カテゴリー: MotoGP

  • バレンティーノ・ロッシ 「ドゥカティで結果を出せなくて本当に残念」

    バレンティーノ・ロッシ 「ドゥカティで結果を出せなくて本当に残念」

    今シーズン限りでドゥカティを去り、古巣ヤマハに復帰する決断をしたバレンティーノ・ロッシが、移籍についての心境を語った。

    2010年にドゥカティに移籍したバレンティーノ・ロッシだが、2013年から再びヤマハでホルヘ・ロレンソとチームを組むことが発表された。

    「ドゥカティと競争力を発揮できなかったのは本当に残念だ」とバレンティーノ・ロッシは自身のTwitterでコメント。

    「僕にとっても、そして僕と一緒に働いたスタッフ全員にとっても、それができれば本当に満足できたはずだ。彼らは最後までトライし続けていく」

    「僕たちのファン全員にとっても楽しみだったはずだ。残念だよ」

    「とにかく、まだ8つのグランプリがある。良いレースができるように全力で取り組んでいく」

    ドゥカティのチーム代表ビットリアーノ・グアレスキは、バレンティーノ・ロッシの決断によって、ドゥカティは再びトラック上での仕事に集中でできると述べた。

    「先月は全員にとって非常に激しい一カ月だったけど、今は状況はよりクリアになっている」とビットリアーノ・グアレスキはコメント。

    「我々はトラック上での仕事に集中できるし、バレとニッキー(ヘイデン)が上昇傾向でシーズンを終えられるようにバイクの改善を続けていく」

    ドゥカティは、まだ2013年のバレンティーノ・ロッシの後任を発表していないが、テック3ヤマハのアンドレア・ドヴィツィオーゾが有力候補に挙げられている。ニッキー・エイデンは、すでに2013年の残留が発表されている。

    関連:バレンティーノ・ロッシ、ヤマハに復帰 (MotoGP)

  • ケーシー・ストーナー、今季限りでのMotoGP引退を発表

    ケーシー・ストーナー、今季限りでのMotoGP引退を発表

    ケーシー・ストーナーが、今シーズン限りでMotoGPを引退することを発表した。

    26歳のオーストラリア人ライダーは、2002年からフル参戦を開始すると、ドゥカティ・マールボロ・チームから参戦した最高峰クラス2年目、800ccクラスの1年目となった2007年に初タイトルを獲得すると、レプソル・ホンダから参戦した2011年に2度目のタイトルに成功。

    チャンピオンを証明するゼッケン1で挑戦する2012年は、開幕戦こそ腕上がりが原因で優勝を逃したが、2戦目にはヘレスでキャリア初優勝。3戦目にはエストリルで最高峰クラス初優勝を挙げ、史上10人目となる通算42勝目に到達していたが、4戦目を前に引退を決断した。

    「家族と妻と一緒に長い時間をかけて考えてきた。これは数年前からだけど、2012年シーズンに終わり。2013年はチャンピオンシップに参戦しない。今シーズン末にMotoGPでのキャリアを終わりにして、僕の人生において異なることを進める」

    「僕は大好きなスポーツを長くやってきて、僕の家族、僕自身も多くの犠牲を払ってきた。長い間、沢山トライしてきて、このポイントまで僕たちは来た。このスポーツは大きく変化し、楽しくないところまで変わってしまった。情熱がない。情熱がないから、引退するのが良い時期だろう」

    「失望したことが沢山あった。このスポーツの大好きなことも沢山あったけど、不運にもバランスは間違った方向に行ってしまった。根本的に僕たちはこれ以上続けられない。もう1年残っていると言えれば良いかもしれないけど、どこで止められるか?だから、僕たちは今、全てを終わりにすることを決めた」

  • MotoGP:2012年 暫定エントリーリストを発表

    MotoGP:2012年 暫定エントリーリストを発表

    FIM国際モーターサイクリズム連盟は13日、2012年シーズンにMotoGPクラスにフル参戦する暫定エントリーリストを発表した。

    2012年のMotoGPは、レギュレーション変更により、7チーム、9人のCRTクレイミング・ルール・チームを含む14チーム、21人がエントリー。CRTチームとは、メーカーからエンジンを購入して参戦するチームを指し、エンジンの使用機数やタンク容量などに優遇策がとられる。

