ブリアトーレが語るベネトン成功秘話「誰もTシャツ屋がF1で勝つとは思わなかった」

ブリアトーレが語るベネトン成功秘話「誰もTシャツ屋がF1で勝つとは思わなかった」

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アルピーヌF1を率いるフラビオ・ブリアトーレが、自身のF1キャリアの原点となったベネトン時代を振り返り、「Tシャツメーカー」と揶揄されたファッションブランドが世界王者へと上り詰めた成功の理由を語った。

2027年からアルピーヌの主要パートナーとしてグッチが加わることを控え、ブリアトーレにとってはファッションとF1を再び結びつける形となる。

約30年前、ベネトンを単なるスポンサーではなくF1そのものをブランドの「アンバサダー」として活用した経験は、現在のアルピーヌにも通じるものがあるという。

「F1初の本格的なファッションブランドだった」
ブリアトーレがF1に足を踏み入れたきっかけは、イタリアのアパレルブランド、ベネトンだった。当時、ルチアーノ・ベネトンからF1での活動を任され、それまで自動車メーカーやレーシングチームが中心だった世界に、ファッションブランドという異質な存在を持ち込んだ。

「当時のベネトンも、ある意味ではラグジュアリーブランドのような存在だった。世界に7000店舗のベネトンがあったからね。そして、F1に参入した最初の本格的なファッションブランドだった」とブリアトーレはThe Race Businessに語った。

「最初はマシン全体がベネトンカラーだった。その後、ベネトンだけでやるには費用が高くなりすぎて、黄色や青など別のカラーを加える必要が出てきた。それでも、最初の例がベネトンだった」

F1参戦によって得られたブランド効果は、ブリアトーレ自身の想像を超えていたという。

「ある時点では、店舗よりレーシングチームのほうがはるかに有名になっていた。信じられないことだったよ。Tシャツメーカーがチャンピオンシップを獲るなんて、本当にすごいことだった」

「1989年から1990年ごろに始めたときは、誰も我々に1セントの価値も見いだしていなかった。それが1995年には世界王者になる準備ができていた。本当に素晴らしかった」

シューマッハと低予算でF1の頂点へ
ベネトンは1994年にミハエル・シューマッハとともにドライバーズタイトルを獲得し、1995年にはシューマッハが連覇を達成。さらにコンストラクターズタイトルも手にした。

ブリアトーレは、その成功が巨額の資金によって生まれたものではなかったと強調する。

「レッドブルも後に似たことをやった。ただし、資金の規模もシステムもまったく違う。当時の我々の予算は、他のチームと比べて非常に限られていた。それでも成し遂げた。ミハエル・シューマッハには感謝している。彼はチームにとって非常に大きな存在だった」

ベネトンがF1に参入した当初、周囲からは「Tシャツメーカー」と見られていた。それは飲料メーカーとしてF1に参入したレッドブルが後に受けた懐疑的な視線とも重なる。

「我々は本当に“Tシャツメーカー”だった。でも結局、運営するのは人なんだ。その結果として最終製品であるマシンが生まれる」

「ルチアーノはF1が大好きだった。兄弟のひとりはラグビーが好きで、別の兄弟はバレーボールが好きだった。ただ、最初からF1を選んだ理由は、それが世界的なスポーツだったからだ。ベネトンを他とは違うレベルへ持っていこうとしていた」

ミハエル・シューマッハとフラビオ・ブリアトーレ

モータースポーツ誌ではなく「VOGUE」に売り込んだベネトン
当時のF1では、マクラーレン、フェラーリ、ウィリアムズ、ティレル、ブラバムといった伝統的なレーシングチームが中心だった。ブリアトーレは、彼らと同じ方法で戦ってもベネトンの存在感は高められないと考えた。

そこで選んだのが、モータースポーツの枠を超えてファッションの世界へF1を持ち込む戦略だった。

「他のチームは非常に技術志向だった。マクラーレン、フェラーリ、ウィリアムズ、ティレル、ブラバムといったチームだ」

「そこでパトリツィアと僕は、AutosportやAutosprintなどの自動車雑誌に出るのではなく、ファッション誌やVOGUEに出ようと決めた。まったく違うアプローチだった」

「モデルを使ったり、写真を重視したりした。当時の我々のマシンには競争力がなかったけれど、メディアやイメージという面では常にトップだった。誰もがベネトンを追いかけていた」

つまり、マシンが勝てるようになる前から、ブランドとしてはF1のトップクラスの存在感を獲得していたということだ。

「誰もTシャツメーカーが勝てるとは思っていなかった」
ブリアトーレは、ベネトンが後方からスタートし、徐々に勢力図を覆していった過程を、現在のアルピーヌとも重ね合わせている。

