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  • ケータハムF1チーム復活報道を機に振り返るF1参戦夢物語5選

    ケータハムF1チーム復活報道を機に振り返るF1参戦夢物語5選

    ケータハムの名前がグリッドに復帰するというあり得ないニュースが流れる中、これまでに夢物語に終わったF1プロジェクトを5つ振り返る。

    よく言われる陳腐な表現だが、だからといって真実でないわけではない──「モーターレーシングで小さな財産を築く一番速い方法は、大きな財産を持って始めることだ」。

    巨額の資金を失って夢を散らせた人々の群れと並んで、もうひとつのカテゴリーが存在する──自分の資金をほとんど投じることなく、大きな成功を収められると信じる人々だ。

    今週、英オートスポーツ誌の編集部に「ケータハム」の名前をF1グリッドに復帰させるというメールが届いた。

    「我々は、サード・カッシス=モハメド・キャピタルが、2027年を目標に、新規参戦枠で休眠状態のF1エントリーをグリッドに復帰させる計画を発表します。これはFIAの承認および商業権保持者との合意が条件です」とメールには書かれていた。キャデラックのF1参戦計画を巡って大きな混乱が生じている現状を考えると、後者の2つの条件が満たされる見込みは薄いと経験則は示している。

    このプロジェクトの表看板を務めるクウェート人の「起業家、投資家、慈善家」サード・カッシス=モハメドは、最近では問題を抱えるイングランド3部リーグのサッカークラブ「レディング」の買収候補者として名前が挙がった。しかしこの投資は実現しなかった。

    新チーム設立の発表を信用すべきでない理由はいくらでもある。ここではそのいくつかを紹介する。

    LKY SUNZ(2021年/2023年)
    ベンジャミン・デュランのF1参入を巡る「やるやる詐欺」の旅は2019年に始まった。彼は「パンサーラ・チーム・アジア」の結成を発表し、直前まで世界耐久選手権のSMPレーシングLMP2チームを運営していた経歴を引っ提げて、「ハース方式」(規則に基づき、他チームやサプライヤーから購入可能なコンポーネントを最大限利用)で参入を目指すと主張した。

    売り込み文句はこうだ──リバティ・メディアによる商業権取得以降、F1はアメリカ市場拡大に注力してきたが、アジアのファン層拡大には何もしていない。これは斬新なコンセプトではなかった。共同ディレクターのマイケル・オルツは「ブロンズ・フォーチュン社」の取締役であり、この会社は2017年の夏に一時的に「チャイナF1チーム・レーシング」に改称され、大きな話題を呼んだことがあった。

    シルバーストンに拠点を構え、2021年参戦を目指して人員を雇用するという話もあったが、パンサーラは結局エントリー申請すら行わなかった。当時F1マネジングディレクターだったロス・ブラウンは「歴史から学ばねばならない。多くの小規模チームが参入しては消え、F1に何も貢献しなかった」と語り、2022年まで新規参戦は認めないとした。

    デュランは2020年にも一度再登場し、「人員はまだ予備設計作業を続けており、エンジンサプライ契約の基礎もある。しかしF1の動きを見極めるまで何も言えない」と主張した。

    2023年になって、このプロジェクトは再び持ち上がり、FIAが新規チームの入札プロセスを開始したのを受けて「LKY SUNZ(ラッキー・サンズ)」と改称された。アジアに拠点を置き、若者文化に焦点を当て、地域コミュニティとの関わりを強調する構想だった。

    米国拠点の「レジェンズ・スポーツ・アドボケーツ・グループ」の支援と10億ドルの予算、さらに当時の3倍にあたる6億ドルのアンチディリューション基金支払い意向を掲げたが、入札は却下された。詳細な技術・財務計画の欠如と、実際のモータースポーツ実績の乏しさが不利に働いたとされる。

    同社は2023年12月に解散した。

    ケータハムF1チーム LKY SUNZLKY SUNZ──アジア拠点を掲げながら実現しなかった新規参戦計画

    ステファンGP(2010年/2019年)
    ロス・ブラウンが2010年代末に新規参戦を拒絶した背景には、2017年オーストリアGP週末にセルビア人実業家ゾラン・ステファノビッチと会った経験もあった。

