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  • メルセデス、ニキ・ラウダを追悼した特別カラーのW10でモナコGPに出走

    メルセデス、ニキ・ラウダを追悼した特別カラーのW10でモナコGPに出走

    メルセデスAMG F1チームは、月曜日に亡くなったニキ・ラウダへのオマージュとして特別なブランディングを施したW10で今週末のF1モナコGPに出走する。

    3度のF1ワールドチャンピオンであるニキ・ラウダは、メルセデスの非常勤取締役としてチームの役割を果たしてきたが、5月20日(月)に家族に見守られながら70歳でこの世を去った。

    メルセデスは、ニキ・ラウダに敬意を表し、ルイス・ハミルトンとバルテリ・ボッタスのW10のノーズに“Danke Niki(ありがとう、ニキ)”の文字とニキ・ラウダのシグネーチャーを掲載。また、エンジンカバーに散りばめられた星のひとつを“ニキの名誉と記憶”のために赤にする。

    メルセデスの広報担当は「このブランディングは明日(木曜日)の朝からクルマに見られますが、週末の間にさらなる要素が追加されます」と語った。また、メルセデスのチームスタッフは黒い喪章をつけてグランプリに参加する。

    メルセデスAMG F1 ニキ・ラウダ

    また、ルイス・ハミルトンは、予定されていたF1モナコGPの水曜記者会見への参加を免除された。

    メルセデスの広報は「ニキの死を受け、今日はルイスの対応を免除してもらえるよう朝のうちに申請しました。ルイスが心から慕っていたニキが亡くなってまだ2日も経っていないことをご理解ください」と述べた。

    ニキ・ラウダがF1ワールドチャンピオンを獲得した2つのチームであるフェラーリとマクラーレンもマシンに何らかのメッセージを掲載する。

    マクラーレンはマシンに2つのステッカーを掲載し、ニキ・ラウダがヘルメットと1984年のオーストリアGPの優勝トロフィーをホスピタリティユニット展示することを確認している。

    それ以外のチームもニキ・ラウダへのオマージュを用意しており、トロロッソ・ホンダは、STR14のバージボードに“Danke Niki”の文字と彼の写真を掲載する。

    F1モナコGPの決勝前のグリッドではニキ・ラウダのために1分間の黙祷が捧げられる。

    トロロッソ・ホンダ ニキ・ラウダl

  • ルイス・ハミルトン 「ニキ・ラウダは僕の人生の光だった」

    ルイス・ハミルトン 「ニキ・ラウダは僕の人生の光だった」

    5度のF1ワールドチャンピオンであるルイス・ハミルトンがニキ・ラウダの逝去に対する哀悼の意を表明。“僕の人生の明るい光”だったと述べた。

    フェラーリ(1975年と1977年)とマクラーレン(1984年))の両方でタイトルを獲得した唯一のドライバーであるニキ・ラウダは、5月20日(月)に家族に見守られてこの世を去った。

