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  • 角田裕毅 F1 CEOドメニカリが語る「日本人ドライバーに必要なもの」

    角田裕毅 F1 CEOドメニカリが語る「日本人ドライバーに必要なもの」

    角田裕毅は、2026年にF1シートを失った。F1のCEOであるステファノ・ドメニカリは、ホンダの発表会で日本人ドライバーの現状と将来について問われる中で、角田裕毅に触れ、その立場と今後に向けた準備の重要性を語った。

    質問では、日本人ドライバーがF1で未勝利である現状を踏まえ、「日本人ドライバーに何が欠けているのか」「優勝するために必要な要素は何か」、さらに「これからの若い日本人ドライバーに何を期待するか」が投げかけられた。

    ホンダがF1で積み重ねてきた実績と、日本国内に整った育成環境を評価したうえで、ドメニカリは、F1で勝つために必要なのは才能だけではないと指摘。限られたチャンスを逃さないレジリエンス(逆境から立て直す力)と、正しい道筋を通って巡ってくる機会こそが、日本人ドライバー、そして角田裕毅に求められている条件だと述べた。

    「ドライバーに関して。今年、角田裕毅がリザーブとして入る。それがこのスポーツの特性でもあって、2026年に参戦するのはなかなか難しかったと思う」とドメニカリは語った。

    「日本には素晴らしいチャンピオンシップがあり、良い基礎ができている。このコラボレーションでアストンマーティンと組むことで、さらに新しいピークを目指すこともできるだろう。素晴らしいブランドの結合になる」

    「欠けているとすれば、適切なチャンス、適切なフォーメーションパスを持つこと、そしてレジリエンスを持つことだ」

    「世界中を見渡すと、一つの国を代表するドライバーがいることで、その国で新しい若者を引きつけるチャンスが生まれる。日本への期待としては、角田裕毅に新しいチャンスが訪れたとき、ぜひ成功してほしいし、準備を整えたうえで参戦してほしい」

    「可能性は無限にあるわけではない。ミスをすれば、チャンスはさらに少なくなっていく。それがこのスポーツのネイチャーだ」

    F1のトップとして世界を見渡すドメニカリは、日本のモータースポーツ環境そのものは高く評価しつつ、勝利への鍵として「チャンスの巡り合わせ」と「それを掴む準備」、そして「困難に耐える力」の重要性を強調した。

    角田裕毅をはじめとする日本人ドライバーにとって、限られた機会の中で結果を残すことの重みと、その先に広がる可能性を示唆する発言となった。

  • 角田裕毅、2027年アルピーヌF1候補に急浮上?ブリアトーレの次の標的とは

    角田裕毅、2027年アルピーヌF1候補に急浮上?ブリアトーレの次の標的とは

    アルピーヌF1で将来が不透明な状況に置かれているフランコ・コラピントを巡り、2027年を見据えた後任候補として角田裕毅の名前が急浮上している。チームの実権を握るフラビオ・ブリアトーレは、すでに次の一手を想定している可能性があり、その視線の先に日本人ドライバーがいるとの見方が広がっている。

    2026年シーズンは、コラピントにとってF1キャリアの行方を左右する重要な1年となる。

    2025年はアルピーヌがコンストラクターズ最下位に沈み、コラピントは無得点。一方でチームメイトのピエール・ガスリーは22ポイントを獲得しており、両者の差は結果として明確に表れた。

    コラピントはA525の扱いに苦しみ、セットアップの難しさや当時のルノー製パワーユニットの競争力不足も影響した。しかし、それに加えてルーキーエラーやクラッシュが重なり、評価を大きく下げる要因となった。2026年もガスリーとともにシートを維持することが決まったが、実質的に猶予は1年のみと見る向きが強い。

    アルピーヌの内部事情を見ても、コラピントに即座に代わる選択肢は多くない。ジャック・ドゥーハンはチームを離れ、将来的にはスーパーフォーミュラ参戦が見込まれている。リザーブドライバーのポール・アロンはFP1での走行経験こそ豊富だが、2025年途中での昇格は実現せず、決定打を欠いたままだ。

    伊『Autosprint』は、ブリアトーレが「すでに次に目を向ける先を把握している可能性がある」と報じている。その中で、最も現実的な候補として浮上しているのが角田裕毅だ。

    角田裕毅は2025年末でレッドブル陣営を離れたが、F1で積み上げてきた経験値は依然として高く評価されている。加えてホンダとの関係性もあり、2027年の復帰先としてアルピーヌ、あるいはハースF1チームが候補に挙がっているとされる。

    特にアルピーヌは、ガスリーとの関係性という点でも角田裕毅にとって悪くない選択肢となり得る。両者は過去にチームメイトとして戦った経験があり、ブリアトーレにとっても即戦力として計算しやすい存在だ。

    もう一人、ブリアトーレが無視できない存在として挙げられているのがレオナルド・フォルナローリである。フォルナローリは2024年にF3、2025年にF2を連続制覇するという実績を残したが、2026年はマクラーレンの体制下でレースシートを得られていない。

    マクラーレンはランド・ノリスとオスカー・ピアストリという盤石なラインアップを擁しており、フォルナローリに割って入る余地は限られている。そのため、F1デビューの機会を求めるなら他チームへの移籍が現実的な選択肢となる。

    一方で、コラピントにとって状況が完全に絶望的というわけではない。2025年後半には、予選でガスリーとの差を縮め、最後の10戦中4戦でレース順位で上回る場面もあった。進歩は限定的ながらも、積み重ねる価値のある兆しではあった。

    2026年は新レギュレーション導入により、アルピーヌにとっても仕切り直しの年となる。さらに、メルセデス製パワーユニットの導入はチーム全体の競争力を押し上げる可能性があり、パッケージ次第ではコラピントにとって追い風となる。

    ただし、その場合に求められるのは明確な結果だ。無得点からの脱却、そしてガスリーとの差を縮めることができなければ、ブリアトーレが2027年に向けて別の選択肢へ動くのは避けられない。

    角田裕毅、あるいはフォルナローリ。2026年のパフォーマンス次第で、アルピーヌF1の将来像は大きく塗り替えられることになる。コラピントに残された時間は、決して多くはない。

    Source: F1 OVERSTEER

  • 角田裕毅 2026年のリザーブ契約も白紙?ホンダとレッドブルF1の駆け引き

    角田裕毅 2026年のリザーブ契約も白紙?ホンダとレッドブルF1の駆け引き

    角田裕毅のF1キャリアは、本来であればすでに「待機モード」に入っているはずだった。1年間のレース離脱、リザーブドライバーとしての役割確保、そしてその先に向けた明確な道筋。だが現実はそうなっていない。

