カテゴリー: F1日本GP

  • 岩佐歩夢 F1日本GPフリー走行1で好走「自分の中でもすごく自信になった」

    岩佐歩夢 F1日本GPフリー走行1で好走「自分の中でもすごく自信になった」

    岩佐歩夢は、2024年第4戦F1日本GPのフリー走行1回目にRBのルーキーFP1枠で出走し、16番手タイムをマークした。

    RBは、鈴鹿サーキットに新しいフロアを投入。角田裕毅はその新型を、岩佐歩夢は旧型をマシンに搭載し、比較のためのデータを取った。そのなかでミスをすることなく、安定した走りをみせた。

    母国でF1公式セッションデビューとなったを果たした岩佐歩夢は、金曜日から鈴鹿サーキットに駆け付けたファンについて「いやぁ、すごいですね。クルマに乗っていて迫力を感じる部分があって、ファンの皆さんが手を振っているのも目に入ってきました」

    「しっかり楽しんで走ることができたので、すごくいい思い出ですし、大きな経験になったなと思います」

    「プログラムも順調に進んだと思いますし、自分自身のドライビングパフォーマンス的にも自分が想定してたラップタイムより出すことができたので、そのあたりは自分の中でもすごく自信になりました」

    「チームもかなりいい評価をしてくれているようなので、またひとつ良いステップを踏めむことができたたかなと思います」

    RBでシミュレーターでの作業を担当している岩佐歩夢は、実際の鈴鹿の違いをについて「少し違う部分がありましたが、かなり近い部分もあります」と語った。

    「F2やスーパーフォーミュラと比べるとデータ量も多いですし、精度はすごく高いと感じました。これからもシミュレーターワークもどんどんやっていきますが、改善が必要な発見もあったので、チームにフィードバックしていこうと思っています」

    岩佐歩夢 2024年F1 日本GP

  • F1日本GP フェルスタッペンFP1最速でレッドブルが1-2 角田裕毅9番手

    F1日本GP フェルスタッペンFP1最速でレッドブルが1-2 角田裕毅9番手

    2024年のF1世界選手権 第4戦 日本GPのフリー走行1回目が4月5日(金)に鈴鹿サーキットで行われ、マックス・フェルスタッペン(レッドブル・レーシング)がトップタイムをマークした。母国レースとなる角田裕毅(RB)は9番手タイムだった。

    フェルスタッペンはセッション中盤にソフトタイヤで1分30秒056をマーク。2番手に0.181秒差でチームメイトのセルジオ・ペレス、3番手には0.213秒差で前回大会オーストラリアで優勝したカルロス・サインツJr.(スクーデリア・フェラーリ)が続いた。

    史上初となる4月開催となる日本グランプリ。桜が咲く鈴鹿サーキットで午前中の天気予報から雨マークは消え、気温17度、路面温度25度のドライコンディションで60分間のFP1セッションはスタート。

    今大会ではレッドブルとホンダの育成ドライバーである岩佐歩夢がルーキーFP1枠でRBから角田裕毅とともに出走。鈴鹿サーキットの公式セッションで2人の日本人ドライバーが走るのは2010年の小林可夢偉(ザウバー)と山本左近(HRT)以来となる。

    開幕3戦を終えて多くのチームがアップデートを投入。アストンマーティンが最も大きな改良を加えており、レッドブルとRBは新しいフロアを入れている。

    セッションのちょうと30分のタイミングで、ローガン・サージェント(ウィリアムズ・レーシング)がターン7でクラッシュ。スペアカーのないウィリアムズにとってマシンを壊せない状況だが、モノコックまでダメージは及んでいないようだ。ただし、新しいフロントウイングのスペアはないはずで、サージェントは旧型のフロントウイングで戦うことになりそうだ。ちなみに、サージェントには前回大会でクラッシュしたアレクサンダー・アルボンを修理したマシンが割り当てられている。

    このクラッシュで各チームのランプランは狂い、マクラーレンは新品ソフトでの走行が中断された。また、ザウバー勢はミディアムタイヤのみでセッションを走り切った。

    上位3台に続いたのがジョージ・ラッセル(4番手)とルイス・ハミルトン(5番手)のメルセデス勢。開幕から厳しい状況の続くメルセデスでは、当初欠場が予定されていたチーム代表のトト・ヴォルフがそれを撤回して鈴鹿入りしている。

    6番手にはシャルル・ルクレール(フェラーリ)、7番手にはフェルナンド・アロンソ(アストンマーティン)、8番手にはオスカー・ピアストリ(マクラーレン)とビッグ5チームのマシンが続いた。

    そこに割って入ったが角田裕毅(RB)。トップから1.147秒差の9番手タイムをマークし、ランド・ノリス(マクラーレン)を上回った。ちなみにマクラーレンは、今大会で日本人アーティストのMILTZがデザインした特別カラーのMCL38を走らせている。

    岩佐歩夢(RB)は16番手タイムをマーク。角田裕毅が新しいフロア、岩佐は旧型のフロアを搭載し、比較のためのデータ取りがミッションとして与えられた。マシンを壊すことなく、下手すると、ダニエル・リカルドと同等のタイムで安定した走行をした岩佐はよい仕事をしたと言える。今後に繋がるセッションになったことを期待したい。

