カテゴリー: レッドブル・レーシング

  • アイザック・ハジャーの「適応力」はレッドブルF1を救えるか?RB22の選択

    アイザック・ハジャーの「適応力」はレッドブルF1を救えるか?RB22の選択

    レッドブル・レーシングは、2026年F1シーズンに向けて大きな岐路に立たされている。

    新レギュレーションに対応する新車RB22を、より安全でニュートラルな方向性に仕上げるのか。それとも、これまで通りマックス・フェルスタッペンのドライビング特性に寄せた開発を続け、セカンドドライバーには適応を求めるのか。その判断が目前に迫っている。

    レッドブルは、2026年F1レギュレーション刷新に挑むマシンRB22を、1月15日にデトロイトで開催されるフォードのイベントで公開する予定だ。2022年のグラウンドエフェクト時代開幕当初は圧倒的な強さを誇ったが、2024年シーズン中盤以降、その優位性は徐々に失われていった。

    レッドブル・レーシングのマシンは、フェルスタッペンのドライビングスタイルに特化してチューニングされてきたと広く考えられている。元チームメイトのセルジオ・ペレスも、実質的にそれを認める発言を残している。

    フェルスタッペンはフロントエンドの鋭い挙動を好むが、レッドブルの設計はその特性を極限まで突き詰めたものだった。その結果、ピエール・ガスリー、アレクサンダー・アルボン、ペレス、リアム・ローソン、そして直近では角田裕毅が、その「繊細さ」に苦しめられてきた。

    しかし、この1年半で状況は大きく変わった。フェルスタッペンは4年連続でドライバーズタイトルを獲得したものの、2024年にはコンストラクターズタイトル3連覇を逃した。さらに2025年シーズン最終戦アブダビでは、ランド・ノリスにわずか2ポイント差でドライバーズタイトルを奪われ、マクラーレンがダブルタイトルを達成している。

    この結果を受け、レッドブルは2026年に向けて、両ドライバーを重視した開発を行うのか、それともセカンドシートに長年続く“呪い”を、新加入のアイザック・ハジャーに託すのか、決断を迫られている。

    アイザック・ハジャー レッドブル・レーシング

    「適応力」への自信を示すハジャー
    アイザック・ハジャーは、2025年にレーシングブルズでF1ルーキーとしてブレイクを果たした。21歳にしてザントフォールトで表彰台に立つなど、その才能を強く印象づけている。

    多くの関係者は、レッドブルが従来と同様の開発路線を選んだ場合でも、ハジャーならRB22の特性に対応できると見ている。何より、本人がその点に強い自信を示している。

    「自分は適応するのが得意だと思っているし、正直かなり自信がある」とハジャーは語る。

    「来年はまったく同じクルマじゃない。チームが作ったクルマに僕が適応するし、マックスも同じことをしなければならない。クルマがどちらかの方向に進むなら、少なくとも僕はその変化を感じ取れるし、理想的にはその変化に貢献できればいい」

    さらにハジャーは、これまで同じマシンで2年連続戦った経験がない点を、自身の強みとして捉えている。

    「毎年違うクルマでレースをしてきた。同じことを2年続ける感覚を知らないからこそ、適応力には自信がある。だからこそ、前向きに考えている」

    2026年という新時代を迎えるF1において、レッドブルがどの開発方針を選ぶのか。その鍵を握る存在として、ハジャーの「適応力」がこれまで以上に注目されている。

  • マックス・フェルスタッペン F1ドライバーとしての「唯一無二の能力」とは?

    マックス・フェルスタッペン F1ドライバーとしての「唯一無二の能力」とは?

    マックス・フェルスタッペンの「唯一無二の能力」が明らかになった。元F1ドライバーのデレック・デイリーは、フェルスタッペンが数十年ぶりとも言える次元で走っていると評価している。

    2025年シーズン終盤、マックス・フェルスタッペンは圧巻の追い上げを見せた。最終10戦すべてで表彰台に立ち、その間に6勝を記録。夏休み明けの時点では首位から104ポイント差をつけられていたが、タイトル争いに復帰し、最終的にはランド・ノリスにわずか2ポイント差で届かなかった。

