カテゴリー: ブラウンGP

  • ジェンソン・バトン 「マクラーレンF1移籍はブラウンGPの怒りを買った」

    ジェンソン・バトン 「マクラーレンF1移籍はブラウンGPの怒りを買った」

    ジェンソン・バトンは、ブラウンGPとF1ワールドチャンピオンを獲得した後、2009年末にマクラーレンF1に移籍するという衝撃的な決断が、チームのCEOを務めるニック・フライからの怒りの反応を引き起こしたと振り返った。

    ジェンソン・ボタンは、2009年にブラウンGPで成功のシーズンを過ごし、6勝を挙げ、撤退したホンダF1が残したダブルディフューザーとメルセデスF1エンジンを搭載するBGP001でF1ワールドチャンピオンを獲得した。

    ジェンソン・バトンは、2010年もチャンピオンチームと再契約する予定だった。特に、メルセデスとアラブ首長国連邦の国営ファンドであるアーバー・インベストメントが、メルセデスGPと改名されたブラックリーチームの75%の株式を取得した後は再契約は既定路線と考えられた。

    しかし、ジェンソン・ボタンは驚くべきことに、マクラーレンでルイス・ハミルトンのチームメイトになる複数年のオファーを受け入れた。当時、この決断は多くの人が「クレイジー」とラベル付けし、ニック・フライにとっては気に入らない決定だった。

    「2009年に世界選手権で優勝した後、マクラーレンに移籍した」とジェンソン・ボタンは The High Performance Podcast に語った。

    「人々はルイス・ハミルトンがいるマクラーレンに移籍するのは最もクレイジーな移籍だと言っていた。ロス・ブラウンでさえそう言っていた」

    「2009年の終わりに去ることをチームに話した。ニック・フライと話したが、基本的に彼は僕に向かってひたすら叫んでいた。彼は当時ロス・ブラウンとともにボスの一人だった」

    「僕が彼のオフィスに行って、去るつもりだと彼に言ったときのことはよく覚えている。彼はとにかく僕にむかって叫んでいた。本当に気まずい状況だったけど、あまりのことに笑い始めてしまった」

    「彼がどれほど攻撃的だったのかを感じた。彼は僕を見て『なぜ君は私を笑っているのか?』というような感じだった。そんな状況だったし、僕が予期していなかったものだった」

    ジェンソン・ボタンは、ロス・ブラウンが彼の決定についてもっと落ち着いていたことを覚えているが、それでも彼の選択とマクラーレンでの新しいチームメイトであるルイス・ハミルトンと対峙することについて警告した。

    「ロスに話をした。彼はとてもフレンドリーに『ルイスと一緒のところに向かうのは大きな間違いを犯していると思う』と言った」

    「僕としては『これは物凄いことだ』という感じだった。来年の契約はなかったし、自分にとっての場所だとは思えなかった。っして、マクラーレンはそう思えた」

    ジェンソン・ボタンは、マクラーレンで7シーズンを戦い、2010年から2012年の間に8勝を挙げた。

  • ジェンソン・バトン、2009年のF1タイトル獲得の鍵は「メンタリティ」

    ジェンソン・バトン、2009年のF1タイトル獲得の鍵は「メンタリティ」

    ブラウンGPでルーベンス・バリチェロのエンジニアを務めたジョック・クレアは、2009年にジェンソン・バトンがバリチェロを倒してF1ワールドチャンピオンをかくとくできたのは、精神的にバトンの方が準備ができていたことが鍵だったと語る。

    ホンダF1チームをロス・ブラウンがマネジメントバイアウトして誕生したブラウンGPは、大幅なレギュレーション変更が導入された2009年に、ホンダF1が生み出したダブルディフューザーとメルセデスのF1エンジンの組み合わせで早い段階からタイトル争いを繰り広げた。

    ジェンソン・バトンは、最初の7レースのうち6レースで優勝。バリチェロはそのうちの3つで彼に次ぐ2位で、F1ヨーロッパGPとF1イタリアGPで優勝し、ドライバーズランキングでバトンから18ポイント差の3位に終わった。彼らの間には次の4年間チャンピオンを獲得するセバスチャン・ベッテル(当時レッドブル)が入った。

