カテゴリー: 佐藤琢磨

  • NHK BS1 「佐藤琢磨 栄冠ふたたび!世界最速レース インディ500」

    NHK BS1 「佐藤琢磨 栄冠ふたたび!世界最速レース インディ500」

    NHK BS1は、佐藤琢磨が2度目の栄冠に輝いた2020年のインディ500のスペシャル特番『佐藤琢磨 栄冠ふたたび!世界最速レース インディ500』を9月12日(土) 18:00~19:50 (110分)に放送する。

    世界三大カーレースのひとつ、インディ500。世界中のレーサーがあこがれる大舞台だ。だが今年、コロナ禍の影響で開催延期、無観客という異例なレースとなった。

    第104回のインディ500、ライバルたちとの激しい戦いをしのぎ、佐藤琢磨が見事に優勝! 2017年大会に続き、2回目の栄冠に輝いた。佐藤琢磨がどのようにして、偉業を成し遂げたのか、日本に希望と勇気をもたらした「感動」のレースを振り返る。

    ■チャンネル
    NHK BS1

    ■放送日時
    2020年9月12日(土) 午後6:00~午後7:50(110分)

    ■番組内容
    時速308キロ、世界最速レースといわれるインディ500。2020年大会で佐藤琢磨選手が激戦の末、優勝!2回目の栄冠に輝いた。その感動のレース、偉業を伝える。

    ■出演者ほか
    【出演】佐藤琢磨
    【実況】ピエール北川
    【解説】中野信治

  • ホンダF1特集:佐藤琢磨、スリップストリームの達人

    ホンダF1特集:佐藤琢磨、スリップストリームの達人

    今週末のF1は「Temple of Speed=スピードの殿堂」と称される、超高速サーキットのモンツァが開催地。ここでは、スリップストリームの有無がタイムを大きく左右する。

    一方、オーバルコースで行われるインディ500でも、スリップストリームは非常に重要だ。先日キャリア2度目のインディ500優勝を果たした佐藤琢磨に、ホンダF1がインディでの勝ち方を聞いた。

    43歳の琢磨にとって、2017年に続く勝利となった今回のインディ500。「ブリック・ヤード」の愛称で呼ばれるインディアナポリス・モーター・スピードウェイで、Hondaエンジン勢による1-2-3-4という印象的な結果に終わり、ビクトリーレーンで恒例のミルクを飲んだ直後から、メディアの取材攻勢が殺到した。

    そんな多忙の中、佐藤琢磨はインタビューの時間を確保し、今回の勝利について語った。1回目の勝利から学んだことや、今回の戦略についての話を聞いていくと、モンツァ以上にスリップストリームの重要性が見えてきた。

    佐藤琢磨がフロントローを獲得し、最前列のアウト側からレースをスタートすることになった段階で期待が高まっていた。4ラップを走行する予選と、200ラップのレースで状況が異なることは分かっているとはいえ、佐藤琢磨自身もフロントロースタートの重要性を認識していました。

    「予選でのフロントロー獲得と決勝レースでは別の話ですが、それでもマシンパフォーマンスを見て競争力があるのが分かり、とても満足していました。そして、予選の4周で安定した走りができて、チームをとても誇りに思いました。決勝用マシンがどれだけ競争力のあるものになるかを示していたからです。僕らのマシンには、ライバルのような最高速はなかったかもしれませんが、僕らが目指していたのは‘強さ’で、僕らのマシンは間違いなく最強でした」

    「フロントローからのスタートという部分も大きかったです。中団は本当に荒れたレースになる一方で、フロントローが最も安全なスタート位置で、レースをコントロールできることは間違いありません。マシンで言うと、前回優勝したアンドレッティ・オートスポートのほうが、明らかにアドバンテージがありました。というのも、2017年のHondaのエンジンはもちろん強力でしたし、超強力なエアロパッケージもあったので、その意味でアンドレッティのマシンには確かなスピードがありました。しかし、今年は違いました」

    「どのマシンも僅差でした。なかでも強かったのは優勝を争ったスコット・ディクソン選手だったと思います。すべてのプラクティス、予選でパフォーマンスを発揮していました。どんなコンディションでも速く、僕にとってのライバルと目していました。それ以外のマシンはあまり差がなく、すべてのドライバーにチャンスがあるという、素晴らしい状況でした。だからこそ、競争力のあるマシンで戦えるので、フロントロースタートでミスをしなければ、必ず優勝するチャンスはあると思っていました」

    3年前のインディ500優勝は、日本人ドライバーとしても初の勝利だったが、その前にも何度か惜しいレースがあった。佐藤琢磨にとってはそれらの経験が何かの形で役に立っただろうが、初優勝が自信となり、プレッシャーを取り除いてくれたことが、2度目の栄冠につながったようだ。

    「2017年はレース中ずっと集中し続けなければなりませんでしたが、僕にとっては経験したことのない新たな世界を見ることができました。もちろん、2012年のレースですでにリードラップの経験がありましたし、ダリオ(フランキッティ)を相手に激しく戦い、勝利をつかむためにターン1へ飛び込みました。それでも、勝者にはなれなかったわけで、実際にどんなものかは分かりませんでした。だから、2017年の経験は全く異なるものでした」

