カテゴリー: シャルル・ルクレール

  • F1:ルクレール 「フェルスタッペンとのバトルは限界を超えることもある」

    F1:ルクレール 「フェルスタッペンとのバトルは限界を超えることもある」

    フェラーリのF1ドライバーであるシャルル・ルクレールは、ライバルであるマックス・フェルスタッペン(レッドブル・ホンダ)とのバトルはたまに限界を超えることがあるが、それでも楽しんでいると語る。

    昨年のF1オーストラリアGPでは、マックス・フェルスタッペンがシャルル・ルクレールとのバトルで勝利を収めた。フェルスタッペンはルクレールをコウース外に追い出して審議対象となったが、スチュワードはペナルティを科さなかった。

    レース後、シャルル・ルクレールはF1でのコース上のバトルでのアプローチを変えると宣言し、2週間後のF1イギリスGPでは仕返しして見せた。また、F1イタリアGPではルイス・ハミルトンとバルテリ・ボッタスに激しいディフェンスをして勝利を収めている。

    シャルル・ルクレールは、マックス・フェルスタッペンとルイス・ハミルトンとのバトルを振り返り、両者の違いを説明した。

    「レースを確実に終わらせたいのであれば、おそらくルイスだね!」とシャルル・ルクレールは Sky Sports にコメント。

    「しかし、楽しさと接近戦では、おそらくマックスだ。マックスとの戦いは常にエキサイティングなものになることはわかっているからね」

    「ほとんどスペースを与えられないけど、それが僕たち全員がスポーツで楽しんでいることだと思う。限界を超えていることもあれば、限界に達していることもあるけど、実際にレースを楽しんでいる」

    また、シャルル・ルクレールは、ルイス・ハミルトンは経験に基づいた異なるスタイルであり、現役ワールドチャンピオンとのバトルから学ぶことが多いと語る。

    「ルイスはちょっと違った運転スタイルだ」とシャルル・ルクレールは説明する。

    「彼はかなりクレバーだし、ルイスと戦うときはいつもたくさんのことを学べる。彼は経験によって相手が次に何をしようとしているのかを常に正確に把握している。そして、それが彼とのコース上でのバトルをとても楽しいものにしている」

    「彼はあまりアグレッシブではなく、常に非常に正確だ。だが、相手な何をしようとしているのかを予想することを常に非常に得意としている」

  • シャルル・ルクレール 「ビアンキは僕よりフェラーリのF1シートに値した」

    シャルル・ルクレール 「ビアンキは僕よりフェラーリのF1シートに値した」

    シャルル・ルクレールは、2015年にこの世を去った幼馴染のジュール・ビアンキの方が自分よりもフェラーリのF1シートに値するドライバーだったと語る。

    二人はジュニアカテゴリーで同じように腕を上げていき、8歳年上のジュール・ビアンキが先にF1に到達した。ビアンキは、シャルル・ルクレールと同じようにフェラーリ・ドライバー・アカデミーに所属し、フェラーリのF1マシンを数回テストしていた。

    フェラーリのカスタマーだったマルシャでF1デビューを果たしたジュール・ビアンキは、2015年に同じくフェラーリのF1エンジンを搭載するザウバーに移籍してステップアップを果たす予定だった。

    フェラーリでの将来を有望視されていたジュール・ビアンキだったが、ウェットレースとなった2014年のF1日本GPの決勝でコースアウトし、作業していた重機と衝突。重い脳外傷を負ったジュールビアンキは翌年7月17日に25歳の若さでこの世を去った。

    最近、ルノーのF1ドライバーであるダニエル・リカルドは、ジュール・ビアンキをこれまでで最も過少評価されているライバルの一人として名前を挙げている。

    ダニエル・リカルドは「ビアンキはトップチームに行けたはずだし、今頃、確実にレースウイナーになっていただろう」とコメント。

    「時々、シャルルがジュールがやろうとしていたことを代わりに実現しているように感じることがあるんだ。シャルルの成功はまるで少し遅れたジュールの別バージョンのようだ」

    シャルル・ルクレールは、自身のキャリアがいかにジュール・ビアンキのキャリアとオーバーラップしているかを説明した。

    「ジュールの父と私の父は、僕たちが非常に似たキャリアを送っているといつも冗談を言っていた。奇妙なことに、彼が非常に悪いレースをすると、僕も同じ週末に非常に悪いレースをしていた。彼らはいつもこれについて冗談を言っていた」