    2009年シーズンが開始した時点で36歳のルーベンス・バリチェロは9回の勝利を収めており、一方、29歳のジェンソン・バトンは3年前のF1ハンガリーGPで1勝を挙げただけだった。

    ジョック・クリアは、むしろ純粋なドライビングタレントよりも、ジェンソン・バトンが、ルーベンス・バリチェロに対する優位に立てたのは、すぐに準備ができたことと、その時代のスポーツマンとしてドライバーがどのように進化したかに帰属すると説明した。

    「時が来たとき、ジェンソンの方が準備ができていたと思う。ルーベンスはおそらく…ジェンソンのように早くにすべてが非常に強く見そうであることに気付いていなかったと思う」とジョック・クリアは BeyondtheGrid の中で述べた。

    「これはドライバーの心理に帰着する。これはおそらく古いドライバーと新しいドライバーのオーバーラップだ。マックス(フェルスタッペン)やルイス(ハミルトン)、シャルル(ルクレール)について話すと…彼らは再びそれを新しいレベルに引き上げた。ミハエル(シューマッハ)は90年代にそれを新しいレベルに引き上げた。そして、今のドライバーは新しいレベルに引き引き上げている」

    「ルーベンスはおそらくその最後だった。ミハエルの時代、ドライバーの心理学、ドライバーの準備はシンプルに『まあ、メルボルンの数週間前に走りに行って、腹筋運動をしておけば大丈夫だろう』という感じだった」

    「調子を上げたドライバーはどんどん調子を上げていったが、それは単に体調を整えているだけでなく、精神的な準備でもある。頭にギアを入れてしっかりと考えられるようにすることだ。『これについて考える必要がある。どのようにシーズンにアプローチしよう? 短期的な目標は何か? 長期的な目標は何か?』といったこと全体だ」

    「これは、他のスポーツがここ数年行っていることだ。アメリカのスポーツが20年間やっていて、陸上競技が20年間やっていて、F1はこれらのことに遅れていた。2009年に古いドライバーは必要条件としてこのようなことに慣れていなかった」

    「シーズンの初めにそれを完全にしていなければ、それが露呈することになった」

  • ロス・ブラウン 「ブラウンGPのようなおとぎ話はF1で二度と起こらない」

    ロス・ブラウン 「ブラウンGPのようなおとぎ話はF1で二度と起こらない」

    ロス・ブラウンは、2009年のブラウンGPのおとぎ話のようなストーリーに繋がった独特の状況はF1では二度と起こらないと考えている。

    2008年後半、ロス・ブラウンは、F1から撤退したホンダF1の残骸を買い取り、チームを存続させた。驚いたことに、マシンは信じられないほど支配的であることが判明し、新しく結成されたブラウンGPはメルセデスに売却される前年に両方のタイトルを獲得した。

    現在、F1のマネージングディレクターを務めるロス・ブラウンは、ブラウンGPのような独特の状況はF1では二度と起こらないと考えている。

    「残念ながら、ブラウンGPようなことが再び起こることはない」とロス・ブラウンは Muscle Help 財団 のインタビューで語った。

    「ホンダがマシンのデザインに費やした莫大な金額と、それから離れていくという独特の組み合わせだった。限られた予算の小さなチームにとって、我々はホンダからプレゼントを与えられた」

    「つまり、それを生み出したのは我々だが、何億ドルもそれに費やしたホンダからこのプレゼントを与えられていた。我々は結果を出したし、それが我々がやらなければならないことだった。我々はその贈り物を届けなければならなかった。そのようなことが再び起こるとは思わない」

    「F1の現実は非常に競争が激しい。そして、リソースが最も多く、ミスを犯さないチームが勝者だ。だからこそ、予算上限が設けられている。我々はフィールドを平準化したいと思っている」

