投稿者: dbcheck

  • アストンマーティンF1を反面教師にブリアトーレ「設備だけでは勝てない」

    アストンマーティンF1を反面教師にブリアトーレ「設備だけでは勝てない」

    アルピーヌのエグゼクティブアドバイザーを務めるフラビオ・ブリアトーレが、巨額投資を続けるアストンマーティンの現状を引き合いに出し、F1では最新鋭の設備や著名なエンジニアを揃えるだけでは成功できないと警告した。

    アストンマーティンはシルバーストンに新ファクトリーと自社風洞を整備し、エイドリアン・ニューウェイをはじめとする大物人材も獲得。2026年にはホンダとのワークス体制をスタートさせた。

    しかし、開幕11戦で獲得したポイントはわずか1点。ブリアトーレは、この状況こそ「設備」だけではF1で勝てないことを示していると考えている。

    「世界最高の設備」でも競争力は生まれない
    アストンマーティンは2023年に新しいAMRテクノロジーキャンパスへの移転を開始し、2025年には新設した自社風洞の運用もスタートした。

    チームは風洞について、将来的なF1世界選手権制覇を目指すプロジェクトにおける「パズルの最新のピース」と表現していた。

    さらに技術面では、レッドブルで数々のタイトル獲得マシンを生み出してきたニューウェイが加入。2026年からはホンダとのワークスパートナーシップも始まり、施設、技術、人材、パワーユニットという主要な要素を自前で揃える体制を築いた。

    それでも2026年シーズンは厳しいスタートとなった。

    開幕11戦でアストンマーティンが獲得したのはわずか1ポイント。コンストラクターズ選手権では、その1ポイントによってキャデラックを上回っているにすぎない。

    ハンガリーGPではAMR26に16項目に及ぶアップデートを投入し、一定の改善を示したものの、フェルナンド・アロンソとランス・ストロールはいずれも入賞には届かなかった。

    ブリアトーレは『The Race Business』の「In Conversation With…」でダレン・コックスと対談し、ライバルチームの設備について問われると、アストンマーティンを例に挙げた。

    「他のチームが何を持っているのかは気にしていない」

    「もちろん、どこかにはもっと優れた設備があるかもしれない。でも、アストンマーティンという例もある。世界最高の設備があって、世界最高のエンジニアもいる」

    「それでも、それほど競争力があるわけではないだろう?」

    ここでブリアトーレが「世界最高のエンジニア」と表現した人物は、現在アストンマーティンの技術部門を率いるニューウェイを指しているとみられる。

    ブリアトーレが重視するのは、設備そのものではなく、それを使う人間と組織の意識だ。

    「重要なのは、人々が勝つことは可能だと信じることだけだ。そして、そこにすべての力を注ぐことだ」

    アストンマーティンと対照的なアルピーヌの再建
    ブリアトーレがアストンマーティンを持ち出した背景には、自身が進めているアルピーヌの再建がある。

    アルピーヌは2026年からルノー製パワーユニットの使用を終了し、メルセデスのカスタマーパワーユニットへ移行した。この決断を主導した人物のひとりがブリアトーレだった。

    現在、アルピーヌはコンストラクターズ選手権6位につけ、5位レーシングブルズとの差は5ポイント。トップチームには届いていないものの、中団トップを争える位置につけている。

    ブリアトーレにとって重要なのは、設備を増やすことよりも、エンストンに存在する人材の能力を正確に把握し、適切な場所に配置することだという。

    アルピーヌは近年、相次ぐ組織変更によって多くの人材を失った。キャデラックやアストンマーティンをはじめ、ライバルチームへ移籍したスタッフも少なくない。

    「ファクトリーから多くの優秀な人材を失った。ある時期、このチームには進むべき明確な方向性がなかったからだ」

    その一方で、現在の組織内部には、まだ十分に能力を発揮できていない人材が存在するとブリアトーレはみている。

    「ここには非常に優秀なエンジニアがいるのかもしれない。でも、まだベンチに座ったままなのかもしれない。僕はそう思っている」

    「テクニカルディレクターのデビッド・サンチェスは、本当に、本当によく見極めなければならない」

    アストンマーティン・コグニザント・フォーミュラワンチームを反面教師にするフラビオ・ブリアトーレ

    2026年マシンで初めて見えた「誰が優秀なのか」
    ブリアトーレによれば、2026年マシンの開発は、現在のアルピーヌにとって単なる新車開発以上の意味を持っていた。

    新しい技術体制で一台のマシンを最初から作り上げたことで、ようやく組織内部の実力を評価できるようになったという。

    「今回、初めて全員で一台のマシンを作った」

    「これまでは技術部門全体について、誰が優秀なのか、誰がそうではないのか、誰が非常に良い仕事をしているのか、誰が非常に悪いのかを理解できていなかった。でも今は全体像が見えている」

    「以前は全体像がなかった。あまりにも多くの変更があったからだ。でも今は安定している」

    これはブリアトーレがアルピーヌ再建で重視してきた「組織の安定」とも一致する。

    短期間で外部から大物を集めるのではなく、まず既存組織の能力を把握し、勝てる体制へ作り直す。それが現在のアルピーヌの方針だ。

    アルピーヌを去ったスタッフから復帰希望
    組織が安定し始めたことで、ブリアトーレによれば人材市場にも変化が起きているという。

    かつてアルピーヌからライバルへ移籍したスタッフの一部が、現在はエンストンへの復帰を希望しているというのだ。

    「今はチームに加わりたい、助けたいという人たちから電話がかかってくる」

    「以前はみんなチャンスを求めて出ていった。キャデラック、アストンマーティン、その他いろいろなところへね」

    しかし、ブリアトーレは彼らを簡単に呼び戻すつもりはない。

    「今は多くの人が戻りたがっている。でも今のところはノーだ」

    「去っていった人たちには何も言わせたくない。僕は気にしていない」

    かつてルノーを率いて2005年と2006年にF1世界選手権を連覇したブリアトーレにとって、チーム作りの中心にあるのは豪華な設備そのものではなく、そこで働く人間をどのようにまとめ上げるかという点にある。

