カテゴリー: 小林可夢偉

  • 小林可夢偉、悲願のル・マン初制覇「ずっと悔しい思いをしてきた」

    小林可夢偉、悲願のル・マン初制覇「ずっと悔しい思いをしてきた」

    小林可夢偉が、2021年のル・マン24時間レースで悲願の初制覇を達成。「絶対にクルマを持ち帰るつもりで走った」と語った。

    2016年にトヨタでのル・マン24時間レースへの挑戦を始めた小林可夢偉はその年を3位でフィニッシュ。2017年は5位、2018年は2位、2019年はトップ走行中にパンクに見舞われて2位、2020年は3位と優勝からは遠ざかっていた。

    「本当に長かったです」と小林可夢偉はコメント。

    「正直、『最後のコーナーまで何があるか分かんないな』というつもりで走ったし、勝つということが、どれだけ色んな人の気持ちと時間を費やしているやっているのか、特に最後を走るのが実はスゲープレッシャーで心のなかでは『ちょっと行きたくないな』と思っていたんです」

    「でも、やっぱりその気持ちも含めて『絶対自分が行かいといけないな』と、最後絶対にクルマを持って帰ってくるつもりで走りました」

    「本当にファンももちろん、トヨタでたくさんの人がこのプロジェクトに関わってくれて、ずっと悔しい思いを僕らがしてて、でも、そんななかで、逆に僕らは勝てないんじゃないかと思われているなかでも、本当にチャンスを頂けて、こうやって勝てたこと、本当にまずは感謝したいなと思います。なので、本当にこんな気持ちをどっかで感謝にして帰りたいなと思います」

    「でも、まずはこうやって勝利でちゃんとお返しができてよかったなと思います」

  • 小林可夢偉がハイパーカーでの新世代最初のポールポジション獲得

    小林可夢偉がハイパーカーでの新世代最初のポールポジション獲得

    トヨタ 5年連続ポールポジション獲得、GR010 HYBRID 2台並び最前列スタート
    8月19日(木)FIA世界耐久選手権(WEC)第4戦となる第89回ル・マン24時間レースの決勝スターティンググリッドを決定する「ハイパーポール」が行われ、トヨタのGR010 HYBRID 7号車がポールポジションを獲得。新型ハイパーカー GR010 HYBRIDは新たなハイパーカー時代初となるレースで、歴史にその名を刻むこととなった。

    GR010 HYBRID 7号車を駆る小林可夢偉が、ハイパーポールセッションで3分23秒900というタイムをマークし、記念すべきハイパーカーでの初ポールポジションを獲得。チームに取ってはル・マン24時間レース5年連続のポールポジションとなった。

    小林可夢偉は2017年の予選で、サルト・サーキットのコースレコードを記録しているが、今年も最速タイムをマーク、新たなハイパーカークラスで新基準を打ち立てた。彼にとっては4度目のポールポジションであり、これにより、小林可夢偉はジャッキー・イクスが持つル・マン24時間レースでのポールポジション通算獲得回数記録にあと1回へと迫ることになった。

    GR010 HYBRID 8号車でアタックを担当したブレンドン・ハートレーは、7号車に僅か0.295秒及ばず2番手で続き、トヨタのGR010 HYBRIDは5年連続で2台が揃って最前列グリッドから決勝をスタートする。

    ハイパーポールセッションに先立ち、午後2時より公式練習3回目が3時間にわたって行われたが、セッション残り25分というところで、8号車を駆る中嶋一貴がインディアナポリスコーナーでタイヤウォールにヒット。車両後部にダメージを負い、残るセッションは走行できず、8号車はハイパーポールへの準備を予定通りには完了できなかった。しかし、その後4時間にわたるインターバルで8号車は完璧に修復され、8号車は無事ハイパーポールのセッション開始に間に合った。

    現地時間午後9時、まだ明るさは残っているものの、徐々に闇に包まれていくタイミングで、各カテゴリーの上位6台がスターティンググリッドを決定するハイパーポールセッション(30分)が開始された。