  • F1列伝:ブラウンGP 「我々が2秒速いなんて…計算を間違えたに違いない」

    F1列伝:ブラウンGP 「我々が2秒速いなんて…計算を間違えたに違いない」

    2009年のF1世界選手権でのブラウンGPの登場は衝撃的だった。F1プレシーズンテストの最終週にようやくマシンをコースに出したブラウンGPはトップタイムを題してテストを終え、開幕戦でポール・トゥ・ウィンを果たす。

    2008年末にワークスチームとして参戦していたホンダがF1から撤退。現在F1のマネージングディレクターを務めるロス・ブラウンとニック・フライが土壇場でチームを救済した。

    2009年はF1レギュレーションが変更され、フロントウイングは広く、リアウイングは小さくなり、空力パーツも大きく制限された。また、KERSが初めて導入された年となり、各チームは選択式で導入が認められるなど、まったく新しい時代に突入していた。

    ブラウンGPのマシン『BGP001』は、300人いたスタッフが冗長化され、2009年にレースができるかどうかわからないような状況で開発された。本来、ホンダの2009年F1マシンとしてサーキットに並ぶはずだったマシンには、メルセデスのF1エンジンが搭載された。

    だが、ホンダが新しいレギュレーションの抜け穴をついて開発した『ダブルディフュザー』が搭載されたBGP001はすぐにモンスターであることが明らかになった。

    当時、最終的にチャンピオンを獲得したジェンソン・バトンを務め、現在はメルセデスF1のトラックサイドエンジニアリングディレクターを務めるアンドリュー・ショブリンは次のように振り返る。

    「我々はマシンに多大な努力を払っていたので、それなりのマシンになることは分かっていた。我々はかなり早くに開発をスタートさせていた」とアンドリュー・ショブリンは語る。

    「1年前のシーズン中盤のホッケンハイムで『我々は2008年を忘れよう2009年に新しいルールに集中しよう』となった」

    当時、F1プレシーズンテストはアルガルヴェ、バーレーン、ヘレス、バルセロナと複数の会場で行われた。ブラウンGPが参加したのは最終数のヘレスだった。第1週のテストでは、2008年マシンで参加したトロロッソが最新マシンに2秒以上の差をつけて最速タイムを記録している。

    「だが、実際、我々がテストに行かず、他の全員がポルティマオでテストを行っていたときに、このマシンは本格的に速いかもしれないと考え始めた。トロロッソ(2008年マシン)がそこにいて、スバ抜けて速かった」

    「我々はほとんどすべてのパフォーマンスを回復していた。我々はと同じくらい速いと推定していた。『ちょっと待ってくれ。これだと我々は他の誰よりも2秒速いことになる』といった感じだった。そして、我々は『計算を間違っているに違いない』と思った」

    「バルセロナで走行をスタートしたときは何も準備ができていなかった。そして、『何てことだ。これは本格的に速い』と確信した」

    そして、迎えた開幕戦でブラウンGPは予選でフロントローを独占して、1-2フィニッシュでシーズンをスタート。ジェンソン・バトンがタイトルを獲得し、8勝を挙げたチームはコンストラクターズ選手権も制した。

    しかし、現在メルセデスF1のスポーツディレクターを務めるロン・メドウズによると、チームはフリーランスのピットクルーを含め、寄せ集めのメンバーでシーズンを戦っていた。.

    「(メルボルンで)我々は1-2フィニッシュを果たしたが、それに値しなったのは確かだ。1位と4位だったと思う。2回のショッキングなピットストップがあった。だが、セブ(ベッテル)と(ロバート)クビサが残り数周でお互いにヒットした」とロン・メドウズは回想する。

    「我々が抱えていた問題は給油だった。前年度の通常の給油担当は冗長化の一部としてチームを去っていた。我々は彼らをキープしたかったが、彼はチームを去って、配管工になることを決意していた」

    「なんとかメルボルンを切り抜けた我々は、いくつかの変更を加える必要があることに気づいた。それで、私は彼に電話をした。そして、彼は週末の戦士としてやって来た。彼は土曜日の夜に飛行機で日雇いで燃料を補給し、レースの直後に家に帰って2週間配管工事を行い、その後また戻ってきた」

