのは同僚の死と1/10秒との戦いで、ポジションは二の次でした。十分に集中できたドライバーは、多くはいなかったと思います。ル・マンでこれほど多くのセーフティカー・フェーズを経験したことはありません。雨は私達に幸運をもたらしましたが、このような困難な条件下で運が必要だったことも確かです。自分達のパフォーマンスと車両に関しては、私達は喜びと誇りを感じていますが、私達の心は他のところにあります」

    ロマン・デュマ(#92)
    「今回のル・マンは、スタートからサスペンスと感動に溢れていました。アラン・シモンセンの悲劇の事故から始まり、最後には恵みの雨で私達は大いに救われました。しかし、最初はセーフティカーで大きなフラストレーションを感じたのも確かです。この優勝がポルシェと911の50周年に花を添えるものとなったことは嬉しい限りです」

    イェルク・ベルクマイスター(#91)
    「アランの事故死で複雑な気持ちでした。アストンマーチンの優位性を考えると、ワンツーフィニッシュは、レース前には夢にも描くことのできなかった結果です。私達には素晴らしい車両がありましたが、少しの悪運にも見舞われました。それでも、諦めずに戦い続けた結果の2位は、大きな慰めです」

    パトリック・ピレ(#91)
    「今日という日は、誇りと幸せを感じる日ですが、悲しみの日ともなりました。このような状況のため、私達全員が気持ちを整理するのに数週間はかかるでしょう。今は皆がアランを想い、そのため、この成功も私にとって本来のすばらしい瞬間とはなり得ません。私達は勝利をポルシェに捧げるため、新しいレーシングマシンである911RSRとともに、チーム全員で並外れた努力をしてル・マンに挑みました」。

    ティモ・ベルンハルト(#91)
    「天候がめまぐるしく変わり、動きの多い難しいレースでした。私達は表彰台を狙っていたので、特に911 RSRでのル・マンが最初で最後となる私にとって、ワンツーフィニッシュはすばらしい結果です。スタートから私達は速いペースで走行していましたが、セーフティカーのため早い段階で2分ロスし、残りのレースはこれを取り戻すために費やしました。最終的には、必要な運に恵まれました。チームメートの勝利を祝いたいと思います。チームにとって本当にすばらしい一日となりました」。

    ジャン=カール・ヴェルナイ(#76)
    「今シーズン、私はポルシェ・モービル1・スーパーカップでポルシェのサポートを受けています。ここル・マンでは、ポルシェが私に寄せてくれている信用に間違いがないことを証明したいと思っていました。そして、それを証明できたと思います。私にとって最高の週末でした」

    パトリック・ロング(#77)
    「私は、パトリックとジョーとともに表彰台に上りたいと強く願っていました。優勝も狙えると思っていました。 車両は信じられないほどの仕上がりでしたが、私達のレースではなかったと?óうことです。今日は、ポルシェにとってすばらしい日となりました。新型911 RSRがル・マンでワンツーフィニッシュ – ほとんど信じられないような偉業です。この勝利に貢献したヴァイザッハの全員におめでとうと言いたいです」

    パトリック・デンプシー(#76)
    「パトリック・ロングは最高の仕事をしてくれました。彼はすごく巧みに、すごく速くドライブしました。彼がチームにいてくれたことに感謝しています。彼は驚くほどに刺激と感動を与えてくれる存在です。ポルシェは私達に優れたマシンを提供してくれました。私達は表彰台を狙える位置にいました。ル・マンにポルシェと共に参戦するのは、信じられないような経験です。私は、この偉大なプロジェクトに参加できたことを誇りに思います」

