カテゴリー: F1関連

  • シトロエン、WTCC参戦マシン『C-エリーゼ WTCC』を発表

    シトロエン、WTCC参戦マシン『C-エリーゼ WTCC』を発表

    シトロエンは、2014年にセバスチャン・ローブとWTCCを戦うマシン『C-エリーゼ WTCC』を発表した。

    380馬力を発生する前輪駆動のC-エリーゼ WTCCは、シトロエンがサーキットでのレースのために生産する最初のマシンとなる。またWTCCの2014年レギュレーションに従って生産された最初のクルマとなる。

    C-エリーゼ WTCCは、WRCカーのDS3と同じ1.6リッターエンジンを搭載する。

    昨年9月、シトロエンはC-エリーゼの市販車バージョンを発表したばかりだが、WTCCで使用する明確な選択肢だと述べていた。

    「C-エリーゼをWTCCカーのベースに選んだことは、商業開発を支持するための手段としてレースを使うという我々の決意を非常に明白に反映している」とシトロエンのフレデリック・バンゼCEOは述べた。

    「厳しい技術的な側面により、3ボックスサルーン・ボディを選択することは、空力面で理想的だった」とシトロエン・レーシングのテクニカルディレクターを務めるザビエル・メステラン・ピノンは述べた。

    「その側面以外でも、我々はかなり容易に様々なコンポーネントをインストールすることができた」

    「これが我々の初めてのトラックレーシングカーであることに関し、我々は自分たちのチョイスに関して絶えず自問しなければならなかったが、それは特にこれを刺激的な挑戦にしている」

    シトロエンは、セバスチャン・ローブを2014年のドライバーとして起用することを発表しているが、3台体制で参戦する可能性があり、まだ彼のチームメイトについては決定していない。

    シトロエン・レーシングのチーム代表イヴ・マットンは、イヴァン・ミューラー、ロブ・ハフ、アラン・メニュが有力候補だと認めており、ロバート・クビサが限られたプログラムで参戦することを望むと述べている。

    シトロエン C-エリーゼ Citroen C-elysee WTCC

  • ベントレー、2016年にSUVを発売

    ベントレー、2016年にSUVを発売

    ベントレーは、SUVの量産計画が承認され、2016年に市販すると発表した。価格は約18万ユーロ(2370万円)になる見込み。

    ベントレーは、主に新型SUVの開発&生産にむけて英国クルーの本社工場に8億ポンド(約1225億円)以上を投資。2012年3月のジュネーブモーターショーで初公開されたコンセプトカー「EXP 9 F」を市販化する。

    EXP 9 Fは、ベントレーのアイデンティティのグリルに『ミュルザンヌ』を思わせる丸型ヘッドライトを組み合わせたエクステリアが特徴的。室内は、前席2名、後席2名の大人4名がけを基本に後席中央を補助席的に使う「4+1」のコンセプトを採用。ソフトタッチレザーやウッド、アルミなどの素材を使用した上質な空間に仕上げられた。

    エンジンには、最大出力は600psを発生する6.0リッター W12気筒ツインターボエンジを搭載。トランスミッションは8速ATで駆動方式は4WDが採用されていた。

    ベントレーが属するフォルクスワーゲングループのマルティン・ヴィンターコルン会長は「英国は競争力のある生産拠点。世界中のベントレーのファンがSUVを待望している」と述べた。

    ベントレー SUV Bentley SUV 画像 画像

  • 「頭文字D」が最終回&2014年に劇場版公開

    「頭文字D」が最終回&2014年に劇場版公開

    「頭文字D」が、7月29日(月)発売の「週刊ヤングマガジン」で18年にわたる連載の最終回を迎えることが発表された。同時に原作最後のバトル『頭文字D Final Stage』が制作され、新劇場版「頭文字D」が2014年夏に公開することも決定した。

    頭文字Dは、1995年から「週刊ヤングマガジン」で連載され、単行本累計発行部数4800万部を誇るしげの秀一原作の人気漫画。主人公の藤原拓海が、豆腐屋を営む父親の愛車“ハチロク”に乗り、“公道最速”を目指すストーリーが人気を呼んでいる。