    2012年シーズンは、1月31日からセパンでオフィシャルテストがスタート。4月8日にカタールのロサイル・インターナショナル・サーキットで開幕する。

    2012年 MotoGP 暫定エントリーリスト

    1. ケーシー・ストーナー (オーストラリア): ホンダ・チーム (ホンダ)
    4. アンドレア・ドビツィオーゾ (イタリア): ヤマハ・テック3 (ヤマハ)
    5. コーリン・エドワーズ (アメリカ): フォワード・レーシング (シューター*)
    6. ステファン・ブラドル (ドイツ): LCR・ホンダ (ホンダ)
    8. エクトル・バルベラ (スペイン): プラマック・レーシング (ドゥカティ)
    9. ダニロ・ペトルッティ (イタリア): イオダ・レーシング (イオダ*)
    11. ベン・スピース (アメリカ): ヤマハ・ファクトリー・レーシング (ヤマハ)
    13. アンソニー・ウエスト (オーストラリア): スピード・マスター (ART*)
    14. ランディ・ド・プニエ (フランス): アスパル・チーム (ART*)
    17. カレル・アブラハム (チェコ): カルディオン・AB・モーターレーシング (ドゥカティ)
    19. アルバロ・バウティスタ (スペイン): ホンダ・グレシーニ (ホンダ)
    20. アレックス・エスパルガロ (スペイン): アスパル・チーム (ART*)
    22. イバン・シルバ (スペイン): BQR (BQR‐FTR*)
    26. ダニ・ペドロサ (スペイン): ホンダ・チーム (ホンダ)
    35. カル・クラッチロー (イギリス): ヤマハ・テック3 (ヤマハ)
    46. バレンティーノ・ロッシ (イタリア): ドゥカティ・チーム (ドゥカティ)
    51. ミケーレ・ピロ (イタリア): ホンダ・グレシーニ (FTR*)
    68. ヨニー・エルナンデェス (コロンビア): BQR (BQR‐FTR*)
    69. ニッキー・ヘイデン (アメリカ): ドゥカティ・チーム (ドゥカティ)
    77. ジェームス・エリソン (イギリス): ポール・バート・レーシング (ART*)
    99. ホルヘ・ロレンソ (スペイン): ヤマハ・ファクトリー・レーシング (ヤマハ)

    * CRT

  • 故マルコ・シモンチェリの財団が設立

    故マルコ・シモンチェリの財団が設立

    故マルコ・シモンチェリの思い出を継続する目的で、家族と友人たちが中心となって財団を創設。1月20日にはリミニで誕生日会を開く。

    故マルコ・シモンチェリの父親パオロ・シモンチェリは22日、非営利団体としてマルコ・シモンチェリ財団を設立したことを発表した。

    パオロと母親のロッセーラ、妹のマルティナ、ガールフレンドのケイト、パーソナルマネージャーのカルロ・ペルナット、ジャーナリストのパオロ・ベルトタモが発起人となり、マルコ・シモンチェリの思い出を継続する目的で財団を創設。

    財団の代表であるパオロは「僅か数日間で全ての法的処理を済まして、活動を始める準備ができました。複数のイニシアチブがあり、例えば1月20日には、リミニのスポーツセンターで『シック誕生日会』を行います。彼が望むように楽しいパーティーになるでしょう」とコメント。

    「同時に、マルコの展示会をコリアーノ市役所で開催されるために作業を進めています。活動を始めたばかりですが、マルコの性格を表すようにポジティブなことに囲まれています」

    「マルコの記憶を維持するという夢は、我々の最悪の状況を軽減することにつながり、今は思い出をどこに、どうやって配分していいのか難しいですが、良識を持って取り組みます。コントロールが難しい大きなイニシアチブを行わず、シンプルで確実なプロジェクトに着手します」

