カテゴリー: F1関連

  • ジル・ド・フェラン、インディカー参戦計画が危機

    ジル・ド・フェラン、インディカー参戦計画が危機

    ジル・ド・フェランが、自身のド・フェラン・モータースポーツで2010年にインディカーに参戦するという計画が暗礁に乗り上げている。

    アメリカン・ル・マン・シリーズ(ALMS)に参戦していたジル・ド・フェランは、今夏レーサーとして引退することを表明し、ALMSのプログラムを継続しつつ、新たにインディカー参戦して2台のマシンを走らせる意向を発表した。

    しかし、ホンダは最近、ド・フェラン・モータースポーツの財政状況を理由にALMSでのチームとのパートナーシップを終了したことを発表。

    またチームのリードドライバーであるサイモン・ペジノは、ライバルチームからの2010年のオファーを受け入れることを許されており、チームが閉鎖されたと噂されている。

    ジル・ド・フェラン自身は、チームはまだ作業を続けており、2010年のインディカー参戦プログラムに集中しているとの声明を発表しているが、2010年にインディカーに参戦するという計画も困難であるとみられている。

    「これを書いている時点で、私はド・フェラン・モータースポーツの将来を確保するために一所懸命働いているし、2010年にインディカー選手権に参戦するという計画はまだ生きている」

    「2010年の目標に向けて作業を行うと同時に、現在もスタッフの雇用を続けている。しかし、まだこれ以上の発表をする状況ではない。スタッフは状況を完全に知らされており、現在の状況は昨日彼らに伝えられた」

    「私は2010年プログラムを作業を続けているし、計画がまとまったら詳しい情報を発表するつもりだ」

    ジル・ド・フェランは、2005年から2007年までB・A・Rホンダのスポーティングディレクターを務めており、2010年のインディカー参戦のドライバー候補として佐藤琢磨と交渉していることを明らかにしていた。

    関連:ジル・ド・フェラン、インディカーチーム設立を発表 – 2009年8月10日

  • 青山博一:インタビュー (MotoGP)

    青山博一:インタビュー (MotoGP)

    MotoGP 250クラスワールドチャンピオンを獲得し、トヨタのF1撤退をはじめ暗いニュースが続いた日本のモータスポーツ界に明るいニュースを届けてくれた青山博。2009年を振り返るとともに、MotoGPにステップアップする2010年の意気込みを語った。

    MotoGP250クラスワールドチャンピオン達成、おめでとうございます。
    ありがとうございます。まだ実感は沸きませんが、夢を叶えられて本当に嬉しいです。今までこだわって250に残ってきた甲斐があったなと思いますね。去年、一昨年とうまくいかなくて悔しいシーズンを送っていたので、今年250最後の年にこういう形でチャンピオンを取れて本当に嬉しいです。特にこの250最後のシーズンと言うのはデカいですね。

    250クラスで世界チャンピオンを取ってからMoto GPクラスに行きたいという強い夢と信念を持っていましたよね。そのこだわりはどこから来ていたのですが?
    そうですね、MotoGPクラス参戦に関しては、カワサキ、デュカティやヤマハなど、色んなチームからの話はあり、いつでも行けるチャンスはあったんですけど、やっぱり自分としては、けじめとして250でチャンピオンを取ってから行きたいというはっきりとした目標があったので、今までそういうオファーを断ってきていました。やっぱりひとつのカテゴリーを極められないといくら違うカテゴリーに行っても同じようなパターンになってしまうと思うんです。ひとつのクラスでチャンピオンを取ることによって自分の中にもリズムというかスタイルというか、何かひとつの形が出来ると思っていたんですよね。それが250だったら出来ると思ったし、今まで日本でも250を乗ってきて経験もあったし、やっぱり世界の舞台で僕のパフォーマンスを見せてチャンピオン取りたいというのはありましたね。

