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  • ニキ・ラウダ大事故から50年 エンツォ・フェラーリも驚いた42日後の復帰

    ニキ・ラウダ大事故から50年 エンツォ・フェラーリも驚いた42日後の復帰

    1976年8月1日、F1史上最も衝撃的な事故のひとつとなったニキ・ラウダのニュルブルクリンク事故から50年を迎えた。

    炎に包まれたフェラーリ312T2から奇跡的に救出されたラウダは、生死の境をさまよいながらもわずか42日後にF1へ復帰。その驚異的な復活劇は現在もモータースポーツ史に残る伝説として語り継がれている。

    危険すぎたニュルブルクリンクとラウダの警鐘
    1976年当時、ニュルブルクリンク北コース(ノルドシュライフェ)は全長22.8kmを誇り、高速コーナーや激しい高低差、ブラインド区間が連続する世界屈指の難コースだった。

    一方で、安全設備は現代の基準から見れば極めて不十分だった。コースが長大すぎるため、事故が発生してもマーシャルや救急隊が迅速に現場へ到着することは困難だった。

    当時GPDA(グランプリ・ドライバーズ・アソシエーション)の会長を務めていたラウダは、その危険性を誰よりも理解していた。

    決勝当日の朝、ラウダはドライバーたちを集め、レース中止を提案した。

    レース直前には雨が降ったものの、コース全体ではなく一部だけが濡れている難しいコンディションとなっていた。22kmを超えるコースでは場所によって路面状況が大きく異なり、ラウダは重大事故につながる危険性を強く懸念していた。

    しかし、選手権首位だったラウダに有利な提案だと受け止めるドライバーも多く、最終的な投票ではレース開催が支持された。

    ラウダはその決定を受け入れ、ジェームス・ハントと並ぶフロントローから決勝へ臨んだ。

    炎に包まれたフェラーリ
    決勝は大半のドライバーがレインタイヤでスタートしたが、1周目終了時には路面の乾燥が急速に進み、多くのマシンがスリックタイヤへ交換した。

    ラウダもピットインし、冷えたスリックタイヤで再びコースへ戻った。

    しかし2周目、ベルクヴェルク手前の高速左コーナーでフェラーリ312T2が突然コントロールを失う。

    原因はリアサスペンションのトラブルとする説が有力だが、正式に断定されたことはない。冷えたタイヤと乾き切っていない路面も事故の一因だったと考えられている。

    マシンはガードレールへ激突した後、コース中央へ跳ね返され、燃料タンクが破損して激しく炎上した。

    命を救ったドライバーたち
    衝撃でラウダのヘルメットは脱げ、コクピットは瞬く間に炎に包まれた。

    すぐ後方を走っていたブレット・ランガーやハラルド・アートルは炎上するマシンへ衝突。ガイ・エドワーズは接触を避けてマシンを止め、救助へ向かった。

    そして最も大きな役割を果たしたのがアルトゥーロ・メルツァリオだった。

    メルツァリオは迷うことなく炎上するフェラーリへ駆け寄り、自ら炎の中へ飛び込んでシートベルトを外し、ラウダをコクピットから引きずり出した。この救助でメルツァリオ自身も両手に火傷を負っている。