    タイトルこそ逃したものの、シーズン最高のドライバーとしてフェルスタッペンを挙げる声は多く、RacingNews365もその一つだった。

    デイリーはフェルスタッペンの強さについて、環境を読み取る能力の異常な高さを指摘している。

    「マックスは、グリッド上の他のどのドライバーよりも、自分の置かれている環境を読み取る独特の能力を持っている」

    「レーススタートや1コーナーで、コース上で瞬間的に起きていることを読み取り、処理し、判断を下すことができる」

    さらに、成功するためのポジション取りにおいても抜きん出ているという。

    「彼は、他のどのドライバーよりも、自分を成功できる位置に置く能力が高い」

    「ポールポジションを狙う必要があることも理解しているし、今のF1で誰よりも限界ギリギリでマシンを扱える、軽い指先と繊細なタッチを持っている」

    加えて、スタート時のメンタル面も特筆すべき点だと語った。

    「シグナルがすべて赤に変わる瞬間でも、感情的にニュートラルでいられるという二次的な能力も持っている」

    「スタートを決め、最初のコーナーを回る段階で、レースをコントロールできる位置に自分を置くことができる」

    マックス・フェルスタッペン レッドブル・レーシング

    デイリーは、こうした総合力こそが、フェルスタッペンを特別な存在にしていると結論づけている。

    「私は、ここ数十年で彼ほど高いレベルで走るドライバーを見たことがない」

    2026年を前に、F1は大規模なレギュレーション変更を迎える。フェルスタッペンが再びタイトル争いに加われるかはマシン次第だが、デイリーは次のように断言した。

    「重要な場面で、彼と同じようなレベルで走るドライバーを、私は他に思いつかない」

    「彼がその能力を持ち続けている限り、特にレッドブル・レーシングがまた良いクルマを与えたら、彼を倒すのは難しい」

    2025年シーズンについても、デイリーは強い印象を語っている。

    「2025年は、F1史上でも最も魅力的なシーズンのひとつだった」

    「そして、新しいレギュレーションを迎える来年は、さらに魅力的なシーズンになる可能性がある」

  • 角田裕毅のF1キャリアを振り返る 大胆な走りとパドックの友情

    角田裕毅のF1キャリアを振り返る 大胆な走りとパドックの友情

    角田裕毅のF1キャリアは、大胆なドライビングスタイル、無線での率直すぎる発言、そしてパドックで築いた友情によって形作られてきた。2026年にレッドブルのリザーブドライバーとして新たな役割に進むにあたり、F1で過ごした5シーズンを振り返る。

    F1グリッドで5シーズンを戦った今、角田裕毅に別れを告げる時が来た……とはいえ、完全にというわけではない。25歳の角田裕毅は、2026年もリザーブドライバーとしてレッドブル・ファミリーの一員であり続ける。

    一方で、アイザック・ハジャーはレーシングブルズから昇格し、アービッド・リンドブラッドはF2からステップアップする。日本人ドライバーである角田裕毅は、これまでに111回のグランプリに出走し、124ポイントを獲得し、自己最高位は2021年アブダビGPでの4位だった。

    この役割変更は、角田裕毅のF1での歩みと、なぜ彼がこれほど多くのファンに愛されてきたのかを振り返る絶好の機会だ。エキサイティングなオーバーテイク、感情むき出しの無線、独特のスタイル、そしてピエール・ガスリーとの“ブロマンス”まで、角田裕毅はオン・オフ両面でモータースポーツ界に強烈な印象を残してきた。

    コース上での成功
    角田裕毅のレーシングシーンでの台頭はまさに急成長だった。日本F4からF1まで、わずか4年足らずで駆け上がった。相模原出身のこの才能は、2016年にホンダのフォーミュラ・ドリーム・プロジェクトの支援を受け、レッドブルのジュニアチームに加わり、2020年にはカーリンからF2選手権に参戦するシートを得た。角田裕毅はすぐに順応し、ルーキー勢の中で最高位となるランキング3位でシーズンを終え、3勝、4ポールポジション、7回の表彰台を獲得した。最終戦バーレーンでの勝負強い走りによって、2021年のF1グリッドに立つために十分なFIAスーパーライセンス・ポイントを手にした。

    F1参戦後、角田裕毅が大胆なレイトブレーキング、攻撃的なドライビングスタイル、そして生来のスピードで評価を確立するまで、時間はかからなかった。アルファタウリ時代の元チーム代表フランツ・トストは次のように語っている。

    「彼のドライビングスタイルは現代的なものだ。彼は自分が何を求めているかを分かっている。アンダーステアや、コーナーの頂点でクルマが流れるのを好まないし、リアがどうなっているかは気にしない。」

    この攻撃性は、2021年シーズン開幕戦のバーレーンですぐに表れ、多くのオーバーテイクを決めてデビュー戦で9位入賞、ポイント獲得を果たした。

    2022年シーズンは、アルファタウリのパフォーマンスが大きく低下したことや、不運にも悩まされたが、当時22歳だった角田裕毅にとっては貴重な経験の年となった。2023年と2024年には、名称を新たにしたレーシングブルズが次々と新しいドライバーを試し、そのたびに角田裕毅は打ち負かすことを期待された。そして彼は、その期待通り、ニック・デ・フリース、ダニエル・リカルド、リアム・ローソンをドライバーズランキングで上回り、グリッド上の座を守り続けた。さらに2024年サンパウロGPでは、難しいウエットコンディションの中で予選3位という自己最高の予選結果も記録している。


    2025年には、わずか2戦でレッドブルへの昇格を果たしたものの、セカンドシートでマックス・フェルスタッペンのペースに追いつくことができず、首脳陣は2026年に向けて別の選択肢を探ることになった。それでも今季の角田裕毅には印象的な場面がいくつもあり、常にファンを惹きつける闘志あふれる走りを見せ続けた。


    社交的な存在
    2021年にグリッド最年少ドライバーとしてF1に登場した角田裕毅は、F1ライフのリズム、絶え間ない移動、高い緊張感、そしてパドックでの人間関係構築に慣れるまで時間がかかると思われていたかもしれない。しかし彼は、ファンに愛されるのと同じ速さで、ドライバーたちの間でも人気者になった。

    レーシングブルズ(旧アルファタウリ)時代、そして今年のレッドブルでの期間を通じて、角田裕毅は同じガレージを共有したすべてのチームメイトと、強く誠実な関係を築いてきた。ドライバー同士の関係が悪化しがちなこの世界では、決して簡単なことではない。厳しい週末をともに乗り越える時も、どこへ行ってもユーモアを忘れない姿勢も、チームメイトやクルーが温かく語るガレージ内の一体感を生み出してきた。

    中でも、特別な友情、いわゆる“ブロマンス”を築いたのがピエール・ガスリーだった。2人は意気投合し、チームメイトとして過ごした2年間で、オフ・トラックでも数多くの象徴的な瞬間を残した。中でも最も有名なのは、東京でアデルの『Hello』をカラオケで歌った場面だろう。歌の出来はさておき、2人がアルファタウリでどれほど楽しんでいたかは明らかだった。

    チームのソーシャルメディアは、チャレンジ企画や舞台裏コンテンツで大きな話題を呼んだ。ガスリーが角田裕毅のスピード違反切符をからかったり、1年を通して彼を「ジュゼッペ」と呼び続けたり、2人でサッカーやビデオゲームを楽しんだり、F1イベントで“ブロマンス”を前面に押し出す姿など、ファンを楽しませる場面が数多くあった。

