カテゴリー: キミ・ライコネン

  • キミ・ライコネン 「セバスチャン・ベッテルの仕事へのアプローチは特殊」

    キミ・ライコネン 「セバスチャン・ベッテルの仕事へのアプローチは特殊」

    キミ・ライコネンは、フェラーリ時代にチームメイトとなったセバスチャン・ベッテルとの時間を振り返り、ベッテルの仕事へのアプローチは“特殊”なものだったと振り返る。

    キミ・ライコネンとセバスチャン・ベッテルは、2015年から2018年までフェラーリF1でチームメイトとなり、コース内外で良い関係を共有した。

    セバスチャン・ベッテルは、テクニカルブリーフィングでメモを取り、詳細に説明することで知られている。キミ・ライコネンは、フェラーリF1でそれを目撃して驚いたと認める。

    「もちろん、彼は素晴らしい男だ」とキミ・ライコネンはセバスチャン・ベッテルについてBeyond The Gridに語った。

    「僕たちはいつも良い関係を築いていた。そして、彼は非常に特殊な働き方をしていた!」

    インタビュアーのトム・クラークソンからセバスチャン・ベッテルは「一生懸命働いている」と言われたキミ・ライコネンは、セバスチャン・ベッテルの働き方が、必ずしも他のドライバーよりも多くのことをしていることを意味するわけではなく、それぞれが独自のアプローチを取っているとした。

    「ハードな仕事とは何どういうもので、ハードではない仕事とはどういうものだ?」とキミ・ライコネンは語った。

    「でも、ベッテルのやり方はしばらく時間がかかるかもしれない!」

    「でも、人それぞれのやり方は異なる。常にそうとは限らない…人々は『おっ、彼は最後を現場を離れるので、一生懸命に働いているに違いない』と言う。ベッテルのことを言っているわけではない。でも、それが一般的だ」

    「仕事を終えた場合、パドックにとどまっているだけだったりもするし、最後に帰ることを確認するためにさらに3時間いるのかもしれない。それを見て皆さんはグッドという…」

    「人々は彼らが望むことをすることができる。僕は自分の仕事をする、そして、僕は僕たちがエンジニアに望むことがすべてが行われたことに満足したら帰る」

    「僕たちは皆、異なる働き方をしてるし、調べたいことや見たいものも異なる」

    以前、セバスチャン・ベッテルは、チームでワールドチャンピオンに勝てなかったため、フェラーリでの6年間を「失敗した」と主張した。

    キミ・ライコネンは、なぜセバスチャン・ベッテルがそのように感じるのかを理解することができると語る。

    「僕たちは皆、勝つためにここにいる。もし勝てなければ、ある意味で多くの点で失敗だ」とキミ・ライコネンは説明した。

    「それが悪い方法だという意味ではない。それには無限の理由があるかもしれない。でも、僕たちはここにいる。特に、チームとして勝つことを期待していたチームにいるときは、それは失敗または、その年はそれほど重要ではなかったと言える。それがまさに起こっていることだ」

    キミ・ライコネンは、マクラーレンでファン・パブロ・モントーヤと短い時間仕事をしたり、フェラーリでフェルナンドアロンソとペアを組んだりするなど、F1での幅広いキャリアの中で数人のチームメイトと組んだ。

    2007年のF1ワールドチャンピオンであるキミ・ライコネン、セバスチャン・ベッテルとの関係がF1で経験した最高の1つであり、アルファロメオF1でアントニオ・ジョビナッツィと仕事をした時間も良い時間だったと考えている・

    「アントニオとは非常に良い関係を築いている」とキミ・ライコネンは明かした。

    「また、もちろん、僕たちは同じチームに3年間在籍していたけど、僕がフェラーリにいたとき、彼はそこにいた」

    「アントニオはそこで多くのことに関わっていたので、非常に似ていると思いう。それによって、僕たちはすでにお互いもことを知っていた。でも、ドライバーとして最も近いのは、確かにセブとアントニオだった」