    日本人ドライバーである角田裕毅は、ホンダ自身も想定していなかった契約上の問題によって、宙ぶらりんの状態に置かれている。

    2026年に向けて、角田裕毅のレッドブル・リザーブ就任は既定路線だと早くから考えられてきた。しかしホンダ・レーシング・コーポレーションの渡辺康治社長は、それが事実ではないことを明らかにした。レッドブルとも、フォードとも、そして決定的に2026年についても、いまだ何も契約は結ばれていないという。

    本来「一時停止」であるはずだった1年は、いまや大きな疑問符へと変わっている。

    分岐点に立つホンダと角田裕毅の関係
    角田裕毅のキャリアは、常にホンダの支援とともにあった。ジュニアカテゴリーから2021年のF1デビューに至るまで、日本のメーカーは資金面と育成の両面で彼を支え、レッドブルとの技術的な緊密関係を通じてレーシングブルズでのシートを確保してきた。

    2025年のレッドブル昇格も、結果的には失敗に終わったが、その背景にはホンダの後押しがあった。

    しかしそのシートを失ったいま、角田裕毅はレースに出場しないシーズンに直面している。一方のホンダもまた、レッドブルとの関係が終わりを迎える未来を見据えている。

    2026年からホンダはアストンマーティンへのパワーユニット供給を開始し、レッドブルはフォードと組んで独自のパワーユニット開発を進める。この構図の変化が、角田裕毅の立場を一層複雑なものにしている。想定されていたリザーブ役ですら、確約されていないのが現実だ。

    東京オートサロンの場で、渡辺康治社長は舞台裏の実情を率直に語った。

    「今年の角田裕毅選手との契約については、現在も交渉を続けている段階でして、まだ具体的な合意には至っておりません。今後の協議の中で決まっていくことになります。」

    「ホンダとしては特に問題はありません。重要なのは、フォード、正確にはレッドブルがこの状況をどう考えるかという点です。」

    「レッドブル側がどのような条件を提示してくるかによって、ホンダが角田裕毅選手をどこまで活用できるか、その範囲は変わってくる可能性があります。そのようなシナリオは十分にあり得ると考えています。」

    「交渉相手は角田裕毅選手本人ではなく、レッドブルです。」

    これらの発言が示しているのは、角田裕毅の去就がもはや本人の手だけで決められるものではなく、ホンダにとっても完全に主導権を握れる状況ではないという厳しい現実だ。

    角田裕毅 レッドブル F1 ホンダ

    アストンマーティンという逃げ道は、いまのところ存在しない
    ホンダがアストンマーティンとの提携に舵を切るなかで、当然ながら憶測も広がっている。角田裕毅がその関係を通じて、シルバーストン拠点のチームに加わる可能性はあるのか、という見方だ。

    しかし渡辺康治社長は、その期待を明確に否定した。

    「現時点では、そのような計画はありません。」

    「アストンマーティンとは今後さまざまなプログラムで連携していくことになるとは思いますが、少なくとも今すぐ『これをやろう』と合意しているものはありません。」

    「ですから当面は、ホンダ独自の育成プログラムであるHFDPの中で、F2までのドライバー育成を続けていきます。そしてF1を走れるレベルのドライバーが出てきた場合に、アストンマーティンに推薦していく形になります。」

    角田裕毅にとって、それは「隠されたセーフティネット」が存在しないことを意味する。ホンダの後ろ盾によるアストンマーティン行きが保証されているわけではない。ただ交渉と政治、そして刻一刻と過ぎていく時間があるだけだ。

    2026年F1レギュレーションという大きな転換点に向かって突き進む中で、かつてホンダの長期的な象徴と見なされていた角田裕毅は、過去の同盟と不透明な未来の狭間に取り残されている。チャンスが取り返しのつかない形で失われてしまう前に、この交渉が決着することを願うしかない状況だ。

    Source: F1i.com

  • 角田裕毅、レッドブルF1のシート喪失後もホンダとの関係継続に意欲

    角田裕毅、レッドブルF1のシート喪失後もホンダとの関係継続に意欲

    角田裕毅は、レッドブルのフルタイムシートを失ったあとも、ホンダとの協力関係を今後も続けていきたい考えを明らかにした。

    角田裕毅は2026年F1シーズンに向けて、ミルトンキーンズを拠点とするレッドブルでリザーブドライバーの役割を担う。今季は厳しいシーズンを経てフルタイムシートを失い、マックス・フェルスタッペンとアイザック・ハジャーをサポートする立場に回ることになる。

    一方でホンダは、パワーユニットサプライヤーとしてF1に正式復帰し、アストンマーティンと技術提携を結ぶことが決まっている。

    ホンダはこれまで、角田裕毅のジュニア時代からF1昇格に至るまで大きな役割を果たしてきた存在だ。レッドブルとホンダの提携が終了するなかで、角田裕毅は長年にわたる支援に感謝の言葉を口にしている。

    「これまでのサポートには本当に感謝しています」と角田裕毅はRacingNews365などのメディアに語った。

    「将来がどうなるかは分かりませんが、本当に感謝しています。多くの方々から、たくさんのサポートを受けてきました」

    今後はホンダとの直接的な関わりが少なくなる見通しではあるものの、角田裕毅は日本のメーカーとの関係を維持したい考えだ。

    「来年は少し違う方向に進むことになると思います」と角田裕毅は述べた。

    「ですが、完全に離れるわけではありませんし、どのように一緒に協力できるかを見ていきたいと思っています」

    角田裕毅 F1 ホンダ

  • 角田裕毅 ホンダとの契約は協議中 レッドブルF1とホンダの綱引き続く

    角田裕毅 ホンダとの契約は協議中 レッドブルF1とホンダの綱引き続く

    角田裕毅は2026年に向けて、ホンダとの新たなF1契約にまだサインしていない。ホンダとレッドブルの間で将来を巡る交渉が続いているためだ。

    ホンダ・レーシング・コーポレーション社長の渡辺康治は、東京オートサロンの場で、角田裕毅の去就について交渉が継続中であることを明かしている。

    角田裕毅は長年にわたりホンダと深い関係を築いてきた。ホンダはジュニアカテゴリー時代から角田裕毅を支援し、2021年のF1デビューを後押ししてきた。

    ホンダとレッドブルのパワーユニット供給および知的財産に関する合意によって、角田裕毅はレーシングブルズにとどまることができたが、2025年のレッドブル昇格は結果的に不運なものとなった。