  • トム・クリステンセン、ル・マン最多優勝記録を9回に伸ばす

    トム・クリステンセン、ル・マン最多優勝記録を9回に伸ばす

    トム・クリステンセンは、2013年のル・マン24時間レースでアウディ 2号車をドライブして優勝。ル・マン最多優勝記録を9回に伸ばした。

    ポールポジションからスタートしたアウディ2号車(ロイック・デュバル / トム・クリステンセン / アラン・マクニッシュ)は、土曜日の夜9時43分にトップに立ち、そこから日曜日の午後3時のゴールまで一度もトップの座を明け渡すことなく走り続けた。

    デンマーク人のトム・クリステンセンは、1997年にチーム・ヨーストからル・マン24時間レースに初参戦して、いきなり総合優勝を達成。2000年にはアウディと手を組んだチーム・ヨーストに復帰し、2005年まで総合6連覇を達成。2008年にもアウディで総合優勝を獲得している。

    「今回のル・マンは特別な想いに溢れるレースでした」とトム・クリステンセンは振り返る。

    「世界最高のチームで参戦出来たことを誇りに思っています。この想いは、すべてのチームメイトだけでなく、インゴルシュタットやネッカーズルムで働いているすべての人々、そしてアウディスポーツ チームヨーストの面々に捧げます。彼らは、私達の夢の実現に多くの力を注いでくれました。そして今日、その夢は再び現実のものとなりました」

    トム・クリステンセン、今年のル・マン24時間レースのレース中の事故で亡くなった同じデンマーク人のアラン・シモンセンに哀悼の意を評した。

    「ただ、私達と同じ夢に向かっていたアラン・シモンセンが亡くなりました。彼はとても控え目ですばらしい人でした。私が優勝を手放しで喜ぶことができないのは、彼を失った悲しみによるものです。そもそも私は9度目の優勝を目指して、今年3月に亡くなった父から託された大きな決意と望みを胸に走ろうと考えていました。父は亡くなる前に今年のル・マン優勝を強く願ってくれていました。ロイックやアランと共に今年も優勝を獲得することが、父が残した想いに応えることだと感じていたのです。そして今、その想いをアラン・シモンセンにも捧げたいと思っています」

  • アウディ、12回目の総合優勝 (ル・マン24時間レース)

    アウディ、12回目の総合優勝 (ル・マン24時間レース)

    アウディは、2013年のル・マン24時間レースでquattroシステム搭載のハイブリッドマシン“アウディ R18 e-tron quattro”による2度目の優勝、通算12回目の総合優勝を成し遂げた。

    当初から予想されていた通りアウディによる12回目の優勝獲得への道は、これまでになく過酷で困難なものだった。

    レギュレーション変更により、アウディ R18 e-tron quattroはライバルのトヨタに比べ、満タンの燃料で走れる距離が平均で2ラップも少なくなり、より多くのピットストップで消費する時間を補う為に、アウディのドライバー達は更に速く走ることを求められる中、その困難な課題を見事に克服した。

    今年は度重なる雨に見舞われ、混乱の多い展開となった。雨は数多くのアクシデントを引き起こし、セフティカーが合計11回も投入され、さらにコース改修など合計5時間以上もイエローコーションとなった。

    フロントアクスルを電気で駆動する3台のアウディ R18 e-tron quattroは24時間をもっとも速く、もっとも低燃費で走り続け、その功績によりクリーンで速く、そして低燃費で走るプロトタイプカーに与えられるミシュラン グリーンXチャレンジの栄誉にも輝いた。

    今年も現地でレースを観戦していたアウディ AG取締役会会長ルパート シュタートラーは以下のように述べた。

    「エンジニア達の革新的精神、チーム全員が持っていた高い責任感、そしてドライバー達の高い技術と極度の緊張にも打ち勝つ強い精神力に支えられ、アウディは12回目のル・マン優勝を達成することが出来ました。アウディ全社を代表して今回の勝利に貢献したすべての人々へ、心から感謝と祝福の意を表します。今回の偉業達成によりアウディが誇るハイブリッドシステムや最新のテクノロジーが、将来のクルマ作りに大きく貢献することを確認出来ました」

