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  • China GT フェラーリ炎上事故で声明 救助体制への批判受け「徹底的に調査」

    China GT フェラーリ炎上事故で声明 救助体制への批判受け「徹底的に調査」

    中国のGTレースシリーズ「China GT」は、上海国際サーキットで発生したオリー・ミルロイのフェラーリが炎上した重大事故について声明を発表した。事故後にはマーシャルや救急体制をめぐって厳しい批判が相次いでおり、シリーズ側は謝罪するとともに、安全管理や緊急対応を含めた「徹底的な検証と調査」を行うと表明した。

    事故は9月5日に行われたChina GTのレース開始から約20分後に発生。複数台が絡むクラッシュでミルロイのフェラーリが炎上し、ミルロイは複数の負傷を負った。

    現場では後続のローク・ハートッグがマシンを止めて救助に向かい、消火器で炎を抑えながらミルロイを燃えるマシンから救出した。

    炎上するフェラーリからライバルが救出
    事故映像では、ハートッグが自身のマシンを止めて現場へ駆け寄り、消火器を使って炎を抑えた後、ミルロイをコックピットから引き出す様子が確認できる。

    事故後には、現場の緊急対応をめぐって大きな批判が起きた。事故に関係したTBC by 610 Racingのチーム代表ヤン・バイジエは、マーシャルがパニックに陥って消火器を落とし、その場から逃げたと主張。さらに救急車についても、ドライバーが眠っていたため現場到着まで15分を要したと訴えている。

    こうした批判が広がるなか、China GTは事故について公式声明を発表した。

    「これは組織委員会を含め、関係する誰もが望んでいなかった事故です」

    「今回の事故、そしてその後に皆様へ与えた衝撃と影響について深くお詫びします」

    「組織委員会は91号車のオリバー・ミルロイ選手と、事故に関係した他のドライバーの皆様にお見舞いを申し上げ、一日も早い回復を心から願っています」

    China GTはまた、自らの危険を顧みず救助にあたったハートッグに謝意を示した。

    「同時に、最初に現場へ到着して救助にあたったローク・ハートッグ選手に、深い感謝と敬意を表します」

    China GT「国内レベルの競技基準には適合」
    一方でChina GTは、イベント全体の体制については、予備調査の段階で国内レベルの競技基準を満たしていたとの認識を示している。

    「予備調査によれば、イベント全体の体制は国内レベルの競技基準に適合していました。しかし、細部の管理については改善の余地があります」

    そのうえで、今回の事故を受けて大会運営全般を改めて検証するとした。

    「レース終了後、今回の事故について徹底的な検証と調査を実施し、大会運営、安全対策、緊急対応、救助活動、競技中の医療体制に存在したあらゆる問題に対し、より包括的な改善策を策定します」

    「大会主催者は今回の事故を教訓として、これらの分野における管理をさらに強化し、すべての対策が確実に実施されるようにします」


    参戦チームが相次いでChina GT撤退を表明
    事故の余波はシリーズへの参戦体制にも広がっている。ミルロイが所属するAAI Motorsportは、今後China GTには参戦しない方針をすでに明らかにしている。

    さらにTBC by 610 Racingもシリーズからの永久撤退を表明した。同チームのニール・ヴァーヘイゲンは今回の事故について責任があると判断されたが、チーム側はこの裁定に異議を唱えている。

    チーム代表のヤン・バイジエは事故後、SNSで「これはモータースポーツにとっての悲劇だった」と強く批判した。

    「今日起きたことはモータースポーツにとっての悲劇です。単に事故が起きたからではありません。我々は優れたドライバーを失いかけたのです」

    「マーシャルはパニックになり、消火器を落として逃げました」

    「救急車は事故発生から15分後に到着しました。ドライバーが眠っていたからです。人々が窓を叩いても起こすことができませんでした」

    さらに、事故後のスチュワードの対応についても厳しく非難した。

    「レース後、スチュワードはドライバーが無事かどうかも把握しないまま、我々を審議室に呼び出しました。他の2人のドライバーについて尋ねることも、気遣う言葉もありませんでした」

    「自分たちの救助対応にどれだけ時間がかかったのかについても、何ひとつ触れませんでした。それどころか、最初の反応が笑顔で、自分たちの失敗から責任をそらすために我々へ責任を押しつけようとしたことに愕然としました」

    「チーフスチュワードは驚くほど傲慢な態度で、これをアマチュア的なミスとして片づけました」

    「私のチームメイトはファクトリードライバーであり、デイトナのチャンピオンです。それにもかかわらず、彼らが最初に考えたのは、自分たちの失敗から目をそらすため、我々自身に不利な世論誘導に協力するつもりがあるかどうかを尋ねることでした」

