カテゴリー: アイルトン・セナ

  • ホンダF1 特集:アイルトン・セナという存在

    ホンダF1 特集:アイルトン・セナという存在

    先日ルイス・ハミルトンが自身にとって5度目のチャンピオン獲得を達成したこともあり、F1の歴代のチャンピオンと、彼らが達成した記録にも再びスポットライトが当てられている。

    最多チャンピオン獲得回数、そして最多優勝記録を保持しているのはミハエル・シューマッハだが、最も偉大なドライバーについてはファンの意見が分かれている。

    それは、偉大さの基準が数字以外にも数多く存在しているからだ。ファンが最も偉大なF1ドライバーがだれかについて議論するとき、常に名前が上がるドライバーの一人が、アイルトン・セナだ。

    アイルトン・セナがいかに突出したドライバーであるかについては、彼が3度のチャンピオンに輝いたという事実だけでは語れない。マシンの限界を超えてその性能を引き出す走り、マシンのわずかな変化をも感じ取る感知能力、そしてスピリチュアルな独自の人生観すべてが、人々を魅了してきた。

    ホンダとセナの密接なパートナーシップは、F1の歴史上でも、もっとも輝かしい成功の一つと言えるだろう。かの有名なインテルラゴス・サーキットを舞台にブラジルGPが開催されるにあたり、その歴史を思い出さずにはいられないという方も多いのではないだろうか。

    「雨の影響を受けたブラジルでのレースのことは覚えていますし、アイルトンが初めて地元で優勝した1991年のことは特に印象に残っています。最後の数周はギアチェンジができない状態でしたが、彼はトップでフィニッシュしてみせたのです」

    ホンダF1のテクニカルディレクターの田辺豊治は、彼の没後25年近く経った今でも、マシントラブルを克服してセナが成し遂げたホームグランプリでの優勝を思い起こすと言う。

    セナとホンダのパートナーシップは、ロータスがホンダエンジンを搭載するようになった1987年に始まった。当時、ウィリアムズがホンダの最新エンジンを優先的に使う権利を持っていたため、セナは前年型のRA166-Eを使用したが、それでもモナコGPとデトロイトGPでは連勝するなど随所で輝きを見せ、タイトル争いにも加わった。

    1987年のチャンピオンシップはウィリアムズの2人のドライバー、ネルソン・ピケとナイジェル・マンセルによる一騎打ちの様相を呈していたが、ホンダエンジンと共にマクラーレンに移籍した1988年からは、セナが再びタイトル争いに加わるようになった。

    最新のエンジンを使用できることになった、セナは翌年には禁止されるV6ターボを搭載した1988年型のRA168-Eを手に入れる。エンジンの進化を確認するため、セナとアラン・プロストはRA168-Eを前年型のシャシーに載せてテストを重ねた。そしてついにRA168-EがMP4/4に搭載されると、2人のドライバーがレースを席巻し始める。

    マシンに競争力があったことから、既にプロストが在籍していたマクラーレンにセナが加わるとすぐに、2人のライバル争いは激化していきました。1991年にマクラーレン・ホンダのエレクトロニクス・エンジニアを務めていた岡田研は、ホンダとドライバーの関係に影響はなかったと考えつつ、その原因を次のように語ってくれた。

    「プロストはマシンのセッティングが得意な一方、セナはそこまでではなかったと、プロストとセナの両者と働いたことがある同僚に聞きました。セナはプロストのセッティングを真似するようになってからスピードが上がり、勝てるようになったそうです」

    「セナは我々のエンジンに関わる作業に対して非常に興味を示してくれたので、ホンダにとっては大きなモチベーションになりました。F1はやはりヨーロッパ文化の影響を強く受けているのですが、ヨーロッパ人ではないブラジル人と日本人にはF1という世界において似通った感じ方をするところがありました。日本人である我々とブラジル人のセナの間にはシンパシーがあり、それもプロジェクトを成功に導く要因の一つだったと思います」

    1989年はプロストがチャンピオンになりセナは年間2位に甘んじたが、セナが再びチャンピオンに返り咲くのに時間はかからなかった。1990年にはV10 RA109Eでチャンピオンになり、1991年にはV12 RA121Eで3度目のタイトルを獲得。3つの異なるタイプのエンジンでチャンピオンになったのは、セナを含めて未だ3人しかいない。

