カテゴリー: F1関連

  • 佐藤万璃音、ユーロノヴァからF4選手権に参戦

    佐藤万璃音、ユーロノヴァからF4選手権に参戦

    佐藤万璃音が、ユーロ・ノヴァからF4選手権に参戦することが決定した。

    神奈川県出身の佐藤万璃音(さとうまりの)15歳。これまでカートでキャリアを積んできた佐藤万璃音は、ヴェネズエラ出身で同じ1999年生まれのマウリシオ・バイスとユーロノヴァでチームを組み、シングルシーターにステップアップを果たす。

    佐藤万璃音
    「初シーズンをユーロノヴァと契約することができ、とても興奮しています。彼らはシングルシーターでうまくやってきた歴史のある良いチームですし、彼らはドライバーが学び、成長するのを助けてくれます。今年、テストはうまくいっちえるので、初レースを楽しみにしています」

    ヴィンセンツォ・ソスピリ
    「我々のF4チームのために速い若手ドライバーのペアと契約できて嬉しく思う。昨年末、彼らと何度かテストをして、先週末はヴァッレルンガ、ミサノで再び再開させた。彼らは二人とも急な学習曲線になるが、すでに非常に素早い適応を示しており、私のチーム、そしてエンジニアの経験から利益を得ることができるだろう。彼らは二人とも若く、速い。今シーズン、お互いを激しくプッシュしていくと思う」

  • 長渕蓮、レーサーを引退してミュージシャンへ

    長渕蓮、レーサーを引退してミュージシャンへ

    長渕蓮が、レーサーを引退し、ミュージシャンとして活動していくことを発表した。

    長渕剛の次男・長渕蓮は、2012年にフォーミュラ・ピロータ・チャイナに参戦。「やっぱり(F1に)乗りたいです。理想のレーサーはフェルナンド・アロンソです」と述べていた。

    2013年からFormula Toyota RacingからF4に参戦していたが、2014年の6月に開催された86/BRZレースでクラッシュ。その後のレースを欠場していた。

    長渕蓮は、自身のTwitterでレース活動を引退し、ミュージシャンとして活動していくことを発表した。

    長渕蓮
    いつも、長渕蓮を応援してくれる皆様へ

    今日はご報告があります。

    今まで必死に続けてきたレース活動ですが、去年7月の事故により、腰椎損傷が思った以上に深く、それ以降、レースに出場することが出来なくなってしまいました。

    治療もありとあらゆることを試みました。レーシングチームの人より福岡にドライバーの身体を専門に診ているという先生を紹介してもらい福岡にまで脚を伸ばして治療にあたりました。未だに治療は続けている状況です。

    が、フォーミュラカーのシートに身を埋め、時速250キロで長時間走り切ること、身体にのしかかる遠心力に耐えること、それら基本的に耐えられる身体に回復しないことを否応なしに感じています。

    その現実が襲いかかってきたのが昨年7月の豪雨の中のクラッシュです。

    トヨタ若手育成チームに選抜されながら自分の方向性とは真逆な現実を突き付けられました。

    悔し涙に明け暮れた半年間でした。

    正直、僕は車の世界だけを見つめていたからです。しかしそこから自問自答を繰り返す日々が始まりました。

    自問自答を繰り返すことによって自分の苦悩と対話し自分の感じた苦しみや悲しみ、喜び、そんな多くの言葉をノートに書き綴っていました。

    僕はかつて7歳からギターを習い始め、カートの時代もフォーミュラの時にも、傍らにはギターがありました。イギリスに渡った時もでした。小さいころから傍らにあったギターをもう一度手にとり、それらを歌にする毎日を送ってました。

    詩が、メロディが僕の痛んだ傷口を和らげてくれました。それは自分でも不思議な感覚でした。落ちていた心が少しずつですが歌うことによってほんとに少しずつですが前向きになっていくのがわかりました。

    僕は昨年から本格的な歌を作り始めました。子供の頃からギターが傍らにあったことに感謝しています。

    そして、僕は、モータースポーツから離れ、ギターを手に音楽に集中しようと決めました。

    まだまだ稚拙ではあるけれどこの思いは揺るぎないものへと変わりつつあります。

    車以上に、いばらの道であることはわかっています。

    皆さんにこの報告は突然なことでただただ驚愕な思いだと思います。

    しかし身体を壊してしまったこと、このような形でレース活動を終えてしまったことに僕に後悔はありません。

    むしろここまで来られたことに感謝しています。

    僕は本当にたくさんの方に支えられていて、感謝の気持ちで一杯です。

    これからは、僕を支えてきてくれた皆様に別の形で恩返しが出来るように、今までと変わらず応援をしてもらえるよう努力していきます。

    今まで応援して下さった皆様、本当にありがとうございました。そしてこれからも長渕蓮をどうぞ見守ってください。

  • カタール、2016年のF1開催契約まであとわずか

    カタール、2016年のF1開催契約まであとわずか

    カタールが、2016年からのF1レース開催に近づいているようだ。

    中東ではすでにバーレーンとアブダビでF1が開催されている。しかし、カタールの国内統括組織の責任者で、2013年以降FIAの中東F1副会長であるナーセル・ビン・ハリーファ・アル・アティーヤは、契約締結が間近まできていると語る。