    ヤンは、China GTから永久に撤退する意思を明確にした。

    「私はChina GTから永久に撤退します。これが私に残された唯一の抗議手段です」

    「この選手権に関わるすべての人間が、命と安全をそれにふさわしい真剣さで扱うようになるまで、私は戻りません」

    「我々は、今回のスチュワードの行動やレース委員会の対応を受け入れることはできません」

    また、事故原因についてもChina GT側の判断に反論している。

    「我々のオンボードデータはWECのスチュワードにも提出しており、専門的な評価の結果、我々がこの事故の主たる原因ではなかったことが確認されています」

    「China GTが自らの過失を軽減するために我々を利用しようとするのであれば、私自身、チームメイト、そして事故に関係したドライバーを守るため、法的措置を取ります」

    China GTはイベント全体の体制が国内レベルの競技基準に適合していたと説明する一方、細部の管理には改善の余地があることを認めた。ただし、マーシャルが現場から逃げたことや救急車の到着に15分を要したとの指摘については、現時点の声明では個別に説明していない。

    重大事故そのものに加え、救助や医療対応をめぐる関係者からの告発、さらに複数チームの撤退表明にまで発展している。China GTが今後の調査で事故発生後の救助体制と対応の時系列をどこまで明らかにし、再発防止策につなげられるかが焦点となる。

  • 元F1解説者ダニカ・パトリック 体型批判に反論「もっと食べろと言われたから…」

    元F1解説者ダニカ・パトリック 体型批判に反論「もっと食べろと言われたから…」

    元レーシングドライバーでF1解説者としても活動してきたダニカ・パトリックが、SNSに投稿した休暇中の写真をめぐって寄せられた体型への批判に反論した。

    44歳のパトリックは現在、ヨーロッパ各地のビーチリゾートを巡る休暇を楽しんでいる。そのなかで黄色のビキニ姿でビーチに立つ写真をSNSに投稿したところ、「ハンバーガーを食べた方がいい」といった体型を揶揄するコメントや、痩せすぎではないかと心配する声が相次いだ。

    「もっと食べろ」の声に食事内容を公開
    パトリックはこうした反応を受け、24時間で消えるストーリーズ機能を使って自身の食事を公開。批判に対して皮肉を交えながら反論した。

    「前回の投稿を見て、たくさんの人からもっと食べろと言われたから、私が食べているものをもっと見せてあげる」

    「これはランチ。朝食は卵3個と卵白2個、それに自家製サワードウの大きなスライスをバターとブルーベリージャムで食べた」

    さらに、パドルボードを漕ぐ姿を投稿し、自身の身体づくりについて説明した。

    「本気でウエイトトレーニングをして、しっかりタンパク質を摂らなければ――卵2個だけとかじゃなくて――筋肉はつかない」

    「そして筋肉が増えれば増えるほど、もっと食べられる!!!!! 以上」

    パトリックは、細身に見える自身の体型が食事を制限した結果ではなく、ウエイトトレーニングと十分なタンパク質摂取によって維持しているものだと強調した形だ。

    批判だけでなく擁護のコメントも
    一方、パトリックの投稿に寄せられた反応は否定的なものばかりではなかった。

    あるフォロワーは「その年齢でスリムで健康的な身体を維持している人を、どうして批判できるのか分からない」とコメント。身体を鍛え、健康を維持しようとする姿勢を支持する声も寄せられた。

    パトリックは現役引退後、F1中継を含むモータースポーツの解説者として活動してきた。Sky Sports F1にも出演していたが、2025年シーズン限りで同局を離れ、2026年F1オーストラリアGPを前にSNSを通じて退任を明らかにしている。


    インディカーで女性唯一の勝者
    近年はF1のテレビ解説者として知られるパトリックだが、現役時代にはインディカーとNASCARで活躍した。

    特にインディカーでは2008年のインディ・ジャパン300で優勝。インディカー・シリーズでレースに勝利した史上初、そして現在も唯一の女性ドライバーという記録を持つ。

    インディカーで6年間戦った後はNASCARへ活動の場を移し、2012年から2018年まで参戦。デイトナ500では女性ドライバーとして初めてポールポジションを獲得するなど、米国モータースポーツ界を代表する女性ドライバーのひとりとなった。

    現役を退いてからもモータースポーツ界で高い知名度を保つパトリック。今回のSNSでの反論では、外見だけを見て食生活を決めつける声に対し、自身がトレーニングと食事の両面から身体づくりに取り組んでいることを示した。