    アイルトン・セナがホンダに及ぼした影響はF1チーム以外にも及び、1980年代後半にはスーパーカーであるNSXの開発にも携わるようになった。

    プロジェクト後期にチームに加わったセナは、細かいディティールの調整やシャシーの剛性強化などに関してのフィードバックを開発チームに伝えた。完成したNSXを気に入ったセナは、自分用にブラックカラーの特別仕様車を購入。ナンバープレートには“BSS-8888”と刻印されていた。Bはセナの子供時代のニックネームであるBecoから取ったもので、それに続く2つのSは自身のフルネームであるSenna da Silvaを意味するもの、8888という数字は、セナがF1世界選手権で初めて勝利を挙げた1988年を記念してのものだった。

    NSXは、セナが愛したスーパーカーでした。モータージャーナリストのアンドリュー・フランケル氏は、1991年にシルバーストンでセナの運転するNSXに乗った体験を、今も忘れられないと話した。

    「セナがポルトガルの自宅用のNSX以外に、ブラジル用にももう一台を注文したことなどはあまり知られていませんが、それでも彼がNSXを愛していることはだれの目にも明らかなことでした」とフランケル氏は書き残している。

    「イギリスにおいて、NSXはパワーステアリングとオートマチック・トランスミッションを有する車として先駆け的な存在でした。セナがマニュアル操作でギアチェンジしながらハンガー・ストレートを時速200kmで駆け下りていると、V6エンジンがうねりをあげながらレブリミッターを跳ね上げているのが分かりました。パワーステアリングはこの車に適していましたが、オートマチック・トランスミッションはそうではなかったかもしれません。日常で使う車であれば、私は間違いなくオートマチック車を選ぶでしょう。しかし、NSXにはマニュアルトランスミッションこそがふさわしかったのです」

    「セナは話しながらギアをサードに入れると、片手はシフトレバーの上に置いたまま、NSXを自由自在に操っていました。我々はウォールに配置された広告の横を、時速約130kmで通過しました。セナは数ミリ単位で完ぺきなラインを、片手で軽々と走り抜けていたんです」

    「アイルトン・セナの運転するNSXの助手席に乗って過ごしたその日の午後を、私は忘れることはできないでしょう。彼はもちろん、残りのラップでもすばらしいハンドル捌きを見せていました。ただ、あの瞬間ほど、セナとほかの一流ドライバーとの間に存在するレベルの差を、私が痛烈に感じたことはありません」

    「彼がハンドルの後ろに座った時にどんなことをやってのけるか、私はそれを実際に見るまでは信じられなかったでしょう。しかも彼は、それをいとも簡単にやってのけるのです」

    当時、セナはシルバーストンにおいて、マクラーレン・ホンダマシンのエンジンアップグレードをテストしている最中だった。マクラーレンとホンダによるパートナーシップ最後の年となった1991年、チームはライバルのウィリアムズ・ルノーを、ホームの鈴鹿サーキットで見事、打ち破ることに成功した。

    しかし、当然ながらすべての良い物事には終わりがある。その1年後、大きな成功を成し遂げたホンダは、しばらくの間F1から撤退することを決定した。

    ホンダのF1撤退について、セナは当時こう語っている。

    「正直に言って、今シーズンのどこかでこうなるだろうとは思っていました。撤退の決定が覆ることを期待していましたが、そうならないこともやはり分かっていました。非常に残念です。でも、ポジティブな面を見ることにしましょう。我々は共に偉大な功績を残すことができたのですから。ホンダの一員として、ホンダエンジンを載せたマシンで、ホンダパワーとともに戦えたことを、心から誇りに思います」

    「和光、栃木、東京、そして日本全国で何年もの時間をかけて続けられてきたホンダの努力と、その結果、成し遂げられたすべての達成に、ありがとうと言いたいです」

    アイルトン・セナはF1世界選手権で3度のタイトルを獲得。通算では41回のレース優勝を果たし、その内、32レースをホンダエンジンで優勝を飾った。多くのファンに愛されたブラジル人ドライバーが短い期間で成し遂げたこのとてつもない記録は、田辺豊治が言う通り、今後も忘れられることはないだろう。

