カテゴリー: F1関連

  • メッシ、ダカールラリー2016のスタート地点でキャラバンに挨拶

    メッシ、ダカールラリー2016のスタート地点でキャラバンに挨拶

    ダカールラリーのディレクターを務めるエティエンヌ・ラヴィーンは、FCバルセロナのリオネル・メッシがアルゼンチンからのスタート地点でダカール2016のキャラバンに挨拶を行うと記者会見で述べた。

    「1月2日、我々はメッシの面前でブエノス・アイレスからロザリオにある参加者達の最初のキャンプ地(サンタフェ州)に向けて出発する。私は昨夜、リオネル・メッシと話し、キャラバンに挨拶を行うために我々と共にいる事を約束した」とエティエンヌ・ラヴィーンは述べた。

    「メッシがダカールのような、この種の競技が好きだと知ることができて嬉しく思う」

    ダカールラリー2016は、天候条件によるペルーが開催辞退。ブエノスアイレスで行われたダカールラリー2016の新たなコースのプレゼンテーション後、エティエンヌ・ラヴィーンは、コース変更に関して次のように述べた。

    「ダカール2016は困難と冒険の面でこれまで通りのクオリティーレベルを提供する。コースは我々のイベントのヒーローである参加者達のレベルにふさわしいものになるだろう。そして、彼らは混乱の間も我々を見捨てる事はなかった」

  • 筑波サーキット、台風18号被害により9月30日まで営業自粛

    筑波サーキット、台風18号被害により9月30日まで営業自粛

    筑波サーキットは、台風18号の影響により、営業を自粛することを発表。9月30日(水)までレースイベントを含む、すべての営業を休止する。

    台風18号の影響による豪雨は、茨城県常総市で鬼怒川を決壊させるなど、各地に重大な被害をもたらした。筑波サーキットもコースの一部が冠水するなどの影響を受けていた。

    今回の決定により、26日と27日に予定されていた「MFJ 全日本ロードレース選手権第7戦 」、20日の「JAF 筑波スーパーFJ選手権第5戦」などが中止となった。

    筑波サーキット
    このたびの台風18号が、当サーキット近隣に甚大な影響を及ぼしました。
    被災された地域、皆様方の状況を鑑み、9月30日(水)迄の間、営業を自粛させていただきます。
    お客様、関係者の皆様方には、多大なるご迷惑をおかけいたしますが、何卒、ご理解、ご了承のほどお願い申し上げます。
    被災者の皆様には心からお見舞い申し上げますとともに、一日も早い復旧がなされますようお祈り申し上げます。

  • アストンマーティン、DB9の“ジェームス・ボンド”仕様を限定販売

    アストンマーティン、DB9の“ジェームス・ボンド”仕様を限定販売

    アストンマーティンは、映画『007 スペクター』の公開を記念して、ジェームズ・ボンド仕様の特別仕様車『DB9 GTボンド・エディション』を世界限定150台で発売する。

    『DB9 GTボンド・エディション』は、6.0リッター V型12気筒エンジンを搭載する「DB9 GT」をベースに開発。最高出力547ps/6750rpm、最大トルク620Nm/5500rpmを発生する。

    エクステリアには、専用カラーの“スペクターシルバー”を採用し、フロントとリアには純銀製のアストンマーティンのバッジと「007 Bond Edition」エンブレムが装着される。

    インテリアにも各種専用トリムを装備するほか、インフォテインメントシステムのスタートアップ画面にも、ボンド・エディション専用の工夫が施されている。

    『DB9 GTボンド・エディション』には、専用エクステリア/インテリアに加え、ジェームズ・ボンドの世界観にインスピレーションを受けたアクセサリーも装備。エンボスレザーによるラゲージ・タグ付きのグローブ・トロッター製21インチ・トロリーケースのほか、オメガ製Seamaster Aqua Terra 150mジェームズ・ボンド・エディション・ウォッチが付属する。