  • 希少なマツダ767Bがラグナ・セカで炎上 モントレー本戦欠場も「必ず復元する」

    希少なマツダ767Bがラグナ・セカで炎上 モントレー本戦欠場も「必ず復元する」

    1989年型マツダ767Bの1台が、米国カリフォルニア州のウェザーテック・レースウェイ・ラグナ・セカで行われた「ロレックス・モントレー・モータースポーツ・プレリユニオン」で火災に見舞われた。車両はNo.203として走行予定だった個人所有のシャシーNo.003で、幸い負傷者はいなかった。

    火災は8月9日にパドックのピット区画で発生。マツダを象徴するグリーンとオレンジのカラーリングをまとった4ローターのグループCプロトタイプから炎が上がる映像が公開され、スタッフが消火活動にあたった。

    車両は8月12~15日に開催されるロレックス・モントレー・モータースポーツ・リユニオンへの出場を取りやめるが、所有チームは復元する方針を明らかにしている。

    歴史的なマツダ767Bがパドックで炎上
    火災に見舞われたのは、複数回のスポーツカー王者であるアンソニー・マッキントッシュが所有するマツダ767B、シャシーNo.003だ。イベントではNo.203をつけ、ブレンドン・リーチがドライバーとして登録されていた。

    No.203は、1981~1991年のIMSA GTPおよびFIAグループCマシンを対象とした「ハーレイ・ヘイウッド」クラスに出場する予定だった。

    現場を撮影した映像では、ピット区画に停められていた767Bから炎と煙が上がり、スタッフが直ちに消火にあたる様子が確認できる。

    火災の詳しい原因や車両の損傷状況については現時点で明らかにされていない。所有チーム側も、これ以上の詳細について当面公表しないとしている。

    「No.203は再び歌う」復元を表明
    Ghost Riders Quad Racing & McIntoshは火災後、SNSを通じて声明を発表。人的被害がなかったことを報告するとともに、767Bを再び復元する意向を示した。

    「昨日のモントレー・モータースポーツ・プレリユニオンで、マツダ767B #203がパドックで火災に見舞われた。何よりも重要なのは、誰も負傷しなかったことだ。そのことに心から感謝している」

    「このマシンはチームのすべてのメンバーにとって、そして歴史にとって特別な存在だ。リユニオンの残りのイベントには出場しないが、このマシンの物語は終わっていない。#203はもう一度復元され、再びその歌声を響かせる」

    767Bに搭載されるのは、マツダがグループC時代に開発した4ローターのロータリーエンジンだ。その独特の高周波サウンドは、現在もヒストリック・レーシングイベントで大きな人気を集めている。

    ル・マン制覇へつながったマツダのグループCマシン
    767Bは、マツダが1989年のスポーツカー世界選手権やル・マン24時間レースなどに投入したプロトタイプで、後の787、そして1991年のル・マン24時間レースを制した787Bへと続く重要なモデルである。

    今回火災に遭ったシャシーNo.003はマツダ所有車ではなく、マッキントッシュが所有する個体で、これまでも世界各地のヒストリック・レーシングイベントに参加してきた。

    一方、今回のロレックス・モントレー・モータースポーツ・リユニオンには、マツダが所有する767Bと787も参加する予定とされている。

    なお、原文ではシャシーNo.001の767Bについて「1991年のル・マン24時間レースで優勝したマシン」と読める記述があるが、1991年のル・マン総合優勝車はマツダ787B(No.55)であり、767Bではない。767Bはそのル・マン制覇へとつながるマツダのロータリー・プロトタイプ開発史における重要な一台である。

    人的被害がなかったことは不幸中の幸いだった。No.203の767Bは今回のモントレーで走ることはできなくなったものの、チームが宣言した「再び歌う」という言葉通り、4ローターのサウンドが再びサーキットに響く日が待たれる。

  • ドナルド・トランプが画策したニュージャージーF1計画 実現しなかった舞台裏

    ドナルド・トランプが画策したニュージャージーF1計画 実現しなかった舞台裏

    米国のドナルド・トランプ大統領が、かつてニュージャージー州でF1グランプリを開催する構想に関与していたことを、アルピーヌのエグゼクティブアドバイザーを務めるフラビオ・ブリアトーレが明かした。

    当時、米国でのF1人気は現在ほど高くなく、ブリアトーレはトランプと当時のF1最高経営責任者バーニー・エクレストンを引き合わせ、ニューヨーク周辺での市街地レース開催を模索していたという。

    米国で3戦を開催するまでに成長したF1
    現在のF1は、Netflixのドキュメンタリーシリーズ『Formula 1:栄光のグランプリ』の影響もあり、米国で急速に人気を拡大している。

    サーキット・オブ・ジ・アメリカズで行われるアメリカGPは2012年からカレンダーに定着し、2022年にはマイアミGP、2024年にはラスベガスGPが加わった。現在では米国内で年間3レースが開催されている。