    1985年にF1を引退したニキ・ラウダは、その後もF1パドックで存在感を維持しており、近年はメルセデスの非常勤取締役としてチームのタイトル連覇を見守った。

    また、ニキ・ラウダは2013年末のルイス・ハミルトンのメルセデス移籍において重要な役割を果たしていた。

    「僕たちの会話、笑い声、レースに勝利した後の大きな抱擁を恋しく思うだろう」とルイス・ハミルトンは Instagram に投稿。

    「この7年間、あなたと一緒に仕事をすることができたことは本当に名誉なことでした。あなたのためでなければ、僕はこのチームにいなかったかもしれません」

    「安らかにお眠り下さい。僕の人生の明るい光になってくれたことを感謝します。あなたのご家族が僕を必要とするならば、僕は彼らのためにずっとここにいます」

    「愛しています。あなたの友人、ルイスより」

  • 【動画】 ニキ・ラウダ “不死鳥F1レーサー”の伝説

    【動画】 ニキ・ラウダ “不死鳥F1レーサー”の伝説

    F1公式サイトが、ニキ・ラウダの伝説を綴った動画を公開した。

    3度のF1ワールドチャンピオンであるニキ・ラウダが5月20日(月)に70歳でこの世を去った。

    ニキ・ラウダは、1976年にレース中の事故で大やけどを負いながら6週間後に“奇跡の復活”を遂げ、“不死鳥”と呼ばれた。

    1975年にフェラーリで初のF1ワールドチャンピオンを獲得したニキ・ラウダは、1976年にニュルブルクリンクで開催されたドイツGPでのクラッシュでマシンが炎上。頭部に大火傷を負い、FRP製のボディーワークが燃えて発生した有毒ガスを吸い込んだため、肺に深刻なダメージを受け、生死の境をさ迷った。

    しかし、事故発生から6週間後のF1イタリアGPで奇跡のレース復帰を果たし、4位入賞を果たした。後に「恐怖心を消し去ってレースをできるようにするため、早めに出場することが最良と考えた」と語っている。

    その年はジェームス・ハントと1ポイント差でタイトルを逃したものの、翌1977年に2度目のタイトルを獲得。1984年にはマクラーレンで3度目のF1ワールドチャンピオンを獲得。通算25勝、54回の表彰台、24回のポールポジションとファステストラップという戦歴を残した。

    1976年のジェームス・ハントとのライバル関係は「ラッシュ/プライドと友情」で映画化されている。

    映画のプロモーションで来日した際、一番好きなシーンについてニキ・ラウダは「ニュルブルクリンクで大事故を起こした後、入院しているところですね」と語っている。

    「あのシーンでは、(瀕死の重傷から)まさに自分が、生きるために戦っているところ、妻や周りの人間が、あの時の私をどう見ていたのか知ることができましたからね。・・・その後レースに復帰して、記者会見を行ったのですが、人々は私をショッキングな目で見ていました。インタビュー中も、私の目を見てくれないんです。顔のやけどにばかり目が行っていました」

    ニキ・ラウダの訃報を受け、F1のCEOを務めるチェイス・キャリーは「ニキ・ラウダ逝去の報を非常に悲しく受け止めています」と述べた。

    「F1は真の偉大なる主導者の1人を失っただけでなく、ヒーローの1人を失いました。彼が示したレースや仲間たちに対する愛情は何にも変え難く、多くのファンを魅了しました。彼の死はF1界全体にとって大きな損失であり、モータースポーツ界全体にとっても大きな損失です。彼のご家族に謹んで哀悼の意を表します」

  • メルセデス、ニキ・ラウダに哀悼の意 「先導者を失った」

    メルセデス、ニキ・ラウダに哀悼の意 「先導者を失った」

    メルセデスのF1チーム代表を務めるトト・ヴォルフが、ニキ・ラウダの逝去に対する哀悼の意を表明。F1とメルセデスF1チームは“ヒーロー”“先導者”を失ったと語った。

    昨年8月に肝移植の手術を受けるなど、肺と肝臓の疾患を患っていたニキ・ラウダは、5月20日(月)に家族に見守られながら息を引き取った。享年70歳。

    3度のF1ワールドチャンピオンであるニキ・ラウダは、メルセデスの非常勤取締役としてもF1パドックで馴染の顔だった。

    親友であり、同僚だったトト・ヴォルフは、ニキ・ラウダに哀悼の意を表し、メルセデスとF1は英雄を失ったと語った。

    「まず最初に、チーム、そして、メルセデスを代表して、ビルギット(妻)、ニキのお子さん、ご家族、親しい友人にお悔やみ申し上げます」とトト・ヴォルフは述べた。

    「ニキはずっと我々のスポーツの最大のレジェンドであり続けるでしょう。彼はコックピット内外で英雄的資質、人間らしさ、誠実さを兼ね備えていました」

    「彼の逝去はF1に空白を残します。我々は今まで目にしたなかで最も驚くべきカムバックを果たしたヒーロであるだけでなく、現在のF1にとって貴重な明快さと勇気をもたらしました。彼が亡くなったことを寂しく思う気持ちは我々の共有の声でしょう」

