カテゴリー: F1ドライバー

  • F1バーチャルGPにバルテリ・ボッタスとエステバン・オコンが初参加

    F1バーチャルGPにバルテリ・ボッタスとエステバン・オコンが初参加

    今週末の5月24日(日)に開催されるF1 Esports Virtual Grand Prixの第6戦 F1バーチャル・モナコGPには、これまでで最多となる8名の現役F1ドライバーが参戦する。

    これまでF1バーチャルGPには、シャルル・ルクレール、ランド・ノリス、アレクサンダー・アルボン、アンドニオ・ジョビナッティ、ニコラス・ラティフィ、ジョージ・ラッセルといった若手ドライバー6名が参加しているが、他のシリーズに比べれば現役ドライバーからの人気は高くない。

    マックス・フェルスタッペン、セバスチャン・ベッテル、ロマン・グロージャンはiRacingのバーチャルレースに参加しているが、公式F1ゲーム『F1 2019』を使用したF1バーチャルGPには興味を示していない。

    だが、5月24日(日)にモンテカルロを舞台にして開催される第6戦にはバルテリ・ボッタス(メルセデス)とエステバン・オコン(ルノー)という新たな現役ドライバーが初参加することが決定した。

    「バーチャルグランプリシリーズは、これまでに2千万人以上の視聴者がいる素晴らしいライブスペクタクルであることが証明されており、この厳しい時期にファンにレーシングエンターテインメントを提供している」とジュリアン・タン(Head of Digital Business Initiatives and Esports)はコメント。

    「我々全員がバーチャルのモナコの歴史的なストリートで素晴らしいレーシングエンターテインメントを開催するために立ち上がり、スポーツとエンターテインメントの世界からのスターがちりばめられたグローバルな才能のリストとともに現役F1ドライバーの最強のラインナップを発表できることをうれしく思う」

    F1バーチャル・モナコGPは、5月24日(日)の18時BST(日本時間26時)から行われ、F1公式サイト、YouTube、Twitch、Facebookで無料でライブ配信される。

  • F1セーフティカードライバー、レースが開催されず無収入

    F1セーフティカードライバー、レースが開催されず無収入

    F1セーフティカードライバーを務めるベルント・マイレンダーは、現在、無収入で生活していると語る。

    新型コロナウイルスのパンデミックによってF1を含めた多くのモータースポーツが中断期間を強いられている。セーフティカードライバーのベルント・マイレンダーは、レースが実施するまでは収入を得られないモータースポーツ関係者の一人だ。

    「僕はフリーランサーだ」とベルント・マイレンダーは Auto Motor und Sport に語った。

    「請求書を発行できるのは、サービスを実施した場合のみだ。現在のところ、レースがないため不可能だ。まったくお金を受け取ることはできていない」

    「それでも安心している。僕たち全員が経済が再び動き始めると期待している。僕は比較的快適な状況にあるけど、イベントに依存している多くの同僚がいる。彼らの多くにとってこれは実存的な脅威だ」

    ベルント・マイレンダーは、無観客であっても7月にオーストリアでシーズンが再開されることを願っていると語る。

    「僕たちはF1で何を変更できるかについて何年も考えてきたけど、今それを行わなければならない。将来のための新しい基礎を見つけることできるだろう」

  • F1特集:驚きのチーム移籍を決断したF1レジェンドたち

    F1特集:驚きのチーム移籍を決断したF1レジェンドたち

    セバスチャン・ベッテルのフェラーリ離脱、カルロス・サインツのマクラーレンからフェラーリ移籍、ダニエル・リカルドのルノーからマクラーレンへの移籍と過去数日で2021年のドライバー市場は大きな動きをみせた。

    昨年、キミ・ライコネンのザウバー移籍はF1界を揺るがすビッグニュースとなった。ライコネンと同じく予想外のチーム移籍をしたドライバーたちを振り返ってみよう。

    マクラーレン、ロータス、フェラーリの3チームでF1通算20勝を記録している2007年ワールドチャンピオンで、その無愛想なキャラクターからあらゆるF1ファンのハートを掴んでいる人気者でもあるキミ・ライコネンのF1キャリアは、2001年シーズン、小規模なチームザウバーから始まった。

