投稿者: dbcheck

  • ジェレミー・クラークソン アルピーヌF1にビール贈呈「俺はフランス人じゃない」

    ジェレミー・クラークソン アルピーヌF1にビール贈呈「俺はフランス人じゃない」

    元アルピーヌF1チーム代表のオトマー・サフナウアーが、2023年F1モナコGPでエステバン・オコンが表彰台を獲得した際、英国の人気テレビ司会者ジェレミー・クラークソンがチームに大量のビールを贈った舞台裏を明かした。

    アルピーヌの本拠地エンストンの近くに農場を所有するクラークソンは、同チームを自身の「地元チーム」と呼び、これまでにもグランプリを訪れている。

    2023年のモナコでは、アルピーヌが表彰台に上がった場合、チーム全員に自身のビールブランド「ホークストーン」をプレゼントすると約束していた。

    オコンの3位でクラークソンが約束を実行
    当時のアルピーヌにとって、表彰台は決して現実味の高い目標ではなかった。モナコGPを迎えるまでオコンはシーズン2度の入賞にとどまり、チームの最高位もオコンとピエール・ガスリーがそれぞれ記録した8位だった。

    しかしモナコでオコンは予選4番手を獲得。シャルル・ルクレールのグリッド降格によって3番グリッドからスタートすると、決勝でもそのポジションを守り切り、3位表彰台を獲得した。

    クラークソンも約束を忘れてはいなかった。

    「エステバンがモナコで表彰台に上がった。そのレース中、ジェレミー・クラークソンが『近所の連中が表彰台に上がったら、全員にホークストーンを6本ずつやる』と言っていたんだ」とサフナウアーは『High Performance Racing』ポッドキャストで振り返った。

    「すると本当にランボルギーニのトラクターでやって来た。後ろには巨大な農業用トレーラーを引いていて、干し草とビールが山ほど積まれていた。全員が6本パックのビールをもらったよ」

    クラークソンは自身が所有する農場「ディドリー・スクワット・ファーム」で農業を営んでおり、ホークストーンはそこで収穫された大麦などを使って展開されているブランドだ。大量のビールを農業用トラクターでアルピーヌへ届けるという、いかにもクラークソンらしい演出だった。

    エステバン・オコン(アルピーヌF1チーム) 2023年モナコGP

    「なぜなら俺はフランス人じゃないからな!」
    さらにサフナウアーによれば、ビールが届けられた際にはチームメンバーが屋外に集まり、オコンがマイクを手にクラークソンへの感謝を伝えたという。

    「僕はジェレミーの隣に立っていた。エステバンがマイクを持っていて、スピーカーも用意され、みんなが外に集まっていた。夏だったね」

    「エステバンが『ジェレミー・クラークソンには、僕たち全員に6本ずつビールをくれただけでなく、約束を守ってくれたことにも本当に感謝したい』と言ったんだ」

    その言葉を聞いたクラークソンは、隣にいたサフナウアーの前で即座にこう叫んだという。

    「なぜなら俺はフランス人じゃないからな!」

    英国人らしい皮肉を交えたクラークソンの一言により、アルピーヌにとって記念すべき表彰台祝いはさらに印象深いものとなった。

    アルピーヌとの関係は2026年も継続
    クラークソンとアルピーヌの関係は、その後も続いている。

    2026年F1イギリスGPでは、ディドリー・スクワット・ファームがアルピーヌのホスピタリティに食材を提供。モナコでのビールのプレゼントから3年が経過した現在も、クラークソンは「地元チーム」とのつながりを維持している。

    オコンがもたらした2023年モナコGPの表彰台はアルピーヌにとって貴重な成功だったが、その裏ではクラークソンがトラクターいっぱいのビールを届け、得意のジョークでチームを沸かせるという、F1パドックらしいユニークなエピソードが生まれていた。

  • レッドブルF1 オランダGPで特別スーツ フェルスタッペンとハジャーで異なる配色

    レッドブルF1 オランダGPで特別スーツ フェルスタッペンとハジャーで異なる配色

    レッドブル・レーシングは、2026年F1オランダGPに向けてマックス・フェルスタッペンとアイザック・ハジャーが着用する特別仕様のレーシングスーツを公開した。

    ザントフォールトで開催されるオランダGPは、少なくとも当面の間は今回が最後の開催となる。地元オランダ出身のフェルスタッペンにとってはもちろん、ハジャーにとっても特別な思い出を持つグランプリだ。

    フェルスタッペンはオレンジ ハジャーはシルバーの特別仕様
    レッドブル・レーシングが公開したオランダGP仕様のレーシングスーツでは、フェルスタッペンとハジャーで異なるカラーリングが採用された。

    フェルスタッペンはオレンジをアクセントとして取り入れ、ホームグランプリを意識したデザインとなっている。一方、ハジャーはシルバー系をアクセントに使用。基本となるネイビーのレッドブルカラーを共有しながら、肩やサイドなどの配色によって2人で異なる印象に仕上げられている。

    2021年にF1カレンダーへ復帰して以降、ザントフォールトでは5回のオランダGPが開催されている。フェルスタッペンはそのうち3勝を挙げ、残る2戦でも2位に入っており、すべてのレースで表彰台を獲得している。

    マックス・フェルスタッペン(レッドブル・レーシング) オランダグランプリアイザック・ハジャー(レッドブル・レーシング) オランダグランプリ

    フェルスタッペンにとって特別なホームGP
    今回のオランダGPには、これまでとは異なる意味も加わる。ザントフォールトでのF1開催は2026年大会を最後に終了することが決まっており、現時点で将来の復活予定はない。

    フェルスタッペンにとっては、少なくとも当面の間、ザントフォールトで迎える最後のホームグランプリとなる。

    2021年の復活初年度から圧倒的な人気を集め、サーキットを埋め尽くす「オレンジ・アーミー」とともにオランダGPを象徴する存在となったフェルスタッペン。レッドブルにとっても、今回の週末はひとつの節目となる。

