カテゴリー: ルーベンス・バリチェロ

  • キミ・ライコネン、F1ロシアGPでバリチェロの最多出走記録に並ぶ

    キミ・ライコネン、F1ロシアGPでバリチェロの最多出走記録に並ぶ

    アルファロメオF1のキミ・ライコネンは、今週末のF1ロシアGPでルーベンス・バリチェロが保持するF1最多出走記録に並ぶ。

    2001年にザウバーでF1デビューしたキミ・ライコネンは、前戦F1トスカーナGPで321戦のスタートを切り、ルーベンス・バリチェロの記録まであと1戦に迫っている。

    ルーベンス・バリチェロは、2008年にリカルド・パトレーゼが保持していたF1最多出走記録を破り、最終的に322戦まで記録を伸ばして2011年にF1を引退した。

    キミ・ライコネンは、F1でのフルシーズン中に5戦を逃しているが、今週末のF1ロシアGPでルーベンス・バリチェロの記録に並ぶことになる。

    F1で300戦以上のスタートを切っているドライバーは5人。311戦のフェルナンド・アロンソと306戦のミハエル・シューマッハがいる。

    しかし、キミ・ライコネンは記録にはそれほど関心を示していない。

    「ほとんどのスポーツでどこかの時点ですべての記録は破られるものだと思っている」とキミ・ライコネンはコメント。

    「それが常に起こってきたことだ。何度も切ってきたけど、僕にとってそれは何の意味もないことだし、何も違いは生まない」

    「もしかしたら、将来、物事を振り返ったときにはどんな数字も違って見えるかもしれない」

    「でも、今はただのまた別のレースという感じだ。良いレースにしたいし、どんな結果になるか見てみるつもりだ」

    キミ・ライコネンは、F1キャリアで21勝、103回の表彰台を獲得している。

  • ウィリアムズF1の低迷は「ペイドライバーに頼ったツケが回った」

    ウィリアムズF1の低迷は「ペイドライバーに頼ったツケが回った」

    ウィリアムズF1チームの元ドライバーであるルーベンス・バルチェロは、現在のウィリアムズF1の低迷は財政を後押しするためにペイドライバーを優先的に起用したツケが回った結果だと語る。

    ウィリアムズF1チームは144勝を挙げており、フェラーリとマクラーレンに次いでF1史上3番目に成功を収めた名門チームであることは事実。2018年以降、ウィリアムズのパフォーマンスは急落。ウィリアムズのF1ドライバーはグリッド最後列が定位置となっている。

    ウィリアムズF1チームが最後にレースで勝利したのはパストール・マルドナドによる2012年のF1スペインGPまで遡る。その勝利も2004年のF1ブラジルGP依頼、8年ぶりの勝利だった。

    過去10年間で結果が出なかったウィリアムズF1チームは常にペイドライバーがラインナップに含まれ、フェリペ・マッサ、バルテリ・ボッタスといったドライバーがポイントを獲得してチームの結果を支えた。

    2010年と2011年にウィリアムズのF1ドライバーを務めるルーベンス・バリチェロは、パストール・マルドナドやルーキーのランス・ストロール、セルゲイ・シロトキンなど、以前にチームが起用したペイドライバーのスキームは、利益よりも多くの代償を払ったと考えている。

    「残念なことに、この10年間はお金の方が語れることが多かった」とルーベンス・バリツエロは Rusty’s Garage に語る。

    「ドライバーに支払うのではなく、彼らはいくらかの現金を受け取り、生き残り、それが良いアイデアだと考えた」

    「そして、ウィリアムズが今どこにいるのかを見れば、彼らは当時お金で間違った決断を下し、そのまま続けていたことがわかる」

    ウィリアムズとしては、限られたリソースと厳しい予算を考えれば、おそらく何年にもわたってほとんど選択肢はなく、現金の山に支えられたドライバーを支持したと主張することができるかもしれない。

    今年もニコラス・ラティフィがF1シートを獲得した背景には、父親のマイケル・ラティフィが所有するカナダの大手企業であるソフィナ・フーズによる支援があることは秘密ではない。

    これまでのところ、ニコラス・ラティフィは、モータースポーツのキャリアのなかで非常に有能な若いドライバーであることを示しているが、彼がF1でどれだけうまくやれるかは時間のみぞ知る。