    ライコネンがザウバーをドライブしたのはこの1年シーズンのみだったが、彼は素晴らしいリザルトの数々で周囲に強い印象を与え、翌年には当時最強チームのひとつだったマクラーレンに引き抜かれた。

    そしてそれから約17年が経った2018年9月、イタリアGP直後にフェラーリが来季からライコネンに代えて若きモナコ人ドライバー、シャルル・ルクレールの起用を発表すると、多くがライコネンのF1引退を予想した。

    しかし、ライコネンはF1デビューとブレイクのチャンスを与えてくれた古巣ザウバーに復帰することを発表し、F1界に驚きをもたらした。

    今回は、ライコネンと同じように予想外の移籍を決断してファンやメディアを驚かせた5人のレジェンドドライバーの足跡を振り返ろう。

    1. デイモン・ヒル – 最強ウィリアムズから弱小アロウズへ
    デイモン・ヒル - 最強ウィリアムズから弱小アロウズへ
    結果だけを見れば、F1 の1996年シーズンはおとぎ話そのものだった。デイモン・ヒルがミハエル・シューマッハに苦渋を嘗めさせられ続けたタフな2年間を経て亡父グレアムに追いつき、史上初の親子F1ワールドチャンピオンになったのだ。

    しかし、実情はおとぎ話とは程遠かった。

    チャンピオンを目指して戦っていた1996年シーズン中盤、ヒルはすでにウィリアムズから見切りをつけられていた。

    したがって、彼が1997年シーズンを新チームで迎えることは想定内だったのだが、移籍先に万年テールエンダーだったアロウズを選んだのは想定外だった。20年以上に渡りF1参戦を続けていたアロウズだが、GP優勝はゼロだった。

    当然、アロウズ移籍後のヒルは中団争いに甘んじる年シーズンを送ることになったが、ハンガリーGPでは決勝2位を記録した。

    尚、この日のヒルは、ファイナルラップで原因不明のメカニカルトラブルに見舞われてウィリアムズのジャック・ヴィルヌーブに優勝を譲るまで、Yamahaエンジンを搭載したアロウズのマシンで堂々とトップを快走していた。

    2. フェリペ・マッサ – 引退撤回
    フェリペ・マッサ - 引退撤回
    花束を渡され、涙を拭きながら同僚たちに別れを告げて会社をあとにしたはずなのに、翌日に何もなかったかのようにオフィスへ戻る – F1でも全く同じ出来事があった。

    2016年シーズン限りでのF1引退を発表していたフェリペ・マッサ(当時ウィリアムズ)にとって、母国ブラジルGP以上に15年シーズン・通算11勝のキャリアを終える舞台に相応しい場所はなかった。

    そのブラジルGPをマッサは決勝47周目リタイアで終えたのだが、全チームとドライバーがピットレーンに花道を作って偉大なドライバーの引退を祝し、インテルラゴス・サーキットに感涙必至のシーンが展開された。

    しかし、その涙も乾ききらない2カ月後の2017年1月、当初ウィリアムズに残留するはずだったバルテリ・ボッタスがメルセデスへ引き抜かれた結果、マッサはウィリアムズに請われてもう1年チームに留まることになった。何が起きるか分からないF1の世界のクレイジーさを象徴する出来事だった。

    3. ナイジェル・マンセル – ウィリアムズで復帰するもマクラーレンには “フィット” できず
    ナイジェル・マンセル - ウィリアムズで復帰するもマクラーレンには “フィット” できず
    やや退屈な男として不当に残念な扱いを受けることがある1992年シーズンのワールドチャンピオン、ナイジェル・マンセル。彼は、ニュースヘッドライン級のドラマを生み出すことにかけてはちょっとしたダークホース的存在だった。

    遡ること1990年シーズン中盤、アラン・プロストとのフェラーリ内での主導権争いに敗れたマンセルはF1からの引退を発表したが、フランク・ウィリアムズから数百万ドルと言われる高額オファーを受けてウィリアムズから復帰した。

    古巣ウィリアムズに舞い戻ったマンセルは1992年シーズンのタイトルを獲得して悲願を達成すると、1993年シーズンからのインディカー転向を発表してF1界を驚かせた。