    最新アニメシリーズ『頭文字D Final Stage』は関東最終戦となる神奈川決戦で、藤原拓海のハチロクと、同じくハチロクを駆る乾信司との“ハチロクvsハチロク”のダウンヒルバトルが描かれる。

    また新劇場版「頭文字D」では、これまでのシリーズとは違った新しい「頭文字D」を目指しているという。

    新劇場版「頭文字D」は、7月26日から7月29日まで渋谷ヒカリエ9階で開催される「ヤングマガジン大アート原画展2013」の頭文字Dコーナーで先行映像がイベント限定で初披露される。

  • ゲーマー出身の日産のレーサー、鈴鹿のテストで手応え

    ゲーマー出身の日産のレーサー、鈴鹿のテストで手応え

    ゲーマー出身の日産のレーサー、ルーカス・オルドネスが、7月19日(金)・20日(土)に鈴鹿サーキットで行われたSUPER GT公式テストに参加。2日目にはクラス5番手タイムをマークし、日本での第一歩を順調に踏み出した。

    ルーカス・オルドネスは、レースゲームプレイヤーの中から現実のレーサーとしての才能を持つ者を発掘することを目的とした「GTアカデミー」というプロジェクトの出身。

    同プロジェクトでは、日産とソニーによるプレイステーション3のレースゲーム「グランツーリスモ5プロローグ」を使った大会が開催され、ルーカス・オルドネスが優勝を果たした。

    日産の新しいプログラムである“ニスモグローバルドライバーエクスチェンジプログラム”のドライバーとなったルーカス・オルドネスは、金曜日に行われた2回にわたるセッションの間にマシンに順応し、土曜日にはロングランを走行。日本屈指の名門コースで、タイムアップを目指したセッティングやタイヤに関してのフィードバックを行った。

    テストが行われた2日間、この鈴鹿には、4週間後に日本のレース界へのデビューを果たすルーカス・オルドネスの姿を一目見ようと多くのファンが押し寄せ、その人気の高さをうかがわせた。

    ルーカス・オルドネス
    「日本で過ごしたこの一週間は、素晴らしい日々でした。数週間の後、1000kmレースで再び日本にやってくる日が待ち切れません。ドライバーとして日本に来ることができるのは、この上ない機会です。鈴鹿でレースに参戦することで学び得られる経験は、信じられないほどの内容です。SUPER GTの競技レベルは非常に高く、とても勉強になるので、日産とニスモのおかげでこの場にいられることを心から誇りに思います。鈴鹿に来ることは、私にとって、夢が叶うようなものなのです」

    長谷見昌弘 (NDDPレーシング・チーム監督)
    「ルーカス(オルドネス)が、経験とスキルを兼ね備えたいい走りをするドライバーであることは知っていましたし、だからこそ彼をこのテストに参加させました。初日、私は彼の走行ラインを見ていたのですが、非常にスムーズなドライビングで感心しました。私がそのことを本人に伝えると、彼はシミュレーターで何度も練習してきたと答えました。まさに、その通りの走りでしたね。全体的には、この2日間の彼の進捗には大変満足しています。ルーカスは、単に速いというドライバーではありません。チームとも、うまく協調しています。与えた指示を正確に実行することができますし、非常に高いレベルで課題をこなしていきます。一方で、自分のペースをうまくコントロールし、タイヤの摩耗管理もできます。あらゆる耐久レースにおいて、極めて重要となる要素です。来月のレースで優勝を目指すために、彼の加入はチームにとっても大変貴重な存在となるでしょう」

    ルーカス・オルドネスはこの後、来週末に行われるスパ24 時間レースの参戦のためベルギーに向かい、ヨーロッパ、米国、中東、オーストラリアへと遠征。その後、8月17日(土)・18日(日)に鈴鹿サーキットで開催される1000kmレースのために、再び来日する。

