フェラーリF1 アロンソに伏せてベッテル獲得交渉「不公平な交渉だった」

フェラーリF1 アロンソに伏せてベッテル獲得交渉「不公平な交渉だった」

フェルナンド・アロンソが2014年限りでフェラーリを離れた舞台裏には、当時本人が知らされていなかった重要な動きがあったという。アロンソが自身の将来についてフェラーリと交渉を続けていた一方で、マラネロではすでにセバスチャン・ベッテル獲得に向けた動きが進んでいたと、F1ジャーナリストのマーク・ヒューズが明かした。

2010年から2014年までフェラーリのエースを務めたアロンソは、2010年と2012年に最終戦までF1ワールドチャンピオン争いを繰り広げた。

しかし、タイトルには届かず、両者の関係は次第に悪化。最終的にアロンソは2014年末にチームを離れ、翌2015年からマクラーレン・ホンダへ移籍した。

アロンソが知らなかったベッテルとの交渉
ヒューズがポッドキャスト『F1 Rewind』で語ったところによれば、2014年のアロンソとフェラーリの交渉は、双方が同じ情報を持った状態で行われていたわけではなかった。

当時、アロンソには2016年までフェラーリとの契約が残っていた。一方で、自身の将来を見据えてメルセデスやマクラーレン・ホンダとも交渉を進めていたという。

アロンソ自身はフェラーリとの交渉において有利な立場にいると考えていた。

「アロンソは、自分が非常に有利な立場にいると思っていた。自分こそがフェラーリの中心人物だと考えていた」とヒューズは説明する。

しかし、その裏側では別の動きが進んでいた。

当時レッドブルで4年連続F1ワールドチャンピオンとなっていたベッテルには、一定の条件を満たせば契約を解除できる条項が存在していた。2014年、レッドブルは新たなパワーユニット規則への対応で苦戦し、ベッテル自身も新加入のダニエル・リカルドに後れを取っていた。

ベッテルがレッドブルを離れる可能性が生まれると、フェラーリは獲得へ向けて動き始めた。

だが、ヒューズによれば、アロンソはベッテルの契約解除条項についても、フェラーリがベッテルと交渉していることについても知らされていなかった。

「状況は常に変化していた。フェラーリは何が起きているのかを知っていたが、アロンソは知らなかった。だから、本当に不公平な交渉だった」

「フェルナンドは自分がすべての情報を持っていると思っていた。でも、実際にはそうではなかった」

フェラーリにはアロンソへ知らせる義務があった?
さらにヒューズは、フェラーリとアロンソの契約には、チームが他のドライバーと交渉する場合、それをアロンソ側へ知らせることを求める条項が存在していたと主張している。

これが事実であれば、フェラーリがベッテルとの交渉をアロンソに伏せていたことには、契約上の問題があった可能性も出てくる。

ただし、ヒューズによれば、フェラーリ側にもアロンソを完全に手放すと決断できない事情があった。

ベッテルがレッドブルとの契約解除条項を実際に行使できるかどうかが、まだ確定していなかったからだ。

「起こり得たのは、セバスチャンが契約解除条項を発動しない、あるいは発動できる状況にならないことだった。その場合、フェラーリにはアロンソに残ってもらう必要があった」

つまりフェラーリは、ベッテル獲得の可能性を探りながら、もし交渉が成立しなかった場合に備えてアロンソを残す選択肢も維持していたというのがヒューズの説明だ。

アロンソから見ればフェラーリとの将来を巡る交渉だったが、フェラーリ側から見れば、ベッテル獲得の成否を見極めながら進める二重の交渉だったことになる。

ミハエル・シューマッハがベッテル獲得を推薦
ベッテルのフェラーリ加入には、ミハエル・シューマッハも間接的に関わっていたという。

シューマッハとベッテルは親しい関係にあり、ヒューズによれば、シューマッハは当時フェラーリ会長だったルカ・ディ・モンテゼーモロにベッテル獲得を推薦していた。

「ルカをその気にさせるのに、それほど説得は必要なかった」とヒューズは振り返る。

重要なのは、その動きが2014年になって突然始まったものではなかったとされている点だ。

ヒューズの説明では、シューマッハからモンテゼーモロへの推薦を含め、ベッテルを将来のフェラーリドライバーとして迎える構想は2013年の段階ですでに存在していたという。

つまり、フェラーリが2014年の新F1パワーユニット規則への対応に苦戦したことだけが、アロンソからベッテルへの交代を決定づけたわけではない可能性がある。

フェルナンド・アロンソ(スクーデリア・フェラーリ)

関係悪化の始まりは2010年アブダビGP
アロンソとフェラーリの関係が決定的に悪化するまでには、数年間にわたる積み重ねがあった。

ヒューズが大きな転換点として挙げたのが、2010年F1最終戦アブダビGPだ。

アロンソはフェラーリ加入初年度からタイトル争いを展開し、ポイントリーダーとして最終戦を迎えた。しかし、決勝ではフェラーリの戦略が裏目に出て、ルノーのヴィタリー・ペトロフを抜けないまま7位でフィニッシュ。ベッテルに逆転され、3度目のF1ワールドチャンピオン獲得を逃した。

ヒューズによれば、この敗戦を境にフェラーリとアロンソの関係性は変わり始めたという。

「ほとんどすべてが、その瞬間から壊れていった。それ以降、うまくいかなければチームの責任で、うまくいけばフェルナンドのおかげ、という構図になった」

ヒューズは当時、モンテゼーモロ本人からも同様の不満を聞いていたと明かしている。

「彼は基本的にこう言っていた。アロンソは素晴らしいドライバーだが、うまくいったときは『アロンソだから』で、うまくいかなかったときは『チームのせい』になると感じていた」

2010年のタイトル逸失だけで両者の関係が破綻したわけではない。しかし、その後もフェラーリはアロンソが望むだけの競争力を持つマシンを用意できず、不満が蓄積していった。

2014年に決着 アロンソ離脱とベッテル加入
2014年にはF1がV6ターボ・ハイブリッド時代へ移行したが、フェラーリはメルセデスに大きく後れを取った。

一方のレッドブルも、それまでの圧倒的な優位を失い、4連覇王者だったベッテルはチームメイトのリカルドに苦戦した。

その状況下でベッテルはレッドブル離脱を決断。フェラーリはアロンソとの契約を予定より早く終了させ、ベッテルをキミ・ライコネンのチームメイトとして2015年から迎え入れた。

アロンソはマクラーレンへ移籍し、ホンダがF1にパワーユニットサプライヤーとして復帰する新プロジェクトに参加した。

結果だけを見れば、アロンソがフェラーリに見切りをつけ、ベッテルがその後任として加入したというドライバー交代だった。

しかしヒューズの証言を踏まえると、その過程はより複雑だったことになる。

フェラーリはベッテルという次の選択肢を水面下で確保しようとしながら、その交渉が成立しなかった場合に備えてアロンソ残留の可能性も維持していた。一方のアロンソは、その重要な情報を知らないまま自身の将来を巡る交渉を進めていたとされる。

2014年末の離別は一つのシーズンの不振によって突然決まったものではなく、2010年アブダビGPを起点とする関係悪化と、2013年頃から進んでいたとされるベッテル獲得構想が重なった末の結末だったというのが、今回ヒューズが明かした内幕である。