カテゴリー: キミ・ライコネン

  • キミ・ライコネン、後任のバルテリ・ボッタスにアドバイス

    キミ・ライコネン、後任のバルテリ・ボッタスにアドバイス

    バルテリ・ボッタスは、アルファロメオF1チームの前任であるキミ・ライコネンからちょっとしたアドバイスを受けたことを明らかにした。

    キミ・ライコネンが昨シーズン限りで20シーズンを過ごしたF1引退を発表することを発表。アルファロメオF1チームの後任にはフィンランド出身の後輩ドライバーであるバルテリ・ボッタスが加入した。

    昨年までメルセデスF1に所属していたバルテリ・ボッタスは、過去2シーズンで低迷していたアルファロメオF1チームをミッドフィールドに導くという困難な課題に直面している。

    アルファロメオF1チームは、キミ・ライコネンとの最後の2年間でわずか21ポイントを獲得できておらず、昨年はC41をまったくアップデートしないことを決定し、コンストラクターズランキングで9位に転落した。

    しかし、キミ・ライコネンからのいくつかの言葉のおかげで、バルテリ・ボッタスはチームの見通しを心配していないと語る。

    「昨年末にキミ・ライコネンに聞いた」とバルテリ・ボッタスはGazzetta dello Sportに語った。

    「彼はこのチーム内での仕事についていろいろと説明してくれた。彼はアルファロメオの可能性を高く評価していて、僕がそれを楽しむだろうと言ってくれた」

    「でも、ご存知のように、キミは言葉の多い男ではない・・・」

    「この象徴的なイタリアのブランドを運転することは名誉であり、ブランドをトップに戻す責任を感じるけど、それはプレッシャーではないと思う。それが大きなモチベーションであることは確かだと思う」

    「僕にとっては、それは過去と比較して一歩前進だ。僕はこれらのカラーを身に着けることを誇りに思っている。大変な作業があり、楽しむ機会がある」

    バルテリ・ボッタス / アルファロメオF1チーム

    10回のグランプリウェナーであるバルテリ・ボッタスは、今シーズン、F1キャリアで初めてチームリーダーの役割を果たす。彼はルーキードライバーの周冠宇と組むボッタスは、リードマンとしての新しい役割を“楽しい”と感じていると語る。

    「僕のキャリアの中で初めて多くの責任を伴う長期契約を結んでいる。僕にとって、チームで最も経験豊富なドライバーであるのは初めてだ」とバルテリ・ボッタスは語る。

    「僕はF1で10シーズン目を迎えている。多くの経験を積んできた。目標と結果に関して、必ずしも短期的ではなく、2年間のビジョンがあることを知っているのはうれしいことだ」

    「チームを率い、周冠宇と一緒にうまく働く準備ができている」

    バルテリ・ボッタスは、F1バルセロナテストですでにC42のペースを試したが、アルファロメオF1チームは3日間にわたってさまざまな問題に苦しんでいたため、多くの「やるべきこと」があることを認めている。

  • 元F1王者キミ・ライコネン、カワサキMXGPのチーム代表として始動

    元F1王者キミ・ライコネン、カワサキMXGPのチーム代表として始動

    元F1ワールドチャンピオンのキミ・ライコネンが、MXGPのカワサキ・レーシングのチーム代表として始動。2022年の宣材写真の撮影に臨んだ。

    昨シーズン末でF1キャリアに終止符を打ったキミ・ライコネンは、今年1月、MXGPに参戦するカワサキのファクトリーチームにチーム代表に就任したことが発表された。

    キミ・ライコネンは、モトクロスにも情熱的であり、10年以上深く関わっている。氷や雪の上でバイクで競っている動画も多く公開されている。

    2月末にKRT MXGP(カワサキ・レーシングチーム)は、2022年の公式チームフォトの写真撮影を実施した。このチームのメンバーはしばらく一緒に働いてきましたが、2022年がカワサキのファクトリーチームとしての最初の年になる。

