カテゴリー: スクーデリア・アルファタウリ

  • ダニエル・リカルド 「F1を休みたいので角田裕毅のことは放っておいてね」

    ダニエル・リカルド 「F1を休みたいので角田裕毅のことは放っておいてね」

    ダニエル・リカルドは、2023年のレッドブルF1のサードドライバーとしてサイン。来年、彼の母国でのレースを望む評論家に“本当”に休暇を望んでいるので「角田裕毅のことは放っておいて」と語った。

    契約満了の1年前にマクラーレンから放出されたダニエル・リカルドは、2023年にマックス・フェルスタッペンとセルジオ・ペレスのラインナップを継続するレッドブル・レーシングでサードドライバーを務める。

    しかし、他のレースへのコミットメントがない限り、すべてのレースに参加するほとんどのリザーブドライバーとは異なり、ダニエル・リカルとレッドブルとの契約は、休憩を望んでいるリカルドに合わせて調整されている。

    マクラーレンでの失望の2シーズンの後、ダニエル・リカルドはレースシートよりもリザーブの役割を担うことを選択した。

    実際、ダニエル・リカルドが契約上でレッドブルとアルファタウリのリザーブドライバーの役割を務めることになるかはまだ疑問がある。

    ポッドキャストIn the Fast Laneの評論家はダニエル・リカルドの母国レースであるオーストラリアGPの前夜に角田裕毅を「危険なボウル」の食事に連れ出す必要があるかどうかを知りたがっている。

    だが、ダニエル・リカルドは「頼むからやめてくれ」と語った。

    「僕は本当に少し休みたいので、裕毅のことは放っておいて、彼にレースをさせよう」とダニエル・リカルドは語った.

    レッドブルとのリザーブ契約の詳細について、ダニエル・リカルドは「それがどうなるかについてかなり良いアイデアを持っている。それに来年はレースをしたくないと考えた後、自分が何を望んでいるかがますます明確になったので、自分のアイデアをチームにプレゼンしなければならなかった」と語る。

    「僕は24レースに引きずり込もうとしているのならうまくいかないとね。すべてのレースに帯同して、ガレージの後ろに立っているという会話ではなかった」

    「自分が12年前のリザーブドライバーではないことは非常に明らかだったので、おそらく6~8回、できれば8回を超えないくらいでレースに行くつもりだ。それが僕が境界を設定しようとしたところだ」

    「シミュレーターの仕事とマーケティングの側面も同様だ。F1のプラットフォームは巨大だ。それは明らかに自分の名前をそこに残すことができる場所であり、レッドブルは僕のような見栄えの良い猫を使用することができる」

    ダニエル・リカルドが2023年シーズンにレースに出走せず、代わりにリザーブドライバーを望んでいることが明らかになったとき、メルセデスとの契約が噂された。

    ダニエル・リカルドは、メルセデスF1とも交渉していたが、時間が経つにつれてレッドブルへの復帰が「ますます理にかなっている」と感じるようになったと語った。

    「メルセデスとも交渉していたし、彼らの関与にも感謝していた。確かにそれに対する欲求はあった」とダニエル・リカルドは語った。

    「ある意味、少し失速していたと言っておこう。その後、レッドブルのものがどんどん意味を成し、より持続的になり、自然に進展していった。

    「もちろん、レッドブルにいたときでさえ、メルセデスは常にチームとして僕の一部にあった。彼らは常に支配的だった。僕が注目していたのはチームだった。ずっと前に彼らと何度か会話をしていたし、今でも何度か会話ができたのは素晴らしいことだった」

    「繰り返しになるけど、僕が過ごした数年間の後でも、いくつかのトップチームから評価されていることは当然だけど素晴らしいことだ」

    「さっきも言ったけど、レッドブルのことがより深刻になると、それはますます理にかなっていた」

    「それに『過去2年間で少し取りまわっていたので、以前に一緒に仕事をしたことのある人々、それにもちろん車での仕事に戻って、少し親しみを感じることは僕にとって良いかもしれない』と考えた」

    「今、車が変わって、とてもうまくやっていることに感謝している。飛び退いて、シミュレーター作業などいろいろなことをすることを考えたら、おそらく、それが最も僕を落ち着かせ、この先の次のステップ、そして、2023年以降に本当に自分が望むものが何であるかを理解させてくれる環境かもしれないと感じた」