    日産/ニスモがGT3カスタマーカープログラムを立ち上げた昨年以来、SUPER GTのGT300クラスにエントリーするNISSAN GT-R NISMO GT3の台数は、同シリーズの上位クラス、GT500に参戦するNISSAN GT-Rと同じ4台にまで増加。日本で幅広い人気を誇るこのSUPER GTに参戦する40台のうち、日産勢が20%を占めている

    「ニスモグローバルドライバーエクスチェンジ」は、日産/ニスモから参戦する世界各国のレーシングドライバーに、世界各国でのレースに参戦する機会を与えるプログラム。このルーカス・オルドネスのSUPER GT参戦を皮切りに、様々なドライバー達が、各国が誇る名門レースに参戦する。

  • 井上隆智穂=タキ井上のレーシングキャリア

    井上隆智穂=タキ井上のレーシングキャリア

    元F1ドライバーの井上隆智穂が、自身のモーターレーシングでのキャリアを語った。

    タキ井上こと井上隆智穂は、1985年に富士フレッシュマン・ツーリングカーシリーズでモーターレーシングのキャリアをスタートさせる。

    そして、1987年に井上隆智穂はイギリスに渡ることを決意。スネッタートンのジム・ラッセル・レーシングスクールに入学し、翌年、フォーミュラフォードに参戦した。

    井上隆智穂は渡英は「2段階だった」と当時を振り返る。

    「1988年にフォーミュラフォード1600に参戦するためにイギリスに渡ったが、あれは愚かな決断だった。素晴らしいドライバーがたくさんいたからね」と井上隆智穂は語る。

    「その後、アルゴのF3マシンをテストし、1989年に戻る予定だった。しかし、例によって資金を調達することができなかった」

    「日本のF3でレーシングキャリアを続け、1993年になって初めて再びヨーロッパに戻ることを考え始めた。そして1994年、スーパーノヴァからF3000に参戦した」

    だが、翌シーズンに向けて、スーパーノヴァはブラジル人ドライバーのリカルド・ロセットとすでに契約を交わしており、“高齢でお手上げ状態”の井上隆智穂は自らのレースシート確保を諦めた。

    だが、井上隆智穂の無私の決断と複数のスポンサーの支援が実り、長年の夢であったF1参戦を実現させることになる。

    井上隆智穂は、シムテックのチーム代表ニック・ワースとの話し合いがカタロニア・サーキットでのテストに繋がり、1994年に鈴鹿サーキットでF1日本GPでシムテックからF1デビューを果たした。

    「シムテックのニック・ワースと話をした。バルセロナでのテスト中にタイヤが2〜3セット残っていると言っていたので、クルマに乗った。確か20周、せいぜい30周ほど走行した」

    「日本でのレースについては準備が整っていなかった! でも、あの当時は完璧な状況など存在しなかった。今は多くのテストや開発がドライバーに用意されており、レースに対するアプローチが異なっている。あの時は本物のレースだったと思う」

    F1日本GPで、井上隆智穂は予選で約8秒の差をつけられて最後尾からレースをスタート。そしてわずか3周後に酷い路面コンディションに足をすくわれてピットウォールに激突。井上隆智穂のF1デビューウィークエンドは幕を閉じた。

    アデレードで行われた最終戦では、ドメニコ・スキャッタレーラがステアリングを握り、井上隆智穂はF1残留をかけた戦いを行っていた。

    「とてもラッキーだった」と井上隆智穂は1995年のレースシート確保について述べた

    「ラルースは散々だったし、アロウズは苦戦していた。ジェラール・ラルースと話をした時、彼は『タキ、倒産してしまうからうちには来ないでくれ』と言ったので『わかった。ありがとう』と答えたよ(笑」

    「その後、シムテックと話をしたが、彼らも『来ないでくれ。モナコまでの予算しかなく、それで終わりだ』と言っていた。その時、ロータスも選択肢に入っていた。だが、もうおわかりだろう。彼らも『タキ、来ないでくれ。倒産してしまう』と言っていた。そしてフットワークだけが残った」

