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  • ロン・デニス、アイルトン・セナとの思い出を語る

    ロン・デニス、アイルトン・セナとの思い出を語る

    アイルトン・セナのマクラーレン時代のボス、ロン・デニスが、アイルトン・セナとの思い出を語った。

    ロン・デニスは、1987年の夏にアイルトン・セナと契約し、セナが1993年末にチームを離れるまで密接に働いた。アイルトン・セナは、マクラーレンで96回グランプリを走り、35勝を挙げ、3度のワールドチャンピオンを獲得した。

    ロン、まずどのようにマクラーレンとアイルトンは契約を結んだのですか?
    アイルトンが探りを入れてきたんだ。彼はチームが競争的だと思っていた。彼はチームに加わりたいと思っていることをはっきり示していた。彼はロータスで3シーズン目を迎えており、ホンダエンジンはますます魅力的になっていた。それらのことがみんなの考えの中にあったのは非常に明白だった。彼の方から会いたいと言ってきた。彼はそのときイーシャーの賃貸住宅に住んでいて、我々のいるウォーキングとはそれほど離れてはいなかったので、大半は彼の自宅で打ち合わせをしていた。契約交渉が結論に近づき、我々は金額についての話し始めた。彼にはクルマに乗る以外の選択肢はなかったし、我々にとっても彼と契約をしないなどということは考えられなかった。だが、我々は金額について合意に達することができなかた。我々は50万ドルについて議論していた。それで私がコインをはじいて決定するというアイデアを出した。だが、当時アイルトンは英語がそれほどうまくなかったので、詳細について5分間の話し合いがあったよ。紙切れに絵を描いて説明しなければならなかった。とにかく前進させたかったんだ。そして、コインが空中に投げられ、スピンした。床に落ちたとたんにロケットみたいに飛んでいってしまったんだ! カーテンの下でカタカタと音を立てているのが聞こえたよ。私がカーテンを引くと、私が賭けに勝っていたよ!その時点では、我々はどちらも3年契約をコインを投げて決めたということに気付いていなかった。結果として合計では150万ドルの契約となっていたんだ。お金の価値を軽視するものだと言われたこともあった。だが、まったくそのようなものではなかった。あれは話し合いの行き詰まりを解決する唯一の手段だった。

    マクラーレンが全16戦中15勝を飾った1988年は素晴らしい記憶ですか?
    クルマがとても遅れていた。かなり遅れていた。あまりにも遅れ過ぎており、『見てください。イモラ・サーキットでの最終テストを逃すことになるでしょう』と言われたよ。そこで私は上着を脱ぎ、下へ降り、白いコートを着て全員に『このクルマは絶対にイモラへ行く!』と伝えた。私が全体の指揮を執り始めてから数時間以内に2〜3人のシニアスタッフがやってきて、私の言いたいことはわかったと伝えてきたよ。だが、とにかく遅れていた。全員を2〜3日はファクトリーに缶詰めにするしかないと思った。そして、我々は最終テストにクルマを間に合わせることができた。誰がクルマを最初に運転したかよく覚えていない。おそらくアランだったと思うが、3回目のアタックラップのときにライバルたちよりも1.5秒くらい速かった。あのときは信じられない瞬間だった。まるで映画のスローモーションのシーンのように誰もがお互いに顔を見合わせながら、なぜこんなことが起きたんだと自問していたよ。

    1998年のモナコでのアイルトンのパフォーマンスは覚えていますか?
    彼のポルティエでのクラッシュは集中力が切れた結果だった。彼をスローダウンさせようとしていたが、レーシングカーのスピードを緩めると、集中力も失ってしまうものだ。あのときもそれが起こってしまった。それだけのことだ。彼はとても怒っていたし、ピットに戻ってこなかった。彼はそのまま歩いてサーキットを立ち去り、自分のアパートに戻って座り込んでいたよ。彼はその夜遅くまで姿を現さなかったし、そのとき彼は自分自身に対してかなり怒っていたね…