    2024年F1 日本グランプリのフリー走行2回目は15時から行われる。雨も予報されており、興味深いセッションとなりそうだ。

    2024年のF1世界選手権 日本GP角田裕毅とともにRBのマシンを走らせた岩佐歩夢は、今式セッションデビューでしっかりと仕事をこなした。

    2024年F1 日本GP フリー走行1回目 順位・ラップタイム

    順位 No ドライバー チーム タイヤ ギャップ 周回
    1 1 マックス・フェルスタッペン レッドブル 1分30秒056   18
    2 11 セルジオ・ペレス レッドブル 1分30秒237 0.181 18
    3 55 カルロス・サインツ フェラーリ 1分30秒269 0.213 20
    4 63 ジョージ・ラッセル メルセデス 1分30秒530 0.474 18
    5 44 ルイス・ハミルトン メルセデス 1分30秒543 0.487 23
    6 16 シャルル・ルクレール フェラーリ 1分30秒558 0.502 18
    7 14 フェルナンド・アロンソ アストンマーティン 1分30秒599 0.543 20
    8 81 オスカー・ピアストリ マクラーレン 1分31秒165 1.109 23
    9 22 角田裕毅 RB 1分31秒230 1.174 20
    10 4 ランド・ノリス マクラーレン 1分31秒240 1.184 22
    11 31 エステバン・オコン アルピーヌ 1分31秒935 1.879 19
    12 23 アレクサンダー・アルボン ウィリアムズ 1分31秒943 1.887 18
    13 27 ニコ・ヒュルケンベルグ ハース 1分31秒058 1.902 19
    14 77 バルテリ・ボッタス ザウバー 1分32秒054 1.998 17
    15 40 岩佐歩夢 RB 1分32秒055 1.999 17
    16 10 ピエール・ガスリー アルピーヌ 1分32秒103 2.047 22
    17 18 ランス・ストロール アストンマーティン 1分32秒277 2.221 23
    18 24 周冠宇 ザウバー 1分32秒638 2.582 18
    19 20 ケビン・マグヌッセン ハース 1分32秒803 2.747 21
    20 2 ローガン・サージェント ウィリアムズ 1分32秒204 3.148 10
  • F1日本GP フリー走行1:角田裕毅は9番手 岩佐歩夢は16番手

    F1日本GP フリー走行1:角田裕毅は9番手 岩佐歩夢は16番手

    F1日本GP フリー走行1回目の結果。4月5日(金)に鈴鹿サーキットで2024年のF1世界選手権 第4戦 日本グランプリのフリープラクティス1が行われた。

    11時30分、気温17度、路面温度25度のドライコンディションで60分間のFP1セッションはスタート。今大会では、岩佐歩夢がRBのルーキーFP1を担当。レギュラードライバーの角田裕毅とともに2人の日本人ドライバーが鈴鹿サーキットを走行した。

    30分が経過したちょうど12時。ローガン・サージェント(ウィリアムズ)がターン7でクラッシュして赤旗中断。スペアシャシーのないウィリアムズだが、モノコックまでダメージは及んでいないようだ。

    フリー走行1回目のトップタイムをマークしたのはマックス・フェルスタッペン(レッドブル)で1分30秒056。0.181秒差で2番手にセルジオ・ペレス(レッドブル)、3番手に0.213秒差でカルロス・サインツJr.(フェラーリ)が続いた。角田裕毅(RB)はトップから1.174秒差の9番手。ダニエル・リカルドに代わってルーキーFP1を担当した岩佐歩夢(RB)は16番手だった。

    F1日本GP フリー走行2回目は、この後15時から行われる。

    2024年F1 日本GP フリー走行1回目 順位・ラップタイム

    1.マックス・フェルスタッペン(レッドブル) – 1分30秒056
    2.セルジオ・ペレス(レッドブル) – 1分30秒237
    3.カルロス・サインツ(フェラーリ) – 1分30秒269
    4.ジョージ・ラッセル(メルセデス) – 1分30秒530
    5.ルイス・ハミルトン(メルセデス) – 1分30秒543
    6.シャルル・ルクレール(フェラーリ) – 1分30秒558
    7.フェルナンド・アロンソ(アストンマーティン) – 1分30秒599
    8.オスカー・ピアストリ(マクラーレン) – 1分31秒165
    9.角田裕毅(RB) – 1分31秒230
    10.ランド・ノリス(マクラーレン) – 1分31秒240
    11.エステバン・オコン(アルピーヌ) – 1分31秒935
    12.アレクサンダー・アルボン(ウィリアムズ) – 1分31秒943
    13.ニコ・ヒュルケンベルグ(ハース) – 1分31秒058
    14.バルテリ・ボッタス(ザウバー) – 1分32秒054
    15.岩佐歩夢(RB) – 1分32秒055
    16.ピエール・ガスリー(アルピーヌ) – 1分32秒103
    17.ランス・ストロール(アストンマーティン) – 1分32秒277
    18.周冠宇(ザウバー) – 1分32秒638
    19.ケビン・マグヌッセン(ハース) – 1分32秒803
    20.ローガン・サージェント(ウィリアムズ) – 1分32秒204

  • 2024年F1 日本GP フリー走行1回目:順位・ラップタイム

    2024年F1 日本GP フリー走行1回目:順位・ラップタイム

    2024年F1第3戦日本GP フリー走行1回目の結果速報、ラップタイム。4月5日(金)に鈴鹿サーキットで2024年のF1世界選手権 第4戦 日本グランプリのフリープラクティス1が行われ、マックス・フェルスタッペン(レッドブル)がトップタイム。2番手にセルジオ・ペレス(レッドブル)、3番手にカルロス・サインツJr.(フェラーリ)が続いた。角田裕毅(RB)は9番手、岩佐歩夢(RB)は16番手だった。

