カテゴリー: ポルシェ

  • ポルシェ、2015年シーズンにむけてLMP1カーを再設計

    ポルシェ、2015年シーズンにむけてLMP1カーを再設計

    ポルシェは、2015年のWECシーズンにむけて、新たなLMP1カーを設計している。

    今年のLMP1クラスに919ハイブリッドで復活したポルシェだが、LMP1プログラムの責任者は、来シーズンにむけてを新しいモノコックを含めてマシンを完全に再設計していることを明らかにした。

    だが、マシンのコンセプトとハイブリッド・パワートレーンに関しては、劇的な変化はないと強調している。

    ポルシェ LMP1のテクニカルディレクターを務めるアレックス・ヒッチンガーは「ほぼ新車になる。それはプログラムを開始したときから決定していたことだ」とコメント。

    「新しいタブを走らせ、レース初年度で学んだことに基づいてマシンを再設計することは計画されていたことだ」

    「我々は新しいデザインチームだ。最初に打ち出したデザインがまさに最適であるとは思っていない」

    ポルシェのチーム代表を務めるアンドレア・ザイドルは、2015年マシンは「ゼロから設計される」が、今季マシンである919のコンセプトの「改革ではなく進化型」であると述べた。

    ポルシュの新車は、919というタイプ番号は保持されるとみられ、年末に初テストが実施される見込みだという。

    だが、2015年のエネルギー回復に関して、現在の6MJクラスから8MJに上昇させるかどうかはまだ明らかにしていない。

    「そこは再びオープンになっており、テストで状況を評価するつもりだ」とアンドレア・ザイドルは説明した。

    トヨタのテクニカルディレクターを務めるパスカル・バセロンは、2015年シーズンのマシンは、既存のTS040 HYBRIDのアップデート版となり、“大きな進化ではない”とした。また、8MJへの移行にも取り組んでいるが、まだ最終的な決定はしていないと認めている。

    アウディは、2015年マシンは今季マシンのコンセプトを保持し、ハイブリッドパワーのレベルを現在の2MJクラスから4MJクラスに上昇させようとしていると述べている。

  • ポルシェ、長時間レースをリードするも表彰台を逃す (WEC第4戦)

    ポルシェ、長時間レースをリードするも表彰台を逃す (WEC第4戦)

    ポルシェのワークスチームからスポーツカー世界耐久選手権(WEC)にエントリーする919ハイブリッドは、米国オースティンのサーキット・オブ・ジ・アメリカズで開催されたWEC第4戦において予選2位、3位という好位置からスタートし、6時間におよぶ決勝レースでは長時間にわたってリードしたものの、結果4位および5位に終わった。

    予選で2位を獲得したLMP1クラスの919ハイブリッド(カーナンバー14)をドライブするロマン・デュマ(フランス)/ニール・ジャニ(スイス)/マルク・リーブ(ドイツ)組は、決勝レースでも好調さを見せつけ長くトップを走り続けましたが終盤でトラブルに見舞われ、4位でレースを終えた。もう1台のポルシェ919ハイブリッド(カーナンバー20)のティモ・ベルンハルト(ドイツ)/ブレンドン・ハートレー(ニュージーランド)/マーク・ウェバー(オーストラリア)組は、5位でフィニッシュした。

    スターティングドライバーを務めたデュマとウェバーは、レース序盤で早くも後退し1回目のピットストップ前には、それぞれ5位と6位を走行していた。最初の100分が経過すると、雨が降り出し急に水に浸かったコースでは、6台の車がスピンしてコースアウトしてスタックしたが、ティモ・ベルンハルトがステアリングを握るカーナンバー20のもそのうちの1台でした。混乱が生じたコースにはレッドフラッグが出され、レースは45分間中断された。

    セーフティカーの後からの再スタートでは、ジャニがドライブするカーナンバー14はスリック・インターミディエイトタイヤを選択していた。ジャニは間もなくリードを奪い、105周後にピットインし919ハイブリッドを託されたリーブはスリックでコースに復帰する。133周の後、リーブは最終の給油を行うべくリードを保ったままピットに入ったが、その後、エンジンパワーを失い4位に後退したままレースを終えた。

    カーナンバー20のベルンハルトは、フルウエットタイヤでグラベルから救出された後、レッドフラッグの後も走行を続けることができたが、彼もすぐにスリック・インターミディエイトタイヤに履き替えた。90周目に4位のままハートレーと交代。最後の30分で、ウェバーが再び車に乗り込み、最終的に5位でフィニッシュラインを通過した。

    ヴォルフガング・ハッツ (ポルシェAG 研究開発担当役員)
    「チェッカーフラッグの直前まで、今の週末は非常に期待感がもてるもので、私達はレース優勝を目指して戦いました。チームは優れた仕事をしたにもかかわらず、報われなかったのは残念です」

    フリッツ・エンツィンガー (ポルシェAGのLMP1プロジェクト トップ)
    「残念ながら、ここ数ヶ月の開発と素晴らしい予選結果をチャンピオンシップのポイント獲得に十分に活かすことができませんでした。ル・マンでの展開と同様、表彰台獲得、さらに言えば優勝のチャンスがありました。私達は、カーナンバー14のパワーダウンの原因を徹底的に分析し、富士スピードウェイでのレースに備えます」

    アンドレア・ザイドル (LMP1チーム監督)
    「レースの結果は、もちろん残念なものでした。厳しいレースで、コンディションも複雑でした。レース序盤は、ドライで気温も高く、リーダーのペースに追従することはできませんでしたが、雨の中で私達は驚く程の強さを発揮しました。再スタートでは、可能性を高めるために、それぞれ別の作戦を割り振りました。そして、カーナンバー14にスリック・インターミディエイトタイヤをチョイスし、リードを取ることができました。しかし、終盤にパワートレインにトラブルが発生し、表彰台を逃しました」

    LMP1クラス ポルシェ919ハイブリッド(カーナンバー14)
    ロマン・デュマ
    レース序盤は30°を超える気温のため、多少苦戦しました。コースが空いていた周回では問題ありませんでしたが、トラフィックではアンダーステアが強すぎました」。