    「我々メルセデスチームも先導者を失いました。過去6年半にわたるチームメイトとしてニキは常に本音を言ってくれました。そして、本当に忠実でした。彼を我々のチームの一員として数え、チームの成功の一員として彼がどれくらいの意味を持つかを目撃できたことは特権でした。彼がブラックリーとブリックワースのフロアを歩いたり、有名なやる気を起こさせるスピーチをするたびに、彼は他の誰にも再現することはできないエネルギーをもたらしてくれました」

    「ニキ、あなたは非常にシンプルに言ってかけがえのない人です。あなたのような人は他にはいません」

    「あなたを我々の会長と呼べることは私たちの名誉でした。そして、あなたを友人と呼べることは私の特権です」

    1975年にフェラーリで初のF1ワールドチャンピオンを獲得したニキ・ラウダは、1976年にニュルブルクリンクで開催されたドイツGPでのクラッシュでマシンが炎上。頭部に大火傷を負い、FRP製のボディーワークが燃えて発生した有毒ガスを吸い込んだため、肺に深刻なダメージを受け、生死の境をさ迷った。しかし、事故発生から6週間後のF1イタリアGPで奇跡のレース復帰を果たし、4位入賞を果たした。その年は1ポイント差でタイトルを逃したものの、翌1977年に2度目のタイトルを獲得。1984年にはマクラーレンで3度目のF1ワールドチャンピオンを獲得している。

    1976年のジェームス・ハントとのライバル関係は「ラッシュ/プライドと友情」で映画化されている。

  • ニキ・ラウダが逝去。享年70歳

    ニキ・ラウダが逝去。享年70歳

    3度のF1ワールドチャンピオンであるニキ・ラウダが享年70歳で亡くなった。

    ニキ・ラウダは、メルセデスF1の非常勤取締役としてチーム運営の役割を果たしてきたが、昨年8月、肺の深刻な疾患を抱え、肺移植の手術を受けた。2ヵ月の入院とリハビリを実施したことで残りのシーズンはF1バドックに姿を見せることはできなかった。

    その後、病院でのリハビリを経て、イビザの自宅で静養していたニキ・ラウダだが、インフルエンザにかかったことで夏に手術を行ったウィーン総合病院の集中治療室に入院していた。

    最近、健康問題から腎臓透析治療を開始したと報じ入られていたニキ・ラウダだが、5月20日(月)に家族に見守られながら息を引き取ったことが確認された。

    「我々が愛するニキは、月曜日に家族に見守られながら、静かに亡くなりました」とニキ・ラウダの家族は声明を発表。

    「アスリートとして、そして実業家として、彼が達成した業績は忘れ難いものです。彼の疲れを知らない行動への熱意、率直さ勇気は、記憶の中に残こっていきます。「彼は、我々全員の模範であり、目標でした。プライベートでは、彼は愛と思いやりにあふれた夫であり、父親であり、祖父でした」

    1975年にフェラーリで初のF1ワールドチャンピオンを獲得したニキ・ラウダは、1976年にニュルブルクリンクで開催されたドイツGPでのクラッシュでマシンが炎上。頭部に大火傷を負い、FRP製のボディーワークが燃えて発生した有毒ガスを吸い込んだため、肺に深刻なダメージを受け、生死の境をさ迷った。しかし、事故発生から6週間後のF1イタリアGPで奇跡のレース復帰を果たし、4位入賞を果たした。その年は1ポイント差でタイトルを逃したものの、翌1977年に2度目のタイトルを獲得。1984年にはマクラーレンで3度目のF1ワールドチャンピオンを獲得している。

    1976年のジェームス・ハントとのライバル関係は「ラッシュ/プライドと友情」で映画化されている。

  • レッドブル 「ニキ・ラウダ不在はメルセデスにとって痛手」

    レッドブル 「ニキ・ラウダ不在はメルセデスにとって痛手」

    レッドブルのF1チーム代表クリスチャン・ホーナーは、新シーズンが開始されれば、メルセデスはニキ・ラウダの不在を感じることになるだろうと考えている。

    メルセデスF1チームの非常勤会長を務めるニキ・ラウダは、昨年肺移植を受けた後、オーストラリアでの開幕戦までパドックに戻ることを望んでいた。しかし、冬の間にインフルエンザにかかって予防措置として集中治療室に戻っことで回復が遅れ、復帰時期は未定となっている。