    アンドリュー・ショブリンは「ピットストップで約8秒負けていたので、かなり良い価値があった!」と付け加えた。

  • ブラウンGP、フェラーリのF1エンジンを搭載していた可能性

    ブラウンGP、フェラーリのF1エンジンを搭載していた可能性

    ブラウンGPは、フェラーリのF1エンジンを搭載する可能性があったことを現在メルセデスF1に名前を変えたチームで働くチームメンバーが明かした。

    支配的なメルセデスF1チームはブラウンGPから始まった。F1から撤退したホンダF1チームをロス・ブラウンが1ポイントで買収して誕生したブラウンGPは、ジェンソン・バトンがF1ワールドチャンピオンを獲得するとともに、コンストラクターズ選手権も制した。

    ブラウンGPは、メルセデスのF1エンジンを搭載しており、2010年にはメルセデスが買収してワークスチーム化している。

    しかし、ブラウンGPはフェラーリとF1エンジン供給について話し合っていたことを匿名のエンジニアが Beyond TheGrid に語った。

    ブラウンGPがメルセデスのF1エンジンで行くことに考えを変えたのは土壇場だった。ホンダが開発していたシャシーにメルセデスのF1エンジンを搭載したマシンは2009年の両方のタイトルを獲得したが、フェラーリはコンストラクターズ選手権で4位だった。

    現在、メルセデスF1は、2014年からF1を支配し、7年連続でダブルチャンピオンシップを獲得。今年もルイス・ハミルトンとバルテリ・ボッタスで8度目のタイトルを目指しているが、フェラーリとの契約が成立していたら、F1の歴史は大きく変わっていた可能性がある。「

    「我々全員が、最初の数週間はフェラーリを走らせると信じていた。それは明らかだった、フェラーリのロス・ブラウンだったしね。我々にはエンジンが必要だった」

    フェラーリはブラウンGPにF1エンジンを与えることを望んでいたかと質問された彼は「我々にエンジンを与えるつもりでいた」と答えた。

    「我々はそう信じている。我々が彼らと話していたのは確かだ。だが、12月23日か24日にメルセデスで行くと言われた」

  • フェルナンド・アロンソ、2009年にブラウンGPに移籍していた可能性

    フェルナンド・アロンソ、2009年にブラウンGPに移籍していた可能性

    フェルナンド・アロンソのF1キャリアは、2008年の決定次第では違ったものになっていたかもしれない。

    2007年にマクラーレンに移籍したフェルナンド・アロンソだが、チームメイトのルイス・ハミルトン、およびマクラーレンの上層部との関係が悪化し、残り2年の契約を破棄してチームを離脱。古巣ルノーへと復帰する。

    だが、ルノーへの復帰は次の大きな機会への一時的な措置であることは広く知られ、すぐさま2009年の去就が取り沙汰されることになる。フェルナンド・アロンソは2010年にフェラーリへの移籍を希望していたが、まだリーマンショックが起こる前であり、レッドブルやトヨタ、BMWザウバー、ホンダが移籍先として候補に挙がった。

    F1記者のチャールズ・ブラッドリーによると、6月のF1カナダGPの時点でホンダF1は本気でフェルナンド・アロンソの獲得を狙っていたという。

    当時のホンダF1はまったく競争力がなかったが、2009年にはF1レギュレーションの大幅変更が予定されており、空力面の大幅な変更、特にKERSの導入を含め、各チームの勢力図は未知だった。

    ホンダF1のある上層部は「来年、皆はゼロからスタートする。空気的に全チームが毎年5%または10%向上している。1年を逃せば、残りの年も駄目ということになる。来年、そのような問題ははい。だから、このようなレギュレーション変更は起こるときは常にサプライズがある。どのチームも来年は強くなる可能性がある」と自信を見せていたという。

    そして、8月にはフェルナンド・アロンソが、2009年にホンダと1500万ドル(約16億円)の契約にサインする直前だと報じられた。ホンダは、2010年にフェラーリへの移籍を希望しているアロンソのために、1年契約も受け入れるとされていた。