  • ルイス・ハミルトン 「目標はシューマッハではなくアイルトン・セナ」

    ルイス・ハミルトン 「目標はシューマッハではなくアイルトン・セナ」

    ルイス・ハミルトンは、ミハエル・シューマッハの7度のF1ワールドチャンピオンという記録を破ることは目標ではないとし、自分の目標はあくまでアイルトン・セナのようなドライバーになることだと語った。

    ルイス・ハミルトンは、今週末のF1アメリカGPでセバスチャン・ベッテルに8ポイント差以上をつければ、5度目のF1ワールドチャンピオンを獲得。ファン・マヌエル・ファンジオと並んで歴代2位に浮上する。

    しかし、ルイス・ハミルトンは、ミハエル・シューマッハの記録を破ることがキャリアの目標ではないとコメント。すでに記録では上回っているが、あくまでアイルトン・セナのようなドライバーになることが目標だと語った。

    ミハエル・シューマッハの記録について質問されたルイス・ハミルトンは「正直、それは決して僕の目標ではない」と Reuters にコメント。

    「僕はアイルトン・セナに匹敵する、もしくはアイルトン・セナのようになることを目標にスタートした。憧れていたドライバーだ。2年前に彼に並ぶことができた。そこからは未知の領域に入っている」

    「ミハエルの統計は信じられないものだし、まだかなり長い道のりだしね。でも、僕はまだしばらくここにいるし、とにかく懸命に頑張って、自分のやっていること、やりたいこと、楽しみたいことを続けていくつもりだ。それが僕たちをどこに進めてくれるか見てみよう」

    ほぼ5度目のタイトルを手中に収めているルイス・ハミルトンだが、今週末のF1アメリカGPにむけてプレシャーは感じてらず、“リラックスしている”と語る。

    「ここまでのアプローチはとてもうまくいっている。当然、僕たちは今週末勝つことを望んでいる。努力して、週末を通して必要なクルマに仕上げていくために同じステップを踏んでいく。自然とリラックスした気分になっているし、自分が何をしていくかはわかっている」

  • コリンチャンス、アイルトン・セナ仕様の特別ユニフォームを披露

    コリンチャンス、アイルトン・セナ仕様の特別ユニフォームを披露

    ブラジルのサッカーチームであるコリンチャンスは、アイルトン・セナの初のF1ワールドチャンピオン獲得から30周年を記念する特別ユニフォームを公開した。

    アイルトン・セナは、30年前となる1988年に鈴鹿サーキットで開催されたF1日本GPで初めてのF1ワールドチャンピオンを獲得している。コリンチャンスは、ブラジルの伝説的なドライバーであるアイルトン・セナへの敬意を表した特別ユニフォームを作成した。

    特別ユニフォームは、1985年と1986年にアイルトン・セナがドライブしたジョン・プレイヤー・スペシャル仕様のロータスのブラックとゴールドのカラーリングを採用。アイルトン・セナは、ロータス在籍時の1985年のポルトガルGPでF1初勝利を挙げ、1987年まで所属していた。

    胸元にはアイルトン・セナの優勝回数を表す41本のゴールドのラインが施されており、通常スポンサーロゴが掲載されている部分にはアイルトン・セナのサインが入れられている。また、内側の襟がの部分には“#SENNASEMPRE(セナ、いつまでも)、パンツには“Eterno(永遠に)”とのメッセージが入っている。

    アイルトン・セナは、マクラーレンに所属した1988年にMP4/4で自身初のF1ワールドチャンピオンを獲得。その後、1990年と1991年にもドライバーズタイトルを獲得している。だが、ウィリアムズに移籍した1984年のサンマリノGPのレース中の事故で34歳の若さでこの世を去った。

    アイルトン・セナは、生涯コリンチャンスのサポーターとして知られており、コリンチャンスは、2014年のアイルトン・セナの没後20年の命日に行われた試合では、試合前にアイルトン・セナの象徴的なヘルメットのレプリカを被って入場している。

