カテゴリー: スクーデリア・アルファタウリ

  • ホンダF1:2020年 第15戦 F1バーレーンGP プレビュー

    ホンダF1:2020年 第15戦 F1バーレーンGP プレビュー

    ホンダF1は、2020年のF1世界選手権をいい形で終えるためにも、3連戦の初戦となる今週末のF1バーレーンGPで好成績を残せるように全力で臨む。

    今週末から、バーレーンでの2連戦が始まる。今季の大幅なスケジュール変更によって、F1バーレーンGPはシーズン終盤戦となったが、例年は春に開催されているので、バーレーン・インターナショナル・サーキットでのF1開催は、1年7カ月ぶりとなる。そして、ここバーレーンでは、今シーズン初めてトワイライト/ナイトレースが行われる。

    さらに、2戦目はこれまでF1で使用されたことのないレイアウトが予定されており、その直後には最終戦のアブダビGPと、シーズン最後の3連戦となる。F1バーレーンGPといえば、2018年、トロロッソ(現アルファタウリ)とのパートナーシップ2戦目にして、ピエール・ガスリーが4位入賞を果たした印象が未だに鮮烈だ。そして、レッドブル・ホンダも、2012・2013年に勝利を挙げている。

    田辺豊治(ホンダF1 テクニカルディレクター)
    「トルコでの難しいコンディションのレースを終え、今週からはシーズン最後となる中東での3連戦が始まります。まずは最初のレースが開催されるバーレーン・インターナショナル・サーキットに向かいます。今年はレッドブル・リンク、シルバーストーンで2週連続のレースを行いましたが、ここバーレーンでは第15戦に例年F1が行われるレイアウトでのレース、来週にはそのアウタートラックを使い、レイアウトを変えての2週連続開催となります。また、サーキットレイアウトが変わるのに加えて、レース開催時刻も第15戦がトワイライトレース、第16戦はナイトレースと変化します。我々にとっても、ファンの皆さんにも変化のあるレースが楽しめるのではと思っています。バーレーンGPは、例年シーズン序盤の3月から4月にかけて行われますが、今年はコロナ禍の影響で第2戦の4月に行われる予定が延期となりこのタイミングでの開催となりました。しかしながら、バーレーンの気候は年間を通して比較的安定しており、気温などのコンディションはそれ程大きく変わりません。P1とP3が行われる日中と、P2・予選・決勝が行われる夕刻とで大きく気温が異なるなどバーレーン特有のセットアップを含めて過去のデータを参考にしつつレースに向け準備を進めます。前戦のトルコではアストンマーティン・レッドブル・レーシング、スクーデリア・アルファタウリともに悔しいレースになりました。両チームとともにいい形でシーズンを締めくくれるよう、まずは3連戦初戦、今週末のレースをよい形でスタートを切れるよう全力で挑みます。また、過密日程で行ってきたシーズン終盤、メンバーにも疲れがたまってきているので、コロナ対策に加えて体調管理にもいつも以上に気を遣っていきたいと思います」

    マックス・フェルスタッペン(レッドブル・レーシング)
    「前戦トルコGPの金曜日はとても難しいトラックコンディションでしたが、バランスはよかったですし、マシンもうまく機能しました。その勢いで土日もいけると思っていたので、決勝を6位で終えたのは、チームの全員にとって残念な結果でした。いくつかの問題を抱えていたため、リアタイヤの消耗が他のマシンよりも早かったです。ここでは勝ちたいと思っていただけに、僕だけでなく、チームの全員がトルコでの結果を悔しく感じています。しかし、過去は変えられないので、前を向いて勝ちにいくのみです。残りのレースは、前回のような変則的なコンディションにはならないと思っています。ナイトレースはいつもと違う感覚を味わえるので好きですし、シーズン最後にちょっとした変化があるのもいいと思っています。バーレーンはよく知っているサーキットですが、タイヤにとって厳しいトラックなので、最適なセットアップを見つけるのが重要になるでしょう」

    ピエール・ガスリー(アルファタウリ・ホンダ)
    「トルコでのレースについては、あまり語ることがありません。今年最悪のレースと言えるものでしたから、バーレーンでの2連戦に気持ちを切り替えています。イスタンブールでは、低温とスリッピーなコンディションでマシンをうまく機能させられず、チームとしては今季2度目のノーポイントレースになってしまいました。バーレーンでは、少なくともタイヤの温度に問題が出ることはないはずです!コンディションは通常の状態に戻ると思います。ここは、これまで僕らのマシンと相性のいいサーキットでしたし、2018年は4位と、当時の僕にとってベストリザルトを記録することができました。例年は4月に開催されているので、いつもと時期は異なりますが、中東エリアは時期によって大きな温度変化はないはずです。オーストラリアGPのあと、2カ月間を中東で過ごしたので、慣れ親しんだ場所へ戻ってくる感覚です。ここから約3週間の滞在となるので、1年のほぼ4分の1をここで過ごすことになりますね。このバーレーンでの2戦でできるだけいい結果を残し、いい形でシーズンを締めくくりたいと思っています。ずっとマシンの調子はよく、今季はほぼ全レースで競争力を発揮できているので、コンストラクターズランキングを上げるのは厳しいかもしれませんが、ここでも激しく戦い、ポイントを獲得することが必要です。とにかく最後の3戦に集中し、自分たちに何ができるかを見極めていきます。バーレーンのコースについてですが、例年使用しているレイアウトは、ストレートのコース幅がかなり広いので、オーバーテイクに適しています。また、とてもテクニカルでおもしろいコーナーもあります。一方で、2戦目は普段と全く異なり、ほぼオーバルと言えるレイアウトが予定されています。コーナーは4つしかないので、スリップストリームの使い合いになり、インディ500のF1バージョンのような戦いになるのではないでしょうか。シミュレーターで何周かしましたが、ラップタイムは1分を切っていたので、トラフィック対策は簡単にいかないと思います。予選ではチームプレイで、自分のトウにチームメートを入れ、その後は逆にトウをもらうといった走りになるはずです。レースでもスリップストリームを使う場面が多くなると思うので、みんな経験したことのない、おもしろい展開になるはずです。オーバーテイクの多い、盛り上がるレースになると思いますし、DRSでオーバーテイクが簡単にできてしまうのかも見ものです」