    当時のホンダF1のチーム代表ロス・ブロウンは、「彼をチームに入れたい。彼は最高だからね。」とアロンソ獲得の意思を明言している。

    「今いる全ドライバーの中で、ミハエル(シューマッハ)がそうだったように、すべてが完成されているドライバーは彼だけだ」

    ホンダF1のCEOを務めたニック・フライも、「フェルナンド(アロンソ)が我々のところへ来る決断をしてくれることを願っている。我々はは非常に先進なKERSシステムを開発しており、来季のマシンを懸命に作業をしている。我々には4つの風洞があり、日本の1つでプロジェクトが順調に進められている。アロンソが我々と組めば、優勝チームになれる」と語っていた。

    しかし、フェルナンド・アロンソはホンダF1のオファーを拒否した。おそらく、それはマネージャーであるフラビオ・ブリアトーレがホンダのF1撤退を察知していたからだと考えられている。

    だが、ホンダF1を引き継いだブラウンGPの奇跡は誰も予想できないことだった。

    当時のホンダF1の上級筋は「フェルナンド・アロンソは2009年にニック・フライとロス・ブラウンのために運転していたはずだった。もしそうなら、彼は今日は4度のF1ワールドチャンピオンになっていただろう」と語る。

    4回のF1ワールドチャンピオンになれたかはわからないが、3回目を獲得できた可能性はあったかもしれない。

    フェルナンド・アロンソは、2015年にマクラーレン・ホンダに移籍し、F1に復帰したホンダで走ることが実現する。しかし、ブラウンGPのような奇跡が起こることはなかった。

  • F1マシン列伝:ブラウンGP BGP001 “幻となったホンダ RA109”

    F1マシン列伝:ブラウンGP BGP001 “幻となったホンダ RA109”

    ブラウンGPが2009年に圧倒的な強さでダブルタイトルを獲得したF1マシン『BGP001』は、ホンダがF1を継続していれば、『ホンダ RA109』としてグリッドに並んでいるはずのマシンだった。

    大幅に空力コンセプトを変更した2007年マシン『RA107』の開発に失敗したホンダF1は、2008年にチーム代表としてロス・ブラウンを招聘して立て直しを図っていた。しかし、リーマン・ショックのあおりを受けてホンダは2008年限りでF1撤退を決断した。

    チームは、ロス・ブラウンがホンダのF1活動に関連する企業を束ねる持株会社である「Honda GP Holdings Ltd.」社が保有するホンダF1株式の100%を買い取る形売却された。なおチームの売却価格は「1ポンド」であったほか、ホンダから新経営陣に「100億円に達しない額」の保証金も支払われていたとされている。

    ホンダF1は、前年からの失敗を引きづった2008年マシン『RA108』に早期に見切りをつけ、新レギュレーションが導入される2009年にむけて『RA109』の開発にシフトしていた。ロス・ブラウンはマシン開発に当初から携わっていた。

    チーム売却のごたごたによる開発の停滞、そして、F1エンジンをホンダからメルセデスに変更するという作業が発生したにも関わらず、ブラウンGP BGP001は冬のテストで衝撃的なデビューを飾る。BGP001は初テストでノーセットアップの状態からトップタイムを塗り替え、その実力は開幕前からフェラーリのフェリペ・マッサも「敵わない」と白旗を挙げるほどだった。

    2009年、ブラウンGPは17戦中8勝を挙げる強さでコンストラクターズタイトルを獲得。6勝を挙げたジェンソン・バトンがドライバーズタイトルを獲得し、ダブルタイトルを制覇した。

    では、なぜブラウンGP BGP001はそれほどまでに速かったのだろうか?