    ニール・ジャニ
    「雨が降り出してからは、どうにもなりませんでした。最初は、1つのコーナーだけがウェットになったのですが、すぐにサーキットのあらゆる場所が水浸しになりました。私は上りに差し掛かったところでスライドしました。グラベルトラップを超えて、芝に突っ込み、コースに戻りました。再スタートはスリック・インターミディエイトタイヤで行くという判断は正解でした。熱さのためサーキットがすぐにドライになることを願っていました。自分はこのタイヤを本当に上手く使い30秒以上のリードを持って車を渡しました。作戦はすべて正しく機能し、チームはすばらしい仕事をしました」

    マルク・リーブ
    「厳しい戦いでした。ロマンとニールは良いレース運びをしました。ポルシェ919ハイブリッドをトップで受け取ったことは、素晴らしいことでした。しかし、私がピットストップした後、エンジンが急にパワーダウンしたため、最後までリードを守り切ることができませんでした。チームは車をしっかりと準備してくれました。私達は本当に表彰台に上ってしかるべきでした」

    LMP1クラス ポルシェ919ハイブリッド(カーナンバー20)
    ティモ・ベルンハルト
    「今日は、ついていませんでした。雨が降り出すまで、スティントの出だしは好調でした。私はスリック・インターミディエイトタイヤを選択しましたが、ピットレーンで急に雨が激しくなりました。私は自分が浮いているのに気付きました。まるで乗客のような気分でした。セーフティカーの後からの再スタートでは安全策を取り、フルウエットタイヤで臨みましたが、これが不利に働いてしまいました。その後、スリック・インターミディエイトタイヤに換えたあとは、何も問題ありませんでした。これがレースというものです」

    ブレンドン・ハートレー
    「ティモから車を受け取った時点で、すでに1周遅れでした。ポルシェ919ハイブリッドは強い印象を与え、昼も夜も両方ともドライビングを愉しむことができました。担当スティントの途中にはコース上の大きな破片に衝突し、エアロダイナミクスに多少の影響が出てしまいました」

    マーク・ウェバー
    「最初、アウディとよいバトルをしました。しかし、トラフィックでは彼らの方が明らかに余裕があり、簡単にさまざまなラインを取ることができていました。一時的に、フルブーストが使えなくなりましたが、走行中に解決することができました。レース序盤の高温と、その後のそれぞれのスティントにも我々が多くを学んだのは間違いありません」

  • ポルシェ、キャラミサーキットを買収

    ポルシェ、キャラミサーキットを買収

    ポルシェは、F1を約20年開催した南アフリカのキャラミサーキットを買収した。

    先週、全長4.26kmのトラックを含めた72ヘクタールの敷地がヨハネスブルクでオークションにかけられ、ポルシェ南アフリカが2億500万ランド(約19億7500万円)で落札した。

    キャラミは、2010年の世界スーパーバイク選手権を最後に国際カテゴリーのレースを開催していないが、ポルシェは、今後、再びレースを開催する可能性があることを明確に示している。

    ポルシェ南アフリカ責任者のトビー・ヴェンターは「キャラミがレースのために救済されたことが最も重要であり、我々はレーストラックとしての運営を継続させる予定だ」とコメント。

    キャラミは、1967年から1985年までF1レースを開催し、ボイコット騒動を経て1992年と1993年に一時的にカレンダーに復帰したが、メインスポンサーの倒産により再びF1から遠ざかった。

  • マーク・ウェバー 「フェラーリではなくポルシェを選んで正解」

    マーク・ウェバー 「フェラーリではなくポルシェを選んで正解」

    マーク・ウェバーは、フェラーリF1チームとの以前の交渉を続行するよりも、将来のためにポルシェのル・マン・プログラムを選んだことに非常に満足していると述べた。

    マーク・ウェバーがもう一年レッドブルに残留することを決定する前、フェラーリとマーク・ウェバーは、フェルナンド・アロンソのチームメイトとして2013年のF1シートについて交渉していた。

    だが、マーク・ウェバーはレッドブルを離脱した際、F1を離れることを選び、2014年からポルシェの新しいLMP1チームに加入することを決めた。

    マーク・ウェバーは、すでに自分が正しい決定をしたと確信していると述べた。

    「これが実際に自分の将来に描いていたことだ」とマーク・ウェバーは述べた。

    「スポーツカーで同じくらい長いキャリアを過ごすかはわからない。僕はF1に13年間いたけど、おそらくスポーツカーでそうはならないだろう」

    「でも、おそらくベストなスタートが切れたと思うし、非常に歓迎されていると感じている」

    「何か異なることをやりたかった。その前年にフェラーリへ行く機会があった。面白かったかもしれないけど、ここにいれることをとても嬉しく思っている」

    最終的にエンジントラブルで完走することはできなかったが、マーク・ウェバーのポルシェ 919ハイブリッドは、ル・マン24時間レースで首位争いを繰り広げた。

    マーク・ウェバーは、F1オーストラリアGPの週末はF1を恋しく思ったことを認めるが、それ以降は、新しい人生が完全に定着していると述べた。

    「現時点でこれ以上の幸せはあり得ないだろうし、F1のことはまったく寂しく思ってはいない」

    「開幕戦のメルボルンはちょっと扱いにくかったけど、今はもう克服しているよ」

  • ポルシェ、ル・マンで力強いパフォーマンスを示すも夢叶わず

    ポルシェ、ル・マンで力強いパフォーマンスを示すも夢叶わず

    ポルシェのワークスチームは、ル・マン24時間レース決勝において2台の919ハイブリッドが力強いパフォーマンスを発揮したが、レース終盤の劇的な幕切れにより、結果を残すことはできなかった。

    LMP1クラスのカーナンバー20(ティモ・ベルンハルト/ブレンドン・ハートレー/マーク・ウェバー組)のチームは、ル・マン24時間レース決勝において、レース中盤から後半にかけて、多くの時間にわたりトップを走行してした。しかし、スタートから22時間以上を過ぎた時点でパワートレインの問題で後退を余儀なくされた。