    角田裕毅はレーシングブルズとレッドブルで多くの異なるチームメイトと組んできたが、誰とでも印象的な瞬間を残している。フェルスタッペンとはパデルを楽しみ、ブラジルのドライバーズパレードではふざけ合う姿も見せた。ハジャーやリアム・ローソンとの時間は短かったが、そこでも楽しいTikTok動画が生まれた。リカルドは角田裕毅に強い影響を残した存在で、彼がパドックを去った際には、角田裕毅は心のこもったメッセージを投稿している。

    チームメイトだけでなく、角田裕毅の持つ感染力のあるエネルギーは、ファンやクルー、さらには一部のセレブリティにも強い印象を残した。

    角田裕毅ならではのスタイル
    角田裕毅は、特にヘルメットデザインにおいて、常にクリエイティブな一面を見せてきた。2021年アブダビGPでのホンダへのトリビュート、2025年鈴鹿での歌舞伎をモチーフにした母国GP仕様、そして2024年スパ・フランコルシャンでのゲーム『Valorant』とのコラボレーションなど、印象的で意味のあるデザインが数多く存在する。

    角田裕毅 F1 レッドブルこれらのヘルメットは左から、F1通算100戦目、日本でのホームレース、そしてゲームへの愛を表している。

    レッドブルの最新かつ大胆なマーチャンダイズやチームキットを身にまとっている姿がよく見られる一方で、角田裕毅はパドックでのファッションにも個性を発揮してきた。定番の後ろ向きキャップやスタイリッシュなサングラスから、ダブルデニムやグラフィックTシャツまで、セッションの合間も常にクールな装いを見せている。ニューヨークで行われたF1映画のプレミアでは、洗練されたスーツ姿で注目を集めた。

    角田裕毅 F1 レッドブル・レーシング角田裕毅は、カジュアルなダブルデニムから映画プレミアでの洗練されたスーツまで、さまざまなスタイルを見せている。

    フィルターなしの角田裕毅
    角田裕毅は、特にチーム無線ではあまりフィルターがかからないタイプだが、ありのままの自分でいることが、多くのファンに愛される理由でもある。放送局が慌ててピー音を入れるほどの過激な無線での怒声で、彼はすぐに知られる存在となった。しかしそれらの反応は正直なものであり、角田裕毅がレースに懸ける情熱を如実に示していた。その姿勢はインタビューやメディア対応にも一貫して表れていた。

    だが、これで角田裕毅のF1での物語が終わるわけではない。2021年にアレクサンダー・アルボンがシートを失った後、シミュレーターでのたゆまぬ努力によって翌年ウィリアムズのシートを得た例を、私たちは目にしてきた。バルテリ・ボッタスも、リザーブとしての1年がドライバーを再活性化させること、そしてSNSでの“サイドクエスト”に挑む余地を与えてくれることを示した。努力と少しの幸運があれば、角田裕毅が再びグリッドに戻ってくる日は、そう遠くないかもしれない。

  • ピエール・ガスリーが語るレッドブルF1降格の真相とアルピーヌで描く未来

    ピエール・ガスリーが語るレッドブルF1降格の真相とアルピーヌで描く未来

    ピエール・ガスリーは、6歳で初めてカートのハンドルを握った日の感覚を今も鮮明に覚えているという。速度、恐怖、そしてアドレナリン。そのすべてが一気に押し寄せ、彼は瞬時にモータースポーツの虜になった。祖母は地方カート王者、祖父もレースに参戦していた。家族の背中を追い、少年はF1という夢へと歩み始めた。

    現在、フランス人ドライバーのガスリーは、幼少期から夢見てきたフォーミュラ1で安定して走っているが、その道のりは決して平坦ではなかった。

    ジュニアカテゴリーでの活躍によりレッドブルの目に留まり、ジュニアプログラムに加入。F1への登竜門とされていたGP2に参戦する機会を得た。しかし、その育成カテゴリーでチャンピオンを獲得した直後にF1へ昇格することは叶わず、2017年にようやくトロ・ロッソから最高峰への扉が開かれた。

    その後、レッドブルでマックス・フェルスタッペンのチームメイトとして正ドライバーを務めるまでには、さらに2年を要した。しかし、ミルトンキーンズでの冒険は長くは続かず、ほどなくしてトロ・ロッソへ降格となる。

    このサテライトチームへの復帰は、親友アントワーヌ・ユベールの死という、ガスリーの人生を深く揺るがす出来事と重なった。彼自身がF1TVのポッドキャスト「Off the Grid」で語っているように、その出来事は計り知れない影響を与えた。

    それでもフランス人ドライバーは屈することなく、粘り強さと不屈の精神で前に進み続けた。トロ・ロッソ、そして後にアルファタウリとなったチームで、モンツァでの勝利を含むF1キャリア最高の結果を残す。

    2023年からはアルピーヌのプロジェクトに身を投じ、今後5年以内の勝利を目標に掲げている。

    「できれば、アルピーヌで世界チャンピオンになりたい。受け入れがたいと思われるのは分かっている。今はわずかなポイントを争っている状況で、どうしてそんなことが言えるのかと思われるだろう。でも、今いる人たちを考えれば、僕たちは最前線に立てると信じている」

    カートでの始まりとレッドブルでの最初のチャンス
    多くのF1ドライバーと同様に、ガスリーのキャリアの原点は6歳で始まったカートにある。エステバン・オコンから借りたカートに乗ったのが最初だった。