    今シーズンは、Scotチームからの初参戦ながら、2戦目の母国日本GPで2位、3戦目のスペインで優勝して良い形でシーズンが進み、途中から年間チャンピオン「行けるかもしれない」というプレッシャーが出てきたと思うんですが、その辺はどういう感じで乗り切ったのですか?
    そうですね、今年のシーズン初めは、たぶん誰も僕たちがチャンピオン争いをするなんて期待していなかっただろうし、僕たち自身もそういう体制ではないと思っていたし、厳しいだろうと思っていたので、僕もチームも驚きました。その中で、シーズンはじめにシングルフィニッシュしていったときの周りの反応、リアクションはやはりすごい大きなものがあったんですよ。それからシーズン中盤ぐらいからチャンピオンシップのリーダーにもなったし、「もしかしたらチャンピオン取れるかもしれない」という風になっていきました。シーズンの初めは4位とは5位でも周りはすごいと言ってくれて(青山選手はホンダの開発の止まった2年落ちのマシンでシーズンを戦っていた)、今度は逆にシーズン終盤になったら4位とか5位だと結果がよくないとか、流れがよくないと言われてしまって。ある意味いいことなんですけどね(笑)それだけ周りが期待してくれたという、シーズン初めとシーズン終わりでまったく違う立場になったし、まったく違う精神状態になっていたと思います。

    その精神状態というのはどんな感じだったのですか?
    今までずっと追う立場だったのが、シーズン半ばと終わりにかけては追われる立場で、特にシーズン最後ですね。最後の残り3戦はチャンピオンを自力で取れるポイント差もあったし、それだけにやっぱりここで勝てば決められるとか、そういう欲ではないんですが、いつもと違うプレッシャーがありました。

    プレッシャーを乗り越えて優勝を達成したわけですけど、その達成できた自分に対する想いやチームに対する想いとはどんなものですか?ほんと今シーズンは厳しくて難しいシーズンだったし、決して簡単なシーズンではなかったんですね。でもいつもチームは、スタッフが夜遅くまでバイクを仕上げてくれて、いつもぼくのバイクは良いコンディションだったし、アプリリアと互角に戦えたし、やっぱりそういうところで僕はチームから力をもらったし、それがエキストラモチベーションになって今のこの結果に到達できたんだと思います。

    本当に簡単なシーズンではなかったと思いますが、一番印象に残る出来事や、レースはありますか?
    一番印象に残っているのは最後のレース(最終戦バレンシア)です。シーズン中では、初めからいい流れできて、中盤まで行って、最後ここぞと決めたいところで、ライバルであるシモンチェリがすごく連勝してきて、僕が逆にいい流れに乗れなくて、、オーストラリアのフィリップアイランドサーキットで、僕はすごく勝ちたかったんですね。でもそのレースで彼が勝って、僕が7位だったんですよ。やっぱりそこが今シーズン一番のターニングポイントというか、一番落ち込んだところですね。一番良くなかったところだし、でもその次のレースでもうひとつのターニングポイントが来て、マレーシアで僕が勝って彼が3位で、そこで21点差というポイント差を作って最終戦に乗り込めたので、そのオーストラリアのレースとマレーシアのレースというのが今シーズン大きなポイントになったと思います。

    シーズンの途中でインタビューをしたときは、「ライバルはバウティスタ」と答えていたと思いますが、後半戦はシモンチェリに変わっていきましたね。シモンチェリに対してはどんな印象を持っていますか?
    彼は去年シーズンの250クラスチャンピオンだし、彼が速いのは誰もが知っているし、いつもいいパフォーマンスを出しています。彼が完璧なコンディションの時はそう簡単に勝たせてもらえないですから。彼もチャンピオンというプライドもあっただろうし、他のライダーが出してないくらいの気迫を出していましたね。

    最終戦(バレンシア)のレースもスタートから、青山選手はシモンチェリも含めて3台ぐらいでトップを競っていて、見ているほうからもやきもきしたんですが(笑)
    僕はこの最終戦11位で、5ポイント取れば(たとえシモンチェリが優勝しても)チャンピオンが取れるというレースだったんですけれど、僕の中では11位でゴールしようというのはさらさらなくて、優勝目指して走っていました。それが故にちょっとリスクを犯しすぎて、危うく転倒しそうになってコースアウトしたんですけど、僕の中ではそれぐらいのリスクを負ってでも勝ちに行きたかったんですよね。

    グラベル(コース外の砂利部分)に出てしまったときの心境、ガタガタするバイクを支えていたときはどんな気持ちだったんですか?
    やってしまったというか、絶対転べないと思って。一度グラベルに出てポジションを落とすことは明らかだったんですけど、絶対転ばずにコース復帰しようと思って、何とかバイクを押さえこみました。コースに戻ってその後順位を見たら11位だったんですよ。それもちょっとびっくりだったんですけど、その後も11位では不安だったのでペース上げていって7位まで挽回して、最後の最後は結局ショモンチェリも転倒して、ここで確定だったんですけど、最後までレースって何があるかわからないんだなっていうのを改めて思い知らされました。