    ラウダは約1分間にわたって炎と煙にさらされ、顔や頭部に重度の火傷を負った。右耳の一部を失い、まつ毛や眉毛、まぶたにも深刻な損傷を受けた。

    さらに命を脅かしたのは、高温の有毒ガスを吸い込んだことによる肺へのダメージだった。

    病院へ搬送されたラウダは危篤状態となり、昏睡状態に陥ると司祭から終油の秘跡(最後の秘跡)を授けられた。医師たちも生存を確信できないほど深刻な状態だったという。

    一方、レースは再開され、ジェームス・ハントが優勝。ジョディ・シェクター、ヨッヘン・マスが続いた。

    ニキ・ラウダ

    エンツォ・フェラーリが動かした後任探し
    当時、多くの関係者はラウダが二度とF1へ戻ることはないと考えていた。

    そのためフェラーリ創設者エンツォ・フェラーリは、チームマネージャーだったダニエーレ・アウデットにラウダの後任探しを指示したと伝えられている。

    現地で事故を取材していたジャーナリスト、レオ・トゥッリーニによれば、エンツォは「未来を見据える」立場からすぐに代役の確保へ動いたという。

    アウデットはまずエマーソン・フィッティパルディへオファーを出したものの断られ、その後アルゼンチン人ドライバーのカルロス・ロイテマンとの契約をまとめた。

    この判断は、ラウダの生存すら危ぶまれていた状況で後任探しを始めたとして、当時のパドックで物議を醸した。

    誰も予想しなかった42日後の復帰
    しかし、誰も想像していなかった出来事が起こる。

    事故からわずか42日後の1976年9月12日、ラウダはフェラーリの母国レースであるイタリアGPでF1へ復帰した。

    頭には包帯が巻かれ、傷はまだ癒えていなかった。

    ラウダは後に、この復帰が恐怖に満ちたものだったと明かしている。それでもライバルたちに弱さを見せたくないという思いから、再びマシンへ乗り込んだ。

    あまりにも早い復帰だったため、ロイテマンとの契約を済ませていたフェラーリは、モンツァでラウダ、クレイ・レガツォーニ、ロイテマンの3台体制で参戦することになった。

    これはスクーデリア・フェラーリの歴史でも極めて珍しい出来事となった。

    ラウダは復帰戦で4位入賞を果たし、タイトル争いへ復帰。その年の世界選手権は最終戦日本GPまでもつれ込み、豪雨の富士スピードウェイでラウダが自らの安全を優先してリタイアを選択し、ハントがわずか1ポイント差で初のワールドチャンピオンに輝いた。

    ニュルブルクリンクでの炎上事故と、そこから42日後の奇跡の復帰は、半世紀が経った今もなお、F1史上最も壮絶で感動的な物語のひとつとして語り継がれている。

  • ニキ・ラウダの遺産訴訟が再燃 弁護士「ビルギットは彼の名誉を傷つけてる」

    ニキ・ラウダの遺産訴訟が再燃 弁護士「ビルギットは彼の名誉を傷つけてる」

    F1界の伝説ニキ・ラウダの死後6年を経て、その遺産をめぐる法廷闘争が再燃している。ラウダの弁護士であり親友でもあるハイグ・アーセンバウアー氏が、独紙『Bild』の取材に応じ、未亡人ビルギット・ラウダを公に非難した。

    「私が沈黙を破る主な理由は、ニキの名誉を守るためだ」とアーセンバウアー氏は語った。「彼の死後、ニキ・ラウダに対する最も馬鹿げた中傷が広まっており、彼がそんな扱いを受ける筋合いはない。本人が反論できない今、我々が真実を明らかにする義務がある」

    ラウダは2019年に亡くなり、遺産は細かく整理された「ラウダ・プライベート財団(PSL)」を通じて家族に分配されるよう設計されていた。遺族には、ビルギットと双子のミアとマックス、そして前妻マルレーネ・クナウスとの間の2人の息子が含まれる。

    しかし『Bild』によると、ビルギットは夫の死から1年後に法的手続きを開始し、遺産分配と年金給付に関する取り決めを不服として提訴。総額3,000万ユーロ(約50億円)規模の訴訟を起こし、「財団の規定により不当に扱われた」と主張している。

    これに対しアーセンバウアー氏は、ビルギットや双子が排除されたという主張を全面的に否定した。「実際のところ、ニキはミアとマックスに、他の家族よりも多くの資産が渡るよう明確に指示していた」と語り、「財団はすでに3,000万ユーロ以上の現金・現物を家族に分配しており、その半分はビルギットと子どもたちが受け取っている」と明かした。

    なお、ビルギットが起こした2件の訴訟のうち、850万ユーロ(約14億円)規模の1件はすでに棄却され、現在控訴中。残る2,200万ユーロ(約36億円)の訴訟は審理が続いている。

    アーセンバウアー氏は「ビルギットの行動は、結果的に彼女自身の子どもたちを傷つけている」と警告。「彼女が争っている資金は、もともと子どもたちの将来のために財団内に残されるはずのものだ」と語った。