    「今回はフロントローからのスタートで、とてもリラックスできていました。マルコ(アンドレッティ)がポールポジションからスタートしたものの、ディキシー(スコット・ディクソン)がそれをオーバーテイク。僕は前のマシンが1台のときのトウ(スリップストリーム)の具合がどうなるかを見るために、ディクソンについていきました」

    「後方からライアン・ハンター‐レイが迫ってきたときも、その段階で激しいレースを展開するつもりはなかったので、ライアンはあっさり抜いていきました。3番手になってからは、2台先行のときのトウが、燃費の面でどんな様子かを見つつ、マシンバランス、タイヤの摩耗具合を確認していました」

    「最初の100~150周で燃料のコントロールだけでなく、マシンバランス、タイヤの摩耗具合など細部にまで確認して調整し、勝負所となる最後の2スティントに備えていました。そして、プラン通りにいきました。そこが2017年の優勝時と大きく異なる点です」

    F1だけでなく、アメリカのレースシーンでも人気の高い佐藤琢磨の初優勝は、日本のみならず世界のモータースポーツ界でも大きな反響を呼んだ。今年のインディ500は、コロナ禍での開催で無観客となったが、琢磨の2度目の優勝は大きな話題になった。

    そして、今回もホンダを再び勝利に導いた。今年43歳になる佐藤琢磨だが、ホンダとの関係は20年以上にわたって続いており、世界最高峰のレースで結果を出し続けている。

    「ホンダの一員であることを誇りに感じています。子供の頃に多くの夢を与えてくれたのがHondaです。F1やマン島TTレースに挑戦し、モータースポーツの世界でナンバー1を目指していました。今でもF1やMotoGPでチャレンジ精神を見せてくれています。それこそ、ホンダがレースを続ける意味なんです」

    「僕はレースキャリアのスタートが遅かったのですが、今ここでこうして話せているのは、ホンダのレーシングスクールに通っていたおかげです。20歳の頃にスカラシップを獲得して以来、僕のこれまでのキャリアを支えてくれました。だから、ホンダには感謝してもしきれません。日本人だからというだけでなく、彼らのレースへの取り組み方やファイティングスピリッツに誇りを感じています。そういった理由から、ホンダファミリーの一員であることが本当に誇らしいです」

    その挑戦は絶え間なく続いています。インディ500勝利の数日後には、イリノイ州のワールド・ワイド・テクノロジー・レースウェイでダブルヘッダーに臨みました。そこでは土曜のレース1で2位、翌日のレース2ではポールポジションを獲得し、9位に入った。

    一方のF1では、先週末のスパ・フランコルシャンで表彰台を獲得。そして、特殊な戦い方となるモンツァへ向けた準備に取り組んでいる。こうしてレースとともに過ごす日々が続いていく。

  • 道頓堀グリコサインで佐藤琢磨のインディ500優勝祝福メッセージを放映

    道頓堀グリコサインで佐藤琢磨のインディ500優勝祝福メッセージを放映

    江崎グリコは、世界3大レースのひとつに挙げられるインディ500で3年ぶり2回目の優勝を果たした佐藤琢磨の快挙を記念し、9月4日から大阪・道頓堀グリコサインにて祝福メッセージを放映する。

    江崎グリコと佐藤琢磨とのパートナーシップは2010年からスタート。その後、東日本大震災の復興応援プロジェクト「With you Japan」内におけるカートイベント「TAKUMA KIDS KART CHALLENGE」へ協力を行うなど、江崎グリコは佐藤琢磨との交流を通じてカートの楽しさを伝え、子どもたちの健やかな成長を応援してきた。

    江崎グリコは 2017年の佐藤琢磨のインディ500初優勝時も道頓堀グリコサインに祝福メッセージを放映した。その際、映し出された佐藤琢磨の両手を挙げたポーズに対するSNS上の「足を上げれば完璧」という指摘に「今度やってみる」と答えた佐藤琢磨。すると今回の優勝後には本当にゴールインマークポーズを披露し大きな話題を呼んだ。

    今回流れる映像ではそのポーズも使用。まさに「完璧」な佐藤選手のゴールインマークが見ることができる。

    実施概要
    ・日時:9 月 4 日~17 日、日没 30 分後~22:00 まで(初日の初放映は 18:50 を予定)
    ・場所:道頓堀グリコサイン
    ・内容:15 分ごとに 1 回、複数の画像を順番に合計で約 30 秒放映

    ゴールインマークとは
    江崎グリコの社創業者・江崎利一は栄養菓子「グリコ」を開発中、その特長をあらわすマークについて考えていた。その際、神社でかけっこをしていた子どもが両手を大きく上げてゴールインする姿を見て「スポーツこそ健康への近道、子どもの遊びの本能もスポーツに繋がっている。それらの象徴がゴールインの姿だ」とひらめき、生まれたものがゴールインマーク。

  • 佐藤琢磨 「“カーナンバー30には抜かせるな”という指令があったと聞いた」

    佐藤琢磨 「“カーナンバー30には抜かせるな”という指令があったと聞いた」

    佐藤琢磨は、インディカー 第9戦 ゲートウェイの決勝レースを9位でフィニッシュ。周回遅れのマシンに“カーナンバー30には抜かせるな”という指令を受けていたという話を耳にしたとし、「スポーツマンらしくない行為」だと怒りを露わにした。