    「僕たちのキャリアも非常に似通っていた。私のマネージャーであるニコラス(トッド)も僕たち二人にだいたい同じ道を歩ませていた」

    ジュール・ビアンキは、2014年にF1モナコGPでマルシャに初ポイントをもたらすなど、F1のトップチームで成功するポテンシャルがあることを示していたとシャルル・ルクレールは語る。

    「ジュールは、F1で示さなければならなかったものを示していたと確信している。彼がマルシアにいたときのモナコのような結果は彼の才能について多くを物語っていると思う」

    「だから、彼は間違いなくF1シートに相応しい。たぶん僕よりもフェラーリのシートに値していたと思う。でも、残念ながら、彼の状況は他のことによって決まってしまった。彼はおそらく私が成し遂げているよりもさらに多くのことを示していたと確信している。彼は非常に才能があった」

  • F1見聞録:マックス・フェルスタッペンとシャルル・ルクレールの違い

    F1見聞録:マックス・フェルスタッペンとシャルル・ルクレールの違い

    マックス・フェルスタッペンとシャルル・ルクレールがF1で活躍する以前にファン・アメルスフォールト・レーシングでデーターエンジニアとして二人と働いていたレムコ・アドヴォカートが、両ドライバーの違いについて語った。

    マックス・フェルスタッペンは2014年、シャルル・ルクレールは2015年にファン・アメルスフォールト・レーシングからヨーロッパF3選手権に参戦し、才能を示していた。

    レムコ・アドヴォカートによると、マックス・フェルスタッペンとシャルル・ルクレールには1つの共通点があるが、同時に完全に異なるドライバーだったと語る。

    「マックス・フェルスタッペンとシャルル・ルクレールは二人とも才能にあふれていた」とレムコ・アドヴォカートは語る。

    マックス・フェルスタッペンとシャルル・ルクレールが同じシーズンにヨーロッパF3で競い合うことはなかったが、レムコ・アドヴォカートはそれが実現していた場合、レースはどうなっていたかを次のように語る。

    「二人とも生の才能を持っていた。しかしながら、同等なマシンではシャルルが純粋なスピードでポールポジションを獲得していたと思うが、最終的にはフェルスタッペンが彼の巧妙さによってレースに勝っていただろう」

    レムコ・アドヴォカートは、マックス・フェルスタッペンのドライビングは非常に自然なものだったと語る。

    「ある意味、シャルルは非常にハードなペダリングにおいて優れていたが、フェルスタッペンは戦略やタイヤを労わることについて積極的に考えるための思考空間を持っていた。だが、私が話しているのは当時の彼らについてだ」

    また、レムコ・アドヴォカートは、マックス・フェルスタッペンとシャルル・ルクレールのモチベーションについての違いを次のように語った。

    「キャルルはチームの情熱的なリズムに合わせていた。8時にトラックにいることに合意した場合、彼らはその時間にそこにいた。フェルスタッペン(マックスとヨス)はさらに一歩進んで、彼らは7時にはすでに我々のテントにいた。我々は7時半にそこにいると言っていたとしてもね、7時半から我々にかみついてきたよ」

    「ヨスとマックス・フェルスタッペンが我々をプッシュしていた一方で、シャルルは我々独自のリズムに合わせていた。だが、彼らはまた様々な方法で我々に依存していた。ヨスは彼の息子にレースを教え、ファン・アメルスフォールトは彼にマシンを与える必要があった。一方、シャルル・ルクレールにはレースを教えなければならなかった」

  • F1:シャルル・ルクレール 「ミハエル・シューマッハがヒーローだった」

    F1:シャルル・ルクレール 「ミハエル・シューマッハがヒーローだった」

    シャルル・ルクレールは、フェラーリのF1ドライバーまでの道のりのなかでミハエル・シューマッハが自分のヒーローだったと語る。

    2015年にフェラーリ・ドライバー・アカデミーに参加したシャルル・ルクレールは、2016年にGP3、2017年にF2を圧倒的な強さで制し、2018年にザウバーでF1デビュー。2019年にキミ・ライコネンの後任として跳ね馬以上2番目に若いドライバーとしてフェラーリに加入した。