    遺産訴訟の背景と影響
    ラウダの死後、PSL財団はF1関連資産を含む多額の遺産を慎重に運用しており、遺族間の分配も事前に合意されたものとみられていた。しかし今回の訴訟再燃によって、財団の運営方針やラウダの遺志そのものに疑念が向けられている。

    アーセンバウアー氏が「名誉を守るため」としてメディアに口を開いたのは極めて異例であり、ラウダ家内部の対立が表面化した形だ。F1界では、晩年までチーム経営に携わったラウダの「冷静な判断力」と「誠実さ」を称える声が多く、今回の一連の報道はそのイメージに影を落とすものとなっている。

    ビルギット側はコメントを控えており、訴訟は今後も続く見通しだ。

  • ルイス・ハミルトン F1イタリアGPでニキ・ラウダ追悼ヘルメットを着用

    ルイス・ハミルトン F1イタリアGPでニキ・ラウダ追悼ヘルメットを着用

    7度のワールドチャンピオンであるルイス・ハミルトンは、フェラーリ・ドライバーとして迎える初のイタリアGPにおいて、伝説のF1ドライバー、ニキ・ラウダに敬意を表した特別なヘルメットを着用することを明らかにした。

    ハミルトンは、ラウダの名前が刻まれた黄色と白のヘルメットをかぶり、モンツァでフェラーリの一員として初めて競技に臨む。これは、メルセデスからの大移籍で今季フェラーリに加入して以来、彼が初めて採用する特別デザインのヘルメットとなる。

    フェラーリは、今週末のモンツァで開催されるイタリアGPにおいて、ラウダの初タイトル獲得から50周年を記念する。伝説的な312Tを想起させる特別カラーリングを披露しており、ハミルトンとシャルル・ルクレールは青と白のチームウェアやレトロ調のレーシングスーツを着用して臨む予定だ。

    ハミルトンにとっても特別な週末となる。彼はメルセデス時代、ラウダと密接に協力し数々のタイトルを獲得した。2019年に亡くなるまで、ラウダはメルセデスの非常勤会長として在籍しており、2012年末にマクラーレンからメルセデスへと移籍する際に大きな役割を果たしたのもラウダだった。

    ルイス・ハミルトン(スクーデリア・フェラーリ) ニキ・ラウダ F1 イタリアGPハミルトンのヘルメットデザインにはラウダの名前が刻まれている

    ハミルトンが語ったラウダへの思い
    ハミルトンは2020年にラウダについて次のように語っている。

    「ニキは僕が恋しく思う存在であり、僕たちみんなが深く恋しく思っている人だ。とても大切な人について話すのは難しいことだ。世界が失った存在であり、僕にはニキとの最高の思い出しかない」

    「最も印象に残っているのは最初の会話だ。2012年のある時期に僕たちは話し始めた。僕が自宅にいるときにニキから電話がかかってきて、チームに来るよう説得されたことを覚えている。ワールドチャンピオンでありアイコンのニキから直接電話を受けるなんて、とてもクールなことだった」

    「彼は常に前向きで、面白くて、楽しい人だった。素晴らしい話をいくつもしてくれた。生まれながらのレーサーで、常に改善の方法を考えていた。ニキが帽子を取るのは、君はよくやった、という合図だった」

    「僕たちはレース後によく話した。『ルイス、もっと良くなるために何が必要だ?何が欲しい?』と彼はいつも尋ねてくれた。彼は常に追求していた」

    「そこから僕が学んだことがあるとすればそれだ。ドライバーとして、そしてチームの中で共に働くのは当然のことだが、自分がリードしなければならない。チームを導き、問いかけ、掘り下げ、みんなを前に進ませなければならない」

    「僕はその機会に感謝しているし、ニキを永遠に愛している。僕たちが戦うたびに、ニキは精神的に一緒にいると分かっている」

    フェラーリ、重要な週末へ
    フェラーリは、前戦オランダGPでハミルトンとルクレールが共にクラッシュでリタイアした厳しい状況の中でホームレースに臨む。

    さらにハミルトンは、ザントフォールトの決勝前にダブルイエローで減速しなかったため、5グリッド降格のペナルティを科されており、モンツァでの初戦を6番手以上でスタートすることはできない。