    「マルコに影響を受けた人たちから沢山のメッセージをもらい、困難な状況を克服することに助けとなりました。沢山の人たちが我々の息子を愛してくれたことを確認できました。マルコ・シモンチェリ財団は将来において、彼の思い出を残す最善の手段になると思います」

  • スズキ、MotoGP参戦を休止

    スズキ、MotoGP参戦を休止

    スズキは、2012年よりMotoGPへの参戦を一時休止することを発表した。

    スズキは、MotoGP参戦休止の理由を「先進国市場の長引く不況、歴史的な円高、災害等により未だ厳しい環境にあるため」と説明。

    だが、「2014年の再参戦を目途として競争力のあるマシン開発を行います」と2014年からのMotoGPに復帰する意向を示した。

    なお、「モトクロスレース活動、およびFIMホモロゲーション取得、レースキットパーツ開発のサプライヤーへの協力など、市販車ベースのレースサポートについてはこれまでどおり継続して行って参ります」としている。

  • MotoGPライダー、マルコ・シモンチェリに哀悼の意

    MotoGPライダー、マルコ・シモンチェリに哀悼の意

    MotoGPライダーが、マレーシアGPの事故で命を落としたマルコ・シモンチェリに、ロッシ、ロレンソ、ヘイデン、スピース、バルベラらが、友人であり、ライバルだったシモンチェリに、プレスリリースやシーシャルネットワークを通じて別れの言葉を送った。

    バレンティーノ・ロッシ
    「シッチは僕にとってまるで弟のようだった。トラックでは非常にストロングで、トラック外では非常にスイートな人柄だった。すごく寂しく思う」

    青山博一
    「昨日のレース中の転倒事故でチームメートであるマルコが懸命な処置のかいなく亡くなりました。何と言ってよいのか言葉が見つかりません。彼とは250の時 からライバルとして争い、MotoGPに上がっても同じルーキーとしてお互いを意識していたとおもいます。そして今年はチームメートとして一緒にやってき ました。サーキットでもサーキット以外でも気さくな奴で、みんなの人気者、今年は特に乗れていたし皆が期待していた。前回は2位の表彰台に立ち、今週も勢いに乗っていたのにそれがこんなことになってしまうなんて、なぜ、どうして、としか今は考えられません。」
    「残されたマルコの家族と彼を応援した全てのファン、関係者に心から追悼の意を表します。 本当に残念で仕方がないです。マルコの安らかな眠りを願います。」

    高橋裕紀
    「今日はマルコが亡くなって、言葉もありません。信じられない気持ちです。イタリアにいるときは、いつも一緒にトレーニングをしたり、ミニバイクで遊んだりしていました。本当に残念。悔しい気持ちでいっぱいです。」

    ホルヘ・ロレンソ
    「今日のような1日に何を言っていいのか分からない。僕たちは彼を寂しく思うだけ。マルコ、安らかに眠ってくれ。」

    ニッキー・ヘイデン
    「時々生命に意味がないときがある。RIP(安らかに眠れ)#58はトラックの内外でスターだった。みんなが彼を寂しく思う。」

    ベン・スピース
    「スーパー・シッチ、安らかに休んで・・・」

    カル・クラッチロー
    「RIPマルコ・シモンチェリ。グレートなライダーで、ナイスガイ。彼の家族と友人たちに哀悼の意を捧げる。この日を決して忘れない・・・#58」

    トニ・エリアス
    「何も言うことが出来ない。マルコは唯一の存在でしたが、その全ての前にナイスガイでした。」

    カレル・アブラハム
    「セパン・インターナショナル・サーキットのレースで死去したマルコ・シモンチェリの家族と友人たち、チームに哀悼の意を捧げる。」

    エクトル・バルベラ
    「ショック。僕たちライダーは、リスクのある職業であることを理解し、毎日それに取り組んでいる。オーガナイズは僕たちの安全を確保するように働き、近年僕たちの職業にリスクが減って来ている。それでも、今日観たように、不運にもマルコ・シモンチェリに起きたように悲劇が起きることがある。今日、モーターサイクルにとって非常に厳しい1日になってしまった。僕たちはグレートな仲間を失った。シモンチェリは過去のナイスなバトルがあったグレートなライバルだったことを忘れないだろう。」

