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  • MotoGP | ホルヘ・ロレンソ、ヤマハにテストライダーとして復帰

    MotoGP | ホルヘ・ロレンソ、ヤマハにテストライダーとして復帰

    ヤマハとヤマハ・モーター・レーシングは、MotoGP開発プログラム強化のため「Yamaha Factory Racing Test Team」に、MotoGP三冠のホルヘ・ロレンソをテストライダーとして迎えることを決定した。

    ホルヘ・ロレンソはMotoGPパドックだけでなく、多くの分野で活躍してきたライダー。2008年に当社のMotoGPファクトリーチームからMotoGPデビューを果たしたあと、9年間にわたって在籍し、2010年、2012年、2015年には「YZR-M1」でチャンピオンを獲得した。

    ホルヘ・ロレンスは、2月2~4日にマレーシアのセパン・インターナショナル・サーキットで行われるMotoGPのシェイクダウンテストを皮切りに、IRTAの公式テストやヤマハのプライベートテストに参加。2020年のMotoGPマシン開発においてヤマハのエンジニアをサポートする。スムーズで精確なライディングと明確なフィードバック能力で知られるホルヘ・ロレンソは、この役に最も適した人物。なお、ホルヘ・ロレンソのクルーチーフにはシルヴァーノ・ガルブセラが就き、革新のための探究をサポートする。

    現時点で2020年にホルヘ・ロレンソがワイルドカード参戦する予定はないが、ヤマハとしては、本人が再びレース出場を決断した場合、その可能性を残している。

    ホルヘ・ロレンソ_
    「Yamaha Factory Racing Test Team加入が決まり、とてもうれしく思います。私はMotoGP界にとどまること、パドックに戻ることをずっと考え続けていました。そしてこの役割は、チームもYZR-M1のこともよく知っている私にとても適していると思っているのです。ヤマハのマシンは私のライディングスタイルに合っていたので、‘マイ・オールド・バイク’との再会がとても楽しみです。ヤマハ復帰の決定によって、よい思い出も蘇ってきました。ヤマハとともに多くの表彰台や優勝、そして3つのタイトルを獲得してきたので、その強さの理由をよく理解しているつもりです。このような機会を与えてくれたヤマハに心から感謝しています。この数年間と比べればいくらか穏やかな生活になると思いますが、その一方で私が最も愛すること、すなわちバイクに乗って限界を追求することを可能にしてくれたのですから。このミッションに向き合う気持ちは非常に強くなっており、スタートが待ちきれません。ヤマハの未来のためにベストを尽くし、私の経験がヤマハのエンジニアとライダーにタイトルをもたらす助けになることを望んでいます」

    リン・ジャービス(ヤマハ・モーター・レーシング・マネージング・ダイレクター)
    「ホルヘ・ロレンソのヤマハ復帰を非常にうれしく思います。彼が引退を決意したと聞いたとき、すぐにヤマハへ戻ってきてくれるよう提案しようと考えました。あの9年間の戦績が物語っているように、彼は非常に経験豊富なMotoGPライダーであり、YZR-M1やヤマハのスタッフたちとも親密です。彼が非常にしっかりした人物であることも私たちはよく知っています。ライダーとしてはモチベーションが高く、安定感があり、技術面の洞察力にも優れており、ハイレベルなテストライダーとして求められるすべての能力を備えているのです。ホルヘ・ロレンソの経験、知識、ライディングスピードと、同じく経験豊富なクルーチーフのガルブセラ氏の力が合わさることは、テストチームの強化を狙うヤマハにとって非常に重要であり、それによってエンジニア、日本のテストライダー、Monster Energy Yamaha MotoGPをしっかりと結びつけることができると確信しています」

  • ホルヘ・ロレンソ、MotoGP引退を発表

    ホルヘ・ロレンソ、MotoGP引退を発表

    レプソル・ホンダのホルヘ・ロレンソは11月14日(木)、MotoGP最終戦バレンシアGPの開催地サーキット・リカルド・トルモのプレスカンファレンスルームで報道陣向けに記者会見を開き、最高峰クラス203戦目、キャリア通算297戦目となるホームレース、バレンシアGPを最後に現役からの引退を発表した。

