カテゴリー: MotoGP

  • ブリヂストン、マルコ・シモンチェリ選手に哀悼の意

    ブリヂストン、マルコ・シモンチェリ選手に哀悼の意

    MotoGPにタイヤを供給するブリヂストンが、MotoGP マレーシアGPでの事故で命を落としたマルコ・シモンチェリ選手に哀悼の意を表した。

    マルコ・シモンチェリ選手はMotoGP第17戦マレーシアGPの決勝レースの2周目に11コーナーでフロントから転倒して他車に接触。頭部、頸部、胸部を強く打撲したシモンチェリ選手はメディカルセンターへ運ばれ心肺蘇生措置を受けたが、16時56分に残念ながら死亡が確認された。

    堀尾直孝 (ブリヂストン モータースポーツ推進部長)
    「マレーシアGPの決勝レース中に発生したアクシデントによるマルコ・シモンチェリ選手の突然の訃報は、誠に痛恨哀惜に堪えません。ご家族、ご友人、チーム、御関係者の皆様に対し、心より哀悼の意を申し上げます。今日の不幸な出来事により、我々MotoGPファミリーは、このうえなく明るい人柄を備え、傑出した素晴らしい才能を今まさに花開かせつつあった若者と、永遠の別れを告げることになってしまいました。あまりにも突然の出来事で、類い希な資質と華やかなキャラクターのマルコを失ったことが今はまだ信じられない思いです。そこにいるだけで周囲を明るくする彼の笑顔、屈託のない話し声、そして何より、二輪ロードレースの最高峰MotoGPで着実にトップライダーへの道を歩み続けた彼と過ごしたこの2年間の素晴らしい日々を、我々はけっして忘れることがないでしょう。今はただ、悔しい、残念、という言葉しか思い浮かびません。マルコ選手、安らかにお眠りください。衷心より御冥福をお祈り申し上げます」

    マルコ・シモンチェリ 経歴

    1996年から2000年にかけて地元イタリアのミニバイク選手権で活躍し、2年連続のチャンピオンに輝く。01年にイタリア選手権125ccクラスのホンダ・トロフィーに参戦。翌02年には、欧州選手権の125ccタイトルを獲得するとともに、ロードレース世界選手権(WGP)にも出場。03年からWGPにフル参戦を開始し、05年には125ccで総合5位と躍進すると、翌年から250ccにステップアップを果たした。08年には250ccのタイトルを獲得し、09年は、最終戦までライバル青山博一選手とタイトル争いを繰り広げ、総合3位となった。2010年に最高峰のMotoGPにステップアップ。参戦2年目の2011年、第17戦マレーシアGP決勝レースにおけるアクシデントで負傷し、サーキットのメディカルセンターで救命処置が行われたが同日逝去。享年24歳。

    関連:マルコ・シモンチェリ、MotoGPのレース中に事故死

  • マルコ・シモンチェリ、MotoGPのレース中に事故死

    マルコ・シモンチェリ、MotoGPのレース中に事故死

    マルコ・シモンチェリが、MotoGP マレーシアGPの決勝レースで事故死した。享年24歳。

    5番グリッドからスタートしたマルコ・シモンチェリは、2周目の11コーナーで転倒、後続車と接触して頭、首、腕を強打した。

    医療班が事故現場に到着した時はすでに意識不明で、救急車の中やメディカルセンターで心肺蘇生が行われたが、45分後の16時56分(日本時間17時56分)に死亡が宣告された。

    レースはすぐに赤旗中断となり、その後中止が発表された。

    マルコ・シモンチェリ 経歴

    1996年から2000年にかけて地元イタリアのミニバイク選手権で活躍し、2年連続のチャンピオンに輝く。01年にイタリア選手権125ccクラスのホンダ・トロフィーに参戦。翌02年には、欧州選手権の125ccタイトルを獲得するとともに、ロードレース世界選手権(WGP)にも出場。03年からWGPにフル参戦を開始し、05年には125ccで総合5位と躍進すると、翌年から250ccにステップアップを果たした。08年には250ccのタイトルを獲得し、09年は、最終戦までライバル青山博一選手とタイトル争いを繰り広げ、総合3位となった。2010年に最高峰のMotoGPにステップアップ。参戦2年目の2011年、第17戦マレーシアGP決勝レースにおけるアクシデントで負傷し、サーキットのメディカルセンターで救命処置が行われたが同日逝去。享年24歳。