    2024年F1 日本GP フリー走行1回目 順位・ラップタイム

    順位 No ドライバー チーム タイヤ
    1 1 マックス・フェルスタッペン レッドブル 1分30秒056
    2 11 セルジオ・ペレス レッドブル 1分30秒237
    3 55 カルロス・サインツ フェラーリ 1分30秒269
    4 63 ジョージ・ラッセル メルセデス 1分30秒530
    5 44 ルイス・ハミルトン メルセデス 1分30秒543
    6 16 シャルル・ルクレール フェラーリ 1分30秒558
    7 14 フェルナンド・アロンソ アストンマーティン 1分30秒599
    8 81 オスカー・ピアストリ マクラーレン 1分31秒165
    9 22 角田裕毅 RB 1分31秒230
    10 4 ランド・ノリス マクラーレン 1分31秒240
    11 31 エステバン・オコン アルピーヌ 1分31秒935
    12 23 アレクサンダー・アルボン ウィリアムズ 1分31秒943
    13 27 ニコ・ヒュルケンベルグ ハース 1分31秒058
    14 77 バルテリ・ボッタス ザウバー 1分32秒054
    15 40 岩佐歩夢 RB 1分32秒055
    16 10 ピエール・ガスリー アルピーヌ 1分32秒103
    17 18 ランス・ストロール アストンマーティン 1分32秒277
    18 24 周冠宇 ザウバー 1分32秒638
    19 20 ケビン・マグヌッセン ハース 1分32秒803
    20 2 ローガン・サージェント ウィリアムズ 1分32秒204

    2024年 第4戦 F1日本グランプリ 開催スケジュール
    ■4月5日(金)
    フリー走行1: 11:30~12:30
    フリー走行2: 15:00~16:00
    ■4月6日(土)
    フリー走行3: 11:30~12:30
    予選 : 15:00~16:00
    ■4月7日(日)
    決勝: 14:00~

  • ハースF1小松礼雄 「競争力のないフリをしていた」とのシュタイナーに反論

    ハースF1小松礼雄 「競争力のないフリをしていた」とのシュタイナーに反論

    ハースF1のチームである小松礼雄は、前任のギュンター・シュタイナーが示唆した、チームが良いクルマを持っていると分かっていながらプレシーズンの期待を軽視していたという指摘に異議を唱えた。

    先週のメディア向け電話会見でシュタイナーは、自身の離任前にすでにVF-24が競争力を持つことを風洞の数値が示唆しており、その潜在的な姿を予想する際にチームが控えめなアプローチを取ったのは「間違いだった」と示唆した。

    クルマはすでにQ3進出を果たしており、ニコ・ヒュルケンベルグとケビン・マグヌッセンの2人が3回ポイントを獲得し、チームはコンストラクターズランキング7位につけている。

    小松礼雄は、ライバルたちがどれだけ前進するかわからなかったので、チームはこのようなポテンシャルを予測できなかったと主張する。

    「どれだけのものを見つけ出しているかは知っていました」と小松礼雄は鈴鹿サーキットで語った。

    「でも、他の全員も少なくとも同じか、それ以上のものを見つけていると思わなければならない。 我々のスタートがいかに遅かったかを知っていますからね。オースティンのアップグレードのために2カ月間中断したことも知っています」

    「我々は最も小さなチームですよね? 我々はより高度な方法論を持っているわけではない。他のチームの方が平均的には誰よりも賢いはずです」

    「それが私のベースラインです。それはデタラメなことを言ったり、煙幕を張ったりすることではありません。それが私の現実に対する期待です」

    「そして、その数字を知っていたことに関しては、申し訳ないですが、大きな数字ではありませんでした。だから、あれでP7になれると思うはずがない。ありえない。じゃあ、どうやってアルピーヌがあのようになることを予想できます?予測できましたか?無理ですよね」

    「そうなると、誰かが失敗することを想定はできません。彼らが良い仕事をしていると想定する必要があります」

    小松礼雄は、外の世界に対する期待を軽視したのではなく、ハースが2023年に達成した10位に留まったとしてもチームメンバーが失望しないようにという理由もあったと認めた。

    「社内でも、バーレーンで10番手のなったクルマを見て落ち込んだり、うなだれてほしくありませんでした」と小松礼雄は語った。

    「というのも『君たちは自分たちが何をしているか分かっているだろう、車に十分なパフォーマンスを発揮するのに十分な時間がなかっただけだ。バーレーンで我々が10位だったとしても、それは君たちのせいではない』と確認したかったからです」