    「この記者会見に来てくれて本当にありがとう。僕にとって大きな意味があり、とても幸せだ」とホルヘ・ロレンソは語った。

    「ライダーとしてのキャリアには、重要な4日間があるといつも考えていた。それは初めてレースに出走した日、初めて優勝を挙げた日、初めてチャンピオンシップを獲得した日、そして引退する日。君たちが想像している通り、その日が来たことを告げるために僕はここにいる。これが僕のラストレースとなり、このレースが終わると、プロフェッショナルなレースから引退する。」

    「3歳のときに全てが始まった。僕は約30年間、このスポーツに捧げてきた。僕と一緒に働いてきた人たちは、僕がどれだけ完璧主義者で、どれだけ努力を尽くしてきたのかを知っている。非常に高いレベルのモチベーションを自分自身に要求する。僕のキャリアの中で最も輝いたヤマハでの9年間は決して忘れられず、自分のスポーツに対する高いレベルの約束を維持したかったから変更が必要だと感じた。ドゥカティへの移籍は、必要と感じていた大きな後押しが得られ、結果は悪かったけど、決して諦めないという燃料のようなエクストラなモチベーションを活かして、ドゥカティのファンの前で、ムジェロでスペシャルなレースができた。ホンダとサインを交わしたときには、似たような感覚があり、全てのライダーの夢の1つであるホンダのファクトリーライダーになることを成し遂げた。」

    「不運にも今シーズンは怪我が重要な役割を果たすことになってしまい、普通の体調で走ることができなかった。決してナチュラルに感じたことがないバイクを走らせることで、さらに難しいレースとなってしまった。忍耐を決して失わず、僕は闘い続けた。単純に時間の問題で、全てが正しい場所に収まると考えた。」

    「しかし、光が見え始めたとき、モンメロのテストで悪い転倒をしてしまい、その後にアッセンであの醜い転倒に見舞われてしまった。グラベル上で横転が止まったあの瞬間、『ここで何をしているんだ?これは本当に価値があることか?僕は終わった』と最初に思った。数日後、人生とキャリアについてじっくりと考え、トライすることを決断した。直ぐに意思決定を下したくなかった。」
    「あのクラッシュだということは真実。僕には乗り越える壁が高すぎた。試してみたとしても、その壁を登り続けるためのモチベーションと忍耐を見つけることができなかった。僕はこのスポーツが大好き。走ることが大好き。しかし、何よりも勝つことが大好きなんだ。何か大きなことのために、タイトルを獲得するために、少なくても勝利のために闘うことができない。キャリアのこの段階で、特に前進を続けるためのモチベーションを見つけることができなかった。ホンダとの目標は、少なくても短期間では実現的ではないことに気づいた。ホンダ、特に僕を信頼してくれ、機会を提供してくれたアルベルト・プーチには、本当に残念だと言わなければいけない。」

    「ある日のモンメロで僕たちは会い、『間違ったライダーとサインを交わすという間違いをしないで、僕を信じてくれ。後悔しないでしょう』と彼に言ったことを思い出す。とても悲しいことに、僕は彼を失望させたと言わざるえない。常に例外的な手段で対応してくれた横山健男さん、桑田哲宏さん、野村欣滋さん、そしてチームのみんなにも失望させてしまったと言わなければいけないけど、これは僕とチームにとって、最善の決断だと感じる。ホルヘ・ロレンソとホンダは、数ポイントを獲得するために参戦することはできない!」

    「美しく、成功のキャリアに話しを戻すと、常に言ってきたように、僕はとても幸運な男だ。インド人がNBAに挑戦するドキュメンタリー、『One in a Billion(ワン・イン・ア・ビリオン)』のようだと感じるときが時々ある。キャリアの中で、同世代の並外れた多くのライダーたちとレースをしてきた。その中には、僕よりも豊富な才能を持ったライダーたちが何人もいたけど、僕ほど成功したライダーは誰一人いなかった。彼らの多くが世界選手権にさえ参戦することができず、一般的な仕事に就かなければいけなかった。キャリアを始めたときに想像していた成功を越えた。そのことをとても幸運だったと感じる。確かに僕はいつも懸命に働いてきたけど、キャリアを通じて一緒に働いてきた多くの人たちの助けがなければ、正しい時期に正しい場所にいることはできず、このような成功を収めることは不可能だった。」

