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  • ルーベンス・バリチェロ 元F1ドライバーが54歳でFIA世界カート選手権に復帰

    ルーベンス・バリチェロ 元F1ドライバーが54歳でFIA世界カート選手権に復帰

    元F1ドライバーのルーベンス・バリチェロが、54歳でFIA世界カート選手権の舞台に復帰する。世界選手権への参戦は2016年以来、約10年ぶりとなる。

    その前にはF1イタリアGPが開催されるモンツァで、かつてのチームメイトであるミハエル・シューマッハへのトリビュート企画に参加。フェラーリF2002をドライブする予定で、バリチェロにとって思い出深いマシンと再会することになる。

    54歳でFIA世界カート選手権に参戦
    ルーベンス・バリチェロは9月18日から20日にル・マンで開催されるFIA Karting世界選手権のKZ2 Mastersに出場する。

    バリチェロがFIA世界カート選手権に参戦するのは2016年以来。当時は2011年末にF1キャリアを終えた後も、さまざまなカテゴリーで現役活動を続けていた。

    今回のル・マン戦は、バリチェロ自身のプロジェクト「Barrichello Kart by Birel ART」にとっても重要な一戦となる。FIAのギアボックス付きカテゴリーに同プロジェクトが初めて参戦するためだ。

    KZ2 Mastersは、経験豊富なドライバーを対象とした国際カート界の主要カテゴリーのひとつ。今回の世界選手権参戦によって、バリチェロの名を冠したプロジェクトも新たな段階へ踏み出す。

    バリチェロはすでにル・マンで開催された準備レースにも出場しており、コースやマシンへの適応を進めている。

    そのレースではグループ予選3番手を記録し、予選ヒートでも複数回トップ5に入った。決勝では10番手前後で争うなど、世界選手権を前に一定の手応えを得ている。

    この実戦参加を通じて、バリチェロ自身がル・マンの要求に慣れるだけでなく、Barrichello Kart by Birel ARTの競争力を確認する機会にもなった。

    ルーベンス・バリチェロ F1 イタリアグランプリ

    モンツァではシューマッハのF2002をドライブ
    カートの世界選手権に向かう前に、バリチェロはF1イタリアGPが開催されるモンツァでも大きな注目を集める。

    フェラーリがミハエル・シューマッハを称えるために行うトリビュート企画の一環として、バリチェロは土曜日にシューマッハがドライブしたフェラーリF2002のステアリングを握る。

    F2002はF1史上でも特に象徴的なフェラーリの1台だ。シューマッハはこのマシンとともに2002年のF1ワールドチャンピオンに輝き、フェラーリは圧倒的な強さでシーズンを支配した。

    当時シューマッハのチームメイトだったバリチェロもフェラーリの成功に大きく貢献。2002年にはドライバーズランキング2位となり、フェラーリの黄金時代を支えた。

    今回のモンツァでは、そのキャリアを代表する時代と深く結びついたF2002を再びドライブすることになる。

    かつてガレージを共有したシューマッハへのトリビュート、そして約10年ぶりとなるFIA世界カート選手権への復帰。54歳となったバリチェロにとって、9月は自身のモータースポーツ人生を象徴する2つの舞台に立つ特別な期間となりそうだ。

  • ビレルアート、ルーベンス・バリチェロとのコラボによる新カートラインを発表

    ビレルアート、ルーベンス・バリチェロとのコラボによる新カートラインを発表

    イタリアのカートメーカーであるビレルアートは、元F1ドライバーのルーベンス・バリチェロと共同開発した新ブランド「バリチェロ by ビレルアート」を正式に発表した。ビレルアートの技術と伝統に、バリチェロが長年抱き続けてきたカートへの情熱を融合させた新たなプロジェクトとなる。

    情熱と革新。この2つのキーワードが、リッソーネを拠点とするビレルアートとブラジル人ドライバーを結び付けた。

    今回の「バリチェロ by ビレルアート」は、ロバート・クビサ、ダニエル・リカルド、シャルル・ルクレールといったドライバーにちなんだ成功ブランドに続く、ビレルアートの最新ブランドとしてラインアップに加わる。

    このブランドは、昨年12月にバーレーンで開催されたロタックス・グランドファイナルの場で、すでに実戦デビューを果たしていた。DD2マスターズ・カテゴリーの全車両に投入され、ルーベンス・バリチェロ本人もレースに参戦。変わらず高い競争力を示している。

    ビレルアートとバリチェロの関係は長い歴史を持つ。ロタックス関連の国際的なカートイベントをはじめ、数々の大会での参加実績があり、2016年のFIAカート世界選手権KZ(クリスチャンスタッド)では、予選から決勝までビレルアートのシャシーで戦った経験もある。