    2台のGR010 HYBRIDは共に新品セットのタイヤを装着し、最小限の燃料搭載でポールポジション争いへ向かった。小林可夢偉はセッション開始と同時に目覚ましいペースでのアタックを見せ、コースがクリアな状況でトップタイムを叩き出した。

    フレンドン・ハートレーの最初のアタックラップは、コース上の他の車両に阻まれ、また、GT車両のアクシデントにより10分間ほどの赤旗中断となったことで一旦仕切り直しとなった。セッションが再開されると、小林可夢偉、ブレンドン・ハートレー共に再び新しいタイヤで、更なるタイム更新を狙ってコースに復帰した。

    小林可夢偉の1周目はベストタイムにわずかに及ばす、2周目は最速タイムを上回るペースでアタックを続けたが、トラックリミット違反によりタイム更新はならなかった。一方のブレンドン・ハートレーは連続して自己タイムを更新していったものの、7号車のポールポジションタイムには0.3秒届かなかった。

    チームは2台共にセッション後半ピットで待機し、ライバルチームのアタックを見守ったが、トヨタのタイムを上回る事はなく、アルピーヌ36号車が1.674秒差の3番手となり、7号車のポールポジションが確定した。

    20日(金)は走行がない休息日となるが、チームにとっては休む間もない忙しい一日が続く。2台のGR010 HYBRIDはメカニックによって完全に整備し直され、エンジニアは決勝レースの戦略などの準備に集中する。89回目を迎える伝統のレースは、21日(土)現地時間午後4時(日本時間午後11時)にスタートが切られる。

    小林可夢偉(GR010 HYBRID #7)
    ハイパーカーでの最初のポールポジションを獲得できたことは素晴らしいです。日曜日にGR010 HYBRIDでここル・マンを初めて走って以来、調整を続けてきたことで、着実な進化を遂げています。チームが最高の仕事で準備をしてくれたことが、このタイムに繋がったと思います。もう少しタイムを縮めることもできたと思いますが、トラックリミットに引っかかってしまったのは残念です。1周での最速ラップが取れれば良いというものではなく、我々は決勝レースでの成功という目標に向けて準備を行ってきました。我々はここ数年で何度かのポールポジションを獲得していますが、決勝レースでは勝てていないので、この予選の結果は何も保証してくれるものではありません。24時間レースは長いですし、いつもあと少しの運が必要なのです。

    ブレンドン・ハートレー(GR010 HYBRID #8)
    まず感激したのは、燃料搭載を少なくし、新品タイヤで、夜へ向かうコンディション下でのGR010 HYBRIDが素晴らしかったということです。クルマの感触は文句なく、練習走行での一貴のアクシデントから迅速に修復してくれたチームに本当に感謝しています。そして、素晴らしいアタックでポールポジションを獲得した可夢偉に祝福を送ります。私自身は、アタックラップ中にミスしてしまったのでちょっと悔しいです。7速へと一気に2つギアを上げてしまい、タイムをロスしてしまいました。車両には差は無かったので、ポールポジション獲得のチャンスもあったと思います。さらに良いペースだった2度目のアタックではコース上の車両に阻まれ、万事休すとなりました。残念な気持ちはありますが、最前列グリッドを獲得できたことは良かったですし、7号車の結果も嬉しいです。

    WEC 第4戦 ル・マン24時間 ハイパーポール結果(総合順位)