    しかし、ダニエル・リカルドは、トト・ヴォルフとジョージ・ラッセルの両方が彼のグッズを宣伝してくれたことに感謝している。トト・ヴォルフがそれを身に着けている写真は、リカルドとメルセデスが契約を結んだことを巡ってツイッターを熱狂させた。

    「トトに大声をあげる義務があるし、ジョージが良いアンバサダーになってくれたことに感謝している」とダニエル・リカルドは語った。

  • 角田裕毅 「リラックスできるようになってF1ドライバーとして向上した」

    角田裕毅 「リラックスできるようになってF1ドライバーとして向上した」

    角田裕毅は、2022年シーズンを通じてドライバーとして成長するためにフィジカル面とメンタル面な改善が重要でだったと考えており、各レース週末でより「リラックスした」考え方を取り入れている。

    角田裕毅は2021年にアルファタウリで複雑のデビューシーズンを経験した。時折ペースを垣間見せたものの、ミス、無線での爆発、フィットネス面の奮闘を伴い、コース内外でのルーチンの変化につながった。

    角田裕毅のチームメイトであるピエール・ガスリーは、F1での2年目に著しく落ち着きをみせた角田裕毅が「大幅に改善した」と宣言し、2023年にさらに進歩することを示唆している。

    2年目のF1シーズンで進歩したと感じている分野は何かと質問された角田裕毅は「フィジカル面、メンタル面、ドライビング面。全体的にかなり満足しています」と答えた。

    特に今はレースウィーク、特に木曜日、金曜日にリラックスしています。昨年はアプローチ方法がわからなかったので、一貫してストレスを感じていましたし、すべてを焦っていました。

    「そのせいで少しストレスがたまり、フラストレーションを抱え、自分で少し難しくしていました」

    「でも、今はリラックスできているし、どんな状況にも適応できるようになりました。だから、自信を感じたり、良い自信を持てたり、予期していなかったようなことが起こったりしても、それに対応する方法を知っています」

    「全体として、今年はレースごとに進歩したことにとても満足しています。この勢いを続けられるか、それ以上のものを期待しています。来年もそうです」

    F1ドライバーたちが冬休みに向かう中、角田裕毅は来シーズンのオフシーズンに向けて今年と同じアプローチをとることを計画していると説明し、ほとんどの時間をヨーロッパで過ごし、日本の料理への愛について冗談を言った。

    今年の冬は日本に戻ってファンともう少し時間を過ごす予定はあるかと質問された角田裕毅は「いいえ、現在、ヨーロッパで少し計画を立てています」とコメント。

    「日本に戻りますが、おそらく去年と同じくらい短いと思ます。その後、ヨーロッパに戻り、去年や今年のシーズンの初めのようにトレーニングをしていきます」

    「日本であまり長くステイするつもりはありません。そうしないと、本当に太ってしまいますからね!」

  • ニック・デ・フリース 「F1の夢は終わったと考えていた」

    ニック・デ・フリース 「F1の夢は終わったと考えていた」

    ニック・デ・フリースは、F1の夢は終わったと考えていたことを認める。

    2023年、ニック・デ・フリースは、レッドブルの“ジュニア”チームであるアルファタウリのルーキーとなるが、実際には27歳と遅咲きのF1デビューを果たす。

    「今、それが本当に実現するんだという実感が湧いてきている」と今年のメルセデスF1のリザーブドライバーを務めていたニック・デ・フリースはRenze op Zaterdagに語った。

    「正直なところ、もうF1のことは現実的な機会とは見ていなかった」

    「でも、僕は自分の道に巡て来たチャンスをつかみ続けた」

    「僕はそこにいて、過去2年間レースに移動していたけど、実際には何の見返りもなかった。そのような態度で、僕は土曜日にコーヒーを飲みながらVIPラウンジに座っていた」

    しかし突然、ウィリアムズのアレクサンダー・アルボンが虫垂炎を患ったことで2022年に彼に大きなチャンスが訪れた。ニック・デ・フリースはウィリアムズからF1イタリアGPに出場してデビュー戦でセンセーショナルなポイントを獲得した。

    これがレッドブルF1のモータースポーツアドバイザーであるヘルムート・マルコの興味をそそり、レッドブルファミリーは2023年のF1グリッドに2人のオランダ人を迎えることになった。