    フェラーリのF1ドライバーとしてデビューシーズンにシャルル・ルクレールは印象的なパフォーマンスを見せ、チームメイトで4回のF1ワールドチャンピオンのセバスチャン・ベッテルを上回ってドライバーズ選手権4位でフィニッシュ。2024年まで契約を延長し、将来のフェラーリを背負って立つドライバーとして期待がかけられている。

    フェラーリとの関係を振り返ったシャルル・ルクレールは、F1で戦うことを夢見ていたジュニア時代の“フェラーリを運転するヒーロー”はミハエル・シューマッハだったと語った。

    「僕にとって、そして、多くの人にとって、フェラーリを運転するヒーローはおそらくマイケルだったと思う。彼が優勝したとき僕は若かったけど、常にとても印象的だったし、F1、特にフェラーリを見ているときはいつでも僕が見ていたのは当然ながらミハエルだった」とシャルル・ルクレールは語る。

    シャルル・ルクレールはSNSで1枚の写真を公開。カート時代にミハエル・シューマッハにレーシングスーツにサインしてもらっている写真だ。

    「僕はカートトラックでテストして、マイケルはF1トラックでテストしていた。彼は僕たちのオーバーオールにサインしてくれて、ピットの中に戻る前に少し話をしてくれた。間違いなく特別な瞬間だった」とシャルル・ルクレールは語る。

    「ましてや彼が当時運転していたのと同じチームで運転するとは思ってもいなかった」

    シャルル・ルクレールのフェラーリへの最初の訪問は、ジュール・ビアンキと一緒だった。ジュール・ビアンキは2009年にフェラーリドライバーアカデミーに参加し、2014年の日本GPでの悲劇的な事故が原因でこの世を去るまで、将来のフェラーリのF1スターになると有望視されていた。

    「11歳か12歳だったと思うけど、ジュール・ビアンキと一緒だった。実際に街に到着したけど、僕にはパスがなかったので、まだフェラーリに入ることができなかった」とシャルル・ルクレールは語った。

    「フェラーリの施設を外から見ていて、とても感銘を受けた。そして、いつかそこにいることを夢見ていたことを覚えている。今はファクトリーに入るのはもう少し簡単になっているけどね」

    「僕は2015年に参加たけど、とても特別だった。父と一緒にマラネロに行った、私はとてもシャイで、とても恐れていた」

    「門に入ったときはとても印象的でした。2日後、彼らは僕がフェラーリ・ドライバー・アカデミーに受け入れられたことを知らた。僕のキャリアの中で素晴らしい日であり、素晴らしい瞬間だった。そのおかげで僕は今いるところに到達することができた」

  • F1見聞録:ビアンキが生きていればルクレールのように活躍していた

    F1見聞録:ビアンキが生きていればルクレールのように活躍していた

    ルノーのF1ドライバーであるダニエル・リカルドは、ジュール・ビアンキが生きていれば、今のフェラーリのシャルル・ルクレールのような活躍していたと考えている。

    フェラーリでの将来を有望視されていたジュール・ビアンキだったが、ウェットレースとなった2014年のF1日本GPの決勝でコースアウトし、作業していた重機と衝突。重い脳外傷を負ったジュールビアンキは翌年7月17日に25歳の若さでこの世を去った。

    ジュール・ビアンキの死後、シャルル・ルクレールは2017年のF2選手権で圧倒的な強さでタイトルを獲得。翌年、ザウバーでF1デビューを果たすと、2年目にはフェラーリに移籍し、2勝を挙げる活躍をみせた。ルクレールはビアンキと家族ぐるみの付き合いがあった。

    ダニエル・リカルドは、過小評価されている5人のドライバーのひとりにジュール・ビアンキの名前を挙げている。

    「ジュールは過小評価されているというわけではないけど、トップマシンに乗る彼を見ることは叶わなかった。だから、どれだけ良いドライバーになれるか正しく評価されなかったと思う」とダニエル・リカルドは自身のダイアリーに綴った。

    「2014年のモナコでマルシャをドライブし、チームの初ポイントを獲得したことを考えてみよう。モナコはマカオと同じように、マグレで結果を出せる場所ではない。あれは間違いなく実力だ」

    ダニエル・リカルドは、F1に到達する以前にカートでイタリアでジュール・ビアンキと一緒にトレーニングをしていたことがあるといい、“ジュールは飛び抜けていた”と語った。