    「チームを始めたときにカワサキのマシンを使っていたので、ライムグリーンのジグソーのピースが組み合わされているロジックを見ることができる。カワサキに戻ることは今や正しいと感じており、我々はファクトリーチームであるという責任を楽しんでいる。我々の情熱、経験、競争力のレベルはこれまでで最高であり、今後のチャレンジへの準備は整っている」とKRT MXGPのチームマネージャーのアンティピルホネンは声明で述べた。

    「キミは2011年にチームを立ち上げ、私にチームマネージャーになるように頼んだ。レーシングキャリアの直後だったが、顎にクラッシュヘルメットのストラップの跡が残っていた。それ以来、事実上のユニットとして機能し、世界選手権の成功に挑戦できる手ごわいチームを慎重に集めてきた」

    「これは進化の過程であり、毎年、毎月、毎日、より多くのことを学んでいる。この学習過程が終わらないことを願っている。キミは、我々に素晴らしい戦略的アドバイスを与えてくれる。彼のワールドモータースポーツに関する最高レベルの知識は、チームアプローチの観点から常に全体像に焦点を当てるのに役立つ。私たちの2つの目標は、オントラックとオフトラックでの成功だ。GPでのレースとチャンピオンシップの成功に加えて、パドックで最もプロフェッショナルで優れたチームの1つと見なされている」

    「どの企業でも成功するには、やる気が必要だ。元GPライダーとして、私はキミがF1の経験を持っていることを知っている。チームに関わるすべての人、そして、すべての大切なスポンサーパートナーは、2022年の成功に本当に意欲的で、飢えていると正直に言うことができる」

    KAWASAKI RACING TEAM MXGP

  • キミ・ライコネン 「引退は何年にもわたって何度も考えていた」

    キミ・ライコネン 「引退は何年にもわたって何度も考えていた」

    キミ・ライコネンは、最終的に2021年シーズンでのF1引退を発表する前に、何度も引退について熟考していたことを認めた。

    2007年のF1ワールドチャンピオンであるキミ・ライコネンは、昨年9月にF1引退を発表し、2001年にスタートしたF1キャリアに幕を下ろした。349戦というF1史上最多出走を記録し、21勝と103回の表彰を獲得してスポーツを去った。

    1月末にカワサキのMXGPチームのチームプリンシパルに就任したキミ・ライコネンだが、現時点でそれ以外は家族と過ごす以外に活動の予定はない。

    「2年離れていたけど、何年にもわたって何度も引退することを考えていた」と42歳のキミ・ライコネンは認めた。

    「今は子供たちと一緒に家でもっと時間を過ごしたい。彼らは急速に成長している」

    「家族ともっと多くのことをしたい。スケジュールのせいで家族と暮らす機会はあまりなかった。それがすべてを変えた」

    キミ・ライコネンは、コース外の態度にとってファンに好かれていた。2006年のF1モナコGPではリタイア後にガレージに戻るのではなく、ヨットでくつろいでいた姿は有名だ。2009年のF1マレーシアGPは雨による中断時にアイスクリームを食べて過ごす姿が話題となった。

    また、2012年のF1アブダビGPをレースリードしている際の無線メッセージ『Leave me alone, I know what I’m doing(ほっといてくれ、自分がやるべきことはわかっている)』も明言として語り継がれている。

    F1について何が恋しいかと質問されたキミ・ライコネンは「たくさんの良い人たちと出会い、たくさんの良い人たちと一緒に仕事をした。そして、何人かは友達になった」と語った。

    「全般的に僕たちはとても忙しいと思う。たとえば、僕たちが友達であったとしても、実際に何かをする時間がある場所ではない」

    「1つあるとすれば、おそらくレースだ。でも、純粋なレースとしては、おそらくもっと良い、楽しい他のレースシリーズがある」

    自信のキャリアを振り返り、キミ・ライコネンは、2007年の世界選手権を最高水準点として選び出した。

    「確かにチャンピオンシップに勝つことは、結果として最高だ。だから、みんなここにいる」とキミ・ライコネンは語った。

    「でも、他にもたくさんの良いレースとたくさんの悪いレースがある。何年もやっていれば、そういったことはあると思う。それはその一部であり、僕はそれでいいと思う。問題ない」