    「しかし、セブとはお互いに非常に近くに住んでいたので、レース外でも一緒に時間を過ごしていた」

  • キミ・ライコネンはロボットのように振舞わなかった最後のF1ドライバー

    キミ・ライコネンはロボットのように振舞わなかった最後のF1ドライバー

    元F1最高責任者のバーニー・エクレストンは、キミ・ライコメンが、F1グリッドでロボットのように振舞わなかった最後のドライバーだと感じている。

    F1キャリアを通して、2007年のF1ワールドチャンピオンであるキミ・ライコネンは、マスコミやチームのPR活動などで話すときに、言葉を選ばないことで有名だった。レース以外に興味を示さないライコネンは“アイスマン”の愛称で人気を博した。

    近年、F1ドライバーはますますメディアトレーニングを受けているが、キミ・ライコネンは、メディア業務に熱意はないという自分の立場をはっきりとさせていた。

    バーニー・エクレストンは、そんなキミ・ライコネンの正直で率直な性格を愛していた。

    「キミは人として、スーパーガイだ」とバーニー・エクレストンはsport1.deに語った。

    「ドライバーとして、彼はレースドライバーだ。彼は皆さんが望むドライバーだ。レースをして、人々の関心には多くの注意を効かない。実際、彼は彼らに自分の意見を述べる」

    91歳のバーニー・エクレストンは、今日のF1グリッドには“アイスマン”のようなドライバーは他にいないと感じており、F1にとってそれは問題だと考えている。

    「今日、キミのようなドライバーはもういないと思います。それが問題だ」とバーニー・エクレストンは続けた。

    「彼らは皆、ロボットになり、正しいと思うことをするのではなく、言われたことを聞いて実行するようになってしまった」

    キミ・ライコネンが、次に何をするかは非常に不明確となっている。2021年のキャンペーンの終わりにF1グリッドから離れた後、2022年に他のレーシングシリーズにサインアップしなていない。

    確実に思えることは、2022年のどのグランプリでもキミ・ライコネンの姿を見ることはないということだ。ライコネンは二度とF1パドックに行くことはないだろうと語っている。

    F1を離れることを寂しく思うかと質問されたキミ・ライコネンは「時が経てばわかる」とBILDに語った。

    「すでに知っているのは、僕が好きだった唯一のことはドライビングだということだ! 二度とパドックに足を踏み入れることはないかもしれない。F1が僕の人生というわけではない。僕にとって、もっと重要なことが常にあった。それについては何も変わらない」

    「自分に力がないのでやめたわけではない。飛行機に座ってホテルに滞在するよりもやるべきことがあるからだ」

    興奮していることについて質問されたキミ・ライコネンは「休むことだ。そうでなければ、僕たちは夏休みしかなかったからね」と語った。

    「トレーニングを続けなければならなかった期間が2週間半があり、その後は通常の狂気が戻ってくるだろうとことがいつも心の奥底にあった」

  • キミ・ライコネン 「F1パドックに足を踏み入れることは二度とないかも」

    キミ・ライコネン 「F1パドックに足を踏み入れることは二度とないかも」

    キミ・ライコネンは、引退した今、F1パドックに足を踏み入れることは二度とないかもしれないと感じている。

    F1の歴史のなかで他のどのドライバーよりも多くのレースに出場し、2007年にF1ワールドチャンピオンを獲得したキミ・ライコネンは、2021年シーズンでF1キャリアに終止符を打った。

    グリッドにいる間、F1キャリアに伴うこと、例えば、多くのメディア対応やPR業務の最大のファンではないこと決して隠さなかったキミ・ライコネンは“アイスマン”の愛称で人気を博した。

    キミ・ライコネンは、ドライビング以外のことには興味はないので、引退後にF1パドックに姿を見せることはないだろうと語る。

    F1を離れることを寂しく思うかと質問されたキミ・ライコネンは「時が経てばわかる」とBILDに語った。

    「すでに知っているのは、僕が好きだった唯一のことはドライビングだということだ! 二度とパドックに足を踏み入れることはないかもしれない。F1が僕の人生というわけではない。僕にとって、もっと重要なことが常にあった。それについては何も変わらない」