    ハジャーにとってもF1初表彰台の思い出の地
    一方、ハジャーにとってザントフォールトはF1キャリアの転機となった場所だ。

    レーシングブルズから参戦していた2025年のオランダGPで、ハジャーは見事な走りを披露してF1初表彰台を獲得。この結果はルーキーシーズンにおける大きなハイライトとなり、2026年にレッドブル・レーシングへ昇格する評価につながった出来事のひとつでもあった。

    その1年後、ハジャーはフェルスタッペンのチームメイトとしてザントフォールトに戻ってくる。

    フェルスタッペンにとっては母国で築いてきた歴史の一区切り、ハジャーにとってはF1キャリアを大きく前進させたサーキットへの凱旋となる。異なるカラーリングの特別なレーシングスーツをまとった2人が、節目となるオランダGPに臨む。

  • ガブリエル・ボルトレト アウディF1との長期契約を明言「僕のシートは確保」

    ガブリエル・ボルトレト アウディF1との長期契約を明言「僕のシートは確保」

    ガブリエル・ボルトレトは、自身のF1での将来がアウディと強く結びついていることを明言した。ブラジル出身の21歳は、ドイツメーカーが進める長期的なF1プロジェクトにコミットし、チームをトップ争いができる存在へと成長させることを目指している。

    2025年にF2タイトルを獲得してザウバーからF1デビューしたボルトレトは、ルーキーシーズンに19ポイントを獲得。

    アウディのワークス体制初年度となった2026年は、ここまでチームの12ポイント中10ポイントを挙げ、ドライバーズランキング14位につけている。

    「来年だけではない」ボルトレトがアウディとの長期契約を明言
    アウディにとって2026年は、新しいマシンとパワーユニットを同時に立ち上げる基盤構築のシーズンだ。短期的な結果よりも長期的な成長を重視するプロジェクトのなかで、ボルトレトも自身の将来をアウディに託している。

    Motorsport.comブラジル版のインタビューで、ボルトレトは契約の詳細についてすべてを明かすことはできないとしながらも、アウディとの関係が複数年にわたるものであることを認めた。

    「機密事項だから言える範囲になるけど、条項はないとだけ言っておこう。僕はアウディと長期契約を結んでいる。すでに言っているけど、僕は来年もアウディにいる。来年だけじゃなく、その先の数年間もだ」

    ボルトレトにとって重要なのは、単に現在の契約期間を全うすることではない。アウディが掲げる長期的なビジョンそのものを信じているという。

    「狙いは、最初からずっと言っているように、これが長期的なプロジェクトだということだ」

    「マッティア(ビノット)はいつも2030年について話している。そういうふうに考えてもらえばいい。僕たちはこのプロジェクトを本当に信じている。僕は加入したときから信じていたし、彼らも僕のポテンシャルを信じてくれている。僕から言えるのはそこまでだけど、長期的なものだ」

    「すごく楽しみにしている。今年は新しいマシンと新しいエンジンを作る最初のステップだった。来年はまた次のステップになる。そして、そこからいろいろなものを実際の結果につなげていけるようになる」

    ヒュルケンベルグとのコンビを評価「僕のシートは確保されている」
    一方、チームメイトのニコ・ヒュルケンベルグの将来について、ボルトレトは具体的な発言を避けた。

    ヒュルケンベルグの豊富なF1経験は、ザウバーからアウディへと移行するチームにとって重要な財産となっている。ボルトレトも、その存在を高く評価している。

    「僕自身のシートが確保されていることは言える。他の人の契約について話すつもりはないけど、僕はニコと一緒に仕事をするのが本当に好きだ」

    「そこは言っておきたいし、はっきりさせておきたい。僕は彼のことが本当に好きだ。速くて経験豊富だし、チームに多くのポジティブなものをもたらしてくれている。将来がどうなるかは、これから分かるだろう」

    「でも、僕は満足している。自分自身を信じているし、自分のポテンシャルも信じている」

    ガブリエル・ボルトレト(アウディF1)

    F1デビュー時は「かなり未完成だった」18カ月で大きく成長
    ボルトレトは、現在の自信がF1参戦後の急速な成長によって築かれたものだと振り返った。

    F1昇格前に現行世代に近いマシンを走らせた経験は非常に限られており、2024年にオーストリアで旧型車テスト(TPC)を経験した程度だった。その年末にはアブダビでのテストにも参加したが、本格的な走行経験は乏しいままF1の実戦へと飛び込むことになった。

    また、マクラーレンのドライバー育成プログラムに所属していた期間もわずか1年だった。F2タイトル獲得後、ザウバーとアウディが獲得に動き、マクラーレンはボルトレトを契約から解放した。

    F1デビュー当時と現在の自分を比較し、ボルトレトは「まったく違う」と語る。

    「まったく違う。F1に来たときの僕はかなり未完成だった。すべてが本当に速いスピードで進んだ。F1のチャンスも突然やってきたし、テストもほとんど経験していなかった。TPCすらほとんどやっていなかった」

    「基本的には、そのままF1シーズンに入って、バーレーンでプレシーズンテストをやって、それだけだった。だから、その1年間で学んだことはものすごく多かった。今もまだたくさんのことを学んでいる。チームはずっと僕を支えてくれている」

    「昨年はいくつか素晴らしい瞬間があった。今年もここまで自分のシーズンにはとても満足している。一緒に多くのことを成し遂げてきたし、マシンもどんどん競争力を高めている」

    2030年を見据えるアウディのF1計画で中核を担うボルトレト
    アウディはF1参戦初年度から即座にトップ争いをすることではなく、複数年をかけてワークスチームとしての競争力を構築する方針を明確にしている。ビノットが繰り返し「2030年」をひとつの長期的な目標として挙げていることも、その姿勢を示している。

    そのなかで、ボルトレトが「来年だけでなく、その先の数年間も」と明言した意味は大きい。若手ドライバーを短期的な結果だけで評価するのではなく、チームとともに成長させるというアウディの方針が契約にも反映されていることになる。