  • ケーシー・ストーナー、MotoGPで2度目のタイトル獲得

    ケーシー・ストーナー、MotoGPで2度目のタイトル獲得

    ケーシー・ストーナーが、MotoGP 第16戦 オーストラリアGPで今季11回目のポールポジションからライバルを圧倒する速さで今季9勝目を達成。残り2戦のシーズン終了を待たずに2011年シーズンのタイトルを獲得した。

    またホンダのコンストラクターズ・チャンピオンシップも確定。ホンダにとって、2006年以来5年ぶりのタイトル獲得となった。

    この日は、総合2位のホルヘ・ロレンソ(ヤマハ)がウオームアップで転倒して決勝レースを欠場。そのため、ケーシー・ストーナーは6位以内に入れば自力でチャンピオンが決まるレースとなったが、オーストラリアGP5連勝達成という快挙で、タイトル獲得に華を添えた。

    ケーシー・ストーナー (MotoGP 優勝)
    「こんな結果を予想することはできませんでした。コンディションは厳しくて、レースは信じられないほど難しかったです。雨が降るんじゃないかと思っていたので、早めにリードを築こうと思っていました。でも本当に降ってくるかどうかは分かりませんでした。レース終盤の雨は、まるで雨の壁の中に入ったような感じでした。それまで雨の気配は全くありませんでしたが、最終コーナーに差しかかったときに雨が強くなりました。もう少しでコントロールを失うところでした。グラベルに飛び出しそうになりましたが、なんとかコントロールして後ろとのギャップをキープすることができました。その結果、ホームGPで優勝することができました。今大会では少し緊張していたので、今はほっとしています。今朝のホルヘ(ロレンソ)のアクシデントは本当に気の毒でした。彼はすばらしいライバルです。もし彼が今日のレースに出場していたら、このような結果にはならなかったと思います。手術がうまくいって、できるだけ早くレースに戻ってくることを願っています。今日は最高の一日になりました。チームとレプソル、そしてスポンサー、一年間一生懸命がんばってくれたすべての人に感謝したいです」

    伊東孝紳 (本田技研工業株式会社 代表取締役社長 )
    「ライダーズ・チャンピオンシップを獲得したケーシー・ストーナー選手に対し、まずおめでとう、そしてありがとうと伝えたいですね。シーズン開幕から常に期待に応え続けている実に頼もしいライダーです。また、彼をはじめライダー、スタッフなど関係者全員の頑張りにより、2006 年以来、実に 5 年ぶりに Hondaがコンストラクターズ・チャンピオンシップを獲得できたことを本当に嬉しく思っております。今年は東日本大震災があり、大変なシーズンとなっておりますが、この 2 つのタイトルを本日獲得できたのは、なによりも世界中のファンの皆様の変わらぬ熱い応援のおかげだと心から感謝しております」

    鈴木哲夫 (株式会社ホンダ・レーシング 代表取締役社長)
    「今回のコンストラクターズ・チャンピオンシップの獲得は、Hondaにとってちょうど 60 回目※となりますが、その現場に立ちあえたことを私は光栄に思います。1954 年に創始者の本田宗一郎がロードレース参戦宣言をして以来、最も革新的なマシンを生み出すために、常に技術開発に取り組んできた誇りある歴史が私どもにはございます。今回のチャンピオンシップの獲得は、すばらしいマシンを生み出すために常に技術の限界に挑戦し新たな手法を拡大してきた献身的なスタッフと、才能あふれるライダー全員による功績であり、彼らなしでは到底成し得なかったであろうと考えております。我々に対し惜しみない支援をいただいた全てのスポンサー様と、多大なるご協力をいただいた全てのお取引先に対し、感謝しております。最後にコンストラクターズ・チャンピオンシップを獲得したのは 5 年前ですが、HRC はさらに強くなって復活したことを誇りに思っております。 ケーシー・ストーナー選手、ダニ・ペドロサ選手、アンドレア・ドヴィツィオーゾ選手、毎週休みなく頑張ってきたスタッフ、そして世界のファンの皆様全員に感謝の気持ちをお伝えいたします」

  • 青山博一、2012年からスーパーバイク世界選手権に転向

    青山博一、2012年からスーパーバイク世界選手権に転向

    青山博一が、2012年からスーパーバイク世界選手権(World Superbike)に参戦することが発表された。

    2012年、青山博一は Honda Motor Europe と Ten Kate Racing のライダーとなり、 2012 World Superbike Championship に参戦する。