    「そこも、しんみりしてしまう要因だ。ビアンキはトップチームに行けたはずだし、今頃、確実にレースウイナーになっていただろう。時々、シャルルがジュールがやろうとしていたことを代わりに実現しているように感じることがあるんだ」

    「シャルルの成功はまるで少し遅れたジュールの別バージョンみたい」

    ダニエル・リカルドとジュール・ビアンキ

  • フェラーリF1、シャルル・ルクレールのeスポーツへの関与を歓迎

    フェラーリF1、シャルル・ルクレールのeスポーツへの関与を歓迎

    フェラーリF1のチーム代表を務めるマッティア・ビノットは、eスポーツはF1の中断期間にファンの情熱を維持するために“重要”なことだと考えており、同時にシャルル・ルクレールのモチベーションを維持することにも役立つと述べた。

    1週間前にシャルル・ルクレールは、アルバート・パークを舞台にしたバーチャルGPでeスポーツに初挑戦。アレクサンダー・アルボンやジョージ・ラッセルといった6名のF1ドライバーが参戦したこの大会で見事にポール・トゥ・ウィンを果たした。

    「ルクレールは…eスポーツを楽しんでいる」とマッティア・ビノットは Sky Sports F1 に語った。

    「彼にとってはコックピットに戻ることが重要だったと思う。彼はコックピットを恋しく思っていた。彼はレースと感情を恋しく思っていた」

    「素晴らしいイベントであり、多くの熱意とフィードバックがあったと思う。人々はポジティブだったと思うし、良かったと思う。シャルルがポールでスタートして最初にフィニッシュしたのもポジティブだった」

    「それが彼がと求めていたものであり、彼はその瞬間を楽しだ」

    F1とモーターレースが全体的に停止状態になって以来、モータースポーツアリーナでのeスポーツイベントは増加している。

    マッティア・ビノットは、オンラインレースは、社会的役割を満たすと同時に、このような困難な時期にファンや参加者に重要なエンターテイメントを提供すると考えている。

    「スポーツは人々への情熱であり、ファンへの情熱だ。eスポーツと我々のシャルルとのバーチャルレースでは、もちろん最終的には1時間だけではあるが、それでも1時間の気晴らしだった。人々が別の何かを見るだけでも重要な1時間だ」

    「スポーツは情熱であり、スポーツは楽しさであり、それを維持する必要があると思う。スポーツは社会的責任であり、決して忘れてはならない」

    F1が一時停止し、新型コロナウイルス危機の消滅と世界が安全を取り戻すのを待つ間、マッティア・ビノットはシャルル・ルクレールとセバスチャン・ベッテルの両方を定期的にモニターしている。

    「両方のドライバーと連絡を取り合っている。毎日のようにというわけではないが、すべてが彼らにとって問題ないかを確認するだけだ」とマッティア・ビノットは語る。

    「彼らは両方とも自分自身に従事しようとしている。もちろん、彼らは彼らの国の法律に従う必要があるが、彼らはトレーニングをしている。彼らは身体だけでなく精神的にも健康を維持しようとしている。正常に戻れば、彼らは再びスタートする備ができている」

  • F1:ランド・ノリス、配信でルクレールをイジる「エンジンの問題では?」

    F1:ランド・ノリス、配信でルクレールをイジる「エンジンの問題では?」

    マクラーレンのF1ドライバーのランド・ノリスは、バーチャルレースの配信で人気者になっている。今回はシャルル・ルクレールへの発言でファンを沸かせた。

    シャルル・ルクレールを含む他の5人の現役F1ドライバーとともに、ランド・ノリスは4月11日(土)に新型コロナウイルス対策の募金のためのレース『Race for the World』に参加した。

    最初の予選の後、シャルル・ルクレールはバーチャルトラックで自分が最速のドライバーよりも1秒以上遅かったことを超えに出して疑問を呈した。

    ランド・ノリスは見事な説明を思いついた。彼は遠慮することなく、フェラーリのF1エンジンに関する論争に言及した。

    ランド・ノリスは「昨年、米国でフェラーリが急に遅くなったのを覚えてる?」とシャルル・ルクレールにコメント。

    そのコメントは他のドライバーを笑顔にさせたが、シャルル・ルクレールははひどく沈黙することになった。

  • シャルル・ルクレール、操作ミスでレッドブルのF1マシンが割り当てられる

    シャルル・ルクレール、操作ミスでレッドブルのF1マシンが割り当てられる

    フェラーリのF1ドライバーであるシャルル・ルクレールは、F1バーチャルGPの練習レースで操作を誤ってレッドブルのF1マシンがセレクトされてしまう場面が世界中のファンに配信されてしまった。