    革新的ラジエーター、夜間にコーナーをより明るく照らすマトリックスビームLEDヘッドライトなどの技術が、ル・マンで大きなアドバンテージを生み出していた。

    「レギュレーションだけでなく、今年はいくつもの理由でとても厳しいレースになるだろうと考えていました。その予想通りトヨタは強力なライバルでしたが、我々のアウディ R18 e-tron quattroは、見事に戦いを制しました。この成功を獲得するまで何ヶ月も準備を続けてきたチーム全員に感謝しています」とアウディモータースポーツ代表Dr. ヴォルフガング・ウルリッヒはコメント。

    アウディに12回目のル・マン優勝をもたらしたのはポールポジションからスタートした、2号車のロイック・デュバル、トム・クリステンセン、アラン・マクニッシュのトリオだった。予選でポールポジションを記録したデュバルは今回がル・マン初優勝となった。アラン・マクニッシュは3回目、トム・クリステンセンは1997年の初優勝からル・マン最多優勝を誇りその記録を9回に伸ばした。

    優勝した2号車のアウディ R18 e-tron quattroは一切のメカニカルトラブルに見舞われずに24時間を走り切った。デュバル / クリステンセン / マクニッシュの3人は、土曜日の夜9時43分にトップに立ち、そこから日曜日の午後3時のゴールまで一度もトップの座を明け渡すことなく走り続け。彼らはレース序盤で2番手を走るライバルのトヨタに1ラップのアドバンテージを作り出すとその後の激しい雨による混乱の連続をものともせず、そのリードを最後まで守りきった。

    他のアウディ R18 e-tron quattroは、レース開始から7時間が経とうとする頃、ほぼ同時に不運に見舞われ予定外のピットストップを余儀なくされ、それまで保っていたアウディの1-2-3番手走行が途絶えてしった。オリバー・ジャービスは他のマシンに衝突され、その弾みでタイヤがパンク。その後ピットに戻るためにほぼ1周をパンクした状態で走行せざるを得なかったため、トップに2ラップの遅れをとってしまった。しかし、ル・マン初出場のルーカス・ディ・グラッシ、マルク・ジェネ、そしてオリバー・ジャービスのトリオは破竹の追い上げを見せレース終盤にトヨタを抜いて3位に浮上し、その後はポジションを守りきり、表彰台を獲得した。

    マルセル・ファスラー、アンドレ・ロッテラー、ブノワ・トレルイエのトリオは、オルタネータ交換作業によって一時的に12ラップ遅れの24位まで順位を下げたが、2011年および2012年の勝者である彼らは、レース終了時にはその順位を5位まで回復させた。

    Dr. ヴォルフガング・ウルリッヒ (アウディモータースポーツ代表)
    「これまで15年に渡り参加してきたル・マンの中で今年が最も過酷なレースでした。その理由のひとつが、レース開始直後にアラン シモンセンの悲劇に直面したことであることは言うまでもありません。我々は彼の家族と同様の悲しみに打ちひしがれました。同時に、レース展開も厳しいものでした。24時間を通じて目まぐるしく変わる天候により、刻々と変化する状況に対応し続ける必要がありました。これによって、ピット周辺のスタッフ全員が、わずかな休憩も取れずに動き続けていました。2度と経験したくない過酷な状況でした。そんな厳しい状況にも関わらず、チームクルーはすべて、完璧で素晴らしい働きをしてくれました。私は、彼らと共にル・マンを戦えたことを誇りに思っています」

    クリス レインケ (LMPプロジェクトリーダー)
    「混乱に見舞われたレース序盤から、我々は素晴らしいバトルを繰り広げました。数多くのテクノロジーが、これまでになく過酷な天候に打ち勝ち、最後まで素晴らしいレースを支えていました。この様な状況になることもあろうかと、我々は最善の準備を調えてレースに臨み、その結果としてアウディ R18 e-tron quattroが表彰台のトップを獲得することが出来ました」