    ポールポジションからスタートした佐藤琢磨(Rahal Letterman Lanigan Racing))は、序盤を悠々とリード。実に安定した走りで、燃費のセーブも行いながら余裕を持ってトップでの周回を重ねていった。

    ところが、レース1と同じく各スティントを長くする作戦が、レース2ではアドバンテージにならなかった。イエローフラッグが出なかったことも影響し、バックマーカーに追いついた佐藤琢磨は彼らの遅いペースで走ることを強いられ、早めにピットに入る作戦で戦ったライバルたちが優位を手に入れた。

    レースは折り返し点を過ぎてもイエローフラッグが出ないままで、7番手を走行していた佐藤琢磨は遅いマシンに引っかかり、トップグループに接近することができなかった。

    もうゴール目前の197周目、佐藤琢磨の前方で接触による混乱が発生、それを回避しようとした彼は外側の壁に軽く接触し、レース2最初で最後のコーションフラッグが出る。ゲートウェイでの2戦目は、アンダーイエローでのフィニッシュとなった。

    「僕たちはスタートからレースをリードし、大量に燃料をセーブしていました」と佐藤琢磨は語る。

    「しかし、集団の最後尾に追いつき、自分たちのペースでリードを広げていくことができませんでした。今日の路面には埃が多かったのか、オーバーテイクするのが非常に難しくなっていました」

    「私たちの作戦は最初のスティントをできる限り長くするもので、ライバルたちは早めにピットインする作戦でした。その違いが勝負の行方を決定しました」

    「僕たちは燃費セーブを続け、終盤戦では作戦を変更してピットタイミングを変えることにもトライしましたが、トラフィックに引っかかり続けました。何台かのマシンは4周も遅れていながら、ピットから“カーナンバー30には抜かせるな”という指令を受けていたそうです。そんなのはレースではありません。スポーツマンらしくない行為ですから、僕とすれば納得がいきません。しかし、僕たちにはどうすることもできませんでした」

  • 佐藤琢磨 「子供の頃に多くの夢を与えてくれたのがホンダ」

    佐藤琢磨 「子供の頃に多くの夢を与えてくれたのがホンダ」

    佐藤琢磨は、インディ500の2度目の優勝、そして、ホンダでのキャリアについてHonda Racing F1のインタビューに答えた。

    佐藤琢磨は8月23日(日)にインディアナポリスで開催された伝統のインディ500で2度目の優勝という快挙を成し遂げた。104回を数えるインディ500の歴史のなかで複数回の優勝を果たしたのは20人目ということからも、その偉業の凄さがわかる。

    インディ500のレース翌日、佐藤琢磨はHonda Racing F1のインタビューに答え、レースについて、F1を含めたホンダドライバーとしてのこれまでのキャリアについて語った。

    インディ500で2度目の優勝を果たされましたが、レースを終えての24時間はどう過ごされましたか?
    優勝してからは、まさに“ノンストップ”という感じです。アドレナリンが出ていて目が冴えてしまい数時間しか眠れていません。膨大な量の写真撮影があって、インタビューも30~40くらい答えました。驚くほど忙しいですが、そのすべてが心地いいですね。昨日(レースで)起きたことを思い出すと、改めてすばらしいイベントだったと感じますし、偉大な仕事を果たしたチームの一員であることを誇りに思っています。だれもが困難な状況に直面している中、例年とは様子が全く異なるインディアナポリス・モーター・スピードウェイで、非常にスペクタルなレースができて、特別な1日になりました。

    おっしゃる通り、困難の中での開催となりました。前回インディ500で優勝したときと比較すると、なにが違うのでしょうか?いまはまだサーキットにいらっしゃるのですよね?
    はい、僕はまだパゴタのスピードウェイ(インディ500の会場)にいます。まだ出られていません。前回との違いをどう表現すればいいのかというと難しいですね。30万人もの観客が詰めかけていたときに比べたら明らかに違います。ファンの皆さんの応援と熱狂はエネルギーになり、何物にも代えがたいものです。昨日はそれがありませんでした。似たように見えるかもしれませんが多くの面で普段と違います。何が違うのかを説明することは難しいです。僕たちは観客がいないことや、どんな状況になるかも事前に説明を受けて理解していました。事前説明がない状態であればおそらくパニックになってしまったでしょう。インディアナポリスの熱心なファンの皆さんは状況を理解されています。皆さん会場に来たいと思っていたでしょうが今年は安全を取って家でテレビ観戦をしてくれました。昨日も何百万人ものファンがテレビで見てくれました。レースが無事にできたことを改めて感謝します。来年は皆さんがサーキットに来られればといいと思います。そうなることを信じています。