    カーナンバー14(ロマン・デュマ/ニール・ジャニ/マルク・リーブ組)に託されたもう1台919ハイブリッドも、やはり非常に高い戦闘力を証明したが、ドライブトレインの問題に足を引っ張られた。それでもカーナンバー14は、自力でフィニッシュラインを超えた。

    スタート直後は、変化する気象条件と多くの事故によってスリリングな展開となったが、夜になるとレース展開が比較的落ち着きはじめ、日曜日の12時36分、カーナンバー20のポルシェ919ハイブリッドを駆るティモ・ベルンハルトがトップでマーク・ウェバーと交代した。ところが、それから20分も経たない間にスローダウンを余儀なくされ、電気モーターのパワーだけでピットまで戻って来た。チームは、損傷したパワートレインを修理することができなかった。

    さらに30分と経たない間に、マルク・リーブが駆るカーナンバー14にはトランスミッションの不具合が発生して12時54分にピットに入るまでは4位につけていた。チェッカーフラッグが振られる直前にコースに復帰したが、結局完走扱いとはならなかった。

    マティアス・ミューラー(ポルシェAG社長)
    「私たちは、チームの多大な努力によってル・マンに復帰しました。ポルシェ919ハイブリッドのデビューを表彰台で飾るという私たちの密かな夢が、もう少しで実現しそうでした。驚くほど長時間にわたりレースをリードしました。一生懸命に尽くしてくれた全ての人々に対して感謝を述べたいと思います。私たちは前向きに考えており、2015年にはさらに強くなって戻って来るつもりです」

    ヴォルフガング・ハッツ(ポルシェAG 研究開発担当役員)
    「私たちが公言した目標は、このレースを完走することでした。それは完全にはかないませんでしたが、少なくとも919ハイブリッドのポテンシャルの高さとその革新的なパワートレインを示すことはできました。私たちは、自らの勇気あるコンセプトを信じ、それをさらに発展させるつもりです。すでに2015年のレースに向けて取り組み始めています」

    フリッツ・エンツィンガー(LMP1担当 ポルシェAG副社長)
    「この結果は、準備作業に奮闘してきた私たちのチームにふさわしいものとは言えません。この波乱に満ちたレースは、信じがたく忘れられないものとなりました。チームの全員が限界まで働き、決して諦めませんでした。私はチームをとても誇りに思います」

    アンドレア・ザイドル(LMP1チーム監督)
    「今はもちろん残念な気持ちで一杯です。しかし、もしこのような結果になることがレース前に分かっていたとしても、それを嬉しく思ったでしょう。私たちは、来年のために多くのことを学び、明日からは2015年に向けて準備を始めます。ドライバーもチームメンバーも、全員が見事な働きをしました。1台のマシンにフィニッシュラインを踏ませたことを誇りに思います。しかも、レース終了局面までもう1台と共に優勝争いを演じることができたのは、素晴らしいことでした」

    アレクサンダー・ヒッツィンガー(LMP1テクニカルディレクター)
    「アウディを祝福したいと思います。彼らの優勝は当然の結果です。もちろん私たちとしては残念です。私たちもそのような良い結果にもう少しで手が届きそうだったのですから。それでも自らの成し遂げたことを誇って良いと思います。マシンの速さを証明し、ライバルチームも919ハイブリッドに注目していました。目標はレースを完走することでしたが、違った形でフィニッシュラインを超えることになりました。残りのレースと2015年のル・マンを楽しみにしています。今日のマシンは必ずしも扱いやすくなかったのですが、ドライバーたちは素晴らしい仕事をしてくれました。そのことを全員に感謝したいと思います」

    ニール・ジャニ(カーナンバー14)
    「私たちのマシンは本当に良く走り、何度かトップグループに並びました。これほど大きなポテンシャルがあるのですから、今回の結果についてはとても残念です。一方で、継続が極めて重要であり、すぐに成功するのが困難であることを思い知らされました」

    マルク・リーブ(カーナンバー14)
    「何と言えばいいのか分かりません。なぜなら、レース中に発生した今回のような問題に対処するのは、困難だからです。カーナンバー20は、実に素晴らしいレースを見せてくれました。彼らにはレースの終了直前まで全く問題が発生しませんでした。これに対して私たちのカーナンバー14のマシンは、いくつかの些細な技術的不具合によってスローダウンし、何度もピットストップを強いられました。それでも私たちは最善を尽くしました。チェッカーフラッグのおよそ1時間半前、もっと大きな問題が発生しました。チームはどうにかしてマシンを再び走れるようにして、私たちは最終的にフィニッシュラインを超えることができました」

    ティモ・ベルンハルト(カーナンバー20)
    「これほど長い空白期間を経てル・マンと世界耐久選手権に戻って来たことは、結果的にポルシェにとって大きな収穫だったと思います。しかし、私たちは必死に闘い、最後には本当に優勝目前まで行っただけにとても残念です。少なくとも表彰台には立てたはずです。それを実現するのは困難でしたが、チームのメンバーは素晴らしい仕事をして、マシンも良く走ってくれました。マシンのバランスに関していくつか問題を抱えていたため、コントロールするのは簡単ではありませんでしたが、結局、燃料を節約してコーナーで無理をしないようにしました。その後、1速ギアでエンジンが壊れました。しかし、最終的にはポルシェにとって大きな収穫であったと思います」

    マーク・ウェバー(カーナンバー20)
    「全員にとって残念な結果でした。もし完走できていれば驚くべき偉業となったでしょう。レース終盤にこれほど有利な位置にいられるとは、チームの中で誰も期待していなかったと思います。ポルシェが成し遂げたことは、本当に誇るべきことです。レース中にこの位置までマシンを到達させることがどれほど困難であるか、理解できる人はあまりいません。ル・マンでリタイアすることは決して良いことではありませんが、今日の結果は、ある意味で望みうる最良のものであると思います。なぜなら私たちは予想以上に健闘し、多くのことを学んだからです。もし早めにリタイアしていれば、何も学べず辛い思いをしたでしょう。もしあと1周の時点でリタイアしていれば、よりいっそう耐え難かったでしょう。私たちは、初めてのル・マンにおいて、表彰台に限りなく近づくことができました」