    順位 No. ドライバー名 チーム/車種 周回 ベストタイム
    1 7 マイク・コンウェイ
    小林可夢偉
    ホセ・マリア・ロペス
    TOYOTA GAZOO Racing/
    トヨタ GR010 HYBRID
    6 3:23.900
    2 8 セバスチャン・ブエミ
    中嶋一貴
    ブレンドン・ハートレー
    TOYOTA GAZOO Racing/
    トヨタ GR010 HYBRID
    7 3:24.195
    3 36 アンドレ・ネグラオ
    ニコラス・ラピエール
    マシュー・バキシビエール
    アルピーヌ・エルフ・マトムート/
    アルピーヌ A480-Gibson
    9 3:25.574
    4 708 ルイス・フェリペ・デラーニ
    フランク・マイルー
    オリビエ・プラ
    グリッケンハウス・レーシング/
    グリッケンハウス 007 LMH
    10 3:25.639
    5 709 ロマン・デュマ
    ライアン・ブリスコー
    リチャード・ウェストブルック
    グリッケンハウス・レーシング/
    グリッケンハウス 007 LMH
    9 3:27.656
  • 小林可夢偉 「F1日本GPの表彰台は優勝したベッテルに申し訳なく感じた」

    小林可夢偉 「F1日本GPの表彰台は優勝したベッテルに申し訳なく感じた」

    小林可夢偉は、2012年のF1日本GPでの表彰台は、優勝したセバスチャン・ベッテルに申し訳なく感じたと語った。

    小林可夢偉は、鈴鹿サーキットで開催された2012年のF1日本GPで3位フィニッシュ。日本人としては2004年アメリカGPでの佐藤琢磨以来8年ぶり、鈴鹿では1990年鈴木亜久里以来22年ぶりとなる日本人3人目の表彰台登壇者となった。

    小林可夢偉は、表彰式のインタビューで「初めての表彰台を日本で上がれたことが本当に嬉しく思っているし、信じられない」と語り、鈴鹿サーキットには観客たちの“可夢偉コール”が鳴り響いた。

    小林可夢偉は、最近のポッドキャストで、優勝したセバスチャン・ベッテルのお祝いを台無しにしてしまうのではないかと申し訳なく感じていたと説明した。

    「日本のファンの皆さんには本当に感謝しています」と小林可夢偉は語った。

    「観客は優勝したような気分になるくらいお祝いしてくれましたが、一緒に表彰台に登壇していたセブ(ベッテル)とフェリペ(マッサ)には本当に申し訳なく感じました」

    「セブは鈴鹿でいつも強いと思います。そして、フェリペ長い間表彰台に立っていなかったと思います。彼は久しぶりの2位でした。おそらく1~2年ぶりかもしれません。だから、彼はハッピーだったはずです」

  • 小林可夢偉、トヨタF1撤退後のF1キャリアを振り返る

    小林可夢偉、トヨタF1撤退後のF1キャリアを振り返る

    小林可夢偉が、トヨタがF1から撤退して以降のF1キャリアについて振り返った。

    トヨタF1のリザーブドライバーを務めていた小林可夢偉は、負傷したティモ・グロックに代わって2009年のF1ブラジルGPでF1デビュー。日本人として18人目のF1ドライバーとなった。

    F1ブラジルGPでは予選11位を記録し、決勝ではチャンピオンであるジェンソン・バトンを抑えて一時は3位までポジションを上げるが、入賞に一歩届かず9位でフィニッシュ。実戦F1アブダビGPでもドライバーを務めた小林可夢偉はチームメイトのヤルノ・トゥルーリを上回る6位入賞を果たした。

    翌年のトヨタF1のレギュラーシート昇格が期待されていた小林可夢偉だったが、シーズン終了後、トヨタはF1撤退を発表。シートがない状況に陥った。

    トヨタがF1から撤退しようとしていることは知っていたかと質問された小林可夢偉は「いいえ。噂があることは知っていましたが、通常、チームがすぐに辞めることはないですからね。通常はもう1年残ります」と Beyond the Grid Podcast に語った。

    「そういうわけで、それについてあまり心配していなかったので、驚きでしたね。アブダビの後に電話があり、ドイツに会議のために向かいました。てっきり2010年のオファーだと思っていました。でも、実際の会議はトヨタがF1を撤退するというものだった。非常にショックを受けました」

    小林可夢偉は、その後もトヨタとのコネクションを保っていたが、2010年にはトヨタ以外のドライブを探すことを余儀なくされた。幸い、そのシートはザウバーで利用可能になった。

