カテゴリー: F1ブラジルGP

  • F1、パワーユニットの効率を強調する新しいグラフィックを導入

    F1、パワーユニットの効率を強調する新しいグラフィックを導入

    F1は、今週末のF1サンパウロGPでパワーユニットの効率を強調する新しいグラフィックを導入する予定となっている。

    この動きは、F1の技術的な成果、特にパワーユニットの熱効率をよりよく売り込むことが目的の一部となる。F1のCEOを務めるステファノド・メニカリはそのニュースを確認した。

    「我々は、実際に自分たちが誰であるかを我々全員に思い出させるために始めている」とステファノ・ドメニカリは語った。

    「今日の我々には、2014年以来、最も効率的なハイブリッドエンジンがある。これは覚えておく必要のあることだ」

    「そのため、たとえばブラジルでは、新しいロゴが表示される。我々が誰であるかを思い出させるためのものだ。何をしているのかを正確に知らなくても、誰かを釘付けにするのが簡単な場合がある」

    リバティ・メディアは、アマゾンとの関係により、機械学習を使用したドライバー分析チャートや戦略予測など、多くの新しいデータ駆動型グラフィックスを発表している。

    これは、F1の商業所有者であるリバティ・メディアが、新しいファンのために壁を打ち破り、また、環境的および社会的原因への関心の高まっている時期に導入された。

    We Race As Oneイニシアチブが大いに推進され、すべてのイベントでのレース前のビルドアップの大部分が見られるが、舞台裏では、F1をより持続可能にし、二酸化炭素排出量を削減する動きがある。

    その一部は、今後のシーズン、潜在的には2030年から完全合成燃料を採用することを推進することであり、これにより排出量が劇的に削減され、ジュニアカテゴリーにフィードバックすることができる。

    「我々が持っている目的は、世界中にある何十億台もの車のために、我々が世界に提供できるドロップイン燃料を採用することだ」とステファノ・ドメニカリは以前に述べた。

    「OEMと世界に、真剣になるために適切な価格で非常に有益で非常に効果的なものを提供することが、我々にとって焦点を当てる優先順位の高いものだと考えている」

    技術的な観点では、F1は現在、2026年から施行される予定の次世代F1パワーユニットルールついて議論されており、F1参戦を検討しているフォルクスワーゲン・グループが注意深く監視している。

  • F1サンパウロGP主催者、開催日程の1週間後ろ倒しを要求

    F1サンパウロGP主催者、開催日程の1週間後ろ倒しを要求

    F1サンパウロGPの主催者は、開催を1週間後ろ倒しにするようF1に日程変更を要求した。

    昨年、F1ブラジルGPは新型コロナウイルスの世界的大流行によってキャンセルとなったが、インテルラゴスは、F1との契約をさらに5年間延長。レース名称をF1サンパウロGPに変更して2021年のF1世界選手権のカレンダーに戻った。

    当初、F1サンパウロGPは11月14日に予定されていたが、オースティン(アメリカGP)-メキシコシティ(メキシコGP)-サンパウロのトリプルヘッダーを形成するために1週間前倒しされた。これにより、メルボルン(オーストラリアGP)は11月21日にスロットインできるようになった。

    しかし、F1オーストラリアGPのキャンセルにより、F1サンパウロGPと12月5日に予定されているF1サウジアラビアとの間には4週間のブランクができた。

    月曜日に、F1サンパウロGPのプロモーターは、ブラジルでの新型コロナウイルス症例の増加にもかかわらず、観客を入れてグランプリを開催することを確認した。

    だが、サンパウロはブラジルの共和国記念日の前日である元の11月14日の日付にレースを戻すよう要求した。

    サンパウロ州知事のジョアン・ドリア氏「この要請が受け入れられれば、市と州への収入の流入が大幅に増える」と語った。

    「サンパウロでのF1の収益は25%拡大する可能性がある」

    しかし、ブラジルは英国の旅行レッドリストにまだ含まれているため、ブラジルのステータスは暫定的なままだ。つまり、英国出身のすべてのF1要員、またはF1パドックの大部分は、ブラジルへの入国後、承認されたホテルで10日間隔離する必要がある。

    同じルールが、今後数か月以内に英国で維持される場合、トルコと日本にも適用される。トルコと日本もF1レースがキャンセルされるリスクがあると見なされている。

    F1は、オースティンのサーキット・オブ・ジ・アメリカズでの2回目のレースを含む可能性を含め、より多くのキャンセルに対処するための緊急時対応計画を考案している。

    「私は多くの異なるスケジューリングシナリオを聞いている」とマクラーレンF1のCEOを務めるザク・ブラウンは最近 The Guardian に語った。

    「おそらく誰も現実を明確に知らないと思う。この市場で何が起こっているのか、レッドリストに載っているのか、ドミノ効果があるのかについてのちょっとしたチェスゲームだと思う。さまざまなシナリオを聞いている」

  • マックス・フェルスタッペンにとってはF1ブラジルGPもホームレース?