    『DB9 GTボンド・エディション』、9月2日より全世界で注文受付を開始。販売価格は16万5000ポンド(約3026万円)。

  • 元F1チームオーナーのギ・リジェが死去

    元F1チームオーナーのギ・リジェが死去

    元レーシングドライバーでF1チームオーナーだったギ・リジェが死去した。享年85歳。

    1930年にフランスのヴィシーで生まれたギ・リジェは、1940年代後半に地元ヴィシーの肉屋で手伝いとして働いていた頃にラグビー選手として名を挙げ、フランス代表にも選ばれている。その後、フランスの高速道路システムの開発で重要な役割を果たし、建築業を始めた。

    その後、モータースポーツに進出したギ・リジェは、2輪のキャリアをスタート。1959年と1960年にフランス国内でタイトルを獲得。続いてエルヴァと共にフォーミュラ・ジュニアに参戦し、1960年代後半にポルシェのスポーツカーに進出。1964年のル・マン24時間レースではポルシェ904をドライブした。

    35歳の1996年にF1モナコGPでF1デビュー。クーパー・マセラティを走らせた。

    1968年にはジョー・シュレッサーと組んで2台のマクラーレン製フォーミュラ2カーを購入したが、ジョー・シュレッサーはその年のF1デビュー戦となるF1フランスGPで事故死し、リジェは引退を決意。F1では12戦を戦い最高位は8位だった。

    その後、リジェはレーシングカーを製作することを決意し、ミッシェル・テツを起用してリジェ・JS1を製作。1974年末にリジェはマトラ・スポーツの資産を購入しコンストラクターとしてF1へ進出した。

    1976年にジャック・ラフィットを起用して参戦を始め、F1イタリアGPで初ポールポジションを獲得。翌年のスウェーデンで初優勝を収めた。

    リジェは、9回のポールポジションと9勝を上げ、1980年にはコンストラクターズ選手権を2位で終えている。1980年代は低迷したが、1996年にオリビエ・パニスがF1モナコGPで15年ぶりに優勝している。

    だが、リジェは、1992年にシリル・ド・ルーブルにチームを売却。その4年後には、アラン・プロストがチームを購入し、プロスト・グランプリと改名された。

  • アラン・プロスト 「F1チームのオーナーになったのは“最大の間違い”」

    アラン・プロスト 「F1チームのオーナーになったのは“最大の間違い”」

    4度のF1ワールドチャンピオンであるアラン・プロストは、F1チームのオーナーになったことはキャリアで“最大の間違い”だと述べ、契約書にサインする数日前に契約を破棄したかったことを明かした。

    アラン・プロストは、1997年F1シーズン開幕前に、リジェを買収してプロスト・グランプリを立ち上げた。

    アラン・プロストが買収する前に設計された無限ホンダ・エンジンを搭載し、ブリヂストン・タイヤを履いたJS45に乗るオリビエ・パニスは、最初の6戦で2度表彰台に立ち、チーム代表としてポジティブなスタートを切った。

    しかし、1998年はマシンを独自に設計し、独占契約の一環としてプジョー・エンジンに変更するとプロスト・グランプリは低迷。ポイントもめったに獲得できなくなった。

    1999年はF1ヨーロッパGPで1度表彰台に立ったきりで、2000年はノーポイントだった。

    2001年は、エイサー・ブランドのフェラーリエンジンに切り替えて調子は上向いたが、プロスト・グランプリはその年末に撤退した。

    アラン・プロストは、大いに後悔しながらその時期を振り返り、実際プジョーとの5年間無料エンジン契約が3年の有料契約に変更されたときに手を引こうと思ったことを明らかにした。

    アラン・プロストは、F1カナダGPでのオリビエ・パニスの追い上げについて「チームを始めて3ヶ月後、非常に良い結果が出て、レースに勝ちそうになった」とコメント。このレースでオリビエ・パニスがクラッシュして足を骨折しなければ、優勝したと考える人は多い。