    「自分に力がないのでやめたわけではない。飛行機に座ってホテルに滞在するよりもやるべきことがあるからだ」

    今後、キミ・ライコネンが何をするかははっきりしていない。他のカテゴリーでフルタイムで戦う契約は結んでおらず、レース全体から引退する可能性もある。

    キミ・ライコネンは、計画を立てていないことに満足しており、将来について考えているのはペットのことだけだと語る。

    引退計画について質問されたキミ・ライコネンは「何もない。なにかをでっちあげたくはない」とコメント。

    「子供たちは犬を欲しがっているけど、まだ決めていない。 彼らにとっては、僕が再び家で多くの時間を過ごすだけも十分かもしれない」

    キミ・ライコネンは、これからしっかりと休日を過ごし、肉体的にも精神的にもリラックスできることを楽しみにしていると語る。

    興奮していることについて質問されたキミ・ライコネンは「休むことだ。そうでなければ、僕たちは夏休みしかなかったからね」と語った。

    「トレーニングを続けなければならなかった期間が2週間半があり、その後は通常の狂気が戻ってくるだろうとことがいつも心の奥底にあった」

    F1を引退するというのはキミ・ライコネンの決断であり、アルファロメオF1のチーム代表を務めるフレデリック・バスールは、2022年にライコネンにチームで何らかの役割を果たしてもらうことについて話し合うことにオープンだと語っている。

  • キミ・ライコネン 「フェルナンド・アロンソとは信頼してバトルができた」

    キミ・ライコネン 「フェルナンド・アロンソとは信頼してバトルができた」

    キミ・ライコネンが、F1で同期のフェルナンド・アロンソと対戦した時間を振り返った。

    キミ・ライコネンとフェルナンド・アロンソは、2001年のF1オーストラリアGPでデビューし、F1ワールドチャンピオンに上り詰めるまで二人のキャリアは絡み合った。

    2005年のタイトル争いはフェルナンド・アロンソが制したが、キミ・ライコネンは、2007年にマクラーレンのアロンソとルイス・ハミルトンのペアを破ってF1ワールドチャンピオンを獲得した。

    キミ・ライコネンとフェルナンド・アロンソは、2014年にフェラーリで一度だけチームメイトになった。ハイブリッド初年度となったそのシーズンでライコエンはペースと一貫性に苦戦し、アロンソの影に隠れることになった。

    当時を振り返り、キミ・ライコネンは2014年シーズンに何か奇妙なことがあったと語る。

    「彼はいつもとてもうまくやっていたと思う」とキミ・ライコネンはBeyond the Gridで語った。

    「チームメイトとして、僕たちの間に何か奇妙なことが起こっていたと思う」

    「様々な理由で僕はあまり良い年ではなかったのは確かだ。僕はうまくやれなかったけど、僕たち全員が、彼が毎週末速いことを知っていた」

    しかし、キミ・ライコネンはその当時に状況について特に騒ぎ立てられることはなく、フェルナンド・アロンソの力量のチームメイトと対戦することについて心配することはなかったと語った。

    「僕はチームメイトが誰であるかを選ぶ立場になかったし、誰でも構わなかった。それは常に自分をプッシュし、お互いをプッシュするので良いことだと思う。ネガティブなものは見当たらなかった」とキミ・ライコネンは語る。

    「予選の成績などを純粋に見ればそうだけど、それにもっと興味を持っている人もいる」

    「正直なところ、僕は予選でチームメイトに勝つことにそれほど夢中になっているわけではない。僕にとって、レースが常に週末の重要な部分だった」

    フェルナンド・アロンソは2018年の終わりに2年間F1を離れ、2021年に戻ってきた。キミ・ライコネンとアロンソの両チームのマシンの競争力によって、二人はミッドフィールドでバトルをすることになった」

    「いくつかの良いバトルがあったし、お互いにレースをすることになった」とキミ・ライコネンは語った。

    「明らかに、僕たちは両方とも当時とは異なるキャリアの部分にいる。皆さんも気づくことができる1つのことは、彼とは非常に緊密にバトルができるということだ。ずっと彼と戦ってきたからね」

    「ある程度、何が起こるのかを知っているのと知らないのでは違う。予想通りの戦いができる。それほど確信できない人もいる」

  • フェルナンド・アロンソ 「ライコネンとはF1の“偽の世界”について笑う仲」

    フェルナンド・アロンソ 「ライコネンとはF1の“偽の世界”について笑う仲」

    フェルナンド・アロンソは、引退したキミ・ライコネンとF1で長い年月を共有できたことを嬉しく思っていると語り、アイスマンとこのスポーツに関する興味深い見解を共有していたと認める。