    巨額を投じた最新鋭ファクトリー、自社風洞、ニューウェイ、そしてホンダとのワークス体制を揃えながら、現時点では結果につながっていないアストンマーティン。その姿をブリアトーレは、F1において「最高のものを買い揃えること」と「勝てるチームを作ること」は同義ではないことを示す実例として捉えている。

  • マックス・フェルスタッペン レッドブルF1加入を決めたマルコの「20分」交渉

    マックス・フェルスタッペン レッドブルF1加入を決めたマルコの「20分」交渉

    マックス・フェルスタッペンがレッドブルと歩むことになった決定的な瞬間は、ヘルムート・マルコとのわずか「20分」の話し合いだった。父ヨス・フェルスタッペンが、当時メルセデスのトト・ヴォルフとも交渉していた息子のF1進出を振り返った。

    2014年、FIA F3ヨーロッパ選手権を戦っていたフェルスタッペンを巡り、レッドブルとメルセデスが獲得に動いていた。

    しかし、すでにルイス・ハミルトンとニコ・ロズベルグという強力なラインアップを抱えていたメルセデスに対し、レッドブルは翌2015年からのF1参戦という具体的なプランを提示。その決断の速さが、後に4度のF1ワールドチャンピオンとなるフェルスタッペンの進路を決めた。

    メルセデスとレッドブルがフェルスタッペン獲得を争う
    当時フェルスタッペンは16歳。カートから四輪へ転向したばかりで、FIA F3ヨーロッパ選手権を戦っていた。

    父ヨスと、現在もフェルスタッペンのマネージャーを務めるレイモンド・フェルミューレンは、息子の将来について複数の選択肢を検討していた。その中心にいたのがレッドブルとメルセデスだった。

    54歳のヨスは『AutoHebdo』に当時の状況を振り返った。

    「当時から、今と同じチームが我々の周りにいた。マネージャーのレイモンド・フェルミューレンは、私の親しい友人でもある」

    「レイモンドとマックス、そして私だ。その体制は今でも変わっていない。だから、我々は非常にしっかりと準備できていた」

    「トト・ヴォルフとヘルムート・マルコの両方が我々と話をしていた。どちらもマックスとの契約を望んでいた。そして我々がやるべきことは、マックスにとって最も良い環境を見つけることだった」

    メルセデス側もフェルスタッペンの才能を高く評価していた。しかし当時のワークスチームにはハミルトンとロズベルグがおり、若いフェルスタッペンにすぐF1のレースシートを用意することは難しかった。

    一方、レッドブルにはジュニアチームを通じてF1デビューさせるという選択肢があった。その違いが交渉を大きく動かした。

    マルコの第一声「来年マックスをF1に乗せたい」
    決定的な話し合いはホッケンハイムで行われた。ヨスによれば、マルコとの交渉はわずか20分だったという。

    「よく覚えている。私はホッケンハイムにいて、いかにもヘルムートらしい話し合いだった」

    「彼が我々のテーブルにやって来て、『20分しかない』と言った。私は、それだけあれば話をするには十分だと答えた」

    そしてマルコは、ほとんど前置きなしに核心を切り出した。

    「彼の最初の言葉は『来年、マックスを我々と一緒にF1で走らせたい』だった」

    「それを聞いたときは、とても驚いた。それで私は『分かった、ヘルムート。それならやろう。ただし1年ではなく2年にしよう』と答えた」

    当時まだ10代だった息子をF1に送り込む以上、ヨスは適応期間が必要だと考えていた。

    「マックスは非常に若かったから、最初の1年は環境に慣れるために必要だと考えていた。そして2年目になれば、彼がどれだけの力を持っているのかを示せると思っていた」

    「だが、彼は非常にうまく適応した。2015年の最初のシーズンが素晴らしかったので、2年目には早くもレッドブルへ昇格することになった。それは良い判断だったと思う」

    17歳でF1デビュー 2年目にはレッドブルで初勝利
    フェルスタッペンは2015年、レッドブルのジュニアチームであるトロロッソからF1デビュー。開幕戦オーストラリアGPでは17歳166日でスタートし、F1史上最年少出走記録を樹立した。

    翌2016年にはシーズン第5戦スペインGPを前にダニール・クビアトと入れ替わる形でレッドブル・レーシングへ昇格。そして、その初戦でいきなり優勝した。

    フェラーリのキミ・ライコネンを0.616秒差で抑えてチェッカーを受け、18歳227日でF1史上最年少優勝記録も更新。マルコが2014年に下した大胆な決断は、わずか2年足らずで結果につながった。

    その後フェルスタッペンはレッドブルの絶対的エースへ成長し、2021年から4年連続でF1ワールドチャンピオンを獲得。現在までに71勝、131回の表彰台を記録している。

    マックス・フェルスタッペン(レッドブル・レーシング)

    ヴォルフもフェルスタッペンを逃したことを「後悔」
    一方、フェルスタッペン獲得の可能性がありながら契約に至らなかったヴォルフは、後にその判断を振り返っている。

    ヴォルフによれば、ヨスとマックスはブラクリーにあるメルセデスのオフィスを訪れ、その後にはウィーンにあるヴォルフの自宅でも数時間にわたって将来について話し合ったという。

    「彼らはブラクリーにある私のオフィスに来た。マックスがまだカートをやっていたころか、カート時代の最後、つまりF3に進む直前の2013年だったと思う」

    「その後、マックスとヨスがウィーンにある私の自宅を訪れたときにも話をした。彼の将来について数時間話し合った」

    フェルスタッペンを獲得できなかったことを後悔しているかと問われ、ヴォルフは認めている。

    「もちろんだ。ただ、当時は選択肢にならなかった」

    「私にはニコとルイスという、非常に満足していた2人のドライバーがいた。そしてニコが2016年末に去ったときには、バルテリ(・ボッタス)が選択肢となり、その時点でマックスはもう獲得可能ではなかった」

