カテゴリー: アルファロメオF1チーム

  • アルファロメオF1 「周冠宇の到来はF1市場にビッグバンを引き起こす」

    アルファロメオF1 「周冠宇の到来はF1市場にビッグバンを引き起こす」

    アルファロメオF1のチーム代表を務めるフレデリック・バスールは、中国人初のF1ドライバーとなる周冠宇を起用することで中国本土でのF1の露出が「爆発」することを期待している。

    周冠宇は、2022年にアルファロメオF1でバルテリ・ボッタスのチームメイトとしてデビューを果たす。噂では中国からの3000万ドル(約34億円)のスポンサーマネーをチームにもたらしたとされている。

    中国では第2のグランプリを開催する計画もあるとされ、中国初のF1ドライバーとなる周冠宇の到来は理論的に多くの関心を生み出した。

    しかし、フレデリック・バスールは、F1における周冠宇の存在は、中国に関連しているF1チームに大きな商業的機会を生み出し、潜在的なスポンサーはF1への関与を活用して中国の巨大な市場に浸透するのを助けると考えている。

    「最初の感触はOKだった。中国市場になんとか入り込みたいと思っているが、それかかなり野心的で、かなり難しいことだと思う」

    「発表の翌日、主に中国市場に参入したいヨーロッパ企業から連絡があった」

    「私はF1や他のチームのために仕事をしているわけではない。だが、それはF1やすべてのチームにとっても大きなチャンスになると思う。露出は爆発的に増加する」

    「それはシステムにビッグバンを引き起こすだろう。我々はそれをすべての人にとっての機会としてとらえなければならない。我々はこの分野で改善するために地獄のように推進している」

    「しかし、最終的な目標は常にパフォーマンスであり、誤解を避ける必要がある」

    フレデリック・バスールは、周冠宇とアルファロメオF1との契約の詳細や期間は明らかにしていないが、特にF1の予算上限が500万ドル減の1億4000万ドルになる今年の中国人ドライバーの財政的貢献の重要性を認めている。

    「我々はチームのパフォーマンスに200%重点を置いており、予算がパフォーマンスの一部であるという事実を隠す必要はない。また、コスト上限に到達することも目標としている。それは我々にとって重要なステップだ」とフレデリック・バスールは語った。

  • キミ・ライコネン、F1マシン初走行は「3周で首を上げられなくなった」

    キミ・ライコネン、F1マシン初走行は「3周で首を上げられなくなった」

    アルファロメオF1のスポーティングディレクターを務めるビート・ツェンダーはが、20年のF1キャリアに終止符を打ったキミ・ライコネンのザウバーでのキャリアの初期を振り返った。

    キミ・ライコネンは、昨年のF1アブダビGPで20年間レースをしたF1を引退した。マクラーレン、フェラーリ、ロータスでレースで輝かしいキャリアを築いたキミ・ライコネンは、2つのスティントをF1デビューを飾ったチームであるザウバー(現在のアルファロメオ)で締めくくった。

    30年間チームに従事し、現在はスポーティングディレクターを務めるビート・ツェンダーは、チーム代表のペーター・ザウバーの目にとまったキミ・ライコネンが2000年後半にテストを受けたときのことを振り返った。

    20歳のキミ・ライコネンは、レギュラーレースドライバーのペドロ・ディニスとともに要求の厳しいムジェロ・サーキットでF1マシンでの初走行を行った。

    「彼はペドロ・ディニスと一緒にテストをしていて、すぐに同じレベルのラップタイムを出した」とビート・ツェンダーはRacingNews365.comのインタビューで語った。

    「そして、彼は大きな身体的問題を抱えていた。ムジェロは身体的に非常に厳しいので、ルーキーがテストを開始するのに最適なコースではない」

    「キミは大きな問題を抱えていた。3周で首を上げることができなかったので、3周のスティント、15分の休憩、3周のスティントを行った」

    「ヨゼフ(レベラー/ザウバーのフィジオ)はその間ずっとマッサージを行っていたが、すぐに彼が才能があることが明らかになった」

    キミ・ライコネンのパフォーマンスは、ザウバーがすぐに2001年に契約したいと思うほこ目を引くものだった。

    「テストの直後に『やってみよう』と言った」とビート・ツェンダーは語った。

    「スーパーライセンスがないなど、いくつかの障害があった。ピーター(ザウバー)は、すべてのチームプリンシパル、FIA、バーニー(エクレストン)を説得する必要があった。当時、マクラーレンのロン・デニスのようなにそれに反対するチームプリンシパルがいた」