    1989年のイモラでは、アイルトンがレース前の約束を破ったとアランが訴えていましたが、何があったのですか?
    彼らはお互いに信頼関係を壊した。彼らの両方にその責任がある。彼らは何度もお互いを非難し、それが公にも知られることになってしまった。二人の間には相当な緊張感と怒りがあった。その後、彼らはウェールズのペンブレイと呼ばれるサーキットでテストを行った。私はヘリコプターでそこに降り立ち、サーキットの脇に停めてあった小さな連結バスの中に彼らを座らせた。私は逃げ腰な人間ではないし、彼らには私が悪者だと思わせなくてはならないという気持ちだった。もし、彼らが私に対して敵対的になれば、彼らがお互いに敵対することはないだろうと感じていた。デリケートなことだったし、うまくやるのは簡単ではなかった。だが、彼らは二人は素直ではないという点では完全に五分五分だったよ。彼らは利用できるものはすべて利用しようとした。自分たちの国のメディアを煽ったり、ホンダのところへも行ったりと、ありとあらゆることをやっていた。

    アランが去ったあと、ゲルハルト・ベルガーはアイルトンにどのような影響を与えましたか?
    ゲルハルトは、チームにユーモアを持ち込んでくれた。彼は場を和ませる名人だった。彼には際限というものがなかった。ゲルハルトには限度というものがあんかった。本当に限度がなかった。まさに危険スレスレのことまでやるようになった。我々がハミルトンでダイビングをしていたときにある出来事があった。かなり深くまで潜っていたときにゲルハルトが私の酸素ボンベのスイッチを切ってしまったんだ! 彼は愉快に思っていたようだがね! また、同じ旅行で、彼らが私を海に放り投げて、サメが襲ってくるかどうか見るために海に餌をまき始めたんだ! 今になれば笑い話だが、あのときは笑える状況じゃなかったよ・・・!

    最も大切なアイルトンとの記憶は?
    あるとき彼が私に封筒をくれた。まだ自宅にとってある。彼は自分専用の文房具を使っていて、そこには自分のヘルメットが描かれていた。すでに封筒は開封されているが、彼が私にそれを渡したときには1万ドルが入っていた。それはメキシコで私が皿いっぱいのチリを食べられるかどうかという賭けをしたときの支払いだった。彼がその賭けを撤回する前に、私はチリをガツガツと平らげてしまっていた。彼が賭けに負けたのはあれが4回目くらいだった。しかも、かなりの大きな賭けにね。彼は私に金の入った封筒を渡しながら、もう二度と賭けはしないと言っていたのを思い出す。彼を賭けに誘い込んだのは私だったが、あまり良い行為ではなかったね!あれは良い思い出だ。なぜならアイルトンの顔全体に微笑を浮かばせることは簡単なことではなかったからね。だが、彼にお金を払わせることの方がもっと難しかったよ。

    1990年の鈴鹿での事故については覚えていますね。あれはアイルトンのキャリアのなかで最も論争の的となる事件のひとつでした・・・
    全てのタイヤ跡を見て回ったことを覚えている。ブレーキやアクセルペダルを踏んだときのね。そして、何が起こったかを理解するのにアインシュタインになる必要はなかった。彼がガレージに戻ってきたとき、私は彼に失望したと伝えた。彼もその意味がわかっていた。それ以上は何も言わなかった。あれは彼がレースで自分の弱さを見せた数少ない場面のひとつだった。彼があの行為に満足していたとは思っていない。

    1993年はアイルトンのマクラーレンでの最後のシーズンとなりました。驚くべきクルマ、MP4/8での素晴らしいパフォーマンスについての思い出は?
    1年が始めに、彼をブラジルから出てこさせようとしていたんだ。『金のことは心配するな、とにかく来てクルマを試してみろ』と伝えた。彼は『フォードエンジンで勝てるわけがない。走りたくない』と言っていた。それからの会話は行ったり来たりだった。最終的に、彼はシルバーストンに到着し、クルマに乗り込み、一度アタックラップを行った。そして、彼はピットへと戻ってきた。彼がシートベルトをはずしてクルマから飛び降りたとき、私はちょうと無線にプラグを差し込もうとしていたときだった。何が起こったのか不思議に思った私はモーターホームへと入っていった。そうしたら彼は『オーライ。このエンジンは素晴らしい。スロットルを開けると進み続ける。これで勝てるよ!』と言っていたよ。あのクルマは疑いなく、それまで作った最高のクルマの一台だった。圧倒的だったし、インテリジェントなクルマだった。どこでギアを変えるべきかがわかった。すべてのコーナーで8回もサスペンションをリセットすることができた。アイルトンは、その新しいオモチャに大喜びだったよ。あのクルマは彼の強みを発揮させた。彼はすべてのデータを入念に調べ上げ、クルマを最適化していた。