    「モンツァの後の月曜日、マックスは『君の周(冠宇)を抑えるのを少し手伝った』と言っていた。僕たちは一緒にスポーツで育ち、幼い頃からお互いをよく知っていた」とニック・デ・フリースは語った。

    「僕たちはキャラクターの点で大きく異なっていると思うけど、マックスは今、僕たちのスポーツを支配しているし、それを見るのは本当に素晴らしいことだと思う。 彼がそれを行っている方法は非常に印象的だ」

  • ニック・デ・フリース 「アルファタウリF1とトップ5入りを目指す」

    ニック・デ・フリース 「アルファタウリF1とトップ5入りを目指す」

    ニック・デ・フリースは、2023年にF1デビューを果たすアルファタウリF1とトップ5入りを目指すと語る。

    アルファタウリF1にとって2022年はコンストラクターズランキング9位という厳しいシーズンだった。ピエール・ガスリーに代わって加入するニック・デ・フリースは、2023年のアルファタウリF1の成功に自信を持っている。

    「チームは昨年9位でフィニッシュした。それには絶対に満足していない。以前はトップ5に入ることが多かったが、あまり良い年ではなかった」とニック・デ・フリースは語った。

    「だから、この冬はできるだけ多くの進歩を遂げたいと思っている。トップ5が現実的かどうかはマシンで決まるだろう」

    ニック・デ・フリースは、F1をいう夢の実現は彼の労働倫理だけでなく、彼の家族も重要な役割を果たしたことを認めている. たとえば、彼の父親は、彼の夢を実現するために何年もの間、彼をサポートしてくれた。

    しかし、F1 に参加できなかったとしても、家族は彼を支え続けていただろうとデ・フリースは確信していたと語る。

    「罪悪感というのは正しい言葉ではない。彼らはいつも僕を誇りに思っていてくれたと思う」とニック・デ・フリースは強調した。

    「今は本当に素晴らしい。僕に多くの時間を割いてくれたすべての人に恩返しできることを感謝している。信じていなかった人もたくさんいた。でも、僕たちは諦めなかった」

  • アルファタウリF1は2022年シーズンになぜ苦戦を強いられたのか?

    アルファタウリF1は2022年シーズンになぜ苦戦を強いられたのか?

    アルファタウリF1は、2022年に予想以上の苦戦を強いられた。コンストラクターズ選手権9位という結果は期待されていた結果ではなかった。

    振り返ってみると、シーズン開幕戦のバーレーンでピエール・ガスリーのマシンから突然発火して2周でほぼ終了したことは悲惨なシーズンの最初の兆候だった。その後シンガポールでも繰り返された火災は、レッドブル・レーシングの姉妹チームが2022年シーズン直面した多くの挫折のうちの1つに過ぎなかった。

    ブレーキが最適に機能せず、ピエール・ガスリーがチャンピオンシップポイントよりも多くのペナルティポイントを獲得したこと、2023 年のドライバー探しは困難を極めた。何よりもアルファタウリAT03は、2022年ほど競争力がなかった。

    テクニカルレギュレーションの抜本的な変更により、アルファタウリは構造的な一歩を踏み出すか、少なくともミッドフィールドで安定した状態を維持することに大きな期待を寄せていた。2021 年、アルファタウリは優れたピエール・ガスリーのおかげで、常にグリッドで 3番目に速いチームだった。

    だが、アルファタウリは新世代F1マシンで完全に間違っていたという結論を導き出すことができる。

    今年の最大の問題は車の重量でした。シーズンを通して、アルファタウリ は 12 ~ 13 キロの太りすぎで、減量することができなかった。追加の重量により、ドライバーは 1 周あたり約 0.35 秒を犠牲にした。さらに、車が重いということは、タイヤの摩耗とオーバーヒートが大きくなることを意味する。アルファタウリ のエンジニアは、車のコンセプトは基本的には問題ないと考えていたが、余分な重量が最終的にパフォーマンスを低下させた。

    F1チームには、車を設計する義務がある。ただし、特定のパーツを他チームから購入することは許可されている。姉妹チームとして、アルファタウリ は レッドブル・レーシングと何年にもわたってそれを行ってきた。それは、コストが削減され、開発に投資する必要はなくなるが、パフォーマンスが犠牲になる可能性がある。アルファタウリの場合はそうだった。

