カテゴリー: HRT

  • ダニ・クロス、HRTとの“金曜ドライバー”契約を信頼

    ダニ・クロス、HRTとの“金曜ドライバー”契約を信頼

    HRTのテストドライバーに就任したダニ・クロスは、ペイドライバーと見られているにも関わらず、新しい役割に満足していると述べた。

    ダニ・クロスがHRTのテストドライバーに就任したニュース、一部のジャナリストに彼が裕福なスポンサーを抱えたドライバーだとの印象を与えた。

    「僕がここにいるのはそれが理由ではない」とダニ・クロスは主張。

    だが、ダニ・クロスは、HRTでの役割と兼任で他のレースシリーズに参戦する「オプションを探している」ことを認めている。

    「オファーはあるけど、僕はHRTに満足している。どんな犠牲を払ってでもこの立場を得ようという人だっている」

    だが、ダニ・クロスは、もしF1に費やせるもっと多くの資金があれば、ナレイン・カーティケヤンの代わりにペドロ・デ・ラ・ロサのチームメイトを務めることができたかもしれないと認めた。

    「もっと貢献できれば、より多くの選択肢があるのは確かだ。でも、僕にとってはこれが今の僕の居場所だし、いるべき場所だ」

    またダニ・クロスは、最近多い名ばかりの“テストドライバー”とは違い、彼の役割にはグランプリでの金曜フリー走行での走行も含まれていると述べた。

    「そうだよ。金曜日に走る予定だ」とダニ・クロスは述べた。

    「ただそこにいるだけのドライバーとは違う」

    またダニ・クロスは、2010年にヴァージンで走行時間を約束されながら実現せずに契約を解消したアンディ・ソウセックのようにはならないと信じている。

    「それに関しては心配していない。チームを信じている」

  • ダニ・クロス、HRTのテストドライバーに就任

    ダニ・クロス、HRTのテストドライバーに就任

    HRTは、ダニ・クロスを2012年のテストドライバーに起用することを発表した。

    HRTは、若手ドライバー育成のためのプラットフォームを確立させようとしており、ダニ・クロスの加入はその一環となる。ダニ・クロスは、2012年シーズンの全てのグランプリに帯同し、いくつかの金曜フリー走行に参加する予定となっている。

    スペイン人ドライバーのダニ・クロスは、昨年11月にアブダビで実施された若手ドライバーテストにHRTから参加していた。

    HRTは、シーズン前の最終テストとなる3月1日からのバルセロナテストで新車F112を投入する予定となっている。

    ダニ・クロス
    「HRT F1チームの一員になれることをとても誇りに思っている。キャリアにおける大きなステップだし、ずっと夢見ていたことだ。夢が実現しはじめている。チームが行っている仕事にはとても感銘を受けた。彼らは短い期間で素晴らしいことを成し遂げている。チームはアブダビテストで会ったときから大きく変化しているし、この新しいチームの一員になることは素晴らしいチャンスであり、名誉だ。彼らが成し遂げていることは僕たちの国のモータースポーツにとって非常に重要だし、大きなポテンシャルがある。それにペドロ・デ・ラ・ロサと一緒に過ごせることも僕にとって非常に重要だし、彼とナレインは僕がもっと良いドライバーになることに貢献してくれるだろう。最初から僕への信頼を示してくれたサウル・ルイス・デ・マルコスとルイス・ペレス・サラに感謝したい。とりわけ、いつも僕の側にいてくれたレオナルド・ソルディヴィラと父親には感謝している。僕にとって新しいチャプターの始まりだし、僕のプライオリティはハードワークと献身だ。このフェーズがチーム、チームメイト、そして自分自身にとって成功となるように全力を尽くすつもりだ」

  • HRT F112、クラッシュテスト不合格でトラックデビューを延期

    HRT F112、クラッシュテスト不合格でトラックデビューを延期

    HRTは、今週行われたクラッシュテストに合格することができず、予定していた2回目のバルセロナテストでのF112のトラックデビューは延期となった。

    2012年からテスト前にFIAのクラッシュテストに合格することが義務付けられており、HRTは2月21日のバルセロナテストで新車F112をトラックデビューさせることを目指していた。