    「バリチェロ by ビレルアート」のラインアップは、OKクラス(RB 30/32 S19 DD)、KZクラス(RB 30/32 S19 SH)、ミニカート(RB 28 S19)と、すべての主要カテゴリーをカバーする構成となる。

    バリチェロ by ビレルアート

    ブランドの外観は、バリチェロの象徴的なヘルメットデザインをベースにしたものだ。蛍光オレンジとメタリックブルーにホワイトを組み合わせたリバリーは、コース上で新鮮さとスピード感を強く印象付ける。基盤となるのは、ビレルアートの素材品質と新型S19シャシーの技術である。

    「バリチェロ by ビレルアートを正式に発表できて、とても嬉しく思っている。我々とルーベンスとの友情は長年にわたるもので、彼のカートへの情熱、この世界への想いは、どれほど多忙なキャリアを歩んできた今も決して消えていない」と、ビレルアートの社長兼CEOであるロニー・サラは語った。

    「ビレルアートで走るルーベンスの姿を見るのはいつも喜びだったが、彼の名前とカラーをまとったビレルアートであれば、その喜びはさらに大きなものになる」

    これに対し、バリチェロは次のように述べている。

    「ビレルアート・ファミリーの一員になれたことを本当に誇りに思っている。自分の名前を冠したカートを持つことは、ずっと夢だった。今もなお、このカートの世界に関わり続けているが、ここでの経験が、F1キャリアで私が体験したすべてを形作ってくれた」

    「カートは心からの情熱だ。世界中のサーキットで、たくさんのバリチェロ by ビレルアートが走る姿を見られることを、心から願っている」

  • ルーベンス・バリチェロ、ブラウンGP誕生の電話は「人生最高の一日だった」

    ルーベンス・バリチェロ、ブラウンGP誕生の電話は「人生最高の一日だった」

    ルーベンス・バリチェロは、2009年に誕生したブラウンGPが自身のF1キャリア、そして人生そのものにおいて特別な存在だったと振り返っている。消滅寸前だったチームが存続することを告げられた、一本の電話――その瞬間を、彼は「人生最高の一日だった」と表現した。

    元ホンダのチームがロス・ブラウンによって救われ、奇跡のシーズンへと動き出したあの日。

    バリチェロにとってブラウンGPの誕生は、単なるチーム再編ではなく、走る場所を失うかもしれなかった不安から解放された、感情あふれる転機だった。

    ブラウンGP誕生から17年が経った。2008年末、ホンダがF1撤退を決断したことで、チームは消滅の危機に瀕していたが、ロス・ブラウンはわずか1ポンドでチームを買収。数百人の雇用を守り、F1の舞台にチームを残す決断を下した。

    その後すぐにメルセデスとのエンジン契約をまとめ、2009年シーズンに向けてグリッド屈指のパワーユニットを確保する。そしてドライバー体制も維持され、バリチェロは自身17年連続となるF1シーズンを、すでに3年間在籍していたチームで迎えることになった。ブラウンGPには、確かな基盤が築かれていた。

    2009年のブラウンGPを支配的な存在へと押し上げたのが、革新的なディフューザーだった。ライバルチームがコピーするのに数か月を要したこの設計は、序盤戦で決定的なアドバンテージをもたらし、ブラウンはドライバーズ、コンストラクターズの両選手権で主導権を握った。

    チームメイトのジェンソン・バトンは、BGP001に初めて乗ったテストの段階でタイトルを狙えると感じたという。一方、バリチェロはマシン開発面で大きな役割を果たし、バトンから「最高のチームメイト」と評される存在だった。2007年、2008年の苦しいシーズンを通じて積み重ねてきた経験とフィードバックが、2009年の成功に生かされた。

    シーズン序盤、ブラウンGPは開幕7戦中6勝という圧倒的なスタートを切ったが、その勝利はいずれもバトンのものだった。バリチェロ自身の勝利はシーズン後半、バレンシアとモンツァで訪れることになる。

    そんな成功の原点にあったのが、チーム存続を告げられたあの日の電話だった。バリチェロは2011年のブラジルGPで、当時を次のように振り返っている。

    「電話が鳴って、相手はロスだった。彼は『準備はいいか?』と言った。すごく良い話にもなり得るし、すごく悪い話にもなり得る、とね」

    「『金曜日に来られるか?』と聞かれて、僕は『いつでも行けるよ、ロス』と答えた」

    「彼は『契約はある。来年も走ってほしい』と言ったんだ。家の中に入って、僕は泣いてしまった。その瞬間への感謝の気持ちでいっぱいだった。妻のシルヴァナに伝えた時、あれは人生最高の一日のひとつだった」