    関連:コリンチャンス、アイルトン・セナのヘルメットを被って追悼

  • アイルトン・セナのMP4/8A、バーニー・エクレストンが5億5千万円で落札

    アイルトン・セナのMP4/8A、バーニー・エクレストンが5億5千万円で落札

    アイルトン・セナが1993年に最後にF1モナコGPを制したF1マシン『マクラーレン MP4/8A』を元F1の最高経営責任者であるバーニー・エクレストンが約419万ユーロ(約5億4928万円)で購入した。

    アイルトン・セナは、マクラーレン MP4/8Aのシャシーナンバー6でF1モナコGPの最多勝利記録となる6勝目を達成。その記録は25年経った今もまだ破られていない。

    5月11日(金)の夕方にモナコでボナムズ主催のオークションが開催され、3,650,000ユーロの値段でバーニー・エクレストンが落札。バイヤーのプレミアムが追加され、最終的にバーニー・エクレストンが支払った金額は4,197,500ユーロまで上がった。

    これまでオークションに出品されたなかで最も価値の高い近代F1マシンは、昨年11月にニューヨークで実施されたオークションに出品されたミハエル・シューマッハが最後にF1モナコGPを制したフェラーリの2001年F1マシン『F2001』の750万4000ドル(約8億4000万円)となっている。

    バーニー・エクレストンは、ヒストリックF1カーを多数コレクションしており、彼のブラバムは過去数年でオークションで売却されているものの、今でも多くが保管されている。

    ホンダに与えられた以外のアイルトン・セナ時代のマクラーレンは、チームのワーキングの本拠地からほとんど離れたことはない。

    ボナムズによると、フォード製エンジンを搭載したマクラーレン MP4/8Aは“驚くほど保存状態がよく”“正常に動作する”という。10年以上前にマクラーレンによって販売されたこのMP4/8Aは、レーサーでカーコレクターのアーロン・シューが保有していた。

    1993年の第5戦から投入されたシャシーナンバー6は、その後7戦でアイルトン・セナがドライブ。最終的にセナはアラン・プロストに次ぐ、ランキング2位でシーズンを終えた。

    アイルトン・セナは、F1イタリアGPでデイモン・ヒル、そして、マーティン・ブランドと接触してリタイア。その後、シャシーナンバー6は日本とオーストラリアの2戦ではスペアカーとして使用された。

    11日のオークションでは、アイルトン・セナが、1984年に初めてF1モナコGPに参戦し、雨のなかで2位表彰台を獲得した伝説のマシン『トールマン ハートTG184-2』も出品。ロリー・バーンとパット・シモンズが設計したトールマン ハートTG184-2は、プレミアムも含めて1,610,000ユーロ(約2億1000万円)で落札された。

  • アイルトン・セナのモナコデビュー&初表彰台マシンがオークションに出品

    アイルトン・セナのモナコデビュー&初表彰台マシンがオークションに出品

    アイルトン・セナが、1984年に初めてF1モナコGPに参戦し、雨のなかで2位表彰台を獲得した伝説のマシン『トールマン ハートTG184-2』が5月にボナムズが主催するオークションに出品されることになった。

    大雨となったF1モナコGP。予選15番手だったアイルトン・セナは、猛烈な追い上げてとライバルのリタイアにより、19周目に2位に浮上。31周目にはトップのアラン・プロストに7秒差まで迫る。

    翌周。アラン・プロストはレース中止を訴えてストップ。アイルトン・セナはホームストレートでプロストを抜いたが、レースは31周終了時の順位が最終結果となり、セナは7秒差の2位に終わった。

    トールマン ハートTG184-2は、5月11日にモナコで開催されるボンハムズのオークションで、アイルトン・セナが1993年に最後にF1モナコGPを制したF1マシン『マクラーレン MP4/8A』とともに出品される。

    ロリー・バーンとパット・シモンズが設計したトールマン ハートTG184-2は、100万ポンド(約1億4785円)の値がつくと予想されている。

    ボナムズのモータースポーツ部門のグローバル責任者を務めるマーク・オズボーンは「1980年代後半から1990年代初頭のセナ-プロストのバトルは、F1で最も素晴らしいライバル関係のひとつでした。2人の偉大なF1チャンピオンは、F1ファンにいこれまで面したことのないような驚異的なレースをみせました」とコメント。