    「当時チームにいたジャッキー・オリバーは『歓迎する。問題ない』と言った」

    1995年の井上隆智穂の戦績は、最高位8位、リタイア12回とF1史に残るものではなかったが、彼の存在は2回の“珍事”によって記憶に焼き付けられることになる。

    F1モナコGPでは、井上隆智穂の乗ったクルマがレッカー車に牽引されてピットに戻る際、ジャン・ラニョッティがドライブしていたオフィシャルカーに追突され横転した。井上隆智穂はヘルメットを被っていたため難を逃れることができた。

    その数週間後のF1ハンガリーGPでは、出火したフットワークのクルマを消火器で消火しようとした際にセーフティーカーに撥ねられた。

    「本当に痛かったよ」と井上隆智穂はF1ハンガリーGPでの事故を振り返った。

    「ピットウォールのモニターを見ていたジャッキーは、僕が足を骨折したと思い、僕の替わりとして他のドライバーに声をかけ始めていた」

    「僕はメディカルセンターに運ばれ、彼らは直ちにブダペストの病院に僕を搬送しようとした。その時、新しいヘリコプターがあったので、すぐに病院に搬送されると思っていた。バンクマネージャーが現れ、『これから病院に行く。そこで会おう』と言っていた」

    「しかし、チャーリー・ホワイティングがやってきて『ヘリコプターは使えない。さもなければレースを中断しなければならない』と言った。だから、レースが終わるのを待たなければならなかった!」

    井上隆智穂は、1996年のミナルディのレースシートを確保していたが、スポンサーの撤退により彼のF1キャリアは幕を閉じた。

    2002年、井上隆智穂は、F3000時代にスーパーノヴァ・レーシングでチームメイトだったヴィンセンツォ・ソスピリと“ユーロノヴァ・レーシング」を設立。ジュニア・カテゴリーで若手ドライバーをサポートしている。

    先週は、同チームからAUTO GPに参戦する佐藤公哉がザウバーから若手ドライバーテストに参加。井上隆智穂はヴィンセンツォ・ソスピリとともにシルバーストンを訪れ、佐藤公哉のF1初走行を見守った。

    「心配しないでほしい。クルマの運転の仕方は決して教えない!」

    関連:ユーロノヴァ・レーシング

  • レース・オブ・チャンピオンズ、2013年もタイで開催

    レース・オブ・チャンピオンズ、2013年もタイで開催

    2013年のレース・オブ・チャンピオンズ(RoC)が、昨年に引き続きタイのラジャマンガラ・スタジアムで開催されることになった。

    レース・オブ・チャンピオンズは、F1、WRC、MotoGP、ル・マン、DTM、インディカーなどの各カテゴリーのトップドライバーが参加する個人および国別対抗選手権。今年は、F1シーズンが終了した3週間後の12月14日と15日に開催される。

    「去年のROCは、これまでのタイの最大のモータースポーツイベントでした。大成功でしたし、タイをメジャースポーツイベントで有名にしてくれました」とタイ国スポーツ局のカノックパン・チュラカセム理事は述べた。

    昨年は、ロマン・グロージャンがレース・オブ・チャンピオンズで優勝。ネイションズカップでは、ミハエル・シューマッハとセバスチャン・ベッテルが組むチーム・ドイツが6連覇している。

  • 日産、“ダットサン”ブランド復活第一弾モデルをインドで発表

    日産、“ダットサン”ブランド復活第一弾モデルをインドで発表

    日産は、“ダットサン”ブランド復活第一弾モデルとなる新型車ダットサン「GO」を発表。ダットサン「GO」は、インドで2014年初頭に発売を予定している。

    ダットサン「GO」は、日産が2012年3月に発表した“ダットサンブランドの復活”を実現させたもの。ダットサンは、ニッサン、インフィニティに続く日産自動車の第3のブランドであり、同社の中期経営計画「日産パワー88」において重要な役割を担う。

    ダットサン「GO」のお披露目にあたり、日産の社長であるカルロス・ゴーンは「本日は、日産自動車にとって、そして高成長を続ける市場のお客様とパートナーの皆さんにとって歴史的な日です。ここインドのお客さまにとっては、クルマを購入するという夢の実現に一歩近づくエキサイティングな瞬間となりました。」と述べた。