    ラルフ・ユットナー (アウディスポーツ チームヨーストのテクニカルディレクター)
    「今年のレースは、悪天候によるセフティカー ピリオドが度重なり、これまで経験したことのない混乱に見舞われました。展開の予測はまったく不可能でした。そのおかげで最後まで気の抜けないスリリングなレースとなりました。我々のマシンは、本当に非の打ち所がなくトヨタを相手に勝利を収めることが出来ました。我々のマシンならライバルに充分に勝てると考えてはいましたが、2号車がその考えが正しかったことを証明してくれました。トム・クリステンセンの9回目、アラン・マクニッシュの3回目、そして何よりロイック・デュバルの初優勝を祝したいと思います。これまで感じたことのない想いが沸き上がっています。優勝マシンはもちろん、他の2台を担当したチームを含め、アウディスポーツのスタッフ全員に感謝しています。彼らは本当にハードワークをこなして優勝に貢献しました。不運にも3号車は他のマシンに接触され、優勝争いから退くことになりました。1号車は優勝する可能性が高かったものの、些細なことが原因でその機会を失いました。ル・マンで優勝するには幸運も必要だということを、改めて感じました。レースに挑戦して2位を獲得したトヨタは、賞賛に値する戦いをしたと思います」

    ロイック・デュバル (アウディ R18 e-tron quattro 2号車)
    「数多くの感情を掻き立てられると同時に、勝つためには並々ならぬ努力が不可欠なル・マンは、本当に偉大なレースだと思います。私は今、感動の涙を堪えきれません。一方レース開始直後にアラン シモンセンの不幸に接した私達にとって今回のレースはとても辛いものとなりました。昨年以降、チームはあらゆる準備を行い素晴らしいマシンを提供してくれました。トム・クリステンセンやアラン・マクニッシュと獲得した今回の優勝は、私にとってル・マン初優勝です。レース人生の中で、最高の日となりました」

    トム・クリステンセン (アウディ R18 e-tron quattro 2号車)
    「今回のル・マンは特別な想いに溢れるレースでした。世界最高のチームで参戦出来たことを誇りに思っています。この想いは、すべてのチームメイトだけでなく、インゴルシュタットやネッカーズルムで働いているすべての人々、そしてアウディスポーツ チームヨーストの面々に捧げます。彼らは、私達の夢の実現に多くの力を注いでくれました。そして今日、その夢は再び現実のものとなりました。ただ、私達と同じ夢に向かっていたアラン・シモンセンが亡くなりました。彼はとても控え目ですばらしい人でした。私が優勝を手放しで喜ぶことができないのは、彼を失った悲しみによるものです。そもそも私は9度目の優勝を目指して、今年3月に亡くなった父から託された大きな決意と望みを胸に走ろうと考えていました。父は亡くなる前に今年のル・マン優勝を強く願ってくれていました。ロイックやアランと共に今年も優勝を獲得することが、父が残した想いに応えることだと感じていたのです。そして今、その想いをアラン・シモンセンにも捧げたいと思っています」

    アラン・マクニッシュ (アウディ R18 e-tron quattro 2号車)
    「今年のレースではあらゆることが順調でした。2013年仕様のアウディ R18 e-tron quattroは、ほんとうに完璧なマシンでした。シーズンオフの間、エンジニア達は完璧な作業をしてくれました。ロイック・デュバルがファステストラップを記録した公式テストの時、トム・クリステンセンと私もマシンに対して非常に良い感触を得ていました。それゆえにレースでは慎重かつフェアに走り続けられ、結果として予定外のピットストップを一度もせずに済みました。予期せぬことと言えば、トムが走っている時に見舞われたパンクだけでした。ル・マンの様なレースは他にありません。私達はトヨタを相手に厳しい戦いを制して優勝したのです」

  • 小林可夢偉、クラス5位 「悔しいけど仕方ない!」 (ル・マン24時間)