    ステファノビッチはイタリアにF1チームを設立すると宣言し、「オーストリアに来る前に重要な契約をいくつもまとめた。チームはパルマに拠点を置く。風洞から適度な距離にある。空力専門家とも契約を結んだ」と語った。

    その空力専門家とは、ウィリアムズFW11やフェラーリ640の設計に関わったエンリケ・スカラブローニだとされた。

    だが既視感の強い話だった。ステファノビッチは2009年にマックス・モズレーが新規参入枠を3つ設けた際にも応募したが落選している。

    その後、トヨタが白紙撤回したF1プロジェクトの資産を一部取得し、ケルンのトヨタ拠点を利用して活動を進め、元アロウズ/マクラーレンのデザイナー、マイク・コフランの監督下で開発を行う計画を立てた。コフランといえば2007年にフェラーリの機密設計図をコピーさせた人物として悪名高い。

    2010年2月、ステファノビッチは英オートスポーツ誌に電話で「ジャック・ビルヌーブと交渉中で、すでに中嶋一貴と契約した。ステファン01はケルンのファクトリーで初めて火を入れた」と主張した。しかし重要な点──エントリー権やタイヤ供給については曖昧だった。

    「現状、ブリヂストンはF1に参戦するチームにしか供給しないと回答している。しかし我々はGP2用タイヤを供給してくれるかもしれないと前向きに考えている」と述べた。

    結局このプロジェクトは実現せず、2017年に彼が再びパドックに姿を現したときは呆れ顔で迎えられた。

    ケータハムF1チーム ステファンGPステファンGP──トヨタ資産を取得したが参戦に至らなかったプロジェクト

    US F1(2010年)
    2008年秋、世界金融危機により自動車メーカーがF1撤退の危機に直面すると、FIA会長マックス・モズレーは低予算パワートレインや新規参戦枠を募集した。2009年ル・マン週末に発表された当選者リストは物議を醸した。

    マノー・レーシングやカンポスGPは下位カテゴリーで実績があったが、なぜUS F1──元ハースのテクニカルディレクター、ケン・アンダーソンと、ジャーナリスト/元ウィリアムズマネージャーのピーター・ウィンザーが率いるチーム──がプロドライブやローラを退けて選ばれたのか。

    背景にはモズレーとバーニー・エクレストンが、分離シリーズを計画していたFOTA(F1チーム連合)と対立していた政治的事情があった。

    US F1はYouTube創業者チャド・ハーリーの支援を得たとされ、進捗を動画で公開すると約束。拠点は米国ノースカロライナ州シャーロットに構えた。

    しかし数か月後、進捗が大幅に遅れているとの噂が流れ始め、動画も公開されないままだった。英GPレーシング誌の記者が現地を訪れたが「撮影するものがほとんどなく、アンダーソンは頻繁にスターバックスに消えていた」と困惑した。

    それでもチームは2010年のドライバーとして、ルノーのテストドライバー、ホセ・マリア・ロペスを発表した。アルゼンチンから800万ドルの資金を持ち込んだとされた。

    2010年2月、開幕直前にチーム内部の匿名関係者が英オートスポーツに語った内容は衝撃的だった。開発体制が完全に破綻し、マシンは完成には程遠く、スポンサーも皆無だったのだ。

    アンダーソンはすべての設計を自らチェックすると主張し、ボトルネックを生んでいた。

    「正式な計画や文書はほとんどない。生産スケジュールも存在しない」と内部関係者は証言した。

    これを知ったエクレストンは知人ドライバーを工場に派遣させ、戻ってきた報告は「モノコックの残骸と空想とスターバックスのレシート」だった。

    新会長ジャン・トッドに報告され、チャーリー・ホワイティングが現地調査を行った結果「US F1はどこにも行かない」と結論づけられた。

    バーレーン開幕戦の2週間前、テストにも姿を見せぬまま、チームは2011年への参戦延期を申請したと主張したが、結局消滅した。ロペスの800万ドルも消え、YouTubeに残ったのは風刺動画だけだった。

    ケータハムF1チーム US F1US F1──北米拠点で結成されたが開幕前に崩壊した幻のチーム

    チーム・ドバイF1(2006年)
    2004年10月、「チーム・ドバイF1」は2006年からメルセデスエンジンとマクラーレンの技術支援で参戦し、年間1億ドルを投じると発表した。拠点はドバイとされた。