    「だからこそ、全ての人たちに心から感謝したい。このチャンピオンシップをこれほど偉大にしてくれたカルメロ・エスペレータとドルナスポーツに感謝したい。所属したデルビ、アプリリア、ヤマハ、ドゥカティ、ホンダ、特にジャンピエロ・サッキ、ジジ・ダリーニャ、リン・ジャービス、アルベルト・プーチに感謝したい。この世界に連れてきてくれた母親、このスポーツの情熱を見せてくれた父親、ここ数年間僕のために犠牲を払ってくれた全ての人たちにも感謝したい。無条件の愛を与えてくれたファンとファンクラブのみんな。パーソナルチームとして一緒に働いてくれた全ての人たち。いつも正直に忠実に対応してくれたアルベルト・バレラ。彼らみんなに心から感謝したい。」

    ホルヘ・ロレンソのプロフィール
    1987年5月4日生まれ。出身地は、スペインの地中海に浮かぶマジョルカ島のマルパ・デ・マジョルカ。3歳の時からミニクロスのレースに参加すると、9歳でミニクロス、トライアル、ミニバイク、モトクロスのマジョルカ選手権を独占。11歳で2年目のコパ・アプリリア(50cc)を制した実績が認められ、スペイン連盟から特別許可を得て、若干13歳で国内選手権125ccクラスへの参戦を開始。

    2002年5月4日。当時の競技規則に従い、出場最低年齢となる15歳の誕生日を待って、デルビのファクトリーチームから第3戦スペインGPの2日目にデビュー。翌日の決勝レースで、2000年最終戦オーストラリアGPでステファノ・ビアンコが樹立した史上最年少記録を更新(15歳と2日)。

    同年の第6戦カタルーニャGPで、史上最年少ポイント獲得記録を更新(15歳と42日)。2003年の第12戦リオGPでは初優勝を飾り、史上2番目の最年少優勝者となり、このとき、ケーシー・ストーナーとダニ・ペドロサをアウト側から抜いたことから、そのイメージを基にロゴを作成。

    125ccクラスで総合4位に進出した翌年の2005年に、フォルトゥナ・ホンダから250ccクラスにステップ。総合5位を獲得すると、2006年にはアプリリアのエースライダーに指名され、中量級の最多記録に並ぶ年間10度のポールポジションを獲得。7度のポール・トゥ・ウインを含む8勝を挙げ、初タイトルを獲得し、史上2番目の最年少チャンピオン(19歳と178日)に輝いた。

    同チームからタイトル防衛に挑んだ2007年は、9度のポール・トゥ・ウインを含め12度の表彰台を獲得。史上2番目の最年少2連覇に成功。

    参戦7年目の2008年、ヤマハのファクトリーチーム、フィアット・ヤマハから最高峰クラスに初参戦。デビュー戦でポールポジションから表彰台を獲得。第3戦ポルトガルGPで、新人としては史上初となる3戦連続のポールポジション、史上5番目となる最年少優勝、史上2番目となる最年少3クラス優勝、史上最年少の3連続表彰台獲得の記録(20歳と345日)を更新。

    第6戦イタリアGPで史上最年少となる100戦目を達成(21歳と28日)するなど、開幕から次々に記録を更新して行くが、右足首を骨折した第4戦中国GPのハードクラッシュから転倒が増え、第7戦カタルーニャGPで頭部を強打してドクターストップ。第11戦アメリカGPでは両足を骨折。

    総合4位と新人王を獲得した後、ゼッケンをデビューから使用していた48から99に変更。1年目の経験を活かした走りで4勝を含む12度の表彰台を獲得し、シーズン終盤までタイトル争いを展開して総合2位を獲得。

    3年目の2010年は、開幕から安定した速さと強さで優勝と表彰台を次々に獲得し、第15戦マレーシアGPで史上6番目となる最年少チャンピオンに輝く。さらに、最終戦バレンシアGPの優勝で年間最多獲得ポイント(383ポイント)、年間最多タイとなる16度の表彰台、年間最多タイとなる18戦連続のポイント連取を達成。