    フェルナンド・アロンソとキミ・ライコネンは二人とも2001年にF1デビューを果たした同期。ライコネンが2010年に2年間F1を離れるまで、二人のキャリアは並行して進んでいた。

    そして、キミ・ライコネンがF1復帰してから2年後の2014年にキミ・ライコネンとフェルナンド・アロンソはフェラーリF1でチームメイトとなった。だが、1年後に2人は別々の道を進み、アロンソは2019年と2020年にF1を離れた。

    「デビューした瞬間は、未来が何がどうなるかなんてはっきりとは分からないものだ」とフェルナンド・アロンソはBeyondtheGridで語った。

    「僕たちは二人ともF1で素晴らしい時間を過ごした。僕たちは二人ともワールドチャンピオンを獲得したけど、たぶん2001年の時点では二人ともその成功を確信していなかった」

    「でも、キミと何年も共有できてうれしい。彼はF1で非常に優れたキャラクターであり、来年は彼をとても恋しく思うだろう」

    フェルナンド・アロンソとキミ・ライコネンは、F1での20年近いのキャリアのなかで、コース上で多くの戦いを繰り広げ、早くから二人はお互いに強いリスペクトをもって成長してきた。

    キミ・ライコネンは、トラックでのぶっきらぼうなメディア対応から“アイスマン”と称されていたが、トラックから離れると暖かいパーソナリティの持ち主だとフェルナンド・アロンソは語る。

    「彼は非常に正直で、嘘はつかない。彼は皆さんが見たままの男だ」とフェルナンド・アロンソは説明した。

    「僕たちが彼に見ているマスクの一部は、とても冷たくて、あまり話さないなど、中には別の人がいる」

    「アイスマンではない。彼は内面はかなり暖かいと思う。レースの外で彼に会って、リアルなキミを見る必要があるかもしれない」

    「僕たちは、空港やパドックの外、レストランで時々会っている・・・パーティーをすることもあるよ!」

    フェルナンド・アロンソは、キミ・ライコネンの率直さを常に評価しており、F1の世界のフェイクや深みのない領域など、お互いに専門分野の多くの側面でライコネンとつながっていると語る。

    「彼は、レース後にさまざまなトピックについて正直に話すことができる人の1人だし、彼は的を射ている」とフェルナンド・アロンソは語った。

    「彼のアイデアとF1とこの世界について彼のアイデアと考え方をたくさん共有している。僕たちが住んでいるここはバブルであり、現実の生活ではない」

    「僕たちはここであらゆる施設を持っている。僕たちはこの簡単な生活を送っている。良い飛行機で旅行し、5つ星のホテルにいる。僕たちはみんなからのいろいろと助けられている」

    「でも、日曜日の夜、僕たちは普通の人々であり、この世界がどのように偽物になるかについて笑う傾向があるね」

  • キミ・ライコネン、F1マシン初走行は「3周で首を上げられなくなった」

    キミ・ライコネン、F1マシン初走行は「3周で首を上げられなくなった」

    アルファロメオF1のスポーティングディレクターを務めるビート・ツェンダーはが、20年のF1キャリアに終止符を打ったキミ・ライコネンのザウバーでのキャリアの初期を振り返った。

    キミ・ライコネンは、昨年のF1アブダビGPで20年間レースをしたF1を引退した。マクラーレン、フェラーリ、ロータスでレースで輝かしいキャリアを築いたキミ・ライコネンは、2つのスティントをF1デビューを飾ったチームであるザウバー(現在のアルファロメオ)で締めくくった。

    30年間チームに従事し、現在はスポーティングディレクターを務めるビート・ツェンダーは、チーム代表のペーター・ザウバーの目にとまったキミ・ライコネンが2000年後半にテストを受けたときのことを振り返った。

    20歳のキミ・ライコネンは、レギュラーレースドライバーのペドロ・ディニスとともに要求の厳しいムジェロ・サーキットでF1マシンでの初走行を行った。

    「彼はペドロ・ディニスと一緒にテストをしていて、すぐに同じレベルのラップタイムを出した」とビート・ツェンダーはRacingNews365.comのインタビューで語った。