  • F1回顧録:ルーベンス・バリチェロ 「セナの棺を担いだ記憶がない」

    F1回顧録:ルーベンス・バリチェロ 「セナの棺を担いだ記憶がない」

    元F1ドライバーのルーベンス・バリチェロは、1994年のアイルトン・セナの葬式で棺を担いだ記憶がないと語る。

    1994年、ルーベンス・バリチェロはジョーダンで2年目のF1シーズンを迎えていた。開幕戦で4位フィニッシュを果たし、岡山国際サーキットで開催された第2戦パシフィックGPでF1初表彰台を獲得するなど、頭角を現していた。

    だが、第3戦サンマリノGPでは初日に激しいクラッシュを喫してレースを欠場している。これはローランド・ラッツェンバーガー、アイルトン・セナの死を含めた一連の事故の最初のものだった。

    「クレイジーな週末だった」とルーベンス・バリチェロは回想する。

    「あの週末に多くの悪いことが起こり、あの週末には多くの謎があった」

    「ラッツェンバーガーとセナの死だけではない。(JJ)レートと(ペドロ)ラミーとのレーススタート時の悪いアクシデントがあり、ピットストップでのメカニックのアクシデントもあった。とんでもない週末だった」

    ルーベンス・バリチェロはヴァリアンテ・バッサ・シケインで時速225キロで縁石に乗り上げ、空中に飛び上がった。マシンはタイヤバリアの上端と金網に衝突し、バリチェロはその衝撃で気を失った。マシンはノーズから地面に垂直落下した後に数回横転し、裏返しになって停止。バリチェロは花を骨折した。

    「僕が言えることは、予選に行く直前に、ヴァリアンテ・バッサを5速ギアで行くことができると言ったことを覚えている。それは、4速ギアでリミッターに当たっていたので、それしか考えていなかった」

    「5速で行ける言った。そして、その直後に『おっと無理だ』と聞くことができる。でも、どうすることもできなかった。すでに大クラッシュしていた」

    「クラッシュしたときは5速ギアだった。それはデータで確認できる。90Gと舌を飲み込んだという事実から、頭に受けた衝撃を想像できる」

    「僕は20日間記憶を失った」とルーベンス・バリチェロは続けた。

    「アイルトンの葬儀に行ったことを思い出せない・・・自分が彼の棺に運んでいる写真を見たけど、それを思い出すことができない」

    「本当に悲しい瞬間なのでポジティブなことではあるけどね・・・それは10日後だったし、鼻の骨折などにまだ少し苦しんでいた」

    英国に戻った直後、ルーバンス・バリチェロがシルバーストンでF1マシンに戻ってテストを行った。

    「僕は『大丈夫、テストがある』と言った。シルバーストンだった。新しい車とそれは新しい時代だった」

    「ぺしゃんこになって、再び自分を治そうとしていた。再び自分を取り戻せないならそれまでだし、あきらめて家に帰って、他の何かをした方がいい」

    「当時、僕はシルバーストンで自分の記録を更新したし、それが自分がやりたいことだと知っていた」

    ルーベンス・バリチェロは、1997年にスチュワートに移籍した後、2000年にミハエル・シューマッハのチームメイトとしてフェラーリに加入。フェラーリで6シーズンを過ごした後、ホンダ、ブラウンGPを経て、ウィリアムズでF1を引退した。

    しかし、ルーベンス・バリチェロはキャリア最後の年にマクラーレンでに移籍する可能性があったという。

    「9月の期間の前にウィリアムズとの契約にサインしていました。スパだった」とルーベンス・バリチェロは振り返る。

    「その後、マクラーレンがやってきた。契約は良かったし、お金もさらに良かったけど、契約できなかった」

    「ルイスのチームメイトになっていたかもしれない。ミハエル(シューマッハ)のチームメイトになり、次にルイスのチームメイトになっていたら凄いことだっただろうけど、ウィリアムズとすでに契約していたし、僕はそうするつもりだった」

    ルーベンス・バリチェロは2011年末にF1を引退。322戦を戦って合計11勝し、2002年と2004年にはチャンピオンシップを2位で終えている。

  • F1:バリチェロ 「ハミルトンの方がアロンソより優れたドライバー」

    F1:バリチェロ 「ハミルトンの方がアロンソより優れたドライバー」

    元F1ドライバーのルーベンス・バリチェロは、ルイス・ハミルトンの方がフェルナンド・アロノソよりも優れたドライバーだと考えている。

    ルイス・ハミルトンは6回のF1ワールドチャンピオンであるにも関わらず、過去のチャンピオンほど高い評価を得られていない。一方、2回のF1ワールドチャンピオンであるフェルナンド・アロンソはF1史上最も優れたドライバーのひとりとして評価されている。