    マックス・フェルスタッペンにとってはF1ブラジルGPもホームレース?

    2021年にマックス・フェルスタッペンは、予定通りに開催されればF1オランダGPで初めてホームレースを迎えることになる。しかし、彼がホームレースとして見なしているのはザントフォールトだけではない。

    レッドブル・レーシングのポッドキャスト Talking Bull で、チームメイトのセルジオ・ペレスは、オーストリアのように特別なデザインをヘルメットをいつ着用するとマックス・フェルスタッペンについて質問した。

    「今後もいくつかのヘルメットがあるよ。もちろん、いつものようにスパでも用意するし、もちろん、ザントフォールトでのホームレースでもね。すべてが計画通りに進んだら、ブラジルでもそうかもしれない」とマックス・フェルスタッペンは答えた。

    「そうだね、君にはホームレースとしてブラジルがあるね」とセルジオ・ペレスは南米でフェルスタッペンの絶大な人気に言及した。

    「そして、オーストリア。君にはたくさんのホームレースがあるね」とセルジオ・ペレスはは笑いながら締めくくった

    「そうだね、どんどん大きくなっている」と4つのサーキットで自身のグランドスタンドを持っているマックス・フェルスタッペンは語った。

    マックス・フェルスタッペンにとってブラジルは人気があるからだけではない。現在のガールフレンドであるケリー・ピケは、ブラジルが生んだF1ワールドチャンピオンであるネルソン・ピケの娘だ。

    残念なのは、今回のトークでスペシャルヘルメットを着用するグランプリとしてホンダにとっての母国GPである日本GPと鈴鹿の名前がなかったことだ。MotoGP、WECの中止が相次いで決定し、オリンピックも無観客で開催されることから、F1日本GPの開催も危ぶまれている。

  • インテルラゴス、新たに5年契約を締結してF1サンパウロGPに改名

    インテルラゴス、新たに5年契約を締結してF1サンパウロGPに改名

    インテルラゴスは、F1との契約をさらに5年間延長。レース名称はF1サンパウロGPに変更されることになった。

    ブラジルは、2021年にサンパウロの伝統的な会場であるインテルラゴスから、リオデジャネイロの新しい専用トラックに移動すると考えられていたが、建設中の新しいサーキットは、環境問題に対する反発を受け、この取引は失敗に終わった。

    F1は、インテルラゴスと新しい契約を締結。1973年以降、毎年F1ブラジルGPを開催してきたインテルラゴスは少なくとも2025年までレースを開催することになった。

    FIA 世界モータースポーツ評議会が史上最多の23戦の2021年の暫定F1カレンダーを正式に承認した後、水曜日に契約は承認され、発表された。

    「サンパウロが2025年までブラジルGPを開催し続けることを発表できることをうれしく思う。今後数年間で新しいプロモーターと協力することを楽しみにしている」とF1のCEOを務めるチェイス・キャリーは述べた。

    「ブラジルはF1にとって非常に重要なマーケットであり、熱心なファンとスポーツの長い歴史がある」

    「ブラジルでのレースは、ファン、ドライバー、パートナーにとって常にハイライトだった。2021年と今後5年間、インテルラゴスでのエキサイティングなレースをF1ファンに提供できることを楽しみにしている」

    アブダビに本拠を置くグローバル投資会社ムバダラからの支援を受けて、新しいプロモーターはレース名称をF1サンパウロGPに変更して新たなスタートを切る。

    「インテルラゴスが世界のモータースポーツで最も重要なイベントの1つを主催し続けることを発表できることは大きな喜びだ」とサンパウロのブルーノ・コバス市長は語った。

    「我々は、我々の街でレースを維持するために多大な努力をしてきた。我々は、観光客のための堅牢なインフラストラクチャ、公共の安全、そして。一流のサービスを提供している」

    「グランプリを主催することは、我々の街を世界に宣伝することに加えて、雇用の創出や収入の創出などの重要な貢献をもたらし続けると信じている。サンパウロGPに投資された1レアルごとにそれを示す研究成果を目にしてきた。5.20レアルが地域経済のために生み出されている」

  • ピエール・ガスリーが振り返る “人生最良の1日”

    ピエール・ガスリーが振り返る “人生最良の1日”