    購入したパーツは、レッドブル車用に設計されたものだ。これは、アルファタウリの設計に最適に適合しなかったことを意味する。さらに、レッドブルは非常に急速に開発を進める。多くの場合、アルファタウリは最後の最後になって、突然、完全に変更されたパーツを入手し、可能な限り最善を尽くして車に取り付ける必要があった。空力に関しては、これは最適とは言えない。

    それは、アルファタウリが2023年にレッドブルへの依存度を減らし、より多くのパーツの生産を開始する理由でもある。

    また、アルファタウリは、新車とともに、角田裕毅と新加入のニック・デ・フリースという新しいラインナップで2022年の失望を忘れたいと考えている。

    新しいドライバー デュオによって、アルファタウリでのピエール・ガスリーの時代は終わりを迎える。周知のとおり、ガスリーはアルピーヌF1チームに移籍する。ガスリーにとって退団はほとんど悲しむべきものではない。ガスリーは2人のドライバーの中で最速だったが、扱いにくいアルファタウリで少し輝きを失ったようだった。いくつかのインシデントは重く罰せられた膨大な数のペナルティ ポイントもある種のフラストレーションとなった。だが、新しい環境が ガスリー に良い影響を与えることは間違いない。

    アルファタウリがFIAからコルトン・ヘルタと契約するためのF1スーパーライセンスの許可を得られなかったことは、チームにとってまた別の不運の瞬間だった。だが、ニック・デ・フリースの登場によって適切な後継者が見つかったようだ。問題は、デ・フリースがすぐにチーム リーダーとしてガスリーの役割を引き継げるかどうかだ。F1バドックの反応では角田裕毅にその準備ができていない。

    今のところ、アルファタウリのファクトリーからは2023年F1マシンについて期待の声が上がっている。ただ、去年の冬も同じではなかったか? アルファタウリには、もう 1 つの悲惨なシーズンを迎える余裕はない。その場合、直接のライバルとのギャップは、今後数年間で埋めることができない高さにまで成長する。チームには前途多難な2023年シーズンが待ち受けている。

  • ニック・デ・フリース 「何の見返りもなく2年間F1に参加し続けた」

    ニック・デ・フリース 「何の見返りもなく2年間F1に参加し続けた」

    ニック・デ・フリースが、2023年のアルファタウリでのF1デビューに先立って、これまでのキャリアについて振り返った。

    メルセデスF1のリザーブドライバーを務めていたニック・デ・フリースは、F1イタリアGPの週末にアレクサンダー・アルボンの車に乗ることを許可された。国際的なメディアはデ・フリースがウィリアムズで見せたパフォーマンスに感銘を受けた。

    実際、ニック・デ・フリースは、この週末を9位でフィニッシュして2ポイントを獲得し、ドライバー・オブ・ザ・デイに選出され、いくつかの F1 チームが デ・フリースを視野に入れておくのには十分だった。

    多くの関心を集めた後、ニック・デ・フリースの起用に熱心だったF1チームはアルファタウリであり、契約はすぐに調印された。アストンマーティンに移籍したフェルナンド・アロンソの後任として、ピエール・ガスリーあアルピーヌF1チームへの移籍を望んでおり、すべての歯車が噛み合った。

    2018年のF2シーズン終了後、ジョージ・ラッセル、ランド・ノリス、アレクサンダー・アルボンの3名がF1に昇格したが、ニック・デ・フリースはチャンピオンシップ4位にとどまった。1年後、デ・フリースはF2タイトルを獲得したが、F1シートは空いていないことが判明した。

    ニック・デ・フリースは、メルセデスと契約してフォーミュラEに参戦すること選択し、そこでもチャンピオンになった。フォーミュラ E への参戦の合間にはRacing Team Nederlandから世界耐久選手権のいくつかのレースに出場。チームは富士6時間レースのLMP2クラスで初優勝を果たした。デ・フリースは最後のスティントでマシンをフィニッシュ ラインに導いた。

    それでも、ニック・デ・フリースのF1への道はほぼ閉ざされていた。F1ではリザーブドライバーがほとんど必要ないことを認識しながらも、別の目標を念頭に置いていた。

    「でも、すべてはF1に関するものだった。僕は2年間、何の見返りもないし、F1レースに参加していた」とニック・デ・フリースは語った。

    ウィリアムズでレースに出場するという電話が鳴ったのは、メルセデスと将来について話し合った直後だった。

    「だから、『とても早いな』と思った。でも、彼らは『今はその件ではない』と言った。その後、僕はウィリアムズに送られた。週末ずっと運転するなんて知らなかった。その時に聞いた」