    小林可夢偉は、2012年のF1日本GPでホームファンの前で3位表彰台を獲得してその名を馳せた。そのアグレッシブなドライビングスタイルと素晴らしいタイヤマネジメントで小林可夢偉はF1ファンの心を勝ち取った。

    だが、悲しいことに、ザウバーが財政難に陥ったことで小林可夢偉は2012年シーズンでシートを喪失する。

    「ザウバーは経済的な問題を抱えていたので驚きはしませんでした」と小林可夢偉はザウバーのシート喪失について語った。

    「ザウバーとの機会には本当に感謝しています。僕の出身地はF1から遠く離れたところにありますし、僕の家族はモータースポーツの出身ではありません」

    「カートを始めた若い頃は、F1がどういうものかも分からず、とにかくレーシングドライバーになりたいと思っていました。だから、そこからF1まで行けたことは、すでに自分が期待していたものとは違う何かだったと感じています」

    「その年(2012年)は悪い仕事をしていたわけではなかったので本当に残念でした。ザウバーのシートを失うことは本当に残念でしたが、一方で、F1で自分が何ができるかを示すのに十分なほど他の強いチームからのオファーはありませんでした」

    「結局、F1での経験は僕にとって本当に素晴らしいものだったと思います」

    小林可夢偉は、2014年に競争力のあるF1シートを見つけるための年として2013年を使用することを決定したが、その間にフェラーリのテストドライバーに就任。フェラーリのGTプログラムにも参加してAFコルセからWECに参戦した。

    だが、2014年に小林可夢偉はフェラーリからの拡張されたテストドライバーのオファーを断り、代わりにポイントを獲得できていなかったバックマーカーのケーターハムとF1グリッドに戻った。そして、それがF1での最後のシーズンとなった。

    「とても難しい決定でした。フェラーリと契約を結んでいましたが、F1プログラムに参加するというオプションはありませんでした」と小林可夢偉は振り返る。

    「GTプログラムには参加できたかもしれませんが、F1はありませんでした。何度かテストを行うことはできたかもしれませんが、1年後には多くのテストはできなくなる状況でした」

    「だから、そこにはいたくなかったし、自分がフェラーリでレースをすることは想像できませんでした。だからこそ、強いチームではありませんでしたが、ケータハムとの他の選択肢を選びました。F1にいるだけでしたが、そこで本当に良い結果を得ることができれば、より現実的な選択肢だったと思っています」

    小林可夢偉はF1から離れて以降に成功を収め、トヨタのドライバーとして2019-2020シーズンのFIA 世界耐久選手権のタイトルを獲得。ル・マンでは3回の2位フィニッシュをしている。

    しかし、F1への復帰の可能性については「テレビで見ることにかなり満足しています」と小林可夢偉は語った。

  • 小林可夢偉、ザウバーF1時代に「アロンソを抜いてフェラーリを怒らせた」

    小林可夢偉、ザウバーF1時代に「アロンソを抜いてフェラーリを怒らせた」

    小林可夢偉は、ザウバー所属時の2021年にフェルナンド・アロンソを抜いたことでフェラーリを怒らせたというエピソードを披露した。

    2021年にザウバーに所属していた小林可夢偉は、F1日本GPで初表彰台を獲得するなど、パフォーマンス的に乗りに乗っていた。

    Beyond The Grid の最新エピソードで最も記憶に残る瞬間について質問された小林可夢偉は、2012年の最終戦ブラジルGPでフェルナンド・アロンソを抜いたときだと語った。

    当時、フェルナンド・アロンソはフェラーリでタイトルを争っており、フェラーリのチーム代表であるステファノ・ドメニカリからザウバーのチーム代表であるモニシャ・カルテンボーンにアロンソを先に行かせるように連絡が入ったという。

    「オーバーテイクしてすぐにステファノ・ドメニカリから速攻でモニシャに『何をしてくれるんだ?』とメッセージが入りました」と小林可夢偉はコメント。

    それはザウバーがフェラーリのF1エンジンを使用していたからかと質問された小林可夢偉は「そうですね。それに彼(アロンソ)はチャンピオンシップがかかっていましたからね」と答えた。