  • ポルシェ、919ハイブリッドがル・マンのフロントローを獲得

    ポルシェ、919ハイブリッドがル・マンのフロントローを獲得

    ポルシェ 919ハイブリッドが、ル・マン24時間レース予選において2番手と4番手を獲得した。

    トップカテゴリーであるLMP1クラスでは、伝説的な全長13.629kmのロングコースのいたるところでポールポジションをかけた熾烈な争いが繰り広げられ、カーナンバー14のロマン・デュマ/ニール・ジャニ/マルク・リーブ組は、ロマンが予選最終日で最速のラップタイム(3分22秒146)を叩き出した。

    カーナンバー20のティモ・ベルンハルト/ブレンドン・ハートレー/マーク・ウェバー組では、予選2回目でティモの記録したベストラップが、そのまま最速タイムとなった。最終予選の終了間際、ニールとブレンドンはそれぞれのマシンに乗り込んでいたが、タイムを短縮するチャンスは巡ってこなかった。コース上で発生した複数の事故を受けて、安全のためにいわゆるスローゾーンがいくつも設けられたからだ。

    ヴォルフガング・ハッツ (ポルシェAGの研究開発担当役員)
    「ル・マンでフロントローを獲得することは、予選の目標でもありました。私たちは初めての試みでそれを達成することができました。ポールポジションではありませんが、全く問題ありません。私たちが十分に速いことを証明できたからです。それでもクリアラップを得られなかったのは残念でした。決勝に向けて集中し、ミスを犯さないように努めます。私はチームを誇りに思っており、全員の成功を願っています」

    フリッツ・エンツィンガー (LMP1担当 ポルシェAG副社長)
    「私たちがル・マンでフロントローとセカンドローを獲得できたのは素晴らしいことだと思います。予想以上の結果で、予選は非常に上手くいきました」

    アレクサンダー・ヒッツィンガー (LMP1テクニカルディレクター)
    「私たちのマシンが、このコースでも競争力があることを確認できたのは良かったと思います。ポールポジションを目指してアタックする機会があれば、もっと良かったのですが。ポールポジションは手の届く範囲であったと信じています。しかし、2番手と4番手のスタートも、上出来の結果であることに間違いありません」

    アンドレア・ザイドル (LMP1チーム監督)
    「私にとって、このスターティンググリッドは驚くべき結果であり、2年間の準備が大きく報われました。外部から見れば、全てを最初から作り上げることがどれほど困難であるか想像できないでしょう。しかも、今回のル・マンの予選は油断を許さない状況で何度も中断があったにもかかわらず、うまく対処することができました。この予選結果は今、サーキットにいるチームメンバーのみならず、ヴァイザッハに戻ったメンバー達にとっても励みになる結果です」

    ロマン・デュマ (ポルシェ919ハイブリッド No.14)
    「私は全力を尽くし、常にマシンを改良してきました。まだ少しだけアンダーステアに対処しなくてはなりませんでしたが、満足しています。残念なのは、ベストラップを記録した周回において、他の車両を追い越さなくてはならなかったことです。そのために数分の1秒を無駄にしましたが、楽しく走ることができました」

    ニール・ジャニ (ポルシェ919ハイブリッド No.14)
    「2番グリッドは素晴らしい結果です。ロマンが早めに良いタイムを出してくれたおかげで、私たちにはよりチャレンジするチャンスが生まれました。しかし、最後に自由に走れなかったことは少し残念です。もっとうまくやれたと思います。第1セクターは良かったのですが、いたるところにスローゾーンがありました。私たちはポールポジションを狙っていました。それでもフロントローからスタートできることには満足すべきでしょう。今からレースのスタートが楽しみです」

    マルク・リーブ (ポルシェ919ハイブリッド No.14)
    「マシンの調子はとても良かったです。ロマンが担当した5周を走るのに使ったものと同じタイヤで走りました。私が最速タイムを記録した周回では、コース上が少し混雑していましたが、インラップは全く問題ありませんでした。マシンの感触がとても良いことに満足しています。レースへの備えは万全だと思います」

    ティモ・べルンハルト (ポルシェ919ハイブリッド No.20)
    「私にとってクリアラップが一度もなかったのは残念でした。予選3回目が始まった時、いたるところで他のコース上のマシンに対処しなくてはなりませんでした。それさえなければ、もっとラップタイムを縮めることができただけに残念です。とはいえ、十分に健闘しましたし、マシンの感触も良好です。これからはレースに集中しなくてはなりません。私たちは新たなリズムに乗れるでしょう。それを楽しみにしています。今年は既に多くの事故が発生し、そのために何度も走行が中断されたことは少し気がかりです」

    ブレンドン・ハートレー (ポルシェ919ハイブリッド No.20)
    「スローゾーンやレッドフラッグ、イエローフラッグだらけの厳しい予選でした。クリアラップを得られるかどうかは運次第で、それに恵まれなかったのが少し苛立たしく思えました。しかし、チームの立場から見れば、これは素晴らしい成果でした。LMP1クラスに復帰したポルシェがいきなり2位と4位を獲得するというのは、信じられないことです」

    マーク・ウェバー (ポルシェ919ハイブリッド No.20)
    「私は2回の計測ラップしか走っていないので、コメントすることはほとんどありません。私たちはティモのためにマシンを仕上げ、それがとても上手くいったと感じました。私がステアリングを握っていた時のコースの状態はあまり良くなく、気温も昨夜よりわずかに高めでしたが、レースに向けて万全の準備を整えています」

    関連:ル・マン24時間レース 2014:テレビ放送&ライブ配信スケジュール

  • ポルシェ、ル・マン復帰を記念した911カレラSを発売

    ポルシェ、ル・マン復帰を記念した911カレラSを発売

    ポルシェは、WEC世界耐久選手権のトップカテゴリーであるLMP1クラスへの復帰を記念し、ポルシェ エクスクルーシブによる911カレラSの「マルティーニレーシングエディション」を発売する。