    アレクサンダー・アルボン(レッドブル・レーシング)
    「前戦のトルコGPでは、自分のマシンにいくつかのことを試し、それらがうまく機能していました。それにより、よりコントロールのしやすいマシンになり、悪くない週末でした。チーム全体として調子がよかったですし、初日にいい走りができていたことを考えると、多くのポイントを獲得できなかったこと言う結果に対するフラストレーションは少しありますが、ポジティブなことも多かった週末だったと思います。いつもと違ういい経験でしたが、とても難しく、ミスを起こしやすいコンディションでした。状況に適応して限界まで攻め、いろいろなラインを試すことでラップタイムを向上できました。楽しい体験でした。前戦でいい走りができましたし、正しい方向に進んでいる自信があります。シミュレーターで確かめたマシンの感触もよかったですし、改善が進んでいます。バーレーンでその成果を確認するのが楽しみです」

    ダニール・クビアト(アルファタウリ・ホンダ)
    「トルコでは異例の路面コンディションで全員にとって厳しいレースウイークとなったので、バーレーンで普通の状態で戦えるのはいいことです。今週末は、少なくとも天候の面でサプライズはほとんどないはずです。イスタンブールはあまり経験のない状況だったので、いいレッスンになったと思います。僕にとっては、今回が7度目のバーレーンとなります。おもしろいコースで、さまざまな種類のコーナーがあって、オーバーテイクの機会も多いです。いつものように、金曜日になるべく早くマシンを作動領域に入れることがカギになりますし、そこからどれだけ伸ばせるかを見ていきたいと思います。中東でシーズンを終えられるのはうれしいですし、最後の3戦はとことんプッシュしていきます。バーレーンでの2戦目に使用される新たなレイアウトを、シミュレーターで試す機会がなかったので、ぶっつけ本番で挑むことになりますが、マシンからどれだけ引き出せるか見ていきます。スピード感を持って学んでいかなければなりません。1戦目との違いは、完全なナイトレースになることです。1戦目は日没前にスタートしますが、2戦目はスタートが遅いので、レース中のタイヤ温度などに影響が出るはずです。ピットボードのカウントダウンが87周から始まるなんて、かなり多い週回数で、変な感じがするかもしれません。最初の3つのコーナーは普段のレイアウトでも使われていますし、ラップの終盤でまた通常レイアウトへ戻ってくるので、そこまで大きな違いは感じないと思います。見た感じでは、新たなレイアウトでは真の意味でコーナーと呼べる場所は少ないので、かなりの高速でのチャレンジになるはずです。普段との違いがあるといつでもおもしろくなるものです」

  • アルボン、Wings For Lifeの新アンバサダー就任は残留のヒント?

    アルボン、Wings For Lifeの新アンバサダー就任は残留のヒント?

    レッドブルF1は、密接に関与している慈善団体であるWings For Lifeの新しいアンバサダーとしてアレクサンダー・アルボンの就任を発表。この協力は、アルボンがレッドブルに滞在することをほのめかしているかもしれない。

    Wings For Life Foundationは、脊髄損傷の治療法を見つけることに取り組んでいる。この慈善団体はレッドブルと密接な関係があり、2005年からレッドブルの公式チャリティーパートナーとなっている。

    アレクサンダー・アルボンはアンバサダー就任について「僕にとって大きな意味がある。脊髄損傷の影響を受けたすべての人がいつか完全に回復するように、脊髄損傷の研究を継続するために必要な資金を確保することは非常に重要だ」と語った。

    この発表は、アレクサンダー・アルボンがレッドブルへの長期的な残留を示唆しているようだ。だが、それがマックス・フェルスタッペンのチームメイトとしてレッドブル・レーシングになるかどうかはまだ分からない。チームは経験豊富なセルジオ・ペレスやニコ・ヒュルケンベルグも検討している。

    もちろん、アルファタウリ・ホンダもオプションとなる。特に角田裕毅がF1スーパーライセンスを取得できなかった場合はなおさらだ。

  • ピエール・ガスリー 「F1サヒールGPはインディ500のミニ版になるだろう」

    ピエール・ガスリー 「F1サヒールGPはインディ500のミニ版になるだろう」

    アルファタウリ・ホンダF1のピエール・ガスリーは、バーレーン・インターナショナル・サーキットで開催される第15戦・第16戦についての意気込みを語り、2戦目のF1サヒールGPは“インディ500のミニバージョン”のような“スリップストリーム合戦”になるだろうと語った。

    今週、F1はバーレーンでのダブルヘッダーレースへと向かう。同じサーキットで複数のラウンドが開催されるのはオーストリアとイギリスに続いて今年3回目だが、F1サヒールGPとして開催される2週目のレースは新しいサーキットレイアウトが使用される。

    12月6日のレースで使用される“アウター”レイアウトは、インフィールドセクションをほぼバイパスしてコーナーがほとんどないオーバルのようなレイアウトとなる。

    「バーレーンのトラック自体(少なくとも以前にレースをしたことがバージョン)は、かなりワイドなことも手伝ってオーバーテイクに適したストレートがいくつかある。いくつかの面白いコーナーがあって、とてもテクニカルだ」