    「将来のF1シート」を提示できたレッドブルの決断力
    フェルスタッペン争奪戦を振り返ると、レッドブルとメルセデスの差は才能への評価そのものではなく、その才能に対して即座に何を提示できたかにあった。

    メルセデスも早い段階からフェルスタッペン側と接触していたが、当時はハミルトンとロズベルグの体制を崩してまで16歳の若手を起用する現実的な理由がなかった。

    対してマルコは、F3を戦っていたフェルスタッペンに翌年のF1シートを提示した。カートから四輪に転向してわずか1年でF1へ進ませるという異例のプランだったが、その大胆さがフェルスタッペン陣営の求めていた「最高の環境」と一致した。

    「20分しかない」というマルコの一言から始まったホッケンハイムでの交渉は、フェルスタッペンとレッドブルの長い関係を決定づけることになった。そして、その決断を逃したヴォルフ自身が後に「もちろん後悔している」と認めたことが、当時の選択がその後のF1の勢力図に与えた影響の大きさを物語っている。

  • フランコ・コラピント F1夏休み中にイタリアで盗難被害 SNS投稿は物議

    フランコ・コラピント F1夏休み中にイタリアで盗難被害 SNS投稿は物議

    アルピーヌF1のフランコ・コラピントが、2026年シーズンの夏休み中に滞在していたイタリアで盗難被害に遭ったことが明らかになった。

    23歳のコラピントは先週、イタリア北部の観光地コモ湖を訪れていた際に、衣類やアルゼンチンで親しまれているマテ茶を飲むための道具など複数の私物を盗まれた。

    本人がSNSで被害を報告したが、その際の表現が物議を醸し、投稿はその後削除されている。

    コモ湖で衣類やマテ茶セットを盗まれる
    コラピントは当初、SNSへの投稿で盗難被害について明かし、次のように記していた。

    「イタリア人がラテン系の人間から何もかも盗むなんて、誰が想像しただろうね。きっとマテ茶は気に入らないと思うけど」

    PlanetF1.comによると、この投稿ではイタリアと母国アルゼンチンの治安を比較するような内容も含まれていたとされ、SNS上で反発を招いたという。

    コラピントはその後、「イタリア人」としていた部分を「ヨーロッパ人」に変更したと報じられているが、最終的に投稿自体を削除した。

    その少し後、コラピントは盗難に遭う前に撮影された複数の写真を別の投稿で公開した。

    「この服やマテ茶セットなんかの最後の写真。持っていった人たちが楽しんでくれるといいね!!」

    投稿には怒った顔の絵文字2つと涙を流す絵文字が添えられていた。記事執筆時点で、この投稿にはInstagramで70万件を超える「いいね」が寄せられている。

    イタリアではルクレールとサインツJr.も盗難被害
    近年、イタリア滞在中に盗難被害に遭ったF1ドライバーはコラピントだけではない。

    フェラーリのシャルル・ルクレールは2022年、イモラで開催されたエミリア・ロマーニャGPを前に高級腕時計を盗まれた。被害額は32万ドル相当とされ、後に4人が逮捕された。

    2023年には、当時ルクレールのフェラーリでのチームメイトだったカルロス・サインツJr.も、モンツァでのイタリアGP後に腕時計を盗まれる被害に遭っている。

    サインツJr.の場合は自ら犯人を追跡し、67万5000ドル相当とされた腕時計を取り戻すことに成功した。

    また、マクラーレンのランド・ノリスも2021年、ウェンブリー・スタジアムで行われたEURO 2020決勝のイングランド対イタリア戦を観戦した際、19万4000ドル相当の腕時計を盗まれている。

    2026年はアルピーヌで復調
    コラピントは2025年にアルピーヌで苦戦したものの、2026年シーズン前半は大きく成績を改善している。

    開幕から11戦のうち6戦でポイントを獲得し、カナダGPでは自己最高となる6位フィニッシュを記録した。

    アルピーヌは夏休みを迎えた時点でコンストラクターズランキング6位につけており、5位レーシングブルズとの差は5ポイント。コラピントにとってはコース上で好調な前半戦となった一方、束の間の休暇中に思わぬ災難に見舞われることになった。

    なお、今回の盗難についてPlanetF1.comの記事では、警察への被害届や犯人の特定、被害品が回収されたかどうかについては伝えられていない。コラピント本人のSNS投稿で確認できる範囲では、衣類やマテ茶関連用品などが盗まれたことが明らかになっている。

  • アストンマーティンF1 ニューウェイに着想を得た限定ウイスキーを発売

    アストンマーティンF1 ニューウェイに着想を得た限定ウイスキーを発売

    アストンマーティンF1チームは、スコッチウイスキーブランドのグレンフィディックとコラボレーションし、エイドリアン・ニューウェイの設計哲学から着想を得た2種類の限定シングルモルトウイスキーを発売した。

    2026年シーズン前半はコース上で苦戦を強いられているアストンマーティンだが、コース外では積極的な商業展開を続けている。F1がサマーブレイクに入るなか、グレンフィディックとのパートナーシップから16年物と19年物の限定ボトルが登場した。

    ニューウェイの「見えない部分へのこだわり」をウイスキーで表現
    「Glenfiddich & Aston Martin Formula One Team Limited Edition」と名付けられた今回の商品は、アストンマーティンのマネージング・テクニカル・パートナーを務めるエイドリアン・ニューウェイのデザインとエンジニアリングへのアプローチからインスピレーションを得ている。

    ラインナップは16年物と19年物の2種類。ボトルとパッケージにはアストンマーティンをイメージしたデザインが施され、英国での販売価格は16年物が73.25ポンド、19年物が139ポンドとなっている。