    「しかし、家族や親しい友人にはいつも『ダメだ』と言っていた。最初からわかっていた。私はF1のことを知り過ぎている。この世界を知り過ぎている」

    「私が間違いを犯したとすれば、それだ。あんなことはするべきではなかった。土壇場になってチームを持つという決断を下すべきではなかった」

    「契約書にサインする2日前、もう嫌気がさしていた。プジョーとの契約があり、5年間の無料エンジンをどんどん開発するという話だった。しかし、彼らは私がサインした2日後にやって来て、3年契約でエンジン料金を払ってくれと言った・・・やっぱりやめてよかった」

    またアラン・プロストは、アイルトン・セナが存命中にリジェとの契約が始まっていたので、チーム代表とF1ドライバーとして組むという見込みについてアイルトン・セナとジョークを言っていたことを明かした。

    「面白かった。おそらく事故(1994年サンマリノGPでのアイルトン・セナの死亡事故)の1週間前だったが、私たちは電話で話をしていた。アイルトンに『私がいつかチームを持って君が私のドライバーになったら面白いだろうな』と言ったんだ。その当時、すでにリジェを買収する話をしていた。交渉は1994年開幕時に始まった。それが実現していたら素晴らしかっただろうね」

  • タキ井上、伝説のF1“消火器事件”から20年

    タキ井上、伝説のF1“消火器事件”から20年

    1995年のF1ハンガリーGPでのタキ井上の“珍事”から20年の月日が流れた。

    タキ井上こと井上隆智穂は、1994年と1995年にシムテックとフットワークで18戦に出場。完走は5回、最高位は8位だった。

    しかし、今から20年前のF1ハンガリーGPで、タキ井上は“記録”よりもF1ファンの“記憶”に残る珍事に見舞われた。

    フットワークから参戦した1995年のF1ハンガリーGP。タキ井上はエンジントラブルでリタイアした直後、炎上したマシンを消火しようと消火器を手にマシンに向かったところを、同じく消火にやってきたレスキューカーに振り返りざまに撥ねられた。

    タキ井上は、全日本F3やヨーロッパF3000で優勝はおろか、表彰台フィニッシュも飾ることはなかったが、日本のスポンサーを独自集め、日本人として4人目のF1フル参戦ドライバーの座を獲得している。

    タキ井上は、“20周年談話”として投稿したFacebookで「日本では、各レース専門誌をはじめフジテレビ等々のメディアで神聖化されたF1ドライバーという定義に一石を投じたことも、間違いないと信じる」と述べた。

    「タキ井上が、F1GPに参戦するまでは、日本の国内最高格式(F2やF3000)でタイトルを獲得した選ばれたものだけが、巨額の契約金を手にしてF1GPに参戦できる信じられていたが、タキ井上以降のすべての日本人F1ドライバーたちは、そのタイトル獲得という踏み絵をせずにF1に参戦していった」

    「また、20年前までは、F1ドライバーは、巨額の契約金をもらいF1チームと契約してF1GPに参戦していくと、日本だけでは信じさせられていたが、タキ井上以降、スポンサー持ち込みによってシート料を払ってF1チームと契約することが、はばかりなく事実としてレース専門誌等々で伝えられるようになった」

    「このタキ井上のF1参戦が、少なからず、日本のF1を目指すドライバー達に対して、ヨーロッパスタンダードの現実を紹介し、F1が少しだけ、身近なものになったと信じる」

    「しかし、タキ井上が、F1GPで残せたものは、この愚かなハンガリーの出来事と、そして、モナコでの出来事だけであって、日本人ドライバーとしての結果は皆無である事実も記しておきたい」

    今年のホンダがマクラーレンのパートナーとしてF1に復帰したが、F1グリッドに日本人ドライバーの姿はない。また、過去にF1参戦したドライバーの最高位は、鈴木亜久里、佐藤琢磨、小林可夢偉の3位。いまだ、F1で表彰台の頂点に立った日本人ドライバーはいない。

    「過去にこれだけ沢山の日本人F1ドライバーがF1に参戦して、いまだF1で1勝もできていないという不名誉な事実を覆せるような日本人F1ドライバーの誕生を期待してやまない」とタキ井上は語る。

    「F1で日本人ドライバーが勝利するには、そのドライバーの資質以上に、F1GPで勝てるチームと契約するというマネージメントが必要不可欠なのだが、この分野においては、日本人ドライバーのマネージメントは、優勝するには、いまだほど遠いものであることを最後に付け加えたいと思う(汗)」

    関連:井上隆智穂=タキ井上のレーシングキャリア

  • F1:コスト面でも“タイヤ戦争”は復活させるべき?