    突然、ニック・デ・フリースの予想外のF1デビューが訪れた。アレクサンダー・アルボンは虫垂炎に倒れ、デ・フリースは土曜日の朝にモンツァでウィリアムズからの出場がきまった。それが容易ではないことは、後で証明された。

    ニック・デ・フリースは疲労困憊の状態でフィニッシュした。無線で肩が死んでいるとため息をつき、誰か車から降りるのを手伝ってくれるかどうか尋ねた。デ・フリースはもはや自分で車から降りる力が残っていなかった。結局、駆けつけたウィリアムズのクルーが車から降りるのを助けた。

    「ちょっと恥ずかしかったね」とニック・デ・フリースは振り返る。

    「フィジカル的に言えば、モンツァは年間で最も簡単なサーキットだ。その次はシンガポールだった。アレックスがドライブできるか分からなかったので、実際、ビクビクしていた。トレーニングのためにサウナに入っただけだったからね」

    最終的にニック・デ・フリースは、暑さと湿気によっておそらくシーズンで最もタフなグランプリであるシンガポールで戦う必要はなかった。

    ニック・デ・ド・フリースのモンツァでの疲労には正当な言い訳があった。ドライバー交代を通知されたのは非常に遅く、ウィリアムズはデ・フリースのために車を最適に調整することができなかった。また、予選通過後の変更は禁止だ。

    「実際、ハンドルは僕には高すぎた。そのため、肩の前部が常にアクティブだった。セーフティカーの後、ハンドルを切ることができなかった」とニック・デ・フリースは締めくくった。

  • ピエール・ガスリー、優勝した『アルファタウリAT01』でホンダF1ラストラン

    ピエール・ガスリー、優勝した『アルファタウリAT01』でホンダF1ラストラン

    ピエール・ガスリーは、2020年F1イタリアGPで優勝したアルファタウリ・ホンダ『AT01』を走らせてホンダのF1エンジンに別れを告げた。

    スーパーフォーミュラに参戦した2017年を含めて、2018年のトロロッソのF1フル参戦からホンダのF1エンジンで戦ってきたピエール・ガスリーだが、2023年にはレッドブルファミリーを離れてライバルのアルピーヌF1チームへの移籍が決定している。

    ピエール・ガスリーは、11月27日(日)にモビリティリゾートもてぎで開催された「Honda Racing THANKS DAY(ホンダ・レーシング サンクスデー) 2022」に参加。

    ピエール・ガスリーは、2020年F1イタリアGPで優勝したアルファタウリ・ホンダ『AT01』に乗り込み、“ありがとう号”として知られる2021年のF1トルコGPのカラーリングのレッドブル・ホンダの『RB16B』を走らせるマックス・フェルスタッペンとモビリティリゾートもてぎをドライブ。最後はドーナルターンを披露して、ホンダF1エンジンとファンに別れを告げた。

    走行を終えたピエール・ガスリーは「ホンダのトラック、ホンダとアルファタウリでの最後にモンツァで勝った2020年のAT01に乗ることができて、それに加えて、ここもてぎはスーパーフォーミュラで初めて勝ったレースだったので、本当にたくさんの思い出のなかで走ることができたし、本当に最高だった」とコメント。

    「最後の最後まで本当に最高だった。この場を借りてみんなに本当に感謝したい。6年間僕をたくさん応援してくれてファンのみんなありがとう」

    「そして、ホンダのみんなには大変お世話になったし、たくさん勉強させてもらった。本当にいい経験をさせてもらった」

    「これで最後というわけではないので、いつか戻ってくることもあるかもしれないので、その日まで引き続きレーサーとして頑張りたいし、僕はずっとホンダを応援している。これからもみんなにはチャンピオンシップで頑張ってもらいたい。本当にありがとう」

    マックス・フェルスタッペンは「本当に思い出深いクルマだし、もてぎで走るのは初めてだったので最高に楽しかった」と語った。

    鈴鹿で2回目のF1ワールドチャンピオンを獲得したフェルスタッペンあh「素晴らしいレースだったと思うし、日本のファンのみんなの前でチャンピオンを獲得することができたのは本当にうれしかったし、絶対忘れられない。来年も応援よろしく」と語った。