    「レイアウトが異なる2戦目は、トラックがほぼオーバルなので、通常とはまったく違ったものになるだろう。コーナーが4つしかないので、インディ500のミニF1バージョンのようなスリップストリーム合戦になるだろう」

    「シミュレーターで数周したけど、ラップタイムは1分を切るし、トラフィックを処理するのは簡単ではないだろう。予選では、チームメイト同士でトウを使いあうチームゲームを演じることになるだろう。レースではスリップストリームがたくさんあるので面白い経験になるだろう。全員とって初めてだしね。オーバーテイクの多い見ごたえのあるレースになると思う。DRSによってオーバーテイクが簡単すぎるものかどうかを確認するのは興味深いね」

  • 角田裕毅 「F2でチャンピオンを獲得することは不可能ではない」

    角田裕毅 「F2でチャンピオンを獲得することは不可能ではない」

    ホンダF1の育成ドライバーである角田裕毅は、残りの4レースで2020年のFIA-F2でチャンピオンを獲得するのは“不可能ではない”と語る。

    今年、FIA-F2に初参戦した角田裕毅は、今シーズンここまで10回の入賞を果たし、そのうち5回の表彰台を獲得し、2勝を挙げている。3回のポールポジションはカラム・アイロットと並んで最多となっている。

    現在、角田裕毅はポイントリーダーのミック・シューマッハから44ポイント差を付けられているが、4つのレースとそれぞれの予選セッションで最大96ポイントを獲得できる。

    角田裕毅は、ランキング4位以内でシーズンを終えれば、2021年のアルファタウリ・ホンダでのF1デビューがほぼ約束されている。11月4日(水)にはイモラ・サーキットでアルファタウリ・ホンダとF1初テストに挑み、2018年F1マシンでフリー走行に出走に必要なスーパーライセンス取得のための300kmの走行を無事にこなした。

    それでも、角田裕毅はFIA-F2に集中しており、現時点での目標はあくまでチャンピオンを獲得することだと語る。

    「本当に楽しみにしています」と角田裕毅はコメント。

    「良いレースをするためには、過去の経験のすべてを活用する必要があります。実際には大変だと思いますが、楽しいと思います。チームのために本当に結果を出したいと思っています。シーズンを通して懸命に仕事をして僕を手助けしてれましたし、本当にマシンを速くしてくれました。自分のドライビングで彼らに応えたいと思っています。レースを本当に楽しみにしています」

    「タイトル争うは本当にタイトです。現時点で僕は3位ですが、非常に拮抗していますし、最後の2ラウンドで非常に簡単に変わる可能性があります」

    「1位とは大きなギャップがありますが、チャンピオンシップを1位でフィニッシュすることは不可能ではないと思っています。1位で終えることを目指していますし、できる限りプッシュするつもりです。本当にエキサイティングな戦いになるはずです。それを本当に楽しみにしています」

    角田裕毅は、F1アブダビGP後の若手ドライバーテストにアルファタウリ・ホンダF1から参加することが決定しており、場合によってはF1の残り3戦のどこかでフリー走行1回目に出走する可能性がある。

  • 角田裕毅 「僕の夢はF1ワールドチャンピオンになること」

    角田裕毅 「僕の夢はF1ワールドチャンピオンになること」

    ホンダF1とレッドブルのジュニアドライバーである角田裕毅は、2021年にアルファタウリ・ホンダでF1デビューを果たせば、小林可夢偉以来のF1に参戦する日本人ドライバーとなる。だが、F1デビューをすることだけが目的ではない。角田裕毅は「夢はF1ワールドチャンピオンになること」だと語る。

    この数年間は角田裕毅にとって激動のシーズンだった。ヨーロッパに戦いの場を移して2年以内、FIA-F3への挑戦はシングルシーターでの経験がわずか3年でのものあり、サーキットの知識はほとんどなかった。

    ホンダ・フォーミュラ・ドリーム・プロジェクトとレッドブルからのサポートを受け、角田裕毅はFIA-F3のルーキーシーズンの前半は目立たなかったが、新しい大陸とまったく新しいチャンピオンシップに順応していった。

    当時はまだ角田裕毅に何を期待するかを知るのは困難だったが、2年後、彼はFIA-F2のタイトル争いの中心におり、レッドブルの姉妹チームであるアルファタウリ・ホンダF1のシートをめぐる噂の最前線にいる。彼はモータースポーツで最も優秀な若い才能の一人として名を馳せ、大胆で攻撃的でありながら、計算力と賢さを兼ね備えている。身長は160cmとグリッド上で最も背が低いドライバーだが、彼は他のどのドライバーよりも勇気がある。

    神奈川で生まれた角田裕毅は、4歳の若さでゴーカートを始めた。父親から4輪か2輪かを尋ねられたときには躊躇うことなく前者を選んだ。ヨーロッパでは14歳でだが、日本の年齢制限によって彼は16歳になるまでカートに制限された。だが、FIA F4日本選手権にステップアップしてすぐに3位を獲得。この選手権では1位と2位に入れば、ホンダのジュニアチームと契約がご褒美として与えられることになっていた。

    「彼らは1位と2位のドライバーを選ぶことになっていました」と角田裕毅は振り返る。

    「通常、彼らはそうするのですが、それらのドライバーは僕より経験豊富ですでにF4で運転していました。F1でレースをしていた中嶋悟さんが担当し、ホンダに僕とも契約するよう勧めてくれました。最初はまだ公式にはフルのジュニアドライバーではなかったですけどね」

