ジャック・ヴィルヌーヴ ウィリアムズF1時代の“小技”を告白「僕だけ1枚パドル」

ジャック・ヴィルヌーヴ ウィリアムズF1時代の“小技”を告白「僕だけ1枚パドル」

1997年のF1ワールドチャンピオン、ジャック・ヴィルヌーヴが、ウィリアムズ時代に自身の要望でマシンへ取り入れられた数々の“小技”を明かした。

インディカーからF1へ転向したヴィルヌーヴは、アメリカで培ったアイデアをウィリアムズへ持ち込み、極端に短いストロークのアクセルペダルや独自の1枚式シフトパドル、さらにはレースエンジニアをスタート時の“スポッター”として活用するなど、当時のF1では珍しい工夫を実践していた。

アクセルのストロークはわずか18~20mm
1995年にインディカーのタイトルを獲得したヴィルヌーヴは、翌1996年にウィリアムズからF1デビュー。ルーキーイヤーからタイトル争いを演じ、1997年にはワールドチャンピオンに輝いた。

F1公式ポッドキャスト『Beyond The Grid』に出演したヴィルヌーヴは、当時のマシンに施していた独自の工夫について振り返った。

そのひとつが、極端に短いアクセルペダルのストロークだった。

「シーズンによって違ったけど、つま先のところで20mmか18mmだった」

ヴィルヌーヴは、その感覚をコンピューターのマウスに例えて説明する。

「小さな動きなら、狙ったところへすごく速く、正確に到達できる。それはペダルでも同じなんだ」

「ストロークが短いと、どれだけ動かすかというより、どれだけ圧力をかけるかになる。それに脚全体を動かす必要もない。足を少し動かすだけだから、よりコントロールしやすかった」

F1で「誰も」真似しなかった1枚式シフトパドル
さらに特徴的だったのが、ステアリング裏側のシフトパドルだった。

「もうひとつ他と違っていたのは、2枚ではなく1枚のシフトパドルしか使っていなかったことだ。アップシフトもダウンシフトも同じパドルだった」

「押せばアップシフト、引けばダウンシフトだった」

現在では左右のパドルを使い分ける方式が一般的だが、ヴィルヌーヴのシステムでは1枚のパドルを前後に操作して変速していた。

「それならパドルをつかむためにステアリングから手を離す必要がない。高いGがかかっているコーナリング中でもシフトできるし、ホイールスピンしたときにも素早く反応できた」

ヴィルヌーヴによれば、当時のF1グリッドでこの1枚パドル方式を採用したドライバーは「誰もいなかった」という。

脚を支える“羽根”もヴィルヌーヴの要求
独自のアイデアはそれだけではなかった。

「そういう小さな工夫をたくさん考えていた。例えばペダルのところに付けたフラップだ。脚が動かないように支えるもので、僕たちが最初にやった」

導入を求めた理由は、コーナリング中に脚を支えるため余計な体力を使っていたからだった。

「僕は『聞いてくれ。ドライビングする代わりに、脚を支えるためにエネルギーの半分を使っている』と言った。それで取り付けてもらった。効果があったよ。それにクラッシュしたときに足を骨折するのを防ぐことにもつながった」

さらに、ステアリングのグリップや調整可能なフロントウイングなども導入したという。

「本当にいろいろな小さなものがあった。ステアリングのグリップ、調整可能なフロントウイング。こういうものはインディカーから持ち込んだアイデアだった」

レースエンジニアを“スポッター”として活用
インディカーでの経験が生かされたのは、マシンの装備だけではなかった。無線の使い方もそのひとつだった。

ヴィルヌーヴを担当していたレースエンジニアのジョック・クリアは、スタート直後にインディカーの“スポッター”に近い役割を担っていたという。

「無線でのコミュニケーションもそうだった。スタートではジョックがよくターン1までスポッターのような役割をしていた」

「テレビを見ながら、どこにトラフィックがいるのかをリアルタイムで僕に教えてくれたんだ」

「これは全部、僕がアメリカから持ってきたものだった」

インディカーなどのアメリカンモータースポーツでは、コース上の状況をドライバーへ伝えるスポッターの存在が一般的だ。ヴィルヌーヴは、その考え方をF1のスタートにも持ち込んでいた。

ウィリアムズの素早い対応を称賛
こうした装備のすべてが1996年のF1デビュー戦、オーストラリアGPまでに完成していたわけではない。

「シフトパドルは後からだった」

「徐々に進めていった。でも快適性に関するものやペダルのフラップなんかは、9000kmも走れば考える時間は十分にある」

ヴィルヌーヴは、要望をマシンへ反映する当時のウィリアムズの対応力を高く評価している。

「ウィリアムズは反応がすごく速かった。それは素晴らしかったよ」

ヴィルヌーヴはウィリアムズで3シーズンを戦った後、1999年にBARへ移籍。その後はルノー、ザウバー、BMWザウバーでF1を戦い、2006年ドイツGPが最後のグランプリ出走となった。

インディカーからF1へ持ち込んだのはドライビング経験だけではなかった。ペダルからシフトパドル、無線の使い方に至るまで、ヴィルヌーヴの発想を素早く形にできた当時のウィリアムズの柔軟性も、デビュー直後から彼がトップ争いを演じることができた背景のひとつだった。