    その年のドニントンでのヨーロッパGPについて覚えていますか?あれはアイルトンのこれまでで最も素晴らしいパフォーマンスのひとつでしたね・・・
    それまでで最高のチームレースだった。もちろん、アイルトンの功績は大きいが、チームもすべてを適切にこなした。他チームが失敗する中で、我々はすべてのピットストップのタイミングを的確に判断していた。我々が正しい判断をするたびに、我々はさらに前進し、彼らが間違った判断をするたびに彼らは後退していった。あのレースは素晴らしい愛情とともに覚えている。驚異的なレースだったし、とても楽しかった。

    アイルトンのマクラーレンとの最後のレース、勝利についてはいかがですか?
    最後のレース(1993年の最終戦オーストラリアGP)を迎えたとき、私は我々がお互いに少し息抜きをすることが必要だったんだと思う。私たちの関係は非常に張りつめたものになっていた。チームのみんなが感情的になっていた。私は彼らに『私は彼にここにとどまらせようとしているんだ。頼むから穏やかにしていてくれ』と言った。彼はうろうろしていたし、本当に戸惑っていた。だが、彼は忠実な男だったし、私に『いいかい、僕は契約書にサインしたし、コミットメントしている』と言っていた。レース後の夜でさえ、彼はまだ迷っているようだった。私にはアイルトンが忠誠心と格闘しているのが見てとれた。我々はプジョーエンジンで悲惨な経験をすることになったが、あの時点では彼に1994年からプジョーのファクトリーエンジンを手に入れられると伝えていた。それは彼が去った後だったがね。彼は私に、もし私がその契約を2か月前に結んでいたならチームに残っただろうと言っていた。彼はファクトリーエンジンなしでは勝つことはできないと考えていたんだ。

    なぜ多くの人々はアイルトンを最も偉大だと考えるのでしょう?
    それは、彼が生きている間ずっと非常にとても良かったからだと思う。彼が事故で命を落としたという事実をポジティブに受け取ることはできない。だが、そのことで彼の力が衰えていくところは見ずにすんだ。F1に長くとどまりすぎて名声を曇らせてしまったドライバーもたくさんいる。それに、彼は信じられないほどの競争的だったことからも記憶に残っているのだと思う。彼は偉大だった。だが、彼は人間としても素晴らしかったよ。彼はその人生でいくつかの過ちも犯した。だが、彼は信じられないほどの信念を持っていた。そして、彼はいい人間だった。

  • ロン・デニス、クリスチャン・ホーナーの態度を非難

    ロン・デニス、クリスチャン・ホーナーの態度を非難

    マクラーレンのロン・デニスは、契約したはずの従業員を奪われた格好となったレッドブルに対するプレッシャーを継続している。

    マクラーレンは、レッドブルからダン・ファローズを引き抜きを試み、3月の勤務開始を予定して昨年9月に契約を締結していた。

    しかし、レッドブルは今月初めにダン・ファローズが空力責任者に昇格するというプレスリリースを発行。他チームと契約があったことについては触れられていなかった。

    マクラーレンはこれにすぐさま反応。ロン・デニスはこの一件を高等裁判所に持ち込む意向を示している。

    ロン・デニスは「彼はすでに我々の雇用のオファーを受け入れ、それを認める契約に調印していた。そのような形で心を変える合法的な権利を持ち合わせていない」と主張。

    ロン・デニスによると、ダン・ファローズは、電話やテキスト、メールなどの連絡に一切応じなかったという。

    法廷での争いについて問われたレッドブルのチーム代表クリスチャン・ホーナーは「ロンは私に電話してくれた方がよかったのではないか」と述べた。

    これを発言を受けたロン・デニスは、クリスチャン・ホーナーの態度を“やや意味深い”と表現し、次のように述べた。

    「我々は、2週間以上前にクリスチャン・ホーナーに対してダン・ファローズの所在を問うメールを公式に送信している。つまり、彼が“なぜロンは電話をくれなかったのだ?”というのはちょっと意味深いのではないかと思う」