    青山博一は現在 San Carlo Honda Gresini チームの一員として MotoGP に参加しており、Honda RC212V に乗っている。

    MotoGP に参戦する前は 250cc Grand Prix Series に参戦しており、優勝9回、表彰台に合わせて18回上がった。2009年に250cc 世界チャンピオンとなり、翌年同クラスが Moto 2 となる前の最後の世界王者となった。

    青山博一
    「ここ数年間MotoGPでレースをしてきたことは、僕にとっては本当に素晴らしい経験でした。僕のキャリアでこのような素晴らしい期間を過ごさせてくれたファウスト・グレシーニ、そしてSan Carlo Honda Gresini チームのスタッフとメカニック全員に感謝したいです。今後はホンダ、そして Ten Kate Racingとともにスーパーバイク選手権に参戦することになりました。新しいチャレンジに興奮しています。スーパーバイクについてはあまり詳しくないですが、新しいチームとともに良い仕事ができると期待しています」

  • ホンダ、MotoGP 日本グランプリのもてぎから鈴鹿への変更を提案

    ホンダ、MotoGP 日本グランプリのもてぎから鈴鹿への変更を提案

    ホンダ MotoGPチームの中本修平代表が、今年の日本GPをもてぎから鈴鹿に変更することを提案していると海外メディアが報じている。

    東日本大震災の影響により、MotoGP 日本GPは当初予定されていた4月24日から10月2日に延期をされた。

    MotoGPライダーのケイシー・ストーナーとホルヘ・ロレンソ、そしてバレンティーノ・ロッシは、福島の原子力発電所からわずか100kmの距離にあるもてぎでの放射能汚染を懸念し、10月のレースをボイコットすると表明していた。

    調査ではもてぎは安全であることが公表されており、またレース当局もレースは予定通りに開催されると発表。今ではホンダのライダーであるケイシー・ストーナーもグランプリに参加する可能性が高いことを認めている。

    だが、ホルヘ・ロレンソとバレンティーノ・ロッシは、まだ日本へ移動することを確約しておらず、そのことがレース開催に対しての懸念を引き起こしている。

    中本修平は、1987年から2003年まで日本GPを開催し、危険区域から300マイル以上離れている鈴鹿に変更することが、今年のイベントを保護するための理想的な解決策だと考えている。

    「今年鈴鹿でレースをして、来年もてぎに戻ることも可能性もあるかもしれない」との中本修平のコメントを Motosprint は掲載。

    「私は鈴鹿の方が好きだ。サーキットは素晴らしいし、よりテクニカルだ。だが、国際連盟は鈴鹿のホモロゲーションを取り消されているので、免除が必要になるだろうし、迅速に行われなければならない」

    「確か3年前、鈴鹿はサーキット、ランオフエリア、トラック周りのサービスロードに重要な修繕作業が行われている」

    「パドックはやや時代遅れなままだが、誰も悩まされることはないだろう。鈴鹿8耐が定期的に開催されており、バイクでもレースができることを証明している」

    オートバイレースの理事会であるFIMは、2003年のレースでの加藤大治郎の死亡を受けて鈴鹿のホモロゲーションを取り消した。

    事故は最終シケインで起こったが「シケインはもうF1でも使われておらず、その外部のエリアもすべて修正されている」と中本修平は付け加えた。

  • ホルヘ・ロレンソ、12月にフェリペ・マッサのカートレースに出場

    ホルヘ・ロレンソ、12月にフェリペ・マッサのカートレースに出場

    MotoGPチャンピオンのホルヘ・ロレンソが、年末に開催されるフェリペ・マッサのカートイベントに参加することが明らかになった。

    6年目を迎えるこのイベントは今年は12月3日〜4日に開催。ブラジルのフロリアノポリスで行われる。

    「そうだね、彼からオーケーとの返事を受け取ったよ」とフェリペ・マッサは述べた。

    フェリペ・マッサは、パストール・マルドナド、エイドリアン・スーティル、セルジオ・ペレスといったドライバーが興味を示しているが、ミハエル・シューマッハは出席できないことを明らかにした。

