カテゴリー: アイルトン・セナ

  • F1見聞録:アイルトン・セナは信じられないくらい利己的だった

    F1見聞録:アイルトン・セナは信じられないくらい利己的だった

    元F1ドライバーのマーク・ブランデルは、アイルトン・セナに敬意を表しているが、同時に3回のF1ワールドチャンピオンを“非常に利己的”なドライバーと評した。

    アイルトン・セナはまさに“天才と狂気は紙一重”なドライバーだった。マーク・ブランデルはセナを「彼は信じられないくらい利己的でもあった。彼は常に成功するために必要なものを確実に手に入れようとしていた」と Beyond the Grid で語った。

    マーク・ブランデルは、アイルトン・セナとゲルハルト・ベルガーとともに1992年にマクラーレン・ホンダのテストドライバーを務めていた。その年はウィリアムズがアクティブサスペンションなどの電子制御された運転補助デバイスを装備したFW14BでF1を支配。マクラーレンも独自のバージョンを開発していた。

    マーク・ブランデルは「イモラでのテストを覚えている。私はアクティブサスペンションを装備したマシンに乗っていた。私のラップタイムは、従来のマシンでのセナのラップタイムよりも少し速かった」とマーク・ブランデルは振り返る。

    「セナはそれを信じることができまなかった。テストドライバーが彼よりも速いという事実は彼の世界観に合わなかったので、彼はデータを研究し、何が起こっているのか分析した」

    「私はそのとき空港に行くつもりだったし、フィジオのジョセフ・レベラーが私をそこに連れて行ってくれることで同意していた。それで私は報告会で『これからボローニャの空港に今行かなければならない。ジョセフに運転してもらってもいいか?』とて提案した。すると、セナは少し頭を上げて『いいうあ、彼はここにいる』と言った」。

    「この報告会にはいろいろな種類の人々がいた。しかし、誰も一言も口を開かなかった」

    「私は『でも、どうやって空港に行けばいい? ジョセフが私を乗せていくべきだ。それで同意さている』というと、セナはもう一度顔を上げて『いいや、彼はここに残る』と言った」

    「それは心理的なゲームだった。私にはっきりわかった。君の負けだ!とね。『君は今日トラックやるべきことをやったが、君はテストドライバーにすぎず、代わりだ」とね。それが彼のやり方であることを後で理解した。彼はいつも彼の周りの人々を最大限に活用する方法を知っていた」

  • F1:フェラーリ元会長 「セナとシューマッハは共存できなかっただろう」

    F1:フェラーリ元会長 「セナとシューマッハは共存できなかっただろう」

    フェラーリの元会長ルカ・ディ・モンテゼーモロは、アイルトン・セナとミハエル・シューマッハと組ませていれば人気のある決断になっていただろうが、チャンピオンシップには役立たなかったと考えている。

    アイルトン・セナは、F1キャリアをフェラーリで終えることを考えていたとされ、ルカ・ディ・モンテゼーモロは、1994年のサンマリノGPでセナが命を落とす前に実際に実現に近づいていたことを明らかにしている。

    「彼はイモラでの悲劇の前の牛曜日にボローニャの私のところに来た」とルカ・ディ・モンテゼモーロは Sky Italia に明かした

    「彼は本気でウィリアムズを抜けてフェラーリに加入してレースをしたいと思っていると私に言った」

    「私たちはイモラの後で話し合うという考えだった。その後、あのようなことが起こってしまった。ミハエルが後になって加入したときと同じように、それはそのチームによってさらなる喜びとなっていただろう」

    亡くなったとき、アイルトン・セナはマクラーレンからウィリアムズへ移籍して3戦に参加していた。ウィリアムズはシーズンの後半までマシンのさまざまな問題を解決することができなかった。対照的に、ミハエル・シューマッハは1994年に初のF1ワールドチャンピオンを獲得。1995年にもタイトルを防衛し、1996年にフェラーリに移籍した。

    だが、もしアイルトン・セナが事故を乗り越えていたとしても、ルカ・ディ・モンテゼーモロはチーム内の調和という観点からフェラーリはアイルトン・セナとミハエル・シューマッハを共存させることはできなかっただろうと考えている。

    「素晴らしい夢だが、私たちは自分の首を絞めていただろう」とルカ・ディ・モンテゼーモロは語る。

    「大ヒットだっただろうが、フェラーリにとっては良くなかっただろう」

    ルカ・ディ・モンテゼーモロの推定では、一方のドライバーが他方のドライバーのウイングマンとなったミハエル・シューマッハとルーベンス・バリチェロとの最終的なパートナーシップがチームがどのように機能するべきかを示す完璧な例だったと考えている。