    「外側から見ていると、ニキの不在を感じられる」とクリスチャン・ホーナーは Daily Mail にコメント。

    「タイトル争いがさらに拮抗すれば、さらにニキがいないことを感じるだろう。彼はトト(ヴォルフ)が寄りかかるための松葉杖としてそこにいた」

    「当面の間、ニキが直接関与することがない場合、チームは弱くなるだろう」

    クリスチャン・ホーナーは、バーニー・エクレストンの不在も寂しく思っていると語る。

    クリスチャン・ホーナーは、リバティ・メディアはF1をいくらか進歩させたが、バーニー・エクレストンがF1を支配していた頃の厳しい規律が失われていると感じている。

    「チェイスはブレグジットのメイ首相と同じような仕事をしている。全員にフィットする取引などないだろう。そして時計は刻々と過ぎている」とクリスチャン・ホーナーは語る。

    「バーニーは独裁者だった。ある意味でそれはこのスポーツが必要とするものだ」

    「皆さんは彼のことを知らない。いつか彼はスポーツを買い戻すだろう。彼はまだ健在だ。チーム、プロモーター、政府の近くにいる」

    「リバティは彼が苦手だった分野 – 将来の技術とデジタルメディア – に対処した」

    「しかし、契約交渉という点では、バーナード・チャールズより優れた人物はいない」

  • ニキ・ラウダ、インフルエンザから回復して退院

    ニキ・ラウダ、インフルエンザから回復して退院

    ニキ・ラウダは、インフルエンザから回復し、入院していたウィーンのAKH病院から退院した。

    元F1ワールドチャンピオンでメルセデスの非常勤取締役を務めるニキ・ラウダは、昨年の夏に肺移植手術を受けてイビザの自宅で休養していたが、年明けにインフルエンザに感染。

    免疫と肺機能が低下していたことで、医師は最大の注意を払って治療するために再びウィーンの病院に搬送することを決定し、集中治療室で治療を受けていた入院していた。

    AHK病院の胸部部門の責任者を務めるウォルター・クレペトコ教授は、ニキ・ラウダがインフルエンザから回復して退院したことを AFP通信 に伝えた。

    ウォルター・クレペトコによると、インフルエンザによってニキ・ラウダの容体が危険に晒されたわけではなく、人工呼吸も必要とされなかった説明。集中治療室に入れられた理由は、低下していた免疫機能を監視する必要があったからだと述べた。

    昨年、ニキ・ラウダは、2019年の開幕戦F1オーストラリアGPまでにパドックに戻りたいと語っていた。

    「1月の終わりには歩行器を捨てているだろう」とニキ・ラウダはコメント。

    「肺は完全に機能しているが、5ヵ月間ベットに寝ていたので、一番の問題は筋肉だ。今やらなければならないことは筋肉を強くすることだけだ」

    「気分はいいし、以前ほど多くの薬は飲んでいない。日常生活は以前と同じではないが、毎日、2人のフィジコと一緒に進歩を遂げている」

    「自宅の前のテニスコートを使用している。再び正しく歩く方法を学ぶためにいは平らな面が必要だからね。医師におると、完全に回復するとのことだ」

    ニキ・ラウダは、1976年にニュルブルクリンクで開催されたF1ドイツGPで遭遇した恐ろしいクラッシュでマシンが炎上して頭部に大火傷と肺に深刻なダメージを負い、生死の境を迷った。しかし、事故発生から6週間後のF1イタリアGPで奇跡のレース復帰を果たし、4位入賞を果たしている。FRP製のボディーワークが燃えて発生した有毒ガスを吸い込んだため、1997年と2005年に腎臓移植を受けている。