    しかし、HRT F112は17件のテストのうち、14件は通過したが、2件は不合格、1件はテストすることができなかった。

    チームの情報源によると、HRTは「非常に小さなマージン」でロールフープと横方向のノーズテストに不合格になったという。

    またフロントの衝撃テストは、横方向の衝撃テストを通過できなかったため実施できなかった。

    チームの情報筋は、特に一番の懸念だったシャシーテストは通過できたため、それらのテストを通過できなかったことは心配していないと述べた。

    当初HRTは、2月21日の2回目のバルセロナテストでF112をトラックデビューさせる計画だったが、再びテストするためには1週間で新しいパーツを製造する必要があるため計画を変更。3月1日の3回目のバルセロナでのトラックデビューを目指すこととなった。

    HRTは、今週ヘレステストの最初の2日間に昨年マシンで参加していた。

    HRTのドライバーを務めるペドロ・デ・ラ・ロサによると、HRT F112も他の2012年F1マシン同様、段差ノーズを採用しているという。

    関連:
    ・HRT、F112を発表 – 2012年3月6日
    ・HRT F112 – 主要諸元表

  • HRT、カルロス・スリムへの売却を検討?

    HRT、カルロス・スリムへの売却を検討?

    HRTの新オーナーであるテサン・キャピタルが、すでにチームをメキシコの富豪カルロス・スリムに売却することを検討している Die Welt が報じている。

    スペイン・マドリードに拠点を置くテサン・キャピタリは、昨年ホセ・ラモン・カラバンテからチームを買収した。

    ヒスパニアとして知られていたHRTは、元々2010年シーズン前に元F1ドライバーのエイドリアン・カンポスがカンポスとして設立したチーム。

    Die Welt によると、テサン・キャピタルのチーム売却の意向は、元チーム代表コリン・コレスの離脱に伴うものだとしている。

    コリン・コレスは、120名の従業員のほぼ全てと技術機材をドイツ・グレーディンクの彼の会社に戻したという。

    HRTは8日(水)、スペイン・マドリードのカハ・マヒカに本拠地を移転することを発表した。

    だが、 Die Welt はメキシコの企業を通じてザウバーとセルジオ・ペレスを支援しているカルロス・スリムにまもなくチームが売却される可能性があると主張している。

  • HRT、カハ・マヒカへの本拠地移転を発表

    HRT、カハ・マヒカへの本拠地移転を発表

    HRTは、チーム本拠地をスペイン・マドリードにある屋内競技場「ラ・カハ・マヒカ」に移転することを発表した。

    スペイン語で「魔法の箱」を意味するカハ・マヒカ(Caja Magica)は、テニスのATPワールドツアーなどが開催される屋内競技場で、HRTは施設の11,00?を使用する。

    サウル・ルイス・デ・マルコス (HRT F1 CEO)
    「我々にとって、チームを結合し、分散を終わらせることは別にしても、物流面と産業面で成果をあげる本拠地を持つこと重要なことだ。我々のファン、サプライヤー、スポンサーとより緊密な関係を維持することができる。マドリードとカハ・マヒカの施設は、我々が求めていた水準に完全に適法している。ここ数カ月で、そえらの賛否も考え、様々なオプションを評価してきた。そのなかでマドリードに恒久的な本拠地を置くことは最高の決断だと感じた。Madrid Espacios y Congresosが示してくれた関心に感謝したい。この関係は全員にとって非常に有益なものであると確信している」

    ルイス・ペレス・サラ (HRT F1 チーム代表)
    「我々はここ数カ月間、懸命に働いてきた。恒久的な本拠地を設立することは非常に重要なことだった。仕事を最適化し、チームに良いフィーリングと帰属意識を生み出すためにも、全員が一緒に働けるスペースを見つけることは不可欠だった。数カ月で施設の改築が完成し、全ての部門が同じ屋根の下で働き始めるときに野ぞっているステップはひとつだけだそれはマドリードにもデザイン部門を設けることだ。チーム、スポンサー、サプライヤー、ファンにとって独自性を感じ、活動を行う場所になるだけでなく、マドリード中心部の技術とR&Dの重要なリファレンスになる」