    2019年のF1ブラジルGPでルイス・ハミルトンの猛攻を振り切って2位表彰台をゲットしたピエール・ガスリーがフィニッシュラインを超えた瞬間と “映画のシナリオのような” 2019シーズンについて語った。

    2019年のF1世界選手権 第20戦ブラジルGPでスクーデリア・トロ・ロッソSTR14を自己最高位となる2位表彰台に導いたピエール・ガスリーは、F1キャリア初の表彰台を「人生最良の1日」と表現した。

    ピエール・ガスリーが、インテルラゴスで体験した怒涛の1日を、彼自身の言葉で詳しく振り返った。

    午前9時15分:決勝日の朝
    9時間ほど眠って目を覚ました。決勝日前にエナジー満タンにするためにはこのくらい眠る必要があるんだ。スッキリ起きられたし、良いエナジーが感じられた。僕は普段から寝起きが良いんだ。スヌーズやアラームと格闘するようなことはないね。目を覚まして最初に考えたのはレースのことじゃなかったけれど、徐々にレースのシナリオについて考え始めた。とはいえ、レースは5時間後だから、考えすぎるのはNGなんだ。朝食をたっぷり食べたい気分ではなかったから、部屋を出る身支度をしながらエナジーバーを1本食べた。少し音楽をかけながらね。普段はUSラップを大量に入れたプレイリストをかけているんだけど、なぜかこのブラジルGPの週末は気分が違っていて、Spotifyでポップソングのトップ50を聴いていたよ。

    午前10時10分:自分の運転でサーキットへ
    決勝日は人で混雑するから、サーキット入りにほんの少し時間がかかる。僕は専属トレーナーと一緒に入るんだけど、チームのみんなはもっと早い時間にホテルを出発している。サーキットには10時45分くらいに到着した。サーキットへ向かう途中でナーバスになるようなことはなくて、レースに向けてワクワクしていた。午前中はかなり慌ただしくなるから、マインドを正しい状態に保ち、エナジー温存に努めた。

    午前11時:食事 / チームブリーフィング
    通常はレーススタートの約2時間半前、サーキットでチームブリーフィングをしている間にちゃんとした食事を摂るようにしている。キヌアにチキン、野菜類、あとはベリーやストロベリーなどのフルーツを食べた。ブリーフィングではエンジニアたちとレース戦略、スタート手順、コースコンディション、それにタイヤやバランスに関するマシンの微調整などを確認した。決勝前のブリーフィングでは、前年のデータや金曜日・土曜日のデータも含めたありとあらゆる内容について話し合う。

    午後12時50分:パワーナップ
    決勝日のドライバーがリラックスできる時間は少ないんだけど、12時30分のドライバーズパレードが終わると、ここで一旦スイッチをオフにして、午前中に消費したエナジーを再補給する。僕は自分の部屋に籠もる。チームも僕を邪魔しないようにする。マッサージテーブルの上で約15分パワーナップを取った。午後1時15分:レーシングスーツに着替えてウォームアップ開始午後1時を過ぎると慌ただしくなる。パワーナップから目覚め、レーシングスーツに着替えてウォームアップ開始だ。マシンの中で酷使するすべての筋肉をじっくりとウォームアップしていく。エクササイズのルーティンはいたって普通で負荷も大きくないけど、これを終えるとレースの準備ができたと思えるんだ。

    午後1時55分:グリッドウォーク / マシンに乗り込む
    外から見ていると決勝前のグリッドは混沌として見えるかもしれないけど、僕の目には誰も入っていない。ゾーンに入り、レースに向けて集中している。他のことは頭の中から追い出すんだ。マシンに座ってシートベルトを締められ、担当エンジニアと話した。マシンは何も問題ないから、どこも変更したくないと伝えたよ。マシンが好調なことはすぐに感じ取れたからね。

    午後2時10分:運命のレースがスタート
    アドレナリンが出まくっていた。予選6番手は良いスタートポジションだったし、良い結果を出せる感触があった。結果を残すことがチームにとって重要だった。表彰台を争えるとは思ってなかったけど、レース終盤に何かが起きれば、恩恵を受けられるかもしれないと思っていた。そしてその通りになった。ファイナルラップは本当にギリギリだった。最後のコーナーはルイス(ハミルトン)が背後にいて、彼のフロントウイングが真横に見えるくらいだった。マシンのマックスパワーを引き出すためにスロットルを全開にして、オーバーテイクボタンも押しっぱなしだった。コックピットの中で身体を低く沈めて、ポジションを守るためのスピードを得ようとした。