    グレンフィディックは今回のウイスキーに、ファーストフィルのバーボン樽、ポートワイン樽、オロロソ・シェリー樽、ワイン樽などを使用し、最後にフィノ・シェリー樽による仕上げを加えた。

    グレンフィディックのモルトマスター、ブライアン・キンズマンは、ニューウェイの仕事とウイスキー造りには共通する哲学があると説明した。

    「エイドリアンの仕事で最も魅力的だと感じるのは、決定的なパフォーマンスを生み出すものが、必ずしもすぐ目に見えるものではないという点だ。それはウイスキー造りにも通じるものがある」

    「シングルモルトの個性は、樽の選択、バランス、熟成、タイミングといった、長い時間をかけて積み重ねられる無数の正確な判断によって形作られる。それぞれは単独では小さな違いかもしれないが、それらが組み合わさることで大きな変化をもたらす」

    16年物は熟した果実とトフィーの甘み
    16年物の「Glenfiddich & Aston Martin Formula One Team 16-Year-Old Limited-Edition Release No.2」は、煮込んだ果実の豊かな香りに華やかなフローラルノートが重なり、マジパンや磨かれたレザーを思わせるニュアンスを持つ。少量の水を加えることで、新鮮な熟した果実の香りがさらに際立つという。

    味わいはまろやかでシルキー。クリーミーでバターのようなトフィーの甘さと、キャラメリゼしたサトウキビの風味が特徴で、ドライなオークのタンニンがバランスを取る。フィニッシュにはオーク由来の甘さが長く残る。アルコール度数は43%。

    19年物はバニラとジンジャーに柑橘系のアクセント
    19年物の「Glenfiddich & Aston Martin Formula One Team 19-Year-Old Limited-Edition Release No.2」は、鮮やかなバニラ、結晶化したジンジャー、昔ながらのキャンディを思わせる香りが特徴だ。砂糖漬けのオレンジとレモンの皮に、温かみのあるオークスパイスが加わる。

    口に含むと柑橘系の爽快感とシャーベットを思わせる刺激があり、ワックスのようになめらかで豊かな口当たりを持つ。焼きリンゴとシナモンのニュアンスも感じられ、甘く濃厚な余韻が長く続く。こちらもアルコール度数は43%となる。

    アストンマーティンとグレンフィディックは、ニューウェイがF1マシン開発で重視する細部の積み重ねと、長期間にわたる熟成や樽選びによって完成するウイスキー造りを重ね合わせた。コース上の技術だけでなく、その設計思想そのものを商品に落とし込んだユニークな限定コラボレーションとなっている。

  • マクラーレンF1 2026年苦戦は前年王座の「重い代償」 それでも崩れなかった理由

    マクラーレンF1 2026年苦戦は前年王座の「重い代償」 それでも崩れなかった理由

    マクラーレンは、2026年F1シーズン序盤の苦戦について、前年のタイトル争いでマシン開発を最後まで続けた「重い代償」があったと認めている。一方、その困難から立ち直る原動力となったのが、アンドレア・ステラ代表の下で築かれた「誰かを責めない」チーム文化だったという。

    2024年と2025年にコンストラクターズ選手権を連覇し、2025年にはランド・ノリスが自身初のドライバーズタイトルを獲得。

    ダブルタイトルを手に2026年を迎えたマクラーレンだったが、新レギュレーション下ではメルセデスに先行を許し、MCL40はシーズン前半に期待された競争力を発揮できなかった。

    しかし、大型アップデートを経て迎えたハンガリーGPではノリスが優勝。王者として迎えたシーズンで初勝利を挙げ、マクラーレンはようやくトップ争いへの本格的な復帰を果たした。

    2025年タイトル争いを最後まで続けた「重い代償」
    アンドレア・ステラは、2026年の出遅れには明確な理由があったと説明する。そのひとつが、2025年型マシンの開発をシーズン終盤まで継続したことだった。

    2025年は序盤こそノリスとオスカー・ピアストリによるタイトル争いになるかに見えたが、レッドブルが開発を続けたことでマックス・フェルスタッペンが終盤にタイトル争いへ加わった。

    マクラーレンも対抗する必要に迫られ、翌年に大規模なレギュレーション変更を控えながら、2025年型マシンへリソースを投入し続けた。

    「2024年から2025年にかけて4つのタイトルのうち3つを獲得するまで、3年間着実に前進してきたが、今シーズンのスタートは本当の意味でリセットだった」とステラは振り返る。

    「レギュレーション変更がおそらくこのスポーツの歴史でも最大級だったというだけではない。何より、2025年にダブルタイトルを確保するために注ぎ込んだ努力によって、どれほど重い代償を払っていたのかを思い知らされた」

    2025年の成功を追求したことが、2026年型マシンの準備に影響したということだ。

    それでもステラが強調するのは、そこでチームが崩れなかったことである。

    「僕たちはバラバラになることもできた。前年のような形で選手権をスタートできなかったことについて、言い訳を探すこともできた。でも、そうはならなかった」

    「技術的、戦略的な理由を理解しようとし、そこに努力を集中させた。それこそが、僕がこのチームを本当に誇りに思っている理由だ」

    危機に直面しても「誰かを責めない」マクラーレン
    ステラが語る「結束」は、近年のマクラーレンが進めてきた組織改革とも深く結びついている。

    現在の姿は、ホンダとのパートナーシップを再開した2015年とは大きく異なる。当時のマクラーレンはコンストラクターズ選手権9位に低迷。翌2016年には6位まで浮上したものの、チーム内部では主導権争いが続いていた。

    最終的にはロン・デニスがウォーキングでの37年間に及ぶ時代を終え、ザク・ブラウンが組織改革を推進。2018年には当時のチーム代表エリック・ブーリエも退任した。

    さらに2022年末、アンドレアス・ザイドルの後任としてステラがチーム代表に就任すると、マクラーレンのマネジメントスタイルは大きく変化した。

    チーム関係者のシンは、その最大の特徴を「責任追及をしない文化」だと説明している。

    「一番大きいのは、アンドレアとザクによってリーダーシップが変わり、全員が自分の仕事をできるように力を与えられたことだと思う」

    「ここには誰かを責めるということがない。それがどれほど大きなことなのか、外からでは分かりにくいかもしれない」

    特にレース戦略のように、限られた情報と確率を基に短時間で判断しなければならない仕事では、失敗した際に責任を追及されるという恐怖が意思決定を鈍らせる可能性があるという。