    当時から懐疑の目が向けられた。アル・マクトゥーム王族の一部支援があるように見えたが、すでに売りに出ていたF1チームが複数存在していたからだ。なぜそれを買わないのか、と。

    声明では「既存チームを買収しても、ブランドや価値に縛られる。我々独自の卓越性を示せない」と述べた。

    しかし最大の問題は関係者たちだった。プレスリリースを送ったのは「ベルグラビア・グループ」という組織で、「グランプリ・インベストメンツ」を名乗る団体を助言しているとされた。この2団体は同じ住所を共有し、ジョン・バイフィールドとラッセル・キングという同じ人物が関わっていた。

    当時、彼らはジェンソン・バトンの契約混乱を引き起こした厄介者として知られていたが、その後キングは巨額詐欺で有罪判決を受けることになる。

    FIAへの必要保証金4800万ドルを用意したと主張したが、結局何も進展はなかった。2009年にキングがBMWチーム買収を企てる「Qadbak」として再登場したとき、マクラーレンのマーティン・ウィットマーシュは真っ先に警鐘を鳴らした。

    その後ノッツ・カウンティFCをわずか1ポンドで手に入れ、混乱を招いたことは有名だ。BMWザウバーは辛うじて巻き込まれずに済んだ。

    2018年、バーレーンで潜伏生活を送った後にジャージー島へ送還されたキングは、詐欺と窃盗で懲役6年を言い渡された。

    ケータハムF1チーム チーム・ドバイF1チーム・ドバイF1──豪華支援をうたいながら消えた中東発の構想

    フェニックス/DARTグランプリ(2002年)
    1980年代末から90年代初頭にかけて、F1のエントリーは過剰で、金曜朝に予備予選が行われた。脱落者は本番前に撤収を余儀なくされた。

    だが、そもそもサーキットに入場すら許されなかったチームもある。

    それがフェニックス・グランプリだ。実業家チャールズ・ニカーソンが2001年末に倒産したプロストGPの資産を買収し、アロウズのリーフィールド拠点に持ち込んだ。だが肝心の「F1参戦権」に関する書類は含まれていなかった。

    プロストのAP04マシンと知的財産権はあったが、それだけだった。2002年開幕戦ではノーズを提出しただけで、マシンは到着せず。第2戦マレーシアGPに参戦を試みたが、参戦権がないためパドック入場すら拒否された。

    アロウズのテストチーム員を中心に運営され、アロウズ3シーターのエンジンやサスペンションを無理やり移植した「AP04B」を準備したとされるが、実態は怪しいものだった。

    結局、ガストン・マッツァカーネとトマス・エンゲが死神のようなマシンを走らせる事態は避けられた。

    後に「DARTグランプリ」と名を変え、FIAやFOMと法廷闘争に持ち込んだが、2002年5月、高等法院副長官アンドリュー・モリット卿は訴えを棄却し、フェニックスまたはDARTに全額費用を支払うよう命じた。

    ケータハムF1チーム フェニックス/DART GPフェニックス/DART GP──プロスト資産を利用しようとしたが門前払い
  • ケータハム 2027年のF1復帰を計画 クウェートの若手起業家が支援

    ケータハム 2027年のF1復帰を計画 クウェートの若手起業家が支援

    元F1チームのケータハムが、2027年のグリッド復帰を目指している。支援するのは24歳のクウェート人起業家サード・カシス=モハメドと、彼の投資会社SKMキャピタルだ。

    ケータハムは2012年から2014年までF1に参戦し、ロータス・レーシングのエントリーを引き継いだ。しかし常に後方に沈み、選手権ポイントを獲得することなく撤退した。野心的な計画はあったが結果は伴わず、資金難により消滅した後もブランド名だけが記憶に残った。

    今回のプロジェクトはケータハムの名を復活させることを目的としており、当面は「SKMレーシング」として活動する。すでにシルバーストンに技術拠点を設立し、部品生産や試験ベンチの活用を始めている。またレーシング部門はミュンヘンに拠点を構える予定だが、詳細はまだ明かされていない。

    SKMレーシングはすでに数名の主要人事を決定している。マネージングディレクターにエレナ・リヒター、技術部門にマルコ・ビアンキ、パフォーマンス部門にアイシャ・カーン、財務にトビアス・マイアーが就任。最初の3人はF1やモータースポーツの経験を持つ。