    Newman/Haasチームで1993年シーズンのインディカー(当時のシリーズ名称はチャンプカー・ワールドシリーズ)に参戦したマンセルは、センセーショナルなことに挑戦初年度でチャンピオンを獲得した。

    マンセルにはまだ多くのドラマがある…。

    1994年シーズン、マンセルはインディから急遽身を引き、アイルトン・セナを喪ったウィリアムズのために代役としてF1復帰を果たし、その年シーズン最終戦オーストラリアGP(アデレード)で思い出深い優勝を飾る。そして間もなく、マンセルは1995年シーズンからマクラーレンでフル年シーズン復帰することを発表した。

    その1995年シーズンのマクラーレンのマシンの仕上がりは、最大級褒めたとしても “ちょっとした悪夢” だったのだが、図らずも、マンセルはこの悪夢に喜劇性を加えることになる。

    MP4/10のコックピットに対し、“我らがナイジ” の身体がいささか大きすぎることがプレ年シーズンテストの段階で判明し、幅広モノコックが新たに製造されるまで彼は開幕2戦を欠場する羽目になってしまった。

    4. エマーソン・フィッティパルディ – 愛国心が招いたキャリア選択ミス
    エマーソン・フィッティパルディ - 愛国心が招いたキャリア選択ミス
    エマーソン・フィッティパルディは1970年代を代表するドライバーのひとりで、アイコニックなウェッジシェイプ型のブラック&ゴールドを纏ったロータス 72とマクラーレン M23を駆り、合計2回のドライバーズチャンピオンを獲得した。

    1975年シーズン、3度目のタイトル獲得を僅差で逃しながら、尚もドライバーとして絶頂期にあったフィッティパルディはマクラーレンを離脱し、母国ブラジルの巨大企業Copersucarが支援する、実弟ウィルソン率いるFittipaldi Automotiveへの移籍を決断する。

    フィッティパルディの母国愛と兄弟愛はしかし、彼に愛を返さなかった。彼は競争力に劣るマシンで苦しい5年シーズンを過ごし、結果として1度も優勝を飾れずに33歳の若さでF1から去った。

    5. ジャック・ヴィルヌーブ – 時代の寵児から凡庸への転落
    ジャック・ヴィルヌーブ - 時代の寵児から凡庸への転落
    あの伝説的ドライバー、故ジル・ヴィルヌーブの忘れ形見ジャック・ヴィルヌーブ。ブリーチしたブロンドヘアと天性のスピードを引っさげて1996年シーズンにウィリアムズから衝撃的なF1デビューを飾ると、デビュー2年シーズン目の1997年シーズンに早くも初タイトルを獲得してみせた。

    しかし、タイトル獲得の翌年シーズンから、ウィリアムズ はエンジンパワーでフェラーリやマクラーレンに遅れを取るようになる。そこで、独立独歩の気質を持つヴィルヌーブは、マネージャーだったクレイグ・ポロックが数百万ドルもの資金援助を得て設立したBritish American Racing(BAR)へ1999年シーズンから加入する。

    この新チームは華々しいファンファーレと共に登場したが、その後5年シーズン続いた不振は、ヴィルヌーブのデビュー当初の輝きさえも人々の記憶から奪い去ることになった。

    1年目のヴィルヌーブは開幕から11連続リタイアを喫し、結局、BAR在籍5年シーズンでのヴィルヌーブのベストリザルトは、2001年シーズンに記録した3位2回だった。

    ヴィルヌーブにとって最後のF1シーズンとなった2006年ザウバーでの成績については言わぬが花だろう。

  • F1バーチャルGP 第5戦 エントリーリスト:6名の現役F1ドライバーが参加

    F1バーチャルGP 第5戦 エントリーリスト:6名の現役F1ドライバーが参加

    F1 Esports Virtual Grand Prixの第5戦 F1バーチャル・スペインGPが5月3日(日)に開催された。

    F1は、新型コロナウイルスの世界的な流行によって2020年のF1世界選手権の開幕が遅れていることへの穴埋めとして、新しいeスポーツイベント『F1 Esports Virtual Grand Prix』を開催している。