    「戦略のように、かなりストレスがかかり、確率に基づいていて、間違った方向へ行く可能性もある仕事をしていると、『もしミスをしたら周囲はどう思うだろう』と考えてしまうことがある」

    「でも、ここにはそれがない。ただ常に改善することに集中する。悪い結果が出ても、それを心配することはない」

    マクラーレン F1

    ミスも成功も同じように分析する
    もちろん、失敗を無視するわけではない。重要なのは、誰が悪かったのかではなく、なぜその判断に至り、次にどう改善するかを検証することだ。

    「悪い判断があれば、当然それを掘り下げ、理解し、改善しようとする。でも、本当に誰かを責めることはまったくない」

    「ミスがあったレースから戻ってくることもある。良かったことも悪かったこともあるけれど、それらを同じように扱う。それは本当に力を与えてくれる環境だ」

    この考え方は、ステラ自身が2026年の苦戦について語った内容とも一致する。

    ステラは、この7カ月間で得た最大の教訓について「大きな困難に直面したときこそ、結束が力になる」と語った。

    「何よりもまず自分たち自身に対して、立ち直り、トップへ向かう軌道に戻るためにチームの結束がどれほど重要なのかを証明できたと思う」

    10年前の9位からF1王者へ
    2015年にコンストラクターズ選手権9位だったマクラーレンは、その10年後にはF1世界王者としてシーズンを迎えるチームへと変貌した。

    その過程にはマシンや施設への投資、技術部門の再編といった数多くの要素がある。しかし、チーム内部では特定の技術的ブレイクスルーだけではなく、ブラウンとステラが築いた組織文化そのものが復活の重要な要因だったと考えられている。

    そして、その文化は成功しているとき以上に、2026年のような苦境で試されることになった。

    2025年のダブルタイトルを守るために開発を続けた結果、翌年のスタートで「重い代償」を払った。それでも責任の押し付け合いに陥ることなく原因を分析し、MCL40を改善。ハンガリーGPでノリスを再び優勝へ導いた。

    2026年のマクラーレンの復調は、単なるアップデートによる技術的な挽回だけではない。10年前の混乱から作り上げてきた「失敗しても誰かを責めない」という組織文化が、タイトル獲得後に訪れた最初の大きな試練で機能した結果ともいえそうだ。

  • フェラーリF1 12歳のアントネッリの獲得を逃す「マールボロが拒否」説

    フェラーリF1 12歳のアントネッリの獲得を逃す「マールボロが拒否」説

    フェラーリが少年時代のアンドレア・キミ・アントネッリを育成ドライバーとして獲得しなかった背景には、当時チームと強い関係を持っていたフィリップモリスの意向があったと、F1ジャーナリストのロジャー・ブノワが明かした。

    現在メルセデスでF1タイトルを争うアントネッリは、12歳でメルセデスの育成プログラムに加入した。しかし、その前に本人が加入を希望していたのはフェラーリだったという。

    ブノワによれば、フェラーリ側が獲得を見送った理由のひとつは、未成年のアントネッリをたばこ関連のプロモーションに活用できなかったことにあった。

    12歳のアントネッリを「マールボロが拒否」
    アントネッリがメルセデスと契約したのは12歳のときだった。当時からカート界で高く評価されていた逸材だったが、その才能に最初に目を付けたチームのひとつがフェラーリだった。

    Motorsport MagazinのYouTubeチャンネルで、長年F1を取材してきたスイス人ジャーナリストのロジャー・ブノワは、当時の経緯についてこう語っている。

    「アントネッリは当時12歳だった。フェラーリ・アカデミーに断られて、それからメルセデスに行った」

    「フェラーリは彼を獲得できる立場にあった。何より本人がフェラーリに行きたがっていたからね。しかし、フェラーリは彼を断った。より正確に言えば、マールボロが断ったんだ。広告に使うことができなかったことなどが理由だった。それに、当時はまだアカデミーの体制も整っていなかった」

    マールボロを展開するフィリップモリスとフェラーリの関係は1980年代までさかのぼり、長年にわたってF1チームの主要スポンサーとして大きな存在感を持ってきた。

    ブノワの主張では、12歳だったアントネッリは成人向け商品の広告活動に起用できないため、スポンサー側にとって十分なマーケティング価値を持たせることが難しかったという。

    なお、これはブノワによる証言であり、フェラーリやフィリップモリスが公式に認めた説明ではない点には留意する必要がある。

    フェラーリ側は「受け入れる体制がなかった」と説明
    一方、フェラーリ側からは異なる説明も示されている。

    当時のフェラーリのチーム代表は、アントネッリを獲得しなかった理由について、将来的にF1ドライバーになれるだけの体格まで成長するかを疑問視したからではなく、若いカートドライバーを受け入れて育成するための「ストラクチャー」がチームになかったためだと説明している。

    フェラーリ・ドライバー・アカデミーが正式に設立されたのは2009年末。初期の代表的な所属ドライバーを見ても、ジュール・ビアンキとセルジオ・ペレスは20歳、シャルル・ルクレールは18歳で加入しており、12歳という非常に若い段階から育成する現在のメルセデスのような仕組みとは異なっていた。

    したがって、アントネッリを逃した経緯については、フェラーリ側が説明する「育成体制の不足」と、ブノワが証言する「スポンサー側の事情」という複数の要素が存在していた可能性がある。

    現在はフェラーリがアントネッリ獲得を熱望?
    結果としてアントネッリを獲得したのはメルセデスだった。12歳から長期的に育成を続け、その後F1へと昇格させた。