    ルーベンス・バリチェロ F1 ブラウンGP

    2009年の最終順位とキャリア最後の勝利
    2009年シーズン序盤は目立った結果を残せなかったバリチェロだが、シーズンが進むにつれてペースを上げていき、逆にチームメイトの勢いがやや落ち始めた時期と重なった。

    転機となったのはバレンシアでの勝利だった。その2戦後、フェラーリのティフォシに囲まれたモンツァで、彼は再びトップステップに立つ。ティフォシの前での勝利は、彼にとって特別な意味を持つものだった。

    それが彼にとって最後のF1勝利であり、通算11勝目でもあった。その事実には、どこか運命的なものがあった。

    最終的にチャンピオン争いには加われなかったものの、2009年はバリチェロがいかに才能あふれるドライバーだったかを改めて示すシーズンとなった。ドライバーズタイトルを獲得することなくキャリアを終えた中で、彼は「最も偉大な未戴冠ドライバー」のひとりとして、その名を刻んでいる。

  • 【動画】ルーベンス・バリチェロ、ブラウンGP BGP001で10年ぶりに走行

    【動画】ルーベンス・バリチェロ、ブラウンGP BGP001で10年ぶりに走行

    元F1ドライバーのルーベンス・バリチェロが、7月6日(土)にブラウンGPのF1マシン『BGP001』のステアリングを10年ぶりに握った。

    ブラウンGPは、2008年末にF1から撤退したホンダF1チームが買収して誕生。ホンダが2019年に投入する予定だった『RA109』にメルセデス製エンジンを搭載した『BGP001』は、ホンダの日本人エンジニアが考案したとされるダブルディフューザーを搭載し、圧倒的な強さをみせた。

    2009年に17戦中8勝、5度のポールポジションを獲得してダブルタイトルを獲得。ジェンソン・バトンがワールドチャンピオンに輝いた。ルーベンル・バルチェロも2勝を挙げてランキング3位でシーズンを終了。ブラウンGPは2009年末にメルセデスに買収され、現在、タイトルを5連覇しているメルセデスAMG F1チームの母体となっている。

    ルーベンス・バリチェロは「グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード」でBGP001を10年ぶりに走らせた。

  • 2018年 F1日本GP | ルーベンス・バリチェロの来場が決定

    2018年 F1日本GP | ルーベンス・バリチェロの来場が決定

    鈴鹿サーキットは「2018 FIA F1世界選手権シリーズ 第17戦 Honda日本グランプリレース 鈴鹿30回記念大会」に、元F1ドライバーのルーベンス・バリチェロ氏の来場することを発表した。

    ルーベンス・バリチェロは、1993年~2011年まで、18年間F1ドライバーとしてグランプリに参戦。史上最多のF1参戦記録を持つレジェンドドライバー。

    2003年の鈴鹿サーキットで開催された日本グランプリでは優勝を飾り、所属チームのフェラーリはコンストラクターズタイトルに輝いた。2006年~2008年はジェンソン・バトン選手とともにホンダのドライバーとしてシーズンを戦った。

    他にも2018年のF1日本GPには、中嶋悟(1987年~1991年)、鈴木亜久里(1988年~1995年)、ジャン・アレジ(1989年~2001年)、ミカ・ハッキネン(1991年~2001年)、デイモン・ヒル(1992年~1999年)、片山右京(1992年~1997年)、フェリペ・マッサ(2002年、2004年~2017年)、佐藤琢磨(2002年~2008年 2017年)、中嶋一貴(2007年~2009年)の来場が決定している。

    また、鈴鹿サーキットでのF1日本グランプリ開催30回を記念したデモランイベント「Legend F1 SUZUKA 30th Anniversary Lap」に1988年のF1日本グランプリで8位となった「AGS JH23」の出走が決定した。

    南フランスのAGSチームは、F3、F2、F3000を経て、1986年の後半からF1に進出。その1988年用マシンがJH23。小型、低重心の優れた設計だった。ドライバーにはF2、F3000時代に同チームで活躍したフィリップ・ストレイフを起用。非力なコスワースDFZエンジンながら、カナダグランプリでは予選10位、決勝では一時4位を走行する速さも見せた。小規模チームゆえの信頼性の低さが弱点だったが、鈴鹿の日本グランプリではシーズン最高位の8位完走を果たした。

