カテゴリー: スクーデリア・フェラーリ

  • フェラーリF1のシャルル・ルクレール、2度目の新型コロナウイルス感染

    フェラーリF1のシャルル・ルクレール、2度目の新型コロナウイルス感染

    フェラーリF1は、シャルル・ルクレールが2021年に2度目となる新型コロナウイルイスに感染したことを発表した。

    シャルル・ルクレールは、今年1月に新型コロナウイルスに感染して軽度の症状を示していた。シーズンが終了してアブダビからモナコの自宅に戻ったルクレールだが、新型コロナウイルス検査で陽性反応が出た。

    フェラーリF1はソーシャルメディアで「スクーデリア・フェラーリ・ミッションウィノウのドライバーであるシャルル・ルクレールは、新型コロナウイルス検査で陽性となった。FIAとチームが要求するプロトコルに従って、シャルルはアブダビからの帰国時に検査を受けた」

    「現在、症状は軽度で彼は元気であり、自宅で自己隔離する」

    2021年シーズンでは、キミ・ライコネンとニキータ・マゼピンが、新型コロナウイルスに関してしてレースを欠場している。昨年は、ルイス・ハミルトン、セルジオ・ペレス、ランス・ストロールが感染によって欠場している。

    シャルル・ルクレールは最終戦F1アブダビGPを10位でフィニッシュし、フェラーリのチームメイトであるカルロス・サインツとマクラーレンのランド・ノリスに次ぐドライバーズチャンピオンシップで7位でシーズンを終えた。

  • フェラーリF1、カルロス・サインツとの2023以降の契約延長を示唆

    フェラーリF1、カルロス・サインツとの2023以降の契約延長を示唆

    フェラーリF1のチーム代表を務めるマッティア・ビノットは、今シーズンのオフ期間にカルロス・サインツとの契約を2023年以降まで更新する方向で検討すると認める。

    最終戦F1アブダビGPでは、タイトルを争うマックス・フェルスタッペンとルイス・ハミルトンに完全に隠れてしまったが、表彰台の最後のスポットにはカルロス・サインツが立った。

    「フェラーリでの最初のシーズンを表彰台で終えられるなんて魔法のようなシーズンだ」とカルロス・サインツはコメント。

    「これでチャンピオンシップ5位になれたと思う」

    今年、マクラーレンからフェラーリに加入したカルロス・サインツだが、シーズン序盤は今後のフェラーリF1を背負って立つ期待がかけられているシャルル・ルクレールのペースに匹敵でいないことがあった。

    しかし、フェラーリのF1マシンに慣れてくる徐々に調子を上げ、最終的にランキング7位となったシャルル・ルクレールを上回る成績でシーズンを終えた。

    カルロス・サインツとフェラーリF1との契約は2022年までとなっている。

    しかし、今季の活躍を考えれば、さらにカルロス・サインツとの契約をさらに延長することを考えているかと質問されたマッティア・ビノットは「カルロスにとっては素晴らしい年だった」とコメント。

    「1年前に彼と契約したとき、冬に今シーズンの間に起こったこと全てをレビューし、話し合うことになると話をした」

    「したがって、この冬にそうすることになる。シーズン全体を振り返る合同レビューを行い、今後どうするかについて話し合う」

    マティア・ビノットは、今年のカルロス・サインツの仕事はチームの期待に十分に沿うものだったと語る。

    「カルロスと契約したとき、我々としてはコンスタントにポイントを獲得することができる2人の優秀なドライバーが欲しいと思っていた。今シーズンはそうなった」

    「今シーズンのカルロスに非常に満足している。彼にとってフェラーリとは初めてだったし、簡単なことではなかったはずだ」

    「だが、我彼と契約したのは、彼がポイントを獲得でき、学ぶことができる優秀なドライバーだからだ」

  • ジャン・トッド、FIA会長退任後にフェラーリF1に復帰?

    ジャン・トッド、FIA会長退任後にフェラーリF1に復帰?