    「そして、彼は大きな身体的問題を抱えていた。ムジェロは身体的に非常に厳しいので、ルーキーがテストを開始するのに最適なコースではない」

    「キミは大きな問題を抱えていた。3周で首を上げることができなかったので、3周のスティント、15分の休憩、3周のスティントを行った」

    「ヨゼフ(レベラー/ザウバーのフィジオ)はその間ずっとマッサージを行っていたが、すぐに彼が才能があることが明らかになった」

    キミ・ライコネンのパフォーマンスは、ザウバーがすぐに2001年に契約したいと思うほこ目を引くものだった。

    「テストの直後に『やってみよう』と言った」とビート・ツェンダーは語った。

    「スーパーライセンスがないなど、いくつかの障害があった。ピーター(ザウバー)は、すべてのチームプリンシパル、FIA、バーニー(エクレストン)を説得する必要があった。当時、マクラーレンのロン・デニスのようなにそれに反対するチームプリンシパルがいた」

    皮肉なことに、ロン・デニスはわずか1年後にマクラーレンを離れるミカ・ハッキネンの後任としてキミ・ライコネンと契約した。だが、マクラーレンチームのボスは当初ライコネンの経験不足に非常に懐疑的だったとビート・ツェンダーは語った。

    「彼は完全にそれに反対し、経験のない若い子供たちをF1に連れてくれば、ドライバー市場を完全に破壊することになると言った」とビート・ツェンダーは語った。

    「キミは、フォーミュラ・ルノーで23回レースをしただけで、2~3のシリーズを飛び越えた。ピーターのおかげでライセンスを取得し、ヨセフのおかげで身体的な観点からF1カーを運転することができた」

    最初の課題は、キミ・ライコネンの身体的な基準に引き上げることだった。ライコネンにとってそれは特に不満な作業だった。

    「テストの後、我々はキミにオーストリアのアルプスでジョセフと1ヶ月過ごすように頼んだ」とビート・ツェンダーは説明した。

    「キミはフィンランドに帰りたかったので激怒した。我々は『いや、いや、F1ドライバーになりたいのなら、一緒に仕事をしなければならない』と言った。そして、最初の2日間、彼はヨセフと口を利かなかった。彼はとても怒っていたよ!」

    キミ・ライコネンは、2001年のオープニングレースで6位でフィニッシュし、初めてポイントを獲得した。当時のポイントはトップ6しかカバーしていなかった。

    しかし、キミ・ライコネンの「アイスマン」の性質の最初の兆候は、その週末オフトラックで有名になった。

    「レコノサンスのためにピットレーンが開く10分前に誰もキミを見つけることができなかった」とビート・ツェンダーは笑った。

    「我々はトイレに探しに行ったし、至るところを探したが彼はいなかった。ドライバーズルームにブランケットがかかったケータリングテーブルがあったが、彼はそのテーブルの下に寝ていた!」

    「我々は『キミ、キミ、10分で最初のレースに出なければならない!』と言った。彼は言った「あと3分くれ!』と言っていたよ」

    「彼はすでにとてもクールなキッズだった。その後、彼は実際にはレースを7位でフィニッシュしたが、我々は(オリビエ)パニスがイエローぐらっふでオーバーテイクしたことを抗議した」

    「FIAが映像を見つけるまでには長い時間がかかった。映像を取得するのにかなりの時間がかかった。キミはすでにホテルにいた。我々は彼に電話して『メイト、君は最初のレースを6位で終えた。最初のチャンピオンシップポイントだ!』と伝えた。彼の答えは『僕の前にはまだ5人いる!』だった。それが彼の姿勢だ。彼はとても特別な人だ」

    キミ・ライコネンは、最終戦に先立ってザウバー/アルファロメオから大きな見送りを受けた。ビート・ツェンダーは2007年のF1ワールドチャンピオンとの関係を振り返った。

    「お互いに無価値なことは決してしないというが、キミと私の関係だった。お互いに嘘をついたことはない。我々は常にオープンだった」とビート・ツェンダーは説明した。

    「最初の年から彼はチームの考えに従わなかった。彼には彼自身のキャラクターがある。彼はすでにその当時のPRイベントを嫌い、PRイベントやインタビューから抜け出そうとした。そして、時々、彼に何をするべきか言わなければならなかった」

    「マシンに給油をしていた当時、私は燃料レベルを常に把握していた。後にレースの燃料レベルを申告する必要があったが、以前は、どの燃料レベルを走らせていたのかは謎だった。私はキミが走っている燃料レベルを常に知っていたが、彼は我々がどれくらい走らせているかを知っていた。我々は情報を漏らしたことはなかった」