    マティア・パシーニ
    「彼と沢山のバトルをした。僕の一部、キャリアの一部、心の一部が行ってしまった。」

    ジョン・ホプキンス
    「ゴッド・スピード。#58シモンチェリ・・・君のファイティングスピリッツをいつまでも生き続けるだろう。」

    ケニー・ロバーツ
    「ロバーツ家はマルコに関するニュースに深く悲しみ、彼の家族、友人、ファン、そしてMotoGPに哀悼の意を送りたいです。彼を決して忘れません。」

    堀尾直孝 ブリヂストンモータースポーツ推進部長
    「マレーシアGPの決勝レース中に発生したアクシデントによるマルコ・シモンチェリ選手の突然の訃報は、誠に痛恨哀惜に堪えません。ご家族、ご友人、チーム、御関係者の皆様に対し、心より哀悼の意を申し上げます。今日の不幸な出来事により、我々MotoGPファミリーは、このうえなく明るい人柄を備え、傑出した素晴らしい才能を今まさに花開かせつつあった若者と、 永遠の別れを告げることになってしまいました。あまりにも突然の出来事で、類い希な資質と華やかなキャラクターのマルコを失ったことが今はまだ信じられない思いです。そこにいるだけで周囲を明るくする彼の笑顔、屈託のない話し声、そして何より、二輪ロードレースの最高峰MotoGPで着実にトップライダーへの道を歩み続けた彼と過ごしたこの2年間の素晴らしい日々を、我々はけっして忘れることがないでしょう。今はただ、悔しい、残念、という言葉しか思い浮 かびません。マルコ選手、安らかにお眠りください。衷心より御冥福をお祈り申し上げます。」

    ジェフ・ベラスケス インディアナポリス・モーター・スピードウェイ社長兼経営最高責任者
    「我々はマルコ・シモンチェリの死去に深く悲しんでいます。彼はチャンピオンにおいて最もカリスマ性のある1人で、この先のMotoGPにおいて素晴らしい将来がありました。マルコはインディアナポリスのイベントにおいて最も人気が高いライダーの1人で、彼のタレントとファンとの交流は大変特別でした。彼の家族、チーム、ファンに心から哀悼の意を捧げます。」

  • 青山博一、チームメイトの事故死に「言葉が見つからない・・・」

    青山博一、チームメイトの事故死に「言葉が見つからない・・・」

    青山博一が、MotoGP マレーシアGPで事故死したチームメイトのマルコ・シモンチェリについて自身のブログで心境を語った。

    マルコ・シモンチェリと青山博一は、250cc時代にライバルとしてタイトルを争い、MotoGPではチームメイトとして戦ってきた。

    「昨日のレース中の転倒事故でチームメートであるマルコが懸命な処置のかいなく亡くなりました。何と言ってよいのか言葉が見つかりません」と青山博一はコメント。

    「彼とは250の時からライバルとして争い、MotoGPに上がっても同じルーキーとしてお互いを意識していたとおもいます。そして今年はチームメートとして一緒にやってきました」

    「サーキットでもサーキット以外でも気さくな奴で、みんなの人気者、今年は特に乗れていたし皆が期待していた。前回は2位の表彰台に立ち、今週も勢いに乗っていたのにそれがこんなことになってしまうなんて、なぜ、どうして、としか今は考えられません」

    「残されたマルコの家族と彼を応援した全てのファン、関係者に心から追悼の意を表します。 本当に残念で仕方がないです。マルコの安らかな眠りを願います」

    青山博一は、2012年からスーパーバイク選手権に戦いの場を移すことを発表している。

    関連:
    マルコ・シモンチェリ、MotoGPのレース中に事故死 - 2011年10月24日
    青山博一、2012年からスーパーバイク世界選手権に転向 - 2011年10月17日