    「僕は人生の大部分はここで過ごした。良いのか悪いのかは分からないけど、そういうものだ。多くの時間がかかることだからね」

    「でも、僕の人生で最も重要なことではなかったので、それを終えられたのは素晴らしいことだ」

    キミ・ライコネンは、カジュアル、またはプロとしてレースに復帰する予定はないが、ドアを完全に閉めることを拒否した。

    「面白いことが出てきたら、そして、それが理にかなっているなら、やるかもしれない。でも、今は計画はゼロだし、今は計画を立てたくない」とキミ・ライコネンは語った。

    「忙しくないスケジュールを楽しみにしている。僕の側からスケジュールを立てることはない。将来何かをするかどうか見てみるつもりだ」

  • ジェンソン・バトン 「飲んで家に帰ったら居間にライコネンがいた」

    ジェンソン・バトン 「飲んで家に帰ったら居間にライコネンがいた」

    元F1ワールドチャンピオンで専門家に転向したジェンソン・バトンが、2007年のF1ワールドチャンピオンであるキミ・ライコネンについて非常に興味深い逸話を披露した。

    20年にわたる輝かしいキャリアの後、キミ・ライコネンは、昨シーズン末にF1を引退。スポーツの政治的な要素を毛嫌いするライコネンは、F1パドックに再び足を踏み入れることは決してないだろうと語っている。

    今のところ、キミ・ライコネンはレース活動をする予定はなく、家族と過ごす時間と先週チームプリンシパルに任命されたカワサキMXGPチームを運営に注意を向けていく。

    キミ・ライコネンは、F1パドックにいる間はあまり発言せず、代わりにドライビングで話をすること選んだ。最後はアルファロメオF1でキャリアを終えたライコネンはF1で21勝を収めましたが、レーストラックから離れると、まったく別の顔になる。

    F1以外では、キミ・ライコネンはパーティーの中心人物であり、“アイスマン”のペルソナよりもはるかに謎めいたキャラクターであると多くの人が語っている。

    ジェンソン・バトンもその一人だ。

    「実際、僕たちはパドックでは話をしなかったけど、パドックの外に出て太陽が沈むと状況が変わった」とジェンソン・バトンは語った。

    「キミとのストーリーで実際に覚えているのはひとつだ。ほとんどがぼやけているからね。ロンドンで午前3時くらいまで飲んでいた。当時僕はロンドンに家がった」

    「『疲れた。ここから出よう』となって、タクシーに乗って、家に帰って、家の中を歩いていたら、キミが僕の居間に一人で座っていた」

    「彼がどうやってそこに着いたのか分からない」

  • キミ・ライコネンがアントニオ・ジョビナッツィに送ったお茶目なメール

    キミ・ライコネンがアントニオ・ジョビナッツィに送ったお茶目なメール

    アントニオ・ジョビナツィは、新年にキミ・ライコネンとのお茶目なメールについて明かした。

    キミ・ライコネンは、元アルファロメオF1のチームメイト同士であるアントニオ・ジョビナッツィと友人であることを明らかにしており、二人は2021年シーズン終了後にメールを交換した。フォーミュラEに転向するジョビナッツィとは異なり、ライコネンは現時点ではレースから引退し、ダウンタイムを過ごしていた。

    アントニオ・ジョビナッツィは、キミ・ライコネンがベストなタイミングでメッセージに返信するのは得意ではないことを認めるが、その文面はお茶目なものだと語った。

    「大晦日に彼に良い新年を願っているとメールを送った」とアントニオ・ジョビナッツィは語った。

    「キミはあまり自分の電話と良い関係を築いていない。モルディブで休暇を過ごしていて、放置していた」

    「でも、数日後、彼は僕に連絡してきて、僕たちにいくつかの冗談を言い合った。例えば、彼は僕にいい感じに日焼けをしたきると言ってきた」

    「彼はそれをイタリアンスタイルの日焼けと表現し、さらにイタリアンスタイルにするために髪を伸ばすことも考えていると言っていたよ!」

    現在、アントニオ・ジョビナッツィは、フェラーリF1のリザーブドライバーであり、必要に応じてアルファロメオとハースでも代役を務めることになる。それと並行してフォーミュラEに参戦している。