    FIA会長の任期を満了するジャン・トッドが、コンサルタントとしてフェラーリF1に復帰する可能性が報じられている。

    ジャン・トッドは、過去にフェラーリのF1チーム代表を務め、1999年から2004年にかけて6回のコンストラクターズチャンピオンシップと5回のドライバーズタイトルを連続して獲得し、F1の記録を打ち破った。

    1993年にフェラーリのゼネラルマネージャーとして参加した後、チームの多くをまとめたのはジャン・トッドであり、1996年にミハエルシューマッハをベネトンから獲得し、デザイナー兼空力スペシャリストであるロリー・バーンとテクニカルディレクターのロスブラウンを迎えた。

    フェラーリに名声を取り戻すという使命を果たしたジャン・トッドは、2009年までチームに残った後、その年の10月にF1の統治機関であるFIAの会長に就任した。

    3期にわたってFIA会長を務めたジャン・トッドは、2021年に任期満了を迎える。

    Corriere Della Seraによると、ジャン・トッドはアドバイザーの役割で2022年のフェラーリF1へのカムバックについて話し合っていると報じている。

    彼らの報告によると、8月のル・マン24時間レースでフェラーリのCEOであるジョン・エルカーンとの交渉が始まったという。

    ジョン・エルカーンは、ジャン・トッドががいることで自分の役割を拡大できると感じており、「スクーデリアの政治的スポーツの重みを高めることができるスーパーコンサルタントの役割を果たし、会長のコミットメントを軽減し、この意味で彼が優れた関係を維持しているマッティア・ビノット(チームプリンシパル)もサポートする」

    ジャン・トッドは、メルセデスF1で故ニキ・ラウダが果たしたような役割を期待されている。

  • カルロス・サインツ、3位表彰台 「学んだすべてをまとめることができた」

    カルロス・サインツ、3位表彰台 「学んだすべてをまとめることができた」

    フェラーリF1のカルロス・サインツは、タイトルを争う2人にスポットライトが当てられたF1アブダビGPで3位表彰台を獲得。フェラーリF1移籍初年度にチームメイトのシャルル・ルクレールを上回るランキング5位でシーズンを終えた。

    他の移籍組と同様に序盤はマシンの対応に苦労したが、4回の表彰台を獲得。ランキング7位のチームメイトのシャルル・ルクレールよりも5.5ポイント多く獲得し、ルクレールのセカンドドライバーとしての契約ではないことを自らの力で証明し、フェラーリでの1年間の学習を完璧に締めくくった。

    カルロス・サインツは、シーズン後半の3分の1は強力だったと感じており、F1アブダビGPを表彰台で終えることは、この進歩の“象徴”だと振り返る。

    今シーズンにどのような結果を期待していたかと質問されたカルロス・サインツは「正直、何を期待していいのか分からなかった。でも、期待はかなり高かった」とSky Italiaに語った。

    「僕が確信しているのは、ポジティブなシーズン序盤を過ごせたことに満足していることだ。それはシーズンをスタートするにあたって正しい足がかりになった」

    「それは、そこからここフェラーリのドライバーとして素晴らしい成長を遂げさせてくれたし、シーズンの最後の3分の1では非常に力強い走りを見せて、表彰台、完璧なレース、そして、チャンピオンシップ5位でフィニッシュすることができた。僕の人生を変えることのない良い結果だ。もっと象徴的なことだ」

    「この表彰台によって、今シーズン中に学んだすべてをまとめることができた。ファーストラップ、タイヤ、この3位を達成するためのすべてのことをね」

    フェラーリF1は、新しいレギュレーションがチームをタイトル争いに戻すことができることを望んでいる。しかし、この段階でカルロス・サインツは、それが実現するかどうかを言うことは不可能だと語る。

    「新しいマシンがどうなるか見てみよう」とカルロス・サインツは2022年の目標について語った。

    「シミュレーターでは、運転するのが非常に難しいし、興味深い。まったく新しい課題になるだろう。すべてのドライバーが適応する必要がある」

    「このマシンを運転するのが好きになり始めたちょうどその時、代わってしまう。でも、来年も良い仕事ができると確信しているし、今後の展開に自信を持って準備ができている」

  • キミ・ライコネン 「アロンソと交代したフェラーリF1に恨みはない」

    キミ・ライコネン 「アロンソと交代したフェラーリF1に恨みはない」

    キミ・ライコネンは、2021年の最終戦F1アブダビGPでF1キャリアに終止符を打つ。

    2001年にザウバーでF1デビューを果たしたキミ・ライコネンは、2007年にフェラーリF1に移籍して最初のシーズンでF1ワールドチャンピオンを獲得した。

    2000年代初頭にミハエル・シューマッハが5回のタイトルを獲得した直後だったが、キミ・ライコネンの勝利は重要だった。14年後、ライコエンはまだフェラーリF1でチャンピオンシップを勝ち取った最後のドライバーのままだ。

    だが、F1ワールドチャンピオンになったことでキミ・ライコネンに何か違いはあったのだろうか?