  • F1ドライバー、マルコ・シモンチェリに追悼コメント

    F1ドライバー、マルコ・シモンチェリに追悼コメント

    F1ドライバーが、MotoGP マレーシアGPの事故で命を落としたマルコ・シモンチェリにTwitterで追悼コメントを寄せた。

    マルコ・シモンチェリ(享年24歳)は、マレーシアGPの決勝レースの2周目にコントロールを失い転倒。コーリン・エドワーズとバレンティーノ・ロッシに接触して頭部、頸部、胸部を強打し、死亡した。

    若い才能を失ったモータースポーツ界からはカテゴリーを越えて多くの追悼コメントが寄せられており、F1ドライバーもTwitterを通じて哀悼の意を表した。

    マーク・ウェバー
    「マルコ、安らかに眠れ。惜しまれる特別な才能の持ち主だった。君の愛する人々、MotoGPパドック全員のことを考えている…マーク」

    ジェンソン・バトン
    「マルコ、安らかに眠れ… 非常にエキサイティングな才能が失われた。彼の家族、友人、MotoGP関係者全員に哀悼の意を表する。モータースポーツはときに非常に残酷だ…」

    ルイス・ハミルトン
    「マルコ・シモンチェリ、安らかに眠れ。つらい思いをしていらっしゃる彼の家族、友人、チームと気持ちは一緒です。このように若くして亡くなるとは悲劇だ」

    ヘイキ・コバライネン
    「MotoGPスターのシモンチェリがクラッシュで亡くなったなんて信じられない。今日また偉大な才能が失われた」

    ルーベンス・バリチェロ
    「今朝ブラジルでニュースを聞いて本当に辛かった。また偉大な人物、偉大なライダーが亡くなった…シモンチェリ、安らかに眠れ…」

    関連:マルコ・シモンチェリ、MotoGPのレース中に事故死

  • MotoGP、マルコ・シモンチェリの事故死の状況を説明

    MotoGP、マルコ・シモンチェリの事故死の状況を説明

    MotoGPのレースディレクションは23日、セパン・インターナショナル・サーキットのプレスカンファレンスルームで、第17戦マレーシアGPの決勝レースで事故死したマルコ・シモンチェリの状況に関して共同会見を行った。

    レースディレクションの代表であるポール・バトラーは、「この記者会見の目的は、マルコ・シモンチェリの悲劇的な死亡の状況を検証することです」と説明を始めた。

    「皆様がご存知のように、我々レースディレクションのメンバー全員がここに出席します。FIM国際モーターサイクリズム連盟の代表であるクロード・ダニス、ドルナスポーツの代表であるハビエル・アロンソ、ライダーの代表であるフランコ・ウンチーニ、そして私はIRTA国際レーシングチーム連盟の代表兼レースディレクションの代表です。ミケーレ・マッキアゴデーナは我々のメディカルディレクターであり、彼が死亡に関して状況を説明します。」

    マッキアゴデーナは、「友人であるマルコ・シモンチェリの死亡に関して報告するために、ここにいることは大変悲しいです。他のライダーたちに激突したレース中の転倒でした。彼は頭部と首、胸部に深刻な外傷を負いました。」

    「我々のメディカルスタッフが彼のところに駆けつけたとき、彼は意識不明でした。心停止だったことから、救急車で、CPR(心肺蘇生)を始めました。」

    「緊急に、メディカルセンターでクリニカモービルのスタッフと地元医師の助けを借り、挿管を施行し、胸部から少量の血液を吸引することが可能でした。」

    「我々は彼を助けるために治療を尽くし、可能だと考えて、CPRを45分間継続しました。不運にも彼を助けることができず、現地時間の16時56分に死亡を宣言しなければいけませんでした」と、状況を説明した。

    バトラーは、ヘルメットが外れたことに関する質問に対して、「他の機会に答えることができると思います。事故の状況や結果を徹底的に調査します」と、事故検証を実施することを説明。