    最終的にフェルナンド・アロンソは2位でフィニッシュしたが、6位でフィニッシュしたセバスチャン・ベッテルに3ポイント届かず、ランキング2位でタイトルを逃した。

    この年でザウバーのシートを喪失した小林可夢偉だったが、決してフェラーリとの関係が悪くなったわけではなく、2013年にテストドライバーとしてフェラーリに加入している。

  • F1:小林可夢偉 「トヨタのスクールで角田裕毅を指導していた」

    F1:小林可夢偉 「トヨタのスクールで角田裕毅を指導していた」

    元F1ドライバーの小林可夢偉(34歳)が、今年、F1デビューを果たした角田裕毅(20歳)とのエピソードを語った。

    先週末、角田裕毅は7年ぶりの日本人F1ドライバーとしてアルファタウリ・ホンダからF1デビューを果たし、ファイナルラップでランス・ストロール(アストンマーティンF1)をオーバーテイクしてF1バーレーンGPを9位でフィニッシュした。

    この活躍は日本のみならず海外で話題となっており、レッドブルF1の幹部たちは日本人初のF1ワールドチャンピオンも夢ではないと絶賛している。

    小林可夢偉は、鈴鹿での表彰台を含め、2009年から2014年までのF1キャリアで75戦をスタートして125ポイントを獲得。角田裕毅と同じように攻撃的なドライビングスタイルが代名詞だった。

    小林可夢偉はトヨタの契約ドライバー、角田裕毅はホンダの契約ドライバーと、一見すると接点はないように思えるが、角田裕毅は2016年に16歳で限定A級ライセンスを取得して、鈴鹿サーキットレーシングスクールのスカラシップ選考会に進む前、トヨタのスクールであるフォーミュラトヨタ・レーシングスクール(FTRS)門を叩いていたという。

    「彼がホンダのスクールに入る前、彼はトヨタのスクールに来ていて、僕は彼に指導していました」と小林可夢偉は BeyondTheGrid で角田裕毅について語った。

    「彼は14歳か15歳でした…時々彼と話をしました…彼は良い結果を出していくと思いますが、マシンやチームにどのようにフィットし、どのようにうまくマッチするかによっても異なってくると思います」

    ホンダのスカラシップ最終選考会は、現在日本のスーパーフォーミュラを戦う大湯都史樹(主席)と笹原右京(次席)が合格し、角田裕毅は落選してしまうが、校長の中嶋悟の推薦もあり2017年にSRS/コチラレーシングから全日本F4に参戦。2018年にホンダ・フォーミュラ・ドリーム・プロジェクト(HFDP)の育成ドライバーに選ばれ、全日本F4でチャンピオンを獲得。

    2019年にはレッドブルのジュニアドライバーとなり、ヨーロッパにわたってFIA-F3に参戦して9位でシーズンを終えた角田裕毅は、2020年にFIA-F2でランキング3位となってF1スーパーライセンスを獲得。2021年にF1デビューを果たすことになった。

    「彼の隣には本当にタフなドライバー(ピエール・ガスリー)がいますしね」と小林可夢偉はコメント。

    「同じマシンで互角に戦うことが重要だと思います。彼はF2では良かったですが、F3を見れば、それほど特別ではなかったので、彼が同じマシンで匹敵できれば、良い未来が待っていると思います」

    小林可夢偉は、今後のF1キャリアでは角田裕毅は浮き沈みを経験することもあると考えており、それを乗り越えるためにも優れたマネージャーが必要になると付け加えた。

    「彼がパフォーマンスを発揮することはできると思いますが、彼には非常に優れたマネージャーが必要です!」と小林可夢偉は語る。

    「将来の契約のためにですかね。確かに彼は良い結果を出すことができると思いますが、いくつかのミスもあるかもしれません。ミスをした場合、チームにそれをうまく説明してくれる誰かが必要です」