    通常、どちらのドライバーの方が優れているかという質問にはどっちつかずの答えをする人が多いが、ルーベンス・バリチェロは決定的な答えを出した。

    「資質でいえば、ハミルトンの方がアロンソよりも優れていると思う」とルーベンス・バリチェロはInstagramのライブ配信でファンからの質問に答えた。

    「特に彼らが互いに戦っていたとき、彼らはキャリアを始めたばかりだった。今日では、ハミルトンの方がアロンソよりも優れている」

    ルーベンス・バリチェロは、ルイス・ハミルトンとフェルナンド・アロンソの両方とレースをしているが、アロンソとの方より密接な関係を持っているようだったため、この答えは驚きかもしれない。

    しかし、ルーベンス・バリチェロはフェルナンド・アロンソの能力も称賛する。

    「アロンソには様々な方法で運転できるし、優れたマシンがあれば最高のドライバーになれた可能性がある」とルーベンス・バリチェロはコメント。

    「彼がフェラーリを離れたときには多くの挑戦があった。彼は負け、彼は話し始めた。非常に奇妙な状況があった」

  • F1 | 「ハミルトンはセナやシューマッハよりも優れた才能」とバリチェロ

    F1 | 「ハミルトンはセナやシューマッハよりも優れた才能」とバリチェロ

    元F1ドライバーのルーベンス・バリチェロは、ルイス・ハミルトンはすでにF1史上最高のドライバーであり、F1の伝説であるアイルトン・セナやミハエル・シューマッハよりも優れているかもしれないと語る。

    F1では、世代を超えて誰が最も偉大なドライバーであるかの議論が常に行われているが、マシン性能やレース数といった違いを理由に明確な答えを出すことは困難だ。

    しかし、ブラジルの同胞であるアイルトン・セナに心酔し、フェラーリでミハエル・シューマッハのチームメイトだったルーベンス・バリチェロは、ルイス・ハミルトンはすでにF1界で最も偉大なドライバーである可能性があると語る。

    「ハミルトンには、おそらくアイルトンやシューマッハよりも優れた才能がある」とルーベンス・バリチェロは ESPN Brasil に語った。

    「彼が欠けていた唯一のものは、成熟度だった。彼はその面で進歩を果たし、今では最終形態を目にすることができる」

    だが、ルーベンス・バリチェロは、3人の特徴を組み合わせたドライバーが理想的だと語る。

    「完璧なドライバーは、アイルトンのスキル、シューマッハの勇気、そして、ハミルトンの協調性を兼ね備えたドライバーだ。そんなドライバーを見てみたいね!」とルーベンス・バリチェロは語った。

    関連:F1 | ゲルハルト・ベルガー、ルイス・ハミルトンとアイルトン・セナを比較

  • バリチェロ 「シューマッハは自分のためだけにレースをしていた」

    バリチェロ 「シューマッハは自分のためだけにレースをしていた」

    元F1ドライバーのルーベンス・バリチェロは、ミハエル・シューマッハとは良好な関係を築いていたが、彼は自分のためだけにレースをしていると感じていたと語る。

    ルーベンス・バリチェロは、2000年から2005年までミハエル・シューマッハとチームを組み、その6年間で9勝を挙げた。しかし、フェラーリ時代を通して、バリチェロはチーム内のナンバー2の役割を演じることになった。