    「ポイントは、ダン・ファローズが法的に拘束力のある契約をマクラーレンと交わしていたということだ。レッドブルはそれを無視し、レッドブルに戻るよう彼を説得することを選んだ」

    また、ロン・デニスは「このスポーツには厳守しなければならない様々なテクニカルレギュレーションがあるが、人生においても規則はある。それは法律と呼ばれ、守らなければならない。我々は適切かつ専門的な方法で契約したにもかかわらず、その契約が軽視され、無視されたことに満足していない」と Sky Sports F1 に述べた。

    今週伝えられた報道によれば、チームを追われた元チーム代表のマーティン・ウィットマーシュが契約をまとめたことが示唆されており、クリスチャン・ホーナーは、ダン・ファローズがすでにマクラーレンに在籍していない人々と契約をかわしたと述べた。

    「その人が望まないところで働くことを強制することはできない。彼はダン・ファローズについて言っているのだと思うが、彼はもはやマクラーレンにいない人と契約の調印を行っていた。ロンがしたことではない。彼にとっては過去のことだ」

    しかし、誰と契約を交わしたのであれ、法的に拘束力のあるものである。

    ダン・ファローズがマーティン・ウィットマーシュとの契約に調印していたのかと質問されたロン・デニスは「いいや、まったくそのようなことはない」とコメント。

    「実際、マーティンがサインしたものではない。うちのマネジャーの一人だった。結局のところ契約は契約だ。私がとりわけ不快に思うのは、自分の考えを変えず、他の人に考えを変えるよう説得し、契約違反を犯していることだ」

    「間違っているし、生きていく上で正しい道ではない。無視したり、何かしたりすることはできない。あらゆる法律と同じで、誰にでも真実を見いだすメカニズムがある」

    「連絡しようとすべきなのはクリスチャンの方だ。我々は彼らが契約のあることを知っていたことを確かめるためにあらゆることをやった。メッセージを送ったが、彼らは無視した。我々全員が勝つためにここにいる。ただ、勝つ方法というものがある。それがグランプリであろうと、人々が関わったりプロセスを含んだりするかどうかに関わらず、私はマクラーレンのやり方で勝ちたい」

    「私のドアは開けてあるし、私は年中無休のタイプだ。そうやって仕事を成し遂げている。彼は私の携帯番号を知っているし、いつ電話してきてくれて構わない」

    関連:マクラーレン、ダン・ファローズの移籍問題でレッドブルを提訴へ

  • ロン・デニス 「マクラーレンは勝利しなければならない」

    ロン・デニス 「マクラーレンは勝利しなければならない」

    ロン・デニスは、2014年にマクラーレンは少なくとも1勝はしなければならないとの述べた。

    マクラーレンは、2013年に一度も表彰台に上がることができず、ロン・デニスはチームのマネジメントに復帰。

    早速、ロン・デニスはチーム改革に乗り出し、ロータスからエリック・ブーリエを引き抜いた。

    メルセデスとの実力差は鮮明になっているが、ロン・デニスは、マクラーレンの目的は1つしかないと明言する。

    「シーズン後半にはレースで勝てるようになる」とロン・デニスはコメント。

    「勝てる状態でシーズンを終えなければならないし、直線的な進行を望む。それが我々の目的でなければならない」

    「今すぐに勝つのは無理だ。実際、F1はそれほどサイクルの速いスポーツではなくなった。以前は冬の区切りが非常にはっきりしていた。今は連続的だ。そのため、こちらにレギュレーション変更のアドバンテージがない場合、すぐにでも競争力をつけなければならない。そうしてみせる!」