    「人生が変わったとは思わない。人々はおそらく僕に対して違った見方をしていると思う。彼らは異なった質問をして、違ったものを期待していたけど僕の人生自体が変わったようには感じなかった。なぜ変わるのか?」

    「ただ違う結果だった。人々は違った見方をするかもしれないけど、率直に言って、違った見方をするのはあまり良い理由からではないと思う。僕がどういう意味で言っているのか分かるよね?」

    「ペドロ(セブリア/アルファロメオのプレスオフィサー)が優勝しても、僕は別の見方をすることはないだろう。彼は同じ男だろうね。確かに、フェラーリと両方のチャンピオンシップに優勝したとき、イタリアでは非常に情熱的だ。それでも、それは文句を言うことではない」

    フェラーリF1は2010年のドライバーとしてフェルナンド・アロンソと契約したため、2年後の2009年の終わりに、キミ・ライコネンはF1を離れることになった。

    しかし、キミ・ライコネンは恨みはないとし、フェラーリとの関係の強さの証拠は、2012年と2013年にロータスで2年間過ごした後、2014年にチームに復帰したことからも現れている。

    「フェラーリとの関係において、ずっと人々と良い関係を築いていると感じていた。それは重要なことだ」とキミ・ライコネンは語った。

    「明らかに彼らには理由があった。でも、僕はそれについて話すことに興味がないし、問題もない」

    「当時にもいつも言っていたけど、去ることにとてもハッピーだった。F1のすべての政治とくだらないことにうんざりしていたので、2~3年離れることができて良かった。それがなければ、良くも悪くも僕は今日ここにはいないだろう」

    「僕が彼らについて悪いことを言い始める理由はある? 彼らは彼らが望む人を車に乗せるすべての権利を持っていた。そして、僕たちは良い状態で離れたと思う」

    「もちろん、少しまあまあの人もいたけど、気にはしないていない。彼らには自分の考えがあるし、僕を完全に台無しにしようとしたわけではない。問題はない」

  • フェラーリF1、ロバート・シュワルツマンをF1アブダビテストに起用

    フェラーリF1、ロバート・シュワルツマンをF1アブダビテストに起用

    フェラーリF1の育成ドライバーであるロバート・シュワルツマンは、来週のアブダビで開催されるヤングドライバーテストで、フェラーリとハースの2チームのテストに参加する。

    先月、ハースF1は、2日間のテストのうちの1日にロバート・シュワルツマンがヤス・マリーナ・サーキットでVF-21をドライブすることを発表していた。

    そして、フェラーリF1もロバート・シュワルツマンが、ヤングドライバーテストでSF21をドライビすることを発表。22歳のシュワルツマンはF1カーでの走行経験をさらに積むことになる。

    以前、ロバート・シュワルツマンは、フェラーリF1とポストシーズンテストを実施し、2019年のイベントでSF1000をドライブしている。また、今年1月にフィオラノ、9月にイモラで2018年F1マシンであるSF71Hで走行している。

    フェラーリF1は、来週のアブダビでのテストで、ロバート・シュワルツマンとチームのシミュレータードライバーであるアントニオ・フォコの間で運転の義務が分担されると語った。

    「スクーデリア・フェラーリでまたテストを行えることをとてもうれしく思う」とシュワルツマンは語った。

    「このF1カーを運転できることを光栄に思いつつ、大きな責任も負っている。フェラーリからの信頼に非常に感謝している」

    「チームのためにデータを取得するという良い仕事をすることを目指しながら、可能な限り楽しみたいと思っている」

    現在、ロバート・シュワルツマンは、FIA F2選手権に出場しており、今週末の最終ラウンドに先立ってランキング2位につけている。

  • シャルル・ルクレール 「チームに大仕事をさせて申し訳ない」

    シャルル・ルクレール 「チームに大仕事をさせて申し訳ない」

    フェラーリF1のシャルル・ルクレールは、F1サウジアラビアGPのフリー走行2回目での激しいクラッシュをチームに謝罪。高速の衝撃によってマシンはほぼ大破した。

    シャルル・ルクレールは、ジェッダ・コーニッシュ・サーキットのターン22のキンクでオーバーステアのスナップに見舞われ、トラックの側面にあるバリアに後方からクラッシュした。