    そして状況は大きく変わった。ブノワによれば、かつて獲得を見送ったフェラーリは現在、アントネッリを将来的に迎え入れることを強く望んでいるという。

    「だから今では、もちろん彼を何としてでも欲しがっている。ただし、今後3年間で彼がフェラーリにいる姿を見ることはないだろう」

    アントネッリ自身も過去にフェラーリを「巨大なチーム」と表現し、将来的にフェラーリで走る可能性を否定してはいない。

    ただし、現時点でメルセデスを離れることは考えていない。幼少期から自らを支えてF1まで導いたメルセデスとの関係は深く、現在はタイトルを争えるマシンも手にしている。

    フェラーリが逃したイタリアの逸材
    イタリア人ドライバーであり、本人もフェラーリ入りを望んでいたというアントネッリ。それでも12歳の少年はマラネロではなくメルセデスの育成プログラムを選ぶことになった。

    当時フェラーリに低年齢のドライバーを育成する十分な体制がなかったことは、フェラーリ側の説明とも一致する。一方でブノワの証言が事実なら、そこには長年チームを支えてきたスポンサーの商業的事情も影響していたことになる。

    かつて獲得できる立場にありながら見送ったアントネッリが、いまやF1を代表する存在へと成長し、フェラーリ側が将来の獲得を望んでいるとされるのは皮肉な巡り合わせだ。現時点ではメルセデスとの結び付きが極めて強いものの、イタリア人スターとフェラーリという組み合わせは、今後もF1ドライバー市場の大きなテーマになりそうだ。

  • ジェシカ・ホーキンス 女性F1ドライバー誕生は「あと数年」体力差の壁を否定

    ジェシカ・ホーキンス 女性F1ドライバー誕生は「あと数年」体力差の壁を否定

    アストンマーティンF1のアンバサダーを務めるジェシカ・ホーキンスは、女性にはF1マシンを操るだけの身体能力がないという見方を否定した。自身もF1マシンをドライブした経験から「女性はF1を走るのに十分な強さを持っている」と断言している。

    元Wシリーズドライバーのホーキンスは、女性がF1のグリッドに立つ日は「あと数年」だと予想。

    「女性はF1を走れるだけの強さがある」
    ホーキンスは2023年、ハンガロリンクでアストンマーティンのAMR21をテストした。現代のF1マシンをドライブした女性としては約5年ぶりで、テストではレース距離のおよそ半分を走行した。

    その際、特に首への負担が大きかったことを認めている。しかし、それは女性だからではなく、F1マシンを初めて本格的に走らせるドライバーなら誰でも直面する問題だと主張した。

    「女性はF1を走るのに十分な強さを持っていると、私は完全に確信しています」とホーキンスは『Road to Success』ポッドキャストで語った。

    「自分自身でレース距離の半分ほどF1マシンを走らせた経験がありますし、レース距離全体を走ることもできたと思っています」

    「首はかなり厳しかったです。本当にかなりきつかったです。でも、F1マシンに初めて乗る人なら、誰でも首はきつくなると思います。それは私が女性だったからではありません」

    ホーキンスは、自身がF1テストの直前までF2やF3で継続的にレースをしていたわけではない点も強調する。

    「それに私は、その直前までF2選手権を戦っていたわけでも、F3選手権を戦っていたわけでもありません」

    「F1ドライバーでさえ、1年ぶりにマシンに戻れば、その日の終わりには首が痛くなっていると思います。女性だからということではありません。首の問題さえなければ、私はレース距離を走り切れたと思います」

    つまりホーキンスにとって、女性がF1に到達できるかどうかを左右するのは生物学的な身体能力ではない。必要な経験を積み、F1シートを争えるレベルまで成長する機会が十分に与えられているかどうかが重要だという考えだ。

    女性F1ドライバー誕生は「あと数年」
    女性がF1でレースをする姿を将来見ることができると思うかと尋ねられたホーキンスは、その可能性を明確に肯定した。

    「あと数年だと思っています。でも、実現すると信じています」

    「実現しないと思っているのに、ここで実現すると言ったら私は偽物になってしまいます。でも私は本当にそう信じています。『ない』と言えば、私がこれまで信じてきたことすべてに反することになります」

    F1では現在、女性ドライバー育成カテゴリーとしてF1アカデミーが開催されている。ホーキンスは、自身が若かったころには存在しなかったこの仕組みが、女性ドライバーのキャリアを大きく変える可能性があるとみている。

    ジェシカ・ホーキンス F1

    F1アカデミーが「足りなかった道」を作る
    ホーキンスは、F1アカデミーについて「自分がその年齢だったころには夢見ることしかできなかった」環境だと評価している。

    「今は違います。F1アカデミーを見れば、本当にすごいですよね。私があの年齢だったころには、夢見ることしかできませんでした」

    「そこにいるドライバーの中には、ほんの数年前までどんな状況だったのかを理解していない人もいるかもしれません。この選手権には、本当にドライバーを育て上げる力があると思っています」

    ただし、F1アカデミーに参戦した女性が自動的に上位カテゴリーへ進めるべきだとは考えていない。そこで実力を証明したドライバーだけが次のステップへ進むべきだという。

    「参戦して沈んでしまうドライバーもいるでしょうし、泳ぎ切るドライバーもいるでしょう。そして泳ぎ切ったドライバーこそ、F1のシートやモータースポーツでのチャンスを争えるだけの実力を持った人たちです」

    ホーキンスが期待しているのは、女性という理由だけでF1への道が用意されることではない。F1アカデミーを起点として十分な経験を積み、その実力によってF3、F2、そして最終的にF1のシートを争える環境が整うことである。

    F1で女性ドライバーがグランプリに出場したのは、1976年のレラ・ロンバルディが最後となっている。ホーキンスは、自らF1マシンを経験した立場から「女性には身体的に無理」という長年の議論を否定し、次の女性F1ドライバーが誕生するまでの時間は、もはや数十年ではなく「あと数年」だとみている。