    カシス=モハメドは昨年、フォーブスの「30アンダー30(ソーシャルインフルエンス部門)」に選出された人物で、このプロジェクトに2億8000万ユーロを投じる計画だ。

    「F1は予測可能なコスト枠組みを持つ規律あるエンジニアリング競技だ」とSKMキャピタルのマネージングパートナー、マルシネ・グラハムはプレスリリースで語った。

    「持続可能かつ競争力のあるコンパクトなデータ主導型組織を立ち上げる」

    人員は初年度の210〜230人から、3年目には約320人へと拡大を予定。イギリスとドイツの大学との提携を通じて人材を採用するという。

    リヒターは「基盤が整うまでは必要以上の人員は採用しない」と説明する。

    ケータハム F1

    ケータハム、2027年F1復帰計画が進行中
    SKMは2026年初めにFIAへ参戦申請書類を提出し、ケータハム名義での復帰を目指している。

    現在、2つのF1現行エンジンサプライヤーと複数年契約および技術協力の交渉を進めている。すべての部品を自製するつもりはなく、「自製と外部委託の判断を賢く行い、時間を節約する」としている。

    どのサプライヤーと提携するかは未定だが、2027年時点でメルセデスはすでに最大の4チームへ供給済み、レッドブル・フォードはレッドブルとレーシングブルズに限定されるため、候補はフェラーリかホンダに絞られる見込みだ。

    アウディは自チームに供給し、キャデラックは2026年のF1デビュー当初フェラーリ製エンジンを用いるが、数年以内に独自PUメーカーとなると予想されている。

    スケジュールは野心的だ。2026年第1四半期にシルバーストンの工場を完全稼働させ、同年第3四半期には初のシャシーを完成させる予定。その後は試験ベンチでのシステムチェックに入る。

    ただし2027年参戦にはFIAとフォーミュラワン・マネジメントの承認が必須で、過去にアンドレッティやキャデラックの計画が遅れた原因ともなっている。

    カシス=モハメドはケータハムの名前を選んだ理由について、スポーツスター誌にこう語っている。
    「ケータハムは今も多くの人にとって馴染みのある名前だが、現在F1には参戦していない。ブランドライセンスを利用すれば、古い会社とその負債を復活させることなくマーケティングの世界に参入しやすくなる」

  • 小林可夢偉、トヨタF1撤退後のF1キャリアを振り返る

    小林可夢偉、トヨタF1撤退後のF1キャリアを振り返る

    小林可夢偉が、トヨタがF1から撤退して以降のF1キャリアについて振り返った。

    トヨタF1のリザーブドライバーを務めていた小林可夢偉は、負傷したティモ・グロックに代わって2009年のF1ブラジルGPでF1デビュー。日本人として18人目のF1ドライバーとなった。

    F1ブラジルGPでは予選11位を記録し、決勝ではチャンピオンであるジェンソン・バトンを抑えて一時は3位までポジションを上げるが、入賞に一歩届かず9位でフィニッシュ。実戦F1アブダビGPでもドライバーを務めた小林可夢偉はチームメイトのヤルノ・トゥルーリを上回る6位入賞を果たした。

    翌年のトヨタF1のレギュラーシート昇格が期待されていた小林可夢偉だったが、シーズン終了後、トヨタはF1撤退を発表。シートがない状況に陥った。

    トヨタがF1から撤退しようとしていることは知っていたかと質問された小林可夢偉は「いいえ。噂があることは知っていましたが、通常、チームがすぐに辞めることはないですからね。通常はもう1年残ります」と Beyond the Grid Podcast に語った。

    「そういうわけで、それについてあまり心配していなかったので、驚きでしたね。アブダビの後に電話があり、ドイツに会議のために向かいました。てっきり2010年のオファーだと思っていました。でも、実際の会議はトヨタがF1を撤退するというものだった。非常にショックを受けました」

    小林可夢偉は、その後もトヨタとのコネクションを保っていたが、2010年にはトヨタ以外のドライブを探すことを余儀なくされた。幸い、そのシートはザウバーで利用可能になった。