    さらに2026年には米国系チームのキャデラックがF1に参戦し、北米市場における選手権の存在感はかつてないほど強まっている。

    しかし、2007年を最後にインディアナポリスでのアメリカGPが消滅した当時、F1は米国で十分な評価を得られておらず、新たな開催地の確保に苦戦していた。

    ブリアトーレがトランプとエクレストンを仲介
    ブリアトーレによると、米国でのF1開催を復活させるため、自身がトランプとエクレストンの間を取り持ったという。

    当初はニューヨーク市内でのグランプリ開催が有力視されていたが、トランプは交通や行政上の問題を理由に、ニュージャージー州の方が現実的だと提案した。

    ブリアトーレは『The Race Business』の番組『In Conversation With…』で、当時の経緯を次のように振り返った。

    「もちろん、ドナルドもF1については何も知らなかった。でも、彼は優れたプロモーターだった」

    「当時はボクシングをプロモートしていたし、ラスベガスでもあらゆるイベントを手がけていた」

    「僕がドナルドとバーニーを話させた。僕はドナルドのオフィスにいて、バーニーと映像をつなぎ、ニューヨークでレースを開催するならどこが最適かを話し合った」

    トランプはニュージャージー開催を提案
    トランプはニューヨークでの開催には多くの障害があると指摘し、代替案としてニュージャージーを推したという。

    「ドナルドは、ニューヨークはさまざまな理由で非常に難しいが、ニュージャージーなら開催できると言った」

    「それでバーニーは、ニュージャージーの2人か3人の関係者と交渉を始めた」

    ニュージャージーでは、マンハッタンの高層ビル群を背景にハドソン川沿いを走る市街地レース構想が長年にわたって検討された。だが、資金面や運営面の問題から計画は進展せず、実際にグランプリが開催されることはなかった。

    当時の米国ではF1の価値が認められず
    ブリアトーレは、計画が失敗した最大の理由として、当時の米国でF1が特別なスポーツとして認識されていなかったことを挙げた。

    「でも、僕たちは成功できなかった。F1は特別なものだと考えられていなかったからだ」

    「NASCARやインディカーについて話すのとは、まったく違うビジネスだった。当時のF1には、ほとんど価値が認められていなかった」

    現在ではマイアミやラスベガスで大規模な市街地レースが行われ、F1は米国スポーツ市場で重要な地位を築いている。一方で、トランプとエクレストンが関わったニュージャージー開催構想は、米国でF1人気が本格化する前に消えた未実現の計画となった。

  • F1商業化の先駆者パディ・マクナリー死去 88歳

    F1商業化の先駆者パディ・マクナリー死去 88歳

    パディ・マクナリーが、長い闘病生活の末、2026年7月22日に88歳で死去した。元『Autosport』記者でありながら、後にF1の商業的発展を支えた中心人物のひとりとして知られている。

    バーニー・エクレストンと緊密に協力したマクナリーは、サーキットごとに個別運営されていた広告や接遇サービスを世界規模の商品へと再構築した。現在のF1で当たり前となっているトラックサイド広告やパドッククラブは、その功績を象徴する存在である。

    FIAがF1の商業的成長への貢献を称賛
    FIA(国際自動車連盟)は、マクナリーが元F1最高責任者のエクレストンと長年にわたって仕事をし、F1の商業的成長において「重要な役割を果たした」と追悼した。

    マクナリーは表舞台に姿を現すことは少なかったが、各グランプリがそれぞれ独立して運営されていた時代のF1を、スポンサーや企業ゲストに対して統一された価値を提供する世界的なスポーツ商品へと変えることに貢献した。

    F1ではドライバーやチーム代表が注目を集める一方で、マクナリーはその周囲にある商業的な仕組みを設計した人物だった。

    レーシングドライバーからAutosport記者へ
    マクナリーとモータースポーツとの関わりは、競技者として始まった。1960年代にスポーツカーレースへ参戦した後、『Autosport』のジャーナリストとして活動し、グランプリ担当記者としてF1を転戦した。

    取材活動を通じて築いたパドック内の人脈と知識は、その後のビジネスキャリアの基礎となった。当時のF1は現在よりも関係者同士の距離が近く、マクナリーの記事は、その親密でありながら危険と隣り合わせだった時代を記録している。

    1968年モナコGPではリチャード・アトウッドがグラハム・ヒルを追う展開を伝え、1971年モナコGPではロニー・ピーターソンを際立ったパフォーマーとして評価した。また、クレイ・レガツォーニをはじめとするドライバーたちの妥協を許さない振る舞いについても率直に記した。