    角田裕毅は日本でFIA F4日本選手権でさらに2シーズンを過ごし、3位、そして、チャンピオンを獲得した。その間、彼はホンダジュニアとして正式に確認された。その結果、ホンダが主催したハンガロリンクでのモトパークでの3日間のテストが行われ、角田裕毅はヨーロッパでのシートを勝ち取った。

    しかし、提供された契約はこれだけではなかった。

    「ヘルムート・マルコは結果を見て、僕をレッドブル・ジュニアにすることに決めました」と角田裕毅は振り返る。

    「あのテストはこれまでの僕の人生で最大の瞬間の1つです。もし、あれがうまくいかなかったら、僕は今いるところにはいなかったでしょう。たぶんまだ日本にいたと思います」

    レッドブルとホンダが角田裕毅をFIA-F3に参戦させたが、グランプリ週末にF1のサポートレースとして行われることは、角田裕毅にとって一か八かの賭けだった。

    「日本では、パフォーマンスと競争力に自信を持っていましたが、これまでヨーロッパでレースをしたことはなく、経験もありませんでした」と角田裕毅は認めた。

    「ヘルムートには、もしレッドブルジュニアになるなら、F3の他のドライバーと競争できなければならないと言われました。同じようなレベルでパフォーマンスを発揮する必要がありましたし、結果を出さなければなりませんでした」

    「他のドライバーとデータを比較することもできたので、ハンガロリンクでのテストには自信がありましたが、実際にはどのトラックでもドライブしたことはありませんでした」

    ホンダとレッドブルの育成ドライバー契約を勝ち取った角田裕毅は、2019年にヨーロッパへと活動拠点を移し、イェンツァー・モータースポーツのあるスイスに移住してFIA-F3に参戦する。序盤の結果はある程度の見込みを示したが、シーズン後半の活躍を予測できた人はほとんどいなかった。

    序盤7戦では2回の入賞を果たしたのみだったが、それ以降の7戦では勝利と2つの表彰台を含めて7回の入賞を果たしている。

    「最初は結果についてあまり考えていませんでした。とにかく懸命にプッシュして、どのように進んでいくかを見守っていました」と角田裕毅は語る。

    「2019年のスパは僕にとって本当にターニングポイントでした。その週末、僕たちはアントワーヌ・ユベールを失うという悲劇が起こりました。彼はそれ以降の僕の結果に役割を果たしました。僕は彼から学んでいましたし、彼のためにレースをしました。彼の事故の後のレース2で、僕はそのシーズンで初めて表彰台を獲得しました」

    「その後のモンツァでのラウンドで、もうひとつの表彰台と初勝利を挙げました。それは僕のドライビングパフォーマンスにとって本当にターニングポイントでした。ヘルムートに少し印象を与えることができました」

    角田裕毅の英語力は、2年近く前にヨーロッパに移住して以降、劇的に上達した。もちろん、日本を恋しく思うと語る角田裕毅だが、元F2レーサーの牧野任祐や福住仁嶺と親しい友人であり、二人とオンラインでゲームをして息抜きをしていると語る。

    フットボールの大ファンである角田裕毅は、常にボールをトラックに持ち込んでいる。かつて日本で地元の人々とフットサルをしていた角田裕毅は、オーストリアでのシーズン第1ラウンドに先立ってバイエルン・ミュンヘンのジャージを購入したことを振り返る。また、今年のバイエルンとパリ・サンジェルマンによるチャンピオンズリーグ決勝戦を観戦している。

    「2つのビッグチームによるビッグマッチでした。ネイマールがいるパリ・サンジェルマンを応援していたのですが、バイエルン・ミュンヘンも好きですし、彼らは本当に強かったです」

    何よりも注目を集めているのはオンライン版のフットボールで、角田裕毅はアメリカ版のFIFAではなく、日本製のPESプレイしている。

    「レースから離れて、それから距離を置くことができる時間ですね」と角田裕毅は説明する。

    「それはレースウィークになると集中することにも役立ちます。友達とPESをよくプレイしています。どのプレーヤーが優れているか、誰を見たらいいかを見つけるのに役立ちますね」

    「たとえば、クリスティアーノ・ロナウドはシュートがとても上手で、リオネル・メッシはドリブルがとても上手です。たくさんプレイしているので、PESプレーヤーのデータにはかなり詳しいですよ…ラヒーム・スターリングは全力疾走とドリブルは得意ですが、シュートは得意ではありません」

    FIA-F3をランキング9位で終えた角田裕毅は、1年でFIA-F2にサプライズともいえる昇格を果たし、イギリスを拠点とするカーリンで同じレッドブルの育成ドライバーであるジョハン・ダルバラと走る契約を結んだ。

    当初はFIA-F3でもう一年走る必要があるかもしれないと考えられた角田裕毅だが、それが間違いであったことを証明する。

    角田裕毅をFIA-F2にステップアップさせるという決定の背景には、同シリーズが18インチタイヤに切り替えることがあった。これにより、フィールドは平準化され、ルーキーが経験豊富なドライバーと同等になることが期待されていた。それは見逃すことのない機会だと考えられ、そして、裏付けられた。

    「F2は僕の人生で最大の挑戦でした」と角田裕毅は笑顔で語る。

    「でも、F3シーズンの初めよりも強くフィーリングを持ってシーズンに入ることができました。ペースも良く、チームも良かったですね」

    シーズンに先立ち、20歳のち角田裕毅はイギリスのミルトンキーンズに引っ越した。ミルトンキーズンにはレッドブルのファクトリーがあり、サリーを拠点とするカーリンまで車で行ける距離にあった。それは、スイスから英国への移住はまた別のカルチャーショックだったと角田裕毅は語る

    「日本からここに来るのは簡単ではありませんでした」と角田裕毅は続ける。

    「最初にここに引っ越したときは食べ物に苦労しました。僕にとって日本食は本当に美味しいです。ヨーロッパに来たとき、それは同じではありませんでした。日本食が恋しいです」