    伝統的なマルティーニレーシングデザインを纏った911の限定モデルには、1970年代のレーシングカーのスタイリングが反映され、917や935「モビーディック」など、ル・マンで活躍した伝説的なポルシェのレーシングカーに対する敬意が表されている。

    911カレラS マルティーニレーシングエディションは80台限定で、欧州の一部、日本、中国、およびラテンアメリカ市場でのみ販売される。ポルシェ テクイップメントでは、ドイツとその他市場において、911モデルレンジのためにアフターマーケットキットとして「エクスクルーシブ マルティーニデカールセット」を販売する。

    ボディカラーは、ホワイトとブラックの2色。フロントフード、ルーフセクション、リアウイング、両サイドが、マルティーニの特徴的なブルーとレッドのカラーパターンによる「マルティーニレーシングデザイン」のデカールセットによって強調される。

    カップ エアロキットの専用フロントエプロンは最適化されたリップスポイラーを備えており、いっそう特徴的な外観を与え、さらに固定式リアスポイラーがスポーティなルックスを強調。”911 Carrera S – Martini Racing Edition”のモデル名が赤く浮かび上がるステンレススチール製のイルミネーテッド・ドアエントリーガードによって、乗るたびにこのモデルが特別なリミテッドエディションであることを主張する。

    インテリアパッケージには、”Martini Racing Edition”ロゴをあしらったボディカラー同色のダッシュボードアクセントが含まれているほか、スポーツデザインステアリングホイールとスポーツクロノパッケージも標準装備。また、Boseサウンドシステム、ブラックの文字盤のレブカウンター、ブラックレザーの電動スポーツシートなどの装備も標準で備わる。

    このモデルの心臓は、最高出力400PSを発生する3.8リッター水平対向6気筒エンジンで、標準の911カレラSに匹敵する動力性能をもたらす。PDK仕様車でスポーツ・プラススイッチを使用すると0−100km/h加速タイムは4.1秒となり、NEDC(新欧州サイクル)での総合燃費も8.7リッター/100km(CO2 排出量は202g/km)という優れた値を示す。

    各マーケットへの導入は、オランダ、イタリア、スペイン、ポーランド、ウクライナ、チェコ共和国、キプロス、フィンランド、イギリスでは2014年6月、中国では2014年8月、そして日本とラテンアメリカでは2014年10月以降を予定している。

    ポルシェ 911カレラS マルティーニレーシングエディション Porasche 911 Carrera S – Martini Racing Edition

  • ル・マン24時間レース:スティーブ・マックイーンのポルシェ 908/2を展示

    ル・マン24時間レース:スティーブ・マックイーンのポルシェ 908/2を展示

    今年のル・マン24時間レースでは、スティーブ・マックイーンの映画「栄光のル・マン」で撮影用マシンとして使用されたポルシェ 908/2が展示される。

    1970年のセブリング12時間レースでスティーブ・マックイーンとピーター・レブソンが2位でフィニッシュしたマシンでもあるポルシェ 908/2は、パドックに隣接した“ヴィレッジ”でポルシェの他のル・マン・カーとともに一般公開される。

    コレクションは、ル・マン・ウィークの水曜日(6/11)から展示され、金曜日のピットウォークではスタート/フィニッシュ・ストレートに移動される。

    その後、土曜日のル・マン24時間レースのスタート前にはトラックで走行を行い、残りの週末は再びヴィレッジで展示される。

    撮影用カメラを3機積みこんだポルシェ908/2の29号車は、実際にレースに出場して、レースをこなしながら撮影用マシンとしても活躍。周回数の不足で完走扱いとはならなかったものの、24時間を無事走りきって9位でフィニッシュした。

    展示は、他にも4台のル・マンで勝利を飾ったポルシェが展示される。
    (1976年 ポルシェ 936、1987年 ポルシェ 962C、1994年 ダウアー 962LM、1998 ポルシェ 911 GT1-98)

    加えて、ポルシェ 917LHも展示。このクルマは現在マルティーニ・カラーに塗装されているが、1971年のル・マンではガルフのブルーとオレンジのカラーでレースをした。

    ル・マン24時間レースの主催者は「去年のル・マンの90周年を祝う我々の展示は大成功だったので、我々は毎年類似した何かをすることに決めた」とコメント。

    「今回、我々は24時間でのポルシェの豊かな歴史をお祝いすることを選んだ」

    「ル・マンでレースをしたクルマで、そのうえ特別な歴史のあるクルマだけというアイデアだ」

  • ポルシェ919ハイブリッド:パワーユニット解説

    ポルシェ919ハイブリッド:パワーユニット解説

    ポルシェは、ポルシェ919ハイブリッドによりシルバーストンで開催されたFIA世界耐久選手権(WEC)の開幕戦で表彰台に登り、スパ・フランコルシャンではポールポジションを獲得して、スポーツカーレースのトップカテゴリーへ見事な復帰を果たした。

    新たに結成されたポルシェ ワークスチームにとっては幸先の良いスタートとなったが、ポルシェ919ハイブリッドの大胆なイノベーションを考えると、決して予測可能な結果ではなかった。

    この結果はWECとル・マンにおける新時代の到来を告げている。ポルシェ919ハイブリッドは、未来の市販車のための技術プラットフォームであり、実証試験でもある。「WECのスターティンググリッドに並ぶ他のプロトタイプには、ポルシェ919ハイブリッドほど効率的で複雑なハイブリッドシステムを備えた車はない」とポルシェは自信をみせる。

    ポルシェは、WECのトップクラスへの復帰によって重要な課題に直面している。第一に、919ハイブリッドは、スポーツカーメーカーがかつて製造した中でも最も複雑なレーシングカーであるということ。第二に、ポルシェはライバル達とは異なり、比較するための前年度の経験やデータを持ち合わせていないということだった。そして第三に、新設のLMP1レーシングチーム内において、ポルシェは自社のエンジニアでプロトタイプを開発したということ。それは、他の企業から既存のコンポーネントを購入するより遥かに困難なことだが、長期的には、より将来性のある道筋といえる。このような試みにおいて、LMP1テクニカルディレクターのアレクサンダー・ヒッツィンガーと彼のチームは、将来の市販車カスタマーにメリットをもたらすソリューションを探し出すというポルシェ伝統の経路を辿ることになる。