    無観客開催の影響については分かっていたとのことですが、予選3番手でフロントローのスタートとなることで、レースの行方も分かっていたのではないでしょうか。優勝争いをする自信がありましたか?
    おっしゃる通りです。予選でのフロントロー獲得は(インディ500では)初めてで、マシンのパフォーマンスを見て相当な競争力があると分かりましたし、予選では全ラップ通じて安定していました。それは僕らのマシンに競争力があることを示していますし、チームをとても誇りに感じました。僕らのマシンには、ライバルのような最高速はなかったかもしれませんが、僕らが目指していたのは“強さ”で、僕らのマシンは間違いなく最強でした。そして、フロントローを獲得できたことも大きかったです。中団は本当に荒れたレースになる一方で、フロントローが最も安全なスタート位置でレースをコントロールできることは間違いありません。インディ500で前回優勝したとき、アンドレッティ・オートスポーツのマシンはほかと比較して明らかに優位性がありました。2017年のホンダのエンジンを搭載したマシンは強力でホンダのエアロパッケージもすばらしくアンドレッティ・オートスポーツのマシンは間違いなくスピードに乗っていました。でも、今年はそれと違い、どのマシンも僅差でした。なかでも強かったのはスコット・ディクソン選手だったと思います。プラクティスや予選でコンディションに左右されずにパフォーマンスを発揮していました。僕にとっては倒すべき相手でした。でも、それ以外のマシンはあまり差がありませんでした。それは素晴らしいことだと思います。ゼロからという訳ではないですが、すべてのドライバーにチャンスがありましたし、僕がフロントローを獲得できたのもそれが理由です。競争力のあるマシンで戦えるので、ミスをしなければ必ず優勝するチャンスはあると思っていました。

    スコット・ディクソン選手の話題が出ましたが、レース終盤にかけて周りにはたくさんのホンダマシンがいました。そうした中で、琢磨選手は優勝経験者だったわけですが、その経験が活きた部分はありますか?もしくは違う感覚があったのでしょうか?
    ある意味、それはあると思います。2017年は、レース中ずっと集中し続けていなくてはなりませんでした。そして、僕にとっては経験したことのない新たな世界を見ることができました。もちろん、2012年のレースでは、リードラップも経験しましたし、ダリオ(フランキッティ)と最後まで勝利を賭けて戦いましたが、勝者にはなれなかったわけで、2017年の経験は、僕に新たなものをもたらしてくれたと思います。こうした経験があることで、昨日は特にそうでしたが、フロントローからのスタートでもとてもリラックスできていました。マルコ(アンドレッティ)がポールポジションからスタートしたものの、ディクシー(スコット・ディクソン)がそれをオーバーテイク。僕はディクソンについていきながら、後ろで彼が単独走行するときの様子をうかがっていました。後方にはライアン・ハンター-レイがいましたが、僕のマシンには力強さがあったので、この段階で激しいレースを展開するつもりはなく、ライアンはあっさり抜いていきました。それで3番手になったわけですが、先行する2台のコーナリングの様子を確認していました。燃料のコントロールだけでなく、マシンバランス、タイヤの摩耗具合などを、最初の100~150周で細部まで確認して調整し、勝負所となる最後の2スティントに備えていました。そして、プラン通りにいった。そこが2017年の優勝時と大きく異なる点です。

    2017年の際も盛り上がりましたが、今回もSNSを中心に大きな反響があります。琢磨選手には長いキャリアがあって、今も大きなレースで結果を残しています。あなたのキャリアを通じて常にホンダのサポートがありましたが、これについてはどのように捉えていますか?
    ホンダの一員であることを誇りに感じています。子供の頃に多くの夢を与えてくれたのがホンダです。F1への挑戦はもちろんのこと、本田宗一郎さんがマン島TTレースに挑戦し、モータースポーツの世界でナンバー1を目指していました。今でもF1やMotoGPでチャレンジ精神を見せてくれています。僕はレースキャリアのスタートが遅かったのですが、今ここでこうして話せているのは、ホンダのレーシングスクールに通っていたおかげです。20歳の頃にスカラシップを獲得して以来、僕のキャリア全体を支えてくれました。だからホンダには感謝してもしきれません。日本人だからというだけでなく、彼らのレースへの取り組み方やファイティングスピリッツに誇りを感じています。そういった理由から、ホンダファミリーの一員であることが本当に誇らしいです。

    F1についての言及がありましたが、この慌ただしい日程の中でF1を見る時間はありますか?
    もちろんです。レースが大好きですから、多くのカテゴリーをフォローしていて、F1以外にもル・マン、MotoGPも見ます。昨日のMoto GPのレースはすごかったですね。F1ではホンダのパワーユニットを搭載しているアストンマーティン・レッドブル・レーシングがレースを盛り上げ、メルセデスと競り合っているのを見るのが最高に楽しいです。いつもホンダびいきになってしまいますけどね(笑)

    他のホンダドライバーについてはどうでしょうか?例えば、今シーズンのF2で優勝した角田裕毅など若いドライバーが出てきていますが、どのように見ていますか?
    日本の若いドライバーがそうした最高のレベルで戦っているのはすばらしいことです。また、フランスにも才能あるドライバーが何人か派遣されているので、その選手たちがもうすぐ頭角を現すと思います。日本での若手ドライバー育成プログラムをサポートしていますが、次世代の力のあるドライバーたちを5年以内には見ることができると思います。角田は非常によくやっていますし、F1に参戦するチャンスがあると思います。日本の若手ドライバーみんなにがんばってほしいですし、僕たちも次のスターが現れるのを心待ちにしています。