    皮肉なことに、ロン・デニスはわずか1年後にマクラーレンを離れるミカ・ハッキネンの後任としてキミ・ライコネンと契約した。だが、マクラーレンチームのボスは当初ライコネンの経験不足に非常に懐疑的だったとビート・ツェンダーは語った。

    「彼は完全にそれに反対し、経験のない若い子供たちをF1に連れてくれば、ドライバー市場を完全に破壊することになると言った」とビート・ツェンダーは語った。

    「キミは、フォーミュラ・ルノーで23回レースをしただけで、2~3のシリーズを飛び越えた。ピーターのおかげでライセンスを取得し、ヨセフのおかげで身体的な観点からF1カーを運転することができた」

    最初の課題は、キミ・ライコネンの身体的な基準に引き上げることだった。ライコネンにとってそれは特に不満な作業だった。

    「テストの後、我々はキミにオーストリアのアルプスでジョセフと1ヶ月過ごすように頼んだ」とビート・ツェンダーは説明した。

    「キミはフィンランドに帰りたかったので激怒した。我々は『いや、いや、F1ドライバーになりたいのなら、一緒に仕事をしなければならない』と言った。そして、最初の2日間、彼はヨセフと口を利かなかった。彼はとても怒っていたよ!」

    キミ・ライコネンは、2001年のオープニングレースで6位でフィニッシュし、初めてポイントを獲得した。当時のポイントはトップ6しかカバーしていなかった。

    しかし、キミ・ライコネンの「アイスマン」の性質の最初の兆候は、その週末オフトラックで有名になった。

    「レコノサンスのためにピットレーンが開く10分前に誰もキミを見つけることができなかった」とビート・ツェンダーは笑った。

    「我々はトイレに探しに行ったし、至るところを探したが彼はいなかった。ドライバーズルームにブランケットがかかったケータリングテーブルがあったが、彼はそのテーブルの下に寝ていた!」

    「我々は『キミ、キミ、10分で最初のレースに出なければならない!』と言った。彼は言った「あと3分くれ!』と言っていたよ」

    「彼はすでにとてもクールなキッズだった。その後、彼は実際にはレースを7位でフィニッシュしたが、我々は(オリビエ)パニスがイエローぐらっふでオーバーテイクしたことを抗議した」

    「FIAが映像を見つけるまでには長い時間がかかった。映像を取得するのにかなりの時間がかかった。キミはすでにホテルにいた。我々は彼に電話して『メイト、君は最初のレースを6位で終えた。最初のチャンピオンシップポイントだ!』と伝えた。彼の答えは『僕の前にはまだ5人いる!』だった。それが彼の姿勢だ。彼はとても特別な人だ」

    キミ・ライコネンは、最終戦に先立ってザウバー/アルファロメオから大きな見送りを受けた。ビート・ツェンダーは2007年のF1ワールドチャンピオンとの関係を振り返った。

    「お互いに無価値なことは決してしないというが、キミと私の関係だった。お互いに嘘をついたことはない。我々は常にオープンだった」とビート・ツェンダーは説明した。

    「最初の年から彼はチームの考えに従わなかった。彼には彼自身のキャラクターがある。彼はすでにその当時のPRイベントを嫌い、PRイベントやインタビューから抜け出そうとした。そして、時々、彼に何をするべきか言わなければならなかった」

    「マシンに給油をしていた当時、私は燃料レベルを常に把握していた。後にレースの燃料レベルを申告する必要があったが、以前は、どの燃料レベルを走らせていたのかは謎だった。私はキミが走っている燃料レベルを常に知っていたが、彼は我々がどれくらい走らせているかを知っていた。我々は情報を漏らしたことはなかった」

    キミ・ライコネンは、2001年の終わりにF1に参加するチャンスを与えたザウバーを離れ、マクラーレンに移籍した。

    ビート・ツェンダーは、チーム代表であるペーター・ザウバーが、キミ・ライコネンの才能をザウバーに拘束するためにマクラーレンと戦おうとしないことを選択したことを明らかにした。

    「彼(キミ)はペーター・ザウバーに去りたいと手紙を書いた。それで終わりだ」とビート・ツェンダーは言った。

    「もし、残留することに満足していないドライバーがいるなら・・・彼はチームに残留することに満足していただろうが、当然、ワールドチャンピオンチームからのオファーがあれば・・・。ペーターはキミをキープして、モチベーションのない彼をチームが起用するよりは、むしろ放出したいと言った。モチベーションのないキミと一緒に仕事をするのは素晴らしいことではない!」