    ■発表済の鈴鹿F1日本グランプリ参加マシン
    Ferrari F187(1987)、Lotus 100T(1988)、Beneton B189(1989)、Lola LC90(1990)、Tyrrell 019(1990)、McLaren MP4/6(1991)、Ferrari 412T2(1995)、McLaren MP4-13(1998)、Ferrari F2005(2005)、Ferrari 248F1(2006)、Ferrari F10(2010)

    ■Legend F1 SUZUKA 30th Anniversary Lap走行時間
    10月5日(金)16:00~16:30 練習走行
    10月6日(土)16:30~17:15 スペシャルステージデモンストレーション
    イン・アウトラップを含め、フルコースを3周※タイムを競うのではなく、1台ずつマシンが走行し、お客様にじっくりとマシンを観ていただく企画。
    10月7日(日)10:25~10:45 デモンストレーションラップ
    ※デイモン・ヒル、片山右京は、本イベントへの参加はございません

  • ルーベンス・バリチェロ、ミハエル・シューマッハへの面会を断られる

    ルーベンス・バリチェロ、ミハエル・シューマッハへの面会を断られる

    ルーベンス・バリチェロは、元チームメイトであるミハエル・シューマッハへの面会を家族から断られたことを明かした。

    7度のF1ワールドチャンピオンであるミハエル・シューマッハは、2013年12月29日にフランス・グルノーブルのメリベル・リゾートでスキーを楽しんでいる最中に転倒して頭を岩に強打して頭部に重傷を負い、現在もスイスの自宅で療養を続けている。

    ルーベンス・バルチェロは、2000年から2005年までフェラーリでチームを組んでいた。

    「彼を訪問する方法を見つけようとしたけど、彼らに『それはあなたにとっても彼にとっても良いことではないでしょう』と言われてしまった」とルーベンス・バリチェロは Globo にコメント。

    「だから、何のニュースもないよ」

    ミハエル・シューマッハの家族は、シューマッハの容体について、全ての情報を非公開にしている。

    F1界でミハエル・シューマッハを見舞ったのはFIA会長のジャン・トッドだけであり、「まだ戦っている」と述べた以外、ミハエル・シューマッハの容体については決して明らかにはしてない。

  • ルーベンス・バリチェロ、首の静脈瘤で緊急手術 「生きてることが奇跡」

    ルーベンス・バリチェロ、首の静脈瘤で緊急手術 「生きてることが奇跡」

    元F1ドライバーのルーベンス・バリチェロは、首に静脈瘤によって緊急手術を実施したことを明かし、“生きていることが奇跡”だと感じていると語った。

    昨年1月、ルーベンス・バリチェロは極度の頭痛に見舞われて病院に運ばれ、そこで首に腫瘍が見つかった。手術は無事に成功したが、退院後に医師から後遺症なく生存できる確率は14%の症状だったと伝えられたことを明かした。

    「首に良性の腫瘍があった。自分が生きているのは本当に奇跡なんだ」とルーネンス・バリチェロは Globo のテレビ番組のインタビューでコメント。

    「(1月の)ある土曜日に起きてシャワーを浴びた。突然、酷い頭痛を感じた。10段階で言えば9くらいの痛みだった。次に気づいたときには床に倒れていた。誰にも起こしてほしくなかったので、なんとかベットまで戻ったけど、耐え難いほどの痛みだった」

    「シルバナ(妻)がいて、医師の友人に連絡してくれた。幸いにも医師はすぐに状況の重大さを認識し、僕はすぐに病院に運ばれて2時間以内に手術を受けた。彼らは悪い静脈を見つけて修復してくれた」

    「病院についてカニューレを入れられて、静脈が閉ざされているのを確認した。彼らは本当に良い治療をしてくれた」

    「友人の医師が僕が悪い状態だと見極めてくれたのはとても幸運だった。腫瘍によって開かれた静脈は2時間で自分自身で血液を再生された」

    「退院したとき、同じような症状でこれまで回復した患者は14%しかいないと説明された。多くの人が深刻な後遺症を負ったり、死亡しているとね」

    「まだ治療を続けているけど、本当に元気だ。もうレースをすることは許されないと心配したけど、幸いにもそうはならなった」

    現在、ブラジルのストックカーレースに参戦しているルーベンス・バリチェロは、最近もレースの間に腫瘍を取り除く手術を受けたとして、首の左側の大きな傷跡をみせた。

    「全てが起こった後、健康状態を調べるために多くの検査を受けた。彼らは首に小さな腫瘍を見つけてインテルラゴスのレース後にそれを除去した。良性の腫瘍だったけど、成長していたし、クルマに乗っているときに不快感を持ちたくなかったので、それを除去した」