    小林可夢偉、クラス5位 「悔しいけど仕方ない!」 (ル・マン24時間)

    小林可夢偉は、初出場となったル・マン24時間レースをクラス5位で終えた。

    ル・マン24時間レースにむけて、各クラスにBoP(バランス・オブ・パフォーマンス)の調整が行われたが、これが小林可夢偉の所属するAFコルセ フェラーリには不利な結果に。レースは、これまで優勝のなかったポルシェが1-2フィニッシュを達成。小林可夢偉のAFコルセ 71号車は5位という結果に終わった。

    レースを終えた小林可夢偉は「マジで疲れた! でもこれがBOPです!」とTwitterでコメント。

    「チームもチームメイトのトニ、オリありがとう! そして眠い目こすって応援してくれた皆様ありがとうございました! 悔しいけど仕方ない!」

  • トヨタ、2位表彰台 「チームを誇らしく思う」 (ル・マン24時間レース)

    トヨタ、2位表彰台 「チームを誇らしく思う」 (ル・マン24時間レース)

    トヨタは、ル・マン24時間レースで2台共に24時間を走り抜き、アンソニー・デビッドソン/ステファン・サラザン/セバスチャン・ブエミ組の#8が2位表彰台を獲得。アレックス・ブルツ/ニコラス・ラピエール/中嶋一貴組の#7が4位でチェッカーを受け、2台共に24時間レースの完走を果たした。

    11回にわたってセーフティカーが導入され、めまぐるしく変わる天候とコースコンディションに翻弄された今年のル・マン24時間レース。

    レースが終盤に入り、2位を行く#8は、首位の#2アウディにプレッシャーをかけ続け、一方、#7は#3アウディとピットイン毎に順位を入れ替えながら、激しい3位争いを展開していた。

    しかし、ル・マンは最後の最後にもドラマが待っていた。

    残りが1時間20分を切ったとき、突然コース全域で強い雨が降り始めた。この雨に足をすくわれた#7のニコラス・ラピエールが、ポルシェコーナーでコースアウトし、タイヤバリアにクラッシュ。しかし、ニコラス・ラピエールは、ダメージを負った前部カウルを取り外し、満身創痍の姿ながら、自力でピットへと帰還した。

    この突然の雨で、他の車両も数多く、スピンやクラッシュを喫し、頻繁にセーフティカーが導入。このセーフティカー走行の間に、トヨタ・レーシングのメカニックが素晴らしい働きを見せ、僅か30分ほどで#7は車両前部の修復を果たし、4位の順位を守ったまま、コースへと復帰した。

    レースは残り30分でセーフティカー導入が解除されて再開。2台のTS030 HYBRIDは、24時間のチェッカーを受け、チームクルーと大観衆の待つゴールを走り抜けた。

    ル・マン24時間レースでの2位という結果は、トヨタにとってベストタイの記録である。これまでにTS010(1992)、94C-V(1994)とTS020(1999)が2位フィニッシュを果たしている。

    木下美明 チーム代表
    今日は本当にチームを誇らしく思う。我々はチームとしての真価を発揮し、この結果を勝ち取った。我々は非常に困難な状況においても、目標を見失うことなく、決して諦めなかった。2台共に完走を果たし、表彰台を獲得出来たというのは非常に満足のいく結果だ。#7がダメージを受けたあと、全員が見せた意志の強さとチームワークを決して忘れないだろう。チームスピリットを見せてくれたことに非常に感激している。全力を尽くしてくれたチームとドライバーに感謝の言葉を述べたい。今日の結果は喜んでいるが、私の夢はル・マンでの勝利であり、来年は更に強くなって戻って来たい。