    キミ・ライコネンは、F1を去ったが、ビート・ツェンダーはライコネンとの個人的な関係は続くと信じている。

    「時代は終わった。私が知る限り、キミはスイスに滞在する。彼らはそこを快適に感じており、子供たちはそこで学校に通っている。彼は私が住んでいる場所からそれほど遠くない。たまに会うことは間違いないだろう」

  • バルテリ・ボッタス 「ハミルトンと組んで自分自身について多くを学んだ」

    バルテリ・ボッタス 「ハミルトンと組んで自分自身について多くを学んだ」

    バルテリ・ボッタスは、メルセデスF1でルイス・ハミルトンと組んだことで、F1の精神的な側面について多くの教訓を得たと語った。

    バルテリ・ボッタスは、7回のF1ワールドチャンピオンであるルイス・ハミルトンと5年間チームを組んだ後、今シーズン末でメルセデスF1を離れた。その時間の中で、全体的にはハミルトンが優位に立っていた。

    現在、バルテリ・ボッタスは、複数年契約でアルファロメオF1に向かう。チーム代表を務めるフレデリック・バスールは、この移籍によって10回のレースウィナーであるバルテリ・ボッタスがルイス・ハミルトンの「影」から抜け出し、チームを前進させることができると信じている。

    10勝、67回の表彰台を獲得したバルテリ・ボッタスだが、メルセデスF1のドライバーとして失望のレースもあった。特にレースを支配していた2018年のF1ロシアGPでは、ルイス・ハミルトンに勝利を譲るようにチームオーダーが発令され、トト・ヴォルフはボッタスをハミルトンの“ウィングマン”と称した。

    そういった困難な瞬間を経験した後、バルテリ・ボッタスは逆境に直面して自分自身に「正直」になることができるようになった感じている。

    「間違いなく自分自身について多くを学んだ。このスポーツがいかに精神的であるかを学んだ」とバルテリ・ボッタスはGPFansに語った。

    「実際に肉体的なスポーツなのか精神的なスポーツなのかを比較すると、それは頭の問題だと感じている。間違いなく、僕は間違いを受け入れ、間違いから学ぶことを学んだ」

    「それが学習の一部であり、自分自身に正直になることを学ぶことができるたのは、1つの大きなことだ」

    バルテリ・ボッタスは、ルイス・ハミルトンが「素晴らしいドライバー」であることを認め、時には彼を打ち負かそうと試みた。意図は良かったものの、すべてのレースでハミルトンを倒すことは不可能であり、それを試みるには逆の効果をもたらす可能性があることも認識したと語った。

    「あまりにハードにトライするのはリスクが常にあった」とバルテリ・ボッタスは説明した。

    「自分がなりたいと思ったところに到達するには十分な時間がないので、ルイスに立ち向かうのはかなりトリッキーであり、常に彼を倒すことができるとは限らないことを認めるだけだった」

    「それは彼の一貫性、才能、そして、仕事のおかげだ。僕は自分にもそれができることも知っている。それが実現しないときは、自分を責めすぎなくなったかもしれません。それはかなり大きなことだ」

    「レースに向かう考え方と、レース間で何をすべきかという点で、自分にとって何が果的かを学ぶことができた」

  • バルテリ・ボッタス 「2022年F1マシンはこれまでとそれほど違わない」

    バルテリ・ボッタス 「2022年F1マシンはこれまでとそれほど違わない」

    バルテリ・ボッタスは、2022年F1マシンがドライバーにとって現在のF1マシンと全く異なるフィーリングになるとは考えていない。

    F1チームは、2022年に登場するまったく新しいグラウンドエフェクトカーに全力で取り組んでいる。次世代F1マシンは、F1ドライバーがお互いをより緊密に追従できるようにすることで、レースの改善を支援することを目的としている。

    シミュレーターで新しいコンセプトを試した多くのF1ドライバーは、現在のF1マシンよりもエッジではるかに動き回るので、現在とは対照的なアプローチが必要になると述べている。

    しかし、メルセデスとアルファロメオの両方のシミュレーターで2022年バージョンのF1マシンを試したことがあるバルテリ・ボッタスは、状況はそこまで変わらないと感じている。

    「少なくともその点ではマシンはダウンフォース面で少し少なくなっているように感じる。でも、少なくともシミュレーターでは、どちらのシミュレーターでも全体的な感覚はそれほど違わなかった」とバルテリ・ボッタスは語った