    「その日感じたスピード、恐怖、アドレナリンはあまりにも強烈で、23年が経った今でも覚えている」と、F1TVのポッドキャスト「Off the Grid」で語る。

    「僕はすぐにこのスポーツに恋をした」

    その日から彼は止まることなく、数々のジュニアカテゴリーで安定して戦い続けた。そのパフォーマンスがレッドブルの目に留まり、ジュニアプログラムに加入することになる。プレマ・パワーチームからGP2に参戦し、当時F1への登竜門だったそのシリーズで、フル参戦2年目にチャンピオンを獲得した。しかし、計画通りには進まず、F1昇格の扉は閉ざされたままだった。

    「本当に受け入れるのが難しかった。『GP2でチャンピオンになればF1に行ける』と言われていたからだ」と振り返る。

    「顔を平手打ちされたような気分だった。『これ以上何をすればいいんだ?』と思った。それでも、いつかチャンスが来ると信じ続けていた」

    そして、その機会は翌年に訪れる。レッドブルとトロ・ロッソでのテストを経て、アドバイザーのヘルムート・マルコから電話が入り、ミルトンキーンズのチームでデビューすることを告げられた。

    「マレーシアでベッドの上を飛び跳ねていたのを覚えている」とガスリーは語る。

    「レッドブルのリザーブとして行っていて、彼から電話が来て『準備しろ。今週末はレースだ』と言われた。知らせを受けたとき、本当に幸せだった。グリッドに降りて、自分にこのチャンスが与えられたこと、マシンもチームも人も揃っていて、あとは自分次第だと理解した。すべてを自分がコントロールしていると感じた」

    過去10年で目まぐるしく変わってきたレッドブルのドライバーラインアップの中で、ガスリーはF1デビューからわずか6か月で大きな恩恵を受けた。トロ・ロッソのドライバーとして迎えた2018年、正ドライバー初年度の第2戦バーレーンGPで、いきなり4位という驚異的な結果を残す。

    「2017年は4、5戦走って、2018年からシーズンをスタートした。第2戦で、バン、バーレーンで4位だ。すぐに大きな話題になった」

    「その直後、ブダペストの後にダニエル・リカルドがレッドブルを離れると発表した。ギリシャに休暇で行っていて、『ワオ、ダニエルが去る』と思ったのを覚えている」

    この結果により、ミルトンキーンズの首脳陣はリカルドの後任としてガスリーを起用する決断を下し、カルロス・サインツよりも彼を選んだ。

    「僕とカルロスの間の話だった。電話が鳴って、ヘルムートが『分かった。来年の開幕からレッドブル・レーシングのドライバーだ』と言った。これはF1フル参戦初年度の6か月目のことだった」

    ピエール・ガスリー レッドブル F1

    短命に終わったレッドブルでの日々と親友ユベールの死
    しかし、レッドブルでの経験は順風満帆とはいかず、約6か月で終わりを迎える。ミルトンキーンズでは、シーズン途中でドライバーを交代させることが、年月とともに常態化してきた。ガスリーは、オランダ人ドライバーのチームメイトとして、その最初期の犠牲者の一人となった。2025年にリアム・ローソンがわずか2戦で降格されたケースと同様だ。

    「正直に言うと、悲しかった」とガスリーは告白する。

    「2019年、F1での2年目に、どこからもサポートを感じられなかった。とても大きなチームで、フェルスタッペンを強く支えている。結果を出しているのだから、それは当然だ」

    シーズン序盤から、チームが3年目を迎えたフェルスタッペンに全面的に注力していることは明白だった。ガスリーはまだF1では若手であり、チームは彼の周囲を経験の浅い人材で固めたことで、パフォーマンスを最大限に引き出せる環境ではなかった。

    「F1経験のない、フォーミュラE出身の新人エンジニアと組むことになった。とても奇妙な状況だった。最大限に力を発揮するための道具が与えられていなかった」

    「それでも僕は戦おうとした。ここにいる以上、全力を尽くしたかった。彼らは満足していなかったし、僕も満足していなかった。自分のポテンシャルを発揮できていないと分かっていたからだ」

    そのため、トロ・ロッソへの降格を、彼はむしろ解放と感じた。

    「ほとんど安堵だった」と語り、復帰初戦となったベルギーGPでは、メディアの質問がすべて降格についてだったことを振り返る。

    「いいエネルギーではなかった。僕はただ走り、自分のやるべきことをしたかった。でもネガティブな空気があった。そんな中で土曜日がやってきた…」

    フォーミュラ2のスプリントレース中、幼なじみであり親友だったアントワーヌ・ユベールが事故で亡くなった。

    「最初は誰が関わっているのか分からなかった」とガスリーは語る。

    「状況は深刻に見えた。チームマネージャーが、アントワーヌが関わっていると教えてくれた。ブリーフィングが終わると、すぐに情報を求めて走った。遠くで両親が泣き崩れているのが見えた。その瞬間、何が起きたか理解した」

    「学校や親から多くのことを教わるが、こういう状況でどう振る舞うかは誰も教えてくれない。唯一の後悔は、夏休み前のブダペストで、アントワーヌと一緒にパーティーに行ったことだ。遅くまで残りたくなくて、彼を探したけれど見つからなかった」

    「外に出たら、テラスに彼がいた。『良い夏を、スパで会おう』と言って別れた。それが、事故前に彼に会った最後だった。もう少し長く待って、抱きしめたり、違う別れ方ができたらと思う」

    「彼は、愛する人と過ごす今この瞬間を大切にし、何も当たり前だと思わないことを教えてくれた」

    アントワーヌ・ユベールを悼むピエール・ガスリー

    初表彰台、そして初勝利
    トロ・ロッソ、そしてアルファタウリ時代に、ガスリーはキャリア最高の結果を手にする。2019年、ブラジルGPでF1初表彰台を獲得。ゴールライン上でルイス・ハミルトンを抑えたこのレースは、シーズン終了後に7度目のタイトルを獲得するドライバーを相手にしたものだった。