    アントニオ・ジョビナッツィは、何度もF1グリッドにできるだけ早く戻ることを目指していると語っており、ショーウィンドウに身を置いて、1年を離れても戻ってきた他の人をエミュレートできることを望んでいる。

    「それが2023年の主な目的だ。括弧を閉じていない。あのチャンピオンシップですべてを与えたとは思っていない」とアントニオ・ジョビナッツィはLa Gazzetta dello Sportに語った。

    「過去に、何人か戻ってきたのを見ている。アルボンもそうだし、オコンもそうだし、2017年に2つのレースの後に戻ってきた僕もそうだ。どんなことも可能だと思う」

    「2022年には多くの契約が期限切れになるので、そこに期待している。可能性があるかどうか見てみるつもりだ」

    「まず、フォーミュラEでどのように進むかだし、そして、次にとても興味を持っているフェラーリとのハイパーカープログラム(WEC)がある」

  • キミ・ライコネン 「自分がF1ファンに好かれる理由がわからない」

    キミ・ライコネン 「自分がF1ファンに好かれる理由がわからない」

    元F1ドライバーのキミ・ライコネンは、F1ファンが自分のことをそんなに好きな理由がわからないと語る。

    キミ・ライコネンは、2021年F1アブダビGPで349戦という史上最多出走記録を更新してF1キャリアに幕を閉じた。22歳でザウバーからF1デビューを果たしたライコネンは、F1で最も人気のあるドライバーの1人だった。

    2002年にマクラーレンに移籍したキミ・ライコネンは、当時チームプリンシパルだったロン・デニスから「アイスマン」というニックネームを付けられた。

    「なぜ彼らが僕を好きなのかわからない」とキミ・ライコネンは語った。

    「僕がありのままだからかもしれないね。変わっているというか、奇妙と言うか、何とでも呼んでいいよ!」

    「それは僕にとっては普通のことだけど、外から見れているみんなにとってはそうではないかもしれない」

    「でも、ほとんどの場合、自分のやり方で思うがままにやってきた」

    「あちこちで別の方法でやらなければならないこともある。もちろん、最初は難しい。彼らは型にはめようとするからね。でも、従わなければ、彼れは変えようとするのを諦めるものだ」

    キミ・ライコネンは、メディアやプロモーション活動など、F1レース以外のファンではなかったが、別の人物になるのではなく、自分自身に忠実であり続けたことに満足していると語る。

    「たぶん『彼にはやりたいようにやらせるのがベストだ』と言わせた方が楽だ。初めのうちに戦っておいて良かったよ。その方がはるかに楽だからね。後から他の誰かになろうとするのははるかに難しい」

    「しばらくは、人から求められることしたり、人から求められるような人になることはできると思う。でも、長期的にはあまり良いことではないし、健康的でもないと思う」

    キミ・ライコネンは、ロータス時代の2012年のF1アブダビGPでF1復帰後初優勝を達成。しかし、優勝と同じくらいに話題になったのが、レース中に国際放送で流れたライコネンがエンジニアと交わした無線のフレーズだった。

    『Leave me alone, I know what I’m doing』
    (ほっといてくれ、自分がやるべきことはわかっている)

    このフレーズはフィンランドで最も有名なフレーズの1つになり、帽子やTシャツに印刷された。

    メッセージへのリアクションは気になったかと質問されたキミ・ライコネンは「ノー。まったく気にならなかった」と答えた。

    「最終的に僕たちはレースに勝った。そして、そこにいた人々は実際に何が起こったのかを知っている。そこから一つのことを取り上げて、あれこれするのは簡単なことだ」

    「結局、レースで勝つということは、金曜日から日曜日までの長いプロセスだ。良いことも悪いことも、どちらにしても僕には何の感情もない」

    2007年のF1ワールドチャンピオンであるキミ・ライコネンは、F1で通算21勝、103回の表彰台でキャリアを終えた。

  • キミ・ライコネン、カワサキのワークスMXGPチームの代表に就任

    キミ・ライコネン、カワサキのワークスMXGPチームの代表に就任

    F1から引退したキミ・ライコネンが、FIMモトクロス世界選手権(MXGP)にワークス参戦するカワサキ・レーシング・チームのチーム代表に就任することが電撃発表された。