    「これが私が明確にしたかった内部メッセージです。だから、バーレーンで最下位になっても、落ち込まないように準備する必要がありました」

    「そうすれば、彼らは『よし、ここが我々のスタート地点であり、ここが我々が改善していくべき地点だ』と言う根拠を持てる」

    「それは内面的なメッセージであって、でたらめな煙幕ではない。まじめな話、それが私の期待でした」

    ハースF1チーム 小松礼雄 2024年F1 日本GP

    バーレーンのテストでは、パフォーマンスよりもタイヤマネージメントに重点を置いていたにもかかわらず、VF-24のポテンシャルが示されたと小松礼雄は認めた。

    「プレシーズンテストでは、初日と2日目のロングランペースを見て、他の2、3チームと戦えると思いました」と小松礼雄は語った。

    「どれぐらいかは正確にはわかりませんでしいが、8番手か7番手ぐらいでした」

    「でも、それは走り始めてからわかったことです。それに、クルマから発生するダウンフォースに関しても…風洞で言われているものとは大きく異なります」

    「それ自体が問題です。でも、いい驚きでもある。風洞の数値を見て、それを予測できただろうか?とんでもない」

    クルマは予想以上にダウンフォースを生み出しているのかと聞かれた小松礼雄は 「特に詳しくは言いたくない。でも、そういうことじゃないんです。直線的ではありません」

    「でも、トラック上で見られるある種の特性は、単純な数字、アウトライトの数字、ヘッドラインの数字で言えば、あまり良くないかもしれませんが、特性の点では、はるかに使いやすいですし、ドライバーはそれを引き出すことができます」

    「つまり、ピーキーなクルマを所有している場合、ドライバーは時々限界に達する可能性があります。しかし、たとえば、程度の良いクルマを所有している場合は、絶対的な性能は落ちるけど、十中八九、彼はそこに到達できる」

    「305km以上のレースを考えた場合、どのクルマが欲しいか? もちろん良いクルマが欲しいです。そして今年のクルマは、デザインによるものではないかもしれないですが、ある部分において、そのような穏やかなクルマに仕上がっています」

    「だからドライバーは自信を深めることができる。繰り返しになりますが、もし誰かが風洞実験からそれを見いだせるとしたら、それはすごいことです」

  • 2024年F1 日本GP:鈴鹿サーキット&タイヤコンパウンド解説

    2024年F1 日本GP:鈴鹿サーキット&タイヤコンパウンド解説

    2024年F1第4戦日本GPが、4月5日(金)~4月7日(日)の3日間にわたって鈴鹿サーキットで開催される。公式タイヤサプライヤーのピレリが2024日本グランプリのタイヤについて解説した。

    前回の来日からわずか半年余りでF1が日本に帰ってくる。昨年まではシーズン後半の9月か10月に開催されていた。その結果、ドライバーズランキングでもマニュファクチャラーズランキングでも、鈴鹿はたびたびワールドチャンピオンを輩出してきた。

    2022年にはマックス・フェルスタッペンが2度目のタイトルを、昨年はレッドブルがコンストラクターズチャンピオンに輝いた。

    シーズン第4戦は、3月末から4月初旬にかけての桜の季節と重なる。日本グランプリがこの時期に開催されるのは初めてのことで、第1回パシフィックGPは1994年4月17日に英田で開催され、その後1995 年には10月に開催された。春先の気温は平均8℃から13℃と、チームが日本で慣れ親しんでいる気温よりも低い。

    鈴鹿は真のクラシック。ホンダが所有する全長5.807kmの鈴鹿サーキットは、F1でも珍しい8の字レイアウトの厳しいコースで、すべてのドライバーの才能が試される。

    マシンとドライバーにとって並外れたチャレンジであることに加え、このトラックはタイヤにも試練を与える。アスファルトの粗さと摩耗のレベルが高いため、摩耗の面でも、周回を構成するさまざまなコーナーでタイヤが受ける力と負荷の面でも。いつものように、ピレリは最もハードなトリオのコンパウンドを選択した。C1がハード、C2がミディアム、C3がソフト。これはバーレーンでの開幕戦と同じ選択だ。

    2024年F1 日本GP

    タイヤを通過するエネルギーとタイヤが受けるストレスのため、2ストッパーが最も一般的な戦略だ。しかし、気温が下がれば、特にタイヤに優しいドライバーにとっては1ストップ作戦が可能になるかもしれない。その一方で、ピットからのアウトラップでタイヤの温度を上げるときなど、タイヤを適切なウインドウに保つことが難しくなる可能性もある。鈴鹿では通常、ハードとミディアムのコンパウンドが好まれているが、1ストップの場合はアンダーカットの効果も減少する。

    日本グランプリの後、4月9日(火)と4月10日(水)の2日間、来シーズンの構造とコンパウンドを開発するために、ステイクF1チーム・キック・ザウバーとビザ・キャッシュアップRBフォーミュラワン・チームによるピレリタイヤのテストが行われる。

    日本グランプリはこれまで37回開催されており、そのうち33回は鈴鹿で開催されている。残りの4回はトヨタが所有する富士スピードウェイで開催された。最も成功したドライバーはやはり6勝を挙げたミハエル・シューマッハで、ポールポジション(8回)と表彰台(9回)でも最多を記録している。チーム別ではマクラーレンが最多優勝(9回)、フェラーリが最多ポールポジション(10回)を獲得している。

    2024年F1 日本グランプリF1 日本GP 鈴鹿サーキット

    鈴鹿サーキットには18のコーナーがあり、その中にはスプーン、130R、ターン2とターン7の間にある上り坂のコンビネーションなど、世界選手権カレンダーで最も有名なコーナーのひとつに数えられているコーナーがある。あまり知られていないが、2つのデグナー・コーナーは1950年代から1960年代にかけて活躍したドイツのオートバイレーサー、アーネスト・デグナーにちなんで名づけられた。