  • ペドロ・デ・ラ・ロサ 「個人的にはもっと走れる」 (ヘレステスト2日目)

    ペドロ・デ・ラ・ロサ 「個人的にはもっと走れる」 (ヘレステスト2日目)

    ペドロ・デ・ラ・ロサは、ヘレステスト2日目にHRT F111で64周を走行。HRTは、この日でテストを切り上げた。

    ペドロ・デ・ラ・ロサ (HRT)
    「今日は一日でかなり進歩することができた。特に何も変更することなくマシンから多くを引き出すことができた。とりわけ、今日はタイヤをより理解するために役に立った」

    「僕たち全員がよりお互いを理解してきているし、うまく作業できている。昨日は錆を落とすことができたし、今日は自分自身をリフレッシュできた。初日は限界まで攻めるのではなく、人々を知り、全員で一緒に作業を始めることが目的だった。チームは良い仕事をしていた。今日はどこまで行けるかをより確認できたし、それによってタイムを大きく改善できたと思う。今日は昨日よりさらに満足しているけど、個人的にはもっと走れる。笑顔で戻ることができるし、バルセロナをとても楽しみにしている」

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    関連:F1ヘレステスト2日目:ミハエル・シューマッハがトップタイム

  • ペドロ・デ・ラ・ロサ 「本当に楽しかった」 (ヘレステスト初日)

    ペドロ・デ・ラ・ロサ 「本当に楽しかった」 (ヘレステスト初日)

    ペドロ・デ・ラ・ロサは、ヘレステスト初日にHRTの前年マシンF111で44周を走行した。

    ペドロ・デ・ラ・ロサ (HRT)
    「正直、今日は本当に楽しかった。チームやマシン自体をかろうじて知っている程度だったので、序盤は少しナーバスになっていたことを認めなければならない。今日は物事を試すというよりも単純にお互いを知るために走行距離を稼ぐことが一番の目的だったし、チームは素晴らしい仕事をしてくれたと思う」

    「一緒に働くメカニックとエンジニアによって非常に恵まれていると感じたし、彼ら全員が素晴らしい仕事をしていた。僕たちはチームとして全員が新しいので、今日は全員が頑張ったと主張したい。あらゆる感覚がポジティブだった」

    ペドロ・デ・ラ・ロサ ペドロ・デ・ラ・ロサ HRT

    関連:F1ヘレステスト初日:キミ・ライコネンがE20でトップタイム

  • ダニエル・リカルド:プロフィール

    ダニエル・リカルド:プロフィール

    ダニエル・リカルド (Daniel Ricciardo)
    所属:スクーデリア・トロロッソ
    カーナンバー:16
    国籍:オーストラリア
    生年月日:1989年7月1日

    ダニエル・リカルド プロフィール

    パース出身のダニエル・リカルドが有名になったのは、レースのためにヨーロッパへ移住してから。イタリア・フォーミュラ・ルノーで1年間経験を積み、翌年2008年にはフォーミュラ・ルノー西ヨーロッパカップ(フランス・フォーミュラ・ルノー・チャンピオンシップが、ベルギーからイベリア半島にまで拡大したもの)に優勝して大きく躍進。シーズン15戦のうち10回のポールポジションと8レース優勝を果たし、ダニエルはチャンピオンに輝いた。

    2009年には、ひとつ上級クラスのイギリスF3チャンピオンシップ出場を果たした。新しいレースに慣れるまでにかかった時間はほんの数周で、シーズン開幕2戦で連続優勝を達成した。残るレースでも4回の圧倒的勝利と大量得点を果たし、2戦を残してチャンピオンシップに決着を付けた。こうして、ダニエルは、スチュワート、クラーク、フィッティパルディ、ピケ、セナ、ハッキネンなどの先輩レーサーたちが名を連ねる長いリストの最後に名前を刻んだ。