    ルーベンス・バリチェロは、ミハエル・シューマッハは決して“協力的”なチームメイトではなかったと語る。

    「僕はいつも友達を作り、チームメイト全員と常に良い関係を築いてきた」とルーベンス・バリチェロは Beyond the Grid で語った。

    そのリストにミハエル・シューマッハも含まれているかと質問されたルーベンス・バリチェロは「そう言えるね」とコメント。

    「でも、彼は決して協力的ではなかった。彼は決して助けを求めていなかったので、僕も尋ねなかった」

    「尋ねることができるチームメイトもいるけど、彼は・・・ミハエルは違っていた。彼は働き方が少しナイーブだった」

    「会議と終えて、彼らがミハエルとだけまた別の会議を始めることが何度もあった。僕は椅子を持ってきてただそこに座っているだけだった」

    「最終的に、チームが彼だと感じた」

    しかし、ルーベンス・バリチェロは、7度のF1ワールドチャンピオンであるミハエル・シューマッハがコース上で並外れていたと認める。

    「彼は高速コーナーで物凄かった。非常に勇気があると感じた」とルーベンス・バリチェロは付け加えた。

    「低速コーナーでより多くのスピードを出していた。

    「ロス(ブラウン)が彼に何か違うことをしなければならないと何度も言っていたのを覚えている」

    「僕たち2人はお互いに別のレベルにプッシュしていたと思う。それは良いことだった。そして、ミハエル・シューマッハを新しいレベルにすることは簡単ではなかった」

    ルーベンス・バリチェロは、自分の方がミハエル・シューマッハよりも“精神的”に優れていたと語る。

    「自分をミハエルと比較するならば、70:30だったと思う。こう言い換えてみよう、彼は僕よりも優れていた」とルーベンス・バリチェロは語る。

    「彼の方がより完全だったし、マイケルは悪い日を過ごさなかった」

    「彼が悪い日を過ごしたときはいつでもチームは彼をバックアップする準備をしていた。彼らは彼にポジティブな影響を与える方法を知っていた」

  • ルーベンス・バリチェロ 「フェルスタッペンはブラジルで大人気」

    ルーベンス・バリチェロ 「フェルスタッペンはブラジルで大人気」

    ブラジル出身の元F1ドライバーのルーベンス・バリチェロは、レッドブル・ホンダのマックス・フェルスタッペンはブラジルのモータースポーツファンの間で大人気だと語る。

    ブラジルは、アイルトン・セナ、エマーソン・フィッティパルディ、ネルソン・ピケといったF1のレジェンド、フェリペ・マッサやバリチェロ自身を含めた複数のレースウィナーを排出してきたが、現在、F1グリッドにブラジル人ドライバーはいない。

    しかし、ルーベンス・バルチェロは、現在ブラジルの人々はオランダ出身のマックス・フェルスタッペンに注目を向けていると De Telegraaf に語った。

    「マックスはアグレッシブなドライバーだ。人々は彼はクレイジーだと思っているよ。それにとても率直だ。彼は自分の考えを述べている。インテルラゴスでの彼の週末は10点満点だった。そのすべてがブラジルで非常に人気のあるドライバーにしている」

    マックス・フェルスタッペンにとってインテルラゴスは鬼門だった。去年はレースをリードしつつも、バックマーカーのエステバン・オコンに接触させて2位でフィニッシュ。2016年は雨のなか印象的なパフォーマンスを発揮して3位でフィニッシュしている。

    元F1ワールドチャンピオンのジャック・ヴィルヌーヴもマックス・フェルスタッペンについて同じような見方をしている。

    「私の意見では、彼は世界チャンピオンになる準備ができている。だが、だからといって彼が言うことに発言に注意しなくていいというわけではない」とし、最近フェラーリがF1エンジンに“不正行為”を働いていると非難したフェルスタッペンの発言に感銘を受けなかったと語る。

    「あのケースでは、彼は知らないことについて話をしていた。あの発言はそれが全ての問題だ」

  • 【動画】ルーベンス・バリチェロ、ブラウンGP BGP001で10年ぶりに走行

    【動画】ルーベンス・バリチェロ、ブラウンGP BGP001で10年ぶりに走行

    元F1ドライバーのルーベンス・バリチェロが、7月6日(土)にブラウンGPのF1マシン『BGP001』のステアリングを10年ぶりに握った。

    ブラウンGPは、2008年末にF1から撤退したホンダF1チームが買収して誕生。ホンダが2019年に投入する予定だった『RA109』にメルセデス製エンジンを搭載した『BGP001』は、ホンダの日本人エンジニアが考案したとされるダブルディフューザーを搭載し、圧倒的な強さをみせた。

    2009年に17戦中8勝、5度のポールポジションを獲得してダブルタイトルを獲得。ジェンソン・バトンがワールドチャンピオンに輝いた。ルーベンル・バルチェロも2勝を挙げてランキング3位でシーズンを終了。ブラウンGPは2009年末にメルセデスに買収され、現在、タイトルを5連覇しているメルセデスAMG F1チームの母体となっている。