    午後3時48分:夢が叶った瞬間
    純粋な喜びと幸福感で、声が枯れそうになるまで叫んでいた。様々な感情が僕の中を駆け巡ったよ。信じられない気分だった。あの瞬間を迎えるまで自分がどんな反応をするかなんて分からなかったし、あの叫び声は素直に出てしまった。予想外の反応だった。フィニッシュラインを越えたあとは別世界にいた。感情が爆発していた。2019シーズンの僕にはまるで映画のシナリオのような出来事が起こり続けてきた。シーズン前半は僕が思い描いていた通りにはならなかったけれど、復活して自分のスピードと才能を証明するためにハードワークを重ねた。多くの人からフィニッシュラインを越えた瞬間の気持ちについて質問された。もちろんとても嬉しかったけど、今シーズンは困難な状況が続いていたから感情的になったね。友人のアントワーヌ・ユベールを事故で失ったのは特に辛かった。フィニッシュラインを越えた瞬間は彼のことを思い出していた。僕とアントワーヌは一緒にやってきた仲だったから、僕たち2人が夢に描いていた瞬間を迎えたと思った。チームにとってもこの結果はすごく大きかった。みんなが喜んでいる様子を見るのは最高だった。

    午後4時:沸き上がる “ガスリー・コール”
    騒々しいノイズが耳に飛び込んできた。なにやら僕の名前の最後の方が聞こえた気がしたけれど、はっきりとは分からなかった。あとで分かったんだけど、ファンのみんなが「ガスリー」とチャントしていたんだね。素晴らしい瞬間だった。一生忘れられない思い出になったよ。ジュニアカテゴリー時代は、表彰台や優勝を争ったり、トロフィーやお祝いを受け取ったりするのが当たり前だった。F1ではそう簡単にはいかない。最後に表彰台に上がったのは2017シーズンのスーパーフォーミュラだったから、表彰台のセレブレーションは本当に懐かしかった。表彰台が本当に恋しかったから、いつも以上に楽しんだ。

    午後5時30分:ようやくスマートフォンをチェック
    表彰式のあともメディアやスポンサー対応で本当に慌ただしかった。レース終了から90分後にようやくガレージに戻ると、クルーのみんなが叫び声を上げながら僕を待ってくれていた。この時にようやくスマートフォンをチェックしたんだ。どこから説明していいか分からないけれど、家族や友人、僕をずっとサポートしてくれた人たちから沢山のメッセージが届いていた。まずは家族とガールフレンドに電話した。彼らはブラジルに来ていなかったし、一緒に表彰台を喜び合えなかったからね。

    午後8時:ワイルドな祝勝会?
    残念なことにそういうのはなかった! 午後8時までエンジニアやメカニックたちと一緒にサーキットに残っていたんだ。これはこれでクールだったよ。そのあとフランス行きの飛行機に乗らなきゃいけなかったから、サーキットから空港へ直行した。空港に午後9時半に到着して、そこで夜を過ごしたんだ! でもトロフィーはちゃんと持ち帰った。パリで待っている両親や2人の兄弟が一目見たいだろうと思ってさ。

    午後11時30分:ブラジルを出国し帰国の途へ
    飛行機の中で人生最良の1日を振り返り始めた。すごく興奮していて、アドレナリンや感情が駆け巡っていたからあまり眠れなかった。あの瞬間が終わって欲しくなかった。自分のキャリアを支え続けてくれている人たちに感謝できる機会はそうそうあるものじゃない。この機会に、僕がここまで辿り着くために力を貸してくれた皆さんと、このような瞬間を味わう機会を与えてくれた皆さんに感謝の言葉を送りたい。

  • 2019年F1ブラジルGP | 最年少表彰台記録を更新…23歳8ヶ月23日

    2019年F1ブラジルGP | 最年少表彰台記録を更新…23歳8ヶ月23日

    2019年のF1ブラジルGPは、F1の史上最年少表彰台記録を更新する結果となった。

    F1ブラジルGPでは、マックス・フェルスタッペン(22歳)、ピエール・ガスリー(23歳)、カルロス・サインツ(25歳)が表彰台を獲得。ガスリーとサインツにとってF1初表彰台となった。

    3人の平均年齢は23歳8ヶ月23日となり、F1の史上最年少記録を更新。

    これまでの記録は、2008年のF1イタリアGPでセバスチャン・ベッテル、ヘイキ・コバライネン、ロバート・クビサの3人による23歳11か月16日だった。

    F1イタリアGPでは、トロロッソのセバスチャン・ベッテルが21歳73日で優勝して当時の最年少優勝を記録。後にその記録はマックス・フェルスタッペンが2016年のF1スペインGPで破っている(18歳227日)

  • バルテリ・ボッタスのストップになぜセーフティカーが必要だったのか?