    現在シートを失った角田裕毅は、2026年シーズンをテスト兼リザーブドライバーとして過ごす見通しとなっており、この状況はホンダにとっても判断の難しい局面を生んでいる。

    2026年からホンダはアストンマーティンにパワーユニットを供給し、レッドブルはフォードと協力して独自パワーユニットを使用する体制へ移行する。この変化により、角田裕毅のホンダにおける立場は不透明さを増している。

    「今年の角田裕毅との契約につきましては、現在も交渉を続けており、具体的な合意には至っておりません」と渡辺康治は説明した。

    「こちらについては、今後の協議の中で話し合っていくことになります」

    「ホンダの立場としましては、特に問題はございません。重要なのは、フォード、正確にはレッドブルがこの状況をどのように捉えるかという点です」

    「レッドブルが提示される条件次第で、ホンダが角田裕毅をどのような形で活用できるか、その範囲は変わってくると思います。そのようなシナリオは十分にあり得ると考えております」

    「今回の交渉は、角田裕毅本人とではなく、レッドブルとの間で行っているものです」

    ホンダのジュニアドライバーは今後どうなるのか

    アストンマーティンへのパワーユニット供給開始を受け、ホンダが同チームにジュニアドライバーを送り込むのではないかという見方も出ているが、渡辺康治は現時点でその可能性を否定している。

    「現時点では、そのような計画はございません」と渡辺康治は述べた。

    「今後もアストンマーティンとはさまざまなプログラムで連携していくことになると思いますが、現段階で『すぐにこれを実行しよう』と合意しているものはございません」

    「そのため当面は、HFDP、つまりホンダ独自のプログラムの中で、F2までドライバーを育成していく方針です。その中からF1をドライブできる能力を持つドライバーが出てきた場合には、アストンマーティンに推薦していくことになります」

    Source: Motorsport Week

  • 角田裕毅に次はあるのか?F1で復活したドライバーたちの前例

    角田裕毅に次はあるのか?F1で復活したドライバーたちの前例

    角田裕毅が2026年シーズンに向けてレースシートを失う立場となるなか、F1.comは、過去に一度グリッドを離れながらもF1に復帰を果たしたドライバーたちの物語を振り返る。

    2026年シーズン開幕戦に向けてドライバーたちがグリッドに並ぶとき、そこに角田裕毅の姿はない。日本人ドライバーはレッドブルでのシートをアイザック・ハジャーに譲ることになった。

    角田裕毅は、ミルトンキーンズを拠点とするチームのテスト兼リザーブドライバーに就くことになるが、チーム代表のローラン・メキースは、25歳の角田が将来的に再びチャンスを得る可能性があるとの見方を示している。

    だが、角田裕毅は、シートを失ったあとに復活を果たした初めてのドライバーではない。以下に挙げる名前は、いずれも同様の状況からF1グリッドへと戻ってきた例である。

    ■ アレクサンダー・アルボン
    角田裕毅にとって、最良の手本のひとつとなり得る存在がアレクサンダー・アルボンだろう。彼もまた、レッドブルでテスト兼リザーブドライバーへと降格される経験をしたドライバーである。

    当時トロロッソと呼ばれていた姉妹チームで2019年にF1デビューを果たしたタイ人ドライバーは、同年シーズン途中にピエール・ガスリーとの直接交代という形でトップチームに昇格した。

    アルボンは、マックス・フェルスタッペンの隣で2020年もシートを維持するだけの成績を残したが、レッドブルはシーズン終了後に変更を決断し、彼の後任としてセルジオ・ペレス(後述)を起用した。アルボンはチームに残り、テスト兼リザーブドライバーという役割を担うことになった。

    現在29歳となったアルボンは、2020年シーズンでの苦戦によって精神的に「打ちのめされた」と後に認めている。しかし、そのブランクの1年を無駄にすることはなく、人脈を築きながら、2022年にウィリアムズで再びグリッドのシートを得ることに成功した。

    この移籍は成功を収め、グローブを拠点とするチームで事実上のリーダー的存在として活躍。ウィリアムズはその後も前進を続け、2025年には“ベスト・オブ・ザ・レスト”となるランキング5位に到達している。

    角田裕毅に次はあるのか?F1で復活したドライバーたちの前例:アレクサンダー・アルボンアルボンは2022年にウィリアムズに復帰した。

    ■ アラン・プロスト
    このリストに名を連ねるドライバーの中には、グリッドを離れた時点ではまだ自身の名を確立しようとしていた者もいるが、やや異なる例として挙げられるのがアラン・プロストだ。彼は1990年にフェラーリへ加入した時点で、すでに3度のワールドチャンピオンに輝いていた。

    フェラーリでの初年度となった1990年シーズンでは、ライバルのアイルトン・セナに僅差で4度目のタイトルを逃すという、物議を醸す結末を迎えた。その後1991年になると、チームの競争力低下を背景に、プロストとスクーデリアとの関係は悪化し、フランス人ドライバーは公然とチームを批判するようになった。

    その結果、プロストはシーズン終了を待たずしてフェラーリから解雇されることとなり、1992年に向けた適切なシートを見つける時間も残されていなかったため、1年間のサバティカル(休養)を余儀なくされた。

    しかし、「教授」の異名で知られる男の物語は、そこで終わることはなかった。1993年、ウィリアムズのステアリングを握ってF1に復帰すると、FW15Cは圧倒的な支配力を誇るマシンとなり、プロストは歴史的な4度目のワールドチャンピオンに輝いた。

    これがフランス人ドライバーにとってF1での最終章となり、輝かしいキャリアに幕が下ろされることとなった。

    角田裕毅に次はあるのか?F1で復活したドライバーたちの前例:アラン・プロストプロストの1993年の復帰はフランス人選手に4度目、そして最後の世界選手権をもたらした。

    ■ ニコ・ヒュルケンベルグ
    シートを失った後に与えられたあらゆる機会を最大限に生かしたドライバーという点では、ニコ・ヒュルケンベルグは際立った存在だ。

    2019年末、F1で9シーズン目を終えたヒュルケンベルグは、ルノーから放出される形で職を失い、チームは2020年に向けてエステバン・オコン(後述)を起用する決断を下した。

    しかし、2020年シーズンは新型コロナウイルスの影響で短縮されることとなり、その混乱の中でヒュルケンベルグは再びグリッドに姿を現すことになる。レーシングポイントでセルジオ・ペレスとランス・ストロールがそれぞれ感染した際、彼は代役として2戦に出場し、強烈な印象を残した。