    「その激しい競争に火をつけたバトルが約35年前の1984年のモナコGPです。赤旗という政治的な決断が、若いブラジル人の羽根を逆立てたのは明らかでした!」

    「我々は、その素晴らしいいいライバル関係の引き金となり、アイルトン・セナのモナコGPでの歴史的なストーリーの幕開けとなった1984 トールマン・ハート TG184を提示できることを非常に嬉しく思っています」

  • 鈴鹿サーキット、アイルトン・セナ初チャンピオン30周年記念Tシャツ

    鈴鹿サーキット、アイルトン・セナ初チャンピオン30周年記念Tシャツ

    鈴鹿サーキットは、2018年3月10日(土)・11日(日)の2日間にわたって開催する「2018 モータースポーツファン感謝デー」で、アイルトン・セナの鈴鹿サーキットF1日本グランプリ初優勝、初ワールドチャンピオン獲得から30年を記念したオリジナルグッズを販売する。

    またF1ドライバーが実際に使用したステアリングホイールやレーシングスーツ等を販売する「モータースポーツプレミアムショップ」を展開する。

    アイルトン・セナ ワールドチャンピオン30周年記念コラボTシャツ
    日本でのF1ブームを牽引したドライバー「アイルトン・セナ」が、鈴鹿サーキットで優勝し、初のワールドチャンピオンを獲得してから30年を記念したオリジナルTシャツ。背面には1988年の日本グランプリで、ワールドチャンピオンを獲得した際に語ったメッセージがプリントされている。

    サイズ:S、M、L、XL
    カラー:BLACK、WHITE
    料金 :各4,800円(税込)
    販売場所:GPスクエア オフィシャルショップ、サーキットプラザ

    日本のF1ブームを牽引したアイルトン・セナ
    アイルトン・セナ
    1980年代~1990年代に3度ワールドチャンピオンを獲得。日本では「音速の貴公子」のニックネームでも親しまれ、Hondaの第2期F1黄金時代を築いた。死後も多くのF1ドライバーにリスペクトされている。

    モータースポーツプレミアムショップ
    パドック内にあるセンターハウスの2階で開催する「モータースポーツプレミアムショップ」では、実際にF1ドライバーが使用したグッズやレーシングスーツをはじめ、過去から現在までのモータースポーツに関連したプレミアムグッズを販売する。
    モータースポーツプレミアムショップ

  • ルイス・ハミルトン、アイルトン・セナのMP4/8Aの購入に興味?

    ルイス・ハミルトン、アイルトン・セナのMP4/8Aの購入に興味?

    アイルトン・セナが1993年に最後にF1モナコGPを制したF1マシン『マクラーレン MP4/8A』が今年5月11日にモナコで開催されるボナムズのオークションに出品されるが、すでに購入について大きな関心が寄せられているという。

    ボナムズのモータースポーツ部門のグローバル責任者を務めるマーク・オズボーンは、すでに3名から強い問い合わせを受けているとし、そのうちの一人は有名な個人であることを示唆。ルイス・ハミルトンなのではないかとの推測が広まっている。

    ルイス・ハミルトンは、幼い頃からアイルトン・セナに憧れ、カート時代からセナと同じカラーリングのヘルメットを着用。常にセナに対するリスペクトを口にしてる。

    昨年のF1カナダGPではポールポジション記録でアイルトン・セナの記録に並ぶ、セナの家族から実際にアイルトン・セナがレースで着用したヘルメットをプレゼントされている。

    ボナムズは、このMP4/8Aの正確な見積もりは出していないが、7桁ドルの高値がつくと予想。昨年11月にミハエル・シューマッハが最後にF1モナコGPを制したフェラーリの2001年F1マシン『F2001』について値段の750万4000ドル(約8億4000万円)を超えるのではないかと予想されている。

    ルイス・ハミルトンは、今年Sunday Timesが発表した長者番付で資産は1憶7500万ドル(198億6300万円)と見積もられている。2018年シーズン末にメルセデスとの契約が切れるが、新契約では年俸が4000万ドル(約45億円)から6000万ドル(約68億円)にアップするとされており、お金の心配する必要はないかもしれない。