    2010年にはレッドブルのリザーブ・ドライバーに就任すると同時に、彼は2010年ワールド・シリーズ・バイ・ルノーにテック1レーシングから出場。年末のアブダビ若手ドライバーテストにレッドブルから参加し、トップタイムをマークした。

    2011年はトロ・ロッソのリザーブドライバーとして全戦の金曜午前フリー走行に出走する。第9戦F1イギリスGPからヒスパニア・レーシングにレンタル移籍し、F1でレースデビューを果たした。

  • ブルーノ・セナ:プロフィール

    ブルーノ・セナ:プロフィール

    ブルーノ・セナ (Bruno Senna)
    所属:ウィリアムズ
    カーナンバー:19
    国籍:ブラジル
    生年月日:1983年10月15日
    身長:180cm
    体重:69kg

    ブルーノ・セナ:経歴

    セナという名は、F1の歴史において非常に特別な位置づけをされている。アイルトン・セナは、F1史上最高のドライバーを選ぶとなれば少なくともその候補に挙げられる存在だ。

    出走した161レースのうち96レースはHondaエンジンを搭載したマシンに搭乗。その96レースで通算42勝のうちの32勝を挙げており、HondaのF1ドライバーとしては最も大きな成功を収めている。

    1994年にアイルトンがイモラで悲劇的な死を遂げた時、ブルーノは10歳の新進カートレーサーだった。セナ家にとってアイルトンの死はもちろん衝撃的な出来事で、ブルーノの母親ビビアンが息子にレース出場を禁じたのも当然のことだった。これに追い討ちをかけるように、ブルーノは叔父の死からわずか2年後、父親までもオートバイの事故で失ってしまう。

    ブルーノはイギリスのサン紙に対して次のように語っている。「心が張り裂けてしまいそうだった。母はというと、家族に多くの不幸をもたらしてきたレースの世界へ僕が進もうとしていることに恐怖を感じていた。それに当然、父に起きた出来事のことも頭にあっただろう。母としては、僕が何をやりたがっているか、何をすることに幸せを感じるかということだけで判断するわけにはいかなかったんだ」

    しかし、ブルーノの体を流れるレーサーの血がその流れを止めることはなかった。叔父の死から8年、ブルーノは早くコックピットに戻らなければと感じていた。「正直に言うと、15歳の頃からレースの世界に戻りたいと不平を言い続けてきた。レースをすることは守るべき大事な伝統のようなものだからね。多くのブラジル人にとって、叔父は神のような存在だったんだ」

    2004年、ブルーノの願いはついにかなえられた。イギリスへ渡り、フォーミュラBMW選手権のテストに参加したのである。1年後にはイギリスF3選手権にステップアップ。2006年には同選手権で総合3位となり、2007年のGP2のシートを獲得した。2008年、GP2選手権2位でカーレーサーとしての4シーズン目を終えている。

    2010年、ヒスパニア・レーシングのドライバーとしてF1デビュー。2011年はロータス・ルノーGPのリザーブドライバーを務める。

    ブルーノ・セナ プロフィール

    2011年: ロータス・ルノーGP リザーブドライバー
    2010年: ヒスパニア・レーシング
    2008年: GP2シリーズ 2位
    GP2アジアシリーズ 5位
    2007年: GP2シリーズ 8位
    2006年: イギリスF3選手権 3位
    オーストラリアF3選手権 参戦
    2005年: イギリスF3選手権 10位
    2004年: イギリス・フォーミュラBMWシリーズ 参戦
  • ペドロ・デ・ラ・ロサ:プロフィール

    ペドロ・デ・ラ・ロサ:プロフィール

    ペドロ・デ・ラロサ (Pedro de la Rosa)
    所属:HRT
    カーナンバー:22
    国籍:スペイン
    生年月日:1971年2月24日

    ペドロ・デ・ラ・ロサ プロフィール