    2025年のF1デビューから急速に経験を積み、2026年にはアウディの獲得ポイントの大半を担っているボルトレト。現在のポイント数はまだ大きくないが、アウディが長期的にトップチームを目指すうえで、21歳のブラジル人ドライバーはその計画の中核を担う存在となっている。

  • ホンダF1 2027年の燃料流量増加を警戒「信頼性への要求はかなり大きい」

    ホンダF1 2027年の燃料流量増加を警戒「信頼性への要求はかなり大きい」

    ホンダは、2027年のF1パワーユニット開発において信頼性の確保が大きな課題になると見ている。HRC(ホンダ・レーシング)の折原慎太郎チーフエンジニアは、燃料流量の変更と内燃エンジンの性能向上を同時に進めることで、パワーユニットに対する要求がさらに厳しくなると説明した。

    2026年からアストンマーティンのワークスパートナーとしてF1に復帰したホンダは、シーズン序盤にパワーユニットの性能と信頼性で苦戦した。

    一方で、夏休み明けのF1オランダGPでは改良型の「スペック2」を投入する予定であり、2027年に向けてはさらに大きな性能向上を目指している。

    2027年F1で燃料流量変更 信頼性への負荷が増大
    2027年にはF1のパワーユニット規則が変更され、内燃エンジン側の比重が高まる。ホンダにとって重要になるのが、燃焼効率をさらに向上させながら信頼性を確保することだ。

    「2027年は燃料流量について若干異なるレギュレーションになりますが、開発プログラムそのものは変わりません。燃焼性能をさらに改善する必要があります」

    「ですので、引き続き内燃エンジンの性能向上に重点を置き、2027年にはもう少し大きなステップを持ち込みたいと考えています。そこが私たちの主な重点項目です」

    折原慎太郎は、その性能向上に伴って最大の課題となるのが信頼性だと説明する。

    「最も難しいポイントは、おそらく信頼性になると思います。仮に燃料流量が変更されなかったとしても、性能を向上させれば、こちら側では信頼性の開発が必要になります。それ自体は当然想定していることです」

    「ただ、今回は燃料流量も増えるため、信頼性に対する要求はかなり大きくなります。私たちとしては燃焼を改善し、それに加えて燃料流量の増加にも対応しなければなりません」

    出力向上を狙えば、燃焼室をはじめとする内燃エンジンの各部にはより大きな負荷がかかる。そのため、単純に性能を追求するだけではなく、耐久性との両立が重要になる。

    ホンダF1 / ホンダ・レーシング

    FIAの段階的な規則変更をホンダは評価
    一方、折原慎太郎は、FIAが変更を一度に実施せず段階的なものとしたことを評価している。

    「信頼性にとって非常に大きな要求になりますし、開発期間もかなり短いです。ですので難しいポイントになると思います。ただ、FIAが妥当なステップにしてくれたことには感謝しています」

    「もし1年間で非常に大きな数値の変更を求められていたら、大きな問題になっていたと思います。しかし、今回は2段階に分けられています。ショーのことも考慮する必要がありますし、パワー向上という意味でも妥当な数字だと思います」

    「それでも信頼性については難しい挑戦になりますが、良い判断だったと思います」

    ホンダにとって2027年は、2026年型パワーユニットを単純に熟成させるシーズンではない。燃料流量に関する規則変更に対応しながら、内燃エンジンそのものについても大幅な性能向上を図る必要がある。

    ホンダは2027年か2028年のトップ争いを目標
    ホンダとアストンマーティンがトップレベルの競争力を手にする時期について、折原慎太郎は慎重な見通しを示している。

    「F1では自分たちのパフォーマンスが常にライバルとの相対比較になるので、正確なタイムスケールを示すのは難しいです」

    「夏休み明けにはレースの戦いに戻りたいと考えています。そしてファクトリーでは、2027年にさらに大きなステップを持ち込むために懸命に取り組んでいます。ただ、そこについても現実的に考える必要があります」

    そのため、2027年の開幕時点でホンダがただちに最強のパワーユニットを手にしているとは考えていない。

    「2027年の初めには、まだ最高のパワーユニットにはなっていないかもしれません。ただ、トップの競争相手にはもっと近づいていると思います」

    「そこからさらにプッシュを続けて、2027年か2028年にはトップの競争相手になりたいと思っています」

    2026年序盤に苦戦したホンダにとって、まず重要になるのはスペック2によって現在のパワーユニットがどこまで改善されるかだ。その先では2027年に向けて燃焼性能をさらに引き上げながら、増大する負荷に耐えられる信頼性を作り込む必要がある。

    アストンマーティンもエイドリアン・ニューウェイを中心にマシン開発を進めており、車体とパワーユニットの双方で競争力を高めることが求められる。ホンダは2027年をさらなるステップアップの年と位置づけ、その先の2028年までを視野にトップレベルへの復帰を目指している。

  • カルロス・サインツJr. ウィリアムズF1新契約にフェルスタッペン型の解除条項か

    カルロス・サインツJr. ウィリアムズF1新契約にフェルスタッペン型の解除条項か

    カルロス・サインツJr.は、2027年もウィリアムズに残留する方向で契約交渉を進めている。ただし、新契約はわずか1年となり、チームの競争力次第では離脱できる条項が盛り込まれる可能性があるという。

    スペイン紙『Marca』によると、サインツJr.とマネジメント陣は夏休み期間中、ウィリアムズとの交渉に集中している。

    当初は2026年限りでチームを離れる可能性も取り沙汰されていたが、現在は2027年末までの契約延長に近づいているとされる。

    一方で、サインツJr.側はウィリアムズの将来性を全面的に信頼しているわけではないようだ。長期契約ではなく1年延長を選び、さらにチームのパフォーマンスが改善しなかった場合に、より魅力的な移籍先へ動ける仕組みを契約に組み込もうとしているという。

    サインツJr.側が求める「出口」 フェルスタッペン型の契約を参考か
    サインツJr.の新契約で注目されるのが、パフォーマンスに関連した解除条項である。

    報道では、その内容がマックス・フェルスタッペンとレッドブル・レーシングの契約に存在するとされる解除条項と完全に同じものになるとはされていない。ただ、一定の条件を満たした場合にドライバー側が契約を終了できるという考え方は共通している。