    小林可夢偉は、2012年のF1日本GPでホームファンの前で3位表彰台を獲得してその名を馳せた。そのアグレッシブなドライビングスタイルと素晴らしいタイヤマネジメントで小林可夢偉はF1ファンの心を勝ち取った。

    だが、悲しいことに、ザウバーが財政難に陥ったことで小林可夢偉は2012年シーズンでシートを喪失する。

    「ザウバーは経済的な問題を抱えていたので驚きはしませんでした」と小林可夢偉はザウバーのシート喪失について語った。

    「ザウバーとの機会には本当に感謝しています。僕の出身地はF1から遠く離れたところにありますし、僕の家族はモータースポーツの出身ではありません」

    「カートを始めた若い頃は、F1がどういうものかも分からず、とにかくレーシングドライバーになりたいと思っていました。だから、そこからF1まで行けたことは、すでに自分が期待していたものとは違う何かだったと感じています」

    「その年(2012年)は悪い仕事をしていたわけではなかったので本当に残念でした。ザウバーのシートを失うことは本当に残念でしたが、一方で、F1で自分が何ができるかを示すのに十分なほど他の強いチームからのオファーはありませんでした」

    「結局、F1での経験は僕にとって本当に素晴らしいものだったと思います」

    小林可夢偉は、2014年に競争力のあるF1シートを見つけるための年として2013年を使用することを決定したが、その間にフェラーリのテストドライバーに就任。フェラーリのGTプログラムにも参加してAFコルセからWECに参戦した。

    だが、2014年に小林可夢偉はフェラーリからの拡張されたテストドライバーのオファーを断り、代わりにポイントを獲得できていなかったバックマーカーのケーターハムとF1グリッドに戻った。そして、それがF1での最後のシーズンとなった。

    「とても難しい決定でした。フェラーリと契約を結んでいましたが、F1プログラムに参加するというオプションはありませんでした」と小林可夢偉は振り返る。

    「GTプログラムには参加できたかもしれませんが、F1はありませんでした。何度かテストを行うことはできたかもしれませんが、1年後には多くのテストはできなくなる状況でした」

    「だから、そこにはいたくなかったし、自分がフェラーリでレースをすることは想像できませんでした。だからこそ、強いチームではありませんでしたが、ケータハムとの他の選択肢を選びました。F1にいるだけでしたが、そこで本当に良い結果を得ることができれば、より現実的な選択肢だったと思っています」

    小林可夢偉はF1から離れて以降に成功を収め、トヨタのドライバーとして2019-2020シーズンのFIA 世界耐久選手権のタイトルを獲得。ル・マンでは3回の2位フィニッシュをしている。

    しかし、F1への復帰の可能性については「テレビで見ることにかなり満足しています」と小林可夢偉は語った。

  • F1マシン列伝:ケータハム CT05 “醜悪なアリクイノーズと財政難”

    F1マシン列伝:ケータハム CT05 “醜悪なアリクイノーズと財政難”

    ケータハムの2014年F1マシン『CT05』は、1ポイントも獲得できなかったが、その醜悪な“アリクイノーズ”でF1に歴史を刻むことになった。

    2010年にロータス・レーシングとして参戦したチームは、2011年にチーム・ロータスを名乗ったが、グループ・ロータスとの関係が悪化し、訴訟沙汰に巻き込まれ。その結果、2012年からはトニー・フェルナンデスが買収した自動車会社「ケータハム」の名称を使用し、「ケータハムF1チーム」として参戦する。

    2014年、F1はホイールに乗り上げるクラッシュやTボーン・クラッシュのリスクを減少させ、より安全性の高いレースの実現を目指してローノーズ・デザインを義務付けた。しかし、ローノーズではモノコック下面に導ける空気流が制限されてしまい、フロアが発生するダウンフォースの大部分が失われてしまう。そこで各チームはレギュレーションで定められたノーズ断面積を最小限にするためのソリューションに苦心した。この結果、ノーズ先端部に奇妙な突起が組み込まれることになり、F1史上最も奇妙で醜いノーズデザインがいくつか生まれた。

    そのなかでも群を抜いて醜悪だったのがケータハム CT05だ。“アリクイノーズ”はその中で比較的まともな呼び名であり、そのフォルムはファンの間ではより軽蔑的な名称で呼ばれた。開幕戦では突起をブラックで塗装してなんとか見繕ったが、同系色で塗られたプレシーズンテストでの初登場時の衝撃は物凄いものだった。