    「フィッシュ・アンド・チップスが好きですし、サツマイモのウェッジも好きですが、イギリス料理の大ファンではありません。ハモンや生ハムのようなイタリア料理とスペイン料理が大好きですが、僕にとっては日本食が一番です。ソーシャルメディアではいつもラーメンやお寿司の写真を見ていて、食べられないことに少しイライラしています」

    「今シーズンの目標を達成したら、本当に美味しいお寿司を食べたいと思っています。それが僕のお祝いの方法です。お祝いのときの寿司の味は違います。まあまあシーズンを過ごして寿司を食べると、普通の味がします。良いニュースを聞いて寿司を食べると、同じお寿司でも味が違います。本当に美味しいお寿司と本物のラーメンを食べられるように頑張るつもりです」

    だが、本当のターゲットは寿司を食べることではない。角田裕毅は今季F1スーパーライセンスを取得できれば、2021年にアルファタウリ・ホンダでF1デビューするチャンスが与えられることになる。

    「ヘルムート(マルコ/レッドブル モータースポーツアドバイザー)から、今シーズンはうまくやらなければならない、スーパーライセンスを取得するために5位になる必要があると伝えられています」と角田裕毅は説明。

    「彼は僕が5位ならば、F1でドライブする資格があると言っています。ですが、そうでなければ、再び日本でドライブする必要があるでしゅう」

    「厳しいですが、彼に同意しています。ジョージ・ラッセル、ランド・ノリス、シャルル・ルクレールのような優れたドライバーであれば、F2で1年しか必要ないと思います。彼らには2~3年は必要ありませんでした」

    現在、角田裕毅はFIA-F2で2勝、3回の表彰台を獲得してランキング3位につけている。それはF2への予想外のステップアップの性質を考えれば、注目に値する結果だ。

    角田裕毅は、マックス・フェルスタッペンと同じようにモータースポーツ界でアイドルはいなかったが、その代わりに競争相手から少しずつ学んでいったと語る。F2の卒業生であるラッセル、ノリス、ルクレールの名前は、アントワーン・ユベールと同様に、ほぼ1時間のインタビューのなかで何度も登場した。

    「彼は僕をより良いドライバーにしてくれました」と角田裕毅はアントワーヌ・ユベールについて語った。

    「すべてのレースで大きなパフォーマンスを発揮する必要があります。それはプレッシャーですが、良いメンタリティでもあります。今年はそれほど悪くはありませんでしたが、今後どうなるか見ていきたいです。僕の夢はF1のワールドチャンピオンになることです。F2で苦労しているようでは、それは実際には難しいでしょう」

    最近、角田裕毅は、イモラ・サーキットでアルファタウリ・ホンダの2年落ちのマシンをテスト。約350kmを走行し、フリー走行限定のF1スーパーライセンスの資格を満たし、シーズン終了までにFP1でアルファタウリ・ホンダのマシンを走らせる可能性がある。また、12月のアブダビGP後にヤス・マリーナ・サーキットで開催される若手ドライバーテストにアルファタウリ・ホンダから参加することが計画されている。

    「ご存知のように、日本のファンは日本人ドライバーがF1に参戦するのを待っています。それはソーシャルメディアから見ることができます。日本からのプレッシャーがありますが、それは悪いプレッシャーではなく、良いプレッシャーです。彼らは日本人F1ドライバーを待っています。そして、僕はそれを達成するために最も近い一人です。彼らのために実現したいと思っています」

  • 角田裕毅 インタビュー(3):「F2への参戦は人生で最大の挑戦だった」

    角田裕毅 インタビュー(3):「F2への参戦は人生で最大の挑戦だった」

    角田裕毅は、今年のFIA-F2は人生で最大の挑戦だったと語る。

    2018年のFIA-F3をランキング9位で終えた角田裕毅は、2019年にFIA-F2にサプライズともいえるステップアップを果たす。英国を拠点とするカーリンで同じレッドブルのジュニアドライバーであるジョハン・ダルバラとチームを組んだ。

    角田裕毅には、FIA-F3でもう1年の経験が必要なのではないかという見方もあったが、それがいかに間違っていたかを証明することになる。

    角田裕毅をFIA-F2にステップアップさせるという決定の背景には、同シリーズが18インチタイヤに切り替えることがあった。これにより、フィールドは平準化され、ルーキーが経験豊富なドライバーと同等になることが期待されていた。それは見逃すことのない機会だと考えられ、そして、裏付けられた。

    「F2は僕の人生で最大の挑戦でした」と角田裕毅は笑顔で語る。

    「でも、F3シーズンの初めよりも強くフィーリングを持ってシーズンに入ることができました。ペースも良く、チームも良かったですね」

    シーズンに先立ち、20歳のち角田裕毅はイギリスのミルトンキーンズに引っ越した。ミルトンキーズンにはレッドブルのファクトリーがあり、サリーを拠点とするカーリンまで車で行ける距離にあった。それは、スイスから英国への移住はまた別のカルチャーショックだったと角田裕毅は語る

    「日本からここに来るのは簡単ではありませんでした」と角田裕毅は続ける。

    「最初にここに引っ越したときは食べ物に苦労しました。僕にとって日本食は本当に美味しいです。ヨーロッパに来たとき、それは同じではありませんでした。日本食が恋しいです」

    「フィッシュ・アンド・チップスが好きですし、サツマイモのウェッジも好きですが、イギリス料理の大ファンではありません。ハモンや生ハムのようなイタリア料理とスペイン料理が大好きですが、僕にとっては日本食が一番です。ソーシャルメディアではいつもラーメンやお寿司の写真を見ていて、食べられないことに少しイライラしています」