    F1バーチャルGPは、コードマスターズが開発した公式ゲーム『F1 2019』が使用される。第5戦はスペインGPの代替としてカタロニア・サーキットが舞台となる。

    現役F1ドライバーは、ランド・ノリス(マクラーレン)、ニコラス・ラティフィ(ウィリアムズ)、アレクサンダー・アルボン(レッドブル・ホンダ)、シャルル・ルクレール(フェラーリ)、アントニオ・ジョビナッツィ(アルファロメオ)、ジョージ・ラッセル(ウィリアムズ)の6名が参加。第3戦に参加したカルロス・サインツ(マクラーレン)は今大会は不参加となる。

    今大会には3名のサッカー選手が参加。レッドブル・ホンダはマンチェスターシティのFWセルヒオ・アグエロ、アルファロメオ・レーシングはレアル・マドリードのGKティボー・クルトワ、ハースF1チームはFCバルセロナのMFアルトゥール・メロを起用する。

    また、アルファタウリ・ホンダは、かつてレッドブル、トロロッソ、フォース・インディア、HRTからF1に参戦したヴィタントニオ・リウッツィが参加。マクラーレンはルイス・ハミルトンの弟ニコラス・ハミルトンを起用する。

    F1バーチャル・スペインGPは、5月3日(日)の18時BST(日本時間26時)から行われ、F1公式サイト、YouTube、Twitch、Facebookで生配信される。

    チーム ドライバー1 ドライバー2
    メルセデス ストフェル・バンドーン エステバン・グティエレス
    フェラーリ シャルル・ルクレール アントニオ・フォコ
    レッドブル アレクサンダーアルボン セルヒオ・アグエロ
    マクラーレン ランド・ノリス ニコラス・ハミルトン
    ルノー マックス・フュートレル イアン・ポールター
    アルファタウリ ヴィタントニオ・リウッツィ アンドレア・ピリロ
    レーシングポイント デビッド・シューマッハ ジミー・ブロードベント
    アルファロメオ アントニオ・ジョビナッツィ ティボー・クルトワ
    ハース ピエトロ・フィッティパルディ アルトゥール・メロ
    ウィリアムズ ジョージ・ラッセル ニコラス・ラティフィ
  • F1バーチャルGP 第4戦 エントリーリスト:6名の現役F1ドライバーが参加

    F1バーチャルGP 第4戦 エントリーリスト:6名の現役F1ドライバーが参加

    F1バーチャルGP 第4戦が5月3日(日)に開催される。

    F1バーチャルGPは、コードマスターズが開発した公式ゲーム『F1 2019』が使用される。第4戦はオランダGPの代替として開催されるが、ザントフォールトはゲームには収録されていないため、ブラジルGPの舞台であるインテルラゴス・サーキットが使用される。

    現役F1ドライバーはランド・ノリス(マクラーレン)、ニコラス・ラティフィ(ウィリアムズ)、アレクサンダー・アルボン(レッドブル・ホンダ)、シャルル・ルクレール(フェラーリ)、アントニオ・ジョビナッツィ(アルファロメオ)、ジョージ・ラッセル(ウィリアムズ)が参加。第3戦に参加したカルロス・サインツ(マクラーレン)は今大会は不参加となる。

    ルノーは、2003年のWRCチャンピオンであるペター・ソルベルグを起用。育成ドライバーのクリスチャン・ルンガーとチームを組む。

    フェラーリは、シャルル・ルクレールのチームメイトとして育成ドライバーのエンツォ・フィティパルディを起用。ハースF1チームはテストドライバーのルイ・デレトラズとピエトロ・フィッティパルディを起用し、バーチャルグリッドに2人のフィティパルディが並ぶことになる。

    メルセデスは、ストフェル・バンドーンとエステバン・オコンというチームの開発ドライバーであり、元F1ドライバーを2名起用。レーシング・ポイントは、元F1ドライバーのラルフ・シューマッハの息子であり、今年FIA-F3に参戦するデビッド・シューマッハを起用する。

    レッドブル・ホンダはベン・ストークス、アルファタウリ・ホンダはスチュアート・ブロードとクリケット選手を起用。また、アルファタウリ・ホンダはイタリア代表のサッカー選手でセリエA所属のDFであるアレッシオ・ロマニョーリを起用する。