    キミ・ライコネンは、2001年の終わりにF1に参加するチャンスを与えたザウバーを離れ、マクラーレンに移籍した。

    ビート・ツェンダーは、チーム代表であるペーター・ザウバーが、キミ・ライコネンの才能をザウバーに拘束するためにマクラーレンと戦おうとしないことを選択したことを明らかにした。

    「彼(キミ)はペーター・ザウバーに去りたいと手紙を書いた。それで終わりだ」とビート・ツェンダーは言った。

    「もし、残留することに満足していないドライバーがいるなら・・・彼はチームに残留することに満足していただろうが、当然、ワールドチャンピオンチームからのオファーがあれば・・・。ペーターはキミをキープして、モチベーションのない彼をチームが起用するよりは、むしろ放出したいと言った。モチベーションのないキミと一緒に仕事をするのは素晴らしいことではない!」

    キミ・ライコネンは、F1を去ったが、ビート・ツェンダーはライコネンとの個人的な関係は続くと信じている。

    「時代は終わった。私が知る限り、キミはスイスに滞在する。彼らはそこを快適に感じており、子供たちはそこで学校に通っている。彼は私が住んでいる場所からそれほど遠くない。たまに会うことは間違いないだろう」

  • キミ・ライコネン、お気に入りのF1エンジンは予想外の選択?!

    キミ・ライコネン、お気に入りのF1エンジンは予想外の選択?!

    キミ。ライコネンが、自身のF1キャリアを振り返り、お気に入りのF1エンジンとして予想外の選択をした。

    キミ・ライコネンは、F1キャリアで3つの異なるエンジン形式を経験している。2001年にF1デビューしたときには3リッター 自然吸気V10エンジンでレースをし、2007年には2.4リッター V8エンジンでチャンピオンを獲得し、2018年のF1アメリカGPではV6ターボハイブリッドでウィナーとなった。

    キミ・ライコネンの最大の成功は自然吸気の時代であり、昔ながらのレーサーという評判を考えれば、ハイブリッドV6エンジンを選んだのはおそらく驚くべきことだ。

    「実際、ハイブリッドは楽しかった!」とキミ・ライコネンはBeyond the Gridで語った。

    「もちろん、このハイブリッドが2014年に登場したおき、フェラーリのものは本来あるべきレベルに達していなかった。したがって、当初ドライバビリティはおそらく僕たちが慣れているほど良くなかった。でも、2年目以降は大幅に改善した」

    今では失われたV10エンジンの刺激的なうめき声は、F1ファンが時代遅れのテクノロジーへの回帰を叫ぶ原因となったが、キミ・ライコネンは、V6ハイブリッドはドライバーとチームスタッフにとってはるかに快適な作業環境を提供すると述べた。

    「それほど騒がしくなく、正直なところ、仕事をするにははるかに良いので気に入っている」とキミ・ライコネンは語った。

    「テストなどでは、いつもそれほどクレイジーなノイズではないので、実際に僕たちは会話をすることができる」

    「もちろん、ハイブリッド時代の序盤は少し変な感じだったけど、運転しているときも実際にはかなりいい感じだ」

    しかし、キミ・ライコネンは、どのF1エンジンを使用していても、それほど大きな違いに気づいたことはなかったとし、すべての変更が勢力図を実際に混乱させることはなかったと語った。

    「僕たちは耳栓などがあるし、それでもまだ騒々しい。でも、それらが今日の僕たちのレベルに達すると、サウンドは異なるけど、実際、他には何も本違いはないと思う」とキミ・ライコネンは説明した。

    「でも、ある意味では僕たちはまだV10でレースすることができたかもしれない。人々は途中で莫大なお金を節約できたはずだし、最終結果は変わらなかっただろう」

    「正しい理由で変更が行われていない場合がある」

  • キミ・ライコネン、お気に入りのF1マシンは「マクラーレン MP4-20」

    キミ・ライコネン、お気に入りのF1マシンは「マクラーレン MP4-20」

    キミ・ライコネンは、F1キャリアで最もお気に入りのF1マシンに「マクラーレン MP4-20」を挙げた。

    キミ・ライコネンは、2021年F1アブダビGPで349戦という史上最多出走記録を更新してF1キャリアに幕を閉じた。22歳でザウバーからF1デビューを果たしたライコネンは、マクラーレン、フェラーリ、ロータス、アルファロメオの5チームでレースを行った。