    TS030 HYBRID #7
    (アレックス・ブルツ/ニコラス・ラピエール/中嶋一貴)
    スターティンググリッド:5番手
    決勝レース:4位(341周:首位と7周差)、ピットストップ29回、
    最速タイム:3分25秒718
    22時間経過時点(ニコラス・ラピエール):4位
    23時間経過時点(ニコラス・ラピエール):4位
    24時間経過時点(ニコラス・ラピエール):4位
    決勝レースのドライバーオーダー:ニコラス・ラピエール/アレックス・ブルツ/中嶋一貴/ニコラス・ラピエール/アレックス・ブルツ/中嶋一貴/ニコラス・ラピエール

    アレックス・ブルツ #7
    共にル・マン24時間レースに出場したドライバー仲間の一人を失うという非常に悲しいレースではあったが、優勝したアウディの#2を祝福する。ドラマティックなレースで彼らは勝利を挙げた。そして、我々のチームの1台が表彰台に上ったということは非常に嬉しく、誇りに思う。アンソニー・デビッドソン、セバスチャン・ブエミとステファン・サラザンの3名にはおめでとうの言葉を贈りたい。アウディは10年にわたってこのスポーツを、非常に高いレベルで支配して来たということを忘れてはならない。我々がレースを通して、首位に近い位置で戦うことが出来たということは、非常に勇気づけられる結果だ。

    ニコラス・ラピエール #7
    ル・マン24時間レースで表彰台を獲得出来、トヨタ・レーシングにとって素晴らしい一日となった。チームが発足してから僅か18ヶ月という若いチームが、勝利に非常に近い位置で戦えたということは誇りに思う。重大なテクニカルトラブルに見舞われることなく2台が完走を果たせたのは、非常に大きな成果だ。残念なから我々のTS030 HYBRID #8は、私のミスで表彰台争いから脱落してしまった。私は3位でフィニッシュするためにプッシュするしかなかったが、それは上手く行かなかった。4位は残念だが、私がTS030 HYBRIDと共にガレージへと戻って来たときのメカニックは素晴らしかった。彼らは確実な作業で私とTS030 HYBRIDを迅速にコースへと戻してくれ、本当に感激した。

    中嶋一貴 #7
    アウディの#3とあれほどエキサイティングな3位争いが出来るとは、予選の段階では予想も出来なかった。今の段階から、来年再びここへ戻って来て、優勝を目指して戦うのが待ちきれない。チーム全員の素晴らしい仕事に感謝したい。チームメイトが表彰台を獲得出来たのも良かった。もう一段上に立てなかったのは残念だが。我々のTS030 HYBRIDにとって、結果は理想的なものではなかったものの、完走を果たせたのは良かった。我々はチームとして懸命に働いた。レース終盤のアクシデントでの対応は誇りに思う。チェッカーフラッグを受けるのを見るのは嬉しいが、昨日の悲しいニュースもあり、複雑な気分だ。

    TS030 HYBRID #8
    (アンソニー・デビッドソン/ステファン・サラザン/セバスチャン・ブエミ)
    スターティンググリッド:4番手
    決勝レース:2位(347周:首位と1周差)、ピットストップ30回、
    最速タイム:3分25秒151
    22時間経過時点(アンソニー・デビッドソン):2位
    23時間経過時点(セバスチャン・ブエミ):2位
    24時間経過時点(セバスチャン・ブエミ):2位
    決勝レースのドライバーオーダー:アンソニー・デビッドソン/セバスチャン・ブエミ/ステファン・サラザン/アンソニー・デビッドソン/ステファン・サラザン/アンソニー・デビッドソン/セバスチャン・ブエミ

    アンソニー・デビッドソン #8
    今回のレースは本当にタフなコンディションだった。しかし、チームとTS030 HYBRIDは完璧だった。全員が協力し合い、トヨタ・レーシングは素晴らしい成果を成し遂げた。私は常々、我々がやるべきことを全てやれば、少なくとも表彰台には登れると言っていた。ル・マンに到着したばかりの頃は、まだTS030 HYBRIDから十分な速さを引き出せてはいなかったが、我々は諦めず努力を続けたし、また、レースでは何が起こるか分からないということも知っていた。不幸にもスタート直後のアクシデントは悲しい結果となってしまった。個人的には、昨年我が身に起こったアクシデントから復帰し、ついにル・マンの表彰台に上ることが出来たというのは本当に驚くべきことだ。ずっと夢見ていた結果であり、素晴らしい気分だ。