    「人生における困難はいかに成長し、良い人間になる方法を示してくれる。とても感謝しているし、機会を与えてくれた神に感謝している」

    F1で11勝を挙げ、322戦というF1史上歴代最多出走記録を持つルーベンス・バリチェロは、2011年末にF1を引退2012年にはインディカーに参戦。その後は主にブラジルのストックカーを戦い、2014年にはタイトルを獲得。2017年にはル・マン24時間レースに参戦している。最近では息子エドゥアルドのキャリアの支援にも力を入れている。

    ルーベンス・バリチェロ

  • ルーベンス・バリチェロ、極度の頭痛で緊急入院

    ルーベンス・バリチェロ、極度の頭痛で緊急入院

    元F1ドライバーのルーベンス・バリチェロが、極度の頭痛で緊急入院していたことが明らかになった。

    F1史上歴代最多記録となる322戦に出場した“鉄人”ルーベンス・バリチェロ(45歳)は、先週土曜日に極度の頭痛に見舞われて緊急入院。病院のベットからInstagramでファンに動画でメッセージを送った。

    ルーベンス・バリチェロは、静脈に関連した問題であること以外は明らかにしておらず、検査はまだ進行中だがすぐにレースに復帰するとファンに誓った。

    「みんなが心配してメッセージを送ってくれた。ずっと写真を投稿していなかったので、みんなに伝えることに決めた」とルーベンス・バリチェロはコメント。

    「土曜日に目を覚ましてシャワーを浴びることにした。そしたら、酷い頭痛を感じた。幸いにも妻がそこにいて、友人のドクターに連絡して病院に連れて行ってくれた。彼らは本当に僕のことをケアしてくれている」

    「静脈の小さな問題だ。でも、気分はいいことを伝えたい。まだ検査を行っている段階だけど、正直、僕は元気だ」

    「人生の困難はどのように成長し、どのように良くなるかを示すものだ。僕はとても感謝しているし、その機会を神に感謝している。すぐにレーストラックに戻るよ。そのことをみんなに伝えたかったんだ」

    2011年末にF1を引退したルーベンス・バリチェロは、2012年にはインディカーに参戦。その後は主にブラジルのストックカーを戦い、2014年にはタイトルを獲得している。2017年にはル・マン24時間レースに参戦している。最近では息子エドゥアルドのキャリアの支援にも力を入れている。

  • ルーベンス・バリチェロ、ル・マン24時間レース初参戦が決定

    ルーベンス・バリチェロ、ル・マン24時間レース初参戦が決定

    ルーベンス・バリチェロが、2017年にル・マン24時間レースに初参戦することが決定した。

    元F1ドライバーのルーベンス・バリチェロは、同じく元F1ドライバーで1988年のル・マン ウィナーであるヤン・ラマースとともにRacing Team Netherlandsより、LMP2クラスに参戦。ダラーラ-ギブソン P217を走らせる。

    ヤン・ラマースは「私の23回目のル・マン、そして、 Racing Team Netherlandの初のエントリーが受理されたと聞き、嬉しく思う」とヤン・ラマースはコメント。

    「ル・マンにブラジルのフレーバーを入れられることを心から誇りに思う」

    2017年 ル・マン24時間レース エントリーリスト・・・ポルシェは2台体制
    2017年 ル・マン24時間レース エントリーリスト・・・ポルシェは2台体制

  • ルーベンス・バリチェロ、ル・マン24時間レースに初参戦へ

    ルーベンス・バリチェロ、ル・マン24時間レースに初参戦へ

    元F1ドライバーのルーベンス・バルチェロが、2017年にオランダのチームからル・マン24時間レースに初参戦する。

    過去3シーズン、ブラジルのストックカー選手権に参戦してきたルーバンス・バリチェロは、ル・マンでチーム・オランダがエントリーするダラーラ・ギブソン LMP2を走らせる。

    ルーベンス・バリチェロは、1988年のル・マン優勝者ヤン・ラマース、アマチュアレーサーのVan Eerd Racingとクルマを共有することになる。二人はヨーロピアン・ル・マン・シリーズでペアを組んでいる。

    ヤン・ラマースは、2年以上にわたってVan Eerd Racingでル・マン プログラムに取り組んできた。

    「ルーベンスの名前が獲得リストに浮上したことは卒倒しそうになったよ」とヤン・ラマースはコメント。

    「彼のことは英語をしゃべれなかった15歳の頃から知っている。1989年末に私のGMロータスをテストしたていたからね。アイデアを彼に伝えたとき、彼はとても熱心だったよ」

    ルーベンス・バリチェロのプログラムは、ヨーロピアン・ル・マン・シリーズまで拡大される可能性がある。

    ダラーラ・ギブソン LMP2