    二人の本格走行前には、セルジオ・ペレスと角田裕毅がシビック タイプRで先導。

    セルジオ・ペレスは「本当にみんな応援ありがとう。鈴鹿もみんなの応援があってこそだったし、1-2でフィニッシュしたのは夢のようだった。素晴らしいレースだった。みんなの前で走ることができてうれしかった。ホンダのホームで走ることができたのは最高だった。来年も来るのでよろしく」と語った。

    角田裕毅は「今年は自分としてもかなり成長できたと思いますし、チームとしては少し苦戦してしまったんですけど、何より思い出にあるのが、鈴鹿グランプリですね」とコメント。

    「自分にとっても今でもまだ鮮明に覚えてますし、何よりピットから出て行った最初の周、ターン1からターン2にかけては、僕が実際に4年前にターン2で一観客として見ていた自分が実際に走っていることに本当に感激しましたし、何よりも皆さんからの熱いおもてなしが、すごく心の中で響きました」

    「本当に特に雨の中、3日間、4日間、さらに夜遅い中、テレビで応援していただき本当にありがとうございました。来年はさらに強く、チームとしてもコンストラクターズで5位、そして、自分としてもドライバーズチャンピオンシップでトップ10に残れるように頑張りますので、是非、来年も応援よろしくお願いいたします」

    最後にピエール・ガスリーは「ホンダとのこの10年間は素晴らしい旅だったし、セルジオ、マックス、裕毅とレッドブルファミリーに属することができて本当にいい思い出ばかりだ」とコメント。

    「たとえば、今日はここにいるけど、4輪だけなく、MotoGPや国内のスーパーフォーミュラやSUPER GTなど、本当にみんな一緒に力を合わせて、どの場でも勉強できる場だった。本当にたくさんの勉強をさせてもらった。この10年間は一生忘れない。本当に感謝している」

    「でも、こうしゃべってると僕がこれで終わりみたいな感じだけど、そうではない。僕は明日からも引き続きレーシングドライバーとしてベストを尽くして生きたので、みんな応援よろしく」

  • 角田裕毅 「ピエール・ガスリーと別のF1チームで思い切り戦うのが楽しみ」

    角田裕毅 「ピエール・ガスリーと別のF1チームで思い切り戦うのが楽しみ」

    角田裕毅が、今シーズン限りでスクーデリア・アルファタウリを離れるピエール・ガスリーに惜別のメッセージとエールを送った。

    11月27日(日)にモビリティリゾートもてぎにて「Honda Racing THANKS DAY(ホンダ・レーシング サンクスデー) 2022」を開催され、レッドブル・レーシングのマックス・フェウスタッペンとセルジオ・ペレス、スクーデリア・アルファタウリの角田裕毅とピエール・ガスリーが参加。様々なプログラムに参加した。

    最後に今年でチームを離れるピエール・ガスリーへのメッセージを求められた角田裕毅は“ラブメッセージはほどほどに”しておくとして次のように語った。

    「本当にここ2年間、自分を成長させてくれた一番メインの人ですし、何より、コース内だけじゃなく、コースの外、たとえば、トレーニングだったり、人との接し方など、たくさん学んだので、本当に尊敬できるドライバーです」と角田裕毅はピエール・ガスリーについて語った。

    「しかもチームメイトとして、今まで友情というか、本当に一般の学校の友達だったり、自分のレーシング外の友達に感じるような全く力みのない純粋な友情が築けたし、本当にここ2年間楽しかったので感謝しています」

    「ただ、本当のお別れではないので、まだ来年違うチームで思いっきり戦えるので、逆にそれをすごく楽しみにしているし、また来年、違うチームなので、思いっきりアグレッシブに戦えると思うので、本当に楽しみにしています」

    「頑張ってくださいとしか言いようがないですけど、ポイントは僕らが取りたいので、あんまり速く走りすぎないでほしいし、一緒にバトルできたらなと思っています」

    また、セルジオ・ペレスからは「2年間本当に楽しかったし、君はグリッドのなかでも楽しく素晴らしい人だと思うので、今後も大成功を祈っているけど、あまり速く走らないでね」とメッセージ。

    マックス・フェルスタッペンからは「僕たちはカート時代から一緒に走っていたし、レッドブルでもチームメイトもあったし、本当に素晴らし才能をもった選手だと思っている」とコメント。