    ルーベンス・バリチェロは「グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード」でBGP001を10年ぶりに走らせた。

  • ルーベンス・バリチェロ、ミハエル・シューマッハへの面会を断られる

    ルーベンス・バリチェロ、ミハエル・シューマッハへの面会を断られる

    ルーベンス・バリチェロは、元チームメイトであるミハエル・シューマッハへの面会を家族から断られたことを明かした。

    7度のF1ワールドチャンピオンであるミハエル・シューマッハは、2013年12月29日にフランス・グルノーブルのメリベル・リゾートでスキーを楽しんでいる最中に転倒して頭を岩に強打して頭部に重傷を負い、現在もスイスの自宅で療養を続けている。

    ルーベンス・バルチェロは、2000年から2005年までフェラーリでチームを組んでいた。

    「彼を訪問する方法を見つけようとしたけど、彼らに『それはあなたにとっても彼にとっても良いことではないでしょう』と言われてしまった」とルーベンス・バリチェロは Globo にコメント。

    「だから、何のニュースもないよ」

    ミハエル・シューマッハの家族は、シューマッハの容体について、全ての情報を非公開にしている。

    F1界でミハエル・シューマッハを見舞ったのはFIA会長のジャン・トッドだけであり、「まだ戦っている」と述べた以外、ミハエル・シューマッハの容体については決して明らかにはしてない。

  • ルーベンス・バリチェロ、首の静脈瘤で緊急手術 「生きてることが奇跡」

    ルーベンス・バリチェロ、首の静脈瘤で緊急手術 「生きてることが奇跡」

    元F1ドライバーのルーベンス・バリチェロは、首に静脈瘤によって緊急手術を実施したことを明かし、“生きていることが奇跡”だと感じていると語った。

    昨年1月、ルーベンス・バリチェロは極度の頭痛に見舞われて病院に運ばれ、そこで首に腫瘍が見つかった。手術は無事に成功したが、退院後に医師から後遺症なく生存できる確率は14%の症状だったと伝えられたことを明かした。

    「首に良性の腫瘍があった。自分が生きているのは本当に奇跡なんだ」とルーネンス・バリチェロは Globo のテレビ番組のインタビューでコメント。

    「(1月の)ある土曜日に起きてシャワーを浴びた。突然、酷い頭痛を感じた。10段階で言えば9くらいの痛みだった。次に気づいたときには床に倒れていた。誰にも起こしてほしくなかったので、なんとかベットまで戻ったけど、耐え難いほどの痛みだった」

    「シルバナ(妻)がいて、医師の友人に連絡してくれた。幸いにも医師はすぐに状況の重大さを認識し、僕はすぐに病院に運ばれて2時間以内に手術を受けた。彼らは悪い静脈を見つけて修復してくれた」

    「病院についてカニューレを入れられて、静脈が閉ざされているのを確認した。彼らは本当に良い治療をしてくれた」

    「友人の医師が僕が悪い状態だと見極めてくれたのはとても幸運だった。腫瘍によって開かれた静脈は2時間で自分自身で血液を再生された」

    「退院したとき、同じような症状でこれまで回復した患者は14%しかいないと説明された。多くの人が深刻な後遺症を負ったり、死亡しているとね」

    「まだ治療を続けているけど、本当に元気だ。もうレースをすることは許されないと心配したけど、幸いにもそうはならなった」

    現在、ブラジルのストックカーレースに参戦しているルーベンス・バリチェロは、最近もレースの間に腫瘍を取り除く手術を受けたとして、首の左側の大きな傷跡をみせた。

    「全てが起こった後、健康状態を調べるために多くの検査を受けた。彼らは首に小さな腫瘍を見つけてインテルラゴスのレース後にそれを除去した。良性の腫瘍だったけど、成長していたし、クルマに乗っているときに不快感を持ちたくなかったので、それを除去した」

    「人生における困難はいかに成長し、良い人間になる方法を示してくれる。とても感謝しているし、機会を与えてくれた神に感謝している」

    F1で11勝を挙げ、322戦というF1史上歴代最多出走記録を持つルーベンス・バリチェロは、2011年末にF1を引退2012年にはインディカーに参戦。その後は主にブラジルのストックカーを戦い、2014年にはタイトルを獲得。2017年にはル・マン24時間レースに参戦している。最近では息子エドゥアルドのキャリアの支援にも力を入れている。

    ルーベンス・バリチェロ