    2014年、ケータハムは小林可夢偉とマーカス・エリクソンを起用。だが、ケータハム CT05はその見た目通りに競争力はなく、ルノーのパワーユニットの信頼性問題に加えて、チームの財政難によって7月にはチームを売却。第12戦ベルギーGPでは突然小林可夢偉に代えて、アンドレ・ロッテラーを起用。第13戦イタリアGPでは小林可夢偉に復帰するなど財政難にあえぐチームによくある不可解なドライバー交代が行われた。

    財政難はパーツの生産自体に影響を及ぼいで、F1ロシアGPの週末、小林可夢偉はケータハムのF1マシンの安全性に出場辞退を考えていたことをFacebookの個人アカウントで明らかし、ケータハムのマシンに施された劣悪な修復の内容を公開した。

    「恐ろしい! サスペンションの損傷が昨夜見つかったけど、スペアないのでカーボンで巻き巻きの修復した! 毎回チェックするけどこれで走ってくださいといわれても恐ろしすぎる! もう帰りたい。。これから練習と予選とレースあるんだぜ。。 真剣に悩み中。。 レーサーとして走ったほうがいいので? 安全に辞退した方がいいのか。。 因みにあと15分で走ります。。」

    小林可夢偉 ケータハム CT05
    マイレージ制限により、初めて走るサーキットにも関わらず満足な走行は出来ず、決勝では21周目に突如ピットインを命じられ、その場でリタイヤ。チーム発表によればリタイヤさせた理由はブレーキのオーバーヒートといる。

    その後、チームは管財人の管理下に入り、アメリカGPとブラジルGPを欠場。最終戦アブダビGPでは小林可夢偉クラウドファンディングなどによる資金調達によって参戦が可能となったが、レースはリタイアで終えた。

    チームは5シーズンの参戦で1ポイントも獲得できないままF1から撤退する。

    ケータハム CT05 (2014年のF1世界選手権)ケータハム CT05 (2014年のF1世界選手権)ケータハム CT05 (2014年のF1世界選手権)ケータハム CT05 (2014年のF1世界選手権)ケータハム CT05 (2014年のF1世界選手権)

  • 元ケータハムF1チームのオーナーにスポンサーに関連した贈収賄疑惑

    元ケータハムF1チームのオーナーにスポンサーに関連した贈収賄疑惑

    かつて小林可夢偉も所属したケータハムF1チームのオーナーだったトニー・フェルナンデスに、ヨーロッパの航空機メーカーであるエアバスに関連した贈収賄疑惑がかけられている。

    トニー・フェルナンデスは、アジアの航空会社エアアジアの創設者兼会長を務めている。エアアジアは、エアバスから航空機を購入する見返りに賄賂を受け取ったとして、捜査対象となっている。

    ケータハムF1チームは、2012年から2014年までF1に参戦。当時エアバスとスポンサー契約を締結していた。捜査当局は、この取引がエアアジアによるエアバスの航空機の発注へとつながったと主張している。

    王立裁判所の女王座部長のビクトリア・シャープは「エアアジア、またエアアジアX航空のディレクターもしくは社員に対して行われた5000万ドル(約54億7000万円)からなる不適切な支払いは、スポーツチームへのスポンサー料の名義で行われた」

    「スポーツチームはエアアジア幹部1とエアアジア幹部2が共同所有していたが、法的にはエアアジアおよびエアアジアXとは関係はない」

    トニー・フェルナンデスは、不正行為について否定しているが、今回の件を受けてエアアジア会長のカマルディン・メラヌンは2カ月間職務を停止するが、顧問としてエアアジアに留まる予定としている。

    トニー・フェルナンデスとカマルディン・メラヌンは共同で声明を発表。「我々はエアアジアのディレクターの立場からすべての不正行為を断固として否定する。我々は、生涯全体を通して現在の世界的地位を構築した数々の企業に対し、なんら損害を与えるつもりはない」と述べた。

    「ケータハムF1は、エアバスから不適切なスポンサードを受けたと申し立てられているが、当時チームは世界中を回り、エアアジア、エアアジアX、GE、エアバスらに売り込みを行っていた」