    もう一人の購入希望者として予想されているのが、元マクラーレンの代表を務めたロン・デニス。すでにロン・デニスは多数のマクラーレンのヒストリックF1マシンを保有しており、その多くがマクラーレン・テクノロジー・センターのレセプションエリアに展示されている。ロン・デニスは、昨年7月にマクラーレンの会長職を退くとともに保有していた2億7500万ポンド(約400億円)の株式を売却している。

    アイルトン・セナは、オークションに出品されるマクラーレン MP4/8Aのシャシーナンバー6でF1モナコGPの最多勝利記録となる6勝目を達成。その記録は25年経った今もまだ破られていない。第5戦で投入されたシャシーナンバー6は、その後7戦でアイルトン・セナがドライブ。最終的にセナはアラン・プロストに次ぐ、ランキング2位でシーズンを終えた。アイルトン・セナは、F1イタリアGPでデイモン・ヒル、そして、マーティン・ブランドと接触してリタイア。その後、シャシーナンバー6は日本とオーストラリアの2戦ではスペアカーとして使用された。

    ボナムズによると、フォード製エンジンを搭載したMP4/8Aは“驚くほど保存状態がよく”“正常に動作する”という。

  • アイルトン・セナが最後にモナコを制したMP4/8Aがオークションに出品

    アイルトン・セナが最後にモナコを制したMP4/8Aがオークションに出品

    アイルトン・セナが1993年に最後にF1モナコGPを制したF1マシン『マクラーレン MP4/8A』が今年5月に開催されるボナムズのオークションに出品されることが明らかになった。

    アイルトン・セナは、オークションに出品されるマクラーレン MP4/8Aのシャシーナンバー6でF1モナコGPの最多勝利記録となる6勝目を達成。その記録は25年経った今もまだ破られていない。

    第5戦で投入されたシャシーナンバー6は、その後7戦でアイルトン・セナがドライブ。最終的にセナはアラン・プロストに次ぐ、ランキング2位でシーズンを終えた。

    アイルトン・セナは、F1イタリアGPでデイモン・ヒル、そして、マーティン・ブランドと接触してリタイア。その後、シャシーナンバー6は日本とオーストラリアの2戦ではスペアカーとして使用された。

    ボナムズによると、フォード製エンジンを搭載したMP4/8Aは“驚くほど保存状態がよく”“正常に動作する”という。

    ボナムズは、このMP4/8Aの正確な見積もりは出していないが、5月11日にモナコで開催するオークションに出品された際には7桁ドルの高値がつくと予想している。

    昨年11月にはミハエル・シューマッハが最後にF1モナコGPを制したフェラーリの2001年F1マシン『F2001』がニューヨークで実施されたオークションで750万4000ドル(約8億4000万円)で落札され、これまでオークションに出品されたなかで最も価値の高い近代F1マシンとなっている。

    ボナムズのモータースポーツ部門のグローバル責任者を務めるマーク・オズボーンは「アイルトン・セナは、現代で最もカリスマ的なF1ドライバーであり、MP4/8Aは、彼のチームであるマクラーレンがF1世界選手権の歴史で最も成功したチームであるフェラーリを上回ったマシンだ」とコメント。

    「特にこのナンバー6は、モナコマイスターとしてのセナの伝説を築いたシャシーだ。我々はボナムズは、当時の最も重要なグランプリカーの1台を提示できることを誇りに思うとともに興奮している」

  • ミカ・ハッキネン、アイルトン・セナを激怒させた一件を語る

    ミカ・ハッキネン、アイルトン・セナを激怒させた一件を語る

    ミカ・ハッキネンは、1993年にマクラーレンでアイルトン・セナのチームメイトとしての初レースでのある発言がセナを激怒させ、その後、二人は決して親しくなることはなかったと明かした。

    一時代を築いたホンダが撤退し、マクラーレンは1993年にフォードのカスタマーエンジンを走らせることになった。アイルトン・セナは開幕戦アフリカGPの前夜になってようやくマクラーレンとの契約にサインした。