    「そのレベルの2人のスタートを一緒に起用しても勝てない」とルカ・ディ・モンテゼーモロは主張した。

    ルカ・ディ・モンテゼーモロの発言は“仮説”を提起する。アイルルトン・セナが1995年にフェラーリに参加していれば、ミハエル・シューマッハの加入は実現していたのか? タイトル数は異なっていたのか? あるいは、アイルトン・セナはフェラーリがタイトル獲得に挑戦できるようになるまでに引退して、ミハエル・シューマッハが彼とまったく同じようにタイトルを獲得できたのだろうか? 熟考することはたくさんあるが、結局のところ、歴史を変えることはできない。

  • アイルトン・セナ:象徴的なF1ヘルメットのデザインの誕生秘話

    アイルトン・セナ:象徴的なF1ヘルメットのデザインの誕生秘話

    アイルトン・セナの60歳の誕生日に、彼の象徴的なヘルメットの秘密をデザイナーの息子が明かした。

    3回のF1ワールドチャンピオンであるアイルトン・セナのヘルメットをデザインしたシッド・モスカは2011年に亡くなったが、息子のアランがその象徴的なヘルメットのデザインの理由を明らかにした。

    1979年のカート世界選手権のブラジル代表のために作成されたヘルメットについてアラン・モスカは「ヘルメットを着用するように求められ、我々はアイルトンに焦点が当てた」と語った。

    「全体をグリーンにしてイエローでディテールを作った場合、非常に暗く、無表情になる。すべての国にデザインが必要だった。我々は暖かく鮮やかなペイントを施すことに決めた。それで、我々は全体をイエローにして、アイルトンの目から発想を得て、グリーンとブリーの水平バンドを施すことにした」

    「彼がブラジルに到着したとき、アイルトン自身が我々に電話してきて『僕はこのデザインを使い続けるつもりだ。僕が欲しかったデザイン』と言った。それから彼はその装飾を採用し、いつまでも使い続けた」

    1985年から1986年までのロータスでのジョン・プレーヤー・スペシャルイヤーを除き、アイルトン・セナのキャリアのほとんどでヘルメットのデザインは実質的に変更されなかった。アラン・モスカによるとその2年間は通常よりも蛍光寄りのイエローだったという。

    アイルトン・セナのヘルメットのカラーとデザインは、過去と現在のドライバーに影響を与えた。

    「ルイス・ハミルトンは黄色を使い、背面ではアイルトンのものを参考にしていた。。フェルナンド・アロンソはその背景色を使用して、スペインの旗を作った」

    「ミカ・ハッキネンのヘルメットは、まさにアイルトンのヘルメットデザインだが、他の色使っている。エディ・アーバインも、アイルトンのヘルメットと同じペイントのヘルメットを着用していた。アイルトンは真似されるのがあまり好きではなかったがね」

  • F1:アラン・プロスト 「セナとのライバル関係/友情ともに生きている」

    F1:アラン・プロスト 「セナとのライバル関係/友情ともに生きている」

    アイルトン・セナが生きていれば3月21日は60歳の誕生日。マクラーレン時代のチームメイトであるアラン・プロストがセナとの関係を振り返った。

    F1だけでなく、スポーツ全体において、80年代後半と90年代前半のアイルトン・セナとアラン・プロストの最大のライバルの1つとして歴史に刻まれている。クラッシュを含め、最悪の時期もあったが、それはプロストが大切にしている関係だ。

    「私が知っている誰かがアイルトンと私について話さない日はない。それは私たちが成し遂げてきたこと、私たちが耐えてきたことを意味する」とアラン・プロストは La Repubblica に語った。

    「しかし、当時を生きていた人はそれを理解していなかった。私はそれをどのように言えばいいかわからない。本当に信じられないものだった」

    1988年と89年にマクラーレンでガレージを共有した2つのタイトルを交互に含む7つのワールドタイトルを獲得したアイルトン・セナとアラン・プロストの戦いは、見出し、想像力を掻き立て続けている。

    アラン・プロストは現代や未来の誰も二人のペアリングを実現するのは難しいと感じている。

    「私とアイルトンのライバルと同じであるかどうかはわからない。時代は異なり、今日のレースの世界はより洗練され、環境は変化しており、プレスとの関係ももはや同じではない。そして、最後に、我々はカリスマ性、ドライバーのスタイルとキャラクターを考慮する必要がある」とアラン・プロストは説明する。