    フェルスタッペンの契約では、レッドブルの競争力やドライバーズランキングの順位などが将来の離脱を可能にする条件として取り沙汰されてきた。サインツJr.のマネジメント陣も、ウィリアムズが期待した水準まで浮上できなかった場合に備え、同様に選択肢を残しておきたい考えとみられる。

    これはサインツJr.にとって重要な意味を持つ。2027年にウィリアムズが上位争いへ近づけば、そのままチームに残る理由になる。一方、期待された進歩が見られず、他のトップチームや有力チームにシートが空けば、契約に縛られることなく移籍できる可能性が生まれるからだ。

    つまり、ウィリアムズ残留を選びながらも、自身のF1キャリアにおける次の選択肢を閉ざさない契約を目指していることになる。

    2027年までの1年契約が有力 長期残留には慎重
    サインツJr.は2026年前半、ウィリアムズのパフォーマンスに不満を抱いていると報じられ、シーズン終了後の移籍説が浮上していた。

    しかし、その姿勢には変化が生じているという。現在は2026年後半にチームの状況を立て直すことに加え、ウィリアムズが重点を置く2027年のプロジェクトを見届ける方向へ傾いている。

    それでも長期契約には慎重だ。

    『Marca』によれば、サインツJr.側が想定しているのは2027年末までの1年間の延長であり、複数年にわたって将来をウィリアムズに委ねる契約ではない。

    ウィリアムズにとっては、実績のあるサインツJr.を長期間確保したいところだが、ドライバー側はチームが実際に競争力を高められるかを確認してから、その先を判断したいと考えているようだ。

    年俸3000万ユーロ説には疑問 実際は増額にとどまる見通し
    契約期間と解除条項をめぐるサインツJr.側の要求は、年俸交渉にも影響している。

    最近では、新契約でサインツJr.が年間3000万ユーロ(約52億円)を要求しているとの情報が伝えられていた。しかし『Marca』は、この数字が実際に成立する可能性は低いと報じている。

    現在のサインツJr.の年俸は約1300万ユーロとされる。3000万ユーロという数字については、より有利な条件を引き出すため、サインツJr.陣営から交渉材料として外部に伝えられた可能性もあるという。

    ウィリアムズはサインツJr.に対し、フェラーリ在籍時に匹敵する条件を提示する用意があるとされる。しかし、1年契約に加えて途中離脱を可能にする条項まで認めるのであれば、チーム側が巨額の年俸を保証するメリットは小さくなる。

    さらに、ウィリアムズの財務状況も3000万ユーロ規模の契約を難しくする要因として挙げられている。

    そのため、契約延長が成立すれば現在より年俸が引き上げられる可能性は高いものの、報じられている3000万ユーロには届かないとの見方が強い。

    ウィリアムズ残留と将来の選択肢を両立
    今回の交渉から見えてくるのは、サインツJr.がウィリアムズとの関係を継続しながらも、自身の将来を完全には縛らない契約を求めているということだ。

    2027年までの1年延長とパフォーマンスに連動した解除条項が実現すれば、ウィリアムズには経験豊富なドライバーを少なくとももう1シーズン確保できるメリットがある。一方、サインツJr.はチームの成長を見極めつつ、より競争力のあるF1シートが浮上した場合に動ける余地を残せる。

    ただし、その柔軟性を得る代わりに、年俸面では当初求めていたとされる条件から譲歩することになりそうだ。

    サインツJr.にとって2027年のウィリアムズ残留は単なる契約延長ではなく、チームの将来性をもう1年見極めるための選択となる可能性が高い。契約期間、解除条項、そして年俸という3つの条件をどこで折り合わせるかが、正式合意に向けた焦点となる。

  • パスカル・ウェーレイン フォーミュラE王座獲得 通算2度目の戴冠

    パスカル・ウェーレイン フォーミュラE王座獲得 通算2度目の戴冠

    パスカル・ウェーレインが、2025-26年フォーミュラE世界選手権のドライバーズチャンピオンに輝いた。ロンドンE-Prixのシーズン最終戦ではポイント圏外に終わったものの、前日の第1レースで築いたリードを守り、通算2度目のタイトルを獲得した。

    最終戦の勝利はテイラー・バーナードが手にした。一方、ポルシェのウェーレインは厳しいレースを強いられながらも、タイトルを争っていたジェイク・デニスとミッチ・エバンスが逆転に必要な結果を残せず、2023-24年シーズン以来となる王座が確定した。

    ウェーレインがフォーミュラE史上2人目の複数回王者
    ウェーレインは今回の戴冠によって、ジャン=エリック・ベルニュに続き、フォーミュラEで複数回のドライバーズタイトルを獲得した史上2人目のドライバーとなった。

    最初のタイトルも2023-24年シーズンのロンドンで決めており、2度の王座はいずれも英国で開催されたシーズン最終大会で確定したことになる。

    ただし、今回のロンドン大会を迎えた時点でウェーレインはランキング首位ではなかった。チャンピオンシップでは3位につけ、首位ジェイク・デニスとは5ポイント差、2位ミッチ・エバンスとは3ポイント差。タイトル争いでは追う立場だった。

    土曜日の勝利で一気にランキング首位へ
    流れを大きく変えたのが、土曜日に行われた第1レースだった。

    ウェーレインはポールポジションからスタートし、ポルシェのチームオーダーにも助けられる形で勝利。重要な最終大会で最大限のポイントを獲得し、デニスを逆転してランキング首位に浮上した。

    この結果、ウェーレインはデニスに5ポイントのリードを築き、エバンスとの差は21ポイントまで拡大。タイトル争いの主導権を一気に握った。

    シーズンを通して積み重ねてきたポイントに加え、最も重要な局面で勝利を挙げたことが、最終的に王座を決定づける大きな一手となった。

    予選3番手でタイトル獲得へ大きく前進
    日曜日の最終戦でも、ウェーレインに有利な状況が続いた。

    予選ではマヒンドラ勢が速さを見せ、ニック・デ・フリースがポールポジションを獲得。チームメイトのエドアルド・モルタラが2番手に続いたが、ウェーレインも3番手を確保した。