    チームメイトのマイケル・アンドレッティは、1戦100万ドル相当のレース毎の契約とされており、瀬席不振によって第13戦イタリアGPで契約を解除されてアメリカに帰国。土壇場でアイルトン・セナが契約したことでテストドライバーに降格していたミカ・ハッキネンが、次戦ポルトガルGPからレースドライバーを務めることになった。そして、ミカ・ハッキネンは、ポルトガルGPの予選でいきなりアイルトン・セナを上回った。

    「マクラーレンでスタートしたとき、アイルトンは僕のことをまったくリスペクトしていなかった。確かに会話はしていたけど、彼は少しも僕のことを認めていなかった」とミカ・ハッキネンは振り返る。

    「僕はそれで問題はなかったけどね。マルティンラークソ出身の若造は仕事をして、前進していた。自分の仕事するだけだった」

    「ポルトガルGPのエストリルで彼よりも速く走ったとき、彼はいったいどうやって自分よりも速く走ったのか僕に尋ねてきた」

    「僕は自分のものを指さして『俺の方がキンタマが大きいからだ!』と言ったんだ」

    「それは彼を完全に怒らせた。彼は本気で起こっていたし、僕に彼のキャリア全体について、彼が勝ったワールドチャンピオンシップについて話し続けた。彼は僕を壁に押し付けて『おまえにはとうてい無理だ・・・』と言っていたよ」

    「その後、僕たちの関係が再び良くなることはなかった。アイルトンは僕が彼にとって脅威であり、世界で最高のドライバーとしての彼のステータスを失わせ、自分を追い越そうとしている若造がいることに気づいていた」

    アイルトン・セナはウィリアムズに移籍した1994年のサンマリノGPの事故で命を落とし、ミカ・ハッキネンは1998年と1999年にマクラーレンでタイトルを2連覇した。

  • マクラーレン・セナ、最後の1台は3億円で落札・・・セナ財団へ寄付

    マクラーレン・セナ、最後の1台は3億円で落札・・・セナ財団へ寄付

    マクラーレンの顧客向けプライベート・イベントでは、熱気に満ちたオークションで激しい競りが繰り広げられ、 新モデル『マクラーレン・セナ』の最後の1台により、支援を必要とするブラジルの子供や若者のために200万ポンド(約3億円)の落札価格がアイルトン・セナ財団に寄付された。

    12月10日、午前0時1分に世界公開された『マクラーレン・セナ』は、マクラーレン・オートモーティブによる、これまでで最も究極的なパフォーマンスを有するロードカー。

    公道での走行も可能なマクラーレンの究極のサーキット仕様モデルという、ただ1つの目的のために設計、デザイン、開発されたマクラーレン・セナは、「フォルムは機能に従う(form follows function)」というマクラーレンのデザイン哲学がこれまでで最も純粋な形で具現化している。

    マクラーレン・ブランドとそのクルマを深く愛する人々が毎年集う恒例のイベントで、生産された500台のうちの最後の1台がオークションにかけられるという情報は知らされてはいなかった。イベント参加者は、マクラーレン・セナは全てのオーナーがすでに決まっていると信じていたため、オークションの発表は大変なサプライズとなり、激しい入札合戦のすえ、マクラーレン・セナの最後の1台の最終落札額は税抜きで200万ポンドにもなった。これはマクラーレン・セナの英国における価格の3倍以上に相当します。200万ポンドの落札価格は支援を必要とするブラジルの子供や若者のためにアイルトン・セナ財団に寄付された。

    マクラーレン・オートモーティブ最高経営責任者マイク・フルーウィットは「マクラーレン・セナはマクラーレンのモータースポーツのDNAを具現化したものであり、サーキットで勝利するために一切の妥協を排した デザインとなっていますが、公道での走行も可能です。生産は500台のみに限定されており、その結果として マクラーレンの偉大なF1ドライバーの思いを伝える団体であるアイルトン・セナ財団(Instituto Ayrton Senna)のために、オークションでこのような高額を寄付できたことは、マクラーレンにとっては純粋な喜びであるとともに、 アルティメットシリーズの新たなモデルの素晴らしさを証明するものとなりました」とコメント。