    「我々がケータハムの株主であった期間を通して、同社は利益を出せておらず、最終的に2014年に1ポンドで売却された。すべてブランディングのための活動であり、利益を生み出すための事業ではなかった」

  • F1 | ケータハムが使用していたリーフィールドのファクトリーが廃墟化

    F1 | ケータハムが使用していたリーフィールドのファクトリーが廃墟化

    ケータハムF1チームが使用していたリーフィールドのF1ファクトリーの荒れ果てた姿が公開された。

    ケーハタムF1チームは、以前アロウズとスーパーアグリが拠点としていたリーフィールドのファクトリーに2012年に移転。しかし、チームは2014年10月に破産。ファクトリーは管財人の管理下に入り、2014年の最終戦を最後にチームは消滅。その後、資産は売却された。

    ケータハムF1チームの撤退から5年の月日が経ち、廃墟と化したファクトリーの写真が公開された。Kimmyと名乗る者がFacebookで公開した2020年F1月現在の写真では、中途半端にケータハムのアイデンティティが残ったまま、壁や天井などが剥がれ落ちた無残な姿が収められている。

    ケータハムF1チームは、2010年にロータス・レーシングとしてF1に新規参戦。2011年にはチーム・ロータスとして参戦したが、グループ・ロータスと名称を巡って論争となり、2012年からケータハムF1チームに改名。最終年となった2014年には小林可夢偉がドライバーを務めた。

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  • ケータハムF1チーム、200名以上の元従業員に未払い給与を支払い

    ケータハムF1チーム、200名以上の元従業員に未払い給与を支払い

    ケータハムF1チームは、長期におよぶ法的および財政論争の末、ようやく200名以上の元従業員に未払いだった給与を支払った。

    財政難に陥ったケータハムF1チームは、2014年に消滅。チームは管財人の管理下に置かれ、従業員は給与を受け取ることができずにいた。

    その後、管財人がチームを引き継いで資産を売却。この度、216名の元従業員に給与が支払われた。

    今回の給与支払いについて管財人は「ケータハムF1チーム社の複雑な問題を解決するために管財人が行った長年の作業を反映したものだ」とコメント。

    「管財人が引き継いだ資産の多くは国際的な側面をもち、実現する前に解決しなければならない相対する課題があった」

    「優遇債権者は、過去4ヵ月間、最高800ポンド(11万5600円)までの未払い賃金に相当する額が受け取る権利がある」

    支払額は、歳入関税庁への税金および国民保険が差し引かれる。

  • 元ケータハムF1のオーナー 「F1は私にとって災害だった」

    元ケータハムF1のオーナー 「F1は私にとって災害だった」

    ロータス・レーシングとケータハムF1チームのオーナーとしてF1に3年間参戦したマレーシアの実業家トニー・フェルナンデスは、約束された予算削減が実行されなかったことで、プロジェクトは崩壊したと述べた。

    トニー・フェルナンデスは「F1は私にとって大催事だた。我々はあまりうまくやることができなかった」と BBC Radio にコメント。

    「私は最大のブランドのいくつかとグリッド上にいた。私にとって、人生とは成功が重要だ。信じたことをやっていくことがね。フェラーリ、マクラーレン、そして、私のヒーローであるフランク・ウィリアムズがいた。私が同じグリッドにいたことはご存じたと思う・・・後方ではあたが、私は同じグリッドにいた。私はそこにいた」

    2010年、トニー・フェルナンデスのチームは、ヒスパニア・レーシング(HRT)、ヴァージンとともにF1に新規参入を果たしたが、財政的な問題により、今ではどのチームもF1グリッドには残っていない。

    確立されたチームが、新たなプライベートチームがF1で生き残れるように譲歩することを望まなかったのではないかと質問されたトニー・フェルナンデスは「そうだね。それは100%正解だ」とコメント。

    「マックス・モズレー(当時のFIA会長)から、スポーツはコストを半分にすると約束されていた。それは全員に公正な戦いを与えただろう。だが、実際にはそれは起こらなかったし、コストは上昇し続けた」

    「F1は、エンジニアや自動車メーカーがあまりに支配的になりすぎたし、とにかく持続可能ではなかった。全員が今苦しんでいると思うし、F1はちょっとした行進のようになった」