    マールボロのスポンサー活動とジェームス・ハント
    第一線のジャーナリズムから離れたマクナリーは、マールボロのスポンサーシップ・コンサルタントへと転身した。

    親交の深かったジェームス・ハントのマネジメントにも関わり、同時にエクレストンが進めていたF1の商業的再編にも深く携わるようになった。

    当時のF1では、各サーキットが広告スペースを個別に販売していた。マクナリーは、この断片的な仕組みを統合し、シーズンを通じた世界規模の広告パッケージとして販売する構想を推進した。

    トラックサイド広告を世界規模の商品に転換
    マクナリーの最も大きな功績は、ジュネーブを拠点とするオールスポーツ・マネジメントを通じた事業だった。

    同社は、各グランプリのトラックサイド広告をまとめて管理し、F1世界選手権全体を対象としたスポンサー商品として企業に提供した。

    広告看板は、拡大を続けるテレビ中継で最大限に映り込むよう配置やデザインが調整された。これにより、サーキットごとの地域的な広告取引は、世界中の視聴者にブランドを訴求する一貫した国際商品へと変わった。

    現在のF1中継で見られる、コース脇やランオフエリア、ピット周辺に統一されたスポンサー広告が並ぶ形式は、マクナリーが確立したビジネスモデルを源流としている。

    パディ・マクナリーとバーニー・エクレストン

    1984年にF1パドッククラブを創設
    マクナリーは1984年、F1パドッククラブを創設した。

    開始当初は野心的な販売目標を達成できず、事業として苦戦した。それでもマクナリーは、グランプリが世界的な一流スポーツイベントに匹敵する企業向けホスピタリティを提供すべきだという考えを貫いた。

    パドッククラブはその後、上質な観戦環境や食事、管理されたパドックへのアクセスを組み合わせたF1の主要商品へと成長した。

    スポンサー企業は顧客や取引先を招待できるようになり、F1は単なるモータースポーツイベントにとどまらず、国際ビジネスやエンターテインメント業界の関係者が集まる交流の場としての地位も確立した。

    現在ではパドッククラブは、F1の商業モデルに欠かせない高価格帯のホスピタリティサービスとなっている。

    オールスポーツを約250億円超で売却
    マクナリーは2006年、オールスポーツを当時のF1オーナーだったCVCキャピタル・パートナーズへ売却した。

    売却額は2億5000万ポンド(約500億円)を超える規模だったと報じられている。マクナリーは売却後も事業の責任者を務め、2011年に引退した。

    巨額の資産とF1界における強い影響力を持ちながら、マクナリーは意図的に控えめな公的立場を維持した。

    パドック内では、寛大で頭の回転が速く、ユーモアに富んだ人物として記憶されている。

    現在のF1に残るパディ・マクナリーの功績
    マクナリーには息子のロロがいる。もうひとりの息子ショーンは、2026年初めに死去していた。

    F1の目に見えるドラマを生み出すのはドライバーやチームだが、その競技を世界的なビジネスとして成立させる環境を整えた人物のひとりがマクナリーだった。

    世界中のサーキットに掲げられる広告看板や、企業ゲストを迎える特別なホスピタリティ施設は、現在ではグランプリに欠かせない存在となっている。F1をスポーツと国際ビジネスが交差する巨大な商業プラットフォームへと変えた仕組みは、パディ・マクナリーが残した永続的な遺産である。

  • Honda HRCが雨の鈴鹿8耐を制し5連覇 高橋巧が最多記録更新の通算8勝目

    Honda HRCが雨の鈴鹿8耐を制し5連覇 高橋巧が最多記録更新の通算8勝目

    Honda HRCが7月5日、三重県・鈴鹿サーキットで開催された2026 FIM世界耐久選手権(EWC)第3戦「第47回 コカ・コーラ鈴鹿8時間耐久ロードレース」を制し、大会5連覇を達成した。高橋巧は自身が持つ鈴鹿8耐最多優勝記録を更新する通算8勝目を挙げ、Hondaに通算32勝目をもたらした。

    朝から雨に見舞われた鈴鹿は、路面コンディションが刻々と変化する難しいレースとなった。

    11時30分にル・マン式スタートで幕を開けると、序盤はAutoRace Ube Racing Team(BMW)が先行。しかし、高橋巧が11周目のS字コーナーで首位を奪うと、そのまま安定したペースでリードを築いた。

    レース序盤はオイル処理や転倒の影響で2度のセーフティカー(SC)が導入されたが、Honda HRCは高橋からジョナサン・レイへとスムーズにライダー交代を行い、首位を維持した。

    4時間経過時点でもHonda HRCがトップをキープ。AutoRace Ube Racing Team、BMW MOTORRAD WORLD ENDURANCE TEAM、YAMAHA FACTORY RACING TEAMが同一周回で追走したものの、高橋とレイは変わりやすいウエットコンディションの中でも安定したラップを刻み続けた。