    インディ500のチャンピオンに2度輝いているので、彼らはあなたのことを尊敬し、その意見を尊重すると思います。若いホンダドライバーたちにアドバイスをお願いします。
    正直に言うとケースバイケースです。ドライバーごとに自分に合ったやり方があるからです。信念を曲げなければ、チャンスは常にやってくると思います。どんなドライバーも簡単に諦めたりはしないと思いますが、挑戦し続けていればチャンスはつかめるし、それは僕が証明できたはずです。僕はもう43歳ですが、20歳の時には想像もしていなかった、インディ500チャンピオンになるという夢を2度も達成しました。このことは今でも信じられないですし、ものすごい達成感があります。それは、多くの人がサポートしてくれて一緒に歴史を作ることができたからです。もちろん、僕の場合、頂点に立てたのはチームの力に加えて、ホンダという強力なパートナーがいたことも大きいです。すばらしい結果でしたし、私たちも大いにレースを楽しませてもらいました。

    今日は忙しくてアドレナリンが出ていると言っていましたが、次は何をしますか?睡眠を取れるのはいつになるでしょうか?
    今夜はぐっすり眠れると思います。この24時間で数時間しか眠れませんでしたから。たくさん写真を撮られ、30~40人のインタビューを受けました。でも体調はいいですし、今夜はぐっすり寝て、明日は少し冷静になってチームと報告会をし、木曜にはシミュレーターに行き、金曜にはセントルイスに移動して土日にダブルヘッダーがあります。だから、また慌ただしくなりそうです。休息を取れることを願っています。

  • ホンダF1 田辺豊治 「佐藤琢磨やアメリカの仲間たちの活躍に応えたい」

    ホンダF1 田辺豊治 「佐藤琢磨やアメリカの仲間たちの活躍に応えたい」

    ホンダF1のテクニカルディレクターを務める田辺豊治が、インディ500で2度目の優勝という快挙を伸し遂げた佐藤琢磨にメッセージを送った。

    田辺豊治は、2017年末にホンダF1のテクニカルディレクターに就任するまでHPDのシニア・マネージャーとしてインディカーを担当。2017年に佐藤琢磨がインディ500を初制覇した際にはその現場にした。

    「先日の日曜には、アメリカから佐藤琢磨選手のINDY500優勝というビッグニュースが飛び込んできました。琢磨選手、2回目のINDY500制覇という快挙の達成、おめでとうございます!2度目のミルクの味はいかがでしたか? Honda Performance Development (HPD)の皆さんにも、おめでとうの言葉を送りたいと思います」と田辺豊治はコメント。

    「INDYと同様に、我々のF1でのライバルも強力ですが、両チームともにここまでの戦いの中でパッケージとしてのポテンシャルの高さを感じています。琢磨選手やアメリカにいる仲間たちの活躍にも応えるべく、今週末もいいレースを見せ、ポジティブな結果を得られればと思っています」

    関連:佐藤琢磨、ホンダF1と田辺豊治(TD)との関係を語る(2020年4月6日)

  • 佐藤琢磨、ディクソンとの戦いの中で「最後まで爪を隠していた」

    佐藤琢磨、ディクソンとの戦いの中で「最後まで爪を隠していた」

    佐藤琢磨は、2020年にインディ500の決勝レースで優勝を争うことになったスコット・ディクソンとの戦いのなかで“最後まで爪を隠していた”と語る。

    佐藤琢磨は合計2度、27周のリードラップしか記録しなかった。しかし、レース終盤の最も重要なタイミング、最後のピットストップを終えてからチェッカーフラッグを受けるまでの時間帯は、ライバル勢を寄せつけないスピードを持っていた。

    200周のレースが終盤を迎え、優勝争いを行うドライバーはディクソンと佐藤琢磨に絞り込まれました。佐藤琢磨は168周目、ディクソンはその次の周に最後のピットストップを終えた。ここでディクソンがトップに返り咲き、佐藤は2番手に下がったが、185周目にメインストレートでディクソンをパスし、レースのリーダーとなった。

    ここからの佐藤琢磨はディクソンのアタックを何度も阻止し、周回遅れのマシンをパスしながら前進した。そして、佐藤琢磨とディクソンが196周目へと入った直後、第4ターンでスペンサー・ピゴット(Rahal Letterman Lanigan Racing with Citron Buhl Autosport)が激しくクラッシュし、フルコースコーションが宣言された。

    レッドフラッグ、レース中断となる可能性も考えられたが、イエローフラッグのままレースはゴールを迎えた。佐藤琢磨にとっては2017年の”500”初優勝に続く、インディでの2度目の優勝となった。

    「後々のインタビューを見ると、ディクソンとガナッシ勢は、僕が捨て身の作戦で燃料がもたないなかで全力で走っている、彼らは僕たちが燃料切れになるのを待っていたらしいのですが、そんなことはまったくないです」と佐藤琢磨は語る。

    「自分はしっかりと燃料計算をして、特にに最後の3周はフルパワーで走れる燃料計算の元で走らせていました。今こうして話しても余裕があるくらいででした」

    「もちろんやっているときは、ピットと交信しながら『とにかくフルパワーで走らせてくれ』と、でも、チーム側は『待て、もう少し燃費を稼いでからだ』という攻防で緊張感が高かったですが、それでも非常に落ち着いて走ることができました」