    5ドア前輪駆動のハッチバック「GO」は、1.2リッターのエンジンに5速マニュアルトランスミッションを組み合わせ、渋滞時にも、最適なレスポンスときびきびとした走りを提供。コンパクトなサイズ(全幅:1,635mm、全高:1,485mm, 全長:3,785mm)でありながら、広い全幅と長いホイールベースにより広々とした室内空間、ゆとりのあるヘッドルームやフロントシートを実現している。「GO」は、乗員5人が快適に過ごすことができ、家族での乗車に最適なクルマとなっている。

    また「GO」は、音楽や写真を車内で楽しみたいお客様には、スマートフォン用のモバイルドッキングステーションという非常に実用的な機能を提供。「GO」は、40万ルピー以下という魅力的な価格となる。その価格帯においては、1ランク上の商品価値を提供する。

    「GO」という車名には、よりハイレベルを目指しているため(’GO further’)、その強い気持ちに応えたいという想いが込められている。

    また、この新しい車名は、約100年前に日本で誕生したダットサンの最初のクルマ「脱兎号(ダットゴウ)」に着想を得ています。当時日本で自動車は、今まで自動車を所有することを夢にも思わなかった人々にモビリティをもたらした。今回復活したダットサンブランドと本日発表されたたダットサン「GO」は、その当時と同じように向上心と信頼性を兼ね備えている。

    ダットサンブランドの責任者であるヴァンサン・コベは、「インドやインドネシア、ロシア、南アフリカのような国で、お客様が初めてクルマの所有を検討するとき、まずその方は、クルマを買うことを夢のように感じます。その夢を実現させるためには、アクセス(入手のしやすさ)が必要であり、ブランドとの一体感がなければいけません。また、このクルマの購入のために、彼らは自分の可処分所得の大半を費やすことから、ブランドと商品に対して全幅の信頼が置けることが重要となります。Dream(夢)、Access (アクセス)、Trust(信頼)は、ダットサンブランドが体現する重要なブランド価値なのです。」と述べた。

    ダットサンモデルは、各市場向けに開発される予定。ダットサン「GO」は、2014年後半にインドネシア、ロシア、南アフリカで発売予定のダットサンラインナップの第1号のモデルとなる。

    ダットサン「GO」のデザインは、日本の日産のグローバルデザインセンターが担当したが、開発は、現地で実施。現地の市場要件、好み、ニーズに適合し、価格と供給の面で入手しやすいものになることを目指している。「GO」は、ルノー・日産アライアンスの最も新しい工場にひとつであるチェンナイ近郊のオラガダムにある工場で生産される予定。

    ダットサンについて

    日産は2012年3月、ニッサン、インフィニティに続く第3のブランドとなるダットサンブランドの復活を発表。ダットサンは、高い成長を続ける市場で将来の成功を夢見るお客さまに、クルマのある豊かな生活を提供する。ダットサンは、80年にわたる日本のクルマづくりに対する技術とこだわりを象徴しており、日産のDNAを体現する重要なブランド。ダットサンブランドのモデルは、2014年からインド、インドネシア、ロシアおよび南アフリカで販売を開始する予定となっている。

    ダットサンの歴史

    ダットサンは、約100年前の1914年に日本で作られた脱兎号(ダット自動車)に由来している。「脱兎(ダット)」というのは「超高速」という意味であるとともに、当時の出資者であった、田、青山、竹内3人のそれぞれの名前の頭文字を取って名付けられたもの。また、耐久性のある(Durable)、魅力的で(Attractive)、信頼できる(Trustworthy)のそれぞれの頭文字を取ってDATとしたと宣伝された。1933年、日産の創立者である鮎川義介は、「すべての人に自動車を」というビジョンを持ってこの事業を引き継いだ。1930年台初頭の日本の若者たちの向上心を満たす、軽量で経済的で耐久性のあるクルマは、「ダットの息子」、Datson(ダットソン)と名付けられ、後にダットサン(Datsun)となった。日本のエンジニアリングと大量生産により鮎川の夢が現実のものとなったのです。