    多くの人々にとって、1989年と90年の鈴鹿でのチャンピオン決定の衝突では、最高もしくは最低の経験として記憶されている。プロストは前者で衝突し、セナは後者でやり返した。その後、ドライバー同士の愛は失われていなかったが、アラン・プロストは1993年のオーストラリアでのキャリア最後のレースまでにすべてが許されたと考えている。

    「1993年のアデレードで表彰台でチャンピオンを獲得したが、レースに勝ったアイルトンは私の腕をとってトップステップを共有したいと考えた。その瞬間は実際に私たちの関係を変えた。そして今日、私たちは素晴らしい物語だったと言える」

    1994年にアラン・プロストの座っていたウィリアムズのF1シートを手にしたアイルトン・セナは、運命的なラストシーズンを迎えた。それはアラン・プロストがセナとグリッドを共有しない初めてのシーズンでもあった。

    「以前と以降がある。以前は、セナは完全な戦争であり、私を打ち負かし、撃ち落とすためのドライバーだと考えていた。それを確認できる事実もある。その後、私が引退したときに完全な和解があった。彼はもはや同じモチベーションを持っていなかった。私がいなくなり、彼はターゲットを少し失ったようだった」とアラン・プロストは語る。

    1994年シーズンの困難なスタートに耐えたアイルトン・セナは、クラッシュして命を落としたサンマリノGPでシーズン初勝利を目指していた。多くの人がそうであるように、アイルトン・セナの突然の死はアラン・プロストに大きな打撃を与えた。特にその数ヶ月間で彼らは親しくなっていた。

    「私たちは友達にさえなっていた。彼は彼の人生について親密なことを話してくれた。彼はトラックで私に挑戦したアイルトン・セナとはもはや違っていた。彼は私にドライバーズ・アソシエーションの世話することを望んでいたのを覚えている。彼は私にアドバイスを求めるために週に数回電話してきた」

    「彼が亡くなる前の1994年のイモラでの無線でのメッセージも覚えている( 『僕たち全員が君がいなくて寂しいよ、アラン』)。彼はTFにインタビューされ、私がコメンテーターであることを知ってそのようなの言葉を言った。でも、私はスタジオにいなかった。彼が死んだ後、彼らは私にそれを見せてくれた。そして、私は涙を流した」

    「振り返ってみると、何かが間違っていたことがわかった。世界はセナかプロストのどちらかだった。だが、それはどのように終わったか? 私たちの物語は完全につながっていた。私のキャリアだけでなく、私の人生もね。私はこの永遠のライバル関係/友情とともに生きている」

  • F1 | 「ハミルトンはセナやシューマッハよりも優れた才能」とバリチェロ

    F1 | 「ハミルトンはセナやシューマッハよりも優れた才能」とバリチェロ

    元F1ドライバーのルーベンス・バリチェロは、ルイス・ハミルトンはすでにF1史上最高のドライバーであり、F1の伝説であるアイルトン・セナやミハエル・シューマッハよりも優れているかもしれないと語る。

    F1では、世代を超えて誰が最も偉大なドライバーであるかの議論が常に行われているが、マシン性能やレース数といった違いを理由に明確な答えを出すことは困難だ。

    しかし、ブラジルの同胞であるアイルトン・セナに心酔し、フェラーリでミハエル・シューマッハのチームメイトだったルーベンス・バリチェロは、ルイス・ハミルトンはすでにF1界で最も偉大なドライバーである可能性があると語る。

    「ハミルトンには、おそらくアイルトンやシューマッハよりも優れた才能がある」とルーベンス・バリチェロは ESPN Brasil に語った。

    「彼が欠けていた唯一のものは、成熟度だった。彼はその面で進歩を果たし、今では最終形態を目にすることができる」

    だが、ルーベンス・バリチェロは、3人の特徴を組み合わせたドライバーが理想的だと語る。

    「完璧なドライバーは、アイルトンのスキル、シューマッハの勇気、そして、ハミルトンの協調性を兼ね備えたドライバーだ。そんなドライバーを見てみたいね!」とルーベンス・バリチェロは語った。