    インテルラゴスでの結果は、今も彼の記憶に深く刻まれており、ミラノの自宅では、そのレースを描いた絵がソファの後ろに飾られている。

    「人々は僕のことを早く見切りすぎた。僕のメンタリティを知らなかった。これは僕の人生そのものだ。あの表彰台を思い出すと、今でも笑顔になる」

    翌年、その成長はさらなる形で実を結ぶ。アルファタウリで、F1初勝利をモンツァで挙げた。新型コロナウイルスの影響で無観客となったモンツァで、ピエールは初めて表彰台の最上段に立った。

    「信じられない瞬間だった。だからこそ、表彰台の上でその時間を使って、頭の中を駆け巡る何百万もの感情や思考を整理した。自分だけの世界にいた」

    「この数秒間は一生忘れない。観客がいない、これほど空っぽに感じたモンツァは初めてだった。残念だったけど、またモンツァで勝つための理由ができた」

    ピエール・ガスリー アルピーヌF1チーム

    アルピーヌでの現在と未来
    表彰台と勝利を手にし、ガスリーはレッドブル復帰を期待していたが、ミルトンキーンズには別の計画があった。一方で、彼にはアルピーヌという新たなチャンスが訪れる。契約書にサインしたのは、ユベールの誕生日その日だった。

    「アントワーヌの誕生日にサインした」と語る。

    「彼はアルピーヌ・アカデミーのドライバーだった。すべてが彼の誕生日に整った。信じられなかった」

    そこで再会したのが、幼なじみのエステバン・オコンだった。しかし二人の関係は、ある出来事を境に変化していく。

    「毎週水曜や週末を一緒に過ごしていた。彼は僕の家に来て、僕は彼の家に行った。強い絆があった」

    「残念ながら、あるレースをきっかけに転換点が訪れ、すべてが劇的に崩れた。説明するのは難しい」

    「僕たちは自分たちの出自を分かっている。ここまで来るために何を乗り越えてきたかも知っている。そのライバル関係が、互いを限界以上に押し上げたのも事実だ。10年、20年後には、違う形で話し合えると思っている」

    それでも二人は、想像を超える結果を手にした。2024年のブラジルGPで、アルピーヌは2台揃って表彰台に立った。

    「8か月で最下位から、2台揃って表彰台に上がるまでになった。チームの人たちの表情は忘れられない。キャリアの終わりに振り返ったとき、特別なレースとして思い出すだろう」

    ガスリーは6年契約を結び、チームのリーダーとしての地位を確立。一方、オコンはハースへ移籍した。

    6年契約の最初の1年を終え、ガスリーは次なる目標を見据えている。

    「できれば、アルピーヌで世界チャンピオンに。難しいことは分かっている。でも、今いる人たちを信じている。僕たちは、いずれ最前線に立てる」

  • セルジオ・ペレス 「フェルスタッペンのチームメイトはF1最悪の仕事」

    セルジオ・ペレス 「フェルスタッペンのチームメイトはF1最悪の仕事」

    セルジオ・ペレスは、レッドブル・レーシングでマックス・フェルスタッペンのチームメイトを務めることを「F1で最悪の仕事だ」と表現し、チーム内で直面した強烈なプレッシャーと緊張関係について語った。

    2026年F1シーズンにキャデラックF1での復帰を控えるペレスは、メキシコ人実業家オソ・トラバが司会を務めるポッドキャスト「Cracks」に出演し、レッドブルで過ごした4年間を振り返った。この在籍期間は、2023年にランキング2位を獲得したにもかかわらず、2024年シーズン終了後に契約解除という形で幕を閉じた。

    「僕は最高のチームにいた。でも状況はとても複雑だった。マックスのチームメイトであること自体が非常に難しいが、レッドブルでマックスのチームメイトを務めるのは、F1で群を抜いて最悪の仕事だ」とペレスは語った。

    ペレスによれば、結果にかかわらず常に厳しい評価にさらされ、チーム内には絶えず緊張感が漂っていたという。

    「レッドブルでは、何をしても問題になった。もし僕がマックスより速ければ、それはそれで非常に緊張した雰囲気を生んだし、マックスより速いこと自体が問題だった」と述べた。

    「逆に、僕が遅くて、しかもマックスも遅かった場合でも、やはりすべてが問題になった」

    ペレスは、グラウンドエフェクト時代に入ってからマシン開発の方向性がますますフェルスタッペン寄りになり、成績が落ち始めた自身にとって状況がより厳しくなったと説明した。

    「このプレッシャーがすべて始まった。本当に大変だった。結局、誰のせいにされるかと言えばドライバーだ」とペレスは語る。

    「集中していないからだとか、コマーシャル活動をやりすぎているからだとか、他のことをしているからだとか、そう言われる」

    セルジオ・ペレスとマックス・フェルスタッペン(レッドブル・レーシング)

    インタビューの中で特に衝撃的だったのは、レッドブル加入初期に不振が続いた際、早々に心理的サポートを勧められたというエピソードだ。

    「レッドブルに来て最初の数戦で結果が出なかったとき、すぐに『君に必要なのは心理学者だ。心理学者に会うべきだ』と言われた」とペレスは振り返る。

    「僕は何にでも前向きだった。だから心理学者と話して、『セルジオ・ペレスだ』とか、『ああだこうだ』と、イギリス人の彼と話した」

    「その日はセッションの時間が取れなかったから、『今日は無理だけど、また時間を見つけよう。いいね』という話になった」

    しかし、その後に思わぬ展開が待っていた。

    「ある日、彼がレッドブルのファクトリーに来て、『請求書がある』と言った。心理学者からの請求で、6,000ポンドだった。『これをヘルムートに送ってくれる? 彼が払うから』と言われた」とペレスは明かす。