    「他のマシンに追従するよなことはシミュレートすることができないけど、クレイジーな違いというわけではない。ダウンフォースはまだ少し少ないかもしれれないけど、言ったように、それは変わっていくだろう」

    バルテリ・ボッタスのコメントは、マクラーレンのF1ドライバーであるランド・ノリスとは対照的だ。ランドノリスは、新しいF1マシンがF2の運転と非常に似ていると考えている。

    「間違いなくわずかに異なるスタイルになるだろう」とランド・ノリスは語った。

    「ある意味で運転するにはそれほど素晴らしいものではないと思う。プッシュするときなど、もう少しギリギリで走ることになると思う。ある意味、マシンとより戦っているF2に少し似ていると思う」

    「でも、物事は常に変化しているし、僕が間違っている可能性はある。1か月前に運転したものが、今運転しているものとはかなり異なっているようにね。おそらく、最初のレースに到着したときには、また非常に異なったものになっているだろう」

    バルテリ・ボッタスは、F1が最近のシーズンで記録的なラップタイムを達成したハイダウンフォースカーに別れを告げるのは少し悲しいと語る。

    「特に昨年(2020年)は楽しかった。マシンは今年よりもさらに速く、ダウンフォースが多かった」とバルテリ・ボッタスは語った。

    「彼らは素晴らしかったけど、新しいマシンがどのようになっているのかは来年に知らせられるだろう。レースが良くなり、もっと近づいていくことができれば、もっと楽しくなるはずだし、将来のクルマも今と同じくらい速くなると思う。そうなることを願っている」

  • アントニオ・ジョビナッツィ 「金絡みでF1シートを失ったのは僕だけじゃない」

    アントニオ・ジョビナッツィ 「金絡みでF1シートを失ったのは僕だけじゃない」

    アントニオ・ジョビナッツィは、自分のF1シートを奪ったと感じているF1の財政面を再び非難した。

    アルファロメオF1は、2022年のF1ドライバーとして豊富な資金を持ち込んだとされる中国人の周冠宇の起用を決定。ジョビナッツィは2021年がチームとの3年目で最後のシーズンとなった。

    アントニオ・ジョビナッツィは、2023年のF1復帰を目指しており、フォーミュラEでレース感を維持しながら、フェラーリのリザーブドライバーとしてF1バドックに参加する。

    アルファロメオF1のチーム代表を務めるフレデリック・バスールは、周冠宇を起用するという選択には金銭面も要因だったことを明らかにしており、アントニオ・ジョビナッツィは「お金が支配するとF1は冷酷になる」と皮肉り、不満を爆発させていた。

    アントニオ・ジョビナッツィは、F1ではお金が才能を打ち負かすという自身の思考プロセスを変えることができることを望んでいると語る。

    「ほぼ負けが見えていた挑戦だった。それはこのスポーツの悪い状況だ。残念ながら、常にそんな感じだった」とアントニオ・ジョビナッツィはCorriere della Seraのインタビューで語った。

    「今後、自分の考え方を変えることができることを望んでいる」

    アントニオ・ジョビナッツィは、周冠宇は「幸運だ」として中国の支援を受けていることを指摘。「たとえ、彼が自分でF1スーパーライセンスポイントを獲得したとしてもね」と語った。

    「現在、チーム全体の財務方針を決定するドライバーがいる。でも、それが原因で職を失ったのは僕だけではない」

    アントニオ・ジョビナッツィが、自分の将来について噂されるのは初めてのシーズンではなかった。実際、アルファロメオF1在籍中にそのような噂は常に付きまとった。

    しかし、アントニオ・ジョビナッツィは、今回はすべての話を無視するのがより困難だったと認める。

    アルファロメオF1からそのニュースを聞かれたときの反応について質問されたアントニオ・ジョビナッツィは「失望だった。非常に困難な数か月間だった」とコメント。

    「僕についての噂はどんどん大きくなっていた。いつも、そういった噂を自分の心から遠ざけようとしていたけど、今回は簡単ではなかった。だから、僕は自分の反応に満足している。堂々とF1を離れるよ」

    アントニオ・ジョヴィナッツィの将来が正式に発表されるまでにはしばらく時間がかかったが、ジョビナッツィとチームの間の緊張が明らかに高まっていたという事実は、シート喪失をばらしてしまっていた。

