F1イタリアGPの舞台であるモンツァ・サーキット(アウトドローモ・ナツィオナーレ・モンツァ)は、1922年に建設されたF1カレンダー屈指の歴史を持つサーキットだ。
「スピードの神殿」と呼ばれる高速コースには、地名やコース形状、そしてイタリアを代表するレーシングドライバーに由来するコーナー名が残されている。
現在のレイアウトは11のコーナーで構成されるが、その名称は開業当初から固定されていたわけではない。安全性向上のためにシケインが追加され、既存のコーナーも改修されるなかで名称も変化してきた。F1公式サイトが紹介した由来をもとに、モンツァの各コーナーに刻まれた歴史を整理する。
ターン1/2:プリマ・バリアンテ(Prima Variante)
スタート直後に待ち受ける最初のシケインが「プリマ・バリアンテ」だ。イタリア語でそのまま「第1シケイン」を意味する。
モンツァは1922年に建設されたが、高速化するマシンへの安全対策としてコースには繰り返し改修が施されてきた。プリマ・バリアンテが設置されたのは1972年。極端に高くなっていた速度を抑えることが目的だった。
以前は「バリアンテ・デル・レッティフィーロ(Variante del Rettifilo)」と呼ばれていた。「ストレートのシケイン」という意味で、当時のスタート/フィニッシュストレート上に設置されていたことに由来する。
2000年には再び形状が変更され、それ以降はプリマ・バリアンテの名称が定着した。現在でもスタート直後の混戦やオーバーテイクが頻繁に発生する、モンツァを象徴する勝負どころのひとつである。
ターン3:ビアッソーノ(Biassono)
プリマ・バリアンテを抜けた先にある高速右コーナーがビアッソーノだ。
かつては、その大きな弧を描く形状から「クルバ・グランデ(Curva Grande=大きなカーブ)」と呼ばれていた。しかし1970年代初頭のコース改修を経て、サーキット近郊の町「ビアッソーノ」の名が使われるようになった。
現在でもクルバ・グランデという旧称で呼ばれることがあり、モンツァの歴史的な名称のひとつとして広く知られている。
ターン4/5:セコンダ・バリアンテ(Seconda Variante)
続くターン4と5は「セコンダ・バリアンテ」。文字どおり「第2シケイン」を意味し、1976年の安全対策として追加された。
この区間には大きなランオフエリアが設けられており、高速サーキットであるモンツァが安全性を高めてきた歴史を現在のレイアウトからも確認できる。
同時に、ブレーキングで順位を争える代表的なオーバーテイクポイントでもある。1995年にはF1タイトルを争っていたデイモン・ヒルとミハエル・シューマッハがここで接触するなど、数々のドラマの舞台となってきた。
近くを流れる水路にちなんで「クルバ・デラ・ロッジア(Curva della Roggia)」とも呼ばれる。
ターン6/7:レスモ1/レスモ2(Lesmo 1 & 2)
2つの右コーナーからなるレスモは、モンツァを代表する高速区間のひとつだ。
もともとはサーキットを囲む森林に由来して「クルバ・デラ・クエルチェ(Curva della Querce=オークのカーブ)」と呼ばれていた。その後、近隣の町レスモにちなんで「レスモ1」「レスモ2」という名称になった。
名称の起源については、この地域に暮らしていた一族に由来するという説や、ギリシャのレスボス島との関連を指摘する説も存在する。
特にレスモ2には複数の旧称がある。入口から出口までの距離が短かったことから「クルバ・デイ・100メトリ(Curva dei 100 Metri=100メートルカーブ)」、周辺の森林から「クルバ・デル・ボスコ・デイ・チェルビ(Curva del bosco dei Cervi=鹿の森のカーブ)」とも呼ばれていた。
かつてのレスモ2は極めて高速で、ドライバーは最大300km/h近い速度で進入していたという。1994年の改修によって以前ほどの超高速コーナーではなくなったものの、現在もラップタイムを左右する重要な区間だ。
さらに出口でどれだけ速度を維持できるかが、その先のオーバーテイクにも影響する。
セルラリオ(Serraglio)
レスモを抜けた先には、わずかに左へ曲がる「クルバ・デル・セルラリオ(Curva del Serraglio)」がある。
公式にはコーナーとして数えられていないためターン番号は付けられていないが、モンツァの歴史を語るうえでは特徴的な名称だ。
「セルラリオ」の名は、かつてこの付近に存在した王室の狩猟施設に由来する。ドライバーはほぼストレートとして通過し、そのままアスカリへ向かう。
ターン8/9/10:バリアンテ・アスカリ(Variante Ascari)
高速ストレートの先に待ち受ける3連コーナーが「バリアンテ・アスカリ」だ。
その名はイタリアを代表するF1ドライバー、アルベルト・アスカリに由来する。アスカリは1952年と1953年にF1ワールドチャンピオンを獲得したが、1955年にモンツァでテスト走行中の事故によって命を落とした。
その功績をたたえ、この区間にはアスカリの名前が付けられた。
それ以前は「クルバ・デル・プラタノ(Curva del Platano=プラタナスのカーブ)」、あるいは「クルバ・デル・ビアローネ(Curva del Vialone=大通りのカーブ)」と呼ばれていた。後者はサーキットへ通じる大きなアクセス道路の上をコースが横切っていたことに由来する。
現在のアスカリは左、右、左と高速で切り返す区間であり、ブレーキングだけでなくマシンの方向転換性能とドライバーの正確さが問われる。
ターン11:クルバ・アルボレート(Curva Alboreto)
モンツァの最終コーナーが「クルバ・アルボレート」だ。
長年にわたって「パラボリカ(Parabolica)」の名称で親しまれてきた。約180度の高速右コーナーが数学上の放物線(パラボラ)を思わせる形状をしていることが、その由来である。
高速で進入しながら長時間にわたって横方向の負荷が続き、出口ではメインストレートへ向けて可能な限り早くアクセルを開ける必要がある。かつてはコース外側の安全設備も現在ほど充実しておらず、ドライバーの勇気が問われるコーナーとして恐れられてきた。
現在の名称は、元F1ドライバーのミケーレ・アルボレートに由来する。アルボレートは1981年から1994年までF1に参戦し、フェラーリでも活躍したイタリア人ドライバーだ。
その功績をたたえ、2021年にパラボリカは「クルバ・アルボレート」へ改称された。ただし、長年定着してきた歴史から現在でも「パラボリカ」と呼ばれることは多い。
地名と英雄の記憶が残る「スピードの神殿」
モンツァのコーナー名をたどると、このサーキットが単なる高速コースではなく、100年以上にわたって変化を続けてきた場所であることが分かる。
プリマ・バリアンテやセコンダ・バリアンテは安全性向上を目的としたレイアウト変更の歴史を伝え、ビアッソーノやレスモには周辺地域との結びつきが残る。そしてアスカリとアルボレートには、イタリアのモータースポーツ史を築いたドライバーへの敬意が刻まれている。
F1イタリアGPを見る際にこうした由来を知っておけば、「レスモ」「アスカリ」「パラボリカ」という実況でおなじみの名前も、それぞれ異なる歴史を背負った場所として見えてくる。