    非常にバイクが好きで余暇によく乗っている自称モトクロスファンのキミ・ライコネンは、FIMが主催するモトクロス世界選手権でカワサキのファクトリーチームを指揮する。

    「僕にとって、長年の人生における大きな情熱の1つがモトクロスだったことは周知の事実だ」とF1で通算349戦をスタートした後、先月F1を引退したキミ・ライコネンは語った。

    「しかし、このチームは趣味と呼ぶものではないかもしれない。それは非常に真剣で、非常に集中していて、僕たちは可能な限り最高になることを目指している」

    キミ・ライコネンは、カワサキ・チーム・グリーンのチームプリンシパルに指名されているが、MXGPの日々の運営は、仲間のフィンランド人である元モトクロス優勝者のアンティ・ピルホネンが担当する。

    「レースを引退した今、このプロジェクトにより多くの時間を費やすことができるだろう」と2007年のF1ワールドチャンピオンであるキミ・ライコネンは付け加えた。

    「日々の運営には関わらないけど、チームがどのように機能し、何が世界の舞台で成功を生み出すかについて、自分の経験を生かして、戦略的な観点からより多くのことを行っていく!」

    「カワサキが僕たちをファクトリーチームに選んだことを、僕を含めて誰もが喜んでいる。直接のファクトリーサポートがあれば、成功の可能性は常に高いことを僕は知っているので、これはMXGPの新しいカワサキ・レーシングチームとしての僕たちにとって素晴らしい機会になる」

    MXGP カワサキ・レーシング・チーム

  • キミ・ライコネン 「お金と権力がF1を政治的なものに変えてしまった」

    キミ・ライコネン 「お金と権力がF1を政治的なものに変えてしまった」

    F1を引退したキミ・ライコネンは、“偽物とでたらめ”だらけのスポーツはもはや自分にとって意味をなさないと考えており、F1を離れることに後悔はないと語る。

    2001年にザウバーでF1キャリアをスタートさせた2017年のF1ワールドチャンピオンであるキミ・ライコネンは、アルファロメオF1で3年間を過ごした後、昨年の最終戦F1アブダビGPで彼の輝かしいキャリアに終止符を打つことを選択した。

    キミ・ライコネンは、F1のドライビング面以外のことに従事することを嫌っていることで有名であり、“偽物とでたらめ”だからのF1から離れられることに安堵していると語る。

    「少なくとも僕の頭の中では、ここで起こっていることで意味をなさないことがたくさんある」とキミ・ライコネンは語った。

    「いろいろと無価値なものがある。僕たちはそれを分かっているけど、誰もそれを口にはしない。そうすべきではないと僕が思うことはたくさんある」

    「ここにはたくさんの偽物がある。外に出るのは良いことだ。精神的には、しばらくの間、すべての無価値なものから離れるのはとても良いことだ」

    キミ・ライコネンは、次に何をしたいのかを決めるまで妻のミントゥと子供たちと一緒にスイスでの邸宅で引退を楽しんでいる。

    「引退して自分が何を楽しみにしているかは分かっている。外から人々が見ているよいもはるかに多くの無価値なものがある」

    キミ・ライコネンがF1にいる20年間で、F1は大幅に変化し、昨年、金融規制が導入されるまで予算は大幅に増加していった。

    2001年にドライビングの腕でザウバーからのF1デビューを勝ち取ったキミ・ライコネンは、“気まぐれ”で“空洞化”した現在のF1はお金の全能の力に根差していると考えている。

    「他のスポーツと同じように、お金が物事を変えたのは確かだ」とキミ・ライコネンは語る。

    「投入するお金が多ければ多いほど、より多くの政治がある。一般的に、どの国でも、中に入ってみるまで全体像を決して知ることのない裏の仕事がある」

    「確かにお金は大きな役割を果たし、権力を握っている。人々はあれこれと権力を望んでいると思う。実際の政治でうまくやれる優秀な政治家はたくさんいると思う!」

    F1が道に迷い、純粋にレースではなくなったと感じているかと質問されたキミ・ライコネンは「もう何年もの間、そんな感じだった。おそらく人々は今、それをもっと認識しているのかもしれない」と語った。