    「彼はまだ若く、モータースポーツでの経験があまりないので、彼自身を管理していくれるフィルターの役割を果たしてくれる人が必要ですし、自分の気持ちと自信を管理するのを手伝ってくれる人が必要になってくると思います」

    「彼のスピードに疑いの余地はないですし、いずれ彼は良い結果を出すでしょう。しかし、重要なのは、彼がチームに対するイメージをどのように管理するか、F1で彼の名前をどのようにブランド化するかです。これが最も重要なことだと思います。僕に言えるのはそんなところです」

  • 小林可夢偉 「トヨタがF1にもう1年残っていたら勝っていた」

    小林可夢偉 「トヨタがF1にもう1年残っていたら勝っていた」

    元F1ドライバーの小林可夢偉がトヨタF1時代を振り返り、チームはもう1年F1に残っていればレースに勝っていただろうと語った。

    2002年にF1参戦を開始したトヨタは、2009年末までに13回の表彰台を獲得した。しかし、2009年のF1アブダビGPを最後にトヨタはF1から撤退。前戦F1ブラジルGPで代役としてF1デビューを果たし、翌年のレギュラーシート昇格が期待されていた小林可夢偉はシートを失った。

    トヨタがF1から撤退しようとしていることは知っていたかと質問された小林可夢偉は「いいえ。噂があることは知っていましたが、通常、チームがすぐに辞めることはないですからね。通常はもう1年残ります」と Beyond the Grid Podcast に語った。

    「そういうわけで、それについてあまり心配していなかったので、驚きでしたね。アブダビの後に電話があり、ドイツに会議のために向かいました。てっきり2010年のオファーだと思っていました」

    「しかし、実際の会議はトヨタがF1を撤退するというものだったので、非常にショックを受けました」

    翌シーズン、ペドロ・デ・ラ・ロサはピレリのF1テスト業務の一環としてトヨタが使うはずだったシャシーを使用し、非常に感銘を受けた。

    小林可夢偉は、舞台裏で行われている作業と技術を見て、トヨタがF1に滞在していれば、2010年にレースに勝っていただろうと語った。

    「彼らがどのようなテクノロジーを持っているかを知っていました。正直なところ、もう1年いれば、彼らは勝つと確信していました」と小林可夢偉は語った。

    「エンジンはすでに30~40馬力をアップデートできることを知っていました。それにすでにそのスポードの一定量を引き出すことができていました」

    「彼らはドラッグを減らし、最高速度を上げることができていました。彼らはすでにマシンにブロウン・ディフューザーを持っていましたし、彼らは彼らが持っていたものより技術的にもはるかに進んでいたと思います」

    「2010年に、マニュファクチャラーたちはブロウン・ディフューザーに取り組み始めましたが、トヨタはすでにそれだけでなく、いくつかの追加のものさえ持っていました」

    「テクノロジーに関して、彼らは本当に優れていたので、残念でした」

  • 小林可夢偉 「角田裕毅の成功には優れたマネージャーが必要」

    小林可夢偉 「角田裕毅の成功には優れたマネージャーが必要」

    元F1ドライバーの小林可夢偉は、角田裕毅がF1で成功を収めるためにはチームとのフィルターとして機能する優れたマネージャーが必要だと語る。

    角田裕毅は、小林可夢偉以来7年ぶりのF1ドライバーとしてアルファタウリ・ホンダから先週末のF1バーレーンGPでデビュー。予選は13番手となったが、9位まで挽回する走りでパドックとファンに感銘を与えた。

    先輩ドライバーである小林可夢偉は「彼がパフォーマンスを発揮することはできると思いますが、彼には非常に優れたマネージャーが必要です!」とF1公式ポッドキャスト『Beyond the Grid』で語った。