    最初の衝撃はリアウイングが受けたが、マシンはすぐに回転し、四方すべてが大きな損傷を負った。もちろん、ファンが見るべき最優先事項は、シャルル・ルクレールが高速で衝突した後、比較的無傷でマシンから降りることができたことだった。

    シャルル・ルクレールのクラッシュは、FP2の終了間際だったため、それまでに行った作業に満足できていたと語り、時間内にマシンを修理できれば、予選での強力なパフォーマンスでチームに報いることを望んでいると述べた。

    「残念ながら、僕が望んだような日にはならなかったけど、全体として、テストしたいすべてのことを完了させることができた」とシャルル・ルクレールはFormula1.comに語った。

    「ポテンシャルはあると思う。明日のためにすべてをまとめることができれば、良い一日になるはずだ」

    「でも、当然柄、明日までにマシンの準備を整えるために大仕事をしなければならないチームに申し訳なく思う。明日は良い結果を出して、可能な限りベストな方法で彼らに感謝できるように十分な仕事ををしたい」

    チームメイトのカルロス・サインツは金曜日に全体的にスムーズな走行を楽しんだ。全体的に良いペースを示し、サウジアラビアのサーキットレイアウトを賞賛した。

    「正直、これまでに運転したものとは大きく異なる」とカルロス・サインツは語った。

    「このトラックが与える強さとスリルとアドレナリンは、マカオ時代から経験していなかったものだ」

    「非常に異なり、非常に強烈で、非常に高速で、壁に非常に近い。内側の壁をブラッシングする直前にターンしようと努力していた」

    「かなりクレイジーだけど、これまでのところ誰もが安全を保っているようだ。明日と日曜日も同じように維持できることを願っている」

  • 【動画】 シャルル・ルクレールが高速のターン22で大クラッシュ

    【動画】 シャルル・ルクレールが高速のターン22で大クラッシュ

    フェラーリF1のシャルル・ルクレールは、F1サウジアラビアGPのフリー走行2回目でクラッシュを喫し、ジェッダ・コーニッシュ・サーキットでクラッシュを喫した最初のF1ドライバーとなった。

    10番手タイムをマークしていたシャルル・ルクレールは、終了間際にミディアムタイヤで走行中にターン22でクラッシュ。マシンは大破し、セッションは数分を残しえ赤旗のまま終了した。

    幸い、シャルル・ルクレールに怪我はなく、サウジアラビアの国旗カラーに塗られたメディカルカーで現場を後にした。

  • ジャン・トッド 「1994年にアイルトン・セナのフェラーリF1加入を拒否した」

    ジャン・トッド 「1994年にアイルトン・セナのフェラーリF1加入を拒否した」

    元フェラーリF1のチーム代表を務めるジャン・トッドは、1994年に先駆けてチームに加入したいというアイルトン・セナの打診を拒否したことを明らかにした。

    アイルトン・セナのフェラーリF1加入は“決して怒らなかった夢のF1移籍”リストで常に登場するが、1994年に実現する可能性があった。

    当時、フェラーリF1のチーム代表だったジャン・トッドは、1994年のジャン・アレジとゲルハルト・ベルガーとの契約を尊重したかったため、その移籍は実現しなかったとbeIN Sportsに説明した。

    「私がフェラーリに到着してから数週間後、モンツァの週末に滞在していたコモ湖のホテルでアイルトン・セナと会った」とジャン・トッドは語った。

    「私は1995年にフェラーリへの移籍をオファーしたが、彼は1994年を望んでいた。我々はすでにジャン・アレジとゲルハルト・ベルガーの2人のドライバーが契約していたので、彼の要求に応えられなかった。アイルトンが理由を尋ねたとき、私は彼に状況を説明した」

    「彼は諦めず、F1では契約は重要ではないと言ったが、私としては契約は尊重しなければならないと答えた」

    「それで我々は彼に1995年の契約をオファーした。だが、残念ながら、我々は何が起こったのかを知っている」

    「私がフェラーリに入社したとき、シャシーの担当者はエンジンのせいで勝てなかったと言い、他の人はシャーシが問題だと言い、また他の人はドライバーが責任だったと言っていた。だから、私はトップドライバーが欲しかった」