    「すべてが、本当に最後のスティントのために完璧に順序立てて、組み立てができたレースだったのではないかなと思います」

    「その結果、勝つことができました。僕は最終的にはハンドルを握りましたけど、そこに至るまで準備で本当にチームの力が大きかったです。チームが素晴らしいクルマを作ってくれたこと、ミスなくすべてのピット作業を完璧にこなしてくれたこと、そして、間違いのない自分たちが実力をしっかり発揮できるような戦略をしっかり立てて、そのとおりにレースを運べたこと。それはチームの力です。それに自分自身がしっかりと走ることができたということです」

    「常にトップ3で走っていたということで準備ができていました。なぜ、残り40周のなかで早めに仕掛けたかというと、それだけ時間があれば本当にまだまだ最後のピットストップを残していたので」

    「最後の2スティントはクルマを触りたくなかったですが、当然日が少し傾き始めていて、気温も路面温度も変わり始めていて、1コーナーだけ影ができてくるなど、コンディションが変わってきます。ラバーも乗ってきますし。そのなかでディクソンの走り方を見て、戦い方を見て、前半と後半で違う可能性がある。そのときに自分が対策できる時間というのが作りたかったんです」

    「それを確認して、ファステストラップを出したのは僕がピットアウトをすませて、ディクソンがピットアウトをすませて、パワーをミクスチャーをベストの状態でニュータイヤで出したときです。あのときに一番実力を出す必要があって、レースの前半ではむしろライバルにはそれを見せたくなかったのです」

    「なぜかというと、そのスピードを見せてしまうと、インディ500はフロントウィングだけでなく、リアウィングも変更可能で、タイヤ交換の秒数以内ででほとんどロスタイムなくできます。それの調整を与えたくなかったのです」

    「最後まで爪を隠していたというか、それくらい余裕を持ってレースを運べていました」

    「ディクソンを抜いたときに、最終スティントなので、今こそ実力を出すべきだと。ファステストを出して、実際ディクソンがどれくらい付いてこれるのか抜きにかかるのかというのを見ていました」

    「彼がすぐ抜きに来るようであれば一度バックオフして、3周ないしは5周の間で様子を見ながら順位を入れ替える。リードできるようだったらリードする。それを続けて残り10周に持ち込みたかった」

    「ただ、残り10周になったときには絶対にレースはリードしていたかった。というのは、2017年の勝利のときにも少し話しましたが、今回それが起きてしまったのですが、イエローが入ったら終わりなんです。なので、イエローが入っても、そのときにトップを走っていることがすごく必要でした」

    「2台だけの一騎打ちになったときは必ずしも先頭が有利というわけではないのですが、どうしても今回は先頭を走りたかった。唯一、懸念があるとすればトラフィックですが、そのトラフィックのドラフティングを使って、パワーベストではなく、燃費重視のミクスチャーでありながら、平均速度220mph以上を記録している」

    「おそらくディクソンはパワーベストで走っているよりも速い状態なので、彼は僕がものすごい飛ばして燃料切れになると思った。ガナッシチームがそう思ったのは無理もないのです。それくらいスピードに乗せることができていました」

  • 佐藤琢磨、完全版“グリコポーズ”はエアロスクリーン導入で実現

    佐藤琢磨、完全版“グリコポーズ”はエアロスクリーン導入で実現

    佐藤琢磨が、2020年のインディ500優勝時に披露した“グリコポーズ”について語った。

    第104回インディ500でインディ500で2度目の優勝という快挙を成し遂げた佐藤琢磨。表彰台で“グリコポーズ”を披露したことでSNS上で大きな話題となった。

    2017年にインディ500を初制覇した際にスポンサーであるグリコは、大阪・道頓堀の巨大看板「グリコサイン」に両腕を掲げて喜びを表現する佐藤琢磨の特別映像を流して功績をたたえた。

    その時の佐藤琢磨はのガッツポーズはグリコポーズに似ていたが、SNSでファンは「左足を上げてたら完璧だった」と指摘。佐藤琢磨も「今度やってみる笑」と完全版“グリコポーズ”の再現に意欲を示していた。

    今回、佐藤琢磨はレース後の記念撮影で両腕と左足を上げた完全版の“グリコポーズ”を披露。グリコもTwitterで「セレモニーでのポーズもありがとうございます」とコメントしていた。

    日本向けに行われたオンライン記者会見で佐藤琢磨がグリコポーズに込めた思いなど語った。

    「勝った後のグリコポーズですが、もちろんファンの方からの提案でした」と佐藤琢磨は語る。

    「僕が最初に勝ったときに自然と出たクルマの上に立ってガッツポーズをしたものが、グリコさんのポーズに非常に似ているということでした」

    「でも、『せっかくだったら完全なグリコポーズをやってほしい』というリクエストがSNSでもありましたし、実はファンクラブ内のやりとりでもありました。『次できるような機会があったらやってみる』と答えていました」

    「今回は本当にむしろあれがやりたいがために勝ったみたいな(笑)。それくらいうれしかったです」

    完全版のグリコポーズは、今年からインディカーに導入されたコックピット保護デバイス『エアロスクリーン』によって実現した。

    「実際、これまでのマシンだとフォーミュラカーなのでコクピットがオープンで開いています。普通はそのままその場で立ち上がると仁王立ちになります。右足、左足をコクピットのサイドウォールにかけるので。立ち方が大の字になってしまう。その状態で片足を上げるのは不可能なんです」と佐藤琢磨は語る。