    アル・アティーヤは「我々はF1レースを開催する契約に署名しようとしているところだ」と AFP通信 に語った。

    「全てのステップを完了し、正式にサインまでにいくつかの詳細を詰めるだけだ」

    アル・アティーヤは、早ければ2016年にレースが開催される予定だと述べたが、MotoGPの会場であり、あれがゼネラル・マネ―ジャーを務めるルサイルなのか、もしくは首都ドーハの新しい市街地コースで開催されるのかは不明である。

    カタールは、2022年にFIFAワールドカップ、2019年にIAAF世界陸上競技選手権大会を開催することが決まっている。

  • 脇阪寿一、Twitterの公式マークを断られる

    脇阪寿一、Twitterの公式マークを断られる

    脇阪寿一が、“F1ドライバーのガイドラインしかない”との理由でTwitterの公式アカウントとしての登録を断られたことを自身のブログで明かした。

    「僕のTwitterは公式アカウントでなく、僕個人のアカウントなのね」と脇阪寿一は語り始めた。

    「ある人から教えてもらって寿一も公式アカウントに登録してもらえばよいのに!って」

    「例えばトレーニングの仲間、野村忠宏選手。アカウント @ の後ろに青色のマークついてるやろ。これが公認マークらしい」

    そこで、脇阪寿一は、マネジメントを依頼している吉本興業Twitterに問い合わせてもらったという。

    しかし、Twitterからの答えは「リクエストいただいた、脇阪寿一さんの認証の件ですが、レーサーとなるとF1パイロットのガイドラインしか存在せず、ガイドラインに日本のレーサーが存在しておりません」だったとのこと。

    「一瞬、Twitterやめたろか!!って腹が立ちましたが…思い直しまして…これが今の現実です。真摯に受け止め、自分を高めるしかありません」

    「日本のレーシングドライバーの皆さん、F1以外は認めないらしいです。これが現実です。業界を盛り上げられるように頑張るよ!!」

    ちなみに昨年までF1を戦った小林可夢偉は公式アカウントとして承認されている。

  • ルカ・ディ・モンテゼーモロ、ローマに2024年のオリンピックを誘致?

    ルカ・ディ・モンテゼーモロ、ローマに2024年のオリンピックを誘致?

    長年フェラーリの会長を務めたルカ・ディ・モンテゼーモロの次のプロジェクトは、ローマに2014年の夏季オリンピックを誘致することになるかもしれない。

    AP通信 と La Repubblica は、現在アリタリア航空の最高責任者を務めるルカ・ディ・モンテゼーモロのオリンピック誘致における役割がまもなく発表される可能性が高いと報道。

    国際オリンピック委員会(IOC)のマリオ・ペスカンテは「選定は私の仕事ではないが、彼の国際的なスポーツおよびビジネスにおける経験により、彼は適任だと言わなければならない」と AP通信 に述べた。

    AP通信 によると、ルカ・ディ・モンテゼーモロは、1990年のFIFAワールドカップのイタリア開催の組織委員会を率いていたことも報じている。

  • フォード、新型GTを世界初披露

    フォード、新型GTを世界初披露

    フォードは、新型スーパーカー『GT』を米国ミシガン州デトロイトで開催中の2015年北米国際自動車ショーにて世界初披露した。

    新型フォードGTは、フォードが新たに立ち上げた高性能車開発部門“フォード・パフォーマンス・ビークルズ”が手がけたスモデル。フォード・パフォーマンス・ビークルズは2020年までに12車種以上のハイパフォーマンスモデルの開発を計画しており、新型フォードGTはそのうちの1台となる。

    2006年の生産終了以来、9年ぶりに復活を果たした新型フォードGTは、環境性能に配慮したスーパーカーとして登場した。

    パワートレインにはフォードの環境エンジン“エコブースト”を搭載。ミッドシップに配置された新開発の3.5リッター V型6気筒ガソリンエンジンを2個のターボで過給する。最大出力は600馬力以上。トランスミッションは、7速デュアルクラッチとなり、トランスアクスルレイアウトを採用される。ボディには、アルミやカーボンファイバーを使用する。