    ヤマハ参戦50周年記念となるファクトリーチームのエースとして、チャンピオンナンバーのゼッケン1に変更して挑んだ2011年は、安定して表彰台を連取し、総合2位を獲得。

    ゼッケンを99に戻した2012年は、全18戦中6勝を含む16戦で表彰台を獲得。年間最多となる16度目のトップ2入りを達成し、最高峰クラスで2度目のタイトル獲得に成功。

    2013年は、後半戦に5勝を含む9戦連続の表彰台を獲得し、最終戦バレンシアGPまでタイトル獲得を展開したが、第7戦TTアッセンの左鎖骨を骨折、第8戦ドイツGPの転倒による欠場が影響して総合2位。2014年は、フラッグ・トゥ・フラッグとなった第14戦アラゴンGPまで優勝が挙げられず、総合3位に後退。

    2015年は、第4戦スペインGPから自己最多となる4連勝を達成すると、最終戦バレンシアGPで年間7勝目を挙げ、7ポイント差の逆転に成功。3年振り3度目、史上12人目となる通算5度目のタイトルを獲得。

    2016年は、ウェットコンディションとキャリア最多を記録した11度の転倒(3度の転倒リタイア)が影響し、総合3位に後退。

    2017年は、9年間所属したヤマハ発動機から離れ、ドゥカティのファクトリーチーム、ドゥカティ・チームから参戦。3度の表彰台を獲得したが、最高峰クラスで初めて未勝利のシーズンとなり、総合7位。2年目はドゥカティのホームレースとなった第6戦イタリアGPで優勝を挙げ、3勝を含む4度の表彰台を獲得したが、第14戦アラゴンGPで右足、第15戦タイGPで左手首を負傷したことが影響して総合9位。

    フル参戦18年目、最高峰クラス12年目の2019年は、2018年6月6日に2年契約を締結したHRCのファクトリーチーム、レプソル・ホンダから参戦。

    右足と左手首が万全に回復していない状態で11月に2度のテストに参加。ドゥカティからホンダへの乗り換えを始めたが、年明け最初の走行となる2月のオフィシャルテストの前に左手首を骨折。相次ぐ負傷から完治していない状態で実戦を通じながらホンダへの乗り換えに取り組んだが、第7戦カタルーニャGP後のオフィシャルテストでハードクラッシュ。第8戦TTアッセンの転倒で胸椎を2か所骨折したことから、4戦に欠場。第12戦イギリスGPで復帰を果たしたが、最終戦バレンシアGPを前に現役からの引退を決断した。

  • MotoGP | ホルヘ・ロレンソ 「ライバル関係が僕たちを成長させる」

    MotoGP | ホルヘ・ロレンソ 「ライバル関係が僕たちを成長させる」

    レプソル・ホンダに移籍したホルヘ・ロレンソは1月23日、スペインの首都マドリード市内で開催されたチームの発表会に初参加し、初めてオフィシャルのツナギ姿で登場。左手骨折の原因、ホンダRC213Vの第一印象、マルク・マルケスとの関係を語った。

    「怪我はイタリアでダートトラックのトレーニングを始めた初日だった。トラックの状態をチェックしないというミスを犯してしまった」とホルヘ・ロレンソはコメント。

    「泥が見えず、乾いていると思ったら、そこでフロントが閉じてしまい、馬鹿げた転倒をしてしまった。転んだ際に手にプレッシャーをかけてしまい、手術が必要になってしまった」

    「セパンでテストができれば完璧だろう。だけど、状況を理解する。セパンに行かない方がベスト。カタールに行こう。おそらく回復具合は80%。緒戦には90%まで持って行きたい。転倒は不運だったけど、ステップ・バイ・ステップで回復しよう」

    「ホンダはフィジカルなバイクだと思わない。ドゥカティのようにそれほどフィジカルなバイクでないという印象だった。スモールなバイクで、路面の接地を感じやすいから自信を与えてくれる。コーナー進入時の安定感が見つかり、これがストロングポイントだと思う」