    最適なエネルギー変換効率(供給されるエネルギーと使用するエネルギーの間の最良の比率)の追求が、エアロダイナミクスや重量が最適化された各コンポーネントなどポルシェ919ハイブリッドのあらゆる側面に大きな影響を与えている。高度で先進性溢れるエネルギー回生システムとドライブシステムは、2つの際立った特徴となっている。WECの画期的な2014年シーズンの新しいレギュレーションは、ポルシェのスペシャリストたちに大きな裁量を与えた。周回ごとに使用可能な燃料の量が、車の性能の主な制限要因になっている。このアプローチでは、エネルギー効率が主要な要因となる。一方、ハイブリッドシステムも、LMP1-Hカテゴリーから出場するワークスカーの必要条件となる。レギュレーションの制定者は、エンジンの気筒数と最大排気量の選択とともに、回生エネルギーの貯蔵のタイプと方法をメーカーの裁量に任せた。

    ポルシェ919ハイブリッドは24時間に4,500kmを超えるエネルギーを発生
    ル・マンにおいては、周回ごとにドライバーが使用できるブーストとして供給される電気エネルギーの総量は制限される。規定では、2〜8メガジュール(MJ)までのエネルギーレベルに応じて4つのカテゴリーに分かれている。ポルシェは、ポルシェ919ハイブリッドを6メガジュールのカテゴリーで登録した。つまりこのLMP1プロトタイプは、サルトサーキットの13,629kmのロングコースにおいて、厳密に1.67kWhのエネルギーを使用できるということになる。それは実質的にどういうことを表すのだろうか?

    2013年のル・マンの覇者は348周を走破した。同じ距離から算出すると、ニューポルシェ919ハイブリッドは581.2 kWhを発生し、使用する。それは、60Wの電球を9,687時間という莫大な時間点灯させる電力に相当する。言い換えると、LMP1ポルシェ プロトタイプがル・マンのレース中に回生するエネルギーによって、フォルクスワーゲンの新しいe-Golfなど、現在販売されているコンパクトクラスの最も効率的な電気自動車で、4,576kmを走行できることになる。それは米国の東海岸から西海岸、すなわちニューヨークからロサンゼルスまでを横断できる距離にあたる。

    熱エネルギー回生における新たなベンチマークを設定
    「フロントアクスルにおける制動時の運動エネルギーの回生は、ブレーキング時にダイナミックに前方に移動する軸荷重によって大きなポテンシャルを備えるので、これを利用するシステムが論理的な展開といえました。私達は、このソリューションの選択によってリアアクスルへのKERSの適用を諦めました。自然吸気エンジンから始めるとKERSが唯一の選択肢になります。しかしターボチャージャーを使用することによって他の選択肢が生じました。私達が、ターボチャージャーによって排気ガスからエネルギーを引き出すことを選択した理由はそこにあります」とアレクサンダー・ヒッツィンガーは説明する。

    極めて革新的な排気ガスによる熱エネルギー回生を備えた、新しいル・マン・プロトタイプの複雑なハイブリッドシステムは、WECにおいては唯一ポルシェが採用している。このシステムでは、基本的にいわゆるウェイストゲートバルブの代わりに追加のタービンジェネレーターユニットを使用している。このバルブは通常、コンプレッサーの駆動に必要のない、排気ガスによる余分なエネルギーを大気中に逃す。ポルシェは、排気ガスによるこの過剰なエネルギーを利用している。すなわち、このエネルギーが、電気エネルギーを発生するジェネレーターを駆動する2つめのタービンを動かす。この新しいテクノロジーは、他のシステムでは常に失われていたエネルギーを回生する。ポルシェ919ハイブリッドは、このような排気ガスからのエネルギーの使用により、同クラスの車両において唯一、制動時だけでなく加速時にもエネルギーを回生する車となっている。両方のシステムが、電気エネルギーに変換された運動エネルギーと熱エネルギーを、水冷式リチウムイオンバッテリーに戻す。

    走行性能はそのままに、燃料消費量を30%削減
    電気エネルギーの貯蔵方法においてもポルシェは自らの方針に基づく独自の手法をとった。それは効果が少なくても簡単に利用できるシステムを採用する代わりに、将来性のあるテクノロジー、この場合は水冷式リチウムイオンバッテリーを使用すること。

    「ポルシェのエンジニアとの協力で開発されたこのノウハウは、未来のハイブリッド車にメリットを与えます」とヒッツィンガーは強調する。ヒッツィンガーは、フライホイールによる貯蔵とウルトラキャパシターとも呼ばれるスーパーキャパシターの研究も行ったが、リチウムイオンバッテリーが最高の解決策であることを見つけ出した。「しかしあくまで、高出力密度に高度な貯蔵容量を提供するために適切なセルテクノロジーが利用できる場合に限られます」と彼は付け加えている。ポルシェはこれを達成するために、パートナーのA123システムズによるバッテリーセルに信頼を置いている。

    ポルシェがエンジンのために採用したアプローチも同様に他に類がない。2リッターの排気量と直噴を備えた新開発のV型4気筒ターボエンジンは、ポルシェにとっては異型のシステムで、ダウンサイジングの先駆的な例となる。4気筒エンジンは、低重量なコンパクトサイズと構造的剛性および高出力の理想的な組み合わせ。ポルシェが選択した6-MJカテゴリーでは500PSを超えるガソエンエンジンには、ル・マンの1周に対してわずか4.78リッターの燃料消費しか許可されない。回生システムがパワフルになるほど燃料の燃焼は減少することになる。走行性能は同じにもかかわらず、エネルギーの許容量は昨年より30%減少している。