    マネージャーの重要性について質問された小林可夢偉は次のように述べた。

    「…将来の契約のためにですかね。確かに彼は良い結果を出すことができると思いますが、いくつかのミスもあるかもしれません。間ミスに関して、彼にはチームにそれらをうまく説明する誰かがいる必要があります。彼はまだ若く、モータースポーツでの経験があまりないので、彼自身を管理していくれるフィルターの役割を果たしてくれる人が必要ですし、自分の気持ちと自信を自分で管理するのを手伝ってくれる人を知る必要があります。僕に言えるのはそんなところです」

    小林可夢偉は、角田裕毅がマネージャーと一緒に進めていかなければならない重要なステップについて語った。

    「彼のスピードに疑いの余地はないですし、いずれ彼は良い結果を出すでしょう。しかし、重要なのは、彼がチームに対するイメージをどのように管理するか、F1で彼の名前をどのようにブランド化するかです。これが最も重要なことだと思います」

    小林可夢偉は、角田裕毅がF1で素晴らしい仕事をすることができると感じているが、良い環境にいることが重要だと強調する。角田裕毅はフF1に昇格する前にF2で素晴らしいシーズンを過ごした。しかし、F3での彼のシーズンは平均的で、グリッド上の複数のドライバーが若い日本人を上回っていた。

    角田裕毅のF1での展望について小林可夢偉は次のように語った。

    「彼は良い結果を出していくと思いますけど、彼がどのようにフィットするか、そして、彼がどのようにマシンやチームと本当に良い戦いをすることができるかが重要です」

    また、角田裕毅のアルファタウリ・ホンダでのチームメイトとなるピエールガスリーの挑戦について、小林可夢偉は次のように語った。

    「ピエール・ガスリーはアルファタウリで本当に良い走りをしています。彼(角田)の隣にはとてもタフなドライバーがいると思います。彼は自分のマシンに匹敵する結果を出すことが重要だと思います。彼はF2で良い結果を出していましたが、F3を見るとそれほど特別ではありませんでした。マシンにマッチすることができれば、良い結果を出せると思います」

    小林可夢偉は、トヨタのリザーブドライバーを務めていた2009年のF1ブラジルGPで負傷欠場のティモ・グロックの代役としてF1デビュー。ポジティブな走りを見えて、翌年の躍進が期待された矢先にトヨタがF1撤退を発表。

    その後、自力でザウバーのF1シートを獲得し、2012年のF1日本GPでは3位表彰台を獲得したが、その年にシートを喪失。2014年にケータハムでF1復帰を果たしたが、チームにとっても可夢偉にとっても財政的に苦しいシーズンとなり、その年を最後にF1を去った。

  • 小林可夢偉、スーパーフォーミュラ開幕戦欠場 「沢山の人に迷惑をかけた」

    小林可夢偉、スーパーフォーミュラ開幕戦欠場 「沢山の人に迷惑をかけた」

    小林可夢偉が、2021年のスーパーフォーミュラ開幕戦を欠場することになった経緯を説明。セブリング12時間レースに出場したことで、自主隔離が必要になったためだと説明した。

    小林可夢偉は2021年のスーパーフォーミュラにKCMGからエントリーしていたが、4月4日に富士スピードウェイで開催される開幕戦を欠場。小高一斗が代役を務めることが発表されている。

    「まず、今週末に富士で行われるスーパーフォーミュラには残念ながらセルブリング12時間に参戦した事により出場する事が出来なくなりました。理由はセルブリング12時間から帰国後の日本滞在期間が自粛隔離中である為にスーパーフォーミュラを運営してるJRPから正式に出場が認められ無かった事です。」とコメント。

    「今回セルブリング12時間出場には本来トヨタ所属ドライバーとしてスーパーフォーミュラ開幕戦への出場出来なく可能性から出ないで欲しいと言う意向でありました。ただ僕自身の希望で今回トヨタと契約してるドライバーでありながら個人的なワガママで、モリゾウさん、GRプレジデントの佐藤さんから許可を頂きセルブリング12時間へ出場させて頂きました」