  • ニキ・ラウダ、肺移植手術後にインフルエンザで集中治療室に再入院

    ニキ・ラウダ、肺移植手術後にインフルエンザで集中治療室に再入院

    肺移植手術を受けたニキ・ラウダが、インフルエンザにかかって再び集中治療室に入ったとオーストリアのメディアが報じた。

    3度のF1ワールドチャンピオンであり、メルセデスF1の非常勤取締役としてチーム運営の役割を果たしてきたニキ・ラウダ(69歳)は、昨年8月に肺の深刻な疾患を抱えて肺移植の手術を受けた。2ヵ月の入院とリハビリを実施したことで残りのシーズンはF1バドックに姿を見せることはできなかった。

    その後、病院でのリハビリを経て、イビザの自宅で静養していたニキ・ラウダだが、インフルエンザにかかったことで夏に手術を行ったウィーン総合病院の集中治療室に入院することになったと Krone は報道。

    肺移植を行ったことで医師は慎重な姿勢を崩していないが、ニキ・ラウダの状態は深刻ではなく、1週間程度で退院できる見通しだという。

    昨年、ニキ・ラウダは、2019年の開幕戦F1オーストラリアGPまでにパドックに戻りたいと語っていた。

    「1月の終わりには歩行器を捨てているだろう」とニキ・ラウダはコメント。

    「肺は完全に機能しているが、5ヵ月間ベットに寝ていたので、一番の問題は筋肉だ。今やらなければならないことは筋肉を強くすることだけだ」

    「気分はいいし、以前ほど多くの薬は飲んでいない。日常生活は以前と同じではないが、毎日、2人のフィジコと一緒に進歩を遂げている」

    「自宅の前のテニスコートを使用している。再び正しく歩く方法を学ぶためにいは平らな面が必要だからね。医師におると、完全に回復するとのことだ」

    ニキ・ラウダは、1976年にニュルブルクリンクで開催されたF1ドイツGPで遭遇した恐ろしいクラッシュでマシンが炎上して頭部に大火傷と肺に深刻なダメージを負い、生死の境を迷った。しかし、事故発生から6週間後のF1イタリアGPで奇跡のレース復帰を果たし、4位入賞を果たしている。FRP製のボディーワークが燃えて発生した有毒ガスを吸い込んだため、1997年と2005年に腎臓移植を受けている。

  • ニキ・ラウダ 「2月までに自力で歩けるようにトレーニングしている」

    ニキ・ラウダ 「2月までに自力で歩けるようにトレーニングしている」

    ニキ・ラウダは、昨年中旬の肺移植から順調に回復していると語った。

    3度のF1ワールドチャンピオンであり、メルセデスF1の非常勤取締役としてチーム運営の役割を果たしてきたニキ・ラウダ(69歳)は、昨年8月に肺の深刻な疾患を抱えて肺移植の手術を受けた。2ヵ月の入院とリハビリを実施したことで残りのシーズンはF1バドックに姿を見せることはできなかった。

    ニキ・ラウダは、現在は自宅で過ごしていると Kurier and Osterreich に語った。

    「1月の終わりには歩行器を捨てているだろう」とニキ・ラウダはコメント。

    「肺は完全に機能しているが、5ヵ月間ベットに寝ていたので、一番の問題は筋肉だ。今やらなければならないことは筋肉を強くすることだけだ」

    「気分はいいし、以前ほど多くの薬は飲んでいない。日常生活は以前と同じではないが、毎日、2人のフィジコと一緒に進歩を遂げている」

    「自宅の前のテニスコートを使用している。再び正しく歩く方法を学ぶためにいは平らな面が必要だからね。医師におると、完全に回復するとのことだ」

  • ニキ・ラウダ 「肺移植は1976年のドイツGPでの事故よりも厳しかった」

    ニキ・ラウダ 「肺移植は1976年のドイツGPでの事故よりも厳しかった」

    F1のレジェンドであるニキ・ラウンダは、2019年にメルセデスとともにF1パドックに復帰することを示唆した。

    3度のF1ワールドチャンピオンであり、メルセデスF1の非常勤取締役としてチーム運営の役割を果たしてきたニキ・ラウダ(69歳)は、今年8月に肺の深刻な疾患を抱えて肺移植の手術を受けた。2ヵ月の入院とリハビリを実施したことで残りのシーズンはF1バドックに姿を見せることはできなかった。