    バルテリ・ボッタスのストップになぜセーフティカーが必要だったのか?

    F1ブラジルGPのバルテリ・ボッタスのストップによってセーフティカーが導入されたことにはいくつかのチームが驚いたと語っているが、FIレースディレクターを務めるマイケル・マシは、ボッタスのマシンがバンプにスタックしていたため、回収のために必要だったと説明した。

    バルテリ・ボッタスは52周目にパワーユニット故障の疑いでターン4付近で停止。メルセデスのテクニカルディレクターを務めるジェームス・アリソンは「彼はかなりきとんと停車していたので驚いた」と語っている。

    バルテリ・ボッタスのリタイアは、チームメイトのルイス・ハミルトンに偶然に機会を与えた。レッドブルのF1チーム代表を務めるクリスチャン・ホーナーもセーフティカーの展開に驚いたと語る。

    「ボッタスは賢明な場所で停車したように見えた」とクリスチャン・ホーナーはコメント。

    「あれがレースに命を吹き込んだのは確かだし、ちょっとエキサイティングなものになった! しかし、それは誰にとっても同じことだった」

    マイケル・マシは、バルテリ・ボッタスがサーキット脇にマシンを停車した際、「当初はダブルイエローを提示した」と語る。

    しかし、マーシャルはメルセデスを安全な場所に移動するのに苦労。回収クレーンが必要となった。

    「マーシャルは『マシンがバンプに引っかかっている』と言ってそのままにした」とマイケル・マシは語る。

    「クレーンを使用しなければならないのは明らかであり、すぐにセーフティカーを出した」

    「あのような状況、特に舗装道がある場合、我々全員が車高などのとすべてを知っている。それ以上のことは何もなかった」

    フェラーリのF1チーム代表を務めるマティアビノットは、セーフティカーを使用するという決定を支持している。

    「我々はもう少し早く入るとことさえ予想していた」とマッティア・ビノットはコメント。

    「FIAは正しくそれを回避しようとしたが、機会がないことに気付いた。」

    セーフティカーが展開されると、13台が数周にわたってステイアウトし、リードラップに戻るように旗が振られた。

    「最初の遅延は、実際にセーフティカーの後ろにリーダーをつけることだった。これは、純粋にマシンのポジショニングのために少し長くかかった」とマイケル・マシは説明する。

    「そして、すべてのマシンのタイミングからリストを取得し、それを配置する。最初の焦点はもちろんインシデントをクリアすることであり、周回遅れのマシンは二次的なものだ」

  • 【動画】 ガスリーの2位フィニッシュに歓喜するトロロッソのスタッフ

    【動画】 ガスリーの2位フィニッシュに歓喜するトロロッソのスタッフ

    トロロッソ・ホンダのピエール・ガスリーは、F1ブラジルGPを2位でフィニッシュ。トロロッソ・ホンダのガレージ内のその歓喜の瞬間をとらえた動画をF1公式サイトが公開した。

    今年レッドブル・ホンダのドライバーとしてシーズンを迎えたピエール・ガスリーだったが、成績不振を理由に夏休み後にトロロッソ・ホンダに降格させられた。

    しかし、古巣で自信を持ち戻したガスリーは、波乱の展開となったF1ブラジルGPでルイス・ハミルトンを抑えて2位でフィニッシュ。F1初表彰台を手にした。

    ファイナルラップ。ガレージのスタッフは祈るように画面を見つめ、最終コーナーに差し掛かる前からフィニッシュを見届けるためにガレージを飛び出していくスタッフ、画面で2位フィニシュを確認するスタッフなど様々。ガスリー・コールでF1初表彰台を祝福した。

    「僕にとってF1で初めての表彰台をトロロッソと共に獲得できて、本当にうれしい!」とピエール・ガスリーはコメント。

    「毎戦さまざまな戦いをしてきたけど、いつも『その時がくればきっと叶うはず』と信じていたし、今日実現できた。本当に素晴らしく、色々な感情が入り混じった気分だ!」

    「チームのことはいつも『イタリアの家族』だと思っていたし、彼らの情熱と、常に最大限までプッシュする姿勢が大好きだ。今日の結果は、僕が彼らの日頃の努力にお返しできる、最高の感謝のプレゼントだ」