    「今シーズンの目標を達成したら、本当に美味しいお寿司を食べたいと思っています。それが僕のお祝いの方法です。お祝いのときの寿司の味は違います。まあまあシーズンを過ごして寿司を食べると、普通の味がします。良いニュースを聞いて寿司を食べると、同じお寿司でも味が違います。本当に美味しいお寿司と本物のラーメンを食べられるように頑張るつもりです」

    だが、本当のターゲットは寿司を食べることではない。角田裕毅は今季F1スーパーライセンスを取得できれば、2021年にアルファタウリ・ホンダでF1デビューするチャンスが与えられることになる。

    「ヘルムート(マルコ/レッドブル モータースポーツアドバイザー)から、今シーズンはうまくやらなければならない、スーパーライセンスを取得するために5位になる必要があると伝えられています」と角田裕毅は説明。

    「彼は僕が5位ならば、F1でドライブする資格があると言っています。ですが、そうでなければ、再び日本でドライブする必要があるでしゅう」

    「厳しいですが、彼に同意しています。ジョージ・ラッセル、ランド・ノリス、シャルル・ルクレールのような優れたドライバーであれば、F2で1年しか必要ないと思います。彼らには2~3年は必要ありませんでした」

    現在、角田裕毅はFIA-F2で2勝、3回の表彰台を獲得してランキング3位につけている。それはF2への予想外のステップアップの性質を考えれば、注目に値する結果だ。

    角田裕毅は、マックス・フェルスタッペンと同じようにモータースポーツ界でアイドルはいなかったが、その代わりに競争相手から少しずつ学んでいったと語る。F2の卒業生であるラッセル、ノリス、ルクレールの名前は、アントワーン・ユベールと同様に、ほぼ1時間のインタビューのなかで何度も登場した。

    「彼は僕をより良いドライバーにしてくれました」と角田裕毅はアントワーヌ・ユベールについて語った。

    「すべてのレースで大きなパフォーマンスを発揮する必要があります。それはプレッシャーですが、良いメンタリティでもあります。今年はそれほど悪くはありませんでしたが、今後どうなるか見ていきたいです。僕の夢はF1のワールドチャンピオンになることです。F2で苦労しているようでは、それは実際には難しいでしょう」

    「ご存知のように、日本のファンは日本人ドライバーがF1に参戦するのを待っています。それはソーシャルメディアから見ることができます。日本からのプレッシャーがありますが、それは悪いプレッシャーではなく、良いプレッシャーです。彼らは日本人F1ドライバーを待っています。そして、僕はそれを達成するために最も近い一人です。彼らのために実現したいと思っています」

  • 角田裕毅 インタビュー(2):転機となったアントワーヌ・ユベールの死

    角田裕毅 インタビュー(2):転機となったアントワーヌ・ユベールの死

    角田裕毅は、2019年のアントワーヌ・ユベールの死がある意味で自身のキャリアのターニングポイントとなったと語る。

    ホンダとレッドブルの育成ドライバー契約を勝ち取った角田裕毅は、2019年にヨーロッパへと活動拠点を移し、イェンツァー・モータースポーツのあるスイスに移住してFIA-F3に参戦する。序盤の結果はある程度の見込みを示したが、シーズン後半の活躍を予測できた人はほとんどいなかった。

    序盤7戦では2回の入賞を果たしたのみだったが、それ以降の7戦では勝利と2つの表彰台を含めて7回の入賞を果たしている。

    「最初は結果についてあまり考えていませんでした。とにかく懸命にプッシュして、どのように進んでいくかを見守っていました」と角田裕毅は語る。

    「2019年のスパは僕にとって本当にターニングポイントでした。その週末、僕たちはアントワーヌ・ユベールを失うという悲劇が起こりました。彼はそれ以降の僕の結果に役割を果たしました。僕は彼から学んでいましたし、彼のためにレースをしました。彼の事故の後のレース2で、僕はそのシーズンで初めて表彰台を獲得しました」

    「その後のモンツァでのラウンドで、もうひとつの表彰台と初勝利を挙げました。それは僕のドライビングパフォーマンスにとって本当にターニングポイントでした。ヘルムートに少し印象を与えることができました」

    ※写真はアントワーヌ・ユベールの母親と話す角田裕毅

    角田裕毅の英語力は、2年近く前にヨーロッパに移住して以降、劇的に上達した。もちろん、日本を恋しく思うと語る角田裕毅だが、元F2レーサーの牧野任祐や福住仁嶺と親しい友人であり、二人とオンラインでゲームをして息抜きをしていると語る。

    フットボールの大ファンである角田裕毅は、常にボールをトラックに持ち込んでいる。かつて日本で地元の人々とフットサルをしていた角田裕毅は、オーストリアでのシーズン第1ラウンドに先立ってバイエルン・ミュンヘンのジャージを購入したことを振り返る。また、今年のバイエルンとパリ・サンジェルマンによるチャンピオンズリーグ決勝戦を観戦している。

    「2つのビッグチームによるビッグマッチでした。ネイマールがいるパリ・サンジェルマンを応援していたのですが、バイエルン・ミュンヘンも好きですし、彼らは本当に強かったです」

    何よりも注目を集めているのはオンライン版のフットボールで、角田裕毅はアメリカ版のFIFAではなく、日本製のPESプレイしている。

    「レースから離れて、それから距離を置くことができる時間ですね」と角田裕毅は説明する。

    「それはレースウィークになると集中することにも役立ちます。友達とPESをよくプレイしています。どのプレーヤーが優れているか、誰を見たらいいかを見つけるのに役立ちますね」