    さらにポルシェのチームメイトであるニコ・ミュラーが4番手につけ、タイトル争いのライバルであるエバンスは5番手。一方、デニスは16番手に沈んだ。

    この時点でウェーレインがタイトルを逃すためには、複数の条件が重なる必要があり、チャンピオン争いは圧倒的にウェーレイン有利となった。

    最終戦はノーポイントでも王座を守る
    決勝ではウェーレイン自身にとって思い通りの展開とはならず、最終的にポイント圏外でフィニッシュした。

    しかし、シーズン最終戦で重要だったのは単純なレース順位ではなく、タイトルを争うライバルとのポイント関係だった。デニスとエバンスもウェーレインを逆転するために必要な結果を残すことができず、ポルシェのドライバーがランキング首位を守った。

    最終戦の優勝はバーナードが獲得。波乱の展開となったロンドンE-Prixを制したが、チャンピオンシップの主役となったのはウェーレインだった。

    ランキング3位でロンドン入りしながら、土曜日の勝利で首位へ浮上し、日曜日はノーポイントでもリードを守り切ったウェーレイン。最終局面で確実に結果を積み重ね、フォーミュラE史上わずか2人目となる2度の世界王者という実績を手にした。

  • アイルトン・セナが「F1の基準を引き上げた」元マクラーレンのピロが証言

    アイルトン・セナが「F1の基準を引き上げた」元マクラーレンのピロが証言

    元マクラーレンF1ドライバーのエマニュエル・ピロが、1980年代後半にアイルトン・セナとアラン・プロストの仕事ぶりを間近で見た経験を振り返り、セナが技術面で「ドライバーの基準を引き上げた」と語った。

    当時マクラーレンのテストドライバーを務めていたピロは、セナとプロストがエンジニアにマシンの挙動を伝える技術に優れていたと証言。

    なかでもセナは、ドライバーが感じたことを極めて詳細に言語化し、エンジニアがセットアップを改善するために必要な情報を余すところなく伝えていたという。

    セナが変えた「マシンを伝える」技術
    1988年と1989年、マクラーレンではセナとプロストというF1史を代表する2人のドライバーがチームメイトとして激しい争いを繰り広げた。

    タイトル争いだけでなく、開発の現場でも両者は極めて高いレベルにあった。その様子を間近で見ていたのが、当時マクラーレンのテストドライバーを務めていたエマニュエル・ピロだ。

    ピロはベネトンでレースに参戦する一方、マクラーレンのテストや開発にも携わり、セナとプロストが参加する技術ミーティングにも同席していた。

    Davide Cironiとのインタビューで、ピロは2人について「明らかに並外れたドライバーだったし、テストドライバーとしても並外れていた」と振り返る。

    そのうえで、セナには特に際立った能力があったと説明した。

    「セナは、ドライバーがマシンの挙動をエンジニアに説明する方法という点で、本当に基準を引き上げた人物だった」

    現在のF1では膨大なセンサーデータやシミュレーションを利用できるが、当時はドライバーの感覚と、それをエンジニアへ正確に伝える能力が現在以上に重要だった。

    「もちろん今では多くのツールがあるから、このやり方自体は変わっているし、以前ほど重要ではなくなっている。それでも、今でも重要なことに変わりはない」

    1時間以上続いたセナの技術デブリーフ
    ピロによれば、セナの技術デブリーフは非常に長く、少なくとも1時間から1時間半に及ぶことも珍しくなかった。

    ただ長く話していたわけではない。セナはコース上で経験したマシンの挙動を細部まで再現するように説明していたという。

    「つまり、彼は自分がドライブしているときの経験をエンジニアの目の前に再現していた。マシンがその瞬間、その瞬間に何をしていたのかを伝えて、必要な調整をするための情報をすべてエンジニアに与えていたんだ」

    セナはコーナーごとの挙動やマシンから受け取った感覚を詳細に言葉へ置き換え、エンジニアが問題を理解できるところまで掘り下げていた。

    データ解析が現在ほど発達していなかった時代において、そのフィードバック能力はマシン開発そのものに大きな価値を持っていた。

    プロストは半分以下の時間で「必要なことだけ」
    興味深いのは、同じく開発能力の高さで知られたプロストが、セナとはまったく異なるアプローチを取っていたことだ。

    「アラン・プロストのブリーフィングは、長くてもセナの半分くらいだった。おそらく、それより短かったと思う」

    しかし、ピロはプロストのフィードバックがセナより劣っていたとは考えていない。

    「彼は本質的な部分だけに集中していた。だから最終的には、僕の見方ではフィードバックの質は同じくらいだった」

    その違いを、ピロは端的にこう表現する。

    「セナはすべてを説明した。プロストは必要なことをすべて説明した」

    セナがマシンで起きている現象を徹底的に言語化したのに対し、プロストは改善に必要なポイントを絞り込み、簡潔にエンジニアへ伝えるタイプだった。

    アプローチは対照的だったが、どちらもマシンを速くするという目的に対して非常に高いレベルに到達していた。

    ピロのキャリアにも残ったセナとプロストの仕事ぶり
    セナとプロストの関係は、コース上ではF1史上でも屈指の激しいライバル関係として知られている。しかしピロにとって、2人を間近で見る経験は単なるライバル対決以上のものだった。

    「彼らの技術デブリーフを聞くことは本当に楽しかったし、ものすごく勉強になった。その経験を、その後の自分のキャリアにも間違いなく持っていった」

    ピロはその後、F1だけでなくスポーツカーでも長いキャリアを築き、ル・マン24時間レースでは5度の総合優勝を達成した。

    そのピロが長いキャリアを経た後も鮮明に記憶しているのが、マクラーレンの技術ミーティングで目にしたセナとプロストの仕事ぶりだった。

    激しいライバル関係ばかりが語られる2人だが、マクラーレンが1980年代後半に圧倒的な強さを発揮できた背景には、速さだけではなく、マシンの状態を理解し、それをエンジニアへ伝える2人の卓越した能力があった。なかでもセナの詳細なフィードバックは、ピロが「基準を引き上げた」と表現するほど、当時のF1におけるドライバーとエンジニアの仕事の水準を押し上げるものだった。