「我々は後方からスタートした。昨年アルピーヌで始めたときと同じだ。我々はいつも流れを変えてきたし、下から始めてきた」

「ベネトンの成功は本当に信じられないものだった。Tシャツやセーターを作っている会社が、これほど競争が激しく技術的な世界に入って成功できるなんて、誰も信じていなかったからね」

F1という世界を外部から眺めたことも、既成概念に縛られない発想につながったという。

「当時、我々はそれほど難しくないことにも気づいた。みんなが物事を非常に難しくしていたんだ。最も難しいのは、適切な人材が適切な場所、適切なタイミングにいる機会を作ることだった」

最初は参戦するだけだったベネトンだが、やがて表彰台が現実的な目標となり、その先にタイトルが見えてきた。

「少なくとも競争できる可能性があることが分かった。その後、ただ競争するだけでなく、表彰台を狙えることが分かった。そして最後には『よし、今なら本当に戦える』となった」

トップチームより30~40%少ない予算
ブリアトーレによれば、ベネトンの予算は当時のトップチームより常に大幅に少なかった。

「我々の予算は、常にトップチームより30~40%少なかった。1995年に最初のコンストラクターズタイトルを獲得したときは、当時のフェラーリやマクラーレンの50%程度の予算だったと思う」

「それでも勝てたのは戦略が正しかったからだ」

その戦略の中心にあったのが、人材だった。

「信じられないほど素晴らしいドライバーを獲得した。そして素晴らしいエンジニアの集団がいた。彼らは今ではみんなスターになっている。ロス・ブラウンからパット・シモンズまでね」

「現在レーシングブルズのチーム代表を務めているアラン・パーメインも我々と一緒だったし、ジョナサン・ウィートリーもいた」

ブリアトーレは、これを「ベネトン・スクール」と表現する。

「確かに我々はファッション企業だった。でも技術面でも優秀な人材を育てる力があった。ファッションの精神とテクノロジーの精神を組み合わせた。それをひとつにまとめた結果、大成功になったんだ」

F1は「特別に難しいビジネスではない」
ブリアトーレは、F1チームの経営を過度に特殊なものとは考えていない。

「他のビジネスと同じだと思っている。世界最高の人材を相手に競争する以上、簡単ではない。でも成功することが不可能なわけではない」

そもそもブリアトーレ自身、F1に深い知識を持ってこの世界に入ったわけではなかった。

「僕はF1が何なのか、まったく知らなかった。ルチアーノ・ベネトンの判断によって、偶然F1に入ったんだ。本来なら数カ月だけ、商業面を整理するための仕事だった」

「これほど長くF1にいるなんて思ってもいなかった。だからこそ、外からの視点でF1を見ることができた。もちろん複雑だよ。他のビジネスと同じように複雑だけれど、できることはたくさんある」

「F1そのものがベネトンのアンバサダーだった」
ブリアトーレが強調するのは、ベネトンが単にF1チームを広告媒体として利用していたわけではないという点だ。

「当時、我々はベネトンのためにF1を使っていた。完全にね。ベネトンがF1を利用していたというより、F1そのものをベネトンのアンバサダーにすることを決めたんだ」

「ルチアーノはあれだけの露出を得られたことを非常に喜んでいた。会社としても信じられないほどの成功だった」

そして競争力が高まれば、その広告効果はさらに増幅する。

「競争力があれば、その効果は2倍、3倍、4倍になる。新しい業界に入ると、違った目で見ることができる。毎日その世界にいるわけではないからね」

グッチ加入で再び「ファッション×F1」へ
2027年からグッチを主要パートナーに迎えるアルピーヌは、ブリアトーレにとって30年以上前のベネトン時代を想起させるプロジェクトになる。

ベネトンは、伝統的なモータースポーツ企業ではない「Tシャツメーカー」としてF1に乗り込み、ファッションとモータースポーツを融合させた独自のマーケティングを展開。その後、シューマッハを中心にブラウン、シモンズ、パーメイン、ウィートリーら後にF1界の重要人物となる人材を集め、世界王者へと成長した。

「多くの人は毎日同じやり方で物事をする。『これがやり方だから』という理由でね。でも、違う方法でやることもできる」

ブリアトーレは現在も、自身を純粋なモータースポーツ人間とは捉えていない。

「もちろんレースは大切だ。自分たちのチームだからね。でも、もし自分のチームがなかったら、僕がF1を見るかどうかは分からない。正直なところね」

ファッションブランドの視点をF1へ持ち込み、常識とは異なる方法でベネトンを頂点へ導いたブリアトーレ。グッチとの新たなパートナーシップは、単なるスポンサー契約ではなく、かつて成功を収めた「ファッション×F1」という発想を現代のアルピーヌで再び試す機会となりそうだ。