    6時間を迎えてもHonda HRCの優位は揺るがず、高橋とレイが約30秒前後のリードを保ちながらレースをコントロール。後方ではヤマハ勢とBMW勢による2位争いが激しさを増した。

    終盤に入ると路面は再び悪化し、18時過ぎには雨脚が強まった。Honda HRCは最後のピットストップでレイから高橋へと交代し、高橋が最終スティントを担当。残り34分で逆バンクの転倒事故によりSCが導入されると、トップのHonda HRCと後続との差は大きく広がった。

    そのまま車両回収とコース復旧作業が続き、SC先導のまま8時間が経過。19時30分に赤旗が提示され、レース終了となった。

    Honda HRCは188周を走破して優勝。2位にはYAMAHA FACTORY RACING TEAM、3位にはBMW MOTORRAD WORLD ENDURANCE TEAMが入り、Honda HRCは大会5連覇を達成した。

    高橋は自身最多記録を更新する鈴鹿8耐8勝目を達成。レイは3勝目、代役としてチームに加わったソムキアット・チャントラは決勝で走行機会こそなかったものの、チームの一員として優勝を分かち合った。

    Honda勢ではSDG Team HARC-PRO. Hondaが8位、Honda Asia-Dream Racing with Astemoが9位、Team ATJ with NTT docomo Businessが10位に入った。一方、F.C.C. TSR Honda Franceは終盤のテクニカルトラブルにより26位に終わり、Team SAKURAI HONDAはコースへ復帰したものの規定周回数に届かず完走扱いとはならなかった。

    レース後、高橋は「チャントラ選手は走ることができませんでしたが、一つのチームとして力を発揮できたと思います。だから、これは3人でつかんだ勝利です」とチーム全員での勝利を強調。「5連覇を達成し、自分の優勝記録も8勝に伸ばすことができましたが、これは決して自分一人の力で成し遂げられたことではありません。支えてくれたチームメート、そしてチームスタッフのみんなのおかげだと感謝しています」と喜びを語った。

    また、「また『9勝を目指せ』と言われそうですが、その期待は受け止めます。その代わり、私の願いも聞いてほしいです。今年の全日本ロードレース選手権最終戦の鈴鹿にも出場させてください」と笑顔で今後への意欲も示した。

  • 元トップ・ギア司会者ジェレミー・クラークソン がん公表「進行性だが早期発見」

    元トップ・ギア司会者ジェレミー・クラークソン がん公表「進行性だが早期発見」

    元『トップ・ギア』司会者として知られるジェレミー・クラークソンが、自身の出演する番組『クラークソンズ・ファーム』の最新エピソードで前立腺がんと診断されていたことを明かした。

    クラークソンは2002年から2015年まで『トップ・ギア』の司会を務め、リチャード・ハモンド、ジェームズ・メイとともに世界的な人気を獲得した。

    番組にはルイス・ハミルトン、セバスチャン・ベッテル、ダニエル・リカルドらF1ドライバーも出演しており、現在でも当時の映像がSNSなどで広く共有されている。また、昨年はシルバーストンで開催されたF1イギリスGPも訪れていた。

    番組で前立腺がんを告白
    現在配信中の『クラークソンズ・ファーム』シーズン5最終話で、クラークソンは前立腺がんの診断を受けたことを公表した。放送前には自身のSNSで「見るのがつらい内容になる」と予告していた。