    F1バーチャルGP 第4戦は、5月3日(日)の18時BST(日本時間26時)から行われ、F1公式サイト、YouTube、Twitch、Facebookで生配信される。

    チーム ドライバー1 ドライバー2
    メルセデス ストフェル・バンドーン エステバン・グティエレス
    フェラーリ シャルル・ルクレール エンツォ・フィッティパルディ
    レッドブル アレクサンダーアルボン ベン・ストークス
    マクラーレン ランド・ノリス イェレ・ファン・フヒト
    ルノー ペター・ソルベルグ クリスチャン・ルンガー
    アルファタウリ スチュアート・ブロード アレッシオ・ロマニョーリ
    レーシングポイント デビッド・シューマッハ ジミー・ブロードベント
    アルファロメオ アントニオ・ジョビナッツィ ファン・マヌエル・コレア
    ハース ピエトロ・フィッティパルディ ルイ・デレトラズ
    ウィリアムズ ジョージ・ラッセル ニコラス・ラティフィ
  • F1ドライバー列伝:ローランド・ラッツェンバーガー “もう一人の英雄”

    F1ドライバー列伝:ローランド・ラッツェンバーガー “もう一人の英雄”

    毎年、5月1日になるとアイルトン・セナを称える様々な記事や写真が投稿される。だが、決しては忘れてはいけないもう一人の英雄がいる。ローランド・ラッツェンバーガーだ。

    1994年のF1サンマリノGPの決勝レースでアイルトン・セナが事故死する前日の4月30日、ローランド・ラッツェンバーガーは予選2日目のセッション中に命を落とした。

    土曜日の予選セッションで、ローランド・ラッツェンバーガーはコースオフしてフロントウィングにダメージを負ったが、グリッドの最後のスポットを目指してドライブを続けた。だが、フロントウィングが落ちてマシンの下に入り込んでしまい、制御不能となったローランド・ラッツェンバーガーは、ヴィルヌーブコーナーのコンクリートウォールに時速314.9kmで激突した。

    病院に搬送されたものの、ローランド・ラッツェンバーガーは頚椎骨折、内臓破裂などでほぼ即死の状態だったという。

    その24時間後、アイルトン・セナが命を落とした。セナのマシンの残骸からはレース終了後に降る予定だったオーストリアの国旗が見つかっている。

    当時FIA会長を務めていたマックス・モズレーは「ラッツェンバーガーは…私にとってアイルトンよりも悲劇的だった。彼は自分の努力と家族の助けによってのし上がってきた」と語る。

    「彼はお金を持っていなかった。彼は自分の仕事でそれを成し遂げた。彼は本当に良い人間だった。セナが翌日に亡くなることがなければ、ラッツェンバーガーの死は非常に大きなことだった」

    マックス・モズレーは、どちらの葬式に参列すべきかを決定しなければならなかった。

    「F1のあらゆる著名人が参列したセナの葬式よりもむしろ私はラッツェンバーガーの葬式に行った。誰かが彼と彼の家族をサポートする必要があると感じたからだ」

    33歳で亡くなったローランド・ラッツェンバーガーは、F1ドライバーになるという夢を実現するために懸命に働かなければならなかった。

    1983年にドイツでフォーミュラ・フォードでレースデビューを果たしたローランド・ラッツェンバーガーは、イギリスF3とツーリングカーレースに参戦した後、1990年に日本へと渡る。全日本F3000に参戦したローランド・ラッツェンバーガーは、1994年にシムテックと5戦のみの契約を勝ち取る。

    開幕戦ブラジルGPでは予選落ちしたローランド・ラッツェンバーガーだが、続く日本でのパシフィックGPで予選を通過し、11位で完走。これが唯一の完走となった。

    ローランド・ラッツェンバーガーの親友だったジョニー・ハーバートは「常にアイルトンだった。だが、アイルトンが成し遂げたことを考えれば、常にアイルトンである理由は理解できる」とコメント。

    「ローランドはほとんど忘れられている。私は人々と話すときはいつでも、アイルトンの週末とは決して言わない。いつもアイルトンとローランドだと話す。私はそれを決して忘れることはないし、他の人にも忘れて欲しくない」