    関連:F1 | ゲルハルト・ベルガー、ルイス・ハミルトンとアイルトン・セナを比較

  • F1 | ゲルハルト・ベルガー、ルイス・ハミルトンとアイルトン・セナを比較

    F1 | ゲルハルト・ベルガー、ルイス・ハミルトンとアイルトン・セナを比較

    元F1ドライバーのゲルハルト・ベルガーは、ルイス・ハミルトンとアイルトン・セアを敢えて比較。ハミルトンはF1史上最高のドライバーになりつつあると語った。

    昨年、ルイス・ハミルトンは自身6回目のF1ワールドチャンピオンを獲得。誰にも破られることはないと思われていたミハエル・シューマッハの7回まであと1回に迫り、F1最多勝利記録さえも射程圏内に収めている。

    アイルトン・セナと同じ時代のF1を戦ったゲルハルト・ベルガーは、長年、世代を超えたドライバー比較を避けてきたが、単純に“今”はルイス・ハミルトンが史上最高のドライバーだと答えた。

    「ハミルトンは史上最高のドライバーになりつつある。彼は今、シューマッハの記録に匹敵する可能性がある。セナと比較してハミルトンはどうかという質問をよく受ける。私は長い間この比較を避けてきた」とゲルハルト・ベルガーは Auto Motor und Sport にコメント。

    「長い間、アイルトンよりも優れていると認めさせる質をもったドライバーはいなかった。ハミルトンに関して、今でははっきりと良心に従って言うことができる。彼はその質を持っている。彼はセナと同じ次元にいる言える初めてのドライバーだ」

    「過去2年間、メルセデスはハミルトンがマシンに乗っていたことで、レースに勝ち、チャンピオンシップを獲得してきた。バルテリ・ボッタスがそのように役割を担うことは難しいだろう。ハミルトンはすべてのトラックの先頭にいる。そして、最近では、彼は3位になることを学んだ。彼は今、特定の日には低い順位でも満足しなければならないことを認識する才能を持っている。彼はポイントを獲得し、自分に『次のレースは再び僕のものだ。それがワールドチャンピオンにしてくれる』と自分に言い聞かせることができる」

    次世代はどうだろう? 今後、10年の間、マックス・フェルスタッペンとシャルル・ルクレールがトップを争うことになると考えられているが、ゲルハルト・ベルガーは2人のドライバーのどちらが優れているかはまだ判断できないと語る。

    「二人は根本的に異なる。より攻撃的で予測不可能だ。フェルスタッペンは完全に非政治的で、自分の考えを語り、誰もが聞くことができるほど大声で話す。彼は同じように運転する。ルクレールはより穏やかで察しが良いドライバーという印象を受ける。彼はより計算高く、政治的に見える。完全に異なるアプローチだが、実力的には同じレベルだ」

  • セバスチャン・ベッテル 「F1の最初のヒーローはアイルトン・セナ」

    セバスチャン・ベッテル 「F1の最初のヒーローはアイルトン・セナ」

    セバスチャン・ベッテルは、F1でミハエル・シューマッハの足跡を辿っていることに注目されがちがが、モータースポーツにのめりこむ重要な役割を果たしたF1で最初のヒーローはアイルトン・セナだったと語る。

    セバスチャン・ベッテルとミハエル・シューマッハは、ドイツ国籍のドライバーが獲得した12回のF1ワールドチャンピオンのうち11回を獲得している。そのうちのひとつは2016年のニコ・ロズベルグだ。

    近年、セバスチャン・ベッテルは、フェラーリでF1ワールドチャンピオンを獲得するでミハエル・シューマッハに匹敵することへの決意を定期的に述べている。

    1990年代と2000年代のミハエル・シューマッハの黄金時代は、セバスチャン・ベッテルに印象を残したが、自分のキャリアにおいて大きな役割を果たしたドライバーはアイルトン・セナだと語る。

    「最初の思い出を挙げるのはとても難しいけど、僕が初めて見たF1に関連する画像は、彼がブラジルでのレースをで彼が勝ったときのものだ。多くのギアを失って、疲れ果て、彼はほとんどトロフィーを持ち上げることができなかった」

    「あのマシン、マールボロのマシンの画像は非常に象徴的だった。僕の父はアイルトン・セナの大ファンだったのが理由だ。そのような年齢では両親の真似をするものだし、彼がF1を見ていたので、僕も一緒にみていた」