    1931年にグライヴィッツ(ポーランドのシレジア高地)で生まれ、東ドイツで育ったデグナーは、東ヨーロッパで最も著名なスポーツマンのひとりだった。彼は、第二次世界大戦中、アドルフ・ヒトラーの依頼でナチスの秘密兵器研究施設ピーネミュンデで働いていた優秀なエンジニア、ヴァルター・カーデン設計のMZ型2ストロークバイクでレースに出場した。カーデンの創造性のおかげで、MZはヨーロッパの既存の競争相手だけでなく、その名を知られ始めたばかりの日本の新興ライバルにも打ち勝つことができた。

    たとえば1960年、スズキは初めて国際競争に参戦したが、日本のマシンは劇的に遅く、1960年のマン島TTでは優勝者から15分遅れで完走した。日本企業が緊急に外部のノウハウを必要としていることは明らかだったが、それをどこで見つけることができるのか?その答えは翌年、デグナーと鈴木俊三社長との偶然の出会いにあった。会話の中で、デグナーは、戦後の緊縮財政から脱却しつつあった東ドイツでの退屈な生活に飽き飽きしていたと語った。また、シュタージ(ドイツの秘密警察)に常に監視され、レースのたびに尾行されることにもうんざりしていたという。

    シュタージはデグナーが亡命することを懸念し、彼の家族がレースに来ることを許さなかった。デグナーには常に家に帰る理由が残るようにしていた。当然のことながら、デグナーは他のほとんどのライダーが、たとえ才能にはるかに劣るライダーであっても、自分よりはるかに高い給料をもらっているという事実も嫌っていた。彼の母国の体制下では、彼は事実上他のMZ労働者と同等の給料で妥協しなければならなかったからだ。

    すぐに合意に達した。デグナーは東ドイツを離れ、スズキのバイク開発を手伝い、その後、日本のレースに参戦することになった。しかし、デグナーは家族を置いて東ドイツを離れるつもりはなく、ベルリンの壁ができたばかりで、家族を連れ出すことはほとんど不可能に思えた。

    そこでデグナーは、1961年のスウェーデンGPの週末(クリスチャンスタで開催)に、東ベルリンに頻繁に出張していた西ドイツの友人の助けを借りて、家族の脱出を計画した。その友人はリンカーン・マーキュリーのトランクに秘密のコンパートメントを設けて家族を密かに脱出させた。デグナーはシュタージが自宅の家族よりも海外のレース週末に彼の観戦に多くの時間を費やしているという事実を信頼した。

    エンジントラブルでスウェーデンのレースをリタイアしたデグナーは、家族と再会するために西ドイツに逃亡し、その後スズキ本社のある浜松に移った。MZは、他の誰かがデグナーの例に倣うという素晴らしいアイデアを思いついた場合に備えて、すぐに海外レースプログラムをキャンセルした。

    デグナーは1962年にスズキのレースに参戦し、シュタージに殺される恐怖におびえながらも、50ccクラスで初の世界タイトルを獲得した。しかし、その夢は翌年には悪夢に変わった。鈴鹿での日本グランプリで、現在デグナー・カーブとして知られる場所でバイクから落下。燃料タンクが爆発し、50カ所以上の皮膚移植を必要とする大やけどを負った。

    デグナーは1962年にスズキからレースに出場した。シュタージに殺されるかもしれないという常に恐怖に怯えながらも、彼はなんとか50ccクラスで初の世界タイトルを獲得した。しかし、その夢は翌年悪夢に変わった。鈴鹿で行われた日本グランプリで、彼は現在デグナーカーブとして知られる場所でバイクから転倒し、燃料タンクが爆発して50以上の皮膚移植を必要とする重度の火傷を負った。

    翌年にはレースに復帰したが、1966年に引退するまでアクシデントに悩まされた。絶え間ない痛みを抱えた生活が原因でモルヒネ中毒に陥り、テネリフェに住んでいた1983年に51歳で亡くなったのは、公式には心臓発作によるものだったが、過剰摂取が原因だとする説も多く、またシュタージがついに彼を追いつめたという説もあった。

    いずれにせよ、鈴鹿サーキットの第8コーナーと第9コーナーは、日本のモーターサイクル史に貢献した彼の名を冠している。

  • アロンソ メルボルンのF1ペナルティは「ドライビングスタイルを変えない」

    アロンソ メルボルンのF1ペナルティは「ドライビングスタイルを変えない」

    フェルナンド・アロンソは、潜在的に危険な運転に対してF1オーストラリアGPのスチュワードから科された「奇妙」なペナルティは、ドライビングスタイルを変えることを促すものではないと語った。

    アロンソはレース後、アルバート・パークのターン6でジョージ・ラッセルのメルセデスとバトルしていた際に、通常より早くブレーキングを行ったとして20秒のタイムペナルティを科せられた。

    アロンソはクリーンな立ち上がりを確保しようとしており、潜在的にはラッセルにワイドラインを取らざるを得なくなる可能性があった。

    しかし、ラッセルにとってすべてはうまくいかなかった。ライバルの予期せぬ策略に巻き込まれ、メルセデスのグリップを失ってアウト側にクラッシュし、大破したW15はコース中央で停止した。

    アロンソはペナルティーに驚きを隠せない様子だったが、このアクシデントを特殊な状況だったと説明。アグレッシブなディフェンスは日常的なことではなく、今後もレーススタイルを変えるつもりはないと強調した。

    ディフェンシブ・ドライビングのルールは明確だったと思うかと尋ねられたアロンソは「明確だった。今でも明確だと思う。メルボルンでのペナルティは少し意外だった」と語った。