    F1:コスト面でも“タイヤ戦争”は復活させるべき?

    ザウバーのチーム代表モニシャ・カルテンボーンは、F1はかつてのような“タイヤ戦争”を復活させることも検討すべきだと主張する。

    現在、2017年以降のF1公式タイヤサプライヤーを決定するための審査に入っており、現在サプライヤーであるピレリと、F1復帰を目指すミシュランが契約を勝ち取るための活動を展開している。

    現在の規約では、タイヤサプライヤーは1社に限定されることになっており、少なくとも2017年から2019年までは、ピレリもしくはミシュランがF1単独タイヤサプライヤーとなる予定だ。

    現時点では、ピレリとミシュランのどちらが最終的に選ばれることになるのかはわからないが、現在のサプライヤーであるピレリが優勢だとみられている。

    メルセデスのモータースポーツ責任者を務めるトト・ヴォルフは、タイヤサプライヤーの選定に関して「どうなるかは、我々の手のなかにはないだ。入札手続きを行い、決定を下すのはFIAと商業権保有者だからね」とコメント。

    タイヤサプライヤーに関して最終決定権を持つと言われるバーニー・エクレストンだが、これからピレリとミシュラン両者との間で金銭的な交渉を進めていくことは明らかだ。

    最近、ロータスがピレリへのタイヤ代金の支払いが遅れたことで、F1ハンガリーGPでは金曜日の朝にやっとタイヤを受け取ることができたという事態があたった。

    そんな中、ミシュランは、F1参戦するにあたって無償でのタイヤ供給を提案しているばかりか、チームへの資金提供さえ申し出ているようだと噂されている。

    昨年の経営破綻からは何とか復活したものの、今季も苦しい経営状況に置かれているマノー・マルシャのスポーティングディレクターを務めるグレアム・ロードンは「仮に我々が結ぶ新たなタイヤ供給契約がチームにさらなる資金の支出を求めるものだとすれば、我々としても再び資金を探し求めなくてはならなくなる」と述べた。

    ザウバーの女性チーム代表であるモニーシャ・カルテンボーンは、小規模チームにとって最もコスト効率が良くなるのは、かつてのような“タイヤ戦争”が復活したときだろうと考えている。

    モニーシャ・カルテンボーンは「私たちはなぜ2社のサプライヤーの時代に戻さないのかと自分達に問いただすべきだと思います」と Auto Bild にコメント。

    「タイヤ戦争はこれまで常に批判的にとらえられていました。ですが、適切なルールを運用することでそうした部分は改善できるはずです」

    「チームにとってはタイヤ戦争時代は実際には良い時代でした。我々は無償でタイヤの供給を受けていましたし、それに加えて広告代さえ支払われていました」

  • F1チームの年間予算はいくら?

    F1チームの年間予算はいくら?

    F1チームの2015年の年間予算が公表され、上位の4チームはいずれも今年4億ユーロ(約547億円)以上の規模であることが明らかになった。

    El Mundo Deportivo が報じた情報によると、レッドブルが年間4億6,870万ユーロ(約641億6980万円)の予算があり、メルセデスを抜いて1位となっている。

    3位はマクラーレン・ホンダの4億6,500万ユーロ (636億6325万円)、4位はフェラーリの(572億2840万円)だが、5位ウィリアムズは4位フェラーリの半額未満の1億8,640万ユーロ(約255億2000万円)、最下位マノー・マルシアの予算は8,300万ユーロ(113億6350万円)となっている。