    映像が撮影された正確な時期は明らかにされていないが、シーズンは2024年から2025年にかけて撮影されたものとみられている。

    クラークソンは治療の一環として前立腺の一部を摘出したことを明かし、次のように語った。

    「少し前に検査のため生検を受けた。そして、がんだと分かった。進行性ではあるけれど、本当に初期段階だった」

    さらに、

    「前立腺の10%が機能していない。その10%が、がんのある部分なんだ」

    と説明した。

    手術後も経過観察が続く
    クラークソンは手術を終えたことも明かし、治療の成功を願っていると語った。

    「手術は受けた。あとはうまくいったことを祈るだけだ。まだ結果は分からない」

    シーズン最終盤では病院のベッドに横たわる姿も映されている。

    「シーズン5は病院のベッドにいる僕から始まった。そしてシーズン5の終わりでも、また病院のベッドに戻ってきた」

    「治療の一部が少しうまくいかなかったと言っておこう。だからしばらくここにいることになる。今は絶飲食の状態で、この先どうなるのか分からない」

    そのうえで視聴者へ向けて、

    「すべてがうまくいけばシーズン6でまた会おう。もしそうでなければ、それはかなわない。みんな元気で」

    と締めくくった。

    今回の告白は多くのファンに衝撃を与えたが、クラークソン自身が「早期発見だった」と説明していることから、今後の回復と復帰に期待が集まっている。

  • 川島修 BTCC参戦決定 日本人初の本格参戦へ歴史的な一歩

    川島修 BTCC参戦決定 日本人初の本格参戦へ歴史的な一歩

    57歳の川島修が、2026年の英国ツーリングカー選手権(BTCC)第9戦・第10戦にTeam VERTUから参戦することを発表した。先週、EXCELR8 Motorsportのリザーブドライバー就任が発表されたばかりだったが、自身のSNSを通じてシーズン後半の参戦計画を明らかにした。

    川島修は自身のSNSで、今回のBTCC参戦について次のようにコメントした。

    「このたび、私のBTCC 2026プログラムがEXCELR8 Motorsportとともに次の確定段階へ進み、今季後半のRound 9/Round 10に参戦する運びとなりました」

    「これは、私にとって単なるレース参戦ではありません。BTCCの舞台に本格参戦する歴史的な一歩であり、長年追い続けてきた夢を現実に変える大きな節目です」

    「今は大きな喜びを感じると同時に、ここから本当の責任と挑戦が始まることを強く感じています」

    「これからは、より一層の自覚と責任を持って、この挑戦に向き合ってまいります」

    「ここまで支えてくださったEXCELR8 Motorsport、そしてAntony Williams、Justina Williamsに心より感謝申し上げます」

    「これはゴールではなく、ここから始まる大きな挑戦のスタートです」

    今回の参戦は、日本人ドライバーにとって歴史的な意味を持つ。川島修がレースに出走すれば、1985年に故・高橋国光が英国サルーンカー選手権(現BTCC)に参戦して以来、41年ぶりの日本人ドライバーとなる。

    また、川島修にとっても長年追い続けてきた夢の実現だ。2016年にはSpeedworks Motorsportのトヨタ・アベンシスでBTCCマシンのテストを経験しており、それから約10年を経て実戦デビューの機会を手にした。

    なお、Team VERTUおよびEXCELR8 Motorsportは、川島修が誰のシートを引き継ぐのかについては正式に発表していない。しかし、資金面の問題からスルークストン戦後の離脱の可能性を示唆していた リッキー・コラード に代わって起用される可能性が高いとみられている。

  • アンソニー・ハミルトンの“ギミックなし”HybridV10構想 マシン画像を初公開

    アンソニー・ハミルトンの“ギミックなし”HybridV10構想 マシン画像を初公開

    ルイス・ハミルトンの父であるアンソニー・ハミルトンが立ち上げを進める新モータースポーツシリーズ「HybridV10」が、新たな段階へ進んだ。

    アンソニー・ハミルトンはSNSで、開発中のマシンをイメージしたレンダリング画像を公開。これは最終仕様ではなく、現在エンジニアたちが追求している方向性を示すAI生成画像だと説明している。

    空力開発フェーズへ移行したHybridV10計画
    2026年初頭に発表されたHybridV10は、V10エンジンを中心とした新たな世界選手権を目指すプロジェクトだ。

    今回公開された画像は、将来的に参戦ドライバーが操る可能性のあるマシン像を初めて具体的に示したものとなる。

    アンソニー・ハミルトンは、現在プロジェクトがCFD(数値流体力学)による空力開発段階へ進んでいることを明かした。

    「HybridV10は現在、CFD開発が進行中であり、初期結果は非常に有望なものとなっている」

    「この段階で本当に重要なのはエンジニアリングだ。空力性能、パフォーマンスの検証、そしてレースカー全体のコンセプトである。ただし、CFDそのものは必ずしも見ていて面白いものではない」

    「このビジュアルはAIを活用して制作したもので、開発の方向性を形にしたものだ。ファンやパートナー、そしてモータースポーツ界全体に対して、HybridV10がどのような存在になろうとしているのかを早い段階で示すためのものである」

    「DRSなし」「ギミックなし」を掲げる理由
    HybridV10は単なるV10エンジン復活計画ではない。

    アンソニー・ハミルトンは発表当初から、現代F1との差別化として「レースそのもの」を重視するカテゴリーを目指していると説明してきた。

    今回の投稿でも、その理念を改めて強調している。

    「ギミックはない。DRSもない。ドライバー主導のレースだ」

    さらに、シリーズの根幹となる価値観について次のように語った。

    「HybridV10はゼロから開発されている。我々が考えるトップレベルのモータースポーツの本質に焦点を当てている」

    「レースのしやすさ、サウンド、ファンとのつながり、ドライバーの影響力、そしてレースそのものが持つスペクタクル性だ」

    F1への対抗ではなく“別の選択肢”を目指す構想
    HybridV10構想は2026年1月に正式発表された。

    計画ではV10エンジンを搭載するトップカテゴリーを中心に据え、その後にV8エンジンを使用する下位カテゴリーの創設も視野に入れている。

    主催者側は2028年から2029年のシリーズ開幕を目標としており、コストを抑えた運営モデルによってドライバーの参戦機会を広げるとともに、既存の主要カテゴリーとは異なるレース体験を提供したい考えだ。