    チームがアストンマーティンとして参戦した2021年も、ヒュルケンベルグはリザーブドライバーとして残留。この年は出番がなかったものの、2022年にはセバスチャン・ベッテルが陽性反応を示したことで、再び2戦に出場する機会を得た。

    こうした一連の活躍により、ヒュルケンベルグは各チームの注目を集め続け、2023年にハースF1チームでフルタイム復帰を果たす。38歳となった彼は、2025年にキック・ザウバー(将来のアウディ)へ移籍し、シルバーストンで待望のF1初表彰台を獲得した。

    角田裕毅に次はあるのか?F1で復活したドライバーたちの前例:ニコ・ヒュルケンベルグヒュルケンベルグは2020年、そして2022年後半に印象的な代役出場を果たし、フル参戦の可能性を高めたようだ。

    ■ ミカ・サロ
    “ヒュルケンバック”の時代よりはるか以前、代役としての役割を最大限に生かしたドライバーがミカ・サロである。

    1994年シーズン終盤にロータスでF1デビューを果たしたサロは、その後ティレルやアロウズでレースを重ねたが、アロウズが1999年にラインアップ変更を決断したことで、シートを失うことになった。

    その後、BARのリカルド・ゾンタが負傷した際にサロは3戦で代役を務めることとなり、さらに大きなチャンスが訪れる。ミハエル・シューマッハがイギリスGPでのクラッシュにより脚を骨折したため、フェラーリは次戦オーストリアGPからサロを後任として起用した。

    この時、エディ・アーバインがミカ・ハッキネンとタイトル争いを繰り広げており、ドイツGPではサロが首位を走行する場面もあったが、彼はチームオーダーに従いアーバインに道を譲った。それでも2位でのフィニッシュは、自身にとってF1初の表彰台となった。

    続くモンツァでも表彰台に立ち、アーバインはドライバーズタイトルを逃したものの、サロの貢献はフェラーリのコンストラクターズタイトル獲得に大きく寄与した。この活躍により、サロは2000年にザウバーでフルタイム復帰を果たすことになる。

    角田裕毅に次はあるのか?F1で復活したドライバーたちの前例:ミカ・サロサロは1999年にフェラーリの代役として注目を集めた。

    ■ バルテリ・ボッタス
    現代F1に話を進めると、ミカ・サロと同じフィンランド出身のバルテリ・ボッタスも、かつてシートを失った後にグリッドへ戻ってきたドライバーのひとりである。

    ウィリアムズで4年間を過ごした後、ボッタスはニコ・ロズベルグの突然の引退を受け、2017年にメルセデスへ加入した。以降5シーズンにわたって同チームで走り、その間に10勝を挙げている。

    2022年にジョージ・ラッセルへシートを譲ることになった36歳のボッタスは、その後アルファロメオ/キック・ザウバーで3シーズンを戦ったが、2024年末に将来アウディとなるチームでのシートを失った。

    これによりボッタスはメルセデスへ復帰し、リザーブドライバーとして活動することになった。パドックに常に姿を見せながら復帰の機会をうかがい、キック・ザウバーでの最後のレース後には「まだF1は終わっていない」と語っていた。

    そして2025年夏、ボッタスが2026年にキャデラックのラインアップの一員としてF1に復帰することが発表された。アメリカの新チームで、セルジオ・ペレスと経験豊富なコンビを組むことになる。

    角田裕毅に次はあるのか?F1で復活したドライバーたちの前例:バルテリ・ボッタスボッタスはメルセデスのリザーブドライバーとして1年を過ごした後、2026年にキャデラックでグリッドに復帰する予定だ。

    ■ セルジオ・ペレス
    キャデラックのラインアップには、復活を果たしたドライバーが2人並ぶことになるが、そのもう一方がセルジオ・ペレスである。

    2011年にザウバーでF1キャリアをスタートさせたペレスは、その後マクラーレンやフォース・インディアで走り、2020年には後者で自身初の勝利を挙げた。そして2021年にはアレクサンダー・アルボンの後任としてレッドブルへ加入した。

    ペレスとマックス・フェルスタッペンのコンビは当初成功を収め、2022年と2023年にはコンストラクターズタイトル獲得に貢献し、ペレス自身もさらに5勝を挙げた。

    2024年は好調なスタートを切り、シーズン終了までの契約延長を手にしたものの、その後シーズンは失速。結果として、ペレスとレッドブルは年末に袂を分かつことになった。

    35歳のペレスは2025年に家族と過ごす時間を優先し、F1から一時的に距離を置いたが、復帰への意欲は失っておらず、2026年にはキャデラックとともにF1での15シーズン目を迎える。

    角田裕毅に次はあるのか?F1で復活したドライバーたちの前例:セルジオ・ペレスペレスはキャデラックの初シーズンに経験豊富なラインナップの一員となるだろう

    ■ フェリペ・マッサ
    ペレスと同様に、フェリペ・マッサも15シーズンにわたってF1を戦ったベテランだが、ルーキーイヤー後に一度キャリアが停滞したことは忘れられがちである。

    2001年にユーロ・フォーミュラ3000選手権を制したマッサは、2002年にザウバーでF1デビューを果たし、3度ポイントを獲得した。しかし2003年に向けて、チームはハインツ=ハラルド・フレンツェンを起用する決断を下し、マッサはフェラーリのテストドライバーという立場に回ることになった。

    1年間のブランクを経て、マッサは2004年にザウバーへ復帰。2005年には新チームメイトのジャック・ヴィルヌーヴを上回る成績を残し、その活躍が評価されて2006年にフェラーリでミハエル・シューマッハのチームメイトとして走るシートを得た。

    以降マッサはフェラーリで11勝、15回のポールポジションを記録し、2014年からはウィリアムズへ移籍した。

    2016年末での引退を表明していたが、ニコ・ロズベルグの引退とバルテリ・ボッタスのメルセデス移籍を受け、2017年に現役続行を決断。最終的にF1通算269戦に出場するキャリアとなった。

    角田裕毅に次はあるのか?F1で復活したドライバーたちの前例:フェリペ・マッサマッサは2004年にザウバーでグリッドに戻り、2006年にはシューマッハのフェラーリのチームメイトになった。

    ■ エステバン・オコン
    このリストに名を連ねる複数のドライバーと同様、エステバン・オコンもリザーブドライバーとしての期間を経てF1へ復帰したひとりである。

    2015年にメルセデス・ジュニアチームへ加入したオコンは、2016年シーズン途中にマノーでリオ・ハリアントの後任としてF1デビューを果たし、2017年からはフォース・インディアでフルシーズンを戦った。