    全10チームの2015年の予算総額は、約26億ユーロ(約3,557億円)に上る。

    2015年 F1チーム 年間予算

    順位 チーム 収入(単位:百万ユーロ) 日本円
    スポンサー料 パートナー料 TV / FOM 合計 合計
    1 レッドブル 266.00 35.70 167 468.70 641億6982万円
    2 メルセデス 122.00 212.40 133 467.40 639億9183万円
    3 マクラーレン・ホンダ 144.50 216.50 104.00 465.00 636億6325万円
    4 フェラーリ 208.50 34.50 175.00 418.99 572億2847万円
    5 ウィリアムズ 52.50 22.90 111.00 186.40 255億2006万円
    6 ロータス 69.50 13.60 56.00 139.10 190億4420億円
    7 トロ・ロッソ 68.00 9.45 60.00 137.45 188億1830万円
    8 フォース・インディア 49.50 12.20 68.00 129.70 177億5725万円
    9 ザウバー 44.00 9.25 50.00 103.25 141億3598万円
    10 マノー・マルシャ 0.50 32.50 50.00 83.00 113億6354万円
    合計 1025.00 599.00 974.00 2598.00 3556億92763万円
  • ファン・マヌエル・ファンジオの遺体から親子鑑定のためにDNA採取

    ファン・マヌエル・ファンジオの遺体から親子鑑定のためにDNA採取

    5度のF1ワールドチャンピオンに輝いたファン・マヌエル・ファンジオの息子だと主張する2人の男性が起こした訴えを解決すべく、ファンジオの遺体が7日(金)に掘り起こされた。

    ブエノスアイレスの判事が下した命令を受け、ファン・マヌエル・ファンジオの遺体からDNAサンプルを採取するため、ファンジオの故郷バルカルセに埋葬されていたファンジオの遺体の掘り起こし作業が実行に移された。

    1995年7月17日にこの世を去ったファン・マヌエル・ファンジオは一度も結婚しておらず、子供もいないと見られていたが、20年に渡りパートナーだったアンドレア・ベッレートさんの息子オスカー・エスピノザ(77歳)が2013年にファンジオの息子であると主張していた。

    オスカー・エスピノーサは、ファン・マヌエル・ファンジオが父親である証拠としてアンドレア・ベッレートに息子の世話を依頼するファンジオの手紙の束を証拠として提出したとされる。

    さらにルーベン・バスケスと名乗る73歳の男性もファン・マヌエル・ファンジオの息子だと主張している。だが、ルーベン・バスケスは、ファン・マヌエル・ファンジオの遺産には少しの関心もなく、単に自らの出生をはっきりさせたいだけだと報道陣に話している。

    「親子鑑定の要請はかなり前から始めており、多くの妨害や障壁を乗り越えなければならなかった」とルーベン・バスケスは述べた。

    「私の要請には経済的関心はない… ファンジオの苗字を認められたいだけだ」

    ルーカス・バルケスは、2012年に103歳で亡くなった母親が、公証人の立会いの下、ファン・マヌエル・ファンジオが息子の父親であるとする書類にサインしていたと主張している。

    「ファンジオの家族とは接触がないが、もちろん知り合いになりたい」

    1951年、1954年、1955年、1957年にF1タイトルを獲得したファン・マヌエル・ファンジオはミハエル・シューマッハに次いでF1史上2番目に成功を収めたドライバーだ。通算52レースに出走して24勝を成し遂げている。

  • 大阪・御堂筋、F1カーの公道デモ走行を計画

    大阪・御堂筋、F1カーの公道デモ走行を計画

    大阪府と大阪市は、大阪のメインストリートである御堂筋での公道F1デモ走行を計画している。

    御堂筋パ−ティ−2015実行委員会(構成団体=大阪府、大阪市、経済団体等)は、「御堂筋オータムパーティー2015」の企画を発表。

    契約候補者の電通関西支社の提案内容として、F1カーの走行及び世界のスーパーカーの展示を計画していることを明らかにした。

    橋下徹大阪市長は「御堂筋をF1が走る。こういうことをガンガンやろう。ぜひ期待してほしい」と述べた。

    2011年6月には、横浜市元町の元町ショッピングストリートで東日本大震災の復興支援を目的とした日本初となる公道でのF1カーの走行が行われている。(写真)