    「たとえば、クリスティアーノ・ロナウドはシュートがとても上手で、リオネル・メッシはドリブルがとても上手です。たくさんプレイしているので、PESプレーヤーのデータにはかなり詳しいですよ…ラヒーム・スターリングは全力疾走とドリブルは得意ですが、シュートは得意ではありません」

    FIA-F3をランキング9位で終えた角田裕毅は、1年でFIA-F2にサプライズともいえる昇格を果たし、イギリスを拠点とするカーリンで同じレッドブルの育成ドライバーであるジョハン・ダルバラと走る契約を結んだ。

    当初はFIA-F3でもう一年走る必要があるかもしれないと考えられた角田裕毅だが、それが間違いであったことを証明する。

  • FIA、ダニール・クビアトのシートベルトの安全上の問題を調査

    FIA、ダニール・クビアトのシートベルトの安全上の問題を調査

    FIA(国際自動車連盟)は、ダニール・クビアトのシートベルトの問題を調査。アルファタウリ・ホンダF1は内部プロセスを変更しており、安全上の問題はないと結論付けた。

    先月のF1ポルトガルGPのレース後にアルファタウリ・ホンダF1のダニール・クビアトのオンボード映像が公開され、そこでクビアトは無線でシートベルトが外れたとチームに不満を述べていた。

    ダニール・クビアトは、最後のピットストップの直後に「ベルトが再び外れている」「安全ではない」とチームに伝えたが、チーム側は残り10周をステイアウトするよう伝えていた

    8月のF1スペインGPでは、スピンしたシャルル・ルクレールがレースを諦めてシートベルトを外したが、エンジンの再始動に成功したため、シートベルトを外した状態でピットまで戻るというインシデントがあった。ルクレールはシートベストを締め直すためにピットインするまで2周を走行していた。

    今回のダニール・クビアトの問題について質問されたFIAの安全責任者であり、F1レースディレクターのマイケル・マシは、アルファタウリ・ホンダF1と話し合いを行い、問題の再発を避けるためにチームのプロセスが変更されたと述べた。

    「議論があった。調査と議論から、彼のシートベルトは元に戻っていなかった。だが、それは使用された用語のひとつだと思っている」とマイケル・マシはコメント。

    「確かにシートベルトは少し緩んでいた。そして、チームはシートベルト周りのプロセスを変更した」

    先週末のF1トルコGPで、ダニール・クビアトは、アルファタウリ・ホンダF1が問題を内部で調査し、修正したと語っていた。

    「僕たちはこの件についてチームで調査しました、理解されたと思う。分析され、修正された。もう起こらないと思う」とダニール・クビアトは語った。

    「もちろん、最高の瞬間ではなかった。でも、僕たちはそれをチーム内にとどめておきたいと思う。問題を解消した。もう起こることはない」

  • 角田裕毅 インタビュー(1):ホンダとレッドブルとの育成ドライバー契約

    角田裕毅 インタビュー(1):ホンダとレッドブルとの育成ドライバー契約

    日本人F1ドライバー誕生への期待がかかっている角田裕毅が、これまでのキャリアを振り返った。

    この数年間は角田裕毅にとって激動のシーズンだった。ヨーロッパに戦いの場を移して2年以内、FIA-F3への挑戦はシングルシーターでの経験がわずか3年でのものあり、サーキットの知識はほとんどなかった。

    ホンダ・フォーミュラ・ドリーム・プロジェクトとレッドブルからのサポートを受け、角田裕毅はFIA-F3のルーキーシーズンの前半は目立たなかったが、新しい大陸とまったく新しいチャンピオンシップに順応していった。

    当時はまだ角田裕毅に何を期待するかを知るのは困難だったが、2年後、彼はFIA-F2のタイトル争いの中心におり、レッドブルの姉妹チームであるアルファタウリ・ホンダF1のシートをめぐる噂の最前線にいる。彼はモータースポーツで最も優秀な若い才能の一人として名を馳せ、大胆で攻撃的でありながら、計算力と賢さを兼ね備えている。身長は160cmとグリッド上で最も背が低いドライバーだが、彼は他のどのドライバーよりも勇気がある。

    神奈川で生まれた角田裕毅は、4歳の若さでゴーカートを始めた。父親から4輪か2輪かを尋ねられたときには躊躇うことなく前者を選んだ。ヨーロッパでは14歳でだが、日本の年齢制限によって彼は16歳になるまでカートに制限された。だが、FIA F4日本選手権にステップアップしてすぐに3位を獲得。この選手権では1位と2位に入れば、ホンダのジュニアチームと契約がご褒美として与えられることになっていた。

    「彼らは1位と2位のドライバーを選ぶことになっていました」と角田裕毅は振り返る。

    「通常、彼らはそうするのですが、それらのドライバーは僕より経験豊富ですでにF4で運転していました。F1でレースをしていた中嶋悟さんが担当し、ホンダに僕とも契約するよう勧めてくれました。最初はまだ公式にはフルのジュニアドライバーではなかったですけどね」

    角田裕毅は日本でFIA F4日本選手権でさらに2シーズンを過ごし、3位、そして、チャンピオンを獲得した。その間、彼はホンダジュニアとして正式に確認された。その結果、ホンダが主催したハンガロリンクでのモトパークでの3日間のテストが行われ、角田裕毅はヨーロッパでのシートを勝ち取った。

    しかし、提供された契約はこれだけではなかった。

    「ヘルムート・マルコは結果を見て、僕をレッドブル・ジュニアにすることに決めました」と角田裕毅は振り返る。

    「あのテストはこれまでの僕の人生で最大の瞬間の1つです。もし、あれがうまくいかなかったら、僕は今いるところにはいなかったでしょう。たぶんまだ日本にいたと思います」