    「僕は最高峰クラスのキャリアで、ロッシ、スピーズ、ドビとボックスを共有した。今は最高峰クラスに初進出した08年に似た状況だ。バレンティーノがタイトル奪回を狙ったときだった。ストロングなチャンピオンがいるチームに加わる。バイクへの適応は簡単ではないけど、バレンシアとヘレスでグッドなスタートが切れた。マルクはフェノメノ(最高級の賛辞で怪物や超常を意味)。バイクを良く把握しているという点ではアドバンテージがあるけど、ステップ・バイ・ステップで望む結果を獲得しよう」

    「幾つかのことは彼と共有することになるだろう。2匹の雄鶏がいれば、ポジティブなことより、ネガティブなことが話題になりやすいけど、2人のチャンピオンがいることで、お互いに成長する。マルクと僕がやり合うことは自然なことで、セナとプロストのライバル関係を思い出す。セナはプロストの引退を惜しんだ。おそらく、僕の方が早く引退するだろう。僕たちのライバル関係が、ストロングにさせてくれるはずだ」

    「過去のことをドラマにする必要はない。性格が異なり、考え方が違うことは当然のことで、摩擦が生じるだろけど、大袈裟に騒ぐ必要はない。13年までは無関係だったけど、結果を祝うようになって、良好な関係を築いた。同じバイクを走らせることで、摩擦が生じることは普通だけど、チームのために貢献できるから、ポジティブなことが多いだろう」

    「トラック上で2人が触したり、転んだりする可能性があるけど、それは小さなこと。お互いに接触せず、接触が原因で転ばないことを望む。最終ラップの最終コーナーを除いて、チームメイトであることから、少し注意を払うべきだろう」

    「ボックスに壁を設置しない。あれは10年前にヤマハが考案したことだけど、あまり役に立たなかった。このチームを最後に現役から引退するとは言わない。いつも自分に自信があった。ドゥカティでは必要なことが全て整わなかったから結果が出なかったけど、一度整うと結果が出始めた。ネガティブな結果は将来に影響し、ドゥカティは僕を信じてくれなかった。彼らが他のオプションに賭けたことを理解できたけど、あの当時、僕は引退を考えなかった。ドゥカティと共に優勝を挙げた後にホンダと契約を締結した。あの2週間でキャリアが一転た」

    最高峰クラス12年目を新天地から迎えるホルヘ・ロレンソは、2月23日からロサイル・インターナショナル・サーキットで開催されるオフィシャルテストに向けて、骨折した左手のリハビリプログラムを継続する。

  • MotoGP | ホルヘ・ロレンソ、左手を骨折して手術

    MotoGP | ホルヘ・ロレンソ、左手を骨折して手術

    レプソル・ホンダは1月21日(月)、ホルヘ・ロレンソがイタリア北部のベローナでトレーニング中に左手の舟状骨を骨折したことから、スペイン・バルセロナ市内の大学病院で1本のボルトで固定する手術を受け、無事に成功したことを発表した。

    ホルヘ・ロレンソは、手術から24時間後に退院を予定。4日後からリハビリを開始するが、セパン・インターナショナル・サーキットで開催される16日後のオフィシャルテストをキャンセルすることになった。

    ホルヘ・ロレンソは、開幕戦カタールGPの開催地、ロサイル・インターナショナル・サーキットで予定されている33日後のオフィシャルテストに向けて、リハビリに専念することになった。

  • ホルヘ・ロレンソ 「レプソル・ホンダに所属できることを誇りに思う」

    ホルヘ・ロレンソ 「レプソル・ホンダに所属できることを誇りに思う」

    ホルヘ・ロレンソが、レプソル・ホンダのライダーとして参戦する2019年シーズンへの豊富を語った。

    3度のMotoGPチャンピオンであるホルヘ・ロレンソは2シーズンを戦ったドゥカティを離れ、今年からレプソル・ホンダに移籍。現役チャンピオンであるマルク・マルケスをチームメイトに迎える最高峰クラス12年目、キャリア通算18年目に向けての抱負を語った。

    新たなカラーリングに身を包んだ心境は?
    個人的に好きなカラーリングだ。お気に入りの色は、ホワイト、レッド、ブラッグだったど、これからはオレンジを加えることにするよ。この色は成功を表現する。ここ25年間で多くの勝利、より多くのタイトルを獲得してきた。このファミリーに所属できること、チームがさらに強力になれるように微力ながら貢献できることを誇りに思う。