    「我々はローランドという本当に素晴らしい男を失った。彼はF1ドライバーというポジションを自分で掴み取るために非常に一生懸命に働いた。我々はアイルトンを奪われたが、その前日にローランドを奪われた。本当に素晴らしい男だった。笑顔ではない彼を見るのは非常に珍しいことだった」

    ジョニー・ハーバートは、ローランド・ラッツェンバーガーはしばしば描写されるような職人ドライバーではないと語る。

    「彼にはお金というバッググラウンドがなかった。初期の頃はトランジット バンやトレーラーで過ごしていたよ」

    「だが、彼は若手ドライバーのキャリアで最大のレースのひとつであるフォーミュラ・フォード・フェスティバルで勝ち、その後日本で走った。だが、彼は常に結果を出していた。悲しいことに、我々はローランドのベストを見ることができなかった。彼はまったく職人タイプではない。彼は非常に優秀な男だった」

    元ワールドチャンピオンのデイモン・ヒルも、ローランド・ラッツェンバーガーに敬意を表した。

    「彼のことをリスペクトしている。彼は自分とほぼ似たようなルートをたどってきたからね」とデイモン・ヒルは述べた。

    「彼は31歳というキャリアのかなり後半にF1に乗り込んだ。だが、彼はそれをこつこつと続けてきた。彼に才能があったのは明らかだが、セナやハミルトンのように輝くことはなかった。彼はレーシングドライバーであることを愛していた男だった。彼は才能があり、有望で、非常にコンペティティブだった」

    「彼は素晴らしい男だった。本当に素晴らしく、ウィットに富んだユーモアのセンスがあった。常に笑っていたし、彼とくすくす笑いをしていたものだ」

    アイルトン・セナが、F1で41勝を挙げ、3度のワールドチャンピオンに輝いたのに対し、ローランド・ラッツェンバーガーは、1レースを完走しただけだった。

    「彼(ラッツェンバーガー)はアイルトンが得ていたものを得ていなかったのでひどく悲しかった」とマックス・モズレーは述べた。

    「少なくとも、アイルトンは成功を収め、世界で輝かしい認知があったし、ブラジルでは国葬が催された」

    「ラッツェンバーガーは同じように命を落とし、彼の家族にとっては同じように悲しいことだった。だが、彼はそのようなすべてを経験することはなかった」

    ローランド・ラッツェンバーガーローランド・ラッツェンバーガーローランド・ラッツェンバーガー

  • F1:新型コロナウイルス危機によりペイドライバー増加の可能性

    F1:新型コロナウイルス危機によりペイドライバー増加の可能性

    ハースF1チームのケビン・マグヌッセンは、F1チームが財政危機によってより多くのペイドライバーを起用することを余儀なくされた場合、もはやF1にいられなくなるとの懸念を抱いている。

    F1は7月5日のオーストリアGPを皮切りに2020年のF1世界選手権を開始する計画を発表したが、7月までレースが開催されないことで、特に予算の少ない小規模チームは財政的に大きな打撃を受けている。

    その結果、F1チームは収入を取り戻すことを余儀なくされ、今後数年間でグリッド上にはさらに多くのペイドライバーが登場する可能性がある。

    ケビン・マグヌッセンは、そのような状況はF1キャリアの終焉を意味すると考えている。

    「シートの代金を払わなければならないなら、僕はもうそこにはいません」とケビン・マグヌッセンは BT に語った。

    「僕は必要な資金を調達することはできないし、調達するつもりもないからね」

    ケビン・マグヌッセンは、2020年シーズン末でハースとの契約が満了するが、延長できるオプションもあるため、ハースF1チームに残留できることを熱望している。また、予算上限を導入し、少なくとも2021年まで現在の規則が凍結されることが決定しているため、自分がチームに残ることは理にかなっていると語る。

    「本気でハースの残りたいと思っている」とケビン・マグヌッセンは語る。

    「彼らには僕に関するオプションがあり、彼らがそれを行使すれば、僕は残留できるだろう」

    「ハースは最高の場所だ。2021年に予算上限が導入されることでトップに近づくことができる。2021年に2020年モデルを継続することも決まっているため、同じドライバーを継続することも理にかなっている」