    ルクレールは昨年のイタリアGPで勝利を飾ったが、フェラーリは2025年シーズンいまだ未勝利。ルクレールはこれまでに5回の表彰台を獲得し、最高位はモナコでの2位だが、ハミルトンはフェラーリ加入から15戦を終えてなお、表彰台には届いていない。

  • ニキ・ラウダが1976年F1ドイツGPで着用のヘルメットがオークションに出品

    ニキ・ラウダが1976年F1ドイツGPで着用のヘルメットがオークションに出品

    ニキ・ラウダが、1976年F1ドイツGPでクラッシュした際に着用していたヘルメットが、来月開催されるF1マイアミGPで初めてオークションに出品されることになった。

    3度のF1ワールドチャンピオンであるニキ・ラウダは、ニュルブルクリンクでバリアに正面衝突した際にヘルメットが頭から脱げたおのの、一命を取り留めたが、その後、彼の大破したフェラーリ312T2にブレット・ランガーのサーティースに衝突した。

    2周目のベルグヴェルクでクラッシュしたラウダは、4人の同僚ドライバーに助けられ、燃えさかるマシンから引きずり出された。

    レース前、ラウダは、14.2マイルのノルドシュライフェ・コースの安全基準の低さ、医師やドクターヘリの不足、レース当日の雨天予報を理由に、ドライバーのボイコットを手配しようとした。しかし、彼は1票差でこれを達成できなかった。

    重度の火傷と呼吸器障害を負いながらも、ラウダは事故からわずか40日後のイタリアGPでレースに復帰。予選5位、52周のレースを4位で終えた。

    このヘルメットは5月4日(土)に開催されるマイアミGPでボナムズ・カーズ・オートモビリア部門によってオークションにかけられ、収益の一部はラウダ・ファミリーが選んだ慈善団体ユニセフに寄付される。

    ラウダは3つの航空会社を経営し、フェラーリ、ジャガー、メルセデスを含む複数のF1チームを管理した後、2019年に亡くなった。

    ニキの息子であるルーカス・ラウダは、家族を代表して「父の遺産が、最も困っている人々に援助と支援を提供し続けていることを嬉しく思います」と語った。

    「ユニセフが世界中の子どもたちに人道支援を提供するために直面している課題は非常に大きい。もし私たちが、他の人たちの機会を向上させることに少しでも貢献できるのであれば、それは喜ばしいことです」
    ニキ・ラウダ 1976年F1ドイツGP ヘルメット
    1976年以来、このヘルメットは著名な自動車やF1の記念品コレクションに非公開に保管されてきた。このヘルメットは、レースの週末にマイアミ・インターナショナル・オートドロームで開催されるボナムズ・カーズのプレビュー・テントに展示される。

    ボーナムズ・カーズの自動車スペシャリスト、ジェームス・ガーギロ氏は「ドライバーとして、またドライバーの安全を守るチャンピオンとしてのニキ・ラウダの遺産の証として、この歴史的に重要なヘルメットをご紹介できることを光栄に思います」と語った。

    「彼の不屈の決意と純粋な勇気は、レースの歴史の軌道を変えました。」

    英雄的なカムバックにもかかわらず、ラウダは1976年にジェームス・ハントに世界タイトルを奪われた。その物語はロン・ハワード監督の2013年の映画『ラッシュ』で再び語られた。

    ラウダは1977年にフェラーリで2度目のタイトルを獲得し、1984年にはマクラーレンで3度目のタイトルを獲得した。

    オークションは5月4日、マイアミ・インターナショナル・オートドロームの南側にあるポディウム前のサーキットで、招待客やボナムズ・カーズの顧客、自動車コレクターを対象に開催される。