    「たった1回の電話で6,000ポンドだった」

    「それでヘルムートは『どうだった?』と聞いてきて、『完璧だ。このセッションで問題ない』と言った」

    ペレスは、その後に結果は改善したものの、特に最後の2シーズンではプレッシャーが完全に消えることはなかったと語る。アップグレードやチームの注力がフェルスタッペンに集中していたと感じていたからだ。

    「アップグレードは続いたが、すべてがマックスのためだった」とペレスは述べた。

    「その結果、僕は2戦、3戦、4戦、5戦と遅れを取るようになり、もう二度とあのクルマを手にすることはなかった。もし違っていたらどうなっていたか? それは誰にも分からない」

    苦い結末を迎えたとはいえ、ペレスはレッドブルが本来持っていた可能性を惜しんでいる。

    「僕たちは最高のチームを持っていたが、残念ながらすべてが壊れてしまった」と語った。

    「このスポーツを今後10年間支配できるチームだったと思うが、残念ながら、それはすべて終わってしまった」

  • アイザック・ハジャーが語るレッドブルF1昇格 「契約はゴールじゃない」

    アイザック・ハジャーが語るレッドブルF1昇格 「契約はゴールじゃない」

    アイザック・ハジャー(レッドブル・レーシング)は、2026年F1シーズンに向けてレーシングブルズからレッドブルへ昇格することが決まったが、その事実を「成果」とは捉えていない。21歳のフランス人ドライバーは、トップチームと契約したこと自体よりも、その場所で何を成し遂げられるかこそが重要だと強調した。

    2025年シーズン、ハジャーはF1ルーキーとして印象的な一年を過ごし、オランダGPでの初表彰台を含む安定したパフォーマンスを披露した。

    その結果、2026年からミルトンキーンズを拠点とするレッドブルへの昇格が決定したが、本人は冷静だ。

    「残念だけど、契約書にサインすることは、僕が考える達成ではない」とハジャーは語る。

    「レッドブルで期待に応え、仕事をやり遂げること。それができて初めて達成になる」

    レッドブルの“メイン・チーム”への昇格は、多くの若手が壁にぶつかってきた関門でもある。2025年に共にレーシングブルズで戦ったリアム・ローソンや、シーズン序盤にチームメイトだった角田裕毅も、その難しさを経験してきた。

    それでもハジャーは、自身が歩んできた道のりを否定するわけではない。レッドブルのジュニアプログラムを経てトップチームにたどり着くまでの過程は、「とても長く、とても厳しいものだった」と振り返る。

    「昨年だけじゃなく、これまでの道のり全体が本当に長くて、難しかった。ずっと頭の中には、メイン・チームに入って、世界最高のドライバーとチームメイトになるという目標があった」

    その“世界最高のドライバー”とは、もちろんマックス・フェルスタッペンだ。ハジャーは、レッドブルで新たな章を迎えるにあたり、フェルスタッペンと並んで戦えることを最大の魅力の一つに挙げている。

    「正直に言うと、ワクワクしていることは二つある。一つは、世界チャンピオンチームに所属すること。子どもの頃にF1を見て育った僕は、レッドブルでベッテルが次々と勝っていく姿を見ていた」

    「もう一つは、マックスとチームメイトになることだ。世界最高レベルと向き合うと、どんな感覚なのかを知りたい。それは間違いなく、とても刺激的なことだ」

    フェルスタッペンについて、ハジャーはその“飢え”を特に印象的だと語る。

    「4度も世界チャンピオンになっているのに、彼はいまだにものすごくハングリーで、うまくいかないと本気で悔しがる。常に勝ちたいと思っている」

    「すべてのチャンピオンがそうなれるわけじゃない。あるレベルを超えると、少しペースを落としてしまう人もいる。でも彼は、まるで僕と同じスタート地点に立っているかのような姿勢で取り組んでいる。それが本当にすごいと思う」

    アイザック・ハジャー レッドブル・レーシング

    その実感は、時に非現実的で、時にごく当たり前に感じられるという。

    「信じられない気持ちになる瞬間もあるし、すごく普通に感じる瞬間もある。だって、僕がやっていることはこれだけだから。走ることだ」

    そして、達成とは考えていなくとも、この瞬間を家族と分かち合えることは特別だと付け加えた。

    「僕だけじゃなく、両親にとっても素晴らしい瞬間だ。本当にうれしいよ」

    一方で、2026年は大幅な技術規則変更が導入される年でもある。ハジャーは、その点についても過度な期待を抱いていない。

    「正直、期待はまったくない。みんながゼロからのスタートになるからね。だから、やるべき仕事をやるだけだ」

    「1月、2月にチームと一緒に働き始めて、人を知り、環境に慣れていくのを本当に楽しみにしている。少しでも前に出るためには、その時間がとても重要になる」

    2026年シーズンに向けた最初の走行は、1月26日から30日にかけて行われるバルセロナでの非公開プレシーズンテストとなる。その後、2月11日から13日、さらに18日から20日にかけて、バーレーンで2回の3日間テストが予定されている。

    レッドブルという最高峰の舞台で、ハジャーが「成果」と呼べる瞬間をつかめるかどうか。その真価が問われる一年が、いよいよ始まろうとしている。

  • マックス・フェルスタッペンは「アロンソの轍を踏まない」と元F1チーム代表

    マックス・フェルスタッペンは「アロンソの轍を踏まない」と元F1チーム代表

    元ハースF1チーム代表のギュンター・シュタイナーは、マックス・フェルスタッペンがF1キャリアにおいて、フェルナンド・アロンソと同じ過ちを繰り返すことはないと太鼓判を押した。

    フェルスタッペンとアロンソは8年にわたってF1のライバルとして戦ってきたが、コース外では良好な関係を築いている。しかし、シュタイナーは両者のキャリアの歩みには決定的な違いがあると見る。