  • シャルル・ルクレール F1新世代マシンの難しさ語る「データだけでは答えが出ない」

    シャルル・ルクレール F1新世代マシンの難しさ語る「データだけでは答えが出ない」

    フェラーリのシャルル・ルクレールは、2026年のF1新世代マシンがドライバーに突きつけている難題について語った。以前のようにデータを見れば改善すべきポイントが明確になるわけではなく、パワーユニットや各種制御を含めた多数の要素が複雑に絡み合っているという。

    2026年の新レギュレーション導入後、ドライバーからは激しいスーパークリッピングや、レース中に加速と減速を繰り返すような走り方について不満の声が上がっている。

    一方、ルクレールは新世代マシンを単純に否定するのではなく、その特性を理解しようとする姿勢を崩していない。

    「以前のようにデータを見れば分かるわけではない」
    ドライビングスタイルを新しいマシンにどう適応させているのかと問われたルクレールは、単純な答えは存在しないと説明した。

    「パワーユニットや、すべてがどう設定されているかにも大きく左右されると思う」

    「だから、このマシンはすごく難しい。さまざまな変数があまりにも多い。以前ならデータを見て、『ここで明らかにタイムを失っている。だから自分のドライビングをここで変えなければならない』とはっきり判断できた。でも、今はそうではない」

    「自分のドライビングを変えても、プログラミングがそれとは逆の方向に働いていたら、最初よりもずっと悪くなってしまうことがある」

    ルクレールによれば、これこそが現在のマシンと過去のF1マシンとの大きな違いだという。

    「だから、本当にいろいろな変数がある」

    こうした複雑さは、チームやドライバーが2026年型マシンの「正しい」走らせ方をなかなか見つけられない理由のひとつでもある。サーキットによってアプローチが変わるだけでなく、同じコースでもコーナーごとに求められるものが異なる場合がある。

    シャルル・ルクレール(スクーデリア・フェラーリ)

    新世代マシンへの評価は「白か黒ではない」
    プレシーズンテストが始まる前から、2026年型マシンのドライビングについてはさまざまな懸念が語られていた。しかし、ルクレールはそうした事前の評価をあまり気にしなかったという。

    「すごくオープンな考え方で臨む必要があると思う」

    実際、ルクレール自身の2026年シーズンも、新世代マシンに対する印象が短期間で大きく変化することを示している。

    「シーズン序盤はマシンにすごく乗りやすさを感じていたし、かなり強かった。でも、モナコとモントリオールではこのマシンにかなり苦しんだ。その後、かなり多くのことを変更して、少しずつ戻ってきた」

    ルクレールは、こうしたパフォーマンスの変動を単純にドライバーの走りの良し悪しだけで説明することはできないと考えている。

    「でも、このマシンでは物事がそれほど白か黒かではっきりしているとは思わない。さまざまな変数があるし、少しうまくいかなくなったときに、それが全体にどんな影響を及ぼしているのかを理解するのは、見た目以上にずっと難しい」

    「アグレッシブに走れば速い」とも限らない
    この複雑さは、2026年型マシンではアグレッシブなドライビングほどラップタイムを引き出せるという見方についても、ルクレールを慎重にさせている。

    「このマシンでは、とにかくアグレッシブに走ればうまくいくという意見には、僕はあまり賛成できない。少なくとも僕たちのマシンではそうだ。でも、別のマシンならそれが機能するかもしれない」

    重要なのは、ひとつのドライビングスタイルがすべての2026年型F1マシンに当てはまるわけではないという点だ。パワーユニットの制御やエネルギーマネジメント、マシン側の設定とドライバーの操作が相互に影響するため、あるチームで有効な走らせ方が別のチームでも通用するとは限らない。

    ルクレールの言葉からは、2026年のF1ではドライバーが単純にマシンへ適応するだけでは足りず、技術面を含めた複雑な要素をチームとともに理解しながら最適解を探し続ける必要があることが浮かび上がっている。

  • アストンマーティンF1 アラムコの2027年支援凍結報道 中東情勢が影響

    アストンマーティンF1 アラムコの2027年支援凍結報道 中東情勢が影響

    アストンマーティンF1チームの将来計画に、中東情勢を巡る新たな懸念が浮上した。サウジアラビア側が2027年に向けて予定していたスポンサー支援の拡大計画を凍結したと、F1のビジネス事情に詳しいジャーナリストが報じている。

    報道のポイントは、アラムコとの既存契約が打ち切られたという話ではなく、2027年に向けて検討されていた支援拡大が保留になったとされていることだ。

    アストンマーティンとアラムコはいずれも現時点で公式発表を行っておらず、確定情報としてではなく、関係者からの情報に基づく動きとして見る必要がある。

    2027年のスポンサー拡大計画が凍結か
    F1のビジネス分野を取材し、『Business Book GP』を手掛けるマルク・リマッハーによると、サウジアラビアは数カ月にわたる協議を経て、2027年のアストンマーティンF1チームに対するスポンサー計画を凍結したという。

    リマッハーは、サウジアラビア側がアラムコによるスポンサー支援を増額するとともに、新たに3社目となるスポンサーをチームのポートフォリオへ加える計画だったと伝えている。

    しかし、その計画は現在ストップしているという。

    「サウジアラビアは数カ月にわたる協議の末、2027年のアストンマーティンF1チームへのスポンサーシップを凍結した」

    リマッハーはさらに、その背景について「イランでの戦争によってプロジェクトが遅れている」と説明している。

    中東情勢の緊迫化によってサウジアラビア政府を取り巻く経済的、戦略的な優先順位が変化し、F1を含む国際的なマーケティング投資にも影響が及んでいる可能性がある。

    ただし、今回報じられたのはあくまで2027年に向けたスポンサー計画の「凍結」であり、アラムコがアストンマーティンから撤退することが決まったわけではない。

    アラムコは2028年までタイトルパートナー契約
    アラムコはアストンマーティンにとって重要なパートナーだ。2023年末には契約延長が発表され、2024年から「Aston Martin Aramco Formula One Team」の名称が使用されている。