    「僕らにできることは何もないし、それを受け入れて前に進み、ここに集中するしかない。でも、僕らがどうドライブし、どうレースに臨むかについては、あまり変わらないと思う」

    「57周を同じように走る義務はない。燃料を節約したり、タイヤを節約したり、バッテリーを節約したりするために、ペースを落とすこともある」

    「コーナーの進入やトラックのセクターによっては、DRSを使うためにペースを落とすこともある。後ろの2台目の車が速いペースを出している場合、それが役立つツールになるからだ」

    「それらはすべて、まったく普通のことだ。昔も今も、そしてこれからもモータースポーツではそうだろう。したがって、おそらく一度きりのペナルティで、二度と適用することはないだろう」

    フェルナンド・アロンソ アストンマーティン・コグニザント・フォーミュラワンチーム

    スチュワードは報告書の中で、この策略の結果が裁定に影響したわけではないことを強調しているが、アロンソは、ラッセルのクラッシュというアクシデントの結果が、この行為に対するスチュワードの評価に大きく影響したと考えている。

    「もし彼がアブダビでアスファルトのランオフエリアか何かを走っていたとしたら、ジョージはその数メートル後に再びコースに復帰し、次のラップか次のストレートで僕を狙うと思う。そして、何の問題もないだろう」とアロンソは自信たっぷりに主張した。

    アロンソはまた、アルバート・パークのターン6の構成とコーナーのバリアの特定の位置については調査が必要であり、おそらく変更される可能性があると示唆した。

    「あのコースでは現時点で最も安全なコーナーとは言えない」とアロンソは語った。
    「昨年はレースでアレックス(アルボン)が事故を起こし、今年はフリープラクティスでシャシーにダメージを与えた。

    「F2でもデニス(ハウガー)があそこでクラッシュしたと思う。ジョージはレースでだった」

    「僕としては、前を走るドライバーが何をするかしないかよりも、来年に向けて変えるべき重要なポイントだ。ドライバーを避けるために回避行動などを取る必要がない限りはね。そうではなかった」

    「それがオーストラリアの後も、そして今も僕が言いたいことだ。僕は前に進む。それについてはあまり話したくない」

  • ルクレール F1日本GPヘルメットでジュール・ビアンキをトリビュート

    ルクレール F1日本GPヘルメットでジュール・ビアンキをトリビュート

    フェラーリのF1ドライバー、シャルル・ルクレールは、今週末の日本GPで故ジュール・ビアンキに捧げる感動的なヘルメットのデザインを発表した。

    ビアンキは、10月に開催された2014年のレース中に濡れた鈴鹿サーキットのコースでアクアプレーニング事故を起こし、重傷を負い、その7カ月後に帰らぬ人となった。

    両家は親密な関係にあり、ビアンキはルクレールの名付け親であり、ルクレールのキャリアに大きく貢献したと言われている。

    ルクレールの最新のヘルメットは、ビアンキがマルシャでレースをしていたときに使用していたデザインからインスピレーションを得たもので、サイドには永久欠番となったフランス人ドライバーのカーナンバー17があしらわれている。

    ルクレールがビアンキのカラーでヘルメットを飾るのは今回が2度目で、2019年のモナコGPでは父親のデザインを取り入れたスプリットデザインを披露している。

    今年の日本GPはF1カレンダーの春枠に移動したが、2024年大会はビアンキの事故から10周年を迎えることになる。

    ヘルメットが公開される前にルクレールは「もちろん、ここはとても特別な場所だし、ここに来るといつも心のどこかにジュールのことを思い出す」と語った。

    「もちろん、僕はジュールズのことを頻繁に思い出す。なぜなら、彼は僕がそこに到達するのを助けてくれた人だからだ」

    「2010年の時点ですでに、彼は僕のマネジャーであるニコラ(トッド)と話をして、僕がF1に行けるようにサポートしてくれたんだ。彼は僕のキャリアを変えてくれた」

    「そして、それ以前から僕たちは非常に仲が良かったし、僕たちの家族は今でも非常に仲が良いんだ」

    「だから、ここに来るのはとても特別なことなんだ。今週末は彼のためにヘルメットをかぶるつもりだし、いつものように、彼はいつも僕の心の中にいる。、今週末に良い成績を収めることが非常に重要になるだろう」

    ピエール・ガスリーは、彼の同胞がシングルシーター・モータースポーツのはしごを登って頂点を目指すフランスの新進気鋭のドライバーたちの手本になったと信じている。

    「間違いなく、ジュールズは彼のありのままの姿として永遠に記憶されるだろう」とガスリーは語った。

    「ドライバーとしてだけでなく、人間としても、彼は非常に優しかった。彼は多くのドライバーの模範であり、特にフランスではそうだった」

    「すべての若いドライバーたちと同じように、アントワーヌ(ユベール)、エステバン、その他多くの若い子供たちとフランスチームにいたときのことを覚えている。僕たちは明らかに彼をF1の次のビッグスターとして尊敬していた。彼が最終的にフェラーリ入りすることは誰もが認めることだったと思う」