    2025年シーズン、フェルスタッペンはランド・ノリスにタイトルを明け渡したものの、終盤にかけて猛追を見せ、最終的にはシーズン最多勝利を記録した。そうした実績から、彼はいまなお現役グリッドの基準となる存在であり、ドライバーやチーム代表による投票でも「ベストドライバー」と評価されている。

    一方で、2026年F1レギュレーション導入を控え、レッドブル・レーシングは自社開発のパワーユニットで新時代に突入する。そのため、フェルスタッペンの将来像は不透明だとも言われている。

    シュタイナーは、フェルスタッペンがメルセデス移籍の噂と結び付けられてきた点にも触れつつ、次のように語った。

    「マックスは正しいマシンに乗る。だから成功を続けるだろう。彼はとても賢いし、周囲も賢い人間で固められている。彼の契約はオープンな部分があり、トップカーを持つチームは誰であれマックスを欲しがる。そしてそれは実現する」

    マックス・フェルスタッペン

    アロンソとは異なるキャリア設計
    シュタイナーは、アロンソがいまだ3度目のドライバーズタイトルを追い続けている事実を引き合いに出し、その背景にはキャリア選択の誤りがあったと指摘した。アロンソは2013年以降、勝利数を32で止めており、その間に「間違ったマシン」を選び続けてしまったと評している。

    これに対し、フェルスタッペンは同じ道をたどらないというのがシュタイナーの見解だ。

    「彼は契約条項を使って、自分の側から状況を動かすことができる。そして、すでにその準備はできていると思う」

    さらに、こう続けた。

    「フェルナンドは才能の塊だったが、いつも間違ったクルマを選んでしまった。だがマックスは違う。父のヨス、そしてマネージャーのレイモンド・フェルミューレンが、必ず正しいマシンに乗せるようにする」

    「だから心配はいらない。マックスは常に、最高か、少なくとも2番目に良いクルマに乗っているはずだ」

    フェルスタッペンが2027年以降も成功を積み重ねられるかは、チームとマシン選択にかかっている。しかし、シュタイナーの見立てでは、その点においてフェルスタッペンがアロンソと同じ運命をたどることはない。

  • マックス・フェルスタッペン 相棒ランビアーゼがレッドブルF1残留を決断

    マックス・フェルスタッペン 相棒ランビアーゼがレッドブルF1残留を決断

    ジャンピエロ・ランビアーゼは、2026年シーズンもマックス・フェルスタッペンのレースエンジニアを務めることを決断した。アストンマーティンを含む複数の有力F1チームからの関心があったものの、引き続きレッドブル・レーシングに残留する見通しだ。

    ジャンピエロ・ランビアーゼの将来は、ここ数か月にわたって大きな話題のひとつだった。アブダビGP直後、複数の関係筋が英オートスポーツ誌に対し、私的事情を理由に2026年における彼の正確な役割については冬の間に協議される予定だと明かしていた。

    こうした私的事情は、ランビアーゼがオーストリアGPとベルギーGPを欠場した理由、そして多方面で困難を抱えたシーズン最終戦後に感情を露わにしていた背景でもある。

    その後、ランビアーゼはアストンマーティンやウィリアムズなど、他チームとの関連が取り沙汰されてきた。近年、彼の職責が大きく拡大してきたことを考えれば、レースエンジニアとして高く評価されている彼に他チームが関心を示すのは不思議ではない。

    ランビアーゼはフェルスタッペンのレースエンジニア、すなわちチームラジオでおなじみの“声”であるだけでなく、レッドブルのレース運営責任者という重要な役割も担っている。

    レッドブル・レーシングでマックス・フェルスタッペンのレースエンジニアを務めるジャンピエロ・ランビアーゼ

    報道によれば、ランビアーゼは2026年シーズンもレッドブル・レーシングで同じ役割を維持する予定だという。ただし、これは長期的な移籍の可能性が完全に消えたことを意味するわけではない。現時点では他チームからのオファーに関して最終的な判断は下されておらず、F1の主要人物はガーデニングリーブ(競業避止期間)や契約上の制約に縛られるケースも多い。なお、ランビアーゼのレッドブルとの契約は2027年末まで有効とされている。

    こうした問題の複雑さは、現在マクラーレンのスポーティングディレクターを務めるウィル・コートニーのケースでも明らかだった。彼のレッドブルとの契約は当初2026年半ばまでとされていたが、最終的には両チーム間の合意により、前倒しでの移籍が実現している。

    一方で、フェルスタッペンを取り巻くエンジニアリングチームにはいくつかの変化も生じている。長年チームを支えてきた複数のメンバーが新たな挑戦を求めて他所へ移ることになった(例としてデイビッド・ジェフリー・マートはアウディへ)。ただし、パフォーマンスエンジニアのトム・ハートは2026年シーズン終了まではレッドブルに残留する。彼は2027年からウィリアムズに加わる予定だが、2026年は最後までレッドブルで務め上げる。

    メカニック陣にも動きがあった。昨年10月、ジョナサン・ウィートリーが率いるアウディのF1プロジェクトが、フェルスタッペンのナンバー1メカニックであるマット・コーラーを採用したことが明らかになっている。

  • 「マキシエル再会?」 フォード・レーシング映像にリカルドとフェルスタッペン

    「マキシエル再会?」 フォード・レーシング映像にリカルドとフェルスタッペン

    フォード・レーシングが公開した2026年シーズンローンチのティーザー映像が、F1ファンの間で大きな反響を呼んでいる。

    映像には、元レッドブルF1ドライバーのダニエル・リカルド、4度のF1ワールドチャンピオンであるマックス・フェルスタッペン、そしてアイザック・ハジャーの姿が含まれており、SNS上では一気に注目が集まった。