    契約は2028年までとされており、アラムコは単なるスポンサー以上の役割を担っている。

    特に重要なのが、2026年からスタートしたホンダとのワークス体制だ。

    アストンマーティンは2026年からホンダのパワーユニットを独占的に使用するワークスチームとなった。新しいパワーユニット規則では100%持続可能な燃料が導入されており、アラムコはホンダとの技術協力の一環として燃料や潤滑油の開発にも関与している。

    そのため、アラムコとの関係はチームの広告収入だけでなく、アストンマーティン、ホンダ、アラムコによって構築された技術プロジェクトにも結び付いている。

    スポンサー問題と技術提携は切り分けて考える必要
    一方で、今回の報道からアラムコによる技術支援まで停止すると判断するのは早計だ。

    元記事では、スポンサー資金が凍結された場合に燃料供給を含む技術面にも影響する可能性が示されているが、リマッハーが伝えている中心的な内容は2027年のスポンサー計画についてだ。

    既存の2028年までのタイトルパートナー契約や、ホンダと進めている燃料・潤滑油開発が変更されたとの公式発表は出ていない。

    したがって現段階では、「アラムコが撤退する」「燃料供給が止まる」といったところまで話を広げるのではなく、2027年に予定されていた追加投資が中東情勢によって保留されている可能性がある、と捉えるのが適切だ。

    アストンマーティン・コグニザント・フォーミュラワンチーム

    大型投資を続けるアストンマーティンへの影響
    アストンマーティンはローレンス・ストロールの下で、F1世界選手権制覇を目標に大規模な投資を続けてきた。

    シルバーストンには新たなAMRテクノロジーキャンパスを建設し、自社風洞を含む最新設備を整備。さらにエイドリアン・ニューウェイをはじめとする有力な技術者を獲得し、2026年からはホンダとのワークス体制へ移行した。

    こうした長期プロジェクトを進めるうえで、スポンサー収入の拡大は重要な要素となる。

    特に2027年にアラムコからの支援増額と新スポンサーの加入が計画されていたのであれば、その延期はチームの中長期的な財務計画に一定の影響を与える可能性がある。

    ただし、F1にはコストキャップが存在するため、スポンサー収入の減少がそのままマシン開発費の減少につながるわけではない。チームの設備投資やマーケティング、組織運営など、コストキャップ対象外を含めた事業全体への影響として考える必要がある。

    中東情勢がF1ビジネスにも波及
    今回の報道が事実であれば、アストンマーティン固有の経営問題というより、地政学的な情勢がF1のスポンサー市場に直接影響を及ぼしたケースとなる。

    アラムコは2028年までアストンマーティンのタイトルパートナーを務める契約を結んでおり、ホンダとの技術プロジェクトにも関与している。それだけに、2027年に向けた追加支援がどの程度の規模で計画され、今回の凍結がどこまで影響するのかが焦点となる。

    現時点ではアストンマーティン、アラムコともに報道について公式なコメントを発表していない。既存契約や技術提携の変更も確認されておらず、まずは2027年に向けたスポンサー拡大計画が中東情勢を理由に保留されたとの報道段階にある。

    アストンマーティンがホンダとのワークス体制を本格化させるなか、アラムコとの関係が今後どのように推移するのか。チームの競争力だけでなく、長期的なF1プロジェクトを左右するビジネス面の動きとしても注目される。

  • デイモン・ヒル F1王者直後にウィリアムズ放出「シューマッハとドイツ市場が影響」

    デイモン・ヒル F1王者直後にウィリアムズ放出「シューマッハとドイツ市場が影響」

    1996年のF1ワールドチャンピオン、デイモン・ヒルが、タイトル獲得直後にウィリアムズから放出された背景について、30年を経て自身の見解を明かした。

    ヒルによれば、当時のウィリアムズが見据えていたのは単なるドライバー交代ではなく、ミハエル・シューマッハの活躍によって急成長していたドイツ市場、ハインツ=ハラルド・フレンツェンの起用、そして後に実現するBMWとの提携までを含めた長期的な戦略だったという。

    王者になっても変わらなかったウィリアムズの決定
    F1ワールドチャンピオンの獲得は通常、ドライバーのチーム内での立場を決定的なものにする。しかし、1996年のデイモン・ヒルには当てはまらなかった。

    ヒルは1996年にウィリアムズ・ルノーを駆って自身初のF1ワールドチャンピオンを獲得したが、チームはシーズン終了を待たずして翌年のラインアップからヒルを外すことを決めていた。

    フランク・ウィリアムズとパトリック・ヘッドが選択した1997年の布陣は、ジャック・ヴィルヌーヴとハインツ=ハラルド・フレンツェンだった。

    そのため、ヒルはディフェンディングチャンピオンでありながら1997年にアロウズへ移籍。前年にタイトルを争ったトップチームから、一転して後方グリッドを走ることになった。

    当時、この決定はF1界に大きな衝撃を与えた。ヒル自身も、なぜ自分がチームの構想から外されたのかを完全には理解できていなかったという。

    転機は1995年「将来を考える必要がある」と判断
    F1公式サイトの特集で、現在ではウィリアムズがフレンツェンを選んだ理由を理解しているのかと問われたヒルは、その起点はタイトルを獲得した1996年ではなく、その前年にあったとの考えを示した。

    「1995年だったと思う。1995年に起きたことを見て、フランク・ウィリアムズとパトリック・ヘッドは、おそらく『将来について考える必要がある』と判断したんだと思う」