  • ジョーダンF1初のファステストラップから35年 ガショーがセナを上回った日

    ジョーダンF1初のファステストラップから35年 ガショーがセナを上回った日

    ジョーダンがF1参戦初年度だった1991年、ベルトラン・ガショーがチームにとって初となるファステストラップを記録した。舞台は35年前の1991年8月11日に行われたハンガリーGPだった。

    美しいアイリッシュグリーンのジョーダン191を駆ったガショーは、16番グリッドから決勝をスタート。一時は7番手まで順位を上げ、ポイント獲得まであと一歩に迫る走りを見せた。

    71周目に1分21秒547 セナを0.845秒上回る
    ガショーは77周で争われたレースの71周目に1分21秒547をマーク。このタイムが決勝のファステストラップとなった。

    当時マクラーレンを駆っていたアイルトン・セナのレース中のベストタイムを0.845秒上回る速さだった。

    ガショー自身にとってF1初のファステストラップであり、1991年にF1へ参戦したばかりのジョーダンにとっても初めてのファステストラップとなった。

    このレースでガショーはポイント獲得こそ果たせなかったものの、参戦初年度のジョーダン191の速さを示す記録を残した。35年が経過した2026年8月11日は、そのチーム初のファステストラップからちょうど35年の節目となる。

  • アストンマーティンF1 苦境を未来への糧に「時が来れば準備はできている」

    アストンマーティンF1 苦境を未来への糧に「時が来れば準備はできている」

    アストンマーティンF1は、厳しい2026年シーズン前半戦を経験する一方で、その苦境を将来の飛躍につなげようとしている。ハンガリーGPで投入した大規模アップデートによってAMR26には改善の兆しが見え始め、次戦オランダGPではホンダの新パワーユニットも投入される予定だ。

    アストンマーティンのリザーブドライバーを務めるジャック・クロフォードは、現在の厳しい状況で積み重ねている経験こそが、チームが本来目指す競争力を手にしたときの大きな財産になると考えている。

    実車とシミュレーターの両方でAMR26に携わってきたクロフォードは、「僕たちの時が来れば、チーム全体が準備できている」と語った。

    11戦でわずか1ポイント アストンマーティンを苦しめたAMR26
    アストンマーティンの2026年シーズンは、ここまで苦戦の連続となっている。昨年の開発開始が遅れたAMR26に加え、ホンダのパワーユニットも期待された性能を発揮できず、開幕から11戦で獲得したポイントはわずか1点にとどまっている。

    しかし、夏休み前最後のハンガリーGPでは、ようやく明確な前進が見えた。アストンマーティンはロングノーズやフロア、サイドポッド周辺など広範囲に及ぶアップデートを投入。フェルナンド・アロンソは今季初めてQ2進出を果たし、決勝ではランス・ストロールが13位、アロンソが14位でフィニッシュした。

    ポイント獲得には届かなかったものの、それまでの戦いを考えればAMR26の競争力が改善していることを示す週末となった。

    さらにオランダGPでは、ホンダが改良型パワーユニットを投入する予定だ。この新PUはハンガロリンクで行われたフィルミングデーですでに実走しており、クロフォードがステアリングを握って初期確認を担当した。

    リザーブでも「できる限りクルマとガレージにいる」
    クロフォードはレギュラードライバーではないものの、アストンマーティンで過ごす時間そのものがF1ドライバーとして大きな経験になっていると語る。

    「はい。こうしたことすべてが、僕に経験を積ませてくれていると思う」

    「本当の意味で経験を増やすには、それしかない。F1では、時には単純にもっと経験することが必要なんだ」

    クロフォードにとって重要なのは、レースに出場するかどうかだけではない。チームの現場に継続的に身を置き、実車やシミュレーターを通じてF1チームがどのように仕事を進めているのかを吸収することに価値があるという。

    「常にそこにいて、できる限りクルマに乗ったり、ガレージで時間を過ごしたりするだけでも経験になる。すべてのレースに出場していなくてもね」

    「チームの雰囲気は素晴らしい。みんな本当に僕をサポートしてくれているし、成功してほしいと思ってくれている。僕がシミュレーターでいい仕事をしていることも分かっていて、そのうえで可能な限り実車で走る時間を与えようとしてくれている。それは本当に素晴らしいことだ。この2年間でF1マシンをドライブする機会をたくさんもらった」

    ジャック・クロフォード(アストンマーティン・コグニザント・フォーミュラワンチーム)

    難しいAMR26だからこそ学べること
    クロフォードはFP1への出走だけでなく、シミュレーターでもAMR26の開発作業に深く関わっている。そのため、アロンソやストロールと同様に、今季のマシンが抱えてきた難しさを実際に経験してきた。

    競争力の低いマシンをドライブする経験が自身をより良いドライバーにしているかと問われると、クロフォードは迷うことなく肯定した。

    「はい、間違いなくそうだ。競技面ではフラストレーションがたまる状況だけど、チームの考え方は一度も変わっていない」

    「このクルマをドライブした僕たち3人にとって、もちろん望んでいた状況ではない。でも、それでも僕たちはものすごくハードに働き続けなければならない」

    結果が期待できない状況だからといって、準備の質を落とすことはできない。それがクロフォードの考えだ。

    「残りのレースに向かうとき、現実的には何かを争える状況ではないと分かっていたとしても、まったく同じ仕事への姿勢を維持しなければならない」

    「いつもと同じように準備を続ける必要がある。僕たちの時が来たときに、準備ができているようにするためだ」

    「ポイントや表彰台を争えるときには全員が準備できている」
    アストンマーティンは現在のAMR26だけではなく、その先を見据えて開発を続けている。クロフォードは、今の苦境の中で培われているチームの仕事の質が、競争力を取り戻したときに生きると確信している。