    約25台のコレクターカーがオークションのためにサーキットに乗り入れ、週末にはマイアミ・キャンパス周辺に展示され、レースを観戦するファンの目を楽しませる。

    その他、ジル・ビルヌーブ、ミハエル・シューマッハ、ナイジェル・マンセル、アラン・プロスト、ジャン・アレジ、ゲルハルト・ベルガー、エディ・アーバインらがレースで着用したF1ヘルメットもオークションにかけられる。

  • メルセデスF1代表、チームの苦境に「ニキ・ラウダの不在を改めて実感」

    メルセデスF1代表、チームの苦境に「ニキ・ラウダの不在を改めて実感」

    メルセデスF1のチーム代表を務めるトト・ヴォルフは、チームが現在のパフォーマンス問題を解決し、勝利への道を取り戻そうとしている中、メルセデス陣営にニキ・ラウダがいないことを実感していると語った。

    ラウダは2012年に非常勤会長としてメルセデスに参加し、7年連続のドライバーズタイトルと8年連続のコンストラクターズタイトルをもたらしたターボハイブリッド時代の圧倒的なスタートの基礎を築き上げることに貢献した。

    パドックやメルセデスのガレージにしばしば姿を現したオーストリアの伝説的レーサーは、2019年に70歳で他界し、チーム代表のヴォルフは当時、チームが「導きな光を失った」と述べている。

    ラウダの影響力について、また、現在のメルセデスのトリッキーな状況の中で、助言の源としてラウダをどれほど失っているのかについて尋ねられたヴォルフは「ニキは常に物事を単純化して、本当に重要なことを教えてくれた」と語った。

    ニキ・ラウダ メルセデスAMG・ペトロナス・モータースポーツ F1ラウダは、2012年にチームに加わった後、メルセデスの重要人物でした

    「私は『彼なら何を言ったか、どう物事を位置づけていた』ということを考えなければならない。単純化しすぎると結果に直結してしまうことがあるという意味で、2人の相性は抜群だった」

    「でも、ニュアンスはいろいろあるんです。これはテクニカルなスポーツであり、私の役割は、それをクルマの設計に反映させるように翻訳することだったのかもしれない」

    「しかし、これは非常にシンプルなことだ。ストップウォッチは決して嘘をつかないし、我々はデータ上でどこに欠けているのか、それを修正する必要があるのかを見ることができる」

    トト・ヴォルフは、メルセデスがW14の問題を修正する計画の一環としてコンセプトの変更を約束したことを確認し、2023年の残りのキャンペーンでどのような目標を掲げるかを明らかにした。

    「目標。すべてのレースで優勝したいが、それは現実的ではない」

    「目標は、我々が現在得ている理解に基づいて、アップデートと学習の繰り返しながら、多くのパフォーマンス不足を解消することだ。なぜなら、今我々は分かっており、どの方向に進むべきかを決定しているからだ」」

  • メルセデスF1代表 「この6回目のタイトルはニキ・ラウダに捧げる」

    メルセデスF1代表 「この6回目のタイトルはニキ・ラウダに捧げる」

    メルセデスのF1チーム代表を務めるトト・ヴォルフは、6回目のコンストラクターズタイトルを今年初めに亡くなったチームの元エグゼクティブチェアマンであり、3度のF1ワールドチャンピオンであるニキ・ラウダに捧げた。

    F1日本GPではバルテリ・ボッタスが優勝して25ポイント、ルイス・ハミルトンが3位+ファステストラップで16ポイントを獲得。2位のフェラーリとの差を177ポイントとし、残り4戦の最大ポイントである176ポイントを上回ったことでタイトルが確定した。

    「気分がいい。6~7年前にこの旅に出たとき、我々はもっと定期的にレースに勝ち、そしてチャンピオンシップを争いたいと思っていた。6年が経ち、チャンピオンシップ6連覇だ」とトト・ヴォルフは Sky Sports F1 にコメント。

    「関係者全員がとても幸せだと感じている。舞台裏で多くの苦労がありました。痛みを伴う瞬間もたくさんあった。だが、チームはそのたびに自分自身を取り戻すことができた」

    「プレッシャーは大きい。トップで戦っていると言うことができるかもしれないが、自分自身の目標を高く設定し、自分たちへの期待を高めているのが真実だ。そして、それらの期待に合わないことは非常につらいものだ」