    コーリン・エドワーズの負傷状態に関して、マッキアゴデーナは「肩を脱臼しました。麻酔を受け、正しい位置に戻りました。彼は大丈夫です」と説明。

    「我々は彼の家族に同情します。可能な限り、あらゆる点を示したい」と、バトラーは付け加え、会見を締め括った。

    マルコ・シモンチェリ 経歴

    1996年から2000年にかけて地元イタリアのミニバイク選手権で活躍し、2年連続のチャンピオンに輝く。01年にイタリア選手権125ccクラスのホンダ・トロフィーに参戦。翌02年には、欧州選手権の125ccタイトルを獲得するとともに、ロードレース世界選手権(WGP)にも出場。03年からWGPにフル参戦を開始し、05年には125ccで総合5位と躍進すると、翌年から250ccにステップアップを果たした。08年には250ccのタイトルを獲得し、09年は、最終戦までライバル青山博一選手とタイトル争いを繰り広げ、総合3位となった。2010年に最高峰のMotoGPにステップアップ。参戦2年目の2011年、第17戦マレーシアGP決勝レースにおけるアクシデントで負傷し、サーキットのメディカルセンターで救命処置が行われたが同日逝去。享年24歳。

    関連:マルコ・シモンチェリ、MotoGPのレース中に事故死

  • ホンダ、マルコ・シモンチェリ選手に哀悼の意

    ホンダ、マルコ・シモンチェリ選手に哀悼の意

    HRC社長の鈴木哲夫とHRC副社長兼HRCチーム代表中本修平が、MotoGP マレーシアGPでの事故で命を落としたマルコ・シモンチェリ選手に哀悼の意を表した。

    マルコ・シモンチェリ選手は、2008年に250ccのタイトルを獲得。2009年は、最終戦までライバル青山博一選手とタイトル争いを繰り広げ、総合3位となり、翌2010年に最高峰のMotoGPにステップアップした。

    鈴木哲夫 HRC社長
    「本日起きてしまった悲しい事故で、飽くなきチャレンジングスピリットにあふれ、輝かしい未来を嘱望された若く優秀なライダーを失ってしまったことは、本当に残念で仕方ありません。彼のどこまでも妥協を許さないアグレッシブな走りを、世界中のファンはきっといつまでも忘れないことでしょう。マルコ・シモンチェリ選手並びにご家族に対し、私たちHRCのスタッフ全員は、謹んで哀悼の意を表します」

    中本修平 HRC副社長兼HRCチーム代表
    「何と言っていいか分かりません。マルコはとてもいい男であると同時に才能豊かなライダーでした。彼に対しては、時に厳しく接したこともあります。ブルノで初めて表彰台に上った際『運が良かったね』と声をかけると、彼がとても怒ったのを覚えています。私は、もっといい走りができると信じていたので、モチベーションを上げようとしたのです。彼が優勝したときには、2人で喜び合うことができると思っていたのですが……。今はマルコにありがとうと伝えたいです。彼はたくさんのものを私にくれました。そして、今悲しみの中にいる彼のご家族に哀悼の意を捧げます」

    マルコ・シモンチェリ 経歴

    1996年から2000年にかけて地元イタリアのミニバイク選手権で活躍し、2年連続のチャンピオンに輝く。01年にイタリア選手権125ccクラスのホンダ・トロフィーに参戦。翌02年には、欧州選手権の125ccタイトルを獲得するとともに、ロードレース世界選手権(WGP)にも出場。03年からWGPにフル参戦を開始し、05年には125ccで総合5位と躍進すると、翌年から250ccにステップアップを果たした。08年には250ccのタイトルを獲得し、09年は、最終戦までライバル青山博一選手とタイトル争いを繰り広げ、総合3位となった。2010年に最高峰のMotoGPにステップアップ。参戦2年目の2011年、第17戦マレーシアGP決勝レースにおけるアクシデントで負傷し、サーキットのメディカルセンターで救命処置が行われたが同日逝去。享年24歳。

    関連:マルコ・シモンチェリ、MotoGPのレース中に事故死