    しかし2018年にチームがローレンス・ストロール率いる投資家グループに買収されると、オコンはシーズン終了後にランス・ストロールへシートを譲ることになった。

    2019年はメルセデスのリザーブドライバーとして活動しながら復帰の機会を待ち、「1年なら変化は大きくないが、2年空くと大きなギャップになる」と当時語っていた。

    オコンはその言葉どおり、1年でグリッド復帰を果たし、2020年にルノーでレースシートを獲得。2021年には、現在アルピーヌとして知られるチームで初優勝を挙げ、その後も3度表彰台に立っている。現在はハースF1チームに所属し、2026年に2年目のシーズンを迎える。

    角田裕毅に次はあるのか?F1で復活したドライバーたちの前例:エステバン・オコンオコンは2020年にルノーでグリッドに復帰した最初のシーズンで初の表彰台を獲得した。

    ■ ロマン・グロージャン
    オコンが語っていた「長期間離れることの難しさ」については、2年間のブランクを経て復帰したロマン・グロージャンが何か言うことがあるかもしれない。

    2009年にルノーがネルソン・ピケJr.をシーズン途中で放出した際、リザーブだったグロージャンは残り7戦に出場した。しかし、バレンシアでの初戦は15位に終わり、フェルナンド・アロンソとの差は大きかった。

    ポイントを獲得できないままシーズンを終えたグロージャンは、2010年にルノーから契約を得られず、他カテゴリーに活動の場を移す。その一環としてGP2(現在のF2)に復帰し、2011年にチャンピオンを獲得した。

    同年にはルノーでFP1に2度出走し、2012年にロータスとして再編されたチームでF1にフルタイム復帰。4シーズンで10回の表彰台を獲得し、2013年アメリカGPではキャリア最高位となる2位を記録した。

    2016年からはハースで走り、2020年シーズン終了まで在籍。最後のF1レースとなったバーレーンGPでは大事故を経験したが、2025年にはTPCイベントでかつてのチームのマシンをドライブする感動的な一幕もあった。

    角田裕毅に次はあるのか?F1で復活したドライバーたちの前例:ロマン・グロージャングロージャンは2年間の不在の後、2012年にロータスでF1に復帰した。

    ■ ケビン・マグヌッセン
    グロージャンの元チームメイトであるケビン・マグヌッセンは、キャリアの中で2度のカムバックを果たしたドライバーである。

    マクラーレン・ヤングドライバープログラム出身のマグヌッセンは、2014年にセルジオ・ペレスの後任としてF1デビュー。初戦で2位に入り、デビュー戦で表彰台を獲得した数少ないドライバーのひとりとなった。

    その後も11回ポイントを獲得したが、2015年のシートは確保できず、テスト兼リザーブドライバーに降格。しかし2016年にはルノーでグリッド復帰を果たした。

    2017年から2020年までハースで走った後、2021年にニキータ・マゼピンとミック・シューマッハの新ラインアップが起用され、再びシートを失うことになった。

    その後は他カテゴリーで活動していたが、2022年シーズン開幕直前にマゼピンの離脱を受けて急遽ハースへ復帰。準備期間がほとんどない中でも開幕戦で5位入賞を果たし、シーズン後半にはサンパウロGPでサプライズのポールポジションを獲得した。

    33歳のマグヌッセンは、2024年末でハースを離れ、現在は世界耐久選手権などへの参戦に軸足を移している。

    マグヌッセンの2022年の驚きの復帰は、サンパウロでのポールポジション獲得など、いくつかの記憶に残る瞬間をもたらした。

    角田裕毅に次はあるのか?F1で復活したドライバーたちの前例:ケビン・マグヌッセンマグヌッセンの2022年の驚きの復帰は、サンパウロでのポールポジション獲得など、いくつかの記憶に残る瞬間をもたらした。
  • 角田裕毅、F1ドライバー市場で再び「アクティブな存在」に

    角田裕毅、F1ドライバー市場で再び「アクティブな存在」に

    2025年シーズン、角田裕毅はレッドブルのセカンドシートにおける「犠牲者」の系譜に新たに名を連ねることになった。日本人ドライバーである角田裕毅は、ミルトンキーンズの陣営と新たな契約を結ぶことができず、チームは代わりにアイザック・ハジャーを昇格させる決断を下した。

    レッドブルでの角田裕毅の結果は、数字だけを見れば決して説得力のあるものではなく、最終的にその評価が不利に働いた形だ。

    しかし、ローラン・メキースのチーム内部、そしてパドックの外部でも、角田裕毅が最初から厳しい戦いを強いられていたという認識は共有されている。

    彼に与えられていたマシンは、一貫してマックス・フェルスタッペンの1号車よりも遅い仕様だったため、純粋な比較そのものが困難だった。

    コストキャップの制約もあり、レッドブルは限られた予算をフェルスタッペン用のアップグレードに集中させ、角田裕毅のために新しいパーツを製造することを優先しなかった。

    こうした重要な前提条件がパドック内で広く認識されていることもあり、角田裕毅のドライバーとしての市場価値は、いまなお高い水準にある。

    一度は閉ざされた交渉が再浮上する可能性
    2024年初頭の段階では、レッドブルはセルジオ・ペレスの後任を急いで探す状況にはなかった。オーストリアのチームは、成績が低下していたにもかかわらず、6月にペレスと複数年契約を結んでいる。

    その数か月後になって、ようやくペレスの立場が危ういものだと明らかになったが、当時のチーム代表であるクリスチャン・ホーナーは、角田裕毅をマックス・フェルスタッペンの隣に座る現実的な候補とは見なしていなかった。

    このため、2023年から2024年にかけて複数のチームメイトを上回る成績を残していたにもかかわらず、角田裕毅はリアム・ローソンに次ぐ選択肢とされ、レッドブルのセカンドシートを逃すことになる。

    2025年初頭に行われた角田裕毅とローソンの入れ替えは、率直に言えば、極めて困難な状況を立て直そうとする土壇場の試みだった。テストなしで、扱いが難しいことで知られるマシンを駆り、フェルスタッペンと対峙するという任務は、ほぼ不可能に近かった。