    ニキ・ラウダは、肺の移植手術は1976年のF1ドイツGPで遭遇した恐ろしいクラッシュよりもひどい経験だったと語る。ニュルブルクリンクで開催されたレースでクラッシュしたニキ・ラウダは、マシンが炎上して頭部に大火傷と肺に深刻なダメージを負い、生死の境を迷った。しかし、事故発生から6週間後のF1イタリアGPで奇跡のレース復帰を果たし、4位入賞を果たしている。FRP製のボディーワークが燃えて発生した有毒ガスを吸い込んだため、1997年と2005年に腎臓移植を受けている。

    「ドイツで事故に遭ったときに問題だったのはほんの1か月程度だった。火傷を負って焼かれてしまったが、すぐに退院することができた。今回は本当に長かったが、今はここにいる」とニキ・ラウダは Gazzetta dello Sport にコメント。

    「とても厳しいことはわかっていた。そういった状況でできることは一つだ。戦うことだ。怖いと思ったことは一度もない。スペシャリスト達に身を委ねたからね。どんな時でも戦ってきたし、今もそうしている」

    また、ニキ・ラウダは、入院中にセバスチャン・ベッテルから届いた直筆の手紙に感銘を受けたと明かした。

    「セバスチャンが送ってくれた手紙は本当にうれしかった。彼自身の手で書いてくれた前向きな言葉と愛情のある思いやりに満ちた手紙だった」とニキ・ラウダは語る。

    「手紙をもらえるなんて考えてもいなかった。ドライバーというのは運転するだけで、通常そういったことはしないからね。彼は人として素晴らしい」

    セバスチャン・ベッテルは、2018年に強力なスタートを切り、前半戦はチャンピオンシップをリードしていた。しかし、中盤以降はフェラーリとベッテルのミスが重なったことにより、最終的にルイス・ハミルトンにタイトル連覇を許している。イタリアメディアは、セバスチャン・ベッテルがフェラーリのドライバーとしての適性に疑問を呈しが、ニコ・ラウダはそのような見方は“馬鹿げている”と語る。
    「彼は落胆しているだろうし、我々もそれはわかっている。だが、疑問を呈するなど馬鹿げている」とニキ・ラウダはコメント。

    「彼は調子を取り戻すだろう。チャンピオンがドライビングを忘れるようなことはない。彼はこれまでのように強くなって戻ってくるだろうし、2019年もハミルトンのライバルであるはずだ」

    それでも、ニキ・ラウダは、今年のルイス・ハミルトンには本当に感銘を受けたと語る。

    「彼は見事だった。フェラーリはしばしば我々よりも優れていたので、彼にとって最も勝つのが難しいチャンピオンシップだった。だが、彼はひとつのミスも起こさなかった」

    ニキ・ラウダは、ルイス・ハミルトンとセバスチャン・ベッテルのタイトル争いをテレビで見るために早く回復することを目標としていたと語る。

    「一つのGPも見逃さなかった。週末にはガレージに電話をかけた。彼らは何が起きているのかいつも私に話してくれた。みんなとコースサイドにいるような感覚だった。長年一緒に働いてきた人たちの暖かさを再発見したと言うべきだろう。いいやつばかりでみんな心配してくれた」

    ニキ・ラウダは、2019年にメルセデスとともにF1パドックに復帰することを目指していると語る。

    イビザで休養しているニキ・ラウダは「ここの空気は綺麗だし、気候もオーストリアほど悪くはない」とコメント。

    「2日前まで入院していた。そのあと自宅に戻ることを許可され、イビザの自宅へと移動した。愛情深い素晴らしい家族と一緒にクリスマスを過ごすつもりだ」

    「医師からは1カ月で完全に健康になり、再び通常の生活に戻ることができる言われている。以前のようにレースにいくつもりだ。そうしない理由はない」