    インドにおける日産
    日産のインドへの参入はつい最近ですが、現在、1万2,000名以上の従業員を有し、新型車の投入と販売網の拡大によりプレゼンスを拡充していく。2012年、日産は前年比11%増の約3万7,000台を販売し、2013年度は販売台数倍増を目指している。日産は、2016年までにインドで、ニッサンおよびダットサンブランドで10車種の新型車を発売し、ディーラー数も300以上に増やす予定としている。日産と、アライアンスパートナーであるルノーにとって、チェンナイは生産、開発および輸出の戦略的ハブとなっています。チェンナイ近郊オラガダムの工場は2010年に開設されました。ここには、プレス加工、車体、塗装、樹脂、組立工程の他、2つのテストトラックがあり、年間生産能力40万台を有している。

    ダットサン GO DATSUN GO

  • デイモン・ヒルの息子、ジョシュ・ヒルがレースを引退

    デイモン・ヒルの息子、ジョシュ・ヒルがレースを引退

    デイモン・ヒルの息子ジョシュ・ヒルが、レース引退を発表した。

    1996年のワールドチャンピオンであるデイモン・ヒルの息子で、2度のワールドチャンピオンであるグラハム・ヒルの孫であるジョシュ・ヒルは、今年ヨーロッパF3選手権に参戦して10位につけていた。

    しかし、22歳のジョシュ・ヒルは“他の分野での夢”を追いたいという理由でレースから引退することを発表。史上初の3世代F1ワールドチャンピオンになるという挑戦に終止符を打った。

    「ヒル家の一員として生まれ、僕がレースに惹きつけられるのは必然的だった」とジョシュ・ヒルは Reuters にコメント。

    「多くのことを学んだし、本当に楽しい経験だった。でも、100%専念できない限り、戦いたくない。僕には他の分野での夢があり、レースを引退することが正しいと感じている」

    父親のデイモン・ヒルは、他の目標に向かうという息子の決断を心から支持すると述べた。

    「レース一家に生まれるということは、全ての人間がそう簡単に馴染めることではない。ジョシュが、レースを本職とするかどうかを見極めなければならなかったのはとても良く理解できる」とデイモン・ヒルはコメント。

    「若干の寂しさはあるが、今回の発表に至った。多くの“ヒル”ファンは落胆することだろう。しかし、理解していただきたい・・・続けることより止める方が勇敢なこともなる。私は今まで通り彼を全面的に応援していく」

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  • F1:ピットレーンの安全性見直しの動き

    F1:ピットレーンの安全性見直しの動き

    F1ドイツGPの決勝で、脱落したタイヤでカメラマンが負傷したことを受け、F1はピットレーンの安全性の見直しへ動いている。

    F1ドイツGPでは、レッドブルがタイヤが不完全な状態でマーク・ウェバーを発進させたことでタイヤが脱落。10kgのタイヤがFOMのカメラマンであるポール・アレンに直撃。ポール・アレンは鎖骨の骨折などの負傷を負った。

    レッドブルには3万ユーロ(約390万円)の罰金が科せられたが、F1チームの代表らは安全手順とピットレーンでの装備の見直しを求めている。

    レッドブルのチーム代表クリスチャン・ホーナーは「メカニックであろうと、カメラマンであろうと、ピットレーンでの仕事が危険であることを思い出させてくれる出来事だった」とクリスチャン・ホーナーは Sky Sport News にコメント。

    「メカニックは安全ギアとヘルメットを装着しなければならない。おそらく、同様に他の運営スタッフも安全装備を備えることを検討する時なのかもしれない」

    「カメラマンはアクションに近づく。彼らは素晴らしい絵を撮っているが、危険な環境だ。なので、彼らには安全装備が必要かもしれない。頭部外傷は特に難しい。検討する必要がある」