    さらに追い打ちをかけたのが、イモラでのクラッシュ後の状況だ。22号車に用意できたのは、旧型で遅い仕様のパーツのみだった。

    レッドブルの意思決定層から高く評価されていないことを自覚していた角田裕毅は、2024年初頭の段階で、ミルトンキーンズ以外の選択肢を検討していた。

    当時、直近のチームメイトを上回るパフォーマンスを見せていた彼には、複数の関心が寄せられていた。

    ザウバーが角田裕毅に接触していたと理解されており、ハースF1チームもまた、彼の獲得に強い関心を示していた。

    しかし25歳の角田裕毅にとって不運だったのは、レッドブルが契約オプションを行使し、2025年シーズン序盤もVCARBに留めたことだ。この決定により、彼は移籍という選択肢を事実上封じられてしまった。

    それでも、レッドブル以外にも選択肢が存在していたという事実は重要だ。今年のドライバー市場は極めて予測不能であり、角田裕毅の前に、再び新たな扉が開く可能性は十分に残されている。

    角田裕毅 F1

    チャンスの年
    一見すると、角田裕毅がF1グリッドに復帰する道筋を描くのは難しく見える。しかし詳しく見ていくと、25歳の角田裕毅にとって、2027年に現実的な行き先が存在することが分かる。

    前述の通り、ハースF1チームは2025年シーズンに向けて角田裕毅の獲得を検討していたチームのひとつだった。日本人ドライバーが利用不可能になった段階で、チーム代表の小松礼雄はエステバン・オコンとの契約に動いた。

    それでも、小松礼雄が角田裕毅の能力を高く評価していることは理解されている。

    2027年に角田裕毅を獲得する可能性について問われた小松礼雄は、その可能性を否定しなかった。

    「彼の将来についてはコメントできません。もちろん、彼は我々のドライバーではありません」と小松礼雄はMotorsport Weekに語った。

    「2027年の話ですか? 我々はまず、ドライバーとともに2026年に集中しなければなりません。しかも、完全に新しいレギュレーションになります」

    「ほとんどのドライバーは、2024年に契約を結んだ時点でそれを分かっていたと思います。彼らは2026年がどうなるかを見極めたうえで、2027年により良いチームを選びたかったはずです」

    「だからこそ、27年のドライバーマーケットは非常にオープンになると思います」

    当然ながら、小松礼雄は目前に迫る2026年シーズンに向けて、現在のドライバーラインアップに集中している。

    それでも、2027年を前にしてハースF1チームに1つ、あるいは2つのシートが空く可能性は十分にある。今年のフェラーリのパフォーマンス次第では、少なくとも現在のドライバーのうち1人がチームを離れる可能性があるからだ。

    仮にそうなった場合、オリバー・ベアマンがマラネロのチームに昇格する最有力候補となる。イギリス人ドライバーはフェラーリ内で高く評価されており、将来に向けた重要な戦力と見なされている。

    一方で、オコンは自身の市場価値を高める必要に迫られている。実は角田裕毅にアプローチする以前、小松礼雄が2025年に向けて最優先で考えていたのは、ニコ・ヒュルケンベルグを引き留めることだった。

    ヒュルケンベルグとベアマンのラインアップこそが、38歳のドライバーがザウバーと契約する前にハースF1チームが最も望んでいた組み合わせだった。

    つまり第一候補ではなかったオコンは、より良いシーズンを送る必要があるということになる。昨年のオコンは、特に夏休み以降、ルーキーのチームメイトに対して数歩遅れを取っていた。

    今年もベアマンがフランス人ドライバーを上回る走りを続ければ、オコンの市場価値はさらに下がり、ハースF1チームとの交渉における角田裕毅の立場は強まることになる。

    なお、ホンダはトヨタの影響力が拡大している状況であっても、角田裕毅がアメリカのチームに加入することを妨げない姿勢を示している。

    そのため、ハースF1チームは2027年に向けて、レッドブルのリザーブである角田裕毅にとって現実的な選択肢となり得る存在だ。

  • 角田裕毅のF1キャリアを振り返る 大胆な走りとパドックの友情

    角田裕毅のF1キャリアを振り返る 大胆な走りとパドックの友情

    角田裕毅のF1キャリアは、大胆なドライビングスタイル、無線での率直すぎる発言、そしてパドックで築いた友情によって形作られてきた。2026年にレッドブルのリザーブドライバーとして新たな役割に進むにあたり、F1で過ごした5シーズンを振り返る。

    F1グリッドで5シーズンを戦った今、角田裕毅に別れを告げる時が来た……とはいえ、完全にというわけではない。25歳の角田裕毅は、2026年もリザーブドライバーとしてレッドブル・ファミリーの一員であり続ける。

    一方で、アイザック・ハジャーはレーシングブルズから昇格し、アービッド・リンドブラッドはF2からステップアップする。日本人ドライバーである角田裕毅は、これまでに111回のグランプリに出走し、124ポイントを獲得し、自己最高位は2021年アブダビGPでの4位だった。

    この役割変更は、角田裕毅のF1での歩みと、なぜ彼がこれほど多くのファンに愛されてきたのかを振り返る絶好の機会だ。エキサイティングなオーバーテイク、感情むき出しの無線、独特のスタイル、そしてピエール・ガスリーとの“ブロマンス”まで、角田裕毅はオン・オフ両面でモータースポーツ界に強烈な印象を残してきた。

    コース上での成功
    角田裕毅のレーシングシーンでの台頭はまさに急成長だった。日本F4からF1まで、わずか4年足らずで駆け上がった。相模原出身のこの才能は、2016年にホンダのフォーミュラ・ドリーム・プロジェクトの支援を受け、レッドブルのジュニアチームに加わり、2020年にはカーリンからF2選手権に参戦するシートを得た。角田裕毅はすぐに順応し、ルーキー勢の中で最高位となるランキング3位でシーズンを終え、3勝、4ポールポジション、7回の表彰台を獲得した。最終戦バーレーンでの勝負強い走りによって、2021年のF1グリッドに立つために十分なFIAスーパーライセンス・ポイントを手にした。

    F1参戦後、角田裕毅が大胆なレイトブレーキング、攻撃的なドライビングスタイル、そして生来のスピードで評価を確立するまで、時間はかからなかった。アルファタウリ時代の元チーム代表フランツ・トストは次のように語っている。

    「彼のドライビングスタイルは現代的なものだ。彼は自分が何を求めているかを分かっている。アンダーステアや、コーナーの頂点でクルマが流れるのを好まないし、リアがどうなっているかは気にしない。」