  • ホンダF1 特集 | “幻の1-2-3”は本田宗一郎からのメッセージ

    ホンダF1 特集 | “幻の1-2-3”は本田宗一郎からのメッセージ

    ホンダF1でレッドブルのチーフメカニックを務める吉野誠が、ホンダのF1エンジンが1-2フィニッシュを達成したF1ブラジルGPを振り返った。

    「先日のブラジルGPの決勝。本当にすごかったですね!劇的なレース展開でしたが、今までの勝利と違いマックス(・フェルスタッペン)が純粋にライバルに対して強さ、速さで上回った、完璧な勝利だったのではないでしょうか。予選、レースともに常にパフォーマンスで上回っていましたし、来年につながる結果になりました」と吉野誠と ホンダ Racing F1 の公式サイトで語った。

    「そしてピエール(・ガスリー)の2位。特に今年の前半、レッドブルにいた際は、私は彼の苦悩や苦労を間近で目にしてきました。それだけに、彼の表彰台の雄たけびや、喜びを爆発させる姿には胸が詰まるものがありました。ラッキーの2位ではないですし、最後の最後でハミルトンから守った走りは彼の強い執念を感じました。表彰台目前だったアレックス(・アルボン)のクラッシュはレッドブル担当としては残念でしたが、トロロッソとの1-2フィニッシュは、ホンダとしてこれ以上ない結果だとも感じています。本当に、ピエールにはおめでとうと伝えたいです」

    「レースの最終盤、ホンダのマシンが1-2-3体制を築いたときがあったのですが、そのときには、『ホンダもここまで来たのか』という思いとともに、実は画面を見ながら涙をこらえていました。ピエールがゴールの際にメルセデスのマシンを振り切った瞬間は『これまでのプロジェクト開始以降の膨大な苦労や努力、情熱が、ようやく形になったんだ』と、そう感じていました」

    「私たちのパワーユニットは、ある日突然速くなったのではありません。その前には、数々の地道な積み重ねや失敗があり、今回の結果はその上にあるものです。苦しい時代も含めて、プロジェクトに関わったメンバーみんなに感謝の思いを伝えたいです」

    「実は、先日日本で本田宗一郎さんのお墓参りをしてきました。そして、レース前にはサンパウロにあるアイルトン・セナの墓前で手を合わせてきたのですが、今回の結果は二人にパワーをもらったんだと思っています。私たちがこうやっていまレースができるのは、言うまでもなく宗一郎さんのおかげです。そして、私にはあの『幻の1-2-3』が、宗一郎さんからのメッセージだったように感じています。『お前ら、絶対に戦いをやめるんじゃないぞ』と、そんな声が聞こえた気がします」

    憧れだったF1の世界へ
    さて、前段が長くなりました。前回はメカニックの仕事について書きましたが、今回は私のキャリアについて触れようと思います。

    もともと、F1は小さいころからTVを通してよく見ていました。いわゆる第二期F1という時代で、セナを応援していましたね。1988年のモナコGPでセナがリタイアして、自分の家に帰ってしまったのをよく覚えています。あとは、鈴鹿にもF1を見に行きました。第二期の最後の2年なので、1991年と1992年のことですね。そんな自分でしたので、いつかホンダのF1で働きたいという夢を当たり前のように持っていましたが、まさか本当に自分がTVの向こう側に見ていた世界で仕事をすることになるとは、思ってもみませんでした。

    希望通り、ホンダへの入社を果たした後は、四輪サービス関連の部署に配属されました。しかし、その後1998年にホンダがコンストラクターとしてF1復帰を目指すことが発表され、社内でも『RA099』というマシンの開発プロジェクトメンバーの公募が行われました。当然私はすぐに手を挙げ、幸運にも選ばれることができました。

    フェルスタッペン親子とのエピソード
    RA099のプロジェクト開始後はスペインのサーキットでテストを重ねることになり、私もメンバーのひとりとして懸命に開発に携わっていました。ただ、その後残念ながらプロジェクトは中止となってしまい、ホンダはコンストラクターではなく、エンジンマニュファクチュラーとして2000年にF1へ復帰することになります。

    残念な形にはなってしまいましたが、実はその際、RA099のテスト走行を担当していたのが、現在のレッドブルのドライバーであるマックス・フェルスタッペン選手のお父さん、ヨス・フェルスタッペンだったんです。当時まだマックスはとても小さかったのですが、お父さんのテスト現場をしばしば訪れていました。金髪のきれいな男の子でしたね。ヨスは現在もよくマックスのレースを見に訪れるので、時々私と当時の昔話をすることもあるんですよ。また、マックスも当時のことを鮮明に覚えているようで、彼がRA099に座っている写真をスマートフォンで見せてくれて、彼と一緒にそのころの話をしたこともあります。F1マシンに座ったということで、彼の中でもとても印象に残っていたようですね。