    レッドブルとホンダが角田裕毅をFIA-F3に参戦させたが、グランプリ週末にF1のサポートレースとして行われることは、角田裕毅にとって一か八かの賭けだった。

    「日本では、パフォーマンスと競争力に自信を持っていましたが、これまでヨーロッパでレースをしたことはなく、経験もありませんでした」と角田裕毅は認めた。

    「ヘルムートには、もしレッドブルジュニアになるなら、F3の他のドライバーと競争できなければならないと言われました。同じようなレベルでパフォーマンスを発揮する必要がありましたし、結果を出さなければなりませんでした」

    「他のドライバーとデータを比較することもできたので、ハンガロリンクでのテストには自信がありましたが、実際にはどのトラックでもドライブしたことはありませんでした」

  • レッドブルF1特集:ミナルディがトロロッソに生まれ変わった日

    レッドブルF1特集:ミナルディがトロロッソに生まれ変わった日

    ミナルディの晩年のオーナーであるポール・ストッダートが、現在アルファタウリ・ホンダとして存続しているチームのレッドブルへの売却について語った。

    レッドブルは、2005年にジャガーを買収してレッドブル・レーシングとしてF1に参戦することを決定したが、チームが十分ではなかっため、レッドブルのオーナーであるディートリッヒ・マテシッツは、ミナルディを買収して姉妹チームにすることを決断した。

    何年にもわたってF1には多くの小規模チームが存在してきたが、ミナルディのように一部のファンが今でも愛しているチームは多くない。2005年まで20年の歴史のなかでミナルディは345戦に出場したが、合計ポイントは35ポイントであり、勝利や表彰台を獲得したことはなかった。

    それでも、ミナルディで走ったドライバーには多くの有名人がいる。ジャンカルロ・フィジケラ、マーク・ウェバー、フェルナンド・アロンソ、ヤルノ・トゥルーリを始め、ヨス・フェルスタッペン、ロバート・ドーンボスといったレッドブルF1にゆかりのあるドライバーも走っていた。

    2001年に深刻な経営難に陥っていたチームを買収したポール・ストッダートが、トロロッソにチームが変わる前の最小限の予算でファンの心を掴んできたチームの晩年について語った。

    なぜミナルディという名前が15年経った今でも知られているのかと質問されたポール・ストッダートは「我々は弱者だったからだろう。誰もが弱者を愛している」と語った。

    「私の時代にミナルディの予算がどれくらいだったかはあまり知られていなかった。我々の予算は、ビッグチームに比べて非常に小さかった」

    「たとえば、2002年には年間2800万ドル(約29億円)の予算で仕事していたが、トヨタには自由に使える11億ドル(約1140億円)があった。それでも、その年は彼らを打ち負かした」

    「2002年のオーストラリアでのクレイジーなレースでウェバーが2ポイントを獲得したおかげだった。それは私の人生で最高の日だった」

    ミナルディにはシャンパンがなく、他チームがミナルディにシャンパンを譲った

    「我々は自分たちでシャンパンを持っていなかった。完全な箱を用意する必要はなかった」とその後の数年間でチームを存続させるのに最も苦労したポール・ストッダートは笑う。

    ポール・ストッダートにとって幸運だったのは、チームに何度か救いの手を差し伸べてくれたバーニー・エクレストンがいたことだ。

    だが、請求書は積み重なっていき、ポール・ストッダートはバーニー・エクレストンから必要な金額を尋ねる電話を受けた。ストダートが金額を伝えたとき、バーニー・エクレストンは次のように語ったという。

    「私はあなたのチームの半分を買うつもりだ。私はあなたにそれのためにお金を与え、それから自分の人生を続けていく」とバーニー・エクレストンは語ったとし、ポール・ストッダートはエクレストンは真の紳士であり、これまでF1に参加したなかで最も素晴らしい人物だと翌。

    しばらくの間、ミナルディは生き延びることができたが、大企業(自動車会社)がますますF1に取り組むようになると、ポール・ストッダートはチームを売却しなければならないことを悟った。

    ポール・ストッダートによると、51の“時間の無駄”と言えるオファーがあったという。そこに現れたのが2つ目のチームを構想していたディートリッヒ・マテシッツだった。

    「契約は2005年のトルコで成立した」とポール・ストッダートは続ける。

    「バーニーが私を彼のモーターホームに呼び、ディートリッヒもそこにいた。バーニーは彼に『2つのチームを持つことはあなたに多くの利益を与えるので、あなたはミナルディを買うべきだ』と言った」

    「1か月後のスパですべてが成立した。その後、マテシッツ氏はシャンパンを飲まず、契約を祝うためにレッドブルしか飲まないだろう言われた。そのとき自分が言ったことを覚えている。『このエナジードリンクはエイリアンの小便のような味がする』とね。『ポール、あなたが得たお金のために私は飲んでいるんだ』と言われて、私も飲んだがね」

    ポール・ストッダートは、チームの売却でどれだけの手に入れたかを明らかにしなかったが、売却後、チームは多くの才能を生み出した。過去10年にわたってセバスチャン・ベッテル、マックス・フェルスタッペン、ダニエル・リカルド、カルロス・サインツ、ピエール・ガスリーといった多くのドライバーがイタリアのチームで走った。

    2008年のセバスチャン・ベッテル、そして、今年9月のピエール・ガスリーの勝利は、アルファタウリをまだミナルディと呼ぶポール・ストッダートに笑顔をもたらした。

    「チームが勝利や表彰台を達成したとき、チームはまだ私の一部、私のDNAの一部のように感じた。十分なお金を持っていたか? ノーだ。それを使い果してしまったか? そうだね。だが、我々はそのために懸命に戦わなければならなかった」