    ロン・デニスは、マクラーレンの流れを変えることに専念しており、失敗を何よりも恐れていると述べた。

    「人は、思い、野心によってモチベーションを得なければならない。私は死ぬまで野心を持ち続ける。野心と活力を決して失わない」

    「モータースポーツがなくても生きられるか? それはもちろん可能だ。しかし、今はマクラーレン未来のを導き、形成し、創造するというチャレンジを選んだ」

    「自分が審判を受けることはわかっている。最も恐ろしいのは失敗だ。私は失敗したくない。そのつもりもない。私が追求するパーフェクションを達成できなかったとしても、努力不足でそうなることは決してあり得ない」

    「私は完全主義者であり、社内の誰よりも自分を追い込んでいる。彼らがこの“成熟した”私についてくることができないのなら、その結果を受け入れなければならないだろう」

  • ロス・ブラウン、マクラーレンのチーム代表に就任?

    ロス・ブラウン、マクラーレンのチーム代表に就任?

    ロス・ブラウンがマクラーレンのチーム代表に就任するとの噂が広がっている。

    ロス・ブラウンは、昨シーズン末にメルセデスのチーム代表を辞任。「来年早々から釣り旅行を始める。時間が経たないとF1に戻るかどうかわからない」と述べていた。

    しかし、今週ロン・デニスがマクラーレンのCEOに復帰し、F1チームを管理することが発表され、マクラーレンのチーム体制に変化が予想されている。

    そのひとつは、チーム代表のマーティン・ウィットマーシュの辞任とみられている。

    マクラーレンは、2013年に一度も表彰台を獲得できず、マーティン・ウィットマーシュの立場は危うくなっている。

    Telegraph Sport は、来月、チームのリーダーシップについてさらなる発表があるだろう」とロス・ブラウンのチーム代表就任を推測している。

    同紙は「マクラーレンは報道を否定していない」が、「メディアの憶測についてコメントすることはない」と付け加えた。

  • ロン・デニス、マクラーレンのCEOに復帰

    ロン・デニス、マクラーレンのCEOに復帰

    ロン・デニスは、マクラーレン・グループCEOの座をマーティン・ウィットマーシュから引き継いだことを発表。2014年シーズンにむけてより多くの組織変更の可能性を示唆した。

    ロン・デニスは、1982年から2012年までCEOを務めており、2013年からはマクラーレン・グループの会長に退いていたが、今回マーティン・ウィットマーシュから両方の役割を引き継ぎ、会長兼CEOを務める。

    「私の仲間の株主は、トラック内外でのパフォーマンスを始め、マクラーレンの物語の新たなエキサイティングな章を書くように私に命じた」とロン・デニスは述べた。

    「今後数週間にわたり、我々の各ビジネスを徹底的かつ客観的に調査していく。既存の活動のあらゆる側面を最適化して我々のテクノロジーを利用する新しい成長分野を確認し、必要に応じてさらに投資していく」

    ロン・デニスは、来月新しいグループ戦略を発表する予定であり、それを実現するために最適な組織構造を実施していくと付け加えた。

    「グループのCEOという役割に戻り、我々がやることは何であっても勝つという我々の目的を果たすために多くの同僚や株主と働いていくことに興奮している」

    マクラーレンは、2015年からホンダとパートナーシップを組み、“マクラーレン・ホンダ”がF1に復活する。

  • ロン・デニス 「勝利のためならフェルナンド・アロンソ復帰も阻まない」

    ロン・デニス 「勝利のためならフェルナンド・アロンソ復帰も阻まない」

    マクラーレンの会長ロン・デニスは、勝利のためであれば、当時の関係は良好ではなかったフェルナンド・アロンソのマクラーレン復帰も阻むことはないと述べた。

    フェルナンド・アロンソは、2007年にマクラーレンへ移籍したが、わずか1年でロン・デニスと仲違いしてチームを去った。当時チームメイトだったルイス・ハミルトンがフェルナンド・アロンソとタイトル争いを演じたことで問題は起因し、フェルナンド・アロンソが“スパイゲート”スキャンダルに関連する情報を持ってFIAに行くと脅したとも言われている。