    1995年、ヒルはウィリアムズでシューマッハとタイトルを争ったものの、ベネトンのシューマッハに敗れた。

    ヒルは、その結果がウィリアムズに将来のドライバーラインアップを再検討させるきっかけになったと考えている。

    だが、後になって振り返ると、そこにはドライバーの純粋な速さや成績だけでは説明できない要素があったという。

    シューマッハが変えたドイツのF1市場
    ヒルが重要な要素として挙げたのが、ミハエル・シューマッハの存在だった。

    シューマッハの成功によってドイツ国内でF1人気が急速に高まり、テレビをはじめとするメディアや企業から大規模な投資が流れ込んでいた。

    「時間が経ってから分かってきたことのひとつは、ミハエルの存在によって、F1の市場がドイツへ向かう大きな動きがあったということだ」

    「テレビにも大きな投資が行われて、ドイツという市場そのものが重要になっていた」

    シューマッハは1994年と1995年にベネトンでF1ワールドチャンピオンを獲得。ドイツ人として初めてF1王者となったことで、母国に巨大なF1ブームを巻き起こしていた。

    その状況では、ドイツ人ドライバーを擁すること自体に大きなマーケティング上の価値が生まれていたとヒルは考えている。

    「だから、F1のマーケティングという意味でもドイツ人ドライバーを持つことが重要だった。そして当時、フレンツェンは少なくともスポーツカー時代にはミハエルと同じくらい速かったと言われていた」

    フレンツェン起用とBMWへの布石
    ハインツ=ハラルド・フレンツェンはシューマッハと同世代のドイツ人ドライバーであり、若手時代からその才能を高く評価されていた。

    ヒルは、ウィリアムズがフレンツェンを単なる後任ドライバーとしてではなく、ドイツ市場へ接近するための重要な存在として見ていたのではないかと推測する。

    そして、その先にはBMWとの関係構築もあったという。

    「彼らはフレンツェンを将来につながる存在として考えていたんだと思う。それに、将来的にはBMWのパワーユニットという可能性もあった。それは最終的に2000年に実現した」

    実際、ウィリアムズは2000年からBMWとワークス提携を開始。ウィリアムズBMWとしてF1に参戦し、2000年代前半にはフェラーリやマクラーレンとタイトルを争う存在となった。

    ヒルは、1990年代半ばの段階ですでに、ウィリアムズがドイツとの関係を強める長期戦略を描いていた可能性があるとみている。

    フランク・ウィリアムズが語った「チームの未来」
    ヒルが放出を告げられた際、フランク・ウィリアムズから示された説明は極めて簡潔なものだった。

    「フランクから僕を放出すると言われたとき、彼は『チームの未来について考えなければならない』と言った。それが彼の答えであり、言い訳だった」

    ヒルにとって、その言葉は簡単には受け入れられなかった。

    「それで僕は『僕は未来じゃないのか。なぜなんだ?』と思った」

    しかし、年月が経ってから当時の状況を調べ直したことで、ヒルはその「未来」という言葉が何を意味していたのかについて、自分なりの答えにたどり着いた。

    「何年も経ってから少し調べてみた。そして、BMWへ向かう動きは戦略だったんじゃないかと思っている。そのためにはドイツ人ドライバーが重要だったんだと思う」

    「1996年に何をしても関係なかった」
    ヒルにとって最も皮肉なのは、1996年の成績が自身の将来を左右する材料には、すでになっていなかったという点だ。

    ウィリアムズはヒルがタイトルを獲得する前から、1997年のドライバーラインアップを事実上決めていた。

    「基本的には、僕が1996年に何をしようと関係なかった。フランクはすでに1997年に走る2人のドライバーと契約していた。だから僕が入る余地はなかったんだ」

    つまり、ヒルが1996年にF1ワールドチャンピオンになったとしても、その結果によって契約が覆る可能性はほとんどなかったということになる。

    ヒルは最終戦日本GPで勝利を挙げ、年間8勝を記録してタイトルを獲得。しかし、それでもウィリアムズで翌シーズンを戦うことはできなかった。

    シューマッハはヒルを成長させた最大のライバル
    一方、ヒルはシューマッハについて、ウィリアムズ放出につながった時代背景を生み出した存在としてだけでなく、自身をレーシングドライバーとして成長させた最大のライバルだったとも振り返っている。

    「彼は彼だった。それだけだと思う。競争相手だった」

    「人生のあらゆる細かい部分にまでプレッシャーをかけてくるような存在だった」

    そして、シューマッハとの激しい戦いがなければ、自分自身の限界を知ることもなかったと語った。

    「これは言える。ミハエルがいなかったら、レーシングドライバーとして自分がどこまで行けるのかを知ることはなかったと思う」

    ヒルとシューマッハは1994年と1995年に激しいタイトル争いを展開。特に1994年は最終戦オーストラリアGPまでタイトル争いが続き、両者の接触によってシューマッハの初タイトルが決まるという劇的な結末を迎えた。

    デイモン・ヒル(1997年)

    王者ヒルはアロウズへ ウィリアムズは連覇
    1997年、ヒルはカーナンバー1を付けてアロウズから参戦したが、前年とは対照的に厳しいシーズンを過ごした。

    17戦でポイントを獲得したのは2レースのみ。それでもハンガリーGPでは非力なアロウズ・ヤマハで首位を快走し、終盤のマシントラブルによって勝利こそ逃したものの2位表彰台を獲得した。

    一方、ヒルを放出したウィリアムズは1997年もタイトル争いをリード。ヴィルヌーヴがシューマッハとの争いを制してドライバーズチャンピオンとなり、チームはコンストラクターズタイトルも獲得した。

    フレンツェンもドライバーズランキング2位となり、少なくとも競技成績という面ではウィリアムズのドライバー交代は結果につながった。

    しかし、前年のワールドチャンピオンをそのまま放出するという決断は、30年が経過した現在もF1史に残る非情な人事のひとつとして語られている。

    ヒル自身は今、その背景には1995年の敗北だけではなく、シューマッハによって急成長したドイツのF1市場、フレンツェンの存在、そしてBMWとの将来的な提携を見据えたウィリアムズの長期戦略があったと考えている。

    1996年に世界王者になっても覆らなかった決定。その理由を示すフランク・ウィリアムズの「チームの未来」という言葉は、ヒルにとって30年を経てようやく具体的な意味を持つものになった。