ナイジェル・マンセル 最も愛したF1マシンはFW14Bではなく「1500馬力」のFW11B

ナイジェル・マンセル 最も愛したF1マシンはFW14Bではなく「1500馬力」のFW11B

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F1世界チャンピオンのナイジェル・マンセルが、自身のキャリアで最も愛したマシンと、最も嫌ったマシンを明かした。

数々の個性的なF1マシンを経験したマンセルが最高の1台に挙げたのは、タイトルを獲得したウィリアムズFW14Bではなく、ホンダ製ターボエンジンを搭載した1987年のウィリアムズFW11Bだった。

一方、マンセルが「嫌いだった」と振り返ったのはロータス時代のマシンだ。特にF1史上初のアクティブサスペンションを搭載したロータス92は、直線を走っているだけでも事故につながりかねないほど予測不能だったという。F1.comの企画でマンセルが自身の記憶を振り返り、テクニカルエキスパートのマーク・ヒューズが各マシンの背景を解説した。

マンセルが最も愛したF1マシン ウィリアムズFW11B
マンセルが真っ先に名前を挙げたのが、1987年にドライブしたウィリアムズFW11Bだ。

「何よりも本当に愛していたマシンはFW11Bだった。あれはF1史上最速、あるいは史上最もパワフルなマシンだったと思う。予選用タイヤを履いて1500馬力もあった。頭がおかしくなるようなマシンだったよ」

FW11Bは、ホンダの1.5リッターV6ターボ「RA167E」を搭載していた。ターボ全盛期を象徴する1台であり、マンセルはその強烈なパワーを「モンスター」と表現する。

「マーティン・ブランドルが言っていたことはまさにその通りだった。あのマシンは、すべてのコーナーで僕を殺そうとしていた。だから僕はあのマシンを愛していたし、同時に嫌いでもあった。僕を殺そうとしていたからね!」

「でも、あれをドライブすると本当にモンスターだった。モンスターだよ。マシンから降りて、自分の身体が無事だったときには、それなりにいい仕事をしたんだと分かった」

FW11Bでマンセルは1987年シーズンに6勝を挙げた。チームメイトのネルソン・ピケを上回る勝利数を記録しながらも、サンマリノGPや日本GPでの事故などもあり、ドライバーズタイトルはピケが獲得した。

マンセル自身がF1世界王者となるのは5年後の1992年。アクティブサスペンションを備えたウィリアムズFW14Bで圧倒的なシーズンを送り、念願のタイトルを手にした。しかし、純粋に「最も愛したマシン」として選んだのはFW14BではなくFW11Bだった。

ホンダRA167Eが生み出した圧倒的なパワー
F1テクニカルエキスパートのマーク・ヒューズによれば、FW11Bは1986年型FW11をベースに低くパッケージングした1987年仕様だった。

1987年のレギュレーションでは燃料搭載量の上限が220リットルから195リットルへ削減された。そのため燃料タンクを小型化でき、FW11Bではそれに合わせた車体パッケージが採用された。サスペンションにも変更が加えられたが、基本的なコンセプトはFW11を受け継いでいた。

最大の特徴はホンダRA167Eだった。

1987年にはターボの過給圧が最大4バールに制限されたが、ホンダはその条件下でも強大な出力を引き出した。ヒューズによれば、RA167Eは過給圧が無制限だった1986年型エンジンを上回るほどのパワーを発揮していたという。

マンセルが語った「1500馬力」という数字は、当時の予選仕様がいかに極端な領域にあったかを物語っている。耐久性や燃費を重視する決勝仕様とは異なり、予選では短時間の性能を最大限に引き出すセッティングが用いられていた。

ナイジェル・マンセル ロータス92

マンセルが嫌ったロータス92「直線でも事故を起こした」
対照的に、マンセルが最も嫌ったマシンのひとつとして挙げたのが1983年のロータス92だった。

「ある時期、本当にまったく楽しめず、嫌いだったマシンは、僕たちが開発していた最初のアクティブサスペンションのロータス、92だったと思う」

ロータス92は、F1で初めてアクティブサスペンションを実戦投入したマシンとして知られる。しかし、その革新的な技術は当初、ドライバーに大きな負担を強いるものでもあった。

「マシンが僕をコースの外へ放り出して、直線を走っているときでさえ事故を起こす原因になっていた。あれは本当にひどい経験だった」

ロータス92のアクティブサスペンションは、油圧によって車高や姿勢を制御する先進的なシステムだった。しかし信頼性が十分ではなく、重量増加という問題も抱えていた。

ヒューズによれば、ロータスはわずか2戦でアクティブサスペンションの使用を断念した。

ロータス92は過渡期に生まれたつなぎのマシン
ロータス92が特殊な存在となった背景には、1983年にチームが迎えていたエンジン移行期がある。

ロータスはこの年からルノー製ターボエンジンの使用を開始し、そのために専用設計された93Tを用意していた。しかし当初、ルノーから2台分のエンジンを十分に供給してもらうことができなかった。

そこで従来の自然吸気コスワースDFVを搭載するために製作されたのが92だった。

マンセルはシーズン前半をこのマシンで戦ったが、特にアクティブサスペンション仕様を嫌っていたという。一方、ターボエンジンを搭載した93Tも競争力を発揮できず、両車はイギリスGP以降、ルノーターボを搭載する94Tへと置き換えられた。

F1デビューを飾ったロータス81Bも「曲がらなかった」
マンセルがもう1台、嫌いだったマシンとして名前を挙げたのがロータス81Bだ。

これはマンセルが1980年にF1デビューを果たしたマシンでもある。

「もう1台は、僕が初めてドライブして、グランプリの予選通過を目指したロータス、81Bだったと思う」

「僕たちが開発していた通常のロータスより7インチ長くて、長すぎたから素早く曲がらなかった。僕たちが試していたもののひとつだったけど、あれも楽しめなかったね!」

ロータス81Bは、標準型81のホイールベースを延長した仕様だった。

当時のロータスはグラウンドエフェクト技術でF1をリードした79の成功を再現しようとしていたが、81は期待された競争力を発揮できず、中団で苦戦していた。

ヒューズによれば、81が抱えていた空力上の問題のひとつとして、エンジン後端とディフューザーの間隔が小さすぎることが疑われた。そのためホイールベースを延長した81Bが製作された。

しかし、その変更は別の問題を生んだ。

車体を長くしたことでマシンはターンインを極端に嫌うようになり、標準型81以上に競争力を欠く結果となった。マンセルが感じた「長すぎて曲がらない」という印象は、マシンの設計上の特徴そのものだった。

危険さも含めて愛したFW11B
マンセルの選択は興味深い。最も成功したマシンではなく、最も強烈な体験を与えたマシンを「愛した1台」として選んだからだ。

1992年のFW14BはマンセルにF1世界タイトルをもたらした歴史的なマシンだった。一方のFW11Bではタイトルを逃している。それでも、1500馬力級のホンダターボを操り、マシンから無事に降りること自体に達成感を覚えた1987年の経験が、マンセルにとって特別な記憶として残っている。

そして皮肉にも、マンセルが嫌ったロータス92のアクティブサスペンションは、その後F1で急速に進化することになる。マンセル自身も約10年後、完成度を大幅に高めたアクティブサスペンションを備えるFW14Bを駆り、1992年のF1世界チャンピオンに輝いた。