    「個人的に緊急事態宣言が解除され、もしかしたら自粛待機規制も緩和されるかもと言う希望はありました。ただ、今のコロナ禍ではスーパーフォーミュラフル参戦が開幕戦のみならず、今後も欠場の可能性が高い状況で(出来ればチャンピオンシップを戦える)レースを優先させて欲しいと言う希望で今回開幕戦に参加する事が出来なくなりました」

    「今回沢山の人に開幕戦参戦への可能性を模索して頂きましたが全て今回の欠場は自分自身の責任で沢山の人に迷惑をかけてしまったと思ってます。ただ、今回アメリカレース参戦を望んだ理由として日本人が世界的レースで活躍する姿を沢山の人に見てもらい、これから世界で戦う夢みる少年レーサーに何かしら目指す道をもっと知ってもらって欲しい、レーサーだけじゃ無く世界で活躍する夢をもっと皆んなで共有して沢山の分野で世界的に戦う日本人をお互い意識し合えればと思ったのが僕の正直な気持ちです。」

    「今回、自分自身に沢山のリスクを感じながら、ワガママで挑んだセブリング12時間は自分自身はやれる事はやれたレースだと思いましたが、結果はペナルティーでクラス最下位。。。 素直に凄い落ち込みました」

    また、小林可夢偉は、父親が亡くなったことを伝えた。

    「レース後日本帰国の為に空港に移動して母親から電話がかかってきました。親父が亡くなったと言う連絡でした。そのまま帰国、帰国翌日からお通夜、お葬式が行われあっという間の数日間です」と小林可夢偉はコメント。

    「親父と最後に話したのは日本時間の金曜日。その2日後の日曜日に心筋梗塞で亡くなった事がわかりました。恐らく僕のレースをJ SPORTSで観戦しながら亡くなったのだと思います。心からJ SPORTSさんへ緊急放送ありがとうございました。親父も楽しんで僕のレース観てたと思います」

    「そして先程サラッとお通夜のお話をしましたが、実は今回僕の不幸があった旨を関係者に連絡をしました。 その翌日がお通夜当日になりますが、あのモリゾウさんが遥々東京から親父のお通夜にお線香をあげに来てくれました。もちろん親父とは面識はありません。僕はこの瞬間心からモリゾウさんを社長としてだけでは無く、人として尊敬しました」 

    「本当にありがとうございました! 親父はマジで喜んでます!」

    「そんな感じで親父の遺品整理などしながら過ごしてる時に正式にJRPからの正式発表があったとの事で今はゆっくり親父の遺品整理しながらスーパーフォーミュラ開幕戦をテレビで観戦しようと思ってます」

  • F1豆知識:日本人のデビュー戦予選最高位は小林可夢偉の11番手

    F1豆知識:日本人のデビュー戦予選最高位は小林可夢偉の11番手

    2021年のF1世界選手権で7年ぶりの日本人F1ドライバーとしてデビューする角田裕毅は、予選Q1で2番手タイムを記録してファンを沸かせたが、最終結果は13番手と日本人ドライバーのデビュー戦予選最高位記録を更新することはできなかった。

    過去にF1フル参戦を果たした日本人ドライバーの中で、デビュー戦の予選最高位は2009年のF1ブラジルGPでの小林可夢偉の11番手。前戦日本GPでトヨタのレギュラードライバーのティモ・グロックがクラッシュして脊椎を負傷したことで、リザーブドライバーを務めていた小林可夢偉が代役参戦を果たした。

    13番手で予選を終えた角田裕毅は「初めての予選は13位。ミディアムの感触がイマイチで少し悔しい結果になりましたが、Q1はよかったです!決勝に向けて、ギリギリまでやれることは全てやります。マシンは好調なので楽しみですイイね」と自身のTwitterに投稿した。

    ちなみに日本人ドライバーの予選最高位は小林可夢偉(2012年ベルギーGP)と佐藤琢磨(2004年ヨーロッパGP)の2番手。決勝での最高位は小林可夢偉(2012年日本GP)、佐藤琢磨(2004年アメリカGP)、鈴木亜久里(1990年日本GP)の3位表彰台となっている。