    「おそらくその2005年のマクラーレンだ」とキミ・ライコネンは述べた。その年、MP4-20で7勝を挙げたが、フェルナンド・アロンソにランキング2位でシーズンを終えている。

    「2003年のマシン(MP4-17)も良かったけど、十分な速さではなかった。2006年(MP4-21)も良かったけど、エンジンがイマイチだった。2007年のフェラーリ(F2007)もよかったし、2012年のロータス(E20)も・・・どれも良いマシンだった。必ずしも最終リザルトに勝利などが必要なわけではない」

    「素晴らしいマシンだったとしても、何らかの理由で十分に速くなかったり、シーズン中に多くのことが起こったりもする」

    「でも多くの良いマシンがあった。平均的なマシンもたくさんあったし、良くマシンもあった。レースで走らせてさえいないマシンもある(2013年のマクラーレン MP4-18は、テスト中の問題によって投入がチームによって見送られた)」

    関連:F1マシン列伝:マクラーレン MP4-20 速いが脆い“ガラスのマクラーレン”

  • キミ・ライコネン、最も印象に残る勝利は「2005年のF1日本GP」

    キミ・ライコネン、最も印象に残る勝利は「2005年のF1日本GP」

    キミ・ライコネンは、2021年F1アブダビGPで349戦という史上最多出走記録を更新してF1キャリアに幕を閉じた。

    “アイスマン”の愛称で人気を博したキミ・ライコネンのF1キャリアは2つのパートに分かれる。前半は2001年に22歳でザウバーからF1デビューを果たし、2009年に終わった。その時期に18勝を挙げたライコネンは、2007年にフェラーリとF1ワールドチャンピオンを獲得している。

    その後、2年間F1を離れてWRCやNASCARに参戦したキミ・ライコネンは、2012年にロータスからF1に復帰。ロータスで2勝、そして、フェラーリとの2018年のF1アメリカGPでの1勝を追加した。

    Beyond the Gridで最も記憶に残る勝利を選ぶように頼まれたキミ・ライコネンだが、F1のベテランにとっては難しい選択だった。

    「もちろん、最も重要だったのは、2007年にチャンピオンシップを獲得した勝利だったと思う。彼らには最終結果がより重要だったからね」とキミ・ライコネンは語った。

    「すべての勝利が異なる。かなり簡単だったものもあれば、はるかに困難だったものもある。最初の勝利(2003年F1マレーシアGP)はうれしかったね。最後の勝利もしばらく時間がかかったので、とても素晴らしかっただ」

    最終的、キミ・ライコネンはマクラーレン時代に鈴鹿サーキットで最終ラップでの勝利を挙げた2005年のF1日本GPを最も記憶に残る勝利のひとつとして選んだ。

    「よくわからないけどね。何が良かったかを言うのは不可能だ」とキミ・ライコネンは語った。

    「2005年の鈴鹿は激しい戦いの末の勝利だし、最終ラップで勝ち取った。それが他の勝利よりも良くしているのか? よくわからない」

    2005年 F1日本GP(鈴鹿サーキット)
    決勝当日の日曜日は好天に恵まれた。ラルフ・シューマッハ(トヨタ)がポールポジションから好スタートを切り、ジャンカルロ・フィジケラ(ルノー)がジェンソン・バトン(ホンダ)をかわして2位に浮上した。後方スタートのミハエル・シューマッハ(フェラーリ)は7位、フェルナンド・アロンソは8位、キミ・ライコネンは12位にジャンプアップしたが、モントーヤはオープニングラップの最終コーナーでクラッシュし、5周に渡りセーフティカーが導入された。

    レース再開後、9周目のシケインでフェルナンド・アロンソがクリスチャン・クリエン(レッドブル)をパスするが、勢い余ってシケインをショートカット。レースコントロールはルノーに対してペナルティの可能性を通達し、アロンソは一旦クリエンを先行させてから再び抜かねばならなかった。