    キミ・ライコネンは、長年F1の内部の仕組みを観察してきたが、常にF1の政治に関与することを避けてきたと語る。

    「僕は関与しなかった」とキミ・ライコネンは語った。

    「多くのことが起こっているのは知っているけど、僕は関与していない。毎日そんなことに関与しているなら、あまり健康的ではないと思う」

  • キミ・ライコネン 「ロン・デニスとの関係は良好だったと思う」

    キミ・ライコネン 「ロン・デニスとの関係は良好だったと思う」

    キミ・ライコネンは、マクラーレンF1チームのチーム代表であるロン・デニスとの不仲について当時広く議論されていたものの、実際にはポジティブな関係だったと語る。

    ロン・デニスは、2002年にキミ・ライコネンがマクラーレンF1に加入したときにチームのCEOを務めていた。ライコネンは2006年までマクラーレンF1に所属していたが、その間、コース内外でのロン・デニスの規律に反した行動が大きな注目を集めた。

    キミ・ライコネンは、ロン・デニスとの関係について“すべてに同意していたわけではない”としながらも、ほとんどがポジティブなものだったと考えている。

    「良い関係だったと思う」とキミ・ライコネンはBeyondn The Gridに語った。

    「もちろん、その件について多くの発言や記事があったけど、内部的には悪くなかったと思う」

    「僕たちは良い関係を築いていたと思う。もちろん、僕たちが同意しなかったことがいくつかあるけど、そういうものだ」

    キミ・ライコネンは2006年F1シーズン終了後にマクラーレンを離脱し、フェラーリに移籍したが、チームを離れた後もロン・デニスと仲良くしていたと語る。

    「僕がチームを離れた後も、トラックで彼に会うと、僕たちは物事について話したり、冗談を言ったりしていた」とキミ・ライコネンは説明した。

    「外では彼はトラックにいるときとはかなり違うと思う。悪く言うことは何もない」

    「特定の事柄について僕たちは異なる意見を持っているけど、そういうものだ」

    キミ・ライコネンは、フェラーリに移籍したことで、マクラーレンとの仕事の仕方の違いを経験した。

    マクラーレンとフェラーリの違いについて質問されたキミ・ライコネンは「物事をどのように実行するかという哲学、会議、そして、もちろん言語がある」と説明した。

    「会議などでは誰もが英語を話すけど、国籍が違いを生んでいた。イタリア人はイギリスのチームよりも特定のことに情熱を注いでいる」

    「でも、それは彼らが正しいか間違っているかという意味ではない。彼らは皆、何にでも良い面と悪い面を持っている」

  • キミ・ライコネンが手放したフェラーリF12tdfに莫大なプレ値

    キミ・ライコネンが手放したフェラーリF12tdfに莫大なプレ値

    キミ・ライコネンが所有していたフェラーリF12tdfがプレミアム価格で市場に出回っている。

    キミ・ライコネンは、フェラーリF1にドライバーズタイトルをもたらした最後のドライバーとしてマラネロのファミリーと歴史的なつながりを保っている。そして、昨シーズン限りでF1から引退したこともあり、2007年のF1ワールドチャンピオンが所有もしくフェラーリに関連するものすべての価値が高まっている。

    その一例として、キミ・ライコネンが所有する2016年のフェラーリF12tdfがスイスの史上で出回っており、裕福なキミ・ライコネンのファンなら240万ドル(約2億7200万円)を払えば購入できる。

    わずか799台しか製造されていないV12エンジン搭載の770馬力のスーパーカーであるフェラーリF12tdfは、発売時は約620,000ドル(約7000万円)で販売されたが、車のそもそもの希少性とキミ・ライコネンという権威ある所有権により、その価値を約2億円と大きく膨れ上がった。

    キミ・ライコネン フェラーリF12tdf