    「何が起こったのかを思い出すと、とてもとても悲しい。彼は間違いなくF1に、そしてF1を越えてその足跡を残したし、僕は間違いなく彼のことをずっと忘れない」

    シャルル・ルクレール 2024年F1 日本GPジュール・ビアンキ

  • フェルスタッペン F1日本GP木曜「鈴鹿はRB20の長所を生かせる」

    フェルスタッペン F1日本GP木曜「鈴鹿はRB20の長所を生かせる」

    マックス・フェルスタッペンは、レッドブル・レーシングがオーストラリアでリタイアの原因となったブレーキ問題から「学ぶ」と信じており、2024年F1第4戦日本でのレース週末でチームが良いパフォーマンスを発揮できると自信を持っている。

    フェルスタッペンは当初、ポールポジションからオープニングラップをリードし、メルボルンでの連勝記録を更新するかに見えた。しかし、すぐにフェラーリのカルロス・サインツに抜かれた後、RB20のリアから煙が出始め、マシンをリタイアさせるためにゆっくりとピットに戻ることを余儀なくされた。

    問題は右リアブレーキにあることが確認されている。フェルスタッペンはこの週末を振り返り、早くから何か問題がある兆候があったことを認めている。

    「土曜日には物事が本来あるべき姿ではないといういくつかの兆候がすでに見えていたと思う」とフェルスタッペンはコメントした。 「もちろん、今振り返ってみると、ブレーキキャリパーが原因だったと言える」

    「でも、クルマに何も不具合は見つからなかった。リタイアはもちろん常に悪いことだけど、故障があると、それが製造仕様であれ何であれ、その場合はさらに悪くなる」
    「僕たちはそこから前に進み、そこから学び、同じことが再び起こらないことを願っている。でも、通常は起こるべきではなかった」

    マックス・フェルスタッペン レッドブル・レーシングマックス・フェルスタッペンはオーストラリアGPで2年ぶりのリタイアを記録した。

    鈴鹿での週末に向けて何か懸念があるかと問われたフェルスタッペンは「ノー」と答えた。

    今年から日本GPの開催時期が早まり、前回F1が鈴鹿サーキットを訪れるのは半年あまり前の2023年9月となる。そのときはフェルスタッペンとレッドブルはシンガポールでの厳しい週末を終えて鈴鹿に到着したが、今回はフェルスタッペンがメルボルンでリタイアしたことから、同じようなシナリオが描かれている。

    しかし、フェルスタッペンは、鈴鹿サーキットがRB20の長所を発揮できることを期待している。

    「毎年違う」とフェルスタッペンは語った。 「昨年はシンガポールで少し難しい週末を過ごした。メルボルンのパフォーマンスを見ると、僕たちは速かったけど完走できなかったので、理想的ではない」

    マックス・フェルスタッペン 2024年F1 日本GPフェルスタッペンはレッドブルが鈴鹿でより良い週末を過ごせることを期待している。

    「でも、僕たちのクルマは通常、高速コーナーを好むので、今週末もそれを示すことができればと思っている」

    今年F1参戦60周年を迎えるエンジンパートナーのホンダのホームイベントであることを考えると、鈴鹿サーキットはフェルスタッペンとチームにとって特別なトラックでもある。

    フェルスタッペンはホンダとの関係のハイライトを振り返り、次のように語った。

    「一緒にレースやチャンピオンを獲得できたことが、ホンダとの僕のハイライトだと思う。彼らの人々と仕事ができることがね。僕たちはすでに多くの素晴らしいことを成し遂げてきたし、これからも多くのことを成し遂げていくだろう」

    「僕にとって、ここ日本にいるのはいつもとてもいいことだ。スキーも少ししましたし、すでに数日間日本に滞在している。ここに戻ってくるのはいつも嬉しいことだけど、実際、今年の早い時期、この時期はさらに楽しい」

    「かなり遠くに旅行するとき、オーストラリアから日本へ直行できるのは、とてもいいことだと思う」

  • ジョージ・ラッセル 「アロンソを罰しなければF1以外にも禍根が残った」

    ジョージ・ラッセル 「アロンソを罰しなければF1以外にも禍根が残った」

    ジョージ・ラッセルは、F1オーストラリアGPでのフェルナンド・アロンソの戦術を罰しなければ、モータースポーツ全般にモータースポーツ全体に禍根を残すことになったと主張した。

    ラッセルがアロンソを追いかける展開は初めてではないが、レース終盤にコースアウトしてクラッシュした。ラッセルとメルセデスはその後、アストンマーティンのベテランドライバーにブレーキテストをされたために事故が起きたと主張した。

    スチュワードはブレーキテストの証拠を見つけることができなかったが、彼の戦術が「潜在的に危険」であると感じ、20秒のペナルティを科し、アロンソを6位から8位に降格させた。

    アロンソはいまだにその行為を否定しているが、ラッセルはこの件に対処しなければF1だけでなくモータースポーツ全体に影響を及ぼす可能性があると主張している。

    ラッセルは日本GPの記者会見で「(先週起きたことは)明らかに少し奇妙な状況だった」と語った。

    「あのとき言ったように、完全に意表を突かれた。実はステアリングホイールを見ていて、ストレートでスイッチチェンジをしていた。ラップ全体で誰もがそうしている。そしてふと目を上げると、フェルナンドのギアボックスに入っていて、もう手遅れだった。次の習慣にはウォールに突っ込んでいた」

    「もしペナルティーが科せられなかったら、シーズンの残りの戦いにある意味で大きな禍根を残すことになったと思う。ジュニアのカテゴリーでは、ストレートでブレーキを踏んでもいいのか、減速してもいいのか、ギアを変えてもいいのか、加速してもいいのか、半ば不安定なことをしても許されるのか?