    最終戦にしてものすごい危機を乗り越えたわけですが、シーズンを振り返るともっと辛かったこと、どうなってしまうだろうと思ったことなどはありますか?
    僕の中ではどのレースも同じように厳しかったし、でも最後の3戦は精神戦だったと思います。僕は逆にポイントというアドバンテージを持っていたのでそれを精神戦でも有利に生かしました。相手(シモンチェリ)はもう行くしかない、リスクを犯すしかないですからね。僕もリスクは犯さないといけないですが、でも必要以上に犯さなくてもいいというのがあったので。まあ最後ちょっとリスクを負いすぎちゃいましたけどね(笑)。その辺がシモンチェリが転んだ要因でもあると思います。彼は僕のポジションが11位に下がるのを見て、気負いすぎたんだと思うんですよね。彼の中では僕が12位になって彼が優勝すればチャンピオンになれるのが分かっていたので、プッシュしすぎたんでしょう。そこが僕と彼の間に21ポイント差あったというアドバンテージなんだと思います。僕は逆に11位でコースに戻ったときにここで二つ目のミスをしなかったら良いんだと思えましたから。一応不安だったんで、7位まで挽回しましたけど、ピットからはポジション7でオッケーというサインが出ていましたし、余裕を持ってレースを終えられた。逆に相手側はまったく余裕がない、ギリギリまで攻めなくてはならない、僕は最後の精神戦でポイントを有利に使えたんです。

    ポイントと精神戦をうまく制して7位という形でゴールして、喜びが爆発しましたよね。ゴールしたときの瞬間はどんな心境でしたか?
    ありえないと思いましたね!!!僕が小さい頃、テレビを通して世界グランプリを見ていた頃は、そのときの偉大な先輩たち、岡田忠之選手とか加藤大治郎選手とか、往年のライダーの方々がテレビの中で活躍していたんですね。それを見て憧れていた僕が、今はそのテレビの中で走っていて、しかも僕がチャンピオンを取ったというのはありえないと思いましたね(笑)まだ実感はないですけど、嬉しかったです。僕の中では最終戦にチャンピオン争いをしているポジションでグリッドにつけただけで、本当に泣けるぐらい嬉しかったんです。今日、この日に目標としていたチャンピオン争いの可能性を持ってこのレースに挑めるということが本当にすごく嬉しかったんです。

    いつも冷静なイメージがある青山選手ですが、ゴールした瞬間にバイクにまたがったまま立って喜びを最大限に表現していましたね。周りの人たちの喜びもすごかったのでは?
    そうですね、現場で生のシーンを見ている方々はもちろんのこと、そうじゃなくても日本や他の国でテレビを見て応援してくれている方々もやっぱり喜んでくれたと思います。僕はここまで来るのに相当長い時間を費やしてきたし、その長い間に、ものすごく多くの人たちに会ってお世話になってきて、その人たちのおかげで今ここにいられるし、恩返しという意味でもチャンピオンを取れたということがものすごく嬉しかった。

    今、日本のモータースポーツ界は、たとえばF1でのトヨタ、ブリジストンの撤退など、あまり良くないニュースが多いですが、そういう最中でMotoGPの250クラスのチャンピオンになりましたね。今の日本のモータースポーツ界に対する思いと、その中で自分が出来るようなことなどはどういう風に考えていますか?
    今シーズンが始まる前に、僕の気持ちの中で思っていたのは、今の世の中、全体として元気がないじゃないですか、なので僕は一度失ったシートをまた与えてもらって、この得たチャンスを生かして、やっぱり応援してくれている人たちに少しでもいいニュースというか、いいエナジーを送りたいと考えていました。いつも応援してもらっているエナジーを返すというか、元気が出るニュースを日本に送りたいなと思っていたんですね。そういう気持ちで今シーズンに挑みました。

    このシーズンをステップにして来年はMoto GPクラス参戦となるわけですが、新しいチーム、新しいクラス、青山選手自身の展望はいかがですか?
    今日はじめてMoto GPのバイクでテストしたんですけど(インタビューは最終戦レース翌日)、まだバイクのフィーリングっていうのが掴めてないんですね。Moto GPのバイクは250と違ってカーボンブレーキという違う素材のブレーキを使っていて、そのブレーキの特性がまったく違うので、今はそのフィーリングがまったく掴めていません。もう少しバイクのフィーリングが掴めてきたら、僕の中でのクリアな目標点が見えてくると思います。