    ステファン・サラザン #8
    チームにとっては素晴らしい結果で、将来に向けて希望が持てた。我々は昨年から猛烈に仕事をしてきた。チームも総力を挙げて頑張った。メカニックは200%の力を出し切った。ル・マンの週末、TS030HYBRIDは最高の調子だったし、まったく問題は出なかった。我々は全力を出し切ったが、アウディの方がほんの少し速かったということだろう。簡単にミスを犯すトリッキーなコンディションで、セバスチャン・ブエミもアンソニー・デビッドソンも素晴らしい仕事をしてくれた。多くのクラッシュがあり、土曜日には我々の仲間のアラン・シモンセンが亡くなる事故があったことを忘れてはいけない。しかし、今はレースを振り返って、ただ嬉しい。チーム、メカニック、エンジニア、みんなに対して最高の気分だ。そんなチームの一員であることに誇りを持っている。私はなんて幸運な男なのだろう。

    セバスチャン・ブエミ #8
    今年のル・マンは厳しいコンディションに見舞われて、難しいレースだった。ミスは時と場所を選ばず襲って来るが、私のチームメイトは素晴らしいドライブ、素晴らしい仕事をしてくれた。これまで何度も耐久レースのテストを繰り返して来たが、それで十分かどうか常に心配だった。それがル・マンに来てまったくトラブルなしでレースを2位で終えることが出来た。チーム全員の努力の結果だ。優勝を狙っていた我々にとれば2位は不満が残る結果だが、昨年から素晴らしい進歩を確認出来たので、来年はアウディももう少し心配しなければいけないことになるはずだ。

  • ル・マン24時間レース:アウディが総合優勝、トヨタが2位

    ル・マン24時間レース:アウディが総合優勝、トヨタが2位

    2013年 ル・マン24時間レースの決勝レースが行われ、アウディが12回目の総合優勝を果たした。

    レースは、スタートから天候が不安定で行われ、残り1時間の時点でも雨が降るという難しいコンディション。セーフティカー導入は10回以上、セーフティカーランの合計時間は5時間を越えるという展開となった。

    優勝は、アウディの2号車(トム・クリステンセン/ロイック・デュバル/アラン・マクニッシュ)。トム・クリステンセンは9回目のル・マン制覇。

    2位にはトヨタの8号車(アンソニー・デビッドソン/ステファン・サラザン/セバスチャン・ブエミ)、3位にはアウディの3号車(マルク・ジェネ/オリバー・ジャービス/ルーカス・ディ・グラッシ)が続いた。トヨタの7号車(アレックス・ブルツ/ニコラス・ラピエール/中嶋一貴)は4位でレースを終えた。

    小林可夢偉が参戦するGTEプロクラスは、ポルシェの92号車と91号車が1-2フィニッシュを達成。3位にはアストンマーチン97号車が続いた。小林可夢偉のAFコルセ 71号車は5位でレースを終えた。

    LMP2クラスは、OAKレーシングの35号車と24号車が1-2フィニッシュ。LMP2クラスに参戦した日本人ドライバー、中野信治と井原慶子は、リタイアでレースを終えた。

  • アラン・シモンセン:1978-2013

    アラン・シモンセン:1978-2013

    ル・マン24時間レースで事故死したアラン・シモンセンは、世界のGTドライバーのエリートのひとりであり、多くの実績を残したドライバーだった。

    デンマーク人ドライバーのアラン・シモンセン(34歳)は、地元デンマークでのGTレースやオーストラリアのV8スーパーカーを始め、多くのレースに参戦。年間30〜40戦に出場することも稀ではなかった。