    「今回、エアロスクリーンが付いたことで、フレームが後ろにつながっていて真ん中に立てるんです(笑)。ただ、真ん中に立てるのですが、上から見るとフレームの幅が少ししかなくて、ものすごい不安定です。まず両足で立ってみて、これちょっと倒れたらかっこ悪いなと思ったのですが、立ってみたら立てたので『あー、これはやっちゃおうかな』と思って、片足を上げて完璧なグリコポーズをやってみました!」

    「ファンの皆さんが待ち望んでいたことというのもありますし、私自身がグリコさんと近いポジションで、特に子供たちのキッズカート『復興地応援プロジェクト“With you Japan”』プログラムを支援していただいているというところから、そんな気持ちになってやってみました」

    インディ500で複数回の優勝を果たしたのは佐藤琢磨が史上20人目。現役ドライバーでは佐藤琢磨だけという偉業だ。

    「多分これから、徐々に実感するんじゃないかなと思います」と佐藤琢磨は語る。

    「本当に毎朝『これ凄いことなのかな?』という感じで。でも、その凄さというのが正直自分の中では消化し切れていないので分かんないです」

    「でも、関係者に言われて『そうかぁ』と自分で改めて思って、これが2回勝つということなのかなっていう風に少しずつ消化し始めています。ただ、これまで偉大なドライバーたち、本当に伝説的なドライバーたちの名前が複数勝利に刻まれていますが、その中に自分が入るなんて夢にも思っていなかったので正直実感がないです」

    「一つ言い忘れていましたが、今回の2勝目が僕の中で大きな意味を持つのは、レイホールのチームでインディ500に勝てたということです。アンドレッティでの優勝(2017年)は自分自身の夢を叶えることができましたけど、今回の優勝は本当にすべてをチームに捧げたいです」

    「なぜかというと、2012年にレイホールがインディカーチームとして再結成して再出発した最初の年のドライバーとして僕を選んでいただきました。ほとんどの方がご存じだと思いますけど、(2012年のインディ500は)最終ラップにトップ争いをして、当時絶対的なチャンピオンであったダリオ・フランキッティに挑戦して、結果的には失敗しているのです。失敗して1コーナーでクラッシュしています」

    「チームのオーナー、メカニックたちがどれだけ楽しみに1勝を待っていたか考えると、まあもう本当にいたたれないですね。その思いを8年越しにかなえることができて、自分のボスであるボビー・レイホール、デイビット・レターマン、そしてもう一人、マイク・ラニガンと3人います」

    「マイク・ラニガンに関してはほとんどの方が知らないと思いますが、ものすごい成功したビジネスマンです。僕は彼に本当にこのすべての勝利をささげたい。なぜかというと、マイク・ラニガンが金銭的な支援をしてくださっています。もちろん、たくさんの企業の方々から支援を受けて走行できているのですが、一番左上にあるMI-Jackのオーナーなのです。彼が走る活動資金の不足分を補足してくれています。その彼が、ずっと僕がAJフォイトで走っている4年間、そしてアンドレッティで勝ったときも、『いつ戻ってくるんだ』という話をずっとしてくれていた。そして30号車を用意してくれた」

    「その30号車の用意をしてくれた1年目は大失敗をしまして。2年目は3位だった。じゃあ、次はということで今年もチャンスをくだれた。そして恩返しができたというところが、僕の中ですごく大きいです。現役の30号車のメカニックの中には、当時12年のチームメカニックだった人も入っています。チーフメカがナンバー2になるというのはほとんどないのですが、今回彼はそれさえも受け入れてくれてメカニックをやってくれています」

    「そういう素晴らしい仲間に支えられて、チームオーナーに支えられて、メカニックたちに支えられて、エディ・ジョーンズという本当に素晴らしいエンジニアがクルマを作り上げてくれて。そういう仲間と一緒に勝てたことが僕の中ではすごく大きかったです」

  • 佐藤琢磨、チームに2012年の“借り”を返したインディ500優勝

    佐藤琢磨、チームに2012年の“借り”を返したインディ500優勝

    佐藤琢磨は、レイホール・レターマン・ラニガン・レーシングのマシンでインディ500で優勝することにより、2012年の“借り”を返すことに成功した。

    2021年、同チームに所属していた佐藤琢磨は、優勝を狙って最終ラップのターン1でトップを走行していたダニオ・フランキッティ(チップ・ガナッシ)に果敢に仕掛けた。しかし、バランスを崩した佐藤琢磨はウォールに接触。無情な結果に終わった。

    その後、佐藤琢磨は2017年にインディ500を初制覇するが、アンドレッティ・オートスポーツのマシンでだった。

    ホンダとシボレーのエンジンを巡る不確実性のなかで佐藤琢磨はアンドレッティ・オートスポーツをわずか1年で離れ、2012年に所属していたレイホール・レターマン・ラニガン・レーシングに復帰する。2012年も2018年もチーム代表にボビー・レイホールのラブコールによって実現したものだった。

    レイホール・レターマン・ラニガン・レーシングに再加入するときに、佐藤琢磨は「2012年に成し得なかったフィニッシュを成し遂げたい」と語っていた。

    ボビー・レイホール、マイク・ラニガン、デビッド・レターマンにインディ500優勝をプレゼントことは何を意味するのか?