    「アルファタウリでも素晴らしいドライバー、リーダーだったので、本当にリスペクトとしている。もちろん、これは2つの別々のチームだけど、僕たちはビッグファミリーだと考えているので、一緒のファミリーに属すことができたことを本当にうれしく思っている」

    「でも、これからはまた様々な成功を収めてほしいと思うし、君の将来をすごく楽しみにしている。僕たちはまだまだ若い、セルジオはちょっと年上だけど、これからまだ一緒に走ることはあるだろうし、これからもよろしく」

  • セバスチャン・ベッテル、管理職としてレッドブルF1に復帰?

    セバスチャン・ベッテル、管理職としてレッドブルF1に復帰?

    レッドブルF1のドアは、4回のF1ワールドチャンピオンであるセバスチャン・ベッテルが再びF1に参加したいときのために開いている。

    レッドブルF1は、2023年のテストとマーケティングの役割のために、仕事を失った元グランプリウィナーのダニエル・リカルドを獲得した。

    だが、今年でF1を引退した35歳のセバスチャン・ベッテルは、再びレースに興味を示すのではなく、F1チームの管理職に興味を持っているかもしれない。

    レッドブルF1のモータースポーツアドバイザーを務めるヘルムート・マルコは、4回の元F1ワールドチャンピオンが2022年シーズンの終わりにF1から引退することで、将来のマネジメントの役割について、アブダビで彼の元ドライバーと「雑談」があったことを認める。

    「彼がマネジメントトップのポジションに戻ることは問題外ではない」とヘルムート・マルコは述べた。

    「私ももうすぐ80です。それは何とかなるだろう!」

    「我々は話し合ったが、もし彼がトップマネジメントのポジションに戻ることは、それは彼にとって魅力的かもしれないと思う。それは話の中で出てきたことだ」

    「でも今は、彼に一度だけ木を植えさせて、どうなるか見てみよう。彼には確かに可能性があり、その個性を持っている」

    「我々は2つのチームを持っているので、それに対してオープンだ」

    「彼の人生は、ドライバーとしての人生とは確実に異なるものになるだろう。彼は早くに出勤して遅く退社し、ドライバーとしてもらっていた給料のほんの一部しか受け取らない」とヘルムート・マルコは微笑んだ。

    レッドブル・レーシングのF1チーム代表であるクリスチャン・ホーナーは、セバスチャン・が過去に成し遂げてきたことへの適応力を考えると、ベッテルがいつの日かスポーツのドライバー育成やマネジメント側で手腕を発揮することができるに同意する。

    「彼は、取り組むすべてのことをうっとうしいくらい優れている男の一人だ。もし、彼がそのキャリアパスを進むことを決心したなら、彼はそれがとてもうまくこなすと確信している」とクリスチャン・ホーナーは認めた。

    「彼には人の性格を見抜く力が備わっている。彼は人々の価値を理解し、成功への貢献を理解している。どのトピックに専念するかは、完全に彼次第だ」

    セバスチャンベッテル自身は、引退が確定した今、F1の厳しさから離れて休暇を楽しむつもりだと述べており、次に何をするかを決める前に、家族ともっと時間を過ごしたいと考えている.

    「このフリーランは、僕にとって非常にエキサイティングで興味深いものになるだろう。固定されたカレンダーではなく、もう少し時間を持てるようになる」とセバスチャン・ベッテルは語った。

    「でも、もちろん、ある時点で何かをする必要があるだろうう。一度それに駆り立てられれば、必ずそのようになると思う」

    セバスチャン・ベッテルは、来年はF1ドライバーとしての多忙なスケジュールから少なくとも最初は休憩を取るつもりだが、それ以降はF1チームのマネジメントの役割にオープンだ。