    「ポイントや表彰台を争えるクルマを手にしたとき、僕たちは完璧に準備できているはずだし、チーム全体が準備できていると思う」

    そして、競争力の低いマシンだからこそ、ドライバーは通常以上に細かな部分からラップタイムを探し出さなければならない。

    「もちろん、こういう経験はドライバーを成長させる。可能なところなら、どこからでもタイムを探そうとするからね」

    「100分の1秒でも、10分の1秒でも必死になって探す。そして、僕たちがミッドフィールドで戦えるようになったときにも、同じように10分の1秒単位で戦い続けると思う。それが週末ごとの結果を大きく左右することになるからだ」

    2026年のアストンマーティンにとって、ここまでの結果は期待から大きく外れている。それでもハンガリーGPでAMR26の改善が確認され、オランダGPではホンダの新PUという次の一手も控えている。クロフォードが強調するのは、苦しい時期だからこそ妥協せず経験を積み続ける重要性だ。現在の積み重ねを、将来ポイントや表彰台を争うための準備へと変えられるかが、アストンマーティンの今後を左右する。

  • メルセデスF1育成責任者ラグルーが別れのメッセージ 2027年からレッドブルへ

    メルセデスF1育成責任者ラグルーが別れのメッセージ 2027年からレッドブルへ

    メルセデスF1で若手ドライバー育成を担ってきたグウェン・ラグルーが、11シーズンにわたるチームでの活動を終え、別れのメッセージを発表した。

    ラグルーは2027年からレッドブル・ジュニア・プログラムのディレクターに就任することが決まっている。メルセデスではジョージ・ラッセルやアンドレア・キミ・アントネッリらのF1昇格を支えた育成部門の中心人物であり、その移籍は両チームの将来を担う若手発掘・育成にも影響を与える人事となる。

    ハンガリーGPがメルセデスでの最後のグランプリ
    ラグルーは自身のSNSを通じ、メルセデスで過ごした時間を振り返った。ハンガリーGPがチームスタッフとして参加する最後のグランプリだったことを明かしている。

    「すべての夢にはチームが必要だ」

    「数年前、この5つの言葉はメルセデスの物語の一部になった。そして今日、それは僕にとってさらに個人的な意味を持つものになった」

    「ブダペストはメルセデスAMGペトロナスF1チームで迎える最後のグランプリだった。忘れることのできない11シーズンを経て、信じられないようなひとつの章が終わることになった」

    ラグルーがメルセデスに加入する機会を与えたのは、チーム代表のトト・ヴォルフだった。

    「トトがチームに加わる機会を与えてくれたとき、その先にどんな旅が待っているのか想像することなどできなかった」

    「僕たちは一緒に築き、進化させ、毎日のように自分たち自身へ挑戦してきた。才能ある若いドライバーたちが、その可能性を最大限に発揮できるよう支援するという、同じ野心に常に突き動かされていた」

    ラッセルやアントネッリらの成長を支援
    ラグルーはメルセデスのジュニアプログラムを統括し、若手ドライバーの発掘から育成、そしてトップカテゴリーへのステップアップまでを支えてきた。

    その中には現在メルセデスF1を代表するドライバーとなったジョージ・ラッセルとアンドレア・キミ・アントネッリだけでなく、エステバン・オコン、ニック・デ・フリースらも含まれる。

    「振り返ってみると、僕が最も誇りに感じているのは、単に僕たちが成し遂げたことだけではない。仕事をする機会に恵まれた、すべてのドライバーたちのことだ」

    「エステバン・オコンやニック・デ・フリースから、ジョージ・ラッセル、キミ・アントネッリまで。フレデリック・ベスティやドリアーヌ・パン、そして長年にわたりメルセデスAMG F1ジュニア・プログラムの一員だった、あるいは現在もその一員であるすべてのジュニアドライバーたちだ」

    「若い才能が世界トップレベルのプロフェッショナルへ成長していく姿を見ることは、僕のキャリアにおいて最大の特権のひとつだった」

    「みんなには、これからも大きな夢を持ち、努力を続け、その旅の一歩一歩を楽しんでほしい。みんなの周囲には、自分自身の最高の姿になれるよう常に後押ししてくれる素晴らしいチームがいる」

    ヴォルフとメルセデスに感謝「僕が覚えているのは人々」
    ラグルーは自身をメルセデスへ迎え入れたヴォルフにも、特別な感謝を伝えている。

    「トト、信頼と友情をありがとう」

    「そしてメルセデスのみんな、その情熱、献身、そして卓越性を絶え間なく追求する姿勢に感謝している。このチームを本当に特別な存在にしているのは、成し遂げてきたことだけではない。毎日、このチームを形作っている人々だ」

    「人々は選手権、勝利、記録を覚えていることが多い。でも僕自身が覚えているのは、人々のことだ」

    「僕を信じ、この素晴らしい物語のほんの一部を担わせてくれたことに感謝している。夢を現実にする仕事をさせてくれたことにも感謝している」

    「みんなのこれからが最高のものになることを願っている」

    2027年からレッドブルの若手育成を指揮
    ラグルーの次の舞台は、メルセデスのライバルであるレッドブルとなる。2027年からレッドブル・ジュニア・プログラムのディレクターとして若手育成部門を率いる。

    レッドブルの育成プログラムは、セバスチャン・ベッテルやマックス・フェルスタッペンをはじめ、数多くのF1ドライバーを輩出してきたことで知られる。2025年末まで長年にわたってその中心にいたのがヘルムート・マルコだった。

    ラグルーはメルセデスでも、単なるジュニアカテゴリーでの成績だけでなく、将来的にF1で戦えるドライバーを見極め、長期的に育成する役割を担ってきた。ラッセルやアントネッリがメルセデスのワークスドライバーまで昇格した実績は、その仕事を象徴するものだ。

    11シーズンを過ごしたメルセデスに別れを告げたラグルー。2027年からはライバル陣営で、レッドブルの次世代を担うドライバーの発掘と育成を託されることになる。