    「まさにそのミッションを今日成し遂げることができました」と佐藤琢磨は語る。

    「自分の個人的な野望は2017年にマイケルとともに成し遂げました。しかし、2012年に成し遂げられなかったことが、心のどこかに引っかかっていました。自分が勝つまでには本当いろいろな理由があり、それを一言で説明するのは難しいです」

    「ですが、とにかくボビーとマイクと一緒を成し遂げたいと思っていました。マイクやデビットは何度も自分を助けてくれました。だから、彼らのお返ししたかった。でも、自分は彼らを失望させてしまった。その状況を変えたかった」

    「それには実に8年もかかってしまいました。今年まで自分が走っていられるなんて信じられません。本当に感謝したいのはチームオーナーたちが30号車に非常に力を入れてくれたことです」

    「もちろん彼らはグラハム(レイホール/ホビー・レイホールの息子)にも勝ってほしかったと思いますが、今日、チームがグラハムと1-3を達成したことも嬉しかったです。もちろんグラハムには申し訳ないですが、その成し遂げられなからミッションをコンプリートすることがこの8年本当にやりかかったことなので、本当に最高の気持ちです」

  • 佐藤琢磨 「F1シートを失ってキャリアは終わったと考えていた」

    佐藤琢磨 「F1シートを失ってキャリアは終わったと考えていた」

    佐藤琢磨は、43歳でインディ500の2度目の制覇を達成。レース後の記者会見で「夢の中で生きている」と語った。

    佐藤琢磨は、8月23日(日)に開催された『第104回 インディ500』でスコット・ディクソンとの接戦を制し、2017年以来となる2度目のインディ500での優勝を達成。インディ500で複数回優勝した史上20人目のドライバーとなった。

    2002年から2008年までジョーダン、BARホンダ、スーパーアグリでF1で90戦を戦った佐藤琢磨は、2008年途中にスーパーアグリの撤退とともにシートを失った後、プロのレースキャリアは終わったと考えていた。

    しかし、2010年からインディカーに戦いの場を移した佐藤琢磨は、11回のインディ500に参戦。2017年の初勝利に続き、2回目の勝利を挙げた。インディカーで通算6勝のうち2回がインディ500での優勝という勝負強さだ。

    「40歳でまだ運転していています。それは本当に夢の中に生きているという感じです」と佐藤琢磨は記者団に語った。

    「このような状況を想像さえしていませんでした。人々は、2012年がおそらく僕のピークであり、ベストショットだったと言っていますけど・・・僕たちは走り続けました」

    「人生で2度目のチャンスが訪れました。挑戦し続け、ドアを開けてければ、最終的にチャンスが生まれるんです」

    「自分のレース人生がF1よりも長く続くとは思いもしませんでした。今、僕はここで10年以上競争しています」

    コーション下でのレースフィニッシュは、佐藤琢磨にとって祝福のようなものだった。佐藤琢磨は終盤に燃料がぎりぎりだったと認める。

    「僕たち全員が、実際に2週間全体でスコットが最大のライバルであることを知っていました」と佐藤琢磨は振り返る。

    「ディクシーとガナッシは、マシンを常に競争的な状態に置くという驚異的な仕事をしました。彼はスタートを切って、その後姿を消しました。僕はその瞬間を待つことができました。ミクスチャーをいじって、どれだけの燃費マイレージが得られるかを見ていました」

    「ライアン(ハンターレイ)は僕たちをスピードでキャッチしました。基本的に、僕はダブルカーのトラックでのシングルカーのトラフィックがどのようなものを見たいと思っていました」

    「それで、最初の100ラップは、トップ3/トップ5にいたいと思っていました。それがこのレースにむけてずっと考えていたことです。そうですべ、機会があれば、それをリードしたい思うものですが、そうすると燃料を使いすぎてしまいます」

    「僕たちに非常に競争の激しいパッケージがあることはわかっていましたし、すべてのピットストップで変更を加えました。行っては戻り、行っては戻りの繰り返しでした。貪欲になりすぎて、そして、保守的に行きすぎ、また、貪欲になりすぎるという感じですかね」

    「それでやっと最後の3スティントでマシンに満足できるようになりました。後半のすべてのスティントはとても強いと分かっていましたし、とても良いスピードがありました」

    「しかし、ピットストップ後、157周目にリードしたときに、ピットから燃料を使いすぎているという声が聞こえたので、減速して、(燃料)ミクスチャー下げる必要がありました。そして、ご存じのようにすぐにスコットが僕を捕まえた」

    「その時点でマキシマムパワーにスイッチする必要がありましたし、彼が3~4台くらい後ろにいるときはミクスチャーをより絞っていました」

    「ギリギリでしたね。最後のイエローが僕たちを救ったのは確かですが、それがなくても、燃料ナンバーは満たしていました。最後のスティントが完全に緑でも、問題はなかったと思います」

    「しかし、それでも最後の数周はディクシーから脅かされていたと思います。あれはおそらく100パーセントのリッチパワーがありましたからね。いくつかはポケットに残しておいていましたが、それ以外は非常にぎりぎりでした」