    特にF1メキシコGPでは、アントニオ・ジョビナッツィは、チームのレース戦略を激しく批判した。

    とは言えば、アントニオ・ジョビナッツィは、チーム内での反感を感じていたかとの質問には対して、これ以上の批判は望まなかった。

    「なぜ彼らはそんなことする必要がある? 訳が分からないし、考えたくない。目的はできるだけ多くのポイントを持ち帰ることだった」とアントニオ・ジョビナッツィはその理論に答えた。

    「メキシコでは鬱憤を晴らした。僕たちにふさわしいものが得られなかったことを残念に思った。でも、もうそれは問題ではない」

    もちろん、アントニオ・ジョビナッツィにとって、F1時代のハイライトのいくつかを振り返ることは重要だが、まだ終わっていないことを望んでいると語る。

    F1での最高の瞬間について質問されたアントニオ・ジョビナッツィは「2017年のメルボルンでのデビューだ」と語った。

    「僕はリザーブドライバーだった。彼らは土曜日の朝に僕をマシンに乗せてくれた。僕はトラックを知らなかった」

    「それと2019年のモンツァでの最初のグランプリかな。そして、ジェッダでの2021年の最後から2番目のレースだ。私はすでに切り捨てられていたにもかかわらず、ポイントを獲得した。良いサインだ」

  • 周冠宇、カーナンバー24の由来はコービー・ブライアント

    周冠宇、カーナンバー24の由来はコービー・ブライアント

    周冠宇は、コービー・ブライアントへのオマージュとしてF1のパーマネントナンバーに24番を選んだことを明らかにした。

    F1ドライバーは、F1キャリアの開始時にカーナンバーを選択する必要がある。この番号は、Fキャリア全体で使用されることになる。2022年に中国人初のF1ドライバーとしてアルファロメオF1からデビューする周冠宇は、カーナンバー24を選択。それはコービー・ブライアントが由来であることを確認した。

    史上最高のバスケットボール選手の1人と見なされているコービー・ブライアントは、NBAで20年間過ごし、ロサンゼルス・レイカーズで5回のチャンピオンを獲得した。キャリア前半では背番号8番をつけていたブライアントだが、レイカーズでの最後の10年間は背番号24番をつけていた。

    コービー・ブライアントと彼の娘のジャンナは、2020年1月にヘリコプターの事故で命を落とした。

    周冠宇は、レイカーズでのコービー・ブライアントのユニフォームのカラーからヘルメットに紫色をしていると語った。

    「24は基本的にコービー・ブライアントが由来だ」と周冠宇は語った。

    「彼は僕が子供の頃、モータースポーツを始める前にバスケットボールを見ていたときに、レイカーズといて、僕にとって大きなインスピレーションを与えてくれた」

    「僕は彼の大ファンだ。彼は最高の選手の一人だったけど、彼がどれほど懸命に取り組んでいたのかを聞いたことがある」

    「彼は、午前4時に起きてトレーニングに行き、娘を学校に連れて行ってからトレーニングに戻ると言っていた」

    「スポーツであのようなレベルにいて、それでも他の誰よりも一生懸命に取り組んでいるのは非常に印象的だ」

    「彼は大きなインスピレーションだし、それがその背後にある第一の理由だ。紫と黄色に非常に夢中になっている理由は彼のおかげである。それにラッキーナンバーの足し算でもある。6つは中国人にとっても非常に幸運な数字だ」

    来年、バルテリ・ボッタスとアルファロメオF1でチームを組む周冠宇は、2022年にグリッドに並ぶ唯一のルーキーとなる。

    周冠宇 GuanyuZhou24

  • バルテリ・ボッタス&周冠宇、アルファロメオF1のマシンで初走行

    バルテリ・ボッタス&周冠宇、アルファロメオF1のマシンで初走行

    バルテリ・ボッタスが、2021年の所属チームであるアルファロメオF1のマシンで初走行を行った。

    今シーズン限りで5シーズンを過ごしたメルセデスF1を離脱し、2022年からアルファロメオF1で新たなキャリアをスタートさせるバルテリ・ボッタス。2021年のコンストラクターズタイトルを獲得したメルセデスF1は、バルテリ・ボッタスの新チームでのテストを許可した。

    12月14日(火)にヤス・マリーナ・サーキットでポストシーズンテストがスタート。バルテリ・ボッタスは、ピレリの18インチタイヤのために改造されたアルファロメオF1『C41』で初走行を完了。ヘルメットにはもうメルセデスのロゴはない。