    マックスが2014年に鈴鹿のFP1でトロロッソのマシンをドライブし、F1デビューを飾った際には、私は一ファンとしてその姿をTVで見ていました。ほかの好きなF1ドライバーを見るときとは全く異なる気持ちで、『ああ、あの子がF1に・・・』という特別な感慨とともに、彼を応援していましたね。おこがましいかもしれませんが、どこか自分の息子を見るような気持ちで見ていた部分もあったのかもしれません。ですから、今年彼と一緒に仕事ができると知ったときには本当にうれしかったんです。お父さんと仕事をしていたのに今度はその息子さんと仕事をすることになるということに、不思議な縁も感じましたね。自分も歳をとったんだなという思いもありました。今回の勝利にも、本当にしびれました。『素晴らしい』の一言ですし、チャンピオンのハミルトン選手を何度も追い抜く姿に心から感動しました。すごい男に育ったものです。

    新パートナーシップとともにF1へ復帰
    さて、私のキャリアについて話を戻しましょう。RA099のプロジェクトは中止になりましたが、その後のホンダ F1第三期と呼ばれる2000年からのプロジェクトにも参加できることとなり、その後撤退する2008年まで、メンバーの一員として仕事をしました。その際のメンバーには、今も一緒に仕事をしている田辺豊治 ホンダ F1テクニカルディレクターや本橋正充 ホンダ F1副テクニカルディレクターもいたんですよ。いまや『ホンダ F1の番頭』さながらの本橋さんは、当時から田辺さんの右腕でしたね。

    2008年の撤退後は、FCV(燃料電池車)の開発プロジェクトに約10年携わり、昨年9月にF1プロジェクトに約10年ぶりに復帰、英国に駐在することになりました。今年からのレッドブル Racingとのパートナーシップが決定していたので、その立ち上げを行うことがまず第一の仕事となりました。FCVのプロジェクトも自分なりに強い想いを持って取り組んでいたので、F1プロジェクトに戻ってくるときは寂しさもありました。一方でレッドブルというビッグチームとタッグを組むことに対して、楽しみな気持ちと大きなプレッシャーも同時に感じていました。でも、楽しみの方が大きかったかもしれませんね。

    レッドブルとのプロジェクト立ち上げ
    プロジェクト立ち上げについては、ホンダとレッドブルの仕事の分担、各メンバーの役割設定、サーキット内外での仕事の進め方といった部分を、ゼロからディスカッションして進めていきました。レッドブルのメンバーは経験豊富ですのでこちらが学ぶ部分も多かったですし、一人ひとりの専門性やスキルが非常に高い集団だなという印象でした。彼らの仕事のやり方として、各メンバーの裁量が大きいのが特徴ですが、それもあのように優れたメンバーを集めたプロ集団だからこそできることだと思っています。

    今シーズンについては、開幕戦でマックスが表彰台を獲得し、オーストリアやドイツ、ブラジルで勝利を挙げたりと、比較的順調なものに見えているかもしれません。私自身も、信頼性の観点では確実に進化できている手ごたえがあります。ただ、私の仕事の領域ではサーキット現場、HRD-Sakura双方でまだまだ改善できる余地があると考えていますので、さらに前進を続けていかなくてはなりません。

    マネジメントという立場でここにいる私としては、自分たちの仕事を社内外の誰もが憧れるようなものにできたらと思っています。志の高い人が集まり、一緒に高い目標に向かって挑戦していくような、一体感のあるチームを作り上げたいですね。それはつまり、一体感があり、永続的に勝ち続けることができるチームだと思っています。そのチームとともに、お客様、従業員の皆さんと喜びを分かち合いたい。そして、いつかマックスと一緒にチャンピオンを獲れたら、こんなにうれしいことはありません。

  • マックス・フェルスタッペン | F1ブラジルGP 優勝インタビュー

    マックス・フェルスタッペン | F1ブラジルGP 優勝インタビュー

    レッドブル・ホンダのマックス・フェルスタッペンは、F1ブラジルGPをポール・トゥ・ウィンで制し、今季3勝目を挙げた。

    ポールポジションからスタートしたマックス・フェルスタッペンは、スタートでリードを維持するが、メルセデスが戦略でピットストップのたびにルイス・ハミルトンを前に出すことに成功したため、2度にわたってハミルトンを抜かなければならなかった。

    「ルイスがとても速かったので、プッシュし続けなければならなかった。彼は戦略によって常に1周早くピットしていたので、自分たちのピットストップのたびに本気でプッシュしなければならなかった」とマックス・フェルスタッペンは振り返る。

    「でも、2回目の彼に対する仕掛けは良かったし、常にトップを取り戻していた。それ以降は自分のタイヤでレースをコントロールすることができた。信じられない。とても楽しかったし、もちろん、レースに勝ててとても嬉しい」

    レッドブル・ホンダには最終コーナーで常にフェラーリを抜く速さがあった。ルイス・ハミルトンを抜くスピードもあると考えていただろうか?