    過去10年間でアラン・シモンセンがレースをしたチームのリストは、彼の才能だけでなく、パーソナリティを表すものでもある。アラン・シモンセンは、パドックでの生活を愛し、レーストラックに全てを捧げた。

    1999年にフォーミュラ・フォード1600で優勝したアラン・シモンセンは、フォーミュラ・パーマー・アウディ、フォーミュラ・ルノーに参戦するためにイングランドに渡る。

    活動資金が尽きたアラン・シモンセンだったが、オーストラリア、そしてヨーロッパのGTカーに居場所を見つける。2005年には、V8スーパーカーにレギュラー参戦しつつ、ユートでのピックアップトラックのシリーズにも参戦した。

    2008年には、ヴァーゴ・モータースポーツでフェラーリを駆り、ル・マン24時間レースのGT2シリーズで優勝。2010-11年には、ファンバッハ・フェラーリのレースドライバーとしてシーズンを通して印象的なパフォーマンスをみせた。

    昨年のル・マン24時間レースでアストンマーチン・レーシングに加入したアラン・シモンセンは、2013年にオール・デンマーク人のクルーとともにWECに参戦する契約にサイン。開幕戦のシルバーストンでは、LM-GTE Amクラスで優勝。今週末のル・マン24時間ではポールポジションを獲得していた。

    関連:ル・マン24時間レース、アストンマーチンのドライバーが事故死

  • ル・マン24時間レース、アストンマーチンのドライバーが事故死

    ル・マン24時間レース、アストンマーチンのドライバーが事故死

    ル・マン24時間レースのLM-GTE Amクラスに出場していたアストンマーチンのドライバー、アラン・シモンセンが、レース中の事故で亡くなった。

    今年のル・マン24時間レースのスタートは、絵mによって滑りやすいコンディションとなっていたが、スタート直後の3周目にアストンマーチンの95号車をドライブしていたアラン・シモンセンがガードレールに激しくヒットした。

    すぐに医師が現場に駆け、メディカルセンターに運ばれたが、間もなく息を引き取った。報道によると、事故直後は意識があり、医師とも会話していたという。

    この事故を受けてレースは1時間に渡りセーフティカー先導で進行、その後、再開された。

    アラン・シモンセンの家族は彼への追悼として、チームのレース続行を望んだ。

    ACOは、「ACOは謹んで事故による大きな悲しみを伝えさせて頂く。そして、アラン・シモンセンの友人、家族にお悔やみを伝えたい」と声明を発表した。

    ル・マンのレース中にドライバーが亡くなったのは1986年のヨー・ガルトナーが最後だが、1997年のプラクティス中にはフランス出身のセバスチャン・アンジョルラスが命を落としている。

  • 井原慶子、リタイアも「悔いはないです」(ル・マン24時間レース)

    井原慶子、リタイアも「悔いはないです」(ル・マン24時間レース)

    井原慶子は、ル・マン24時間レースをマシントラブルによリタイアで終えた。

    井原慶子のLM2クラスにガルフ・レーシングから参戦。昨年は第1走者のドライバーのクラッシュにより、1周も走れずに終わっていた井原慶子だったが、今年は走行のチャンスを得た。

    しかし、マシンにトラブルが発生。完走は果たせなかった。

    井原慶子
    「去年一年間の経験をもとに、今年こそは完走を目指しチーム一丸となって頑張った今年のル・マンでしたが、残念ながら午前1時30分、リタイアとなりました。第一ドライバーのファビアン(ジロワ)がドライブ中に発生したマシンの振動が悪化し、ピットインを繰り返しながら修復を試みました。メカニック、エンジニアは、9時間もかけてほぼすべてのパーツを交換・調整してくれましたが、レース続行は不可能と判断しました。残念ですが、チーム全員、やれることはすべてやったので、悔いはないです。今年のWECはまだまだ続きます。10月の富士では、また皆さんに喜んでいただける結果を出せるよう、頑張ります」