    レプソル・ホンダに所属するということは、君にとって何を意味する?
    もし、レプソル・ホンダのことを話題にすれば、最も多くの勝利とタイトルを獲得したことから、おそらく、歴史上最も成功したチームだと言えるだろう。サッカーチームと比較すれば、おそらく、FCバルセロナやレアル・マドリードに匹敵するかもしれない。世界レベルで最も多くのタイトルを獲得し、最も重要なチームは、他に存在しない。

    ホンダ車を初試乗した第一印象は?
    もしかしたら、僕の体格には少し大き過ぎたかもしれないけど、非常に大きく、非常に高く、全く違うバイクからの乗り換えとなった。ホンダはサイズに関して、僕には合っていた。よりコンパクトなバイクだ。小さくて低く、コーナーに進入する時は路面に近づく。このことが、僕により多くの信頼感を与えてくれた。第一印象はポジティブだ。多くのポテンシャルを感じた。

    初乗りを終えた直後、大きな笑みを浮かべていたが、何を考えて、ピットボックスに戻って来た?
    あの時の表情は僕の心境を代弁していた。だますことは何もない。とても感動的だった。思いっきり楽しんだ。フィーリングが良ければ、感情が表情に出てしまう。

    バレンシアとヘレスのテストの間に変更したことは?
    最も印象的だったことの1つは、要求したことに対する反応力だ。ホンダは僕の全ての指示に注意を払い、数日後には全てを準備してくれた。それはかなり明白なことだった。燃料タンクの形状は僕の好みにほぼ100%だった。

    以前、マルク・マルケスから学習すると発言したけど、彼も君から学習すると語った。マルケスは君に何をもたらし、君はマルケスに何をもたらすのだろうか?
    全てのライダーには長所と短所がある。僕は彼の長所を学ぶようにトライしていく。彼も僕の長所を学ぶと思う。とにかく、お互いにプッシュしていきたい。僕は彼に勝ちたい。彼は僕に勝ちたい。これは常にチームのレベルを引き上げ、バイクに新しい技術面をもたらすことに役立つ。

    ホンダとレプソルのコラボは、2019年に25周年を迎える。
    25年というのは非常に長い年月だ。レプソルがホンダに支援を始めた1995年は僕がテレビでレースを観始めた時期なんだ。僕のアイドルだったビアッジが原田とバトルをしていたことを憶えている。クリビーレとドゥーハンのバトルやレプソル・ホンダがロッシと契約を結び、ヘイデンがタイトルを獲得した時のことも憶えている。レプソル・ホンダは多くの勝利、多くのタイトルを獲得し、最も成功を収めたチームだ。このチームに所属できることを喜び、誇りに思う。

    1月23日にスペインの首都マドリードでチームの発表会が開催される。
    僕にとって発表会は非常に特別なことになるだろう。歴史的に最も成功を収めたチームが合計12度のタイトルを獲得し、多くの勝利を挙げた2人を起用することから、大きな期待感が膨らむと思う。発表会を楽しく過ごしたい。

  • MotoGP | ホルヘ・ロレンソ、マレーシアGPも欠場を決断

    MotoGP | ホルヘ・ロレンソ、マレーシアGPも欠場を決断

    ドゥカティ・チームは11月3日(土)、MotoGP第18戦マレーシアGPのフリー走行1で負傷から復帰したホルヘ・ロレンソが左手首の状態が良くないことから、2日以降の出走をキャンセルすることを発表した。

    ホルヘ・ロレンソは、第15戦タイGPのフリー走行2回目で転倒を喫して、左手首と右足首を負傷。2日目以降のセッションを欠場し、左手首の橈骨(とうこつ)にひびが入っており、治療とリハビリを行っていた。