    前述のとおり、2009年を勝負の年と見据えたホンダは、2008年シーズンを捨て、早くから2009年のレギュレーションに沿ったRA109の開発を進めてきた。その恩恵はしっかりと表れており、BGP001は全チームで最も遅い発表になったにも関わらず、各チームが冬季テストで早い時期から詰めてきたエアロコンセプトの長所をすでに備えていた。

    論争となったダブルディフューザーを生み出したことからも、ホンダF1が空力レギュレーションに対して相当なシミュレーションが行われてきたことがわかる。

    2009年のレギュレーションでダウンフォースは昨年の50%減となったが、各チームはテストの段階で80%くらいまでダウンフォースを取り戻していた。2008年時点でRA108のダウンフォースレベルは、すでに他チームに比べ90%以下だったとも言われている。そのため、継続起用となったバトン&バリチェロは、ダウンフォース削減の影響をほとんど感じなかったと考えられている。

    そして、最も大きな影響を与えたのはメルセデス・エンジンだと考えられている。フェラーリ・エンジンの搭載も検討したブラウンGPだが、シャシーとのマッチングの良いメルセデス・エンジンを採用した。ブラウンGPのエンジニアはメルセデス・エンジンは、ホンダ・エンジンと比較して「70馬力は上」だと語っている。ルーベンス・バリチェロも、メルセデス・エンジンのパワーとドライバビリティの高さを絶賛。ブラウンGPの突然の速さがエンジンの違いによってもたらされたのは確かだ。

    またブラウンGPは、同じくメルセデス・エンジンを搭載するフォース・インディアとは異なり、ホンダが独自に設計した相当軽量なギアボックスを搭載し、優れたリアのトラクションを発揮した。ギアボックスと連結するリアサスペンション、すなわち全体のサスペンション・ジオメトリーも独自に開発されたものであり、2009年マシンのパフォーマンスに苦しんだマクラーレンとは対照的だった。

    そして、KERSを搭載していなかったこともアドバンテージとなった。KERSの開発には高いコストが掛かるため、ブラウンGPは、KERSの搭載を見送った。そのおかげで30kgといわれるKERSの重量による負荷を受けず、理想的な前後重量配分を保つことができた。また各チームがKERSの信頼性に時間を費やすなか、KERS非搭載のブラウンGPは大きなトラブルなく走行距離を延ばし、セットアップを煮詰めることに成功した。

    仮にホンダが2009年もF1を継続していた場合、ホンダ RA109がブラウンGPと同じような強さを発揮できていたかはわからない。だが、仮に継続しれば、ホンダF1の運命は大きくことなっていたかもしれない。

    最終的にブラウンGPはメルセデスが買収するかたちで1年で消滅。現在のダブルタイトルを6連覇中のメルセデスの拠点となっているのは、ホンダF1が築いたブラックリーのファクトリーだ。現在、レッドブルと組んだホンダF1はそのメルセデスを倒すべく開発を進めている。

    ブラウンGP BGP001 = ホンダ RA109 2019年のF1世界選手権Brawn GP BGP001 = Honda RA109 2019年のF1世界選手権ブラウンGP BGP001 ダブルディフューザー

  • マクラーレン、2009年にブラウンGPから得た機密情報を使って改善

    マクラーレン、2009年にブラウンGPから得た機密情報を使って改善

    元マクラーレンのボスであるロン・デニスは、2009年にチャンピオンシップリーダーだったブラウンGPにF1マシンのパフォーマンスの機密情報を求めていたことが明らかになった。

    2008年にルイス・ハミルトンが最初のF1ワールドチャンピオンを獲得したマクラーレンだったが、翌2009年シーズンのスタートで躓いた。元ブラウンGPのCEOを務めるニック・フランは、ロン・デニスから要請があり、マクラーレンと情報を共有することに合意したことを彼の著書『Survive. Drive. Win.』で明かした。

    ニック・フライは、ロン・デニスから「お願いがある」と連絡を受けたという。

    ロン・デニスは「君も気づいていると思うが、マクラーレン MP4-24のシャシーは完全にパフォーマンスが劣っている。だが、私のエンジニアは我々の空力パッケージにはお金がかかっていると言う。問題は私が彼らを信じていないことだ。我々がパッケージと風洞のでのテストで見ている正確な数値がどれだけ優れているかを知りたい」と語ったという。

    マクラーレンは、2007年にフェラーリの機密情報を使用した“スパイゲート”事件によってコンストラクラーズ選手権から除外され、FIAから1億ドルの罰金を科せられていたが、ニック・フライによると、ロン・デニスの要求は設計や仕様ではなく、ブラウンGPのマシンパフォーマンスに関するものだったと述べた。