    新型フォードGTは、1966年のルマン24時間レース優勝から50周年を記念して2016年後半に生産を開始し、世界の一部市場で発売される。

    新型フォードGT Ford GT GT NEW Ford GT

  • ジャン・ピエール・ベルトワーズ、77歳で死去

    ジャン・ピエール・ベルトワーズ、77歳で死去

    元F1ドライバーでF1モナコGPのウィナーであるジャン・ピエール・ベルトワーズが脳卒中を患った後に77歳で亡くなった。

    フランス出身のジャン・ピエール・ベルトワーズは、2輪レーサーとして成功を収めた26歳のときに4輪レースに転向。一年後の1964年にスポーツカーレースでのクラッシュで手足を16箇所骨折し、以降は左腕の動きが制限されてしまう。

    それでも、1965年にF3でタイトルを獲得。F2参戦を経て、1966年のF1モナコGPに参戦。翌年1967年にマトラから正式にF1デビューを果たした。

    1972年にはBRMへ移籍し、大雨のコンディションになったF1モナコGPでキャリア唯一の優勝を成し遂げた。

    1974年末でF1での活動を終えたジャン・ピエール・ベルトワーズは、その後スポーツカーやツーリングカー、ラリークロスなどの競技に参戦した。

    ジャン・ピエール・ベルトワーズは、ダカールにある別荘で息を引き取った。

    Jean Pierre Beltoise

  • バロテッリ、モウリーニョ監督との会議をすっぽかしてF1観戦

    バロテッリ、モウリーニョ監督との会議をすっぽかしてF1観戦

    チェルシーのジョゼ・モウリーニョ監督が、インテル時代の教え子マリオ・バロテッリのエピソードを明かした。

    これまで数々のスター選手を束ねれきたモウリーニョ監督だが、2008〜2010年にインテルで指導した“悪童”バロテッリには手を焼いた。

    モウリーニョ監督 は、BT Sport に、インテル時代にバロテッリとミーティングの約束をしていたにも関わらず、思わず拍子抜けしてしまうような理由ですっぽかされたと明かした。

    「我々にはおかしな問題があった。それで、私は彼にミーティングのために午後2時にオフィスに来るように言った。だが、私が彼に電話した時、彼はすでに日曜日に開催されるF1レースの予選に向けて出発していたよ」とモウリーニョ監督はコメント。

    「彼はこう言った。『あなたのオフィスでの会議はいつでもできる。でも、イタリアでF1を観戦できるのは1年で1度だけだ』とね。数日経ち、私は笑うしかなかった」

  • ROCネイションズカップ、クリステンセン&ソルベルグ組が優勝

    ROCネイションズカップ、クリステンセン&ソルベルグ組が優勝

    レース・オブ・チャンピオンズ(ROC)のネイションズカップが13日(土)にカリブ海のバルバドスで開催され、トム・クリステンセンとペター・ソルベルグがペアを組むチーム・ノルディックが優勝した。

    決勝では、チーム・ノルディックとスージー・ヴォルフ(ウィリアムズ開発ドライバー)とデビッド・クルサードのチーム・スコットランドが対決した。

    ロータスのロマン・グロージャンとロータスの育成ドライバーのエステバン・オコンが組むチーム・フランスは準決勝で敗れた。

    過去6大会では、セバスチャン・ベッテルとミハエル・シューマッハのチーム・ドイツが6連覇を果たしてきたが、今年は残念ながら出場できず、久しぶりにドイツ以外のチームが国別対抗戦を制した。

  • スパイカーが経営破綻

    スパイカーが経営破綻

    過去にF1に参戦していたことでも知られるオランダの高級スポーツカーメーカー『スパイカー』が経営破綻した。

    スパイカーは2日(火)、「オランダの地方裁判所に、破産法の適用を申請した」と発表。

    スパイカーは、2010年にスウェーデンの自動車メーカー『サーブ』を買収して話題となった。

    しかし、その後は経営不振に陥り、2012年12月に中国のヤングマン(浙江青年蓮花汽車集団)からの出資を受けた。最近では、新型スポーツカーの『B6ヴェナトール』の量産化を目指していた。

    スパイカーのビクター・ミューラーCEOは、「この数年間、スパイカーは困難な状況に直面してきた。そして、取締役会で慎重に議論を重ねた結果、破産法の適用申請を決断した」と述べた。

    スパイカーは、2006年シーズン途中にMF1レーシングを買収してF1参戦。2007年には第11戦から山本左近がレースドライバーを務めた。同年末にフォース・インディアにチームを売却した。