  • F1ドライバーの初勝利:ルイス・ハミルトン (2007年F1カナダGP)

    F1ドライバーの初勝利:ルイス・ハミルトン (2007年F1カナダGP)

    ルイス・ハミルトンがF1で初勝利を挙げたのはマクラーレン時代の2007年のF1カナダGP。F1史上98人目のウィナーとなった。

    ルイス・ハミルトンは、カート時代の10歳のときにAutosport Awardsで初めて当時のマクラーレンの代表ロン・デニスと初めて会い「僕はルイス・ハミルトンと言います。いつか、あなたのためにレースをしたいと思っています」と告げたのは有名なエピソ-ドだ。

    ロン・デニスはルイス・ハミルトンのサイン帳に「9年後にまたおいで」と書いたが、3年後の1998年にマクラーレンはハミルトンと育成ドライバー契約を締結。2005年にF3ユーロ、2006年にGP2でチャンピオンを獲得し、「マクラーレンの秘蔵っ子」として2007年にマクラーレンからF1デビューを果たす。チームメイトは2連覇を達成していた現役ワールドチャンピオンのフェルナンド・アロンソだった。

    ルイス・ハミルトンは、デビュー戦となる開幕戦オーストラリアGPで3位に入賞し表彰台を獲得。第2戦マレーシアGP、第3戦バーレーンGPでも2位に入り、デビューから3戦連続表彰台という史上初の成績を収めた。さらに第4戦スペインGP、第5戦モナコGPでも2位入賞を果たし、第4戦終了時には未勝利ながら史上最年少でドライバーズランキングの首位に立った。

    そして、第6戦カナダGPでは初のポールポジションを獲得すると、決勝レースではポール・トゥ・ウィンで初優勝を果たした。22歳154日での勝利だった。

    ルイス・ハミルトン
    「素晴らしい一日だ。歴史的な日だ。最後のラップは自分をコントロールしようとしていた。とにかくマシンを止めて飛び出したかった。かなり長い間このため、勝つための準備してきた。いつどこで勝つかという問題だった。この勝利は父に捧げなければならない。彼なくしてこの勝利は不可能だった。表彰台で目に涙を浮かべている彼が見えた。とても感動的だった。最後の数周はカウントダウンをしていたし、本当にそれを楽しむことができた。かなりシンプルなレースだった。次の夢はワールドチャンピオンに勝つことだ。でも、僕たちは現実的でなければならないし、今年が僕のルーキーイヤーであることを忘れてはならない」

    ルイス・ハミルトン マクラーレン MP4-22 (2007年のF1世界選手権)ルイス・ハミルトン フィニッシュ (2007年のF1世界選手権)ルイス・ハミルトン 表彰台 (2007年のF1世界選手権)ルイス・ハミルトン (2007年のF1世界選手権)

    続く第7戦アメリカGPでもポール・トゥ・ウィンで2戦連続優勝を果したルイス・ハミルトンは、第10戦ヨーロッパGPでは入賞圏外の9位でフィニッシュ。これにより初参戦以来の連続表彰台記録および連続入賞記録は9でストップした。

    シーズンが進むにつれて、チームメイトのフェルナンド・アロンソとの確執が現れるようになり、第11戦ハンガリーGPの予選では暫定ポールポジションのアロンソがピットストップで時間を稼いだことで、ハミルトンが最後のアタックが出来なかった。この件についてアロンソは5グリッド降格、チームにはハンガリーGPでのコンストラクターズポイントは加算されないというペナルティが科せられた。

    ポイントリーダーとして迎えた第16戦中国GPでは、タイヤのパンクで自身初のリタイアを経験。そして最終戦のブラジルGPではランキング3位にいたライコネンに1点差で逆転チャンピオン獲得を許した。結果的にF1史上初の新人によるワールドチャンピオン獲得という偉業達成はならなかったものの、前年まで連覇を果たしたアロンソを同点ながらもランキングで上回るなど、その才能を遺憾なく見せつける1年となった。