    14日(火)は、ヤングドライバーテストも並行されて実施され、バルテリ・ボッタスのチームメイトを務める周冠宇は、j自身のパーマネントナンバーである“24”がついた通常使用の『C41』をテスト。明日はピレリの18インチタイヤテストを担当し、今日ボッタスがドライブしているミュールカーを走らせる。

    バルテリ・ボッタス アルファロメオF1l周冠宇 アルファロメオF1周冠宇 アルファロメオF1

  • F1アブダビGP:DRIVER OF THE DAYは引退レースのキミ・ライコネン

    F1アブダビGP:DRIVER OF THE DAYは引退レースのキミ・ライコネン

    2021年 最終戦 F1アブダビGPの“ドライバー・オブ・ザ・デー”には、ラストレースを終えたキミ・ライコネンが選ばれた。

    “ドライバー・オブ・ザ・デー”はグランプリで活躍したドライバーをファン投票で決定。今シーズン限りでF1を引退するキミ・ライコネンは、残念ながら27周目に駆動系のトラブルでリタイアとなったが、F1ファンは349戦の史上最多出走のレジェンドに投票した。

    「レースは思ったように進まなかったけど、今日はたくさんの人が感謝の気持ちを示してくれてうれしかった」とキミ・ライコネンはコメント。

    「ピットストップ後に問題が発生した。技術的な問題で今日早くに終了してしまった」

    「それがレースだし、故障することもある。今日の結果が僕のキャリアについて自分の気持ちに影響を与えることはない」

    「通常の生活に移ることができてうれしい。楽しみにしている。もちろん、何年にもわたって出会った多くの素晴らしい人々を恋しく思うだろう。20年はあっという間に過ぎたし、たくさんの思い出を作った。良いものもあれば悪いものもある。それらは永遠に僕と一緒にいるだろう」

    動画の公開は終了しました
  • クラッシュのキミ・ライコネン、ヤス・マリーナのレイアウト変更を批判

    クラッシュのキミ・ライコネン、ヤス・マリーナのレイアウト変更を批判

    アルファロメオF1のキミ・ライコネンは、ヤス・マリーナのレイアウト変更によってオーバーテイクの機会が奪われたと批判した。

    今シーズン限りでF1を引退するキミ・ライコネンは、フリー走行2回目の終了直後にター14でスピンを喫してバリアにクラッシュ。マシンは大きく損傷したが、ライコネン自身は無事だった。

    「リアを失っただけだ。残念ながら、あまりスペースがなくてウオールにぶつかってしまった。でも、そのようなことは起こりるものだ」とキミ・ライコネンはFormula1.comに語った。

    「いろいろな理由であちこちで少し苦労したけど、通常の金曜日であり、何が起こるかを見るために物事を試みていた」

    ヤス・マリーナ・サーキットの新しいトラック構成には賛否が分かれている。キミ・ライコネンはネガティブ派だ。

    サーキットの2つのシケインはなくなった。そのうちの1つはバックストレートのものであり、バンクつきの左コーナーに置き換えられた。キミ・ライコネンは、この変更が日曜日のレースに悪影響を及ぼすと考えている。

    「彼らはターン9のオーバイテイクの良いチャンスの1つを奪った」とキミ・ライコネンはコメント。

    「変化があるのは良いことだけど、コーナーが速いとオーナーテイクが非常に難しいので、コーナーを遅くする必要がる」

    「変更が行われるとき、彼らが何を考えているのか疑問に思うときもある。でも、仕方ないことだ。違ったものになっている」

  • 【動画】 キミ・ライコネン、セッション終了直後にクラッシュ

    【動画】 キミ・ライコネン、セッション終了直後にクラッシュ

    アルファロメオF1のキミ・ライコネンは、F1アブダビGPのFP2セッションのチェッカーが振られた直後にクラッシュを喫した。

    キミ・ライコネンは、ターン14でリアのコントロールを失ってスピン。後方からウオールにクラッシュ。幸いにも自力でマシンを降りており、怪我はなさそうだ。

    今シーズン限りでF1を引退するキミ・ライコネンは、今週末のF1アブダビGPがラストレース。ヘルメットはデビュー時のデザインを再現している。

    また、マシンには2021年に優勝したF1アブダビGPでの有名な無線『Leave me alone, I know what I’m doing(ほっといてくれ、自分がやるべきことはわかっている)』へのオマージュとなる『WE WILL LEAVE YOU ALONE NOW(これからはほっときます)』というお別れメッセージが書かれている。