    ル・マン挑戦のための最先端テクノロジーソリューション
    FIA世界耐久選手権(WEC)の今年のカレンダーには、8つのレースが含まれる。イギリスのシルバーストンと「アルデンヌのジェットコースター」スパ・フランコルシャンの2つの6時間レースの後、待望の第3戦は、シーズンのハイライトであると同時に比類のない挑戦となる伝説のル・マン24時間。13.629kmのサルトサーキットの大半(9km)は、普段は通勤車や重量物運搬車も通行する、わだちの残る地方道を閉鎖して走る。長いストレートもル・マンの特徴。LMP1のワークスカーは、昼夜を問わず周回ごとに320km/hを超えることが数回におよび、2ヶ所のシケインでは、市街地での走行速度まで減速しなければならない。しかも周回の約70%でエンジンはフルスロットル。

    急ブレーキと長く続くパワフルな加速。ポルシェはこの特別な条件に合わせて、運動および熱エネルギー回生システムを備えた、パートタイム4WDのポルシェ919ハイブリッドを開発した。精巧なバランスのエアロダイナミクスも、ル・マンにおいてポルシェ919ハイブリッドの優位性を保つ上で決定的な役割を果たす。結果、発生するダウンフォースは、「ポルシェカーブ」などの高速コーナーで抜群のスピードをもたらす。これに対して可能な限り空気抵抗を減らすることにより、ロングストレートでは最高速度に達することができる。

    フランスのサルト県で行われるル・マン24時間の後、WECは3ヶ月のインターバルをおいてから、ヨーロッパを離れる。スケジュールには、米国(オースティン、9月20日)、日本(富士、10月12日)、中国(上海、11月2日)、バーレーン(サヒール、11月15日)、ブラジル(サンパウロ、11月30日)の5つの6時間レースが含まれる。

  • ポルシェ、ル・マン24時間レースにおける特別なエピソード

    ポルシェ、ル・マン24時間レースにおける特別なエピソード

    ポルシェのワークスチームによる919ハイブリッドでのル・マン24時間レースへの復帰のカウントダウンは、6月14日、15日に向けてすでに始まっている。

    世界最高峰ともいえるモータースポーツイベントでの16回の総合優勝というポルシェの記録は、未だに破られていない。

    ル・マンではテクノロジーだけで勝敗が決まる訳ではない。今回ご紹介するエピソードが、この耐久レースで勝つことの難しさを物語っている。

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    ジャッキー・イクス
    (ポルシェでの総合優勝4回、合計6回優勝):
    「3時間経過した時点で、このレースでは勝てないと思いました。私の936はリタイヤし、ユルゲン・バルトとハーレイ・ヘイウッドに合流しました。しかし、彼らもまたトラブルを抱えており、私達は42位でした。今でも次に何が起こったかよくわかりません。陶酔状態だったのです。私は一晩中最高速で走行し、常に限界でした。雨が降り、霧も出ましたが、どんどん速さを増しました。42位、35位、28位、20位、9位、6位、5位。誰もが想像もできないことを達成できると感じていました。ユルゲンとハーレイは、それまで以上の速さでドライビングし、メカニック達は驚くような仕事をしました。私は全く疲れを感じませんでした。そして首位に立ったのです。日曜の朝には完全に消耗し切っていました。最後には、ユルゲンが5気筒になった936で何とかフィニッシュラインを通過しました。私だったらできなかったでしょう。数多くのレースに、多くのすばらしい物語があります。しかし、1977年は群を抜いています。あれは、一生に一度の出来事です。あのようなレースが、ポルシェを伝説にしたのです」

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    ハンス・ヘルマン
    (1970年にポルシェで総合優勝):
    「1969年、私はジャッキー・イクスと最後の1時間半、各周回で抜きつ抜かれつのデッドヒートを繰り広げた末、敗れました。1970年、フェルディナンド・ピエヒが、よりパワフルなエンジンで優勝を狙えるよう取り計らってくれました。髪の毛1本の差で負けた翌年に勝利できたのは、言うまでもなく格別な体験でした。そして、あれはポルシェにとっての初優勝であり、私にとっての最後のレースでもありました。私は妻に約束していたのです。彼女は、その1年か2年前から私に引退するよう強く求めていました。多くの友人を失っていたからです。私自身もわかっていました。ずっと幸運でいられるという理由は全くなく、いつか運が尽きる日が来るということを。1970年にこれらの条件が全て揃ったのは、非常に感動的でした。涙を流したかどうかは覚えていません。きっと涙を流していたでしょうね。感激屋ですから」

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    リチャード・アトウッド
    (1970年にポルシェで総合優勝):
    「私達は、奇妙な状況で勝ちました。2月、当時の開発担当役員だったヘルムート・ボットが、ル・マン24時間レース用にどんなクルマが欲しいか尋ねました。私は彼に3つのことを挙げました。まず5リッターエンジンではなく、4.5リッター12気筒エンジンが必要だと話しました。それは、5リッターエンジンは信頼性が劣ると考えていたからです。2つ目として、私は917の「Kurzheck」(ショートテール)バージョンが良いと言いました。ロングテールバージョンは、あまりにも安定性に欠けていたからです。3つ目として、ハンス・ヘルマンをパートナーにして欲しいという条件を出しました。彼は耐久レースを走り切るために、どのようにクルマと自分のペースを合わせなければならないかを知っていたからです。これら全てを得ましたが、予選結果は15位でした。その時点で、人生で最悪のミスをしたと思いました。5リッターエンジンに対して勝ち目はないと思ったのです。私達には競争力がなく、上位グループにトラブルが起こるようひたすら願うことしかできませんでした。そして見事にそうなり、私たちは優勝したのです」