    だが、第16戦日本GPでは日本GPのフリー走行1回目でコースに出たが、1ラップを完了する前にピットボックスに戻って欠場を決断。

    ホルヘ・ロレンソは、続く第17戦オーストラリアGPも欠場しており、これで4レース連続での欠場となる。

    ホルヘ・ロレンソは「とても難しい一日だった。自分のバイクにもっと良い感覚を得ることを望んでいた」とコメント。

    「もてぎよりも良くなっているのは事実だけど、ブレーキや方向転換でまだ多くの痛みを感じている。僕のタイムは競争的ではなかった」

    トゥカティ・チームは、マレーシアGPで代役としてテストライダーのミケーレ・ピロを起用することを発表している。

  • MotoGP | ホルヘ・ロレンソ、怪我が回復せず日本GPの欠場を決断

    MotoGP | ホルヘ・ロレンソ、怪我が回復せず日本GPの欠場を決断

    ドゥカティ・チームのホルヘ・ロレンソは、MotoGP 第16戦 日本GPを欠場することを決断した。

    ホルヘ・ロレンソは、前戦タイGPのフリー走行2回目で転倒を喫して、左手首と右足首を負傷。2日目以降のセッションを欠場し、左手首の橈骨(とうこつ)にひびが入っており、日本GPにむけて治療とリハビリを行っていた。

    ホルヘ・ロレンソは、日本GPのフリー走行1回目でコースに出たが、1ラップを完了する前にピットボックスに戻ることを決断。残りの週末を欠場することを明らかにした。

    ドゥカティ・コルセのスポーティングディレクターを務めるパオロ・チャバッティは「彼の週末は終わってしまったようです。2週間の休息で体調が良くなりましたが、ここ数日間でトレーニングを強化したところ、痛みを抱えていました。改めて検査を受け、骨折が回復していないことを確認しました」とコメント。

    「もてぎは、怪我を抱えている状態で臨むには最適なトラックではありません。決断を下しますが、痛みを抱えている状態で走るのは賢くありません」

  • MotoGP | ホルヘ・ロレンソが転倒による負傷でタイGPを欠場

    MotoGP | ホルヘ・ロレンソが転倒による負傷でタイGPを欠場

    ドゥカティ・チームは10月6日(土)、MotoGP 第15戦 タイGPのフリー走行2回目で転倒を喫して、左手首と右足首を負傷したホルヘ・ロレンソが決勝レースを含む2日目以降のセッションを欠場することを発表した。

    ホルヘ・ロレンソはチームのホスピタリティでメディアデブリーフィングを行い、ブリーラム市内の病院で受けた精密検査の結果、左手首の橈骨(とうこつ)にひびが入っていることを明かし、リスクを回避することを説明した。

    ホルヘ・ロレンソは、2週間後にツインリンクもてぎで開催される第16戦日本GPでの復帰に向けて治療とリハビリに専念する。

  • ホルヘ・ロレンソ、マルク・マルケスに怒り「確信犯でやっている」

    ホルヘ・ロレンソ、マルク・マルケスに怒り「確信犯でやっている」

    ドゥカティのホルヘ・ロレンソは、MotoGP 第14戦 アラゴンGPのオープニングラップで行く手を阻む走りをしたマルク・マルケス(ホンダ)を“確信犯でやっている”と批判した。

    ポールポジションからスタートしたホルヘ・ロレンソは、ターン1のブレーキングでアウトのダート側に膨らみ、リアのコントロールを失ってハイサイドを起こし激しくクラッシュ。ロレンソは、自力で立ち上がったものの、足を引きずっており、サーキットのメディカル・センターに搬送された。

    診断では、右足親指を脱臼し、第2中足骨に複雑骨折があることが判明。医師は、即座に右足をギブスで固定した。

    「失望感と同時に怒りを覚えている」とホルヘ・ロレンソはコメント。

    「良いレースができると確信していたうえ、優勝争いもできると思っていた」

    「スタートは良かった。マルケスと同じラインを取ったが、彼は最初のコーナーでブレーキングを遅らせたため、ワイドにラインを取らざるを得ず、しかも彼に行く手を阻まれる格好になった。他のライダーに抜かれまいとダートの上でアクセルを開けたら、リアがスライドしてクラッシュする羽目になった」

    「マルケスがああいう走り方をするのは今回が初めてではない。彼は他のライダーのことを気にしないし、しかも確信犯でやっている。レース・ディレクションに話をすることはないが、再びこのようなことが起こって欲しくない」