    2026年のレッドブルとフォードの新時代
    マックス・フェルスタッペンとアイザック・ハジャーは、2026年のレッドブル・レーシングのドライバーラインアップを構成する。チームはチーム代表ローラン・メキース体制のもと、新たな時代へ踏み出す。

    2026年からF1には新レギュレーションが導入され、レッドブルはホンダとのパートナーシップを終了し、自社製パワーユニットの開発に舵を切った。そのプロジェクトを支えるのがフォードであり、両者はパワーユニット分野での本格提携をスタートさせる。

    ティーザー映像が生んだ“再会”への期待
    今回のティーザーで主役級に扱われているのが、フォード・レーシングのグローバルアンバサダーを務めるダニエル・リカルドだ。リカルドは、フォードとレッドブル・パワートレインズのパワーユニット開発そのものには関与しないと明言しているが、それでも映像の中心人物として起用された。

    さらにマックス・フェルスタッペンも登場したことで、ファンの間では「かつてのチームメイト再会」を期待する声が噴出した。

    「Oh my god Maxiel reunion?!」

    「DanielとMaxだ!」

    「どうやったら招待してもらえる?」

    といったコメントが相次ぎ、投稿は拡散された。


    1月15日ミシガンで開催される一夜限りのイベント
    フォード・レーシングは、2026年シーズンローンチイベントを1月15日にミシガン州で開催すると予告している。会場はミシガン・セントラル・ステーションで、フォードが手がけるさまざまなモータースポーツ・プロジェクトを祝う場になるという。

    同時に、レッドブルとの新たなパートナーシップも正式に紹介される予定であり、マックス・フェルスタッペンがダニエル・リカルドとともに現地に姿を見せる可能性も示唆されている。

    ダニエル・リカルドの現在地 フォードとの新たな役割
    ダニエル・リカルドは2024年9月にF1を離脱後、しばらくはレースから距離を置いていたが、2025年に入りフォード・レーシングのグローバルアンバサダーに就任した。以降、フォードの公式SNSや各種イベントに登場している。

    最近では、2025年のラプター・ラリーでフォードF-150ラプターをドライブし、その様子をVlogとして公開。インスタグラムには、

    「ラプター・ラリーで砂漠を駆け抜ける自由と楽しさ。レイク・ハバスでF-150ラプターをジャンプさせるのは最高だった」

    と書き込み、新たな活動を満喫する姿を見せている。

    2026年を前に、フォード、レッドブル、そしてダニエル・リカルドとマックス・フェルスタッペンの名前が一つの映像で交差したことで、その象徴的な再会が現実になるのか、注目が集まっている。

  • セルジオ・ペレス、レッドブルF1時代の1時間126万円の心理学者費用を告白

    セルジオ・ペレス、レッドブルF1時代の1時間126万円の心理学者費用を告白

    セルジオ・ペレスは、レッドブル在籍時にヘルムート・マルコが自身のために手配した心理学者の費用が、1時間あたり6000ポンド(約126万円)という“天文学的”な額だったことを明かした。しかも、その請求書を支払ったのはチームではなく、マルコ本人だったという。

    このエピソードは、現在キャデラックF1チームのドライバーであるペレスが出演したポッドキャスト番組「Cracks Podcast」で語られたものだ。

    2021年にレッドブルへ加入した直後、思うような結果が出なかった序盤戦で、チーム側から心理面のサポートを受けるよう勧められたという。

    「レッドブルに来て最初の数戦で結果が出なかったとき、『君に必要なのは心理学者だ』と言われた」とペレスは振り返る。

    「もちろん、僕は何でも受け入れるつもりだった。だからその心理学者と話して、『セルジオ・ペレスだよ』とか、そういう普通の会話をした」

    だが、その後に届いた請求書を見て、ペレスは驚愕することになる。

    「ある日、彼がレッドブルのファクトリーに来て、『請求書がある』と言ったんだ。6000ポンドだよ。『これをヘルムートに送ってくれ、彼が払うから』って」

    “その電話一本で3年間もった”
    ペレス自身が支払う必要はなかったとはいえ、その金額は今でも強烈な印象として残っているという。

    「電話一本で6000ポンドだ!」とペレスは語気を強める。

    「それでヘルムートが『どうだった?』と聞いてきて、『完璧だ。このセッションで大丈夫だ』って言うんだ。それで3年間もった。心理学者で“治った”ってわけさ」

    実際、ペレスは2021年シーズン途中から結果を出し始め、第6戦で初勝利を挙げると、シーズン終盤までにさらに4度の表彰台を獲得した。特にアブダビGPでは、チームメイトのマックス・フェルスタッペンを助けるためにルイス・ハミルトンを抑え込む圧巻のディフェンスを披露し、高く評価された。

    成績低下と「心理」では解決できない問題
    しかし、時間が経つにつれて状況は変わっていく。2023年に初めて大きなスランプを経験し、翌年には再び成績が低迷。ペレス自身は、当時の問題が心理面だけではなかったと感じている。

    「結果が出なくなると、『また助けが必要なのかもしれない』って思うようになった。でも、正直に言えば、クルマに問題があると分かっていた」

    「どのコーナーでどうなるのか、どこでクラッシュするかを考えながら走っている状態では、速く走ることなんてできない」

    最終的にペレスは2024年シーズン終了をもってレッドブルを去ることになった。契約を残しながらの離脱だったが、彼にとってこの経験は、F1のトップチームが抱えるプレッシャーと、その対処法の一端を象徴する出来事だったと言えるだろう。

    “6000ポンドの電話”は確かに一時的な効果をもたらした。しかし、クルマの挙動そのものに不安を抱える状況では、どれほど高額なセッションであっても万能薬にはなり得なかった。