    2016年にフェラーリとの契約が期限を迎えるフェルナンド・アロンソは、公にはより長く留まる可能性があると述べているが、今年はマクラーレン復帰の噂が浮上した。

    ロン・デニスは、それがマクラーレンの競争力を上げるのであればフェルナンド・アロンソをフェラーリから引き抜く動きをブロックすることはないと BBC Sport に述べた。

    「どんなグランプリチームであれ、一番の目的はレースで勝利することであることは認識しなければならない。エンジニアリングの問題、財務面、もしくは人的問題など、勝利を望むチームと勝利との間に横たわるいかなる障害も解決しなければ。絶対などということはない」

    今年、フェルナンド・アロンソとフェラーリの関係に問題があるのではないかとの説が浮上し、バーニー・エクレストンもシーズンレビューで「私はフェルナンドに若干落胆した。なぜなら、私は彼とフェラーリのビッグサポーターだからだ」と述べている。

    「彼は少し諦めてしまったのではないかと思う。それは彼が他のチームを探していたことの証だ」

    だが、フェラーリのルカ・ディ・モンテゼモーロ会長は、先週末に開催されたチームのクリスマスランチであらゆる亀裂を修復しようと試みた。

    「私は彼にしばしば訪れたフラストレーションを理解できる。それは我々全員がシェアするものだ。だが、彼はフェラーリが表すものを良くわかっていると確信しているし、それ故、彼はさらにベストを尽くしてくれると思っている」

  • ロン・デニス、マクラーレンでの復権を画策?

    ロン・デニス、マクラーレンでの復権を画策?

    マクラーレンの元チーム代表ロン・デニスが、マクラーレンをコントロールを取り戻すための動きを具体化していると報じられている。

    今年、マクラーレンは最悪のシーズンのひとつを過ごしており、チーム代表のマーティン・ウィットマーシュのポジションも安泰とは言えないかもしれない。

    今週、Sky のビジネスリポーターを務めるマーク・クラインマンは、ロン・デニスが、マクラーレンの共同所有者であるマンスール・オジェの25%の株式を買い取ることで力を強めることを検討していると報じた。

    また、マクラーレン・グループの25%の株式を保有するロン・デニスは、バーレーンを拠点とする政府系投資ファンドであるマムタラカトが保有するの残りの50%の一部の買収にも興味を示しているといる。

    専門家は、マクラーレン・グループの25%の株式を得るには、約1億5000万ユーロ(約209億円)が必要だと予測している。

    マーク・クラインマンは「デニス氏は、チームの現在のパフォーマンスに苦悩しているといわれている」としべ、マーティン・ウィットマーシュとの権力闘争に発展するかもしれないと述べた。

    また、マーク・クラインマンは、ロン・デニスが、取引のための融資を取り付けるために中国に目を向けている可能性があると付け加えた。

    ロン・デニスは今週、デーヴィッド・キャメロン英国首相の代表団に加わった。

    「マクラーレンのグローバルなビジョンにとって中国以上に重要な国はない」とロン・デニスは声明で述べた。

    だが、マクラーレンのスポークスマンは、マーク・クラインマンの主張を否定している。

  • ロン・デニス 「ルイス・ハミルトンの離脱を止めようとはしなかった」

    ロン・デニス 「ルイス・ハミルトンの離脱を止めようとはしなかった」

    マクラーレンの会長ロン・デニスは、2012年末にルイス・ハミルトンがマクラーレンを去ろうとするのを本気で止めようとはしなかったと語った。

    ルイス・ハミルトンは、キャリアの大部分をマクラーレンで過ごしたが、2013年からメルセデスに移籍した。

    マクラーレンの50周年記念イベントでのインタビューで、ロン・デニスは、ルイス・ハミルトンがマクラーレンを去るのを止めようとはしなかったと述べた。

    「最近、ルイスの非常に素晴らしいコメントを読んだ。F1ですでにレースをしてからマクラーレンに加入した他のドライバーとは異なり、幼少時代から見習い期間を過ごしたことで、彼はマクラーレン内で育った種だと語っているものだった。これ以上なく多くを物語っている表現だと思った」とロン・デニスは述べた。