    この攻撃性は、2021年シーズン開幕戦のバーレーンですぐに表れ、多くのオーバーテイクを決めてデビュー戦で9位入賞、ポイント獲得を果たした。

    2022年シーズンは、アルファタウリのパフォーマンスが大きく低下したことや、不運にも悩まされたが、当時22歳だった角田裕毅にとっては貴重な経験の年となった。2023年と2024年には、名称を新たにしたレーシングブルズが次々と新しいドライバーを試し、そのたびに角田裕毅は打ち負かすことを期待された。そして彼は、その期待通り、ニック・デ・フリース、ダニエル・リカルド、リアム・ローソンをドライバーズランキングで上回り、グリッド上の座を守り続けた。さらに2024年サンパウロGPでは、難しいウエットコンディションの中で予選3位という自己最高の予選結果も記録している。


    2025年には、わずか2戦でレッドブルへの昇格を果たしたものの、セカンドシートでマックス・フェルスタッペンのペースに追いつくことができず、首脳陣は2026年に向けて別の選択肢を探ることになった。それでも今季の角田裕毅には印象的な場面がいくつもあり、常にファンを惹きつける闘志あふれる走りを見せ続けた。


    社交的な存在
    2021年にグリッド最年少ドライバーとしてF1に登場した角田裕毅は、F1ライフのリズム、絶え間ない移動、高い緊張感、そしてパドックでの人間関係構築に慣れるまで時間がかかると思われていたかもしれない。しかし彼は、ファンに愛されるのと同じ速さで、ドライバーたちの間でも人気者になった。

    レーシングブルズ(旧アルファタウリ)時代、そして今年のレッドブルでの期間を通じて、角田裕毅は同じガレージを共有したすべてのチームメイトと、強く誠実な関係を築いてきた。ドライバー同士の関係が悪化しがちなこの世界では、決して簡単なことではない。厳しい週末をともに乗り越える時も、どこへ行ってもユーモアを忘れない姿勢も、チームメイトやクルーが温かく語るガレージ内の一体感を生み出してきた。

    中でも、特別な友情、いわゆる“ブロマンス”を築いたのがピエール・ガスリーだった。2人は意気投合し、チームメイトとして過ごした2年間で、オフ・トラックでも数多くの象徴的な瞬間を残した。中でも最も有名なのは、東京でアデルの『Hello』をカラオケで歌った場面だろう。歌の出来はさておき、2人がアルファタウリでどれほど楽しんでいたかは明らかだった。

    チームのソーシャルメディアは、チャレンジ企画や舞台裏コンテンツで大きな話題を呼んだ。ガスリーが角田裕毅のスピード違反切符をからかったり、1年を通して彼を「ジュゼッペ」と呼び続けたり、2人でサッカーやビデオゲームを楽しんだり、F1イベントで“ブロマンス”を前面に押し出す姿など、ファンを楽しませる場面が数多くあった。

    角田裕毅はレーシングブルズとレッドブルで多くの異なるチームメイトと組んできたが、誰とでも印象的な瞬間を残している。フェルスタッペンとはパデルを楽しみ、ブラジルのドライバーズパレードではふざけ合う姿も見せた。ハジャーやリアム・ローソンとの時間は短かったが、そこでも楽しいTikTok動画が生まれた。リカルドは角田裕毅に強い影響を残した存在で、彼がパドックを去った際には、角田裕毅は心のこもったメッセージを投稿している。

    チームメイトだけでなく、角田裕毅の持つ感染力のあるエネルギーは、ファンやクルー、さらには一部のセレブリティにも強い印象を残した。

    角田裕毅ならではのスタイル
    角田裕毅は、特にヘルメットデザインにおいて、常にクリエイティブな一面を見せてきた。2021年アブダビGPでのホンダへのトリビュート、2025年鈴鹿での歌舞伎をモチーフにした母国GP仕様、そして2024年スパ・フランコルシャンでのゲーム『Valorant』とのコラボレーションなど、印象的で意味のあるデザインが数多く存在する。

    角田裕毅 F1 レッドブルこれらのヘルメットは左から、F1通算100戦目、日本でのホームレース、そしてゲームへの愛を表している。

    レッドブルの最新かつ大胆なマーチャンダイズやチームキットを身にまとっている姿がよく見られる一方で、角田裕毅はパドックでのファッションにも個性を発揮してきた。定番の後ろ向きキャップやスタイリッシュなサングラスから、ダブルデニムやグラフィックTシャツまで、セッションの合間も常にクールな装いを見せている。ニューヨークで行われたF1映画のプレミアでは、洗練されたスーツ姿で注目を集めた。

    角田裕毅 F1 レッドブル・レーシング角田裕毅は、カジュアルなダブルデニムから映画プレミアでの洗練されたスーツまで、さまざまなスタイルを見せている。

    フィルターなしの角田裕毅
    角田裕毅は、特にチーム無線ではあまりフィルターがかからないタイプだが、ありのままの自分でいることが、多くのファンに愛される理由でもある。放送局が慌ててピー音を入れるほどの過激な無線での怒声で、彼はすぐに知られる存在となった。しかしそれらの反応は正直なものであり、角田裕毅がレースに懸ける情熱を如実に示していた。その姿勢はインタビューやメディア対応にも一貫して表れていた。

    だが、これで角田裕毅のF1での物語が終わるわけではない。2021年にアレクサンダー・アルボンがシートを失った後、シミュレーターでのたゆまぬ努力によって翌年ウィリアムズのシートを得た例を、私たちは目にしてきた。バルテリ・ボッタスも、リザーブとしての1年がドライバーを再活性化させること、そしてSNSでの“サイドクエスト”に挑む余地を与えてくれることを示した。努力と少しの幸運があれば、角田裕毅が再びグリッドに戻ってくる日は、そう遠くないかもしれない。

  • 角田裕毅 レッドブルF1での苦戦は想定内?ペレスがホーナーの発言を暴露

    角田裕毅 レッドブルF1での苦戦は想定内?ペレスがホーナーの発言を暴露

    元レッドブルのセルジオ・ペレスは、かつてのチーム代表であるクリスチャン・ホーナーが、マックス・フェルスタッペンの隣に座る後任ドライバーたちが成功しないことを最初から理解していたと主張した。ペレスは、レッドブルにおける“2台目”の構造的な難しさについて、あらためて踏み込んだ証言を行っている。

    ペレスは現在、2026年F1シーズンに向けてキャデラックF1での活動を進めるなか、ポッドキャスト「Oso Traca」のインタビューに出演し、レッドブル時代を振り返った。

    そこでは、どのような状況であってもチームの期待を本当の意味で満たすことができなかったという感覚が語られている。

    「チームはあらゆることに不満を持っていた。レッドブルでは、すべてが問題だった」とペレスは語る。

    「僕が速ければ速いで問題になり、空気はとても張り詰めたものになった。マックスより遅ければ、それもまた問題だった。僕は、これが自分の置かれた環境なのだと学び、不満を言う代わりに、できる限り最大限を引き出そうとした」