    「私は学生時代にF1を見始めた・・・エディ・ジョーダンがやってきて、チームを作り、その年、もしくは1年後には彼はレースに勝つことができた。もうそれが起こることは決してない」

    新規参入した3チームが崩壊した以降、新チームは2016年に参戦を開始したハースだけとなっている。そして、ハースは現在、ミッドフィールドで戦っている。

    「現在、ハースは良い仕事をしているが、彼は長い間ずっとNASCARをやってきた」とトニー・フェルナンデスはコメント。

    「F1について悲しいことは、私が育ったときはドライバーが主役だったが、今では多くのドライバーがシートを獲得するために資金を持ち込まなければならなくなったことだ。最高の才能をもったドライバーでもF1に入れないことがある」

    56戦を戦った後、ケータハムは2014年のF1アブダビGPを最後にF1から撤退。トニー・フェルナンデスもプロジェクトを終了した。

    その3年間で、マーカス・エリクソン、ギド・ヴァン・デル・ガルデ、小林可夢偉、ヘイキ・コバライネン、ヴィタリー・ペトロフ、シャルル・ピック、ヤルノ・トゥルーリがドライバーを務めた。

  • トニー・フェルナンデス、将来のF1復帰を除外せず

    トニー・フェルナンデス、将来のF1復帰を除外せず

    トニー・フェルナンデスは、F1への扉を永遠に閉ざしているわけではないと語る。

    マレーシアのビジネスマンであるトニー・フェルナンデスは、2014年後半までケータハムを率いていた。

    「全てを管理するのは非常に難しかった」とトニー・フェルナンデスは Vedomosti にコメント。

    「生涯ずっと私は集中してきたが、フットボールやF1のようなビジネスは多くの世話を必要とする。自分自身でそうするか、本当に信頼できる誰がを見つける必要がある」

    トニー・フェルナンデスは、スポーツ、そして産業としてのF1に驚いたと認める。

    「F1は決してそれ自体がビジネスなることはないだろう。マクラーレンやフェラーリのような並行したビジネスが必要だ。あまりに多くの時間とお金がかかったし、ケータハムとエアアジアの間で躍動することができなかった」

    「それで我々はチームを閉じた」

    「だが、私は自動車ビジネスを信じているし、それを発展させるためのオプションを検討している。いつか、エアアジアで成し遂げたとき、私はレースに復帰するだろう」

    「自分が失敗したことを認めなければならない。だが、再びトライしてみたい」

  • ケータハムF1チーム、資産を売却しても赤字

    ケータハムF1チーム、資産を売却しても赤字

    ケータハムF1チームの管財人は、チームの資産(200万ポンド:約3億8,3767万円)を売却しても、200社以上の債権者にとっては損失となることを明らかにした。

    ケータハムF1チームは、2010年にトニー・フェルナンデスによって設立されたが、昨年10月に破産を申請。しかし、買い手が集まらず、管財人のスミス&ウィリアムソンは、チームの資産を何度かオークションにかけており、最後のオークションを今週18日(木曜日)に予定されている。

    管財人の文書によると、チームは322の無担保債権者に2,100万ポンド(40億2,948万円)の債務があり、現時点では「彼らに十分に分配することができない。さらなる回収があれば分配金が支払われる」という。

    債権者の期待は、ショー・カー(管財人はチームに所属すると考えている)を含めた、係争中の資産の法的闘争によって高まるかもしれない。

    債権者は「これら車両、およびその他資産に対して矛盾する主張を調査しており、弁護士に車両の回収を指示している。訴訟を起こす予定である」としている。

    チームのその他の主要な具体的な資産は、15万平方フィートのファクトリーで、BNPパリバと不動産仲介業者のカーター・ジョナスが、550万ポンド(約10億5,534万円)以上の価格で売りに出したとされる。しかし、この価格で売れたとしても、無担保債権者の返済にはほど遠い。

    また、チームには230万ポンド(約4億4,130万円)の賞金があるが、文書によると「複数の債権者が、異なる協定、あるいは書類により、これら資金の一部、あるいは全てを請求している」という。

    ケータハムは、F1に参戦していた3年間で1ポイントも獲得できず、小林可夢偉が所属した昨年のシーズン最終戦にはクラウドファンディングで調達した240万ポンド(約4億6,000万円)で出走した。