    「このチームはとても強くなった。今朝のようにうまくいかなかったときも立ち上がることができた。そして、それは我々が取り組んでいく必要があるものだ」

    「ブラックリーとブリックスワースのみんながこの偉業のために信じられないほど必死に頑張ってくれた。彼らには感謝してもし足りない。また、常に我々の味方でいてくれたダイムラーおよびペトロナスの継続的なサポートなくして達成することはできなかった」

    「このチャンピオンシップ6勝目はとりわけ特別なものになる。我々はこれをニキ(ラウダ)に捧げる。彼は当初から重要な役割を果たし、全員が心底恋しく思っている。私は毎日彼を思い、もう彼がここにいないということをいまだに信じられずにいる。私は今でも『ニキならどう言うだろう、ニキならどう思うだろう?』と考え続けている」

    「今日はおそらく『6勝目はめでたいが、来年のチャレンジが待っているぞ』と言われるのではないだろうか。これは、我々が決して現状に甘んじることがないようにする彼なりのやり方だ」

    「今日は気持ちの上でジェットコースターのようだった。今朝は予選で十分な速さが出せずにがっかりしたが、今はレースに勝ち、両選手権を制した。まだ完全に実感できていないがね」

  • F1 | レッドブル・リンク、1コーナーを“ニキ・ラウダ・カーブ”に改名

    F1 | レッドブル・リンク、1コーナーを“ニキ・ラウダ・カーブ”に改名

    F1オーストリアGPを主催するレッドブル・リンクは、故ニコ・ラウダを記念して1コーナーの名称を“ニキ・ラウダ・カーブ( Niki Lauda Kurve)”に改名した。

    F1オーストリアGPは2014年にカレンダーに復活。舞台となるレッドブル・リンクは、その名の通り、レッドブルが所有するサーキット。かつてオステルライヒリンク、A1リンクとしてグランプリを開催していたサーキットをレッドブルが改修した。

    ニキ・ラウダは、3度目のF1ワールドチャンピオンを獲得した1984年にオステルライヒリンクで優勝している。

    ニキ・ラウダは、メルセデスの非常勤取締役を務めていたが、今年5月に病気によってこの世を去った。

    レッドブルは日曜日の朝に「レッドブルの恒久的な部分としてターン1はずっとニキ・ラウダ・カーブとして知られるようになる」と発表。「チャンピオン、伝説、そして友人へのふさわしい賛辞だ」

    ニキ・ラウダへのオマージュは、F1オーストリアGPの週末を通して捧げられている。サーキットの下の通路にはニキ・ラウダの人生を祝う写真が飾られている。

    また、パドックには1975年から1977年にかけてニキ・ラウダがドライブしたフェラーリ312 T4が展示されている。

  • メルセデスF1、ニキ・ラウダの後任人事は未定

    メルセデスF1、ニキ・ラウダの後任人事は未定

    メルセデスF1チームは、ニキ・ラウダがこれまで果たしてきた役割の後任人事をまだ決定していない。

    3度のF1ワールドチャンピオンであるニキ・ラウダは、先月20日に70歳でこの世を去った。ニキ・ラウダはメルセデスF1チームの株式を保有しており、非常勤取締役としてチームの監査委員会の会長を務めていた。

    ニキ・ラウダの長年の友人であるバーニー・エクレストンは、メルセデスはラウダを失ったことで苦しくことになるかもしれないと語る。

    「ニキは常にF1がなぜそれほど重要かを上司に納得させていた」とバーニー・エクレストンは Auto Bild にコメント。

    「彼らは彼に耳を傾け、常に成功するために必要なお金を彼に与えていた」

    ニキ・ラウダの死後、メルセデスの親会社であるダイムラーは少なくとも2025年までF1にコミットしていると語ったと報じられている。

    しかし、来年以降の新しいコンコルド協定をリバティ・メディアと合意しているチームはまだない。

    ダイムラーの広報担当は「F1はメルセデス・ベンツの戦略において重要な構成要素です」とコメント。

    「我々の最大のグローバルマーケティングプラットフォームであり、将来のテクノロジーの研究開発のためのテストラボ、そして、今位置のメルセデス・ベンツという会社を形成している価値と文化の証明でもあります」