    ホルヘ・ロレンソは、10月5日~7日にブリラム・サーキットで開催予定のタイGPには参戦できると回復に自信を覗かせた。

    「足の親指を脱臼して、他の骨には骨折があるので、完治までどのくらいかかるか見極める必要がある。タイGPまでには治って欲しい。今回もポイントを獲得できなかった上に、怪我をした状態でアラゴンを去ることになり、本当に残念だ。悲しいし、ガッカリしている」

  • MotoGP 第14戦 アラゴンGP | ホルヘ・ロレンソが3戦連続PP獲得

    MotoGP 第14戦 アラゴンGP | ホルヘ・ロレンソが3戦連続PP獲得

    MotoGP 第14戦 アラゴンGPの予選が9月22日(土)ににモーターランド・アラゴンで行われ、ホルヘ・ロレンソ(ドゥカティ)がポールポジションを獲得した。

    気温28℃、路面温度45℃のドライコンディションで予選セッションは開始。ホルヘ・ロレンソは1分46秒81をマーク。3戦連続、今シーズン4度目となるポールポジションを獲得した。

    2番手にも0.014秒の僅差でアンドレア・ドヴィツォーゾ(ドゥカティ)が続き、ドゥカティが1-2を達成。3番手には0.079秒差でホルヘ・ロレンソ(レプソル・ホンダ)が続いた。

    2列目にはカル・クラッチロー(LCR・ホンダ)、アンドレア・イアンノーネ(スズキ)、ダニ・ペドロサ(レプソル・ホンダ)。3列目にはダニロ・ペトルッチ(アルマ・プラマック)、アルバロ・バウティスタ(アンヘル・ニエト)、アレックス・リンス(スズキ)が続いた。

    モビスター・ヤマハは、マーベリック・ビニャーレスが11番手、バレンティーノ・ロッシは18番手。

    中上貴晶(LCR・ホンダ)はQ2進出を果たし、4列目12番グリッドを獲得した。

    2018年 MotoGP 第14戦 アラゴンGP 予選 結果

    順位 No. Rider Team Time
    1 99 ホルヘ・ロレンソ ドゥカティ・チーム 1分46秒881
    2 4 アンドレア・ドヴィツィオーゾ ドゥカティ・チーム 1分46秒895
    3 93 マルク・マルケス レプソル・ホンダ・チーム 1分46秒960
    4 35 カル・クラッチロー LCR・ホンダ・カストロール 1分47秒146
    5 29 アンドレア・イアンノーネ チーム・スズキ・エクスター 1分47秒169
    6 26 ダニ・ペドロサ レプソル・ホンダ・チーム 1分47秒224
    7 9 ダニロ・ペトルッチ アルマ・プラマック・レーシング 1分47秒351
    8 19 アルバロ・バウティスタ アンヘル・ニエト・チーム 1分47秒678
    9 42 アレックス・リンス チーム・スズキ・エクスター 1分47秒737
    10 43 ジャック・ミラー アルマ・プラマック・レーシング 1分47秒792
    11 25 マーベリック・ビニャーレス モビスター・ヤマハ MotoGP 1分47秒810
    12 30 中上貴晶 LCR・ホンダ・イデミツ 1分48秒284
    13 21 フランコ・モルビデリ エストレージャ・ガルシア・0,0・マーク・VDS 1分48秒009
    14 5 ヨハン・ザルコ モンスター・ヤマハ・テック3 1分48秒052
    15 41 アレイシ・エスパルガロ アプリリア・レーシング・チーム・グレシーニ 1分48秒181
    16 38 ブラッドリー・スミス レッドブル・KTM・ファクトリー・レーシング 1分48秒216
    17 17 カレル・アブラハム アンヘル・ニエト・チーム 1分48秒398
    18 46 バレンティーノ・ロッシ モビスター・ヤマハ MotoGP 1分48秒627
    19 55 ハフィス・シャリン モンスター・ヤマハ・テック3 1分48秒975
    20 12 トーマス・ルティ エストレージャ・ガルシア・0,0・マーク・VDS 1分48秒988
    21 45 スコット・レディング アプリリア・レーシング・チーム・グレシーニ 1分49秒303
    22 10 ザビエル・シメオン レアーレ・アビンティア・レーシング 1分49秒699
    23 81 ジョルディ・トーレス レアーレ・アビンティア・レーシング 1分50秒336