    ル・マン24時間では、レース中にピットレーンに立ち入るすべての人物がヘルメットとレーシングスーツを着用しなければならない。メルセデスのチーム代表ロス・ブラウンは、同様の安全策をF1でも考慮するべきだと語る。

    「幸い、我々のメンバーはタイヤを見ていたが、カメラマンはそうではなかった。メカニックは身を反らしてそれを避けることができたが、非常に嫌な場面だった」

    「我々が目にしたことに基準に考えなければならない。ピットレーンの全員がヘルメットを被るべきだ。すべてが再考に値する」

  • シトロエン、2014年からセバスチャン・ローブを起用してWTCCに参戦

    シトロエン、2014年からセバスチャン・ローブを起用してWTCCに参戦

    シトロエンは、2014年からWTCC(FIA世界ツーリングカー選手権)に参戦することを発表。ドライバーには、これまでWRCで共に多くのタイトルを獲得してきたセバスチャン・ローブを起用する。

    2012年、パリモーターショーのオープニングセレモニーで、WTCC参戦を検討していることを明かしたシトロエンは、正式に2014年からの参戦を決定した。

    クロスカントリーラリー・ワールドカップタイトルを5回、世界ラリー選手権のマニュファクチャラーズタイトルを8回獲得してきたシトロエンが、初めてサーキットレースの世界選手権へエントリーする。

    このことはシトロエンにとってモータースポーツがテクノロジーを証明するために重要であるというメッセージであり、共に新たな挑戦へ乗り出すセバスチャン・ローブとの良い関係を続けることへのシトロエンの決意の表れでもありる。

    「シトロエンレーシングは、このプログラムを進めるにあたり数ヶ月間にわたり検討を続けてきました」とシトロエンCEOのフレデリック・バンゼは述べた。

    「WTCCは、大規模なメディア露出、コスト削減に配慮した規定、そして世界を舞台に戦うスケジュールなど様々な側面のもとに成り立っています。シトロエンがこの選手権に参入することは、ブランドシグネチュアである“クリエイティブ・テクノロジー”を表現する機会となるだけでなく、中国、ロシア、南アフリカといった発展市場においてブランドを成長させることにもつながります。また、長年にわたりパートナー関係を結ぶトタルが、この新しい挑戦にもシトロエンと共に手を取り合ってくれることに感謝しています」

    シトロエンレーシングのサーキットレース界への参入は、現行型よりもさらに進化した次世代マシンの登場と時期を合わせることになる。

    「ひとつのカテゴリーにゼロから取り組み参戦することは、我々の部門にとって最高のチャレンジとなります」とシトロエンレーシングのチーム代表イブ・マトンは決意を見せる。

    「DS3 WRCの1.6リッター直噴ターボエンジンをはじめ、我々が誇る専門知識の多くの部分は、このプロジェクトでも流用することができます。ベルサイユにある我々のファクトリーでは、すでに一連の作業が始まっており、2014年シーズンに向けてこの数週間のうちにテストや開発プログラムが始まります。もちろん、これまでどおりラリー活動も継続し、2013年に最高のリザルトを収めるために、必死の努力を続けていきます。アブダビとのパートナーシップは今後さらに強化され、シトロエンは新しいシステム、新しい目標の下にWRCへの関わりを続けていきます」

    シトロエンレーシングは、2014年のWTCCの全戦に参戦する。もちろん、ドライバーの筆頭となるのは、クサラ、C4、DS3 WRC で世界ラリー選手権9連覇を果たしたセバスチャン・ローブ。

    セバスチャン・ローブは「なによりも、このプロジェクトが決定したことを心から喜んでいます。シトロエンの歴史と私の人生に新たな一章をつづることができるのは、私の夢でした。サーキットに出て、マシンをテストするのを心待ちにしています。自分にとって切り替えの年となるこの一年は、様々な経験に挑戦し、サーキットでのドライビングスキル向上に努めています。すぐに勝利が得られるとは思っていませんが、いつか必ず勝ってみたいという気持ちでいっぱいです」と、長年ともに戦ってきたチームから挑むこの挑戦への情熱を熱く語った。