    「だから、私にとってはアイルトン・セナがフF1にリンクした最初の人だった。彼の遺産は、おそらくスポーツに残せる最大または最も偉大なものだと思う」

    「彼はあまりにも早く亡くなった。レースだけでなく、おそらくクルマの外でも、彼からもっと楽しむことができたはずだ」

    「彼とその瞬間を分かち合う機会はなかったけど、彼と親しく、長年働いてきた人々の思い出を分かち合う機会はあると思う」

    「彼は非常に特別なキャラクターだった。彼がとても速かったり、非常に成功したという事実だけでなく、非常に特別な人物でもあった」

  • ホンダ、F1ブラジルGPでのポール獲得は1991年のアイルトン・セナ以来

    ホンダ、F1ブラジルGPでのポール獲得は1991年のアイルトン・セナ以来

    ホンダにとってF1ブラジルGPでのポールポジションは、アイルトン・セナが母国グランプリで獲得した1991年以来、28年ぶりとなる。

    F1ブラジルGPでは、レッドブル・ホンダのマックス・フェルスタッペンが自身2度目のポールポジションを獲得。ホンダにとっても2015年にF1に復帰して以来、2度目のポールポジションとなった。

    今年はアイルトン・セナの没後25年にあたり、ブラジルでは様々なイベントが開催されている。週末にはサンパウロでハイネケンが主催する「The HEINEKEN F1 FESTIVAL – SENNA TRIBUTE」と題されたF1フェスティバルが開催。

    また、木曜日からインテルラゴスをセナのレーシングヘルメットの黄色と緑の色で描かれたブラジルのテレビヘリコプターが飛び回り、サーキットの彼の名前を冠した子供たちの学校のために資金を集めているソーシャルメディアキャンペーンの一環として「Obrigado, Senna(ありがとう、セナ)」というバナーが掲げられている。

    レースに来場する予想される60,000人のファンの多くは、アイルトン・セナの顔がプリントされてTシャルと旗を身に着ける。現在、ブラジルのドライバーがグリッドにいないため、地元の放送局は、1988年、1990年、1991年に優勝したカリスマ的なドライバーに焦点を当てている。

    ホンダにとってもF1ブラジルGPでのポールポジションは、アイルトン・セナが母国グランプリで獲得した1991年以来、28年ぶりとなる。

    ホンダF1のテクニカルディレクターを務める田辺豊治は「今日の予選で得たポジションを確実にレース結果に結びつけられるよう、万全の準備をして臨みたいと思います」と意気込みを語った。

  • ルイス・ハミルトン、セナをトリビュートしたスペシャルヘルメット

    ルイス・ハミルトン、セナをトリビュートしたスペシャルヘルメット

    メルセデスのルイス・ハミルトンは、F1ブラジルGPにアイルトン・セナをトリビュートしたスペシャルヘルメットを用意した。

    過去に何度か見られたようにルイス・ハミルトンは、自身のデザインとアイルトン・セナの有名なカラーリングをブレンドし、自身の6度目のF1ワールドチャンピオンを反映して両サイドにそれぞれ6つの星を追加した。

    頭頂部にはブラジル国旗とハミルトンのロゴが融合され、背面にはコルコバードのキリスト像がデザインされている。

    「彼のための敬礼のようなものだ。でも、ここにブラジル人のドライバーはいないし、ブラジルがアイルトンをどれほど恋しく思っているかを僕は知っている。僕がやっていることを刺激していくれたドライバーなので、今年それをもたらすのは本当にクールだと思っている」とルイス・ハミルトンはコメンとした。

    ルイス・ハミルトン 2019年 F1ブラジルGP ヘルメットルイス・ハミルトン 2019年 F1ブラジルGP ヘルメット②ルイス・ハミルトン 2019年 F1ブラジルGP ヘルメット③

  • 「ミハエル・シューマッハはセナの死で真剣にF1引退を考えていた」

    「ミハエル・シューマッハはセナの死で真剣にF1引退を考えていた」

    ミハエル・シューマッハの元チームボスであるフラビオ・ブリアトーレは、1994年のアイルトン・セナの死後、シューマッハがF1引退に迫っていたことを明かした。

    ミハエル・シューマッハは、サンマリノGPでアイルトン・セナが命を起こした事故の際、セナと順位を争っていた。

    フラビオ・ブリアトーレは「アイルトン・セナの死後、彼は変わった。彼はレースを辞めることを真剣に考えていた。だが、我々にとって幸いなことに彼はとどまってくれた」

    その年、7回のF1ワールドチャンピオンのうちの最初となるタイトルを獲得したミハエル・シューマッハだが、アイルトン・セナの死によってF1を引退していたら、F1の歴史はまったく違ったものになっていただろう。