    実現への最大の課題は参戦チームとメーカー集め
    今回公開されたレンダリング画像は、HybridV10計画が単なる構想段階を超え、具体的な技術開発へ進んでいることを示している。

    一方で、2028年または2029年の開幕を実現するためには、チームやエンジンサプライヤー、スポンサー、開催地など多くのパートナーを確保する必要がある。

    「DRSなし」「ドライバー主導」という理念は、近年のF1に対する一部ファンの不満と重なる部分もある。HybridV10が本当に世界選手権として成立するのか、それとも新たな挑戦者として終わるのかは、今後数年間の開発と参画企業の動向が大きな鍵を握りそうだ。

  • マン島TTで死亡事故 デビューイヤーのダニエル・インガムが予選中にクラッシュ

    マン島TTで死亡事故 デビューイヤーのダニエル・インガムが予選中にクラッシュ

    2026年マン島TTで、ダニエル・インガムが予選中のクラッシュにより死亡した。33歳のインガムは今年がマン島TT初出場だったが、マウンテンコースでは10年にわたる経験を持つライダーだった。

    事故は現地時間水曜日、スーパースポーツ予選3回目の1周目にドランズ・ベンドで発生した。主催者は声明でインガムの死亡を確認し、家族や関係者に哀悼の意を表した。

    マン島TT初出場のインガムが予選中に死亡
    マン島TT主催者は、メルトン・モーブレー出身のダニエル・インガムが、予選中の事故で命を落としたと発表した。

    「マン島TTレースは、メルトン・モーブレー出身のダニエル・インガム(33歳)が、昨日のマン島TTレース予選中の事故で亡くなったことを確認し、深い悲しみとともに発表します」と主催者は声明で述べた。

    「事故は、3回目の予選セッションの1周目、ドランズ・ベンドで発生しました」

    インガムは2026年がマン島TT初出場だったが、マウンテンコースでは2016年にマン島グランプリでデビューしており、その後TTへとステップアップした。10年にわたる参戦経験の中で複数の表彰台を獲得しており、2024年にはシニア・マン島グランプリで優勝を果たしていた。

    「マン島TTレースは、妻ヘレイナ、息子ジョーイ、娘フィービー、そして家族と友人の皆さまに、心よりお悔やみを申し上げます」

    サイドカー部門も安全面の懸念で中止
    インガムの死亡事故が起きた同じ日、マン島TTではサイドカー部門にも大きな判断が下された。主催者は安全上の懸念から、2026年大会の残り期間におけるサイドカー部門の実施を停止すると発表した。

    この決定は、水曜日の予選でカラム・クロウとライアン・クロウの兄弟がクロスビー・リープで転倒したことを受けたものだった。大会4勝の実績を持つ2人は、事故後に意識があり会話もできる状態でノーブルズ病院に搬送された。

    両親によれば、カラムは肩の手術を受け、今後さらに検査を受ける予定だという。ライアンは手首を骨折し、路面を滑った際に背中にやけどを負った。

    サイドカー部門では、火曜日にもマリア・コステロとショーン・パーカーがクラッシュしており、今回が今大会2件目の重大事故となっていた。

    主催者「安全が最優先でなければならない」
    主催者は、サイドカー部門の停止について、技術面と運営面の即時レビューを実施したうえでの判断だと説明した。

    「2026年マン島TTレースの3回目の予選セッション中にサイドカーチームが関与する事故が発生したことを受け、レース運営組織は、事故の状況とサイドカー部門の継続参加について評価するため、直ちに技術面および運営面のレビューを開始しました」

    「そのレビューの結果、イベントプロモーターと協議したうえで、2026年マン島TTレースの残り期間におけるサイドカー部門を停止する決定が下されました」

    主催者は、この措置を「競技者と観客の安全のための予防的措置」と位置づけた。

    「この決定は軽く下されたものではありません。しかし、競技者、観客、マーシャル、役員、そしてイベントに関わるすべての人々の安全が、最優先であり続けなければなりません」

    2026年マン島TTは5月25日から6月6日まで開催される予定で、予選は5月29日(金)に続行され、最初の決勝レースは5月30日(土)に行われる。