    「私は自分自身に言い聞かせた。我々には排除できる変数がある。我々が世界で最高のドライバー、または少なくともすでにワールドチャンピオンを獲得したことのあるドライバーを獲得できれば、言い訳を排除できるとね」

    「セナがいたら、誰もドライバーのせいにはできなかっただろう。それが、後でミハエル・シューマッハを獲得した理由だ」

    また、ジャン・トッドは、フェラーリF1は栄光の日々を取り戻すという大きな課題を抱えていたため、人々は自分にフェラーリF1には絶対に参加しないようにと言っっていたと回顧する。

    それは長いプロセスだったが、最終的にはフェラーリのF1史上最も支配的な時代の1つにつながるプロセスだった。

    「誰もが、行くべきではないと私に言っていた。不可能なミッションだとね。だが、それが私をやってみようという気持ちにさせた」

    「簡単ではなかった。1993年7月1日にフェラーリに参加し、1999年に最初のコンストラクターズワールドチャンピオンシップで獲得したので、到着してからかなり時間がかかった。翌シーズン、ミハエルと一緒に最初のドライバーズワールドチャンピオンシップで優勝た」

    「そして、それらの成果の前に、私は何度も考えた。ああ、彼らは正しかった。我々は決してそれを成し遂げることはないだろうとね」

  • フェラーリF1代表 「シーズン終了が待ち切れない。もう耐えられない」

    フェラーリF1代表 「シーズン終了が待ち切れない。もう耐えられない」

    フェラーリF1のチーム代表を務めるマッティア・ビノットは、2021年シーズンを“もう耐えられない”ので“早く終了してほしい”と語る。

    2020年は悲惨なシーズンに耐えてラインキング6位で終えたフェラーリF1だったが、今季はパフォーマンスを大幅に改善させ、現時点でマクラーレンに39.5ポイント差をつけてランキング3位につけている。

    フェラーリF1は、次世代F1マシンが導入される2022年にウィナーズサークルに戻ることを目指して、焦点とリソースを2022年F1マシンの開発に完全に捧げている。

    残り2レースとなった2021年シーズンだが、マッティア・ビノットは、2021年シーズンが早く終わってほしいと語る。

    「学ばなければならなかったことは学んだ」とマッティア・ビノットはCorriere dello Sportに語った。

    「我々はもはや何も開発しておらず、新しいマシンでの新たなチャプターを開くために先を争うことは不可避だ」

    「誠実に言おう。もう耐えられない。今シーズンが終わるのが待ちきれない」

    マッティア・ビノットは、当初から、今シーズンのフェラーリの主な焦点は最も重要な2022年の設計にあると主張していた。

    「現在のマシンを実際に開発したことは一度もない」とマッティア・ビノットは語った。

    「シーズンの初めにいくつかの開発を導入した。それだけだ」

    「後半のパワーユニットはあったが、そのパワーユニットも2022年を視野に入れた開発だった。シーズンの初めからのすべての努力はずっと2022年のマシンであり、妥協することはなかった」

    「だから、ある段階で2021年の利益のために2022年にペナルティを不利にしようということが頭に浮かんだことは一度もなかった」

    また、マッティア・ビノットは、2020年と比較した今シーズンのフェラーリの好転は、全面的なもの、特に全体駅な運営における堅実な改善に根ざしていると述べた。

    「現在、我々が3位に到達していのは、チームがマシン自体が開発したからではなく、シーズンの初めからチームのさまざまな週末の働き方が大幅に改善されたからだと思う」とマッティア・ビノットは付け加えた。

    「戦略、管理方法、ドライバーとのコミュニケーション、我々やっていることへの理解という点で多くの進歩を遂げた。タイヤマネジメントも大幅に改善された」

    「ポール・リカール以降のチームは、それをより良くしようとするための多くの小さなツール、方法論を開発したと思う」

    「昨年のチャンピオンシップのポイントがほとんどない6位だった頃を見れば、現在のレギュレーションでできることを最大限に活用したと思う。また、2021年のマシンについてマシンの大部分は開発の機会が非常に限られていた」

    「全体として、チームはやることが可能な部分で大きな進歩を遂げたと思う。そのため、3位のポジションは努力の素晴らしい成果であり、私はとても満足している」