    ブラウンGPは2009年のサプライズだった。2008年に撤退したホンダの資産をロス・ブラウンとニック・フライがマネジメントバイアウトによって取得。ホンダが2009年の新しいレギュレーションに合わせて開発したマシンは、ダブルディフュザーを備えた競争力のあるシャシーを有し、メルセデスのF1エンジンとの組み合わせで非常に高い競争力を発揮。

    ブラウンGPは開幕7戦で6勝を挙げる一方で、マクラーレンは4位がベストフィニッシュだった。

    ニック・フライは「彼(ロン・デニス)は、メルセデスのエンジンを使用することに同意してくれた。マクラーレンはメインのカスタマーとして、メルセデスが他の誰かとリンクするのを止める権利を持っていたにもかかわらず、彼はそれに同意し、拒否権を放棄してくれた」と述べた。

    ニック・フライは「ライバルチームに空力数値を要求することは、通常の要求ではない」と認めつつも、“F1レースの厳重に守られた王冠の宝石”と称するその情報を共有することを決断。詳細を見たロン・デニスは“唖然としていた”と語った。

    2009年後半、マクラーレンはMP4-24を改善させ、2勝と4回のポールポジションを獲得。ブラウンGPはコンストラクターズ選手権を獲得し、ジェンソン・バトンがドライバーズタイトルを獲得。年末にジェンソン・バトンはマクラーレンに移り、メルセデスがブラウンGPを引き継いだ。

  • ジェンソン・バトン、F1イギリスGPでブラウンGPのF1マシンでデモ走行

    ジェンソン・バトン、F1イギリスGPでブラウンGPのF1マシンでデモ走行

    ジェンソン・バトンが、F1イギリスGPの木曜日に2009年にF1ワールドチャンピオンを獲得したブラウンGPのF1マシン『BGP0001』でデモ走行を披露することが決定した。

    このデモ走行は、元ブラウンGPのオーナーで現在はF1スポーティングディレクターを務めるロス・ブラウンが主催。BGP001もロス・ブラウンが所有しているマシンとなる。また、Sky SportでのF1イギリスGP放送にむけて特別な撮影も行われる。

    ブラウンGPは、2008年末にF1から撤退したホンダF1チームが買収して誕生。ホンダが2019年に投入する予定だった『RA109』にメルセデス製エンジンを搭載した『BGP001』は、ホンダの日本人エンジニアが考案したとされるダブルディフューザーを搭載して圧倒的な強さをみせ、17戦中8勝、5度のポールポジションを獲得してダブルタイトルを獲得。6勝を挙げたジェンソン・バトンがワールドチャンピオンに輝いた。

    ブラウンGPは2009年末にメルセデスに買収され、現在、タイトルを5連覇しているメルセデスAMG F1チームの母体となっている。

    関連:2019年 F1イギリスGP テレビ放送時間&タイムスケジュール

  • 【動画】ルーベンス・バリチェロ、ブラウンGP BGP001で10年ぶりに走行

    【動画】ルーベンス・バリチェロ、ブラウンGP BGP001で10年ぶりに走行

    元F1ドライバーのルーベンス・バリチェロが、7月6日(土)にブラウンGPのF1マシン『BGP001』のステアリングを10年ぶりに握った。

    ブラウンGPは、2008年末にF1から撤退したホンダF1チームが買収して誕生。ホンダが2019年に投入する予定だった『RA109』にメルセデス製エンジンを搭載した『BGP001』は、ホンダの日本人エンジニアが考案したとされるダブルディフューザーを搭載し、圧倒的な強さをみせた。

    2009年に17戦中8勝、5度のポールポジションを獲得してダブルタイトルを獲得。ジェンソン・バトンがワールドチャンピオンに輝いた。ルーベンル・バルチェロも2勝を挙げてランキング3位でシーズンを終了。ブラウンGPは2009年末にメルセデスに買収され、現在、タイトルを5連覇しているメルセデスAMG F1チームの母体となっている。

    ルーベンス・バリチェロは「グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード」でBGP001を10年ぶりに走らせた。