    来年になったら新しいチームの新しいマシン(テストはScotのチームのMoto GPクラスのマシンを使用)でレースが始まりますが、来年の目標、また来年以降の青山選手のキャリアの目標であったりを、今はどう考えていますか?
    今現在は、正直なところあんまり先々のことまで考えられていないですね。昨日まで本当にチャンピオン取ることだけを目標に、それだけを考えてやってきたので。今はとりあえずこの大事なチャンスをもらって、新しいバイクに乗って感覚をつかみたいというのが第一の気持ちで、その後先の展開というのはまだ自分の中で描けてないです。もう少し時間がたって落ち着いたら見えてくるんだと思います。

    今回の青山選手の活躍で新しくファンになったような人たちもいると思います。今までのファン、これからのファンに、メッセージを願いします。
    Moto GPクラスにステップアップするって言うのは僕の中で目標であり、夢だったんですね。その前に250のチャンピオンを取るというのがまたひとつの目標であり、夢だったんです。昨日その夢がひとつ叶って、今日は二つ目のMoto GPにステップアップするという目標をスタートすることが出来て、僕にとって本当にポジティブなステップを踏んでいます。もちろんMoto GPカテゴリーというのは世界最高峰のクラスで、バレンティーノ・ロッシや、ダニー・ペドロサという世界超一流のライダーが走っていて、そのライダー達と戦わなければいけないわけです。そう考えると、そう簡単にいい結果を残させてもらえないと思いますが、そういう有力な選手たちに絡んでいけるように僕も僕自身の実力をその中で磨いていって、彼らと競り合って行きたいと思っています。そういう気持ちでいるので、今後もどんどん皆さんには応援してもらいたいですね。まだまだな自分ですけが、今後も応援よろしくお願いします。

    関連:青山博一、MotoGP 250ccクラスのチャンピオン獲得! – 2009年11月8日

  • F1合同新車発表会は中止

    F1合同新車発表会は中止

    全F1チームが2010年のF1マシンを合同で発表するという計画は、結局中止となった。

    FOTAは、コスト削減のために2010年マシンの発表を合同で行なうことに同意。バレンシアでのシーズン初の合同テストの直前にサーキット近くの会場で合同発表会が開催される予定だった。

    合同発表会の予算は200万ユーロ程度とみられ、13チームで均等に分ければ1チームあたりのコストは15万ユーロ程度で済む予定だった。

    しかし、小規模チームが注目を得られないと懸念しているとの噂があり、ドイツの“Auto Motor und Sport”は、合同発表会がキャンセルされたのは物流的な理由もあるとしている。

    同誌は、新チームのロータス、USF1、ヴァージン、カンポスなどは、2010年マシンを発表する用意ができないかもしれないという事実が問題だとしている。

    各チームは個別に新車発表会を行うことになるが、控え目で低コストになるとしている。

  • F1合同新車発表会の計画に暗雲

    F1合同新車発表会の計画に暗雲

    F1チームによる2010年の合同新車発表会の計画が、中止の危機にさらされているという。

    F1チームは、今月味目にバレンシアで2010年のF1マシンの合同発表会を開催することに合意した。

    F1合同新車発表会は、各チームの発表会のコストを抑えるだけでなく、ファンがF1により近付けるチャンスでもある。

    チームは新車発表会のアイデアに大方で参戦していたが、イベントの詳細に関して合意に達することが困難になっているという。

    合同発表会によって、小さなチームのいくつかは地元の英雄フェルナンド・アロンソのフェラーリやルイス・ハミルトンとジェンソン・バトンというワールドチャンピオンコンビが揃うマクラーレンの陰に隠れて露出機会が小さくなる恐れがある。