    「僕は後ろにいたので、彼とのギャップを縮めるために全開でラップをプッシュしていた。それが唯一の決め手だった。それによってDRS圏内に近づくことができた。僕たちはすでに週末を通して素晴らしいトップスピードがあることをわかっていたし、それでも、当然だけど、抜くことができて嬉しかった」

    1回目のピットストップ時にロバート・クビサのウィリアムズのマシンが目の前に飛び出し、タイムロスを強いられた。

    「多くのことが起こった。スタートは十分に良かった。それについては満足している。そのあとの第1スティントはすべてがかなりいい感じだった。そのスティントの終盤はタイヤがタレはじめて、ウィリアムズのトラフィックに引っかかってしまったし、そのラップでルイスがピットに入った。あまり良い状況ではなかった。実際、自分のピットストップのときにロバートが出てきて、接触しかけた。ウォールに追いやられてブレーキをかけなければならなかった」

    「ほぼアンチストールが効いていたので、そうだね、とてもギリギリだった。幸運にもアウトラップでルイスがミドルセクターでシャルル(ルクレール)に引っかかていたので、彼らに追いつくことができたし、幸運にもターン12でシャルルを捕えることができた。それでもルイスとトウとDRSがあったし、ターン1でルイスを抜くことができた」

    「そのスティントのそれ以降はタイヤをかなりうまく管理できた。メルセデスが再び反応するのを待っていたけど、幸いにも1周長く走れる十分なギャップがあったのでそうした。スタッフもいいピットストップをしてくれた。1.9秒だったと思うし、素晴らしかった。そこからはミディアムタイヤでルイスは激しくプッシュしていたので、僕たちはかなり匹敵していたと思う」

    「セーフティカーが入らなかったら、レース終盤に良い戦いになっていたと思う。でも、セーフティカーが入り、またチームがソフトタイヤに交換するために素晴らしい仕事をしてくれた。その時点では『うまくいくわからない』という感じだった。でも、リスタートですぐにルイスのトウをうまく使ってアウトサイドから抜くことができた。ターン1で良いバトルがあり、ターン4でもあった。その後はタイヤのアドバンテージが本当に助けになったし、1位を守ってレースをコントロールすることができた」

    ルイスとのバトルはどれくらい楽しかった?

    「そうだね、楽しかったよ。ワールドチャンピオンと戦えるのは10番手をかけて誰かと戦うよりもずっといい。良いバトルだったと思うし、お互いに十分にスペースを与えていた。クールだったと思う」

    最後のリスタートではパワーをかけるのをかなり遅らせていた。

    「そうしたいと思っていたし、うまくいった。すぐにギャップを築くことができたし、いい感じだったよ。

    それはカートで学んだのか?

    「そうかもしれないね。カートでは何度もリスタートがからね。常に多くのことが起こる。F3もそうだと思う。F1でも多いけどね。リードしていなくても、そのグループにいる。常に学んでうまくやれることはある。

    レースではフェラーリ勢が同士討ちを演じた。

    「チーム内にいないとき、それについてコメントすることは常に難しいと思う。すべての詳細がわからないため、何が起こったのかわかりない。それについてコメントするのは非常に難しいと思う。映像も見たことがいないので、インシデント自体についてコメントすることはできない」

    F1ブラジルGPでの勝利はマックス・フェルスタッペンにとって初のポールトゥ・ウィンだったが、他の週末と比べてどうだったのだろう?

    「週末を比較することはできないけど、非常にポジティブだし、最近のいくつかのレースで僕たちが果たした進歩に非常に満足している。僕たちがいつも望んでいるのは週末をクリーンに過ごすだ。それが今週末に起こったことだと思う。もちろん、レースで優勝することは素晴らしいことだし、来年にむけても有望だ。過去数戦で多くのことを学んだと思うのし、来年にむけてスタートを切るのは良い兆候だと思う」

    「今日はチームの努力だと思う。クルマはうまく機能していた。できる限り一貫性を保とうとしていたし、ピットストップや戦略でみんなが素晴らしい仕事をしてくれたので、今日はそのすべてが勝利をもたらしたと思う。パワーはとても良かった。でも、さっきも言ったようにチームの努力であり、ホンダはそのチームの一員だ」