    「フェルナンドと起こったことを個人的には何も思っていない。そして、それはおそらく、必要以上に大きな影響を及ぼした。でも、さっきも言ったように、もしペナルティがなかったら、ストレートの真ん中でブレーキを踏んてもいいの?わからない。これ以上言うことはない」

    しかし、アロンソが自分のポジションを守るために行おうとしたことの是非について尋ねられたラッセルは「どのドライバーも、ラインを変えたり、早めにブレーキをかけたり、コーナーで力づく抜けるなど、何でもできる」

    「ストレートの途中でブレーキングを始め、シフトダウンし、加速し、またシフトアップし、コーナーのためにまたブレーキングする。それはラインを調整するという域を超えていると思う」

    「さっきも言ったように、僕はあのストレートでステアリングホイールを見ていたんだ。これまでのすべてのラップでそうしてきたようにね。コーナーの100メートル手前で顔を上げたとき、フェルナンドに0.5秒差ではなく、真後ろにいたことに気づいたんだ」

    「運転中は、気をつけなければならないことがたくさんある。トラックを見たり、ステアリングホイールのセッティングを変えたり、エンジンモードが正しいか確認したり、タイヤに気を配ったり、エンジニアと話したり、インラップ、アウトラップ、セーフティカー、どんな状況でもステアリングホイール上でのデルタを管理したり」

    「もしそこに、戦術的なアドバンテージを得るためにストレートの真ん中でブレーキをかけることが許されるとしたら、それは一歩行き過ぎだと思う。スリップストリームから抜け出すためにストレートを下ることについても同じだ。過去にはそういう話もたくさんあった。過度に危険というわけではないけど、みんなが動き回るとコンチェルティーナ効果がある。もし突然、誰かにブレーキテストを行ったとして、後ろに10台のクルマがいた場合、おそらく最初のドライバーよりも10人目のドライバーの方が大きな影響を受けるだろう。だから言ったように、フェルナンドがやったことが特別に危険だとは思わないけど、ペナルティーが科せられなかったとしたら、とんでもないことになる」

    フェルナンド・アロンソとの事故について語るジョージ・ラッセル

    「あのコーナーは見直す必要があると思う」とレース勝者のカルロス・サインツは語った。

    「これは前回のドライバーズブリーフィングでもすでに言ったことだ。衝突後にマシンがトラックに戻ってくるのは今に始まったことじゃないし、時速250kmで走っているコーナーでブラインドになってしまう」

    「他のカテゴリーでもそうだけど、このコーナーでのここいくつかの事故はあまり好きではない。あまりいい印象はない。誤解しないでほしいんだけど、素晴らしいコーナーなんだ。僕は予選ラップを走るのが大好きだ。ただ、レースとなると、クルマにトラックに戻ってきて、そこが非常に狭くなっている例があまりにも多いんだ。もう少し見直すべきコーナーだと思う」

    「このコーナーは素晴らしい」とラッセルも語った、「おそらくあのサーキットで最高のコーナーの一つだから、コーナーが変わるのは見たくない。でも、それが真実だ。もしあのウォールにぶつかったら、トラックに跳ね返されるだけだ。だから、あのコーナーに限ったことじゃない。バリアがある位置にあるすべてのサーキットで、サーキットに跳ね返されるようなことがあれば、それは明らかに良くないことだと思う」

    「我々は大規模なランオフは望んでいないし、ターマックのランオフも望んでいない。すべてが正しいと思う。あのウォールの位置は、たとえトラックに近くても、サーキットに沿っていれば、少なくともレーシングラインにバウンシングすることはない」

    ブレーキテスト以外では、ラッセルがトラックの真ん中でひっくり返ったマシンに閉じ込められている間にレースを止められなかったことが大きな話題となった。

    「信じられないほど不快なポジションだった」とラッセルは語った。「時速250kmのブラインドカーブで、レーシングライン上でマシンが半分ひっくり返った状態で、惨事が起こるのを待っていた」

    「幸いなことに、後ろには10秒の差があった。セーフティカーが出るまでは10秒か12秒だったと思う。でも、その10秒の間に5台、6台、7台のマシンがいて、それがレースの1周目だったとしたら、イエローフラッグが出ていたとしても、おそらく何度も追突されていただろう」

    「つまり、クルマが戻ってくるという危うい事故はこれまでに何度か見たことがある、22年の日本でのカルロスだ。クルマが危険地帯に入った場合、自動化され、すぐにVSCが作動する方法を見つける必要があると思う。0.5秒以内、その秒数が重要だからでだ。命が危険にさらされている。僕たちは過去に何度も、クルマがアクアプレーニングを起こすのを目の当たりにしてきた。テクノロジーの進歩により、この分野でステップを踏まなければならない時期に来ていると思う」。

    その後、アロンソと話をしたかと尋ねられたラッセルは、「実は帰国後に偶然、コーヒーショップでばったり会ったんだ……」と認めた。

    「そこでブレーキテストをした?」とマックス・フェルスタッペンは笑った。

    「いいや」とラッセルは言った、「さっきも言ったように、それは個人的なことはありない。ヘルメットをかぶっているときは、僕たちはみんなファイターで、競争しているんだ。ヘルメットを脱げば、お互いに敬意を払うことになる。だからもちろん、その瞬間はいろいろな感情がある。でもね、僕ら2人はこのことから前に進んだんだ」