    それらの問題を解決するために合同発表会への取り組みは続けれられているが、ここ数日で大きな進展がない場合はイベントは中止になるかもしれない。

    その場合は、各チームが独自に新車発表会を行うことになり、2月のバレンシアでのテスト開始にあわせて、1月後半に行われうとみられている。

  • 片山右京さん無事保護、残りの2名は捜索続行

    片山右京さん無事保護、残りの2名は捜索続行

    富士山で遭難していた片山右京さんが、自力で2合目付近まで下山してきたところを県警に保護された。一緒に登山をしていた2名については捜索を続けている。

    片山右京さんは18日未明、富士山6号目付近で遭難。「1人死亡、1人重傷のようだ」と連絡をいれていた。

    静岡県警は、ヘリコプターを出動させるなどして捜索を行っていたが、2合目付近で自力で下山していた片山右京さんを保護した。

    片山右京さんは、南極大陸最高峰のビンソンマシフに挑戦するため事務所の男性社員2名とともに富士山でトレーニングしていた。

  • 片山右京、富士山で遭難か

    片山右京、富士山で遭難か

    元F1ドライバーの片山右京ら3名が、富士山を登山中に遭難したことが明らかになった。現在、静岡県警がヘリコプターを出動させて捜索にあたっている。

    片山右京自身が「テントを飛ばされた」と事務所に電話で連絡。現場は富士山6〜9合目といい死傷者が出ているとの報道もある。

    ほか2名の男性は片山右京の事務所の従業員だとされ、同事務所は近く海外に行くためのトレーニングとして富士山に登ったと説明しているという。

    片山右京は、19992年にラルースから日本人3人目のF1ドライバーとしてF1デビュー。その恐いもの知らずの走りから「カミカゼ・ウキョウ」と呼ばれ活躍した。F1引退後は、レース活動とともに、登山家としても活動している。

  • F1、新ポイントシステムを提案

    F1、新ポイントシステムを提案

    F1委員会は、新たなポイントシステムを提案。世界モータースポーツ評議会の承認が得られれば、2010年からF1に新たなポイントシステムが導入される。

    本日、バーニー・エクレストンが議長を務め、FIA会長のジャン・トッドも出席したF1委員会で新たなポイントシステムが話し合われた。

    新ポイントシステムは、レース優勝者に25ポイント、2位に20ポイント、3位に15ポイント、4位に10ポイント、5位以降に8-6-5-3-2-1ポイントが与えられるというもの。

    ポイントシステムの変更は、2010年から新規F1チームが参入してグリッド上のマシンが26台になることを考慮してのもの。26台は、1995年以来最多の台数となる。

    仮に新ポイントシステムが世界モータースポーツ評議会で承認されれば、2003年に上位6台から上位8台へポイントを与えるようになって以来の改訂となる。

  • 全F1チーム、合同新車発表会の開催に合意

    全F1チーム、合同新車発表会の開催に合意

    全F1チームは、来年1月に合同で2010年マシンの発表会を行うことに同意した。

    スペインのメディアは、大部分のチームが、コスト削減の移管として1月30日にバレンシアの芸術・科学都市複合施設「Ciudad de las Artes y de las Ciencias 」で新車合同発表会を行うことに賛同していると報じていた。

    しかし、モナコで開催されたモータースポーツ・ビジネス・フォーラムを終え、AP通信とロイターは、全F1チームが参加することに合意したと報じた。

    「全てのチーム間で合同発表会を行うことで合意している」とメルセデスGPのニック・フライCEOはコメント。

    発表会に関しては、木曜日の午後にモナコでさらに議論されたとみられている。

    ロータスのトニー・フェルナンデスは、このアイデアに賛同はしているが、ロータスは1月後半までに新車を発表する準備はできないだろうと語る。

    「その時にクルマはないだろう。マッチ箱のクルマで参加するかもしれないね」

  • F1-Live.comがESPN F1へとリニューアル

    F1-Live.comがESPN F1へとリニューアル

    F1-Live.comが、ESPN F1へと新しく生まれ変わった。

    昨年8月、ESPNは、F1-Live.comを運営するRACING-LIVE社、およびその子会社であるRACING-LIVE JapanとCAPSIS Internationalを買収。幅広いニュースコンテンツをより豊富に提供を目指し、新技術、新組織で運営するとしていた。

    ESPN F1は、F1-Live.comの要素を継続しつつ、新たなサービスを提供するとしている。

    1997年に開始したF1-Live.comは、日本語を含む7カ国語でF1ニュースを配信。2000年に主要なヨーロッパの自動車スポーツを報道するRacing-Live.comの一部となっていた。

  • 2010年F1マシン、1月30日にバレンシアで合同発表か

    2010年F1マシン、1月30日にバレンシアで合同発表か

    大部分のF1チームが、2010年のF1マシンの発表を1月30日にバレンシアで合同で行う予定であることが明らかにした。

    コスト削減対策して合同新車発表会は2009年シーズン中から議論されており、いくつかのチームがこの案を支持しているという。

    スペインのメディアによると大部分のチームがイベントへの参加意思を示しており、会場は最新の複合施設でシウダード デ ラス シエンシアスになるとしている。

    先週、セバシチャン・ブエミが、新車が1月30日にバレンシアで披露されると話しており、この合同発表会をほのめかしている。

    2010年初めての合同テストは、その2日後にバレンジアサーキットで開始される。