    しかし、ニキ・ラウダの後継者についてはまだ決定していない。

    「我々は友人、メンター、彼が形作ってきたチームのガイドスターを失いました。やがて我々は監査役委員の新しい会長を任命するために必要な措置を取ることになるでしょう。しかし、ニキは代わりのいない存在です」

  • セバスチャン・ベッテル、ニキ・ラウダの葬儀を諸事情で欠席

    セバスチャン・ベッテル、ニキ・ラウダの葬儀を諸事情で欠席

    セバスチャン・ベッテルは、先週ウィーンで開催されたニキ・ラウダの葬儀を欠席した。

    セバスチャン・ベッテルは、F1モナコGPで故ニキ・ラウダへのオマージュとして赤いヘルメットを着用して2位表彰台を獲得。レース後、セバスチャン・ベッテルは「彼はいつも周りにいてくれると思う。彼がいないことを寂しく思うだろう。彼は顔もアイコンだったし、今後もそれはかわらない。僕の想いは彼の家族、そして、彼とともにある」と語っていた。

    しかし、5月29日(水)にオーストリアのシュテファン大聖堂で営まれたニキ・ラウダの葬儀には、ルイス・ハミルトン、トト・ヴォルフ、アラン・プロストといったF1界から多くの関係者が参列したが、そこにセバスチャン・ベッテルの姿はなかった。

    セバスチャン・ベッテルはそのころマラネロにいた。フェラーリの新しいPHEVモデル『SF90ストラダーレ』の発表イベントに参加していた。

    イベントでは、1975年と1977年にフェラーリでF1ワールドチャンピオンを獲得したニキ・ラウダに敬意を表して黙祷が捧げられた。

  • ミカ・ハッキネン 「ハミルトンの勝利はニキ・ラウダそのものだった」

    ミカ・ハッキネン 「ハミルトンの勝利はニキ・ラウダそのものだった」

    ミカ・ハッキネンは、F1モナコGPでのルイス・ハミルトンの77回目の勝利はまさにニキ・ラウダのスタイルそのものだったと語る。

    F1モナコGPで、ルイス・ハミルトンはレース終盤に終わりかけているミディアムタイヤで、マックス・フェルスタッペンの猛追を抑えて勝利を手にした。

    レース後、ルイス・ハミルトンは、亡くなったニキ・ラウダのスピリッツに誘発されて戦っていたと述べていた。

    「最後のF1での勝利となった1988年のオランダGPで、ニキ・ラウダはコーナーごとに防御できる位置にマシンを置き、マクラーレンのチームメイトであるアラン・プロストを抑えなければならなかった。そして、高速セクションでは十分なスピードを確実に出していた」とミカ・ハッキネンは Unibet のコラムで語った。

    「それはまさにマックスを抑えるためにルイスがやらなければならなかったことだ」

    「まさにニキ・ラウダのスタイルだった。彼はまさに必要なことを行ない、フェルスタッペンを阻止するためにコースの中央を走行していた。そしてストレートとフェアモントホテル下のトンネルというコース上で最も速い2カ所では確実に加速していた」

    「成熟したドライビングだった。ハミルトンが本気で戦わなければならないレースだった」

    ミカ・ハッキネンは、ルイス・ハミルトンのマックス・フェルスタッペンに対する完璧な防御的なドライビングに感銘を受けた一方で、マックス・フェルスタッペンの走りにも驚かされたと語る。

    「レース最後の20周で背後で3番手にいたセバスチャンがいるなかで、マックスがルイスをハードにプッシュしているかを見るのは素晴らしかった。明らかに何が起こるのかを見守っていた!」

    「マックスは本当に全開でプッシュしていた。シケインでオーバーテイクを仕掛けるタイミングは少し遅かったが、ルイスをオーバーテイクしようとしたのは良かったと思う」

    「観客を楽しませ続けたが、最終的には常にルイスが前に居続けることになった」