    「大丈夫だ。子供たちと一緒に早起きするのには慣れている」とセバスチャン・ベッテルは微笑んだ。

    「F3にいたときは、ヘルムート・マルコという人が朝7時に僕を起こしてくれていた」

    「でも、そうだね、チームのリーダーが常に物事に対処している間、ドライバーは意識的に休む時間を割り当てる必要があることをよく知っている」

  • ピエール・ガスリー 「2度目の機会がなかったレッドブルF1に恨みはない」

    ピエール・ガスリー 「2度目の機会がなかったレッドブルF1に恨みはない」

    ピエール・ガスリーは、スクーデリア・アルファタウリからアルピーヌF1チームに移籍するが、2度目のチャンスを与えてくれなかったレッドブルを恨んではいないと語る。

    2014 年のフォーミュラ ルノー 3.5 で初めてレッドブル ジュニア チームに参加したピエール・ガスリーは、先週末のシーズン終了F1アブダビGPでレッドブルが所有するスクーデリア・アルファタウリとの最後のグランプリを戦った。2023年シーズンからガスリーはエステバン・オコンのチームメイトとしてアルピーヌF1チームに加入する。

    26歳のピエール・ガスリーは、スクーデリア・アルファタウリとほぼ100回のグランプリに参戦。2019年シーズンの前半にレッドブル・レーシングで12戦ドライブした後、期待はずれなパフォーマンスにより、夏休みにアルファタウリ(当時はトロ・ロッソとして知られていた)に降格された。

    スクーデリア・アルファタウリでの最後のレースについての気持ちを尋ねられたピエール・ガスリーは、長い間一緒にレースをしてきたチームと一緒にいられなくなるという実感が湧いていないとRace Fansに語った。

    「まだそのような感情に襲れていない」とピエール・ガスリーは語った。

    「過去5年間、同じように同じ服を着ていたからね。同じ色を着て、同じ人と一緒に作業して、シミュレーターで走ってきた」

    「このような長い間で仕事上の関係を超えたものになった。彼らの子供、妻、彼らが住んでいる場所のほとんどを知っている。僕たちはより多くの個人的なつながりを共有している」

    ピエール・ガスリーのF1デビューは、マレーシアでの2017年シーズンの終わり近くにトロロッソで実現した。また、レッドブルのドライブを失ったピエール・ガスリーは、2020 年にモンツァで開催されたF1イタリアGPで衝撃的な優勝を果たした。

    アルファタウリでの時間を振り返ったピエール・ガスリーは、この 2 つのレースが最も際立っていると述べた。

    「当然だけど、勝利が最初に来る」とピエール・ガスリーは語る。

    「マレーシアでの最初のレースについて挙げるだろう。最初に1レースだけだったけど、非常に特別なことだった。予想していなかったからね」

    「ヘルムート(マルコ/レッドブルのスポーツアドバイザー)が電話してきたのを今でも覚えている。『よし、君はリザーブドライバーではなく、今週末はトロロッソでレースをする』。マレーシアでベッドの上で飛び跳ねていた。どのホテルにいたかは内緒だけど、彼らにとってはあまり素晴らしいことではなかったね! でも、非常にユニークな思い出だ」

    ピエール・ガスリーは、過去8シーズンにわたるレッドブルの一員としての彼の時間は、ドライバーとしての成長にとって重要だったと語る。

    「レッドブルで過ごした時間は、ドライバーとして何が必要かを理解するのにも非常に役立った」とピエール・ガスリーは説明した。

    「今では、ドライバーとして何を望んでいるのかについて、より明確なアイデアを持っている」

    「自分がどのようなドライバーで、何が必要かについて明確な考え方や方向性を持たない、とてもフレッシュな状態だった。今、僕はそれを知っている。自分のドライビングスタイルを知っているし、最高の状態でオペレートする方法を知っている。だから、過去 5 年間で多くのことを学んだと思うし、常に良い結果を最高の思い出と結びつけている」

    レッドブル・レーシングのシート失ったという挫折にもかかわらず、ピエール・ガスリーは、シニアチームで2度目のチャンスを得られないことについて、何の感情も感じていないと主張している。

    「まったくない」とピエール・ガスリーは語った。

    「これが僕のキャリアであり、レッドブルでの僕の物語だ」

    「どんなことにも意味があると本気で信じている。多くのことを学んだ。僕は間違いなくはるかに強いポジションにいると思う。僕は以前よりもはるかに強力なドライバーだ。そこでの経験のおかげで、今の僕がいる。コース上であろうとなかろうと、僕は大きく成長した。質問に答えると、そのことで何が変わることさえないだろう」

    「僕は今26歳で、毎年向上している。良質な赤ワインのようにね。これがどこで止まるかは分からないけど、個人的には良くなり続けているし、ベストがまだ来ていないことを知っている。だから、僕は起こったことに本当に感謝している」