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    ペーター・ファルク
    (ポルシェのレース監督として総合優勝7回):
    「1987年、ル・マンでいつも通り3台の投入を予定し、スペアカーとして4台目の962を製作しました。当時は、フランス入りする前に、ヴァイザッハでドライバーが全ての車両をテストドライブするのが普通でした。そのとき、ハンス=ヨアヒム・スタックが1台を修理不能なまでに損傷しました。よって私達は車両が3台しかない状態でル・マンに臨みました。ところがフリープラクティス中に、プライス・コブが重大なアクシデントに見舞われました。これにより、手持ちの車両は2台になってしまいました。そしてその2台でレースに臨んだのです。1時間もしないうちに、ヨッヘン・マスがピットに戻りました。エンジンが壊れてしまいました。多分ピストンに穴が開いたのだと思います。その結果、残り1台になってしまいました …。まだレースは23時間も残っているのに、シュトゥック/デレック・ベル/アル・ホルバート組の962だけが頼りでした。レースディレクターとしての私とチーム全体にとって、状況は非常に疲れるものでありながら、元気が出るものでもありました。1台のクルマしかなくて、どうなるのだろう?と思っていましが、結果は上々でした。私達は優勝したのです」

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    ノルベルト・ジンガー
    (プロジェクトのトップとして総合優勝9回):
    「表彰台を独占したのは、すばらしい瞬間でした。レースには慎重に臨みました。956は完全なニューマシンだったからです。レースは、毎回勝ちに行ける訳ではありませんし、動向を見守る必要があります。24時間を完走するのは容易ではありません。私達は非常に真剣に仕事に取り組んでいましたが、1982年の勝利は完璧で、少し驚きでもありました。その数年前には手痛いミスを犯していました。1979年、エルンスト・フールマンがまだポルシェに居て、私達エンジニアに『今年、ル・マンに出ると言ったらどう思う?ライバルなどいないも同然なのだが」と質問してきました。基本的に現地に行って、優勝を持ち帰るだけのようなものと思っていました。その結果どうなったか?1台も完走できなかったのです。ライバルがいないのに敗北を喫したのです。自分の足に躓くことがあるのです。それを経験していた分、あの優勝は私にとって非常に嬉しいものでした。そのときの956は、ミュージアムに直行しました。あの天井から吊り下げられているクルマですよ」

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    ジィズ・ヴァン・レネップ
    (ポルシェで1971年と1976年に総合優勝):
    「初めての総合優勝のことはもちろん忘れることができません。ヘルムート・マルコと私が、ポルシェ917 ショートテールを駆りました。超軽量のマグネシウムチューブラーが導入されていたことは後で知りました。チームは私達を不安にさせたくなかったのです。ル・マンは特別で刺激的なレースです。ル・マンの優勝を他に例えることはできません。それは優勝だけでなく、1971年の炎上の映像が記憶に残っています。今でも度々、そのときの映像がよみがえります。それは夜であり、ミュルサンヌストレートを350 km/h以上で飛ばしていました。そのとき炎が見え、燃料がサーキット上に流れていました。幸いなことに炎上した小排気量クラスの車はコースの脇にすでに停車していました。さらに運良く私にはそのとき戦う相手はなく、つまり他の車を追い抜く必要はありませんでした。イエローフラッグが見えて、歩くほどの速度で事故の脇を通り過ぎました」

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    マンフレッド・ヤンケ
    (1972年〜1991年のポルシェスポーツ監督およびPR部長):
    「サルトサーキットの周囲は概ね生活がゆったりとしており、そこに年1回世界最速の車が集います。スピードが全てを支配し、興奮、エンジン音、そして危険に包まれます。ドライバーは、この対照的な空気の中で同様の体験をしました。監督として、度々コーナーで、ドライバーに目を覚ますように注意を喚起しました。それは特別な瞬間で、大きな個人差がありました。肉体的に最強のドライバーは確実にヨッヘン・マスでした。彼は疲れを知らず、ほとんど睡眠を必要としませんでした。ジャッキー・イクスは、注意を促すと常にすぐに反応しました。しかし中には反応が鈍く、疲労による深い眠りからたたき起こさねばならないドライバーもいました。彼らは操作が必要となる前に、かろうじて意識を取り戻しました。しかし当時は、車のエンジン音が信じられないほど大きかったのです。天国から地獄に移されたような感じがしたに違いありません」

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    ルディ・リンス
    (1964年〜1971年にポルシェをドライブ):
    「ル・マンに3度出場し、記憶にもっとも残っているのは1970年です。ヘルムート・マルコと一緒にポルシェ908を駆り、プロトタイプとスポーツカークラスで優勝し、総合で3位に入りました。その夜は土砂降りの雨が何時間も降り続きました。経験したことがない人には、ル・マンのドライバーにとってそれが何を意味するのかを想像するのは難しいでしょう。追い越すには、まず水しぶきの中に飛び込む必要があります。視界が悪いので水しぶきの向こうに1台いるのか2台いるのか検討がつきません。ハンス・ヘルマンと同じタイミングでナイトセッションにドライブしていたとき、周りの状況がまったく見えませんでしたが、彼が周りにいてくれたことは検討がつきました。ヘルムート・マルコと私は、車がオープンだったということもあって、コーナーを出るとずぶ濡れでした。汗でなければ雨のせいでした。当時の私は弱冠25歳の若手でした」

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    ハンス=ヨアヒム・シュトゥック
    (ポルシェで1986年と1987年に総合優勝):
    「私にとってのル・マンでもっとも輝かしい瞬間は3分14秒8続きました。ポルシェ962 Cによるポールポジションは完璧なラップでした。現在、ミュルサンヌストレートはシケインが追加されて減速を余儀なくされているので、後世に残る記録となるでしょう。962はかつて乗ったマシンのなかで最高のレーシングカーでした。強大なパワーと信じがたいグラウンドエフェクトを備えていました。横Gが大きく、パワーステアリングは装備されていなかったため、クマ並みの力と相当な勇気が必要でした。962Cをレース前にドライブしたのはタイヤテストのためのたった1度だけでした。スタート、ダンロップカーブ、左、右、エセスを抜け、テルトルルージュで、トラクションの限界に挑みました。ミュルサンヌストレートで速度を上げるためにはコーナーが非常に重要で、思った通りに運びました。50秒で通過した後、360 km/hから減速してミュルサンヌコーナーを抜け、素早く全開で立ち上がりました。インディアナポリス、アルナージュ、ポルシェカーブ、メゾンブランシュ、フォードシケインで完了です。この3分間、私の集中力はナイフのように鋭敏になっていました。それがル・マンにおける私とポルシェでした」