    ペレスは、2024年末にレッドブルとの契約を解除されるまで在籍していたが、その時点ですでに2年の契約延長を結んでいた。それでも状況は変わらなかったという。

    「このプロジェクトは最初からフェルスタッペンのためだった」
    ペレスは、レッドブル加入時点で置かれている立場を理解していたことも認めている。ただし、マシン開発により深く関与できることを期待していたという。

    「僕はレッドブルがどういうチームか分かったうえで行った。最初にクリスチャンと座って話したとき、彼はこう言った。『我々は2台のマシンを走らせている。なぜなら、2台走らせなければならないからだ。でも、このプロジェクトはマックスのために作られている。彼が我々の才能だ』とね」

    それに対し、ペレスは「それ自体は問題ではなかった」と語る。ただし、開発面で貢献し、純粋に競うチャンスがあることが条件だった。

    「マックスのチームメイトになるだけでも信じられないほど難しい。だが、レッドブルでマックスのチームメイトになることは、F1で最も過酷な仕事だ」

    角田裕毅に対するクリスチャン・ホーナーの発言を暴露したセルジオ・ペレス

    ホーナーも理解していた“2台目”の限界
    さらにペレスは、レッドブルを離れる直前に交わしたホーナーとの最後の会話についても明かした。そこでは、後任ドライバーが直面する困難について、すでに両者が共有していたという。

    「そのとき僕は彼に言った。『クリスチャン、もしリアム(ローソン)がうまくいかなかったらどうするんだ?』と。彼は『そのときは角田裕毅がいる』と言った。

    『じゃあ、角田裕毅もうまくいかなかったら?』と聞くと、『我々には多くのドライバーがいる』と返ってきた」

    「だから僕は言った。『君は全員使うことになるよ』と。すると彼は『そうだ、分かっている』と答えた」

    このやり取りからは、ホーナー自身が2台目のシートが誰にとっても極めて困難な役割であることを認識していた様子がうかがえる。

    結果的に、2024年シーズン終盤に行われたリアム・ローソンの昇格は、より良い選択肢を見出せなかったことによる“対処的判断”だった可能性が高い。その後、角田裕毅を含め、いずれのドライバーもフェルスタッペンの隣で安定した成果を残すことはできなかった。

    2026年F1シーズンに向けては、アイザック・ハジャーが新たなチームメイトとして起用される予定だ。ペレスの証言が示すように、ホーナーはこの役割の難しさを十分に理解していたとみられる。一方で、現在レッドブルを率いるローラン・メキースのもとでは、2台目のマシンに対するアプローチがこれまでとは異なり、より均衡の取れたものになる可能性も残されている。

  • 角田裕毅 2027年のF1復帰はあるのか? 小松礼雄が語るハースの条件

    角田裕毅 2027年のF1復帰はあるのか? 小松礼雄が語るハースの条件

    角田裕毅は、レッドブルの決定により、2026年F1シーズンをリザーブドライバーとして迎えることになった。その将来について、ハースF1チーム代表の小松礼雄がF1 2027年を見据えた質問を受け、可能性を完全には否定しなかった。

    角田裕毅は2025年シーズン終了後、マックス・フェルスタッペンのチームメイトとして過ごした厳しい1年を経て、レッドブルからリザーブへの降格を告げられた。2026年にはそのシートをアイザック・ハジャーが引き継ぐ。

    2025年シーズン、角田裕毅は全22戦中7戦でポイントを獲得し、最高位はアゼルバイジャンGPでの6位だった。鈴鹿での日本GPを前にリアム・ローソンに代わってレッドブルに昇格したが、結果としてシートを守るには至らなかった。

    ハースF1チームと角田裕毅の再接近はあるのか
    ハースF1チームは2024年にも角田裕毅獲得の噂があったが、当時はレッドブルが契約延長に動いたことで実現しなかった。その後、ハースは2025年に向けてオリバー・ベアマンとエステバン・オコンという新ラインアップを固めている。

    ベアマンとオコンは2025年のドライバーズランキングでわずか3ポイント差でシーズンを終え、両者とも少なくとも2026年末までは契約下にあるとされる。

    そうした中で小松礼雄は、将来のドライバー構想について次のように語った。

    「彼の将来についてはコメントできません。彼は我々のドライバーではありませんので」

    その上で、2027年を見据えた状況についてこう続けた。

    「2027年について言いますと、まずは2026年に集中しなければならないと考えています。ドライバーも新しいレギュレーションもあります」

    「多くのドライバーは、2026年がどうなるかを見たいと考えていると思いますし、その上で2027年に向けて、より良いチームを選びたいと考えているはずです」

    「そのため、2027年のドライバーマーケットは非常にオープンになると思います」

    「我々が自分たちをより良い立場に置くために重要なのは、競争力のある2026年シーズンを戦うことです。それが我々の焦点です」

    角田裕毅について語るハースF1チーム代表の小松礼雄

    ホンダとの関係がもたらすもう一つの壁
    角田裕毅の将来を考える上で、長年の支援元であるホンダとの関係も重要な要素となる。ハースF1チームは2024年10月にトヨタとの技術提携を開始し、2026年からは正式に「TGR ハースF1チーム」として参戦する。

    一方で角田裕毅はホンダとの強い結びつきから、2026年にホンダと技術提携を結ぶアストンマーティンF1チームへの移籍がたびたび噂されてきた。しかしアストンマーティンは2026年に向け、サードドライバーとしてジャック・クロフォードと契約し、同時にフェリペ・ドルゴヴィッチはフォーミュラEへ転向している。

    角田裕毅が語った率直な胸中
    2025年アブダビGP後、角田裕毅はレッドブルの決定について率直な言葉を残している。

    「正直、がっかりしましたし、かなり腹も立っていました」

    そして契約上の制約が、他チームとの交渉を難しくしていたことも明かした。

    「選択肢はありませんでした。契約がレッドブルにありましたので、あまり動くことができませんでした」

    「外部からいくつか興味を示してもらってはいましたが、契約上、あまり多くを話すことは許されていませんでした」

    「ですので、レッドブルに集中していましたし、ここ数年はずっとレッドブルファミリーが最優先でした。ここで育ってきましたから」

    2026年をリザーブとして過ごす角田裕毅にとって、2027年は再びF1グリッドに戻るための重要な分岐点となる。その可能性は、2026年シーズンの勢力図と、各チームの判断次第で大きく左右されることになりそうだ。