    「レース・オブ・チャンピオンズの日程とぶつかってしまうため、彼は来れないんだ」とフェリペ・マッサは述べた。

  • 動画:ニッキー・ヘイデン、メルセデスのDTMマシンをドライブ

    動画:ニッキー・ヘイデン、メルセデスのDTMマシンをドライブ

    ドゥカティのMotoGPライダーであるニッキ・ヘイセンが、メルセデスDTMチームを訪れ、DTMマシンでの走行に挑戦した。

    インストラクターは、元F1ドライバーでメルセデスからDTMに参戦するデビッド・クルサードが担当。

    2006年にMotoGPワールドチャンピオンを獲得したニッキー・ヘイデンだが、何度もスピンするなどDTMマシンには苦戦していたようだ。

    ニッキー・ヘイデン、メルセデスのDTMマシンをドライブ

    関連:F1-Gate.com YouTubeチャンネル

  • 【動画】 ケーシー・ストーナー、レッドブルのF1ファクトリーを訪問

    【動画】 ケーシー・ストーナー、レッドブルのF1ファクトリーを訪問

    MotoGPライダーのケーシー・ストーナーとアンドレア・ドヴィツィオーゾが、レッドブルのF1ファクトリーを訪問した。

    レプソル・ホンダに所属するケーシー・ストーナーとアンドレア・ドヴィツィオーゾが、シルバーストンでのレース前にミルトンキーンズにあるレッドブル・レーシングのF1ファクトリーを訪問。レッドブルのF1シミュレーターなどを体験した。

    ケーシー・ストーナー、レッドブル・レーシングのF1ファクトリーを訪問

    関連:F1-Gate.com YouTubeチャンネル

  • MotoGP、日本GPが中止の場合も代替レースはなし

    MotoGP、日本GPが中止の場合も代替レースはなし

    MotoGPの最高経営責任者カルメロ・エスペラータは、日本の主催者が日本GPを実施しないと決断をした場合も代替レースは行わないことを明らかにした。

    当初MotoGP 日本GPは4月の開催が予定されていたが、日本が東日本大震災に見舞われたことで10月に延期となった。

    しかし、日本では余震や放射能の問題が続いており、レースの開催はまだ確定していない。

    「地元のプロモーターの決定を待っている」とカルメロ・エスペラータは Gazzetta dello Sport にコメント。

    「いずれにせよ、彼らが今年のレースを諦めることに決めたとしても代替はない」

    「7月に全日本ロードレースが予定されているので、その時までに会場は使用可能でなければならない。それまでにどうするかを確定していなければならない」

    カルメロ・エスペラータは、放射能の恐れがない場合にのみMotoGPは日本へ旅立つと述べた。

    「私は日本人を完全に信頼している。彼らがレースができると言うなら、我々は安全だと1000%確信するだろう。状況が明白でない場合、彼らが優先して状況を適正に評価してくれると確信している」

    ホンダ・レーシングの中本修平副社長は、地震によって損害を受けたトラックは修復されており、ライダーが問題なくバイクでテストを実施したと述べている。

  • MotoGP、日本の被災者のために1分間の黙祷

    MotoGP、日本の被災者のために1分間の黙祷

    2011年のMotoGPがカタールで開幕。決勝スタート前には全ライダーが集まり、日本の被災者のために1分間の黙祷を捧げた。

    ホンダ、ヤマハ、スズキと日本のメーカーが参戦するMotoGP。残念ながらリズラ・スズキのアルバロ・バウティスタがフリー走行で負傷したためスズキの出場はならなかったが、ホンダ、ヤマハのライダーはバイクに「がんばれ日本!」のメッセージを掲載してレースに挑んだ。

    また日本人ライダーの青山博一は、グリッドで脇阪寿一が中心となって立ち上げた義援金サイト「SAVE JAPAN」のパネルを国際映像に流し、支援を呼びかけた。

    レースは、今年からレプソル・ホンダに移籍したケーシー・ストーナーが優勝。2位には昨年の覇者ホルヘ・ロレンソ、3位にはレプソル・ホンダのダニ・ペドロサが続いた。ホンダ勢はアンドレア・ドビツィオーゾが4位、マルコ・シモンセリが5位とトップ5を4名のライダーで占めた。

    今年からドゥカティに移籍したバレンティーノ・ロッシは7位、青山博一は10位でレースを終えた。

    Moto2クラスに参戦する高橋裕紀は5位、125ccクラスに参戦する尾野弘樹はリタイアだった。