    「ルイスは、彼がマクラーレンファミリーの一員であり、その種のように我々の組織の中で深く根を張って育ったということを知っている」

    「昨年、私はメルセデスAMG F1チームに新たな活躍の場を求めようとする彼を本気で止めようとはしなかった。おそらく、それは彼の成長に必要なことだったのだろう。しかし、私は彼との日々をいつでもとても懐かしく思い出すし、彼がわ我々と共にワールドチャンピオンに輝いた2008年にマクラーレンのCEOかつチーム代表だったことを非常に誇りに思う」

    ロン・デニスは、誰も2007にF1にやって来たルイス・ハミルトンのインパクトを予測していなかっただろうと付け加えた。

    「彼が最初にやってきたとき、誰も彼がF1に与えるインパクトを予測できなかったはずだ」

    「我々は、彼が速くなるとの考えに基づいて契約したが、彼の1年目は見習い期間のようなものになると考えていた。彼が仕事について学んでいく以上、ミスやエラーは避けられないだろうとね」

    「彼がかなりの早さで適応したという事実は、彼の貪欲さや能力の証であるだけではなく、マクラーレンが長年をかけて彼にほどこしてきた教育やサポートの質への賛辞でもある。多くの人々がしてきたようにルイスをF1における“オーバーナイトセンセーション”と呼ぶのはフェアではないだろう。我々マクラーレンのメンバーはそれまでに目に見えない長年のハードワークがあったことを知っている」

  • マクラーレン、ロン・デニスの“降格”を否定

    マクラーレン、ロン・デニスの“降格”を否定

    マクラーレンは、ロン・デニスの役職が変更になったことを認めたが、共同オーナーであるバーレーン政府系ファンドの圧力によって降格されたとの報道は否定した。

    Auto Motor und Sport は、乗用車部門の赤字によってマクラーレンの“最高権威”が投票権を奪われ、業務執行権を持たない非常勤取締役に“降格”したと報じていた。

    記事には、マクラーレン株主であるバーレーン政府の投資企業マムタラカト・ホールディングがロン・デニスの主導するマクラーレン・オートモーティブの多額の損失に怒っているとあった。

    しかし、マクラーレンのスポークスパーソンは、ロン・デニスの役職変更は彼自身の希望によるものだと BBC に述べた。

    スポークスパーソンは、マクラーレン・グループの会長であるロン・デニスが、業務執行権を持たない取締役会のメンバーになったことは事実と認めた。

    ロン・デニスは「私の仕事で変わった点は、マネジメントの行動に対する責任がなくなったことだ」と述べているという。

    ロン・デニスは、バーレーン、そして同じく株主のマンスール・オジェとの対立はないといい、F1チームの指揮権をマーティン・ウィットマーシュから奪い返そうとしたとの噂についても否定した。

    「1月の契約で決められた以外に私の社内での役割、ましてや役職変更について外部から提議されたことはない」

  • ロン・デニス、マクラーレンの乗用車部門の赤字で降格

    ロン・デニス、マクラーレンの乗用車部門の赤字で降格

    ロン・デニスは、マクラーレンの乗用車部門が損失を出したことを受け、社内で降格させられたと Auto Motor und Sport 報じた。

    ロン・デニスは、依然としてマクラーレンの”最高権威”と呼ばれているが、数年前マクラーレンのチーム代表の座を退き、マーティン・ウィットマーシュが後任となった。

    またロン・デニスは、マクラーレン社の株式30%をバーレーン政府の投資企業マムタラカト・ホールディングに売却し、最近ではマクラーレンの乗用車会社であるマクラーレン・オートモーティブに専念していた。

    同誌によると、ロン・デニスは、乗用車ビジネスとマクラーレンに対するバーレーンの影響力により降格させられたという。

    ロン・デニスはマクラーレン・グループの取締役会における投票権を失い、共同オーナーの立場で非常勤取締役になったと報じている。

    同誌は、バーレーン側が、ロン・デニス長年温めてきたプロジェクトであるマクラーレン・オートモーティブが利益を生むどころが損失を出していることに怒っていると報じた。

    特派員のミハエル・シュミットとビアンカ・レパートは「予定された3500台のうち、半分しか売れていない。バーレーン人は、資金が消えて二度と戻らないと考えている」と述べた。バーレーンの損失は、数億にのぼるという。