    新型コロナウイルスのパンデミックによるF1の中断期間を利用して、F1ドライバーたちはバーチャルレースに参加してファンを楽しませている。

    最近、F1公式ゲーム『F1 2019』を入手して、Twitchでの配信をスタートしたばかりのシャルル・ルクレールは、レース前に自分のマシンとしてフェラーリを選択するのを忘れてしまい、自動的にレッドブル RB15が割り当てられてしまった。

    セッションを完全にやり直さなければならなくなり、シャルル・ルクレールは他のドライバーに謝罪。

    レッドブル・ホンダのF1ドライバーを務めるアレクサンダー・アルボンは「クリスチャン・ホーナーに良いニュースがあると電話しておくよ。でも、僕のレッドブルのシートがなくなってしまうかもしれないね」とからかった。

  • シャルル・ルクレール、フェラーリF1育成プログラムの“入試”を回顧

    シャルル・ルクレール、フェラーリF1育成プログラムの“入試”を回顧

    フェラーリF1チームの将来を背負って立つシャルル・ルクレールは5年前に育成プログラムである“フェラーリ・ドライバー・アカデミー”と契約。ファンとの質疑応答でどのようにフェラーリにたどり着いたかを語った。

    2015年、シャルル・ルクレールはファン・アメルスフォールト・レーシングからF3に参戦していた。その年、ルクレールはフェラーリに自分の資質を示すためにマラネロを訪れた。

    フェラーリ・ドライバー・アカデミーは厳選されたグループで構成されており、契約を結ぶのは簡単な仕事ではない。シャルル・ルクレールは自分自身を証明するために2日間のテストを受けた。

    「父と一緒にマラネロ(フェラーリの本拠地)に行った。僕は17歳でとてもシャイだった」とシャルル・ルクレールは思い返す

    「プログラムに参加するのに十分かどうかわからなかったので怖かった。」

    シャルル・ルクレールは、自分をフェラーリに納得するために短時間で集中的なプログラムをこなした。

    「すべてのテストは2日間続き、最終的に良い知らせが届いた。僕は赤を守るために受け入れられた」とシャルル・ルクレールは語り、その瞬間を“僕のキャリアにおいて非常に重要な日”だったと述べた。

    「それはフェラーリのファクトリードライバーとしての僕の現在の役割への第一歩だった」

    新型コロナウイルスが世界的に大流行する今、シャルル・ルクレールはモナコで自主隔離生活を送りながらフィットネスを維持している。

    「幸いにも、自宅に必要なすべてのフィットネス機器を揃えている。エクササイズバイクとウェイトがある。ここモナコでは、1日1時間運動できるようになっている。でも、いつも家の近くにいる。この状況で僕ができることはそれだけだ」

  • F1:シャルル・ルクレール、イタリア赤十字の募金活動を支援

    F1:シャルル・ルクレール、イタリア赤十字の募金活動を支援

    フェラーリのF1ドライバーであるシャルル・ルクレールは、新型コロナウイルスの危機から国民を救済するためのイタリア赤十字の募金活動に参加した。

    シャルル・ルクレールは、自身のフォロワーたちにむけて、公衆衛生上の緊急事態のためのチャリティ活動にお金を寄付することでイタリア赤十字をサポートするよう求めた。

    イタリアは、新型コロナウイルスの感染者が14万人以上と世界に3番目に多く、死者数は1万8000人を超えて世界最多という状況に陥っている。

    イタリアは1か月近くロックダウン状態にあり、F1全体が5週間のシャットダウン期間を設けるなか、フェラーリは3月19日以降、操業を停止している。

    「緊急事態のこの瞬間に、ほんのわずかな行動でも莫大な結果につながる可能性がある」とシャルル・ルクレールはソーシャルメディアに投稿。

    「一緒に参加して、勇気を持ってこの挑戦と戦い続けよう。決してあきらめない人たちをサポートしよう」

    イタリア赤十字の募金活動では、サッカー界のクリスティアーノ・ロナウドやパオロ・マルディーニといった有名人がサポートし、これまで63,000ユーロ以上の募金を集めている。

    シャルル・ルクレール