    アイルトン・セナの不屈の精神は今もマクラーレンとともにある。アイルトン・セナはF1世界選手権で合計3度優勝しており、彼の輝かしい功績とマクラーレン・ブランドとのつながりは、今後もマクラーレン・セナを通じて再認識されることだろう。

    アイルトン・セナの姉であり、レーシング・ドライバー兼マクラーレン・アンバサダーであるブルーノ・セナの母でもある、ビビアーニ・セナは「マクラーレン・オートモーティブとのコラボレーションにより、アイルトン・セナ財団のためにこのような額が寄付できたことを嬉しく思います。セナ家はマクラーレン・ブランドと長きにわたる付き合いがあり、マクラーレン・アルティメットシリーズのニューモデルにアイルトンの名前を冠するというアイデアを知った時、私達は即座に、このアイデアが実現して欲しいと思いました。 マクラーレン・セナが公開された今、このプロジェクトに参加できてとても幸せであるということを、私達も公に話せるようになりました」と述べた。

    伝説的F1ドライバーであるアイルトン・セナは、並外れた集中力とサーキットで最高の結果を出すことへのこだわりで知られていた。その理想はマクラーレン・セナに引き継がれており、求めるスピードが正確に伝達され、走行中の完璧な制御を可能にする驚嘆するパフォーマンスを通じて、ドライバーはこのマシンのもたらすダイナミックなエクスペリエンスに夢中になることだろう。

    最高出力800PS(789bhp)、最大トルク800Nm(590 lb ft)を誇る、マクラーレン・セナの4.0リッターV8ツインターボ・エンジンはマクラーレンがこれまで生み出してきた中で最もパワフルなロードカー向け内燃エンジンであり、乾燥重量 わずか1,198kg。さらに重要なのは、エアロダイナミクスの高い完成度とレースアクティブ・シャシー・コントロールII(RCC II)油圧サスペンションで、サーキットでは信じられないような性能が発揮されます。最高のロードカーでありながら、サーキットにおける性能においても新たな基準を確立するというのがマクラーレン・セナの理想だ。

    「私達ファミリーは、マクラーレン・アルティメットシリーズの新モデルのネーミングをこの上なく誇りに思っています。 アイルトン・セナのレーシング・スピリットと業績と真につながるプロジェクトは、これが初めてあり、マクラーレン・セナは叔父に敬意を表したものです。というのも、ドライバーが最高の自分になれるような、比類なきサーキット・エクスペリエンスを生み出すことに徹底的にこだわっているからです」とレーシング・ドライバー兼マクラーレン・アンバサダー、ブルーノ・セナは述べた。

    マクラーレン・セナ は、来年3月の第88回ジュネーブ国際モーターショーで公開される予定です。

    アイルトン・セナ財団について:
    F1世界選手権で3度の優勝を果たしたアイルトン・セナの意志を継ぐ当財団では、より良い世界を実現するには 教育が不可欠であると考えている。そのため、数百万人のブラジルの子供や若者に質の高い教育を提供するための活動を20年以上にわたり行ってきた。当財団の使命は、人間そのものを育成し、21世紀の生活に あらゆる面で対応できるようにすること。その使命を果たすため、当財団では教育とその他の科学を掛け合わせた、実証主義の教育方針および教育内容を推進している。政府関係および教育者の皆様と日々協業し、指摘されている教育上の課題を解決するため、公共の教育ネットワークと綿密に連携しながら教育プログラムの進展に不可欠な知識を検証し、体系化している。蓄積された全ての知識について、教育、普及、奨励、技術協力および技術移転を通じ、より多くの関係者と共有している。当財団では、教育の専門家や様々な分野の研究者、その他第3セクターの組織、財界の人々、ならびに学校基盤の変革に取り組んでいる市民の皆様とのネットワークを構築している。当財団の活動資金は、寄付、ライセンス料および民間セクターとのパートーシップによって得られている。小学生および中高生の教育に焦点を当て、イニシアティブをとり、17の州の660以上の地方自治体で活動を展開、6万人以上の教師を育成し、年間150万人以上の生徒に教育の機会を提供している。