    この年、マクラーレンは“スパイゲート事件”でコンストラクターズランキングから除外されたうえ、巨額の罰金を科せられた。フェルナンド・アロンソは、このシーズン限りでチームを離れている。

  • F1ドライバーの初勝利:フェルナンド・アロンソ(2003年ハンガリーGP)

    F1ドライバーの初勝利:フェルナンド・アロンソ(2003年ハンガリーGP)

    フェルナンド・アロンソがF1で初勝利を挙げたのはルノー時代の2003年のF1ハンガリーGP。F1史上94人目のウィナーとなった。

    フェルナンド・アロンソは2001年にルノーの契約下でミナルディから19歳でF1デビュー。2002年をルノーのテストドライバーとして過ごしたのち、2003年にルノーのレギュラードライバーとしてレースに復帰した。

    第2戦マレーシアGPの予選では当時の史上最年少記録(21歳236日)でポールポジションを獲得。決勝レースは3位でチェッカーを受け、当時の史上最年少記録(21歳237日)での表彰台獲得となった。第13戦ハンガリーGP予選で自身2度目のポールポジションを獲得すると、決勝も完璧なレース運びでポール・トゥ・ウィンを飾り、当時の史上最年少優勝記録(22歳26日)を樹立した。

    フェルナンド・アロンソ
    「今年何度も言ってしまっているけど、今日は僕の人生で最高の日だ。クルマは完璧だったし、戦略も完璧だった。一貫したレースをドライブすることができた。金曜日にいくつかの問題があったけど、チームはそれらを克服するために懸命に仕事をしてくれた。個人的に現場、そして、フランスとイギリスのファクトリーにいるチーム全体に心から感謝していると伝えたい。ルノーのためにレースをして、彼らのためにこの勝利をおさめ、自分の国でグランプリに勝った最初のドライバーになれたことを誇りに思う。素晴らしい気分だ」

    フェルナンド・アロンソ 2013年 F1ハンガリーGPフェルナンド・アロンソ 2013年 F1ハンガリーGPフェルナンド・アロンソ 2013年 F1ハンガリーGP

  • F1記者 「無観客レースでもメディアを締め出すべきではない」

    F1記者 「無観客レースでもメディアを締め出すべきではない」

    Auto Motor und SportのF1記者であるマイケル・シュミットは、新型コロナウイルスを考慮してF1が無観客レースを開催することになっても、そこからメディアを締め出すのは誤りだと語る。

    「世界中の記者のための情報源が1つのテレビ信号だけになることを想像してみてほしい。政府は彼らに見せたいものだけを見せることができるだろう」とマイケル・シュミットは語る。

    「それは中国のような状況であり、自由世界における報道の権利を侵害することになる」

    マイケル・シュミットは、ジャーナリストをF1パドックに入れさせないことは不必要なことだと語る。

    「我々は、チームのボス、エンジニア、ドライバーと同じように検査を受けるできる。メルボルンで感染したのは、ジャーナリスト、フォトグラファー、カメラマンではなく、メカニックだったことを覚えている」とマイケル・シュミットは語る。

    だが、もっと重要なことには、メディアはF1の不可欠な部分だということだとマイケル・シュミットは主張する。

    「私が記者として現場にいるとき、私は現実とテレビ映像が一致しているかどうかを見極め、その場で矛盾を調査し、背景を明らかにする機会がある」とマイケル・シュミットは語る。

    「家にいたら、関係者が提供する情報に依存していすることになる」

    そして、マイケル・シュミットは、サーキットからのコンテンツとニュースを推進することがF1チームとF1ドライバーに任されている場合、F1は問題になる可能性があると述べた。

    「彼らの一部が今伝えているメッセージは哀れだ。最悪の事態は、事前に質問が提出された電話会議だ。ソーシャルメディアでのドライバーの投稿の方がありきたりではない」

    「この慣習は、新型コロナウイルス危機の後でさえ、チームが楽しんでいれば継続できる。メディアはこの枯渇した時期にファンに情報とストーリーを提供するために最善を尽くしており、無観客で開催することを夢ているすべての人々はこれを覚えておくべきだ」

    「そもなければ、観客が再び立ち入ることを許可されても、スタンドは空のままである可能性がある」