    トップのラルフ・シューマッハは12周目に最初のピットイン。燃料搭載量を減らす3ストップ作戦を予定していたが、セーフティカー走行で作戦が狂い、順位を落としてしまう。以後、レース終盤までジャンカルロ・フィジケラがトップをキープし、後方でバトンとウィリアムズのマーク・ウェバーが接戦を展開した。

    5位争いはミハエル、アロンソ、ライコネンの3台が接近戦を演じる。19周目、アロンソはバックストレートでミハエルのスリップストリームにつき、超高速コーナー130Rへの飛び込みでアウト側からかわす大技を決めた。ライコネンも最初のピットイン後、30周目の1コーナーでアウト側からミハエルを抜いた。アロンソはピットイン後ポジションを落としたが、再びミハエルの背後に迫り、33周目にライコネンと同じく1コーナーアウト側からこの日2度目のオーバーテイクを成功させた。上位6台はフィジケラ-バトン-ウェバー-ライコネン-アロンソ-シューマッハの順となる。

    ジャンカルロ・フィジケラは2位以下を20秒近く離して、38周目に2回目のピットイン。40周目にはバトンとウェバーが同時ピットインしたが、ウェバーの給油作業の方が早く終わり、ふたりの順位が逆転した。ライコネンはピットインを最後まで遅らせ、ファステストラップを記録しながらコース上でマージンを稼いだ。45周目にピットインすると、ウェバーとバトンをかわして2番手でコースに復帰。トップのフィジケラとは5.4秒の差があったが、フィジケラはタイヤの磨耗でペースが上がらず、両者の差は急速に縮まっていった。

    49周目、アロンソがホームストレートでウェバーに並びかけ、イン側の芝生にタイヤを落としながらも怯まず3位に浮上した。

    ライコネンはフィジケラよりも2秒速いラップタイムを出し、残り3周で背後に追いついた。52周目、フィジケラは130Rで周回遅れに捉まり、2台はテール・トゥ・ノーズの状態で最終ラップに突入した。ホームストレートでライコネンはアウト側にラインを変え、フィジケラの抵抗にも構わず1コーナーアウト側から抜き去り、ついにトップに浮上した。ライコネンはフィジケラを引き離し、劇的な展開でシーズン7勝目を達成した。

    後にキミ・ライコネンは「2005年はベストな優勝のひとつだ。ほぼグリッドの最後尾からレースをスタートとして、最終ラップでリードを奪った。あのような勝利でフィニッシュラインを横切るときの感覚は決して忘れられないものだ」と語っている。

    また、デビュー以来、日本GPにおいて3年連続入賞していた佐藤琢磨(ホンダ)は、スタート直後の1コーナでコースアウトを喫し、9周目にはシケインでトヨタのヤルノ・トゥルーリに接触した。その後走行を続け1周遅れの13位でフィニッシュしたものの、トゥルーリとの接触がレース後に危険行為と判断され失格となった。トヨタ代表の富田務とリタイアしたトゥルーリは、佐藤琢磨の強引な仕掛けを強く非難した。

  • F1アブダビGP:DRIVER OF THE DAYは引退レースのキミ・ライコネン

    F1アブダビGP:DRIVER OF THE DAYは引退レースのキミ・ライコネン

    2021年 最終戦 F1アブダビGPの“ドライバー・オブ・ザ・デー”には、ラストレースを終えたキミ・ライコネンが選ばれた。

    “ドライバー・オブ・ザ・デー”はグランプリで活躍したドライバーをファン投票で決定。今シーズン限りでF1を引退するキミ・ライコネンは、残念ながら27周目に駆動系のトラブルでリタイアとなったが、F1ファンは349戦の史上最多出走のレジェンドに投票した。

    「レースは思ったように進まなかったけど、今日はたくさんの人が感謝の気持ちを示してくれてうれしかった」とキミ・ライコネンはコメント。

    「ピットストップ後に問題が発生した。技術的な問題で今日早くに終了してしまった」

    「それがレースだし、故障することもある。今日の結果が僕のキャリアについて自分の気持ちに影響を与えることはない」

    「通常の生活に移ることができてうれしい。楽しみにしている。もちろん、何年にもわたって出会った多くの素晴らしい人々を恋しく思うだろう。20年はあっという間に過ぎたし、たくさんの思い出を作った